変化は始まっていた。
唐突だった。
ドクンッ!! という大きな音が鳴り響いた瞬間、禰豆子は苦しみ悶える。
「ッ!?」
鼓動が早まっていくのがわかる。心臓の音がいつもより大きく聞こえ、そのせいで身体中が信じられないほど熱かった。
「禰豆 !?」
禰豆子は必死に抵抗していた手を止め、喀血し膝を崩す。あり得ない血の量に、口元の竹筒が水圧による圧力に耐えきれずに外れていた。首を巡らせ、青ざめた表情をした兄を見てから、陽光の光に照らされている方から聞こえる戦闘音に耳を澄ませる。
だが、次第に音が遠くなっていく。
地面が迫ってきたと思った時には禰豆子は前のめりに倒れていた。草原を血の染みが蚕食していく。血溜まりには禰豆子の死相が映りこんだ。手足が勝手にびくびくと痙攣する。いつまで経っても細胞は再生されない。それどころか、死滅しているのがわかる。痛みに耐えかねた禰豆子の細胞は早々に宿主を見放した。闇が四方から迫り、とてつもない孤独が押し寄せてきた。
兄、炭治郎が懸命に自分の体を揺すっているのがわかる。瞳から滂沱と涙を流しながら何事かと禰豆子に叫んでいる。
けれど、何を言ってるのか聞こえない。
胸が抉られるような痛み。
「 ッ!!」
声が聞こえない。
兄の声が聞こえない。
「 ッ!!!??」
意識が分解され、深い闇の中に沈んでいく。
目蓋が重くて震える。
燃えるように熱い。
その瞳の中の血管が割れるように広がっていき、ついには『泪』が溢れ出る。
自分の、
そこで。
あの時、彼の家。
そこで聞いた“誰かの声”が。
突如鼓膜に流し込まれたかのように響いた。
『────リンクを·······お願い致します────』
ドクンッ!! と心臓が跳ね、カッと目を見開く。
「ッ!!」
視界を覆っていた闇は祓われ、その瞳に光が宿る。
右手が閃き、指先の爪が鋭くなる。
みしりと音がして禰豆子の胸郭が一瞬大きく膨れあがり、次いで全身の骨が異様な音を立てながら鳴る。
体が痙攣し沸騰し、なにかが這い回るような悪寒。
体の中の内臓達がぼこりと音を立て、そして──────
「ね、禰豆子ッ!?」
今度は明確に聞こえた。
兄、炭治郎が驚愕するほどの変化が始まった。
いや。
これは、変化ではない。
“再生”。
血が吐かれ、肉が盛り上がり、内臓が破れ、神経が結合し、体温が失われ、骨が再構成され、細胞が死滅しながら再生する。
禰豆子の体内は恐ろしい速度で死に、凄まじい勢いで生き返る陰陽相克せし坩堝と化す。
内臓を掻き回されているかの如き激痛を乗り越え、禰豆子はのたうちながら地面をべキリと鷲掴みにし、
叫んだ。
「“りんく”ぅぅぅうううううううううッッッ!!!!!!」
禰豆子は天に向かって絶叫しながら立ち上がる。
視界が上下に激しく歪み、しこたま酔っぱらったみたいな遠近感の崩壊した世界。
体が熱い、燃えるようだ。
激しい吐き気と頭痛、悪心。
どうして立てるのか禰豆子自身不思議でならない。
しかし、
まだ手が動く。
足が動く。
心臓が動く。
生きている。
「ね、禰豆子··············お前ッ!!」
「ッ!!」
言葉を話した妹に凍りつく炭治郎だったが、禰豆子は構わず走り出していた。
自分の天敵であった、陽光が差す朝日の方角へと。
「禰豆子!?」
待て────そんな炭治郎の制止の声を背に受けながら、禰豆子は転びそうなくらい前のめりになって駆け出す。
禰豆子の視界に映っているのは、久しく忘れていた光景。
太陽が彼女の瞳に侵入し目が焼かれそうになるが、燃えることはなかった。あれだけ恐ろしかった陽光が、彼女の肌を焼くことはなく、むしろ優しく包んでくれている。生まれ変わった彼女を祝福するような優しい温もりを感じながら、禰豆子は懸命に足を動かす。
そして。
目の前にいる、自分といつも一緒にいてくれた、勇者。
リンク。
彼の姿が明確になった瞬間、彼女は苦しみに耐えた際にまだ口の中に残っていた血の塊を吐き出し、手を真っ赤に染め上げる。
バチッ!! という音が炸裂した。
天敵だった陽光に当たっても消えることはない、彼女に与えられた鬼の異能。火花が散った瞬間に手についた血は燃え上がり、完全に燃え尽きてしまう前に、彼女は裏拳気味に血を竜に振り撒いて。
吼える。
「────爆血────」
□■□■□■
森の中にポッカリと開かれた場所にある草原は今、光に覆われていた。
何の比喩でもない。
時刻は朝を迎えている時間であり、太陽は地上を照らすために空に輝いている。加え、恒星と地上の間に、光を隔てる雲さえもない。
これは別におかしいことではない。普通のことだろう。
だというのに。
リンクはあり得ないと思った。
あり得ない光景を目にしたリンクは目を見開き、息を詰まらせていた。身動きはおろか、身じろぎ一つさえできない。否、それどころか、言葉を発することさえ困難だった。
理由は至極単純。
全てを台無しにしてしまう光景が広がっていたからだ。
そう、
「え·········?」
目の前の光景を疑った。
リンクの知っている少女は、太陽に当たれば情け容赦なくその光に肌が焼かれ、死に至る魔物であったはずだ。
なのに。
「り、り、りんく··············よかった。ぶ、ぶじで、よかったねぇ」
この時間帯に動いてはいけない魔物の少女は、人間の幼子ようにまだ発達しきれていない言葉を発し、自分の名前を呼んだ。
何の感情を抱けば良いかわからなかった。
少なくとも、怒るべきだ。
今まで必死に死なせないように木箱の中に入れて守ってきたというのに。もう太陽が昇る時間だったから、それで見知らぬ少年に木箱を預けて彼女を陽光から守ってもらおうとしたのに。
何の得物も持っていないのに、竜という怪物の前に堂々と現れて。
まだ何も解決していない。
ここで前に出てこられたら、たとえ陽光に殺されなくてもキンググリオークに喰い殺される危険だってあるのに、それでは全部、これまであった苦労が全て無駄になってしまう!!
それなのに·········何故だろう。
「·········」
リンクには、怒りなんてそんな野蛮なものは湧いてこない。台無しにされたなんて徒労感もない。
むしろ。
「り、んく·········」
鬼という、魔物側の存在だった少女は。
人間のように優しく微笑んでリンクに歩み寄り、手を差し伸べてきた。
握手でも求めるように。
「りんく·········いこう!!」
「·········」
リンクは。
今まで口枷に阻まれていた彼女の言葉に頷き、差し出された魔物の少女の手を、その右手で握り返す。彼女はにこりと笑うと、リンクを助け起こした。
そして。
そして。
色の薄い唇が動き、短く、はっきりとした言葉で。
青年は真っ直ぐに少女の目を見据えて。
答えた。
「ああ!!」
二人は地を蹴り、遥か彼方に揺れる陽光を浴びながら怪物へと立ち向かっていく。
□■□■□■
少女の介入で、リンクはもう一度立ち上がることができた。
体力がなくなってもう限界を超えている今、避け損なえば致命傷を負うものの、コツがわかってきたならば誰もが勇気を振り絞って立ち向かう。
リンクという青年は、そういった勇敢なる人種なのだ。
彼は、最初は弱い。理由は、初見で攻略法がわかっていないだからだ。
剣技が優れているとはいえ、戦う相手の攻撃手段や癖が分からなければ負ける。それはどんなものでも同じだろう。戦争では、敵側の戦力や構成の情報を最初に入手し、そこで初めて対抗策を考えて迎え撃つことが多い。初見で戦いに挑む大馬鹿者はいない。予め事前の情報を入手するかしないと、相手のことがわからないまま返り討ちにされる可能性が高い。
他にも、武器の具合を最初に確認しておくというのもある。もし仮に与えられた武器が手に馴染まず、何か違和感を感じたらすぐに手入れしないといけない。何も確認せず知らないまま、釣り合わない武器を持って戦えば、負ける可能性は高い。
戦いとは、読み合いの勝負である。
敵側の動きや力、兵力や戦術、統率力や情勢。
そういった敵側のことをどれだけ知っているかによって勝率は変わる。
知識の差。
技量の差。
情報の差。
それらが一つでも欠けていたら勝率は下がる。
より詳細に戦闘情報を分析しなければならない、『戦略』と『戦術』の組み立てを即座に行なって挑まねば、すぐに負けてしまう。
とはいえ、だ。
リンクという剣士は、その差を埋めるのが異常に速い。
一番初めは敵の攻撃の仕方がわからずに苦戦するものの、戦いの最中に討伐の糸口を見つけ、すぐに対応策を考え、攻略法を編み出して戦う。
今目の前にいるキンググリオークだって、最初はどう手出しをしていいのかまるでわからない存在だった。
天賦の才を持ち合わせた剣士である彼でも、最初はコイツに負けまくった。でも、いくらか挑んで技や動きの癖を見抜き、戦いの最中に『戦略』と『戦術』を即座に組み立てて勝利した。
つまり。
リンクに備わっている能力は、剣技だけではない。
優れた直感と観察眼、そして並外れた反射神経だ。
どれだけ強い相手であろうと、倒すための弱点は必ずある。手の動きや足捌きにも、どこか規則性はある。動く際に生じる癖、そこから導かれるヒント。相手の視線からどこを狙っているかを見抜き躱すなど、彼はとにかく勘が良い。
相手が人間ではなく魔物でも、その天才的な直感は発揮される。
初歩的な知識ではあるが、魔物は頭が脆く、目の大きいものはそこが弱点だったりする。
あの残像を残すほどの最速の動きをし、目にも止まらぬ速さでこちらを翻弄してきた“雷のカースガノン”も、その動きの法則性を見抜き、慣れれば簡単に避けられ、盾でガードすることもできた。ガーディアンの光線攻撃も、発射直前の溜めの瞬間を狙えば盾で弾き返せた。
最初は手間取っても、動きに慣れれば次にどう動くか、敵の思考が手に取るようにわかってしまう。
あの佩狼や玉壺という鬼も最初はいくらか喰らったものの、攻撃方法を知ったことで攻略法を見い出し、対抗策を戦闘中に組み立て、そして協力もあって倒せた。
馬鹿正直に真正面から突っ込まない。
経験を積んで強くなる。
一瞬の隙も見逃さず、相手の隙を見抜いて攻略の糸口を見つけて倒す。
それがリンクの強さの秘密だ。
直感と優れた観察眼で敵の弱点や対抗策を見つけ出し、そしてそれに即応できる反射神経と身体能力。
天分に恵まれた彼はその戦闘経験の積み重ねのおかげで、今ではハイラル中の魔物を怯ませるまでに状況が好転していた。
「「「グオガアアアアァァァアアアアアアアッッッ!!!!」」」
少女の炎に焼かれていたキンググリオークが後ろ脚で立ち上がり、大きな体をさらに大きく見せて絶叫した。
「ッ!?」
そのあまりの音量に、少女は耳を押さえて膝を崩す。
度重なる攻撃にさらされ、とうとうキンググリオークの逆鱗に触れた。逆に言えば、ようやく怒っただけ。今までは所詮その程度、というような態度でこちらを見下していたのだ。
震動する空間。
威嚇なんて、そんな甘いものじゃない。
咆哮に合わせて空も赤黒く染まっていく。グリオークの体を蝕んでいた瘴気を大気に放って、環境を歪めて太陽の光を覆い隠す。
聖なる陽射しがこれ以上差し込むことはない。
精神の核を破壊するような咆哮に、少女の心の炎が消えてしまいそうになる。鬼としての心が失われつつある少女は、圧倒的な怪物に怯みそうになる。
だが。
「大丈夫!!」
「ッ!?」
「君には指一本触れさせない!! 絶対に!!」
自分と一緒に戦ってくれる相棒を奮い立たせるように叫ぶリンクは、彼女の前に立って盾を構え、退魔の剣を強く握りしめる。
勇気を宿した瞳が、彼女の心を支える。
少女はそんな彼に頷く。鬼の心は消えても、闘気までは失われていない。
隣に立ち直す少女を見たリンクは、その勇敢さに微笑み、
「「「グォォォオオアアアアアアアアアッッッ!!!!」」」
だがキンググリオークは構わずその中央を突っ切り、二人の間合いを広げる。リンク達にとっては全力で走ってようやく縮める間合いも、巨体を誇るキンググリオークにとっては少し走っただけで開く距離だ。しかし、それは承知の上だった。この差がそのまま自分達とキンググリオークとの力の差ではないと、リンクは自分に言い聞かせるようにして再び距離を詰めていく。
何もかもを熟知しているリンクは、雄叫びを上げて駆け寄っていく。
「うおおおおおおおおおおッ!!!!」
跳躍後、退魔の剣、マスターソードを一閃させる。
いったん剣刃で間合いを確かめてから、すかさず剣を鞘に納めて弓矢に切り替える。盾まで背中に戻す余裕はない、だからその上に重ねるように左手に弓を持つ。腰の矢筒から矢を一本抜き出して、弓に番えられた矢の先端に、何かが括り付けられる。“その正体”が知られる前に放たれた矢は正確な射線を描きながら、それ自体の重量によって加速していき、キンググリオークの雷の力を纏った頸に命中した。
直後。
ドッッッゴォォォオオオッ!! という轟音。
一本の矢に込められた威力とは思えない。周囲の空気まで焼き尽くす爆炎。
矢を弓に番える直前、リンクの右手に不思議な輝きが帯びたと思ったら、鏃の形状が変化していた。
丸く、火花を散らす、破壊力が込められた植物。
バクダン花。
自然の産物とは思えないバクダン花の破壊力は魅力的だった。
だが、キンググリオークの底なしの体力は爆発を起こすバクダン花でも大したものでないほどに強固であった。
キンググリオークの頸を一つ怯ませても、怪物としての意地か、残っていた二つの頭が彼を睨む。
「「ゴオオォォォォォォオオオオオオッッッ!!!!」」
キンググリオークが、煩わしいリンクを無力化するために大きく息を吸う。
またあのブレスか、そう思ったリンクは咄嗟に盾を構えて対抗しようとする。幸いにも、残っていたのは炎と氷の力を纏った頭。それならばリンクの持つハイリアの盾も耐えられる。
しかし真正面から受けるのは危険、そう判断して僅かに斜めに構えて受け止める。
そして炎と氷の頭を生やしたキンググリオークが息を吸い終え、ギロリとリンクを睨み付けてきた。
すると次の瞬間────────
「「ガアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!」」
放たれたのは、灰すらも燃やし尽くす地獄のような炎でも、魂までも凍り付かせる冷気でもなんでもなかった。
飛んできた壁にでもぶつかったような、圧倒的な風圧。
大砲の音を数十倍に増幅させたような、凄まじい轟音。
「〜〜〜ッッッッッッ!!!??」
今まで受けたことがないような予想外の攻撃に、全身が一斉に衝撃波に襲われた。
骨が激しく振動する、心臓が止まりそうになる。
『轟音』と『暴風』
その塊とも形容するべき不可視の圧力が、リンクの全身に叩き付けられる。リンクは喀血するように息を吐きながら、その身体を軽々と吹き飛ばされた。
暴風はまだ良い。あの少女と離れ離れになった際に一回喰らっていたし、とはいえあまりの強風にライネルの突進攻撃を受けた衝撃に近かったものの、慣れていたからそれは耐えられたが、超音波の壁にぶち当たったことでハイリア人に与えられた神の声を聴くための長い耳から赤い液体が飛び散った。鼓膜を貫いて三半規管へ直接衝撃が走り抜け、凄まじい激痛が頭の中で爆発し、耳栓をしたように両側からの音がくぐもった。その上、何故だか視界の半分ほどが薄赤く染まって見えた。
間に盾を挟んで構えていたにも拘らず、襲いくる衝撃に耐えられず後方へと弾き返された。吹き飛ばされる体が大地に溜まっていた泥水を跳ねかせ、ハイリアの盾と弓を握っていた腕が痺れる。盾は落とさなかったものの、その上に重ねるように持っていた弓は落っことしてしまう。地面に叩きつけられた際に腰に固定されていた矢筒の紐が衝撃に耐えきれずに切れて落としてしまい、飛び道具による攻撃が封じられた。
「ッ!?」
一瞬気を失いかけるが、なんとか意識が遠退くのを防ぐために舌を軽く噛む。すでに限界だというのに、麻痺によって手放しそうになる意識を恐ろしいほどの痛覚を舌に味わわせたことで凌いでみせた。
味覚と聴覚が機能しなくなって力がさらに抜けるものの、しかし敵も待ってはくれない。
氷の頭が息を吸い込んだ瞬間、炎の頭がどういうわけかその頸に噛み付いた。灼熱の牙を持つ頭が氷の頸に噛み付いたことにより、自分の力を注いでいるようにも見えた。炎と氷が合わさったらどうなるか、そんなの簡単に思いつく。そして吐き出されるブレスも、その属性に合わせたものに変わっているだろう。
おそらく、これから来るのは──────
「!!」
それを理解した瞬間に、リンクは体を前転させて避ける。直後、背後に悪寒を感じた。ブレスが放たれたのはわかったが、肌が焼かれる感触も凍りつく感触もしなかった。
代わりに。
恐ろしいほどの圧力で放たれたブレスによって、地面の一部が切断されていた。
放たれたものは、炎でも氷でもない。
水。
あの壺の鬼が使っていた異能をも超える、超高圧水流。音速の数倍の速度で細く噴射すれば、金剛石をも切断することが可能だというが、それを知らずに盾を構えて受けて立とうとしていたらどうなっていたことか。
頑丈なハイリアの盾でも防ぎきれなかったかもしれない。
「ガアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!」
そんなことを考えていたら、上体をもたげてキンググリオークが吼える。斬り裂くような咆哮が耳をつんざき、リンクは身を竦ませる。焦ったもののどうにもできず、全身に感じる麻痺と共に硬直する。
容赦無く、冷気を纏ったキンググリオークの頭が、牙を剝き出しにして迫ってきた。
このまま嚙みつかれたら、無事では済まない。
血が凍った─────その瞬間、
ヒュン!!
風が、鳴った。
短く鈍い音が続く。
「グオオォォォォォォオオオオオオッッッ!!???」
キンググリオークは信じられないものを見るような目を、自分の隣の頭に向けていた。
今まさにリンクに伸ばしかけていた、氷を纏った頸。
その頭の目玉を、一本の矢が貫いている。
─────どこから?
あのキンググリオークの苦痛の呻き声が聞こえてくる。
誰かが矢を放ったらしい。
そう悟った次の瞬間には、背後からの声によって硬直していた体が強引に解かれた。
「りんく!!」
振り返ると、桜色の瞳を宿した少女が、先程落とした自分の弓を手にして立っていた。
側に落ちていた矢筒から抜き取った矢を構えて援護してくれるつもりらしい。照準が定まっておらず、弓矢を構える手が僅かにブレていることから彼女は弓を扱うのは初めてだと察した。それなのに放たれた矢は正確に急所に当たり、リンクを救ってくれた。
上手く使いこなしている理屈はわからない。
だがおそらく、鬼としての力だろう。
ハイラルの魔物も、あらゆる武器を扱っていた。魔物達は狡賢く、冒険家や討伐隊らが落とした高価で強力な武器を回収してはそれを装備し、すぐさま即応して武器の力を存分に引き出していた。同じにしてしまっては失礼ではあるが、彼女もそんな魔物達と同じく、手にした瞬間に武器の扱い方を理解し、そしてそれを使いこなせる技量を持っていると思われる。
だからだろうか、そんな少女の姿を見ても然程驚くことはなかった。
「ありがとう! 助かった!!」
「うん!!」
有効射程範囲まで届かせる彼女の腕の技量に、リンクは自然と笑みがこみ上げてきていた。
この危険な状況で、彼の相棒は疲れ果てた自分の力を取り戻させるような存在なのだ。
リンクと少女は、お互いに支え合える相棒であることをこれほど誇らしく思ったことはなかった。
「グォォォオオオオオオオオッッッ!!!!」
理性を失いつつあるキンググリオークはさらに怒りを募らせ、耳をつんざく咆哮が轟き渡らせる。
少女が放った一撃によって、残りの頸が一つになったことを悔いているようにも見えた。
当然だ。相手はあのキンググリオークだ。
グリオークの頂点に立ち、全ての魔物の中でも上位の位置に君臨する存在だ。そんな伝説的な魔物ではあるが、こんなにも小さな少女に一撃を貰って、さぞ頭に来ていることだろう。
それだけでも充分といえる。
キンググリオークは残り一つの頭に血が昇ったことによって炎の触角を激しく燃えさせ、二人に狙いをつけている。
「ゴォォアアアアアアアアアッッッ!!!!」
キンググリオークが後脚で立ち上がった。
巨体によって真っ赤に染まった太陽が覆い隠されたかと思うと、一気にリンク達の方へと倒れこんでくる。
回避は不可能だと判断した。
リンクは咄嗟に盾を前に出し、その後ろに体を隠して疼くまる。キンググリオークの体重を乗せた一撃に、リンクは体を持っていかれそうになったが、懸命に足を踏ん張って耐え抜く。しかし、それだけに留まらなかった。いったん腹這いになったキンググリオークはすぐに体勢を立て直すと、横殴りに前脚を振るってきたのだ。
鋭い爪が盾の上方を滑っていく。
「ぐっ!!」
激しい痛みが、体勢を支えている脇腹から背中にかけて走り抜けた。
わずかな隙、それでも、これを突かれれば大怪我に通じる危険な隙だ。
その時、リンクの横を何かが突っ切る。
「────爆血────」
「ガァアアアアアアアアアッッッ!!???」
幼い声と共にそれはキンググリオークの腹に命中し、弾け、炎を撒き散らした。一瞬だけしか見えなかったが、鏃に何かが塗られていた。たとえ驚異的な硬さを誇るキンググリオークの鱗でも、そこに僅かに喰い込んだだけで効果があった。
それは謂わば、瘴気の魔物にとっては有毒な存在。
彼女の持つ異能は、魔王の瘴気さえも燃やし尽くす。かつて蛇の鬼に一発喰らって瘴気に蝕まれた時、彼女は自分の体を燃やして瘴気を浄化してみせた。それから分かる通り、あの炎は邪悪な力を灼き尽くす効果がある。
「!!」
矢を放った者の正体を察したリンクは笑みを浮かべると、そのまま振り返らず再び構える。あの隙に反撃が来たか来ないかはわからない。それでも、リンクの動きを見て即座に援護をしてくれたあの動きは頼もしかった。
退魔の剣を水平に構える。
勢いをつけ踏み込み、ほんの数歩の距離で水平に構えた刃の切っ先に全体重と勢いを乗せ突き出す。
今度こそ、その恐ろしい鋭い爪を潜り抜け、胴体部分に突きが入った。刃の切っ先に力が残っている間に、すぐさまリンクは体重を入れ替える。そして突きの威力が消えた瞬間、刃面を上に向け、左足に力を入れた。そこを支点として一気に剣を撥ね上げる。
傷は与えた。
だがまだ浅い。
鱗の表面をうっすら削っただけの感触しかない。
前転をしながら左に回避する。斬り、突き、斬り上げの流れを入れたらすぐさまその場を離れる。深く入るか浅く入るかは関係ない。一つの動きに対し、その場で成否を考えていれば判断が遅れる。その遅れは、魔物につけ込まれる隙になるのだ。
回避したリンクの代わりに、少女の血が塗られた矢を頭部に向けて撃ち込んでくれた。
リンクに注意を奪われていたキンググリオークはこれをまともに喰らう。一発の矢は大した威力はなくとも、一番脆い箇所の頭に当てれば、一瞬ではあるが怯ませられる。
そして視線をリンクから少女へと動かした。それだけで戦闘の流れはこっちが掴んだと確信できた。
リンクはキンググリオークの側面に回り込みながら立ち上がるとマスターソードを振り上げる。今度は脚に向けて刃を振り上げた。体重を乗せて振り下ろす。脚の関節部分に入った刃から鮮血が飛び出し、そのまま突きと斬り上げ、三連撃を喰らわせ、返り血が飛び散る。
注意が完全に少女へと向いていた分、隙が大きく動きやすかった。
瞬時にそう判断し三連撃の後、回避せずに全身に力を込めた。
「シェアアアアアアアアッッッ!!!」
再びの斬り上げ。
その鋭い牙が生えた顎を打ち上げるように斬り付けたせいで、炎の頭の脳は揺さぶられる。
その間も、少女はリンクが狙っている場所に合わせるようにして、その桜色の瞳によって狙いを正確に定め、脆くなった部位を連続して援護射撃してくれていた。刺さった部分に着火させ、脆くし、ひたすらに体力を削り続ける。
「ッッッ!!???」
流石にキンググリオークもこの連携によろめき、大きく頸が真下に崩れ落ちる。
「フッ!!」
マスターソードを振るっている間、残り僅かな体力が逃げないように息を整える。余分な体力が尽きないように荒い呼吸をし、加えて激しい動きのせいで、額から汗が流れ落ちていた。
ただ、ゆっくりとはしていられない。相手が立ち上がるまでは反撃されないのだ。
これは最大の好機である。
「「グオオオオオオオオッッッ!!」」
そこに、頭の隅で心配していた邪魔者が再起してきた。無力化していた雷と氷の頭が、こちらを喰い殺そうとするために目を覚ましたのだ。接近しすぎたことによって、回避はできないと悟った。万全の状態なら避けられるものの、キンググリオークの相手で神経を使いすぎた時には脅威的な存在だ。
両側から迫り来る、二つの牙。
バク宙して避ける暇もなく襲い来る、死へのカウントダウン。
少女の矢も、今更放っても間に合わない。遠く離れたところから放たれた矢の速度は遅く、望みが薄い以上、リンクは強靭な顎に生えた鋭い歯の攻撃を避ける術はない。
ならば、防ぐしかない。
幸いにも右手には剣、左手には盾があるのだ。
右の頭には上顎に剣を突き刺して怯ませ、左の頭はその大きな口に盾を捻じ込んでやれば顎を閉じられずに喰われる心配はない。
対抗策をすぐに考え、衝撃に備える。
しかし。
その直前。
「
ふっと鋭い呼気。
ゴォ、と空気が燃え。
音速の速度で炎を纏ったような一撃が放たれる。
「“
□■□■□■
肉を灼き、断ち切る音が響き渡っていた。
そのたびに怪物の悲鳴が迸り、余震のように大地が震え、空気が不気味に揺れる。
野次馬状態である炭治郎や背後にいる玄弥らは、声も出せていなかった。目を逸らす事さえも、勇気を必要とした。その場にいた誰もが何もできず、ただ圧倒的な光景を眺めるしかなかった。
「········ッ!!」
そんな中で、竈門炭治郎は自分の目を疑って喉をごくりと鳴らした。
限界状態で朦朧とする意識の中、彼はその光景が信じられなかった。獣よりも恐ろしく、鬼よりも悍ましい怪物相手に、華麗な身のこなしで挑みにいっている外人の青年が。
どこの国の者なのかはわからない。
だがどんな鬼よりもデカい図体を持つ怪物に勇敢に挑んで、呼吸法とは違う洗練された剣技を見せていることから、甘く見積もったとしても柱クラスの実力を秘めているであろう剣士の姿は、鬼殺隊である彼らの表情を刃物でも突き刺すように顔を歪めていた。
右手に持つ剣を、まるで木の枝でも振り回しているかのように軽々と、そして素早い太刀筋で何度もその蒼い輝きを放つ刃を叩き込んでいる。
圧倒的で、とても美しかった。
同時に、とても悔しかった。
「く········ッ!!」
呼吸が詰まり、意識が暗転しかねないほどの実力差が彼の心を蝕む。
自分も早く加勢に行きたい。けれど、武器も何もないのでは自分達鬼殺隊は無力だ。呼吸法によって身体能力をさらに強化できても、得物も持たないのでは相手に傷一つ負わせられない。
拳なんか握り締めたって役に立たない、何故なら相手は常軌を逸した怪物なのだから。
人間の拳など、あの竜にとっては蚊が刺した程度にしか感じないだろう。
なにより。
加勢に行ったとして、自分はあの竜に傷を与えられるのだろうか?
遠く離れていてもわかる、あの竜から臭う異質な気配は、たとえ今この場に日輪刀があっても擦り傷一つつけられないのだと。どんなに硬い鬼の頸をいくつも斬り、上弦をも倒した実績には誇りを持っていた。だが、それが全く通用しない相手からの意思なき異臭が、余計に彼の心を抉り取る。
上弦を討伐したなんて肩書きは、もはや何の体も為さない。
優れた呼吸を極めた剣士であっても、それが外に広がる大きな世界ではどこまで通用するかも分からない。
「········ッ!!」
炭治郎の唇が、ゆっくりと動く。
何もできない悔しさのあまり奥歯を噛み締めながら、その口が動く。
黙って見ている事しかできなかった。
自分の無様さに歯嚙みしながら、けれど彼の心は決して折れなかった。
(禰豆、子········ッ!!)
炭治郎は自分の妹の方へ近づこうとして、そこで血を吐いた。
彼が扱う呼吸は他の者とは違い、使用者にとんでもないほどの負担をかける代物だった。その呼吸の技はどれも強いものの、その強さのあまり使用者の体は技の反動に追いつけていない。
身動きを封じられ、それでも霞む目で戦う青年と妹を見て、彼は思う。
(加勢しないと······ッ!!)
竈門炭治郎は、自分がまだあそこの舞台に立てるほどの実力があるわけではないということは認めているようだ。
認めた上で、今自分がやれることをしなければならない。
結局は同じ舞台上に立たせてもらえない事、竜という鬼をも超える怪物には全然敵わない事。
竈門炭治郎達鬼殺隊は『鬼を滅するために極限まで鍛えられた剣士』であって、『常軌を逸したあらゆる怪物を倒すことができるような規格外の剣士』ではないという事。
(何も·······ッ!!)
でも、だから何だと言うのか。
たったそれだけで、立ち止まる理由になんかなるわけない。
(何も、できないのは·······ッ!!)
今むしろ立ち止まってしまえば、自分達を認めてくれた仲間に失礼だ。
弱かった自分の背中を押してくれたのは誰だったのかを思い出せ。
自分の兄弟子である彼には妹を庇ってもらい、炎の呼吸の使い手であったあの人からは未来を託され、片目と片腕を失っても自分達を見捨てなかった元柱も未熟だった自分を応援してくれた。
そんなことも忘れて自分は何もできないまま終わるのか?
·······いいやッ!!
(何もできないのは──────ッ!!)
圧倒的な敵の前でも勇敢に立ち向かっていく青年と妹の姿が炭治郎の胸に突き刺さり、様々な感情を呼び起こす。
周回遅れなら、周回遅れだからこそ、誰よりも力を込めて前へ進まなくてはならない。
置いていかれた分だけ再加速して、一刻も早く追い着かなくてはならない。
それだけの話ではないか。
鬼殺隊としての本来の『役割』を無視してまで、少年は怪物の姿を改めて認識すると、その瞳に炎のように熱く燃える情熱を宿して、心の中で叫ぶ。
(もう嫌なんだッッッ!!)
その覚悟を抱くのに、実際にはどれほどの勇気が必要だっただろう。
上弦の鬼をも喰らい、なおもそこに当たり前のように平然と降り立つ、規格外の化物。
命を持っているのか持っていないのかも推し量れない、御話の中でしか聞かない怪物。
どうやって倒せば終わりになるのか、そもそも終わりなんてあるのか、その時点から理解不能な存在を前にして、簡単な意思を持つのがどれだけ難しいか。
だが、少年は成し遂げる。
その心に闘志を宿す。
圧倒的な存在に、挑む覚悟を決める。
そんな彼の前に、
──────ヒュンヒュンヒュン、と。
その想いに応えるように。
目の前の地面に『鍔のない一本の刀』が突き立った。
「炭治郎ッ!!」
「ッ!?」
彼の視界の外から、割って入るような大声が響いてきた。
そちらに目を向けると、崖の上から見知った顔が飛び出してきた。
信じられないほどに幼く、しかし実力と階級ではあちらの方が圧倒的に上。鬼殺隊であると同時に史上最年少で柱にまで昇り詰めた少年。
時透無一郎。
彼は珍しく感情的になりながら、こちらに叫んできていた。
「炭治郎!! それを使え!!」
「!?」
「その刀であの人を加勢しろ!! 急げ─────」
「この糞餓鬼!! 殺すぞ、使うなッ!! 第一段階までしか研いでないんだ返せッ!!」
その隣に見たことがない長髪の男性が少年の首根っこを鷲掴みにし、とんでもないほど怒り狂っているが、無一郎は構わず叫ぶ。
「戦え炭治郎!! 戦えぇぇぇぇえええええええええッッッ!!!!」
「ッ!!」
男性に喉を絞められている無一郎の声に炭治郎は頷き、投げ渡された刀の柄を掴むと、あの時出した雷の呼吸の少年が使っていた技をもう一度繰り出すために足に力を込める。
好機は一回。
もし狙いを外したらそれで終わり。ダメになった足ではどこにも逃げられない。
だから正確に狙いを定める。
呼吸で姿勢を制御し、爆発的に前へ出る。
砲弾じみた速度であっという間に距離を縮めていく炭治郎が見たのは、今まさに喰われそうになっている青年の姿。
両側からの攻撃。
攻撃できるのは一回。
それらを一度に振り払うとなると、あの技しかない。
遊郭で戦った上弦の鬼の血鬼術を斬り裂いてみせた──────あの技。
「ヒノカミ神楽──────」
炎を吸い込んだように肺が熱くなる。
ゴォ、と息が燃え。
体に残る、絞りカスのような体力の全てを注ぎ込み。
今出せる最大の技で、上弦を喰い殺すことができる恐ろしい牙を生やした竜の頭を払い除ける。
あの『上弦の陸』の硬い帯の術を斬り裂いた、太陽を描くように高速で回転させる舞踊のような剣技。
その名も──────
「“灼骨炎陽”!!」
□■□■□■
「「ギャオオオオオオオオッッッ!!???」」
「!?」
二重の必殺を封殺され、介入してきた何者かにリンクはつい目を見開く。
水平方向に渦巻く焔のような巨大な竜巻が空中に飛び散り、手を保護して重心を調整する鍔のない黒い刀と二つのグリオークの頭が交錯。
速すぎて何が起こったのかまるでわからない。
太陽を描くように大きく息を吸いながら振るった黒刃が、グリオークにとって一番脆い箇所である頭部を斬り裂き、硬直していた二つの頸全体が血を噴かせる。
二つ頭部を失った頸が糸が切れたように身をくねらせると、斬り落とされた頸が地面へと落下していく。
ボスクラスの頸を斬り裂いたことに、リンクは思わず小さく口を開けてその光景を見ていた。自分と同じく血まみれの状態で体力の限界点を疾うに超えているであろう少年が、リンクの攻撃と少女の炎で弱らせていたとはいえ、グリオークの頭を二つも一撃で倒したというのか。
キンググリオークの頭を、一撃。
キンググリオークの頭を討ち取ったその美しい技を見たリンクは目を見開いていたものの、助太刀した少年は叫ぶ。
「すみません!! あとはお願いしますッ!!」
「ッ!!」
あとのことは任されたリンクは素早く呼吸を整え、そしてマスターソードを残っていた炎の触角を生やしている頭に向けて振り上げた。
斬りつける。
一心不乱に、破魔の輝きを帯びた退魔の剣を振るう。
思えば、少女と出会う前の自分は、悲しみから逃れるためのように刃を振るっていた。
魔王にやられてしまい、
姫を失い、退魔の剣を失い·········生きる指針を見失い。
神々の寵愛を一身に受けたと言われた天才剣士は、厄災相手に二度も敗北したせいで何もかもがその手から溢れ落ち、絶望の底に叩きつけられたリンクは焦燥と敗北感で五臓六腑が捻じ切れそうなほどに意気消沈した挙句に出口のない迷宮を彷徨うかのように踠がいていたのだ。各地の異変を解決しても姫は見つからず、手がかりを入手しても何の成果も得られなかった。
そんな中。
ハイラル国の各地に出現した地上絵にある、『泪』から流れる記憶を読み取った際に、恐るべき事実に辿り着いた。
そう。
自分が弱かったせいで、不甲斐ないせいで、いざという時に役立てなかったせいで。
大切な姫君に、辛い使命を与えてしまっていたのだ。
朽ちた退魔の剣が元に戻ったのは良かったが、代償として姫は一生解き放たれることのない苦しみの中に囚われ続けることになってしまった。
全ては自分が弱かったせい。
そのせいで、姫にまた辛い思いをさせてしまった。
何もかも真実に辿り着いた時には、絶望しかなかった。一生懸命解決策を探したものの、“ああなってしまっては二度と元には戻らない”と言われ、再び闇の底へと落とされ、打ちのめされた。勇者としての責務を全うせねばならなかったから各地の魔物を倒しまくってはいたものの、そこに責任感というものがあるかどうかは曖昧で、それはどこまでも虚しく、ついにはこんなこと続けて意味があるのかとすら思い始めた。
厄災である魔王を倒さぬ限り魔物は復活し、だが倒したとしても姫は戻ってこない。
その真実が、彼の気力を失わせていた。
けれど。
そんな絶望的な状況であった自分を、あの『小さな相棒』は晴らしてくれた。
新種の魔物であった『少女』は決して人間を襲わず、自分を支えるようにずっと寄り添ってくれていた。その目は常に人を救うことだけを見続ける。そんなひたむきな姿に、リンクの瞳を覆っていた暗闇はわずかながらでも晴れたのだ。
解決策が見つからないなら、足掻くしかない。
足掻くしかないなら、この体が動かなくなるまであがいてやればいい。姫を救う方法が見つかるかどうかなんて、今はわからない。弱体化した自分が厄災の討伐を果たせるかどうかもわからない。
それでも、こちらが進むべき道だと感じる方を向いて、自分の直感を信じて歩いていこうと思えた。
少なくとも、気力を取り戻させてくれた相棒が、導く手を必要としなくなるまでは一緒に走ってみようと思った。
そう思えたのだ。
「────爆血────」
直後、背後からあの少女の声が聞こえた。
矢筒から矢を抜きだし、鏃に自分の血を染み込ませて弓に番えて射放つ。
炎の矢は風を裂いて、キンググリオークのいる所ではない別の場所へ放たれたが、その矢は確実に、正確に、狙った箇所へと命中した。
「ッ!?」
その命中度に近くにいた少年もさすがに目を瞠った。鬼としての動体視力があるとはいえ、今まで使ったことがなかった弓矢を手慣れたように使いこなしている自分の妹に驚愕していたのだ。
ガキンッ!!
ボウッ!!
そんな音が手に持っていたマスターソードからしたと思ったら、灼けるような匂いと熱を感じた。
「ッ!!」
リンクはそのことに気付かずに振るう剣を止めることなく攻撃し続ける。
「ッ!?」
今になって、少年は気づいた。
少女の射放った矢は、あの時と同じように刃を燃やして赫く染め上げているのを。それ故に、威力を上げたのだと。
同時に、戦慄した。
青年リンクは振るう剣を固定させていたわけではない。目にも止まらぬ速さで振るっており、そして少女の射た矢はその動きに合わせて正確に当てていた。
彼女のことをずっと見守ってきていた少年にも、少女の技量の冴えはわからない。
だが。
“
「セェイアアアアアアアアッッッ!!!」
リンクは赫く輝く刀身を振るいつつ、端正な顔つきを別人のように変貌させた。
少女の力によってマスターソードは威力を増し、キンググリオークの上体を斬り裂いていく。三つの頭が無力化されたキンググリオークは翼を翻して逃れようと必死にもがくが、司令塔である頭を三つのうち二つも失った状態では体力を消耗するだけでますます追い込まれていく。
「ハァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!!」
それだけでは終わらず、さらにリンクは雄叫びを加速させる。
気合いが充溢し、遂に全身が眩い赫い闘気に包まれた。それは観る者たちの目にハッキリと映り、彼の気迫が見せた幻覚というものではなかった。
人体で起こり得るはずもなく、ありえない現象が今まさに起きていたのだ。
リンクのかつてない体熱が傷口から溢れていた血の凝固作用を凌駕し、体温を下げる汗さえも蒸発させて血の蒸気を発生させている。文字通り人間としての限界を超えた先にある異常体熱が発汗機能をも上回り、生きていられるはずもない程の高熱に蝕まれ、高まり過ぎた体の熱が自分の脂と骨や歯を構成する安定したリン酸を燃やそうとしているのがわかる。
なんの異能も持っていないリンクがどうしてその領域にまで到達できたのかはわからない。もしかすると、血の滲むような修羅場をいくつも潜り抜け、しかし死の淵を彷徨うほどの致命傷を負い、それでも死すらも乗り越えてみせて、大きな成長を経たことで人間としてのリミッターが外れたのかもしれない。
人間の枠には収まらない、死闘の末に手に入れた、人智を超えた力。
まさしく極限状態。
そして最後の好機。
蒸気機関が石炭を燃やしてその蒸気を利用して動くように、その異常な熱がリンクの力を最大以上に引き出している。
駆け引きはもういらない。
そこにあるのは限りなく。
邪悪な魔を滅する、絶対的な闘気。
二段斬りからの斬り返し、さらにリンクの背後を通すように大きく旋回させる攻撃へと繋げていく。
旋回する遠心力、叩きつける時の重量、全身の体重、筋力を乗せ、全てを斬りつけた。
大回転斬り。
渾身の力を込めて、一度の攻撃で会心の一撃を浴びせる。
直後。
攻撃の手を止めることなく無我夢中で振り続けるリンクは音速どころか光速の域に到達し、その姿を捉えさせない。
上、下、右、左、斜め、前、後ろ。
隙間なく全ての方向から斬り付けられるキンググリオークは悲鳴すら上げられない。キンググリオークの全身から尻尾にかけて、駆け抜けざまに光速斬りを敢行。手首の速い返しによって巨体を一瞬で斬り刻み、何もかもがリンクの流れに嵌ったキンググリオークは、その間反撃の術もなく、リンクの斬撃は面白いように命中した。
仲間がいてくれたことに感謝をしながら、マスターソードに宿る赫い刀身は何度も叩き込まれる。
そして──────
「エアァァァアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!」
「グルゥアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッ!!???」
無数の巨大な斬線が空中に飛び散り、その刃先から赫い光芒が放たれる。
血と炎。
速すぎて現実が追いつかず、その巨体は凍りついたように硬直していたかと思えば、気付いた時には体全体から血が噴き出し、賽の目状に切り落とされた肉片がバラバラと落下していく。
会心の手応えがリンクの右腕を走り抜けていき、刃に染みついた竜の血を振り払うように、そして少女が与えてくれた鬼滅の灯火を消すように左右に振ると、大きく息を吐きながら退魔の剣を弄ぶように回転させ、背中の鞘にゆっくりと収納。
邪気に染まった空が晴れていく。
背後は朝日でライトアップされた光の空に挟まれ、伝説的な怪物を討伐した剣士の姿が映し出される。
その姿は神々しく神秘的で、見ていた少年少女たちを絶句させていた。
大空のように澄み切った蒼い瞳と退魔の剣を持つ、蒼の剣士。
リンク。
邪悪な夜の帳を斬り裂くべくこの世界に舞い降りた青年を祝福するかのように。
太陽の光がすべてを包み込んだ。
□■□■□■
朝日が照らす草原を、静寂が包んでいた。
戦闘は終わっていた。
一人の勇敢な剣士によって。
「はぁ········はぁ········ッ!!」
だが。
戦いには勝っても、その力を酷使した反動は大きかった。
満身創痍なんてものじゃない。
死の一歩手前。
強者相手に三連戦もこなし、自身の力を倍加させる事ができる強大な力の塊である『秘石』もなしに、人智を超えた力を引き出してみせたリンクは、その代償として訪れるであろう死というものを覚悟していた。
吐かれる息と血と共に、生気まで抜けているように感じていたのだ。
「あ········」
少年、竈門炭治郎は。
自分よりももう瀕死の状態となっている青年へと目を向ける。戦いが終わったと自覚した瞬間、青年は地面に膝をついて、体を支えていた腕に力が入らずに手のひらの先端が滑る。膝から落ちた彼の全身は、赤い血にまみれていた。蒼い衣服とは真逆に、傷と痛みによって染められた赤色が本当にもう限界であることを証明している。
それでも死ぬことができないのは、やはり回生の祠で死という万人の終着点を回避した者に対する神からの呪いか。
どれだけの高所から落ちても、ある程度の深さがある水場に入れば死ぬことはないほどに頑丈になってしまったリンクは、人間が生きてはいられない高熱を出しても死に至ることはなかった。
とはいえ。
理を超えた者への罰は大きい。
限界を超えた喉から、ヤスリで削ったような乱れた擦れ呼吸が何度も繰り返される。
体の内側、臓器までもが体熱によって傷つけられているのか、吐息に混じって赤い液体が断続的に吐き出される。そもそも心臓の鼓動音がおかしい。動いているのかすらわからず、今なんで自分が生きていられるのかも全く理解できていない。肺に空気を取り込もうとする度に苦しくなる。気道が炎症を起こし、わずかな呼吸による刺激にも敏感になって、喘鳴や激しい咳、呼吸困難などを繰り返している。
喉が粘つく。
すごく熱い。
本当にもう、死にそうだった。
でも。
その青年の赤黒く汚れた唇は、笑みを浮かべるように緩んでいた。
何かを見つめて、喜んでいるようにも見えた。
視線の先、炭治郎もそれを追いかけるように目を向けると、そこには一〇歳前後の少女の形をした自分の妹がいた。
竈門禰豆子。
腰まである黒い髪に、幼さが残る綺麗な顔立ち。桜色の麻の葉文様の着物に市松柄の帯。日本的な衣装の上に、異国の頭巾を被っている『希望』は、再会した兄の横を通り過ぎると手に持っていた弓を落とし、青年の元へとゆっくりと近づいていった。
「り、りん········りんく」
青年はあやふやな視界の中で、小さな声に応えるように足をふらつかせながらも立ち上がる。
ずっと、ずっと。
聞いてみたかった、少女の声。
つい先程まで言葉を話すことができず、そして太陽の下を歩けなかった少女の台詞。自分の名前を呼んでくれるその声色に、彼の心の芯が元に戻ったことを確信させる。
いつ消えるかわからない、儚く、それでも守りたいと願った大切な存在。
もう。
魔物としての少女はいない。
これ以上、太陽に嫌われることはない。
その事実を、青年リンクは深く噛み締めた。
そして──────
「よかっ、た·······大、丈夫、だった·······?」
「よ、よかった·······だい·······だいじょうぶ。ね、“ねずこ”······もう、だいじょう、ぶ」
もう途切れかけているリンクの言葉を真似するように応える少女に、彼は心から安堵する。
気が付いた時には、震える両手を伸ばし、それと同時にリンクの体から全ての力が抜けた。ぐらりと揺れた彼は、ゆっくりと彼女に向かって倒れかかる。
彼女は両手を広げて、限界のリンクを迎え入れた。
リンクの体重に押し潰されそうになりながら、それでも彼女は抱き留めた。
そして。
そして。
抱きしめられたリンクは、その少女の優しい温もりを感じながら目を閉じる。
お疲れ様とでも言いたげにそんな彼の頭を優しく撫でる少女に。
激闘の末に戦い疲れた青年は。
意識を失う直前。
安心したような声でこう言った。
「無事で············よかっ、た············」
「よかった······よかったねぇ··········」
青年からの返事はない。
竈門禰豆子は。
微笑みの表情を浮かべながら意識を手放したリンクの体を抱き寄せた。
強く。
二度と離さぬように。
ゴシップストーンの噂話
お面に反応して、奇妙な石が語りかけてくる。
・・・こっそり聞いた話だが・・・
リンクのいた世界と少女のいた世界とでは一日の流れ方が違うため時間軸が異なり、あちらの世界にいた頃にはすでに二ヶ月ほど経っていて、その間デスマウンテンやらゾーラの里にリトの村などハイラル各地のいろんなところを旅しており、作者はその話を短編としていくつも書いているものの、物語の流れ的にあまり関係がなさそうだからという理由で投稿を断念したらしい。