鬼滅の伝説   作:織姫ミグル

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第八章

 

 

森の奥ではまだ戦いが続いていた。

 

 

「やあッ!!」

 

「··········」

 

 

ドンッ!! と。 

 

轟音を撒き散らす巨大な連太鼓を背負う子鬼の背後から現れる何頭もの龍達に、甘露寺蜜璃という剣士は突っ込んでいく。

 

バチバチと放電に似た異能が口元で瞬く。矢のような速度だった。木製の龍にしては、先程までの動きが噓のようだ。いや、おそらく逆だろう。子鬼は今まで手加減していたのだ。鬼狩りの中で頂点の座に着いている柱といえども、所詮はたった一人の人間。異能も持たない人間に、鬼が本気を出せば容易くその命を刈り取れる。

 

とはいえ。

 

この娘はどういうわけか他の人間よりも頑丈で、その上、体が異様に柔らかい。鬼の攻撃に耐えてみせる頑丈さを持ち合わせながら、軟体技でいくつもの攻撃をスルリと回避していく。子鬼の龍が密集し、隙間を埋めて繰り出す攻撃さえもこの娘は潜り抜けていく。

 

それだけじゃない。

 

この娘も、先刻より速さが上がった。

 

自分と同じように手加減していたとは思えない。

 

どちらかというと、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。その証拠に、あられもなく露出しているその胸元付近には、()()()()()()()()()()()()()()()()()。あれが見えた瞬間に、鬼狩りの娘は今まで以上にすばしっこく動き、その手に持つ風変わりな日輪刀を振り回し、広範囲の攻撃を繰り出して術を相殺してみせた。

 

技と術。

 

速度。

 

範囲。

 

威力。

 

全てが互角で、術をいくつも持っている子鬼でも時間がかかりすぎて仕留められない。

 

 

「ッ!!」

 

 

子鬼は、その小賢しい動きをしてこちらを翻弄してくる阿婆擦れの小娘相手に、ここまで手間取ったことに腹が立ち、その殺意の塊のような目を見開く。

 

 

(あ〜もう!! これだけやっても全然倒せないし··········いつまで続くの〜!?)

 

 

対する甘露寺も、いくら広範囲の技を持って対峙しても全然倒せないことに焦っていた。

 

鬼殺隊はその肉体を極限にまで極め、夜が明けるその時までは体力が持つくらいにまで限界突破している。鬼を倒せなくとも朝日の陽光で灼き殺せるその時までは体力を温存できるように工夫しているが、大抵の鬼はその前に倒すか逃げられるために、ここまで長く戦い続けるのは流石の彼女も初めてであり、焦りのあまり顔中から汗が噴き出していた。

 

未だにこの子鬼の本体が倒せていないのか、消える気配すらない。

 

先と変わらず、背の連太鼓を叩き続けて術を発動する子鬼、“憎珀天”。

 

もはや出し惜しみなし。

 

あちらはこちらの命を確実に刈り取るために、殺意を今まで以上に剥き出しにして何頭もの龍の頭を動かして攻撃してくる。

 

全てが不快、不愉快、極まりない。

 

喜怒哀楽、あらゆる感情が入り混じって最終的には憎しみに変わったことによって頭が限界まで解放された憎珀天は、手加減という枷を外し、全力で殺しにかかることができる訳だ。

 

彼女の手が振るわれる前に、憎珀天が背の太鼓に牙のバチを振るった。 

 

空気の鈍器が生まれる。 

 

扇形のようなものが見えた時、甘露寺は冷や汗を掻きながらも長くしなる日輪刀を振るう。

 

だが遅かった。

 

何故なら────

 

 

「あッ!?」 

 

 

甘露寺は余裕を持って日輪刀を振り回したが、すでにその時には子鬼の策略によって龍の頭の一頭が、彼女の懐深くへと潜り込んでいた。

 

ドバン!! と一撃で空気の鈍器で体を吹き飛ばすと、さらにそのまま彼女のがら空きの体を狙って、龍の頭が横殴りに襲いかかる。

 

大きく開かれる龍の口。

 

その先に広がるのは暗闇。

 

呑み込まれたら最後、あの中で自分の体は跡形もなくなるように締め潰されるだろう。

 

 

「ぎゃぁぁぁあああああああああッ!! もう無理!! ごめんなさい!! 殺されちゃうぅぅぅううううううううッ!!!!!」 

 

 

最後は女らしい悲鳴をあげる甘露寺。

 

目尻に涙が浮かび、死を悟った彼女は、せめてこれから来る運命を見ないようにと目を固く閉じる。

 

走馬灯なんてものも見る暇もなく、彼女はその龍の口に呑み込まれ────

 

 

ドシュッ!!

 

 

肉が弾ける音が聞こえた。

 

血まで噴き出る不快な音も耳に入ってくる。

 

なのに、

 

()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「────あれ?」

 

 

彼女は思わずそんな声を出し、ゆっくりと目を開けた。

 

目の前にあの龍の姿はない。襲いかかって自分を丸呑みにしようとした瞬間に崩壊していた。荒れ狂っていた龍達は、塵のように崩壊していき、最終的には粒子くらいの大きさになって消えていった。

 

呆然とする甘露寺。

 

涙を浮かべながら、今まで戦っていた子鬼の方を見て状態を確認しようとすると、

 

 

「が··········がはッ!?」

 

 

何か赤い液体のようなものを吐いた子鬼、憎珀天はまるで信じられないようなものを見たような顔をしていた。

 

彼女もその目を見開いている憎珀天の視線を追いかけるようにして、涙で潤ったその瞳に奴が見ているものの光景を映す。

 

地べたにへたり込んだ蜜璃の目に映ったのは、

 

()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()

 

 

「ッ!?」

 

 

その異様な光景を目にしただけで、甘露寺の全身にゾッとした感覚が襲いかかった。

 

手刀のようにして憎珀天の胸を貫いている『腕』は赤黒く、その部分から広がる“嫌な気配”が鬼の体を蝕んでいた。

 

憎珀天の胸から信じられない量の鮮血が溢れる。それは上半身の傷口からだけでなく、口や鼻からも溢れた。洒落や冗談ではなく、傷口から内臓が溢れ出るほどの大きな傷口だった。彼女の目前まで迫っていた龍の頭は、憎珀天が胸を貫かれた瞬間に崩壊し、臓物を撒き散らし、一面を鮮血で染めていた。

 

 

「な··········何、も、のだ··········ッ!?」

 

 

両目を見開き、呆然と腰を抜かしている甘露寺の耳に、血まみれになった口でそう言った憎珀天の声だけが届く。

 

返答はなかった。

 

代わりに、

 

 

「おぎぃ────」

 

 

胸から生えている『腕』の手が開かれた瞬間に、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

まるで怒りがおさまりきらなくて、そこらの紙をくしゃくしゃに丸めて八つ当たりするように細かく体を折られながら、その『手』へと吸い込まれていく。形を失った憎珀天は、やがてお手玉ほどの球体となり、胸を貫いていた『腕』の手の中に納まった。

 

肉塊。

 

球状に変わり果てたものの、憎珀天の面影は残っており、だがあまりにも悍ましかった。体が強引に折り畳まれてしまったせいか、目と口の位置がおかしく、わずかに飛び出している手も鼠ほどの大きさしかない。

 

そんな呻くような声と共に醜く不気味な姿に変えられた憎珀天だったが、甘露寺にはそちらを見る余裕すらなかった。

 

ただ前方に、視線は固定されている。 

 

 

『··········』

 

 

静かに佇む、『黒い影』

 

赤色の長い髪。 

 

血のような赤黒いものでも頭から全身に被ったような恐ろしい見た目でありながら、闇と同化したような姿。正確な見た目など全く分からず、だがそのシルエットを見るだけでもその全身から放たれる気配は、あらゆる鬼達と対峙してきた甘露寺でさえも恐怖を覚えさせた。

 

全く摘めない、影のような存在。

 

顔つきや体格を見ようとしても、本能が告げている。

 

────やり過ごせ、と。

 

茂みに隠れて猛獣をやり過ごす草食動物のように息を殺せ、と。

 

 

「あ、あなた!!」

 

 

だが、甘露寺は愚かにも“そいつ”に話しかけてしまった。

 

邪悪な存在を見逃してはならない、そんな正義感からこのまま放っておいてはならないとでも思ったのか。

 

 

「い、いきなり現れて一体なんなの!? た、助けてくれたことには! い、一応感謝するけど! どう見ても私達の味方というわけじゃないわよね!? 一体何者なのか教えてくれるまで逃さないから!!」

 

『··········』

 

 

勇気いっぱいにそう言ってみせた甘露寺は、魂がこいつは敵だと言っているのか臨戦体勢のために震える足で立ち上がって日輪刀を構えていた。

 

が、

 

そんなものを手にしている甘露寺蜜璃という剣士など視界にも入れないで、影は黙ったまま歩き出す。

 

 

(む、無視··········!?)

 

 

非常にショックを受ける甘露寺。

 

ここに来た時、顔に傷跡を負った少年にも無視されたことがあったが、やはりこの感覚には慣れない。無視されるというだけで、ここまで心が傷つくなんて。

 

開いた口が塞がらずに愕然としていた彼女はムキーッ! と腹を立てて、

 

 

「コラ!! 待ちなさい!!」

 

 

不躾な態度を取った影に甘露寺は日輪刀を放つ。

 

異様に伸びる刀身。刃の強度を保ったまま可能な限り薄く鍛え、さらに剣先を重くすることで僅かな手首の返しを刀の軌道に伝えて操ることができる日輪刀は変幻自在。

 

その予測できぬ刀の切っ先を避けることはほぼ不可能。

 

 

『··········』

 

 

影はようやく蜜璃の方へと向く。

 

だがその時にはすでに影の眼前で光の筋が交差し、さらに奴の頸の周囲には直線的な光が、蛇が獲物を捕食する時のように張り巡らされる。

 

 

「恋の呼吸────!!」

 

 

甘露寺の口から声が漏れると同時に、ギリギリという不穏な音が響く。 

 

シュン!! と空気を裂きながら、影の頸元を囲む刃が凄まじい速度で狭まって襲いかかる。全方向から同時に攻める薄い刃は、頸を確実に切断しようと狙いを定める。 

 

影に避けるだけの暇はない。

 

甘露寺蜜璃は『炎柱』の元で修行し、その際に自身で編み出した呼吸の型の技名を叫ぼうとした。

 

その瞬間に、

 

 

ボロッ·········

 

 

長くしなる日輪刀の刀身は、その影の頸を切断するどころか、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「·········え?」

 

 

彼女は驚愕のあまり思考を真っ白に染める。 

 

影は右腕を軽く振るい、それこそ埃を払うように、背に乗っかった『朽ちた日輪刀』を地面に落としていく。

 

 

「ッ!?」

 

 

あまりの事態に、言語機能が吹き飛ぶ。 

 

日輪刀が、()()()()()()()()()()()()()()()

 

()()()()()()()()()()()()()()

 

鬼を倒すと塵へと変わってしまうあの現象と同じようにして、陽光を吸収して鍛えられた日輪刀の刃は、まるで煙草を一気に吸い込んで燃焼させたように瞬く間に消し炭になる。

 

 

「う、嘘·········!?」

 

 

息を呑む音。

 

無理もない。

 

どんな強敵もその刃で切り裂き、そしてこの里で鍛え直してもらったばかりだったのに、甘露寺の日輪刀は“あれ”に触れた途端にあっという間に原型を失った。

 

 

『·········』

 

 

“そいつ”は近づいてくる。 

 

それは。 

 

甘露寺蜜璃という剣士では手に負える相手などではなかった。 

 

ザッ、ザッと。

 

得意げに足音を鳴らし、その存在自体を自慢するかのように、“そいつ”はゆっくりと近づいてくる。自らの足元に広がる『黒い沼』を踏みつけながら、一直線に近づいてくる。

 

足音が近づいてくる。どうしようもない。

 

鬼殺隊に与えられた武器を失った今、彼女がどれだけ頑丈で強かろうと、一方的に踏み潰されてしまうアリンコ同然。

 

絶体絶命だった。

 

得体の知れない、正真正銘の怪物。

 

鬼なんか可愛く見える。

 

それくらいの恐怖を覚えた甘露寺は、刃を失った日輪刀の柄を持つ手から異様な汗が噴き出ているのがわかる。

 

────死。

 

その一文字が頭に浮かんだ瞬間、彼女は再び腰を抜かして地面にへたり込んだ。声帯どころか、全身が震えてまともな言葉が出ない口をパクパクと痙攣させるように動かす。

 

制御不能になった体では、嫌でもその影の姿が目に入ってくる。

 

目の前に迫ってきた影。

 

その影に皮膚はなかった。 

 

その影は異様に細く、脆そうな見た目だった。 

 

だが赤黒い空洞となった眼窩の奥から、血のような禍々しい光が迸っていた。全体にしても同様。本来なら存在しない姿を具現化させるように、光を吸収して影という物体が浮かび上がっている。相当な邪悪さのせいなのか、歩く度に周囲の草木が枯れている。

 

見下すようにして眼前まで近づかれた甘露寺は、死を覚悟する余裕もないまま殺される。

 

 

『·········』

 

 

だが。

 

影は甘露寺の方など一切見ずに、その隣を素通りしていく。

 

殺せたのに、影は彼女に対して全く興味など持っていなかった。

 

横を通り過ぎていく影。

 

その際に、

 

こんな声を聞いた。

 

 

『貴様のような貧弱な血肉など、腹の足しにもならぬ』

 

「!?」

 

『だが·········退魔の輝きを持たぬ剣で我に挑むその蛮勇、それだけは褒めておいてやろう』

 

 

影は退屈そうな顔で、

 

 

『憐れにも生き長らえた貴様の命など·········我が手を出すまでもない』

 

 

まるでこの先のことを知っているかのように、

 

 

『精々足掻け·········軟弱な命が終焉を迎えるその時まで』

 

 

朽ちた日輪刀を持つ手が震えてきた甘露寺を無視して、人影は朝日の広がる森の先へと消えていく。

 

殺意を感じた。

 

なのに。

 

敵意は感じなかった。

 

つまり。

 

甘露寺蜜璃は一戦力とも見做されなかったのだ。彼女は敵とすら見做されなかったのだ。

 

屈辱的なことだった。馬鹿にされ、情けをかけられ、最終的には自分の存在すらも否定された。

 

だが、彼女は何も言い返さなかった。

 

 

「ハッ·········ハッ·········!!」

 

 

乱れた意識では、顔を影の方へと向けることはできなかった。 

 

全身を恐怖が包み込み、甘露寺のその呼吸すらまともに動かせなくしたのだ。全身を激しく震わせ、恐怖のあまりガチガチと歯を鳴らす彼女は、尻もちをついたまま下半身に生暖かい感触を滲ませる。

 

いっそ気を失ってしまった方がマシだったかもしれない。

 

しかし、鬼と戦って心も体も鍛えられた甘露寺蜜璃の精神は、彼女の意識を簡単には手放さない。それが余計に彼女を苦しませた。

 

甘露寺は追えなかった。 

 

立ち上がる事もできなかった。

 

正体不明の怪物の圧倒的な殺意に怯え、彼女は緊張で動けなかった。

 

 

 

□■□■□■

 

 

 

朝日が差し込むの中、炭治郎は草原に座り込んでいた。

 

全身は血塗れで、けれどもうそんなこと気にならない。ようやく体を休ませる事ができて、ホッと息を吐いた。 

 

竜は沈黙していた。 

 

先程まで散々荒れ狂っていたが、生命機能を停止させた瞬間にすっかりなりを潜めている。

 

しばらくして、竜は鬼と同様に塵と化す。

 

 

(·········終わった、のか·········?) 

 

 

炭治郎は目の前をぼんやりと眺めながら、

 

 

(ううっ、ぐ········ッ!!) 

 

 

状況はサッパリ理解できなかったが、今はそちらよりも気になる事がある。 

 

炭治郎は頭を動かした。

 

自分の妹、竈門禰豆子が日の光の下に立っている。

 

目の前で起きた光景が未だに理解できていない彼には『いきなり現れた』ことと『太陽を克服した』ことの関連性すら結び付けられない。

 

禰豆子の体は一体どうしたんだ。

 

一体今まで何処にいたのか。

 

普通ならあれこれ考えるべき事はあるはずなのに、疲れが溜まったせいで全然意見が纏まらない。上弦の鬼との戦いに続いて、竜という怪物との戦いもあってボロボロになり、もうまともに動かせなかった。

 

 

(········時透君········玄弥··············)

 

 

背後は見えなかった。

 

けれど後ろから微かに聞こえる声。

 

 

『あの糞餓鬼!! 俺の刀をよくもぉぉぉオオオオオオオオッ!!!!!』

 

『落ち着いてください鋼鐵塚さん!?』

 

『仕方なかったでしょう!? あの状況なら!?』

 

『やった··············のか?』

 

『うん··········炭治郎達がやっつけたんだ··············』

 

 

向こうも手一杯なのだろう。

 

なんか騒いでいる声が聞こえ、同時にあの少年達の声が聞こえてきた。

 

まだ終わった感がなく、違和感が完全に消える事はないが、そちらの方の心配も徐々に晴れつつある。

 

 

「それにしても··············」 

 

 

炭治郎は禰豆子抱き寄せているものを見た。

 

彼女の腕の中には『異国の青年の体』がぐったりとしながら納まっていた。

 

眠ったようではあるが、本当に助かっているのかどうかも分からない状態だ。信じられない速度で動き、人体には起こり得ない現象まで見せた青年は、まさしく死ぬほど疲れていた。血管が切れそうなほどに血の巡りを早くし、あり得ないほどの高熱によって表面に噴き出していた血まで蒸発させた。

 

それだけではない。

 

大切な妹、禰豆子は今まで行方不明で、急に現れたかと思ったら太陽まで克服しだすし、そしてあの青年の名前らしきものを叫んでいた。

 

 

“リンク”────と言ったか?

 

 

彼は何者なのか。

 

どう考えても、人間とは思えない。

 

外見もある、あんなに長い耳を持った人種は見たことがない。日本人ではなく外国人であることはわかるが、だとしてもあんな見た目をした外人は聞いたこともない。日本人とは違う顔つきでも、耳まで自分達と違うのはおかしいと思える。一瞬、鬼の仲間かとも思ったが、自分達の味方をしてくれたし、何より陽光を浴びても肌を灼かれていない。

 

それに、だ。

 

彼の持っていた武器は、日輪刀ではない。

 

少年の自慢の鼻が告げている。

 

あの剣から匂うもの、あれはただの刃ではない。鋼のような匂いがするが、それ以上に別の何かを感じる。

 

感情まで匂いでわかる炭治郎でも、その匂いについてはどう表現すれば良いのかわからない。

 

強いて言うなら────“炎”とでも呼んだ方が良いか?

 

あの剣から匂うものは異様で、三つの何かを感じた。

 

『勇気』

 

『知恵』

 

『力』

 

人が心に宿すものを“炎”という形にして、あの剣の刃を鍛え上げたような、そんな感じがする。

 

自分達が知っているものとは違う、未知なる武器。それを手にして戦った青年は、もっと理解できない。呼吸もなしにあそこまで動き、ついには禰豆子の異能の力を吸収したあの剣で竜を倒してみせた。鬼よりも大きな図体を持ち、圧倒的な生命力に満ち溢れていた御伽話の怪物を恐れもせずに勇敢に挑みに行ったあの人は、一体何者なのだろうか?

 

 

「一先ずは目を覚ますのを待つしかないか。あの人から聞きたいことはいっぱいあるし」 

 

 

あの青年が妹と共に突発的に現れた以上、偶然だとは思えない。彼らには何か繋がりがあるのだ。この空白の期間、青年と妹は世界の何処かで一緒にいたと思われる。事情を詳しく聞かねばならない。

 

問題は山積みだな、と炭治郎は呟く。 

 

そんな時、 

 

 

ゾワッ!! と。 

 

 

突然、嫌な気配を感じ取ったと思ったら空間が一変し、炭治郎達の視界が再び真っ赤な世界で覆われた。

 

 

「!?」 

 

 

炭治郎は鼻を庇うように押さえ、思わず後ろへ下がった。 

 

異臭を感じ取ったとか、そんな次元の話ではない。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。 

 

夜明けを過ぎて朝を迎えた青空は、あの時と同じように再び赤黒く染まる。 

 

 

「ッ!?」

 

 

青年の体を抱き寄せていた禰豆子も、その異変に気付いたのか、警戒してその瞳を鋭くさせる。

 

彼女はすでに今起きているものを目にしていた。

 

炭治郎も片方の手で鼻を押さえつけ、彼女同様に異変の原因がある方向へと振り返る。

 

 

『影』が立っていた。 

 

 

腰まで届く、血のように染まった赤い髪。表情の窺えぬ暗闇に染まった顔。

 

 

「だ、誰だ!?」 

 

 

炭治郎が思わず攻撃的に叫んだのは、影が唐突に現れたからだ。こんな状態になるまで気付かずに、さらには急に現れた影は禰豆子と青年のすぐ目の前に立っていた。

 

禰豆子は気を失っている青年を庇うように、強く抱き締めながら影を睨んでいる。

 

闇に染まった黒い肌も血のような赤い髪も、全てが鋭い刃に見える。刀鍛冶達と仲間の少年達の喧騒が、ずっとずっと遠くから空虚に響いてくる。対峙する両者の間で、纏う空気が変わっていく。これまで以上に、少年の警戒の密度が膨らんでいくのが良く分かる。 

 

 

『·········』

 

 

だが影の顔は全く変わらなかった。 

 

炭治郎達がここからどう動いても自分にとっての脅威にはならない、と言わんばかりに。

 

すると、何をしたのか。

 

影は周囲の空間を歪めたことで、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「!?」

 

 

倒して塵となっていた竜が、その姿を取り戻した。『赤黒い何か』が一箇所に集まったと思ったら、先程まで対峙していた竜を呼び起こし、背後にいる仲間達も絶句しているような匂いを嗅ぎ取った。

 

あまりの出来事に、炭治郎は絶望した。

 

それもそうだ。

 

あの怪物が復活したということは、また戦わなければならないということなのだから。疲弊しきった今、勝率なんてものを計ることすら馬鹿馬鹿しい。まず間違いなく負ける。

 

その事実を理解した時、炭治郎は心が砕けそうだった。

 

·········だが、そんなことにはならなかった。

 

理由は単純。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

そして綺麗さっぱり、上弦の鬼を喰い殺した竜の体は影の中へと消えていった。

 

 

「ッ!?」

 

 

その様子に、警戒に総毛立つ。

 

炭治郎の背筋に電流のようなものが走り抜ける。

 

未知なる脅威である影は作業を終えると、蒼い衣を身に纏った青年がいる方へと顔を向け、

 

 

『我が瘴気に侵されてもなお生き長らえ、そして異界に放たれても死なぬとは·········』

 

 

影は言った。

 

流暢な日本語だった。

 

初めて家を出て鬼と対峙した時、頸を捥がれても言葉を話していたあの不気味さには気分が悪くなったが、今話している奴の場合はそれ以上で、言葉を聞いただけで吐き気を覚えた。

 

 

『まことに癪に障る奴よ·········大人しく死んでおけば苦しみから解放されたものを』

 

「誰なんだお前は!?」

 

 

炭治郎の目がより一層厳しくなるが、それを受けても影は堪えない。

 

むしろ。

 

青年をその腕に抱えている禰豆子に興味を示すように、

 

 

『其奴を庇う理由がわからんな·········小娘』

 

「·········」

 

『力を捨て、非力な人間へと戻ろうとしている貴様では、もはや我の血肉とすることは叶わぬ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()·········何とも嘆かわしいことよ』

 

 

禰豆子に対して話しかける影に、炭治郎はより一層の警戒を抱いた。

 

彼らの関係は全く分からないが、単純に鬼以上の力を持っていると仮定すると、これはかなりまずい。

 

疲弊しきった今の自分達に、得体も知れないこいつが襲いかかってくれば、もう勝ち目はない。

 

 

「·········ッ!!」

 

 

しかし、禰豆子だけは違った。

 

竈門禰豆子という少女はリンクの体を抱き寄せ。 

 

キッと。

 

勇敢な女の子のように影を睨みつけた。

 

 

『力を失っても、手を放さぬ·········か』

 

 

ふん、と鼻で嗤う影。

 

 

『実にくだらぬが·········面白い』

 

 

禰豆子の何を見てどう評価を下したのか、それは影自身にも分からなかった。ただ、小娘が最大限に放つ敵意が、何かしら影の興味を引いたのも事実のようだった。 

 

その時。

 

初めて、ガチガチに体を強張らせている炭治郎に影はようやく意識し、小さく嗤った。

 

表情が読めない影にしては、非常にわかりやすかった。

 

 

()()·········()()()

 

「?」

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()·········()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

その言葉の意味がわからず、炭治郎は眉を顰めた。

 

そんな彼の様子に、影は笑みを深くする。

 

まるで。

 

楽しみにしているように。

 

 

『一つ、貴様に教えておいてやろう』

 

 

影は堂々と背中を向け、それから手に持った『肉塊』のようなものを、パキパキとひび割れたような音を鳴らして大きく開いた口の中に押し込みゴクンッ! と呑み込むと、

 

 

『貴様らが使う日輪刀とやらでは、我に傷一つ負わせられぬ。脆弱な光を吸収した程度の剣で我に挑もうなど、愚かな考えは持たず、“()()()()()()()()()()()()()

 

 

轟!! と音を立てて風の流れが渦を巻く。

 

あまりの暴風に目を閉じ、炭治郎が瞬きした時には、もう影の姿はどこにもいなかった。前後左右のどちらへ顔を向けても、その姿を捉えられない。あるいは、本当に消えたのかもしれない。

 

ともかく。

 

炭治郎に分かるのは、鬼なんかとは比較にならない桁違いの迫力だったという事だけだ。 

 

脅威が去っても、問題は解決しない。 

 

それどころか、もっと大きな戦いが待っているだけの気がする。

 

 

「·········」

 

 

自分の息を呑む音が聞こえる。

 

炭治郎は禰豆子の方へと目を向ける。

 

一歩も退かずに堂々と正面から立ち向かっていた妹は、尚も意識のない青年の体を強く抱き締めていた。蒼い衣を身に纏う青年の正体はわからないが、彼が現れたことで事態は余計に大きくなった気がした。

 

鬼側としても、あの『影』からしても。

 

どんな手段を使ってでも、彼をこの世から消そうとしてくる。

 

彼の存在は、それほどまでに強大な影響力を持っていた。異国の青年は圧倒的な身体能力で鬼を喰い殺した竜を倒し、そして『影』は鬼達をも超えるほどの威圧感を放っていた。

 

周囲の環境すらも捻じ曲げるあの邪悪さ。そんな『影』が見ていたあの青年。

 

どちらも無視できない。

 

最悪、これが全ての崩壊の引き金となる危険性すら考えられる。

 

それに加え────────

 

 

「·········自分の運命を、受け入れる·········」

 

 

影の言っていた、あの言葉。

 

あれが妙に頭に残った。

 

意味はわかっていない、だがまるでこう告げている気がしたのだ。

 

“最悪な未来が待っている”、と。

 

 

「·········」

 

 

空間が戻り、炭治郎は青空を見上げる。 

 

まだまだ真の夜明けが訪れるには、程遠い。

 

 

 

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