そこにいたのは、もう決して
“お館様”
そう呼ばれる者から受ける印象とは違い、リンクは驚愕したような表情を浮かべる。
一目で分かった。
今目の前に寝ている男。お館様と呼ばれているこの者はどんなに高級な薬でどれだけ治療したとしても、決して救うことができないと一目で分かってしまった。まるで冷たい死の海にずっと浸かっていたように紫に染まった顔。体中に巻かれた包帯には所々に赤いものが滲んでいる箇所すらあった。
顔中に浮かんでいる太い筋の血管────いや、神経か?
本来ならそんなものは表面に出てくることはないほどに細いのだが、まるで血管のように浮かび上がっている。
そうなっている原因は知らない。
しかし、リンクも一度は経験したことがあるからなんとなくわかる。
────“呪い”。
リンクは医者ではないから人体の構造について詳しくはないが、彼の場合は脳から侵食が始まり、それはやがて脊髄を通って繋がる全身の神経に呪いの影響が及び、神経は太く肥大化して徐々に徐々に細胞を壊死させていっている。
眠る時でさえ苦しみとなるだろう。常人の場合は睡眠によって肉体も脳も鎮静するところ、呪いによって常に全身に激痛が走り、たとえ眠ったところで細胞は無理矢理に働き続けさせられて力を失わせている。
「君を待っていたよ········ハイラルの勇者、リンク」
神の声を聞くためのハイリア人の耳に、心地の良い声が聞こえてくる。
自分の名を何故知っているのか、おそらくはここに運んできた際の誰かが彼に報告したのだろう。キンググリオークとの戦闘の時、あの少女が大声で自分の名を叫んでいたし、それでリンクという名前は彼らに知れ渡ったと思われる。
リンクの名前を呼んだ瞬間、声を出してしまったせいか苦しそうに咳き込むと、その際に顔に巻かれた包帯がずれ、隠されていた右目が姿を現し、その重い瞼を持ち上げて瞳を開けていた。
それを見た瞬間に、ここに案内してくれたあまねという女性が慌てて彼に駆け寄る。
彼が無理をしないように体に手を添え、体をゆっくりと起こしてあげてリンクがいる方に頭を向けさせる。
その目を改めて見て、リンクはギョッとした。
良く見なければ分からない程度だが·········彼の右目には瞳孔にもわずかに神経が浮かび上がっており、光を失ったせいか確実に焦点が合っていない。
あれでは曇りガラスを通して夜の風景を見ているようなものだろう。
つまり、彼はリンクがどんな姿形をしているのかすらわかっていないはずだ。
「·········」
リンクはつい自分の腕ではない“右腕”へと目を向ける。
自分の右腕は、とうの昔に魔王の怨念から生まれた“呪い”によって朽ち果てて使い物にならなくなった。正直、仮にあの時姫の腕を掴めていたとしても、その手を握った瞬間にリンクの脆くなった腕は塵と化し、結局は姫はそのまま落下して何処かに消えてしまっていた。
だから、今は『初代ハイラル国王の右腕』が代わりにリンクの右腕としての役割を果たしてくれている。
そんな“失った右腕”が告げているのだ。
共鳴、もしくは共感とも言えるか。
布団の上に寝ているお館様という男性を労るように、リンクは自然と近づいて行って片膝を付けると、初代ハイラル国王の右腕が彼のその今にも力尽きそうな手を優しく握ってあげていた。
忠誠を誓ってもいない相手に何故そんな行動をしたのか、リンク自身もよくわかっていない。
だが、その姿を見ていたら────もう今はない自分の右腕が、初代ハイラル国王の右腕を通して共感しているように思えた。
呪いによって蝕まれた気持ちは痛いほどわかる。
それでも。
常人では発狂しかねない呪いを抱えるお館様と呼ばれるこの者は、決して救われぬと分かっていながらそれでも慈愛に満ちたように笑っていた。
「ありがとう·········“あの人”が言っていた通り、君は優しいんだね」
「!」
起き上がっても尚ぐったりとしたお館様という男の口から声が洩れて、リンクはビクンと肩を震わせた。
瞳から血の涙を流しても、全く表情を変えないお館様という男。
それよりもリンクの優しさに感謝するように笑みを浮かべている。リンクが布団に近づいてきた途端に、彼は汗びっしょりの顔で安堵したように話し出す。
「“あの人”────名前は知らないが、姿は今でも鮮明に覚えている。見ての通り、私はもう目が見えないから、君が今どのような顔立ちなのか、如何なる肌の色なのか、男であるのか女であるのかも曖昧なんだ。それでもね、こんな状態になっても、まだ夢は見ることができる。そこで見たんだ·········
彼の声は掠れ、震える声でリンクにそう告げた。
その声はとても心地の良い声色だったが、彼の口からは継続して苦しそうな、耳に入る度に奥歯を噛み締めたくなるような、言い方は悪いが不覚にもその痛々しい姿に不憫と感じてしまう。
リンクは息を呑んだ。
こんな気持ちになりながら、今の彼の前に立つことが魔物と戦うことよりも恐かった。
彼はリンクを優しいと評してくれたが、実際は無礼千万な状態である。
こんなにも心優しい青年を憐れに思ってしまうなんて、失礼にも程がある。
「すまないね·········こんな姿を見せてしまって」
「!?」
そんな気持ちを察したのか、彼は俯くようにリンクと目を合わせながら言った。
「見ての通り、私はもう屍となる一歩手前。全身の所々がただれ、医者からはいつ死んでもおかしくないと、そう診断された身だ。どれだけ治療しても、今更“呪い”が解かれても、私は死ぬ運命にある。それでも、“あの人”は私にこう言ってくれた·········『貴殿がこちらに来るのはまだ早い』って。私にはまだやるべきことがある。それを為さぬ限りは、死んでも死にきれないんだ」
さっきから彼の口から出てくる“あの人”とは一体誰のことなのかわからないが、リンクは心当たりがあった。
確証は得られていないから断言できないが、リンクの右腕が告げている。
失った自分の右腕ではなく、『初代ハイラル国王の右腕』が。
秘められた力を使う時のように、
「あまね·········私の手を優しく包んでくれている彼は、どんな姿をしているのかな?」
かたわらに付き添っている雪のように美しい純白の銀髪をしたあまねに問いかけるお館様。
あまねは静かに、リンクの姿を見つめながら答える。
「とても若々しく美しい、二◯代となって間もない西洋の青年に見えます。瞳は今彼が着ている衣服と同様に大空のように蒼く澄み切っており、ですが耳が特徴的で、まるで北欧の民間伝承に登場する架空の種族『えるふ』と呼ばれる者達のように長く尖っております。何より、耀哉様の手を掴んでいる彼の“右手”。人の手に似ていますが鬼の手のように異形で爪先が鋭く、しかし鬼とは程遠い強く神聖な破魔の力を感じます。その証拠に先程までは全体的に黒く覆われておりましたが、耀哉様の手を掴んだ瞬間に螢のように発光しております」
彼女の言葉に、お館様という青年は感嘆の声を漏らす。
「えるふ·········以前、神職である君から聞いたことがあったね。西洋の聖職者から伝えられた御伽話に出てくる、自然と豊かさを司る小神族。そうか、リンク。君はそんな素晴らしい姿をしているんだね」
青年の言葉はとても感動しており、見えない瞳でリンクを見つめてくる。
そして。
自分の手を掴んでくれているリンクの右手の方を見つめ、『誰か』に話しかけるように、
「“貴方”が言ってくれたように、私達“鬼殺隊”の元に、彼がやって来てくれた」
決して大きな声ではない。
だがリンクにも聞こえるように話しかける耀哉という青年は震える手で『初代ハイラル国王の右腕』を優しく撫でる。
「“貴方”の言うように、私は絶対に怯まない。この命が果てるまで、進み続けてみせる」
確固たる意思を、リンクに繋がれている右腕に告げた。
その瞬間に光は徐々に弱まっていき、元の状態へと戻っていく。まるで、彼のその言葉を聞いて安心したように、光は消えていく。
目は見えていないはずだが、光が消えてしまったことをわかっているかのように彼はただ『ありがとう』と言うと、耀哉は今度こそリンクの顔を真剣に見つめる。
「リンク。まずは改めて、君にお礼をさせて欲しい。禰豆子の件、君がずっと傍にいてくれたと聞いている。あの子と一緒にいてくれて、ありがとう」
名前を呼ばれ、少女と一緒にいてくれたことについて改めて感謝された。
真剣な顔をしているのに、彼は変わらず笑い続ける。ずっと、慈悲深く、苦しみなんて毛ほども感じていないと第三者に言うように。
その笑顔が完璧だったからこそ、リンクにはその裏にある焦りや辛さ、そして切羽詰まった状況であると言うことが見て取れた。
「それで、あの子についてなんだけどね。君はもう、薄々と気付いているかもしれないが、あの子は·········人間じゃない」
リンクの眉がピクリと一瞬痙攣するように動いた。
それでも、リンクの表情は変わらない。耀哉がその後に何を言うのかすでに察していたから。
リンクが思っている通り、彼は言葉を続けるために『けどね』と一度否定して、
「体は人間じゃなくても、あの子の心は今でも人間のままなんだ。あの子がああなる前には家族もいた、普通の家庭で過ごしていた、戦いとは無縁の地で暮らしていた。そんな彼女がああなってしまったのは········“とある男”の手によって、家族を惨殺され、姿を変えられてしまったから」
リンクだって馬鹿ではない。耀哉がそう説明してくるずっと前からそのことには気付いていた。
ハイラルに突如として現れた鬼と呼ばれる魔物達と同一の存在である禰豆子という少女は、しかし人を襲うことはなく、どこにでもいる幼い女の子のようにリンクと共に過ごしていた。
鋭い爪を生やし、強靭な力を持ち、魔物のような存在であっても人に危害を加えることは一度もなく、むしろ邪悪な魔物達から人間を守ってくれていた。容赦無くずっと討伐し、邪悪な魔物の気配を感じ取れるあのリンクが、最初に会った時に彼女のことを魔物だと思えなかったのは、あの子には人の心が在ると無意識下で見抜いていたからだ。
確信を得たのは、その後にロベリーから新種の魔物の正体は実は人間であったと説明をされた時。
それまでは何も知らず、けれど害を成す存在ではないということを勘でわかっていたリンクは彼女を保護し、勇者の身でありながら一緒にいることを選んだ。
本当ならばそれは許されることではない。国の平和を守るべき勇者が魔物と一緒にいるなんて前代未聞のこと。だが彼はどうしてもあの少女のことを見捨てることはできなかった。万が一、あの子が人を襲ったら責任を取って自分が斬ることも覚悟していた。それでもリンクは彼女を信じ、隣にいることを許し、そしてまた彼も少女と共にいることを望んだのだ。
リンクは自分に微笑んでくれたあの少女のことを思い出す。一度ロベリーに預けて離れようとした時、彼女は子供らしく泣きじゃくり、絶対に離れないという強い意志を見せるようにリンクに飛びついてきた。
まだ会って間もないのに、あの子はリンクが自分の目の前から消えてしまうことを拒んだ。
それは何故か────
先程耀哉が言ったことが本当ならば、彼女の家族は“何者”かによって殺されたということ。
であれば、何故あの少女が面識もないリンクと離れることをあんなにも拒否したのかが嫌でもわかってくる。大切だった人が目の前から消えてしまう悲しみ、それをまた味わうことになるのだけは耐えられないという気持ちは痛いほどわかる。
だからあれは、失った世界でたった一つの拠り所であるリンクに対する寂しさの表れであったはずだ。少女が異常にリンクを庇ったり懐いたりする理由も分かってきた。大切な人を失い、人の心を失わされて世界に放り出されて、寂しさを感じさせないための拠り所がリンクだったのだ。
失いたくないと、リンクから絶対に離れまいと、あんなにも必死になっていたのは一度大切な人が目の前で奪われたことがあるから。
そして────
“その男”の名を、耀哉はゆっくりと口にする。
「あの子から日常を奪い、そして人から鬼へと変えた“その男”────“
耀哉がその名を口にした瞬間、彼の顔が一気に青白く染まった気がした。
何の脈絡もなく、肌に感じる陽射しの暖かみが一気に引いた。彼の全身の感情が、まるで現実から逃げていくように薄れていく。
「私はね、リンク。その鬼舞辻という鬼と同じ血が、この身に流れているんだ。鬼舞辻が生まれたのは、千年以上も昔の話だから、その血はもう薄いものだけれど、今もこうしてその血を受け継いでいる。その証拠にね、ほら。今尚、私の一族を死に絶えさせる呪いは消えず、生まれてくる子供達は皆病弱で死に、そして今私も死のうとしている。ここにいるあまねのように、代々神職の一族から妻をもらい、神の加護を受けさせても、我が一族にかけられた呪いは消えることはなく、昔より延命できても三◯年と生きられない。我々の一族から、人を喰らう鬼を出してしまった罪は、重い。神は我が一族が死に絶えるか、その鬼舞辻無惨を倒して、鬼を一匹残らずこの世から葬り去るまでは、決して赦してくれないのだろうね」
息をすることも苦しい中、耀哉はそう話してくれた。
だからか、最初に彼の姿を目にした時にもう決して
実際、彼は救われなかった。
その体を蝕んでいるものが鬼の力であれば、陽光に当たれば消えるはず。だから陽光の成分を吸収したヒダマリ草を調合した薬を飲ませれば回復が見込めるはずだが、陽光に当たっても消えないということは、これは鬼の異能ではない。
天からの罰、つまりは神の
彼、そして彼の一族は鬼の呪いに犯され、全身は神々の天罰に侵されていた。
その呪いを解くには、そうなってしまった原因を排除しなければならない。しかし、今解いたところで彼の体を蝕んでいる天罰は消えないだろう。その後の一族にはもう呪いは引き継がれないかもしれないが、もう彼は手遅れだ。
それなのに、彼は今でも優しく微笑んでいる。
これだけの不幸を他人に押し着せられ、それでも他人のために微笑む事ができるお館様という男。
「········ッ!!」
リンクは思わず奥歯を噛み締める。
こんな心優しい青年にそこまでする神々に対する怒りもあるが、詮のない事とはいえ自分に対する無力感が襲ってくる。
料理の知識もある、薬の調合の仕方も一応は知っている。
そしてどんな魔物をも討ち倒す、脅威的な力がある。
でもそれは、今目の前に苦しんでいる彼を救うには何もかも力不足だ。
リンクは、それが許せなかった。
何故だか知らないが、そんなどんなに手を尽くしても報われないという『ふざけたこと』がリンクをひどくイライラさせる。
「それでね、リンク」
それでも耀哉は言う。
瞳に涙はなく、未だに希望を失っていない顔で。
「驚くかもしれないが、この世界は君がいた場所、
「!?」
「今君がいる場所は、日本と呼ばれる小さな国。もちろん日本の外には他にも国はあるが、私はハイラルという国を聞いたことはない。ハイラルという国を知ったのは、夢の中で君の右腕の“本来の持ち主”から話を聞いたからだ。つまり、
と、そこまで言われたリンクは、ふと自分の中の違和感を感じ取った。
ギギギッギ、と。
リンクは、首からそんな悲鳴を上げるような動きをして見る。リンクは、熱病に浮かされたようなお館様と呼ばれるの耀哉の顔を見る。
無縁の地。
そう、確かに彼は言った。彼の体は自分の一族から鬼を出してしまったことで神からの天罰を受け、そして呪われた。そして、その鬼の手によって人々は鬼へと変えられ、人を喰らう化物と化してしまう、とも言っていた。
ということは、だ。
もし仮に。
今リンクがいる場所がハイラルではなく、そしてこの世界のどこにもハイラルという国そのものがないのだとしたら。
この世界とは無縁の地であるハイラルは────
「·······ッ!!」
そこまで考えたが、リンクは即座に首を振ってその考えを否定する。
そんなはずはない。
考えてもみろ、もしそうだとしても別に耀哉が引き起こしたわけではない。どういう理由があって鬼がハイラルの地にやって来たのかは知らないが、大元の原因はその鬼舞辻とか言う男の仕業。
何より。
ここがハイラルではないというのなら、ここに最初に来た時に『魔王』から生まれたキンググリオークが現れたのもおかしい。ハイラルの地に残された伝承で語られていることが本当ならば、魔物は『魔王』の魔力によって生まれたもの。ならば、ハイラルの地ではないこの国にキンググリオークが現れたのは不自然だ。ハイラル王国の外で『魔王』が生み出した魔物が目撃されたという話は聞いたことがない。海を超えたとしても、ある程度の境界線でもあるのか、魔王の力が届かない場所では魔物は生きられないのだろう。
しかし、ハイラルの地ではない日本という国に魔物が現れた。
そして、鬼舞辻という男から生まれた鬼がハイラルに現れた。
リンクはそこまで考えると────全てが“繋がった”。
もし、そうであるのであれば。
今回の件は彼らだけの問題ではない。
ドグン、とリンクの心臓が脈打つ。
────けど、どうやって?
どうやって『魔王』は、
『魔王』がこの世界にも手を出そうとしているのは明白だ、だが一体どうやってこのハイラルではないこの地に足を踏み入れたのだ?
思い当たる節があっても、納得できない。
『魔王』の額には持ち主の力を倍加させる『秘石』が埋め込まれているが、たったそれだけでそれが可能なのか?
実際、リンクは『魔王』が生み出した『瘴気の手』によってこの地に降り立ったわけだが、どうにもあり得ないと思ってしまう。
でも確かに、あの時消えてしまった姫も『秘石』の力によるものが原因だった。
それまでは持っていなかった、“時を操る力”。
それを『秘石』の力で目覚めさせ、遥か過去のハイラルへと飛ばされた。別の場所から別の場所へと移動できる力はあるにはある。
つまり。
『魔王』も。
“
「だから、この世界とは無縁である君に頼めた義理ではないことは、わかっているけど、どうしてもお願いしたいことがあるんだ」
耀哉は申し訳なさそうにそう言ってくるも、リンクの答えはもう決まっていた。
たとえどんなことを頼まれても、断るという選択をすることなどない。
「鬼の始祖を斃せば、その血を分け与えられた者も解放され、全ての鬼は滅ぶ。あの子、竈門禰豆子だけは今、人間に戻す治療薬を開発しているから、それが完成してしまえば死ぬことはない。だがその前に、鬼舞辻は太陽の光に当たっても死ぬことはなくなった禰豆子を、何としても手に入れようと、今まで以上に過激な攻撃を仕掛けてくるだろう」
その言葉だけで彼が何を言いたいのか全て理解した。
もし今の話が本当なら、この世界の何処かにいる鬼舞辻無惨という男を殺せば何もかも解決できるということだ。
鬼舞辻無惨という鬼が死ねば、もうこれ以上は人を喰らう化物が生まれることはない。そのたった一人を斃すだけで、鬼はこの世界からも、ハイラルからも消え去る。鬼の力がこれ以上広がらないのならば、この世界にも、ハイラルからも、脅威は取り除かれる。
『魔王』が一体どうして鬼をハイラルに連れて来たのか、それは分からない。
しかし、これだけは分かる。
無縁の地ではあっても、リンクの世界も関わっているのだ。
鬼舞辻無惨という者は人を鬼化させ、人を襲う化物にし、そしてそんな鬼を『魔王』はハイラルに連れてきて、今も尚神聖なハイラルの地を血で汚している。
その事実を明確にした途端、全ての最優先事項が決まった。
少なくとも、自分の世界にも鬼が足を踏み入れている時点で目を背けてはならない。
あの子、竈門禰豆子も死なないと言うのならば何も心配することはない。だが、あの子を狙っているというのは許せない。ずっと守ってきたあの子が、人に戻ろうとしている少女が、鬼にした張本人に奪われるなんて、そんなの許されるわけがない。
まだ何の根拠はなくとも、彼から語られた言葉はどれも嘘偽りのないものばかりで、そしてその声を聞いただけで何故か納得できる。
ハイラルのためにも、あの子のためにも。
耀哉の為したいことと、リンクの為すべきことは一つになった。
疑問なんて感じてる場合じゃない。
今、この命を賭して、二人が為すべきことは一つ。
リンクはずっと黙って彼の言葉を聞いていた。
耀哉は問う。
「だから、どうか。鬼の始祖────“鬼舞辻無惨を斃す”ために、ハイラルという地を厄災から救った君の力を、私達に貸してくれないだろうか」
それがもう
本当は自分の世界のことは自分達でなんとかしなければならないと感じているはずなのに、他の何者かに願いを託すという重み。
そうして。
耀哉の言葉を聞き、ずっと静寂を貫いてきたリンクは、彼の手を強く握ってこう答えた。
「ハイラルの勇者、リンクの名に懸けて────鬼の始祖の討伐を果たすと誓おう」
□■□■□■
リンクと呼ばれる剣士が、当主の妻である産屋敷あまねと共にお館様の元へと去っていって一時間。
静まり返った座敷。
緊急で集められた、この“鬼殺隊”という鬼を滅する組織の中で一番の実力を誇る“柱”七人は、リンクという異国の剣士について話し合っていた。
「二人に問いたい」
一番前にいる大柄な男は変わらず合掌し、数珠をジャラジャラと繰りながら、怪我がまだ治っていない恋柱の女性と霞柱の少年に訊ねる。
「あの者·······リンクという男は二人から見てどのように感じた?」
何故その二人なのか、それはあの時近くにいたのがその二人だったからだ。
鬼殺隊の中で最も実力のある柱二人が偶然今回の件に関わっており、あの男のことを誰よりも知っているだろうと思い、現状で知っている情報を聞き出そうとした。
しかし。
恋柱として鬼殺隊を支えている甘露寺蜜璃は、急な質問に焦って必死に答えようとするも、
「え!? えっと、あの······実は私はあまり詳しくなくて。戦いが終わって隠の人が迎えに来た時にその人から鬼を倒した外国人がいたって話を聞いたくらいで。姿を見たのは今日が初めてだったんです」
そう。
彼女はあの襲撃の時に里にいたものの、リンクという剣士の姿どころか、上弦の鬼と正体不明の竜と戦っている姿すら拝めていなかった。全てが終わり、そして入れ違いとなるようにリンクは隠達によって回収されたので、その姿を見るのは今日が初めてだった。
一応、初めて見た感想については答えられるが、それは今聞かれていることとは程遠い内容である。
ちなみに。
甘露寺がリンクを見た際に抱いた感想としては、あまりにも凛々しく、そして息を呑むほどに美しいというものだった。
まさに西洋の御伽話の中に出てくる妖精のような───浮世離れした美しいその姿に、ただただ見惚れたらしい。
目が合った時、恥ずかしさのあまりつい目を逸らしてしまうほどに格好良かった彼のあの整った顔。思い出すだけで思わず頬を赤らめてしまったそんな甘露寺を見て、その向かい側に座っている白い蛇を首に巻いた男は不快そうな目をしているが、彼女は気付いていなかった。
そんな彼女の代わりに。
上弦と戦ったのに思ったよりも傷が少ない霞柱の時透無一郎が答える。
「そうですね、最初は鬼殺隊で言うところの甲辺りの実力かと思っていました。実力をまだ見ていない段階だったあの時は、正直上弦の伍の鬼を相手にする時は足手纏いになるかもしれないから邪魔に感じていましたが、予想を裏切られ、僕よりもさらに早く動いていました。さらに、上弦の伍討伐後に現れた竜に全く歯が立たず、気を失った僕を守りながら戦い、そして毒を喰らって傷だらけだった僕をほとんど無傷の状態にまで一瞬で回復させた薬すら持っていました。今のところあの人に対する情報が少なすぎて断言はできませんが、少なくとも呼吸も使わずにあれほど動き、そして日輪刀もなしに鬼を倒している時点で只者ではないことだけは確かです」
他の柱達が無一郎に注目する中、彼はリンクのことをそう評した。
結局は何も分からなかったが、あの無一郎がそう口にしたことでリンクを見る目が変わった。刀を握ってたった二ヶ月で甲まで階級を上げ、そして短期間で数々の任務をこなして最年少で柱となった無一郎がリンクをそこまで称賛するとは。
普段から無口で何事にも興味が湧いていなかった無一郎がここまで話したことにも驚きだが、そんな彼が認めるほどの実力を持っているリンクという剣士は一体何者なのか、そればかりが気になってしまってしょうがなかった。
「実力については置いておいて、ほとんど無傷の状態にまで回復させた、って······あり得ませんね。どんなに貴重な素材を使用して薬を調合しても、そんな短時間で回復させることができる万能な薬はこの世に存在しません。傷どころか毒まで一瞬で消し去るなんて、そんなの自然の摂理に反しています」
「そうですね。でも実際に僕はあの人が持っていた薬によって今こうして生きています。近くにいた刀鍛冶が言うには、僕はあの時回復のための呼吸どころか普通の呼吸すらできずにいたみたいで、どれだけ止血しようと試みても全然止まらずにいたみたいです。あのままでいたら間違いなく死んでしまっていたのに、それをあの人が持っていたという『マックス薬』と呼ばれる薬を飲んだら嘘みたいに回復したと、そう説明された時には僕も耳を疑いました」
医学に精通し、傷ついた鬼殺隊達の治療も行なっている“蟲柱”の“胡蝶しのぶ”が信じられないといった顔をする中、無一郎は相変わらず表情を変えずに淡々と事実のみ語った。
「それに、この前の柱合会議でも説明したように、僕と甘露寺さんに発現した始まりの呼吸の剣士達にあったという鬼の紋様に似た“痣”についてなんですが」
実は数日前にも緊急で柱合会議は開かれていた。
リンクがここに運ばれてくるついでに柱達は集められ、刀鍛冶の里で起きた事、上弦の鬼を二体討伐した時の様子を報告させられた。その際、二人の体には独特な紋様の“痣”が発現しており、それが体に浮き出たことによって二人は今まで以上に動けたという。
その“痣”についてだが、二人はそのことを知らなかった。無一郎は頬と額に、甘露寺は首元に、自分達の使っている呼吸を象徴するような形をした“痣”があったというが、そんな場所鏡で見ないと気付かないし、あんな危機的状況で確認できる余裕なんてあるはずもない。
後で確認しようにも、もうその“痣”は消えてしまっていたので気付かないのも当然だった。それを知ったのは、刀鍛冶の誰かが二人に浮かび上がっていた“痣”について鴉に報告し、その情報が鬼殺隊全体に共有された時だ。
“痣”のことを詳しく話し、産屋敷家に残された伝承についても話されたわけだが、
「通常の人間では到底不可能な心拍数に体温に蝕まれて命に関わる状況下で、僕は今この通り何の問題もなく動けています。胡蝶さんのお屋敷で治療を受けても熱はずっと平熱だったことから、それはおそらくあの人の持っていた薬によるものだと思います」
「“痣”による高熱をも打ち消す効果があるというのですか······あの人が持っていたという薬は」
胡蝶しのぶはここにリンクが運ばれてからというもの、彼女はずっと彼の側で看病していた。屋敷にいる患者達は、しのぶが妹のように大切にしている者達に任せ、自分は引き続きリンクが目覚めるまで治療を続けていた。
その際に彼の持ち物を一通り勝手に見させてもらったのだが、どの図鑑にも載っていない虫や植物がたくさんあり、成分を調べたくてもおそらくは自分の知識では説明できないものだと悟ったので手をつけずにいた。
だが、彼が持っていたという薬一つで無一郎が負っていた傷も毒も、そして限界以上に力を引き出せる“痣”の高熱まで消してしまったということに、流石のしのぶでも驚きを隠せなかった。
やはり道徳心を捨ててでも、あのリンクという人が持っていたものを勝手に調べるべきだったかと思った時、無一郎が再び話し出す。
「何より僕があの人のことを見て信じられなかったのは、呼吸法どころか“痣”もなしにあれだけ動けていたということ。上弦の鬼に最初は苦戦していたものの、いつの間にか適応したように攻撃を避け、そしてその頸を斬ったこと。さらに僕を瀕死の状態にし、上弦達を喰らった竜も倒したあの人は、誰よりも限界であったはずなのに動き続けたせいで体温が上がり、体の表面にあった血さえも蒸発させていたことから、僕と甘露寺さんを遥かに超える高熱が出ていたということは明らかです。そんな状態で動けるなんて、あり得ないです。それでも死ぬことはなく動けていたあの人は言葉通り人間としての枠を超え、限界を超え、そして理さえも超えた異常な存在です」
無一郎の出した結論、それを聞いた瞬間に全員が背中を殴られたように息を詰まらせた。
呼吸も“痣”もなく、そして表面に付着していた血を蒸発させるほどの異常体熱まで発現させていたという説明に誰もが耳を疑った。血を蒸発させるなんて、体温を下げるための汗と血の凝固作用を凌駕する高熱を発生させている時点で人間は生きられるはずもない。
おそらくその時のリンクは百度の熱が出ていたはず。そんな熱を一人の人間の力で出せるわけない。
身体中に流れている血液は沸騰していたかもしれないし、だとしてもそんな熱出したら間違いなく死に至る。
なのに生きている。
そんな出鱈目の塊みたいな話を信じられるわけもなく、だがだからこそ無一郎はリンクのことを理さえも超えた存在であると言ったのだ。
全てはそれだけで説明できる。
───人間じゃない。
そう皆が思った所で、奥の座にある襖が開かれ、再び振袖姿の女性が現れた。
「失礼致します、皆様」
当主の妻、産屋敷あまね。
彼女が現れると柱七人は直ちに向き直る。
その隣には、噂をすれば影が差すという諺を証明するように、常識の枠を外れた存在であるあの異国の剣士がいた。
「············」
リンクと柱達の間に言葉はなかった。
ものすごく冷めた空気を感じていたからこそリンクは下手なことは言わずに黙っていたのだが、皆はまるで彼のことを化物でも見るような視線を向けていた。
悠々とその場にいるリンクがいつ自分達に牙を向けるかわからない。
まったく歓迎されていないということはすぐにわかったが、嫌われるようなことはしていないはずなのに何故そこまで敵意を向けるのかはわからなかった。
戸惑いつつ頬を伝う汗を拭うように変わった右手から生えている指でポリポリと掻くと、隣にいるあまねが静かに正座する。つられるようにリンクも皆がいる横側の位置で正座するが、文化の違いから慣れていないのかちょっと両膝を付けただけで痺れが発生、そのまま横に倒れる。
「〜〜〜ッ!!」
「「「「「「「············」」」」」」」
その様子に、また部屋の空気が凍った。
座布団の上ではなく畳の上だから痺れやすいのはわかるが、座ってほんの数秒で崩してしまうとは。
これが上弦を倒した人間か? 全然そう見えない。
皆がそう思ったが、あまねがこほんと咳払いをして、
「皆様、どうか聞いてください」
場の空気を収め、仕切り直すようにあまねが口を開くと皆が一斉に平伏した。
リンクも座り直そうとするが、正座したら神経が圧迫されて座れないとわかったので、できるだけ無礼のない座り方をする。
正座ではあった。
しかし正座の状態からかかとを上げ、爪先と両膝を床に付けるような格好で座り、血管の圧迫を避けることで痺れを発生させないようにする。
それで皆があまねの言葉を聞く準備が整ったことを確認すると、彼女は顔を上げて皆を見回して話し出す。
「現当主、産屋敷耀哉の言葉をそのままお伝えします。ここにいる、リンクという剣士を───
「「「「「「「!?」」」」」」」
あまねの言葉に、全員が驚きの声を上げた。
皆同様、困惑と動揺でざわめく中、あまねは続ける。
「まずは彼の住む場所を提供し、しばらくはそこで安静にしてもらってから鬼殺隊としての任務を───」
「お待ちくださいあまね様」
言葉を遮る者が一人。
初めに入ってきた時にリンクを挑発した傷跡だらけの男、不死川だ。
「いくら何でもそれは承知できません。先程も申しましたが、このどこの馬の骨とも知れない者を鬼殺隊に引き入れる? たとえお館様の願いであっても、そんなこと許せるはずありません」
「信用が出来ぬ段階で手を取り合うなど、言語道断。俺も全力で反対する」
不死川の発言をきっかけに、他の者達も我も我もと反対意見が飛び出す。
彼の性格に一番近いのか不死川の意見に同意し、白い蛇を首に巻いた剣士は相変わらずリンクを睨んでいる。
予想していた展開であったのか、あまねは落ち着いた声で説明する。
「ご存知の方はご存知であると思いますが、産屋敷一族には“先見の明”と呼ばれる能力がございます。未来を見通し、危機的状況を回避するほどの鋭い勘を持った耀哉様は、このリンクという者を見極めたところ悪しき心を感じず、信用に値する人材であると判断しました」
そして、と一拍置くと。
「時透様と甘露寺様からすでにお聞き及びのことと思いますが、このリンクという剣士は上弦を倒し、そして竜まで倒したという実績がございます。鬼殺隊として引き入れても問題はないと、耀哉様は考えております」
「嗚呼············上弦を倒し、正体不明の竜を倒したとはいえ、鬼殺隊が必ず通る道である『最終選抜』もなく、特例で入隊させるのはあまりにも残酷。過酷な試練を乗り越え突破した他の者達も納得できるはずありません。何より、その男の正体を我々は何も知らない。先程時透から詳しく説明されたものの、その話を疑いたくはないですが、どうも私には合点がいかない。呼吸も日輪刀もなしに上弦を倒したというその実力についても、我々は伝え聞いただけであり、本当かどうかわからず、それで共に戦おうというのは難しい話でございます、あまね様」
涙を流す大柄な男の言葉に、あまねは眉を顰めた。
彼の過去を知っている者からすると、その疑り深い性格についてはあまねや耀哉も重々承知しているが、こればかりは正論だ。
この世界にはハイラルという国はなく、ならばリンクは身元不明な扱いになるので信用できないのも当然と言えよう。
夫の耀哉の言葉を信じているとはいえ、あまね自身も実は半信半疑の状態であった。“先見の明”という力を持つのは産屋敷耀哉であり、そんな彼が夢の中で見た話を聞いても、自分にはそのような力がないから結局はその言葉を信じるか信じないかは彼女次第。
耀哉を疑っているわけではない。お館様の言葉どころか、愛した夫の言葉を疑うなんて以ての外だ。
だが、皆にどう説明すれば良いのかわからないのもまた事実。
ハイラルという国を聞いたこともなければ見たこともないし、この世界に実在しないものを説明するなんて、そんなの空想を語るのと変わりない。
そして、悲しいことではあったが壁際にいるリンクはそこまで言われても慣れているのか一切表情には出さなかった。雰囲気的に皆がリンクに対して不信感を抱いていることはわかるが、仕方のないことだと彼も理解していた。
彼らとて、自分達の当主を疑うなんて真似はしたくないはず。だが、流石に限度があるだろうと考えているはずだ。リンクのことを説明しようとしても、それを信じさせるためのものはこの世界にはないから、どう説明しても納得できない。
ならばどうするか。
リンクはこういう場合どうすれば皆が納得してくれるか考える。ここで感情的になって言い争っても、その後は気まずい状況が続くだけ。
それに、彼らが慕っているお館様の命令を受け入れられずにいるのも悲しいこと。忠誠を誓ったのに、自分達が納得できない命令であったら皆不満を持つのも当然だ。尊敬する者からの無茶な願い、納得しないままそれを受け入れたらそこから亀裂は次第に広がっていき、内部崩壊へと繋がる危険性もある。
このままでは、自分を信じてくれた産屋敷耀哉まで悪い目で見られてしまう。
そうなっては産屋敷耀哉も、そして彼を信じているこの者達も、誰も報われない。
だからこそ、彼は立ち上がった。
皆の視線がこちらに向くように、これ以上は彼らが尊敬しているお館様の信頼を失わせないために、意図して無言で立ち上がった。
自分のせいで、あの人をもうこれ以上苦しませないために。
「そこまで言うのなら、俺の実力を証明してみせるよ」
「「「「「「「!?」」」」」」」
「この中の誰でもいい、俺と戦ってくれ。何なら全員でもいい、それで俺が勝てばみんな納得してくれるだろう」
急な申し出に皆が動揺し、言葉を失っていた。
当然だ。彼の言ったことを譬えるのなら、竜の鬚を蟻が狙うようなもの。彼の実力については現段階で知っているのは時透のみで、でもそんな無一郎も流石にリンクのあまりにも馬鹿げた申し出に目を見開いている。
無論、リンクはそのことは理解しているつもりだ。
彼らは強い。
それはあの時共闘した時透という少年を見ればわかることだ。ここにいる者達は皆、当然のように抜きん出た才能がある。死を覚悟するほどの過酷な鍛錬に耐え抜き、そして数え切れないほどの修羅場を潜り抜けてきたはずだ。
そこに、得体の知れない自分が身の程も弁えずに土足で入り込んだら、皆不満に思うのも当然のことだ。
しかし、もうリンクも我慢の限界だったのだ。
そんなことを言い出したリンクであったが、無論そんなふざけたことを抜かした彼に対して不満を抱かない者はいない。
リンクは今、自分が一体どんな立場にいるのかわかっていないと思ったのか、先程挑発してきた男が立ち上がると鋭い目付きでこちらを睨んでくる。
「テメェ············何様のつもりだァ?」
「何様もなにも、俺が一体何者なのか知りたいんだろう。だからちゃんとわかってもらえるように、この場にいる誰かと模擬戦をしようと提案しただけだ」
「柱相手に模擬戦だァ? いい度胸だなテメェ、俺達を甘く見て見下すつもりだってんなら後悔するぜ?」
「そんなつもりはない。俺はただ········俺のせいで“あの人”が貶されないようにしたいだけだ」
「ッ!?」
リンクの言った“あの人”が誰なのか察したのか、目の前に立って睨みつけている男だけでなくこの場にいる全員が動揺したような表情を浮かべた。
リンクは、自分一人ならどんな糾弾でも受けるつもりだった。だが、自分のせいで皆がお館様のことを信じられなくなってしまうのだけは避けたかった。ここにいる者達を始めとする他の剣士達もお館様に対する信用を失う状況だけは何としても避けなければならない。
だからリンクは恐れもせずに彼らに模擬戦を申し出た。
自分が実力を見せたら、お館様の見る目に間違いがなかったと証明され、みんな納得してくれる。
だが──────
「気に食わねぇな············お館様のことを何も知らないテメェが勝手にあの人のことを語るんじゃねぇよ」
「確かに、俺はあの人のことを何も知らない。お互いに今日初めて会ったわけだし、知らないことだらけだ。けれど、そんなお館様は俺に力を貸してほしいと言った。俺を信じ、みんなを救ってほしいって言ってくれた。助けてほしいと頼まれたんだ。その期待を裏切るなんてことは、俺にはできない」
リンクがそう言うと、今度は左右色変わりの目を持った男までギロリとこちらを睨みつけてきた。
「貴様、何か勘違いしているようだな。お館様が得体も知れぬお前になどに期待しているはずが─────」
「産屋敷一族には“先見の明”と呼ばれる能力があるとそちらの女性は言っていた。未来を見通し、危機的状況を回避するほどの鋭い勘を持ち合わせたお館様に何度も救われてきたことは、この場にいるみんなの方がよく知っているはず。それなのに、俺が信じられないというだけで、お館様のことまで疑うのか?」
「··········ッ!!」
リンクは一切ブレずに自分の考えを貫き通し、その言葉に皆が一斉に黙り込む。
まるでリンクが彼らに初めて会った時のような冷たい空気が再びこの空間を支配し、見えない刃となって肌を撫でる。
「俺のことはどう思おうと構わない。でも、あの人のことまで信じられなくなるというのであれば、流石に俺も黙ってない」
リンクの舌は止まることを知らず、ついには彼まで皆を睨みつけるような眼光を向けてしまう。
柱の者達はまるで信じられないものでも見るかのように、そこまで言ってみせたリンクの顔を見た。
皆、生まれて一度も怒られたことのないまま育ってしまった子供のように怪訝そうな顔を浮かべ、そしてその中の何人かがリンクの見る目を変えていた。
それでも、目の前の男だけはリンクを変わらず睨みつけていた。
身体を震わせ、怒りで満ちたように。
「舐めてんじゃ───」
通常、鬼殺隊には隊員同士での喧嘩は禁じられており、何よりこの場での流血沙汰なんて以ての外だ。
だが。
リンクは隊士ではなく、更には柱である自分達に対して舐めた態度を取ったのもあり、頭に血が上って冷静さを失った不死川の脳内には、一つの感情のみが支配していた。
思わず腰にある刀へと手を伸ばし──────
「!? ちょ!? ダメだよ二人とも!! 冷静に───ッ!!」
それを見た甘露寺が驚きのあまり小さく悲鳴を上げるが、すでにその刃は鞘から解き放たれ、
「ねェぞ馬鹿がァアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!」
「うわぁッ!! ダメダメダメェエエエエエエエッ!!!??」
リンクの首元に迫る深緑の刃。
鋭く刺々しい紋様がリンクの頸を刎ね飛ばそうと正確な軌道を描き、それを止めるために甘露寺が慌てて止めに入るが間に合わず、
パアンッ!!
炸裂する波動。
その唐突に放たれた一発の大音量が、空間どころか建物全体に響き渡った。
「「「「「「!?」」」」」」
その波動によって、リンクに刃を向けた不死川も、何とか喧嘩を辞めさせるように飛び出していた甘露寺も、畳の上に座していた他の者達も、あまりの大音量に何十個もの見えない重力の大岩に全身を押さえつけられ、まるで喉の奥まで凍りつかせられたように呼吸ができず、その場に固定された。
内臓を丸ごと潰されるような感覚に皆は必死に吐き気を押し殺す。
「··········」
そんな中で、リンクだけは表情を変えなかった。
勢いよく抜き放たれた男の刃によって、首元からわずかに熱い液体がこぼれ出る。ちょっとでも止めるのが遅かったり、リンクが少しでも動いていたらただでは済まなかった。
最悪、本当に首と胴が泣き別れになっていた可能性もある。
だがそうならなかったのは、リンクの常人では考えられないほどの異常な勇気によるものか。
もしくは──────背筋が凍るほどの万雷の拍手によるものか。
それを放ったであろう者に目を向けると、彼はいつものように涙を流していた。
「不死川··········あまね様の前だ」
「ッ!!」
「··········やめろ」
大柄な男、“悲鳴嶼行冥”は修行僧のように合掌し、だがその声は想像以上に低く、静かであってもどこか怒号のようにも聞こえた。
感電したように身体を震わせる不死川。
その声を聞いて、彼はゆっくりとリンクから刃を離れさせ、静かに刀を鞘へと戻していく。その際に聞こえるかわからないほどに小さい舌打ちがされたのだが、幸いにも誰にも聞かれることはなかった。
「··········リンク、という名だったか··········」
独り言のような小さい声を、みんなに背中を見せたまま呟いた。
「君の考えはわかった。我々も、君に対して酷い言い方をしてしまった、申し訳ない」
「··········」
「だが、いくらなんでもその提案はあまりにもこちらを侮辱している。君の実力を知らぬとはいえ、それを証明するために私達柱を全員相手にしてみせるというのは、些か身の程を弁えていないようにも聞こえる··········しかし、君の覚悟は充分に伝わった」
そこまで言って、悲鳴嶼はようやくリンクの方に顔を向ける。
白い眼。
光を失った瞳。
その瞳はなんの像も写っておらず、ただ音だけを頼りにリンクの方へと振り返ったようだ。それだけでわかる、目が見えないのならば普通は戦力にならないと周りからは見做されるものの、それでも彼らを鎮めさせる力を持っていることから、ここにいる誰よりも一番強い。
そんな彼はリンクを見て、口だけではないと示してみせろというように告げる。
「君の望み通り、模擬戦を行おう」
「!」
「「「「「「!?」」」」」」
「だが、悪いが柱全員を相手にするというのは聞き入れてやることはできない。君を舐めているというつもりはないが、見ての通り負傷しているものもいる。だから、この中の誰か一人が君の相手をする。その者と戦い、そこで君の実力を証明してみせてほしい」
悲鳴嶼がそう言うと、柱のみんなの硬直が解ける。
リンクは悲鳴嶼の言葉に静かに頷くと、目は見えなくともそれを感じたのか、両手につけている数珠を鳴らしながら南無阿弥陀仏と謎の呪文を唱える。
全員の視線が悲鳴嶼とリンクに集まる中、その模擬戦の相手を誰がするのかと柱の誰かが口にする前に、
「なら、それは俺にやらせてくれェ悲鳴嶼さん」
その模擬戦の相手を務めると自分から申し出たのは、ずっとリンクに対して不満を抱いている不死川だった。
不死川の申し出に反対する者はおらず、彼はリンクを再び睨みつける。
「俺が証明してやる。テメェはこの鬼殺隊には不要だってことを」
「··········」
「この裏に柱が臨時で使える道場がある。そこで殺り合おうぜリンクさんよォ」
そのまま不死川はリンクの横を通り過ぎ、襖を開けて一足先に道場がある方へと去っていく。
「··········」
あまねは全ての展開を目の前で見ていたにも拘らず、止めることはできなかった。何もかもがもう遅すぎ、しかしどう説明して良いのかわからず黙ってしまった自分も悪い。
何より、リンクがその提案をしてくれなかったら、いつまでも険悪な雰囲気が続いていた。それが拭われたのはリンクのおかげ。そこで彼の実力が証明されれば、皆も納得してくれるだろう。
だから彼女は許可した。
口を挟まず、ただ黙ってお願いするようにリンクを見ていた。
リンクが彼女の言いたいことを察し、それを了承するようにお辞儀をすると、残りの柱達も立ち上がって彼女に頭を下げる。そのまま部屋から去っていく剣士達。甘露寺がリンクの前を歩いて道場まで案内し、その後ろを皆がついていく。
静まり返った座敷。
そこであまねは産屋敷耀哉の言った言葉を思い出す。
『あの男、“鬼舞辻無惨”を討つもの···········始まりの呼吸の剣士に並ぶほどの力を持った青年が、近いうちにこの地に降り立つ、というね』
あの時はまだ半信半疑で、だが今こうして現れたことでその言葉の信憑性が増した。
つまり。
産屋敷耀哉の言葉は間違っておらず、今ここで柱と戦って力が証明されれば、鬼殺隊が鬼に勝利する確率も高くなる。
「どうか、私達を導いてください───ハイラルの勇者、リンク」
誰もいなくなった空間。
産屋敷あまねのその小さな呟きだけが、その場に響き渡った。