鬼滅の伝説   作:織姫ミグル

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第十三章

 

 

ただ虚ろな眼窩を向ける、“()()()”。

 

 

それを見た瞬間、全集中の呼吸を維持する青年の五感がそれ以上の行動を制止した。

 

 

その骸骨にはいつもの如く生気がなかった。

 

 

心臓の鼓動もない、生き物の匂いすらしない。

 

 

なのに、

 

 

その周囲だけ世界の巡りが異常なほどに美しく、淀みなく流れているのが見えた。

 

 

まるで、

 

 

あの存在自体がこの空間の、ひいては世界の空気そのものであるかのように。

 

 

ただ静かに二人は向かい合い、不気味なほど冷たく、けれど心地の良い風が吹く。

 

 

骸骨の耳元で、カサリ、と花札のような飾りが揺れた────その瞬間。

 

 

現世の概念と境界が、一瞬にして崩壊した。

 

 

 

□■□■□■

 

 

 

「············ッ!!」

 

 

リンクがハッと息を呑んで目を見開いた時、そこはもう夜の竹林ではなかった。

 

上下左右の概念すら曖昧な、果てのない白き世界。

 

その足元にはリンクがかつてハイラルの地で古の賢者達と対面した際に何度も目にした、あの厳かな枯山水の白砂の紋様がどこまでも美しく、そして淀みなく広がっていた。

 

そんな境界なき空間に佇んでも、リンクは一切呼吸を乱さずに周囲の気配へ鋭く全神経を研ぎ澄ませた。

 

その時。

 

 

『────また会ったな』

 

 

脳裏に直接響くような擦り切れた風に似た、けれど圧倒的な質量を孕んだ声音。

 

リンクが背後の気配へと鋭く振り返ると、そこにはやはりあの鮮やかな赫い着物を身に纏い、耳元で花札のような飾りを揺らす“名もなき骸骨の剣士”が静かにこちらを見ていた。

 

 

『無事に会得できたようだな』

 

「···········あぁ」

 

 

リンクは特に驚く様子は見せなかった。

 

さっきの竹林であの足音が聞こえてきてから、全てが繋がった気がしたからだ。

 

だから目の前の剣士がどれだけ化け物のような姿をしていても、リンクにとって奴は見た目のまま存在ではなく、自分を死の淵から救い出して圧倒的な剣技の片鱗を見せて消えた、謎の骸骨の亡霊でしかなかった。

 

骸骨の剣士は相変わらずその虚ろな眼窩でリンクをじっと見つめている。

 

 

『以前と比べれば少しは成長したようだが············』

 

 

狭霧山で少年を破り、巨岩を真横に両断したその一瞬の爆発的な『全集中の呼吸』を我が物としたリンクの身体を見通すように。

 

 

『────お前がちゃんと身につけたかどうか、試させてもらう』

 

 

その宣告がリンクの脳裏に染み渡るよりも、早く。

 

轟!! と。

 

白き空間の空気が、一瞬にして爆発的な熱量と共に捻じ曲がった。

 

応じる間などない。

 

赫い着物の袖を翻し、名もなき骸骨の剣士がその腰の刃を抜き放つと同時に神速の鋭利な一閃がリンクの頸を目掛けて肉薄する。

 

常人であれば、刃が迫っていることすら気付けぬほどの超絶なる抜刀術。

 

 

「ふッ!!」

 

 

だが今のリンクは、数日前までの満身創痍の青年ではない。

 

狭霧山での三日間を経て、ここぞという瞬間に全身を駆け回る全細胞へ爆発的な生命の息吹を巡らせる、『全集中の呼吸』を身につけた剣士であった。

 

よって。

 

 

ガキィィィィィンッ!!!

 

 

鼓膜を震わせるほどの轟音が虚無の空間に炸裂する。

 

リンクは背負ったマスターソードを瞬時に引き抜き、骸骨の剣士が放った強烈な一撃を寸分の狂いもなくその太刀筋の芯で正面から叩き落とし、鮮やかに弾き返してみせた。

 

 

『············』

 

「ハアッ!!」

 

 

互いの刃から激しく火花を散らし、白砂の空間に目に見えぬ衝撃波が走る。

 

もはや盾を構える必要もない。

 

強大な剣撃を受け止めたリンクの蒼い二つの瞳には一切の動揺もなかった。

 

相手の構え、空気の爆ぜる音········数多の強敵と刃を交えてきたリンクの剣士としての本能が鋭く覚醒していく。

 

目の前に立つ存在がただ純粋に、己の力を検分せんとしているのだと青年は肌で理解していた。

 

しかし、二人の修羅の戦いはその刹那の静寂すら許さなかった。

 

ガキン、と。

 

 

『············』

 

「··········ッ!!」

 

 

刃を噛み合わせたまま、骸骨の剣士の虚ろな眼窩が微かに細められる。

 

次の瞬間、相手の纏う赫い着物が残像を残してブレる。

 

刀身を滑らせるようにしてリンクの防御をいなし、円の軌道を描きながら返す刀で斜め下方から心臓を抉る逆一文字の斬撃を繰り出す。

 

───まともに受ければ、肉体ごと両断される。

 

 

「ッ!!」

 

 

だからリンクは退くのではなく、むしろ前へと踏み込んだ。

 

ここぞという瞬間の全集中の爆発力を得た脚力が白砂の地面を爆砕せんばかりに蹴り上げる。体を極限まで低く滑り込ませる地這いの身のこなし。恐るべき低空の制動で、迫り来る赫い刃の真下を文字通り潜り抜けた。

 

すれ違いざま、前転したリンクは捻りを加えた跳躍へと転じる。

 

空中で回転しながらマスターソードを振り抜き、骸骨の剣士の背後から無慈悲な一閃を叩き込んだ。

 

ヒュン!! という風を切る音が炸裂。

 

つまりは、その退魔の剣は何も斬らなかった。

 

 

「········ッ!!」

 

 

流石は技を伝授した張本人、リンクに叩き込んだ“漆ノ型”の対処法も心得ているわけだ。

 

骸骨の剣士は重力を無視したかのような身軽さでリンクの剣筋を見切り、寸前で真上へと跳んで避けていた。

 

空中、太陽に似た光を背に浴びた赫い着物がひらりと翻る。落下の自重をすべて凄まじい刃の圧力へと変え、脳天を叩き割る縦一文字の絶技がリンクへと降り注ぐ。

 

リンクの瞳が瞬時にその軌道を看破した。

 

空間を蹴るようにして体を真横へと捻り、白砂の上をまるで獣の如き四肢のバネで激しく反転しながら回避。直後、骸骨の剣士が着地した瞬間に生じる一瞬の隙を見逃さず、今度はリンクが地を幾度も蹴るような超低空の突進を見せる。

 

縦横無尽、変幻自在。

 

目の眩むような複雑な軌道を描いて残像で撹乱させるように接近し、骸骨の剣士の懐へと潜り込む。

 

 

ガガガガガッ!! ガキンッ!!!

 

 

空間の境界が焼き切れるほどの速度で一秒の間に一◯数回もの金属音が重なり、一つの轟音となって白い空間に反響する。

 

剣を振るのではない。

 

全身の、体幹の、飾りのない純粋な呼吸のうねり全てを剣線へと伝える、流麗にして苛烈極まる白兵戦。

 

空間の果てを蹴り、宙を舞い、互いに一歩も退かぬまま二人の剣士は神速の乱舞を白砂の上に刻みつけていく。骸骨の剣士の放つ赫い剣閃はどこまでも澄み渡り、無駄という概念が一切存在しない。ただ世界の呼吸の流れに従い、自然の理をそのまま刃に変えたかのような絶対的な最適解。

 

 

『もっと、研ぎ澄ませ』

 

「ッ!!」

 

 

対するリンクは、かつてハイラルの地で数々の死線を潜り抜けてきた、戦況に応じて攻略法を見出し、即座に肉体を最適化させる剣技。地を蹴り、その反動を利用して鋭角に方向を変え、時には手をついて翻るように相手の刃をいなす、変則的かつ剛毅な剣戟。

 

激しく何度も打ち合う刃が火花を散らし、白砂に描かれた水の紋様が乱れ、爆風のように吹き飛ぶ。

 

 

「───!!」

 

 

骸骨の剣士の声に応じるように、リンクの口から鋭い呼吸音が異様に周囲に響き渡る。

 

リンクは全身から『全集中の呼吸』の息吹を放ち、体力の枷を外された全盛期の頃の肉体を極限まで駆動させていた。

 

心臓の鼓動は激しく脈打ち、血流は轟々と音を立てて全身を駆け巡る。

 

だが、

 

その頭脳は驚くほど冷静に、相手の太刀筋を看破しようと回転していた。

 

 

『「ッ!!」』

 

 

キィン! ガキィン!!

 

赫い刃が、リンクの着物の裾を僅かに切り裂く。

蒼い刃が、骸骨の剣士の赫い着物の袖を掠める。

 

コンマ数ミリの狂いが死を意味する、極限の領域。

 

骸骨の剣士は一切の声を漏らさず、ただその虚ろな眼窩でリンクの動きを追い続ける。

 

 

『もとよりお前は素質があった』

 

「!!」

 

『しかしまだ足りない········もっと自分の感覚を研ぎ澄ませ』

 

 

まだまだ終わらない。

 

それどころか剣を交わすごとに、相手の刃に込められる熱量が増していくのをリンクは感じていた。

 

それは単なる殺意ではない。

 

この青年が己の遺した『呼吸』をどれほど深くその身に馴染ませ、どれほど高い次元へと昇華できるかを見極めるための、痛烈なまでの試練であった。

 

 

「く········ッ!!」

 

 

リンクは大きく後方へと飛び退き、一時的に距離を取る。

 

だが相手がその隙を逃すはずがない。

 

 

『ッ!!』

 

 

瞬時に間合いを詰め、まるで陽炎のように揺らめきながら視認不可能な速度の連撃を繰り出す。

 

防御が間に合わない。

 

そう直感した瞬間、リンクは敢えて剣を横に構え、その身を独楽のように激しく回転させた。

 

 

ブオンッ!!!! と。

 

 

それはまるで嵐の如く、リンクの身体の回転が生み出す剣の防壁が、相手の神速の連撃を全て力尽くで弾き飛ばす。

 

これこそが狭霧山での特訓を経て、一瞬の溜めを省くために全集中の呼吸による生命力充填を以て放った、勇者に代々伝わる古の奥義、“回転斬り”であった。

 

凄まじい衝撃波が空間を駆け抜け、白砂が津波のように円形に巻き上がる。

 

 

『········っ』

 

 

その凄絶な破壊力に、骸骨の剣士は一瞬だけその歩みを止めた。

 

気のせいでなければ、骸骨の口元からどこか抜けた、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

しかし今は目の前に集中。

 

互いに一歩も退かぬまま、二人の剣士は再び刃を構え直す。

 

 

「はあ········はあ········ッ!!」

 

 

リンクの額からは汗が流れ落ち、最大出力の全集中を急激に使ったことで肺が燃えるように熱い。

 

しかし、

 

その瞳にはかつての宿敵達との死闘の最中に宿したような、絶対なる不屈の意志が眩しいほどに輝いていた。

 

骸骨の剣士はゆっくりと、しかしどこか嬉しそうに顎の骨を鳴らした。

 

 

『実に素晴らしい········お前のその強靭な魂と肉体、確かに試させてもらった』

 

 

そう言いながら骸骨の剣士は腰を落として、身を低くする。

 

二人の距離は僅か数歩。

 

次に交わされる一撃こそが、この言葉なき剣の対話の底にある真髄に触れる瞬間になることを、二人の偉大なる剣士は互いの気配で完全に理解していた。

 

相手はさらに深く腰を落とし、刀を構える。

 

その姿はまるで大自然そのものがそこに凝縮されたかのような、圧倒的な静寂。

 

 

「················」

 

 

対するリンクはマスターソードを両手でしっかりと握り締め、呼吸法によって体内の全ての力を無限の熱量へと変換する。

 

身体の中を巡る体力を、その放つ一撃の瞬間へと爆発的に一点集中させるために。

 

骸骨の剣士はリンクの成長を促すため、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

常人であれば決して気付けぬ、()()()()()()()()()()()()()()

 

そして、

 

全集中によって五感を極限まで研ぎ澄ませたリンクの鋭い眼光が。

 

その僅かな、しかし明確な『隙』を執念深く捉えた。

 

 

(今だッ!!)

 

 

リンクは躊躇なく、前へと踏み込んだ。

 

聖剣から放たれたのは、空間そのものを切り裂き、白い世界を陽だまりの如き熱量で染め上げる、完全なる円の斬撃。

 

 

 

それは──────“回転斬り”と呼ぶにはどこか物足りなく、それ以上の何かを秘めていた。

 

彼の口から放たれたのは、()()()()!! ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

骸骨の剣士はその大技を避けることも完璧に弾くこともせず、敢えて腰を落として、“己の赫い刃で真っ向から受け止めた”。

 

 

 

 

 

ドガァァァァァンッ!!!!

 

 

 

 

 

世界そのものの悲鳴が鳴り響く。

 

枯山水の白砂が激しく波打ち、上下左右の境界なき世界が罅割れんばかりに震動する。

 

リンクの放った退魔の剣が相手の刀身を激しく押し込み、その赫い着物の胸元へと重々しく肉薄した。

 

手応えがあった。

 

骨の髄まで響くような圧倒的な『剣の正解』の手応えが、刀身を通じてリンクの全神経へと逆流してくる。

 

あの時と同様、強大すぎる技の反動。

 

しかし、その反動が生じる直前、骸骨の剣士の刃から不思議な『力の流れ』が伝わってきた。

 

放った熱量を外へ散らすのではなく、体内で円を描くように再び丹田へと還流させる、自然と同調するための呼吸の捌き方。

 

 

「················ッ!!」

 

 

リンクは息を呑んだ。

 

骸骨の剣士の肉体を的にして放ったその一撃によって、リンクは自身の“回転斬り”の致命的な欠陥であった燃費の悪さを、技を放つ瞬間の『呼吸の循環』によって御するためのコツを、肌や骨、勇者としての魂で完全に掴み取ったのだ。

 

 

『················見事だ』

 

 

互いの刃がゆっくりと離れ、静寂が周囲に満ちていく。

 

骸骨の剣士は静かに刀を鞘へと収めると愛おしげに。

 

そして深い畏敬を込めて、その虚ろな眼窩を再びリンクへと向けた。

 

 

『なかなか、鋭い一撃だった。今の一撃の感覚を、決して忘れるな』

 

 

 

□■□■□■

 

 

 

『もとよりお前は素質があった、先程そう言ったのを覚えているか?』

 

 

擦り切れた風のような声がリンクの五感を通じて精神の奥底へと染み渡る。

 

骸骨の剣士はゆっくりと歩み寄り、その骨張った指先を、まずは己の『額』へと当てた。

 

次いで、

 

その指先をリンクへと真っ直ぐに向ける。

 

 

『お前の身体にも今───()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「? “痣”?」

 

 

唐突にそんなことを言われて、リンクはただ首を傾げることしかできなかった。

 

一体何の話をしているのかと思えば、骸骨の剣士は指先を降ろし、冷酷な事実を告げる事に罪悪感を覚えるような声色で続ける。

 

 

『しかし········この国の人の身なれば、これを発現させた者は例外なく、二五の齢を迎える前に死に至る。命の器を前借りし、磨り潰すことで力を得る、逃れ得ぬ代償だ』

 

 

リンクは僅かに眉を顰めた。

 

言葉の細部は分からずとも、『死』という冷徹な響き。

 

それから自身の身体に起きつつある不穏な熱量を告げられていることは本能で察した。

 

しかし、

 

次の瞬間には骸骨の顎の骨がカタ、と静かに鳴る。

 

それは生前の彼がこの異国の青年に向けて、優しく微笑んだかのようであった。

 

 

()()·······()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

先程とは違って目の前の骸骨の剣士のその声からは、悲壮感は微塵もなかった。

 

骸骨の剣士の“透き通る世界”の視界には、目の前に立つ青年の肉体が持つ人智を超えた『異質さ』が完全に視えていた。

 

 

『お前の肉体は奇妙だ。一◯◯年の時を越えてなお、その身は二◯歳を過ぎた全盛期の姿のまま、完全に止まっている。時の流れそのものから切り離され、老いることも、寿命の器が尽きることもない永劫の肉体·······お前は既に、()()()()()()寿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

さらに相手の視線はリンクの背に背負われた───マスターソードへと落とされる。

 

生前、どんな刀であっても己の『呼吸』の熱量に耐えかねて赫い刃へと変えてしまった彼には、その蒼き聖なる剣が放つ、神の祝福と『強固な資格の要求』の重みが誰よりも理解できた。

 

 

『その剣を引き抜くために、お前はどれほどの強靭な魂と満ち足りた命の器を求められたのか·······私と同じだ。生まれながらにその負荷に耐えうる器を持つ者。いや、お前はそれ以上だ。時間の檻すら超えたお前の命は、“痣”ごときで燃え尽きるほど脆くはない』

 

 

だが、次の瞬間。

 

彼の纏う空気から、無敵の剣士としての覇気が静かに消え失せ、代わりに底知れぬ寂寞と、果てのない哀切の残り香が、この白い空間に染み渡るように広がっていった。

 

骸骨の剣士の虚ろな眼窩が、遠い過去を追憶するように、細められる。

 

 

『異邦の剣士よ·······お前と共にいた、あの“若き鬼狩り”のことだが』

 

「!!」

 

 

リンクの思考の奥底に、あの初任務の残酷な夜の記憶が鮮明に蘇る。

 

背後から自分を突き刺し、上弦の鬼と共に闇へと消えていった───獪岳という名の剣士。

 

その裏切りによって自分は命を落としかけ、鱗滝の元で治療を受ける羽目になったのだ。

 

骸骨の剣士は、己の枯れた頭蓋を小さく横に振った。

 

 

『·······()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「··············え?」

 

 

リンクは僅かに目を見開いた。

 

何故これほどの偉大な剣士が、見ず知らずの他人の裏切りを己の罪として背負い、これほど深く傷ついた声を出すのか。

 

 

『私がもっと、もっと早く········“()()()()()()()()()()()。その孤独に、その焦燥に、寄り添うことができていたならば········っ!!』

 

 

骸骨の剣士の掠れた声は数百年分の悔恨を代弁するかのように、静かに枯山水の砂紋を揺らす。

 

そして。

 

剣士の生気のないその声は、信じられない真実を語る。

 

 

『お前を死の淵へと追い詰め、その胸を無慈悲に貫いたあの強大な鬼。あの鬼の、かつての名は───“()()”。()()·······“()()()()

 

「な··············ッッッ!!!??」

 

 

リンクは息を呑み、双眸を極限まで見開いて驚愕した。

 

言葉の意味を脳が理解した瞬間、目の前に立つこの神聖な剣士と、あの禍々しい『上弦の壱』の気配が。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「───っ!!」

 

 

あまりの衝撃に、リンクはマスターソードの柄を握る手すらも微かに戦慄かせる。

 

強者への異常な執着、持たざる者が抱く歪んだ嫉妬、そして自尊心の暴走。

 

鬼となってリンクを裏切った獪岳のあの姿に、この骸骨の剣士は。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

『痣の寿命という逃れ得ぬ死の呪いが、兄になければ········いつか私に追い抜かれ、置き去りにされるという才への恐怖が、兄の心になければ········あの優しかった兄上の心が、鬼という外道へ歪むことはなかったのだろうか』

 

 

骸骨の剣士は、そっと己の皮のない掌を見つめた。

 

その指先は実の兄に裏切られ、それでもなお兄を愛し続けた········一人の人間のあまりにも小さな、しかし途方もない願いを宿して震えていた。

 

 

『私は、神の寵愛など欲しくはなかった。人が言う天下無双の剣など、天賦の才など、そのようなものはどうでもよかったのだ········私はただ、兄の隣で、静かに双六や凧揚げなどをして暮らしたかった。ただ、それだけで良かったのだ········』

 

「················」

 

 

最後に聞こえた声は、天から降り注ぐ陽射しによって蒸発するように消えていっていた。

 

それでも、リンクには確かに聞こえた。

 

───心苦しい。

 

その言葉に込められた、気が遠くなるほどの孤独と哀切。

 

耳に入ってきた言葉の細部は分からずとも、リンクには痛いほどに伝わってきた。

 

目の前の剣士がどれほど過酷な宿命を背負い、どれほどの哀しみを胸に抱いて、亡霊となってなお、現世に留まり続けているのかを。

 

 

「················ッ!!」

 

 

リンクの驚愕はやがてこの剣士への深い畏敬と、その胸に渦巻く宿怨への静かなる『覚悟』へと昇華されていく。

 

対して、骸骨の剣士は再び虚ろな眼窩を真っ直ぐにリンクへと向けた。

 

その奥には先程までの哀切を押し殺した、確固たる“師”としての光が宿っている。

 

 

『だが、今のままではまだ足りぬ。お前はまだ私の呼吸の真なる技、その特殊なる使い方の全てを会得してはいない。まずは現柱達の元へ向かい、その呼吸を片時も絶やさぬ『常中』の練度を極限まで高めるが良い。お前が真にその火を灯すに値する強固な器を完成させた時、私は何度でもお前の前に現れよう』

 

 

骸骨の剣士はゆっくりと刀の柄に手を当て、別れの門出を告げる。

 

 

『我が呼吸を真に会得するため、また会う日まで日々の鍛錬を怠るな·········行け、異邦の勇者よ。我が呼吸術の継承者達が、お前を待っている』

 

 

その言葉を最後に、

 

白き空間が、枯山水の砂紋が。

 

あるいは赫い着物の骸骨の剣士の姿が、陽光に溶ける霧のように淡く、静かに消えていく。

 

そこで二人の剣士が言葉を超えて如何なる刃を交わし、数百年前に潰えたはずの『始まりの呼吸』の真髄が如何にして異界の勇者へと受け継がれていくのか。

 

 

───それがこの世界の歴史に如何なる奇跡をもたらすのか。

───それが詳細に語られるのは、まだ、少し先の話となる。

 

 

そして、

 

現実の時は、元に戻ろうとしていた。

 

 

 

□■□■□■

 

 

 

陽光が斜陽へと傾きかける昼下がり。

 

産屋敷邸には張り詰めた静寂が満ちていた。

 

庭に広がる木々の葉擦れだけが、昼の空気を僅かに揺らす。

 

病魔に侵され、既にその瞳の光を完全に喪失した当主の産屋敷耀哉は、寝衣の内に痩躯を横たえながらも、お告げを聴くかの如き静謐な面持ちで虚空を見据えていた。

 

その枕頭に平伏する妻、あまねが懐中より取り出したるは、狭霧山の鱗滝左近次より届けられた一筆である。

 

あまねは全てを正確に伝えるという思いを抱くように、しっかりとしたその指先で書状を捧げ持ち、格式高き声音でその文面を読み上げていっていた。

 

 

「───此度の事変、実に怪異と言わざるを得ず。異国の隊士、リンクなる者は『上弦の壱』によって“()()()()()()()()()()”の手により致命の重体に陥りながら、数日の内に我らの想像を絶する驚異的なる峻烈さを以て息を吹き返しました。如何なる加護、如何なる術を用いれば、これほどの回復が可能となるのか。到底凡夫の智慧の及ぶところに非ず·······と」

 

 

読み終えたあまねは書状を畳の上に滑らせ、その端正な眉を深く、深く顰めて耀哉を見つめた。

 

その瞳に宿るのはただの驚愕ではなく、引き裂かれるような悲痛の念であった。

 

 

「耀哉様。元柱である鱗滝様の困惑もさることながら私は·······素直に申し上げれば胸が締め付けられる思いです。彼の任務は調査で終わるはずだったのに、その場に現れたのが『古の呼吸の使い手』であり、さらには全ての鬼の中でも別格の異形────上弦の壱。その絶対的なる絶望の前に同行していた隊士が屈し、あろうことか鬼へと堕ちてしまったなどと。鬼殺の誓いを裏切り、牙を剥いた我が子の手によってリンク様は骨肉を砕かれ、死の淵へと追いやられた。その肉体の苦悶はもとより信じた者に背かれた彼の魂の痛撃を想うと、あまりにも残酷に思います············」

 

 

あまねの言葉は裏切りという名の業の深さと、リンクが受けた理不尽なる心の傷への祈りに震えていた。

 

当然だろう、一度は歴史の闇へと葬り去られたはずの『呼吸の剣士』が時代を超えて、しかも自分達にとって希望とも言える存在であるリンクの前に現れたというのだから。

 

それだけではない。

 

その鬼によって、耀哉が愛した子供の一人が鬼へと変えられた。

 

しかもその者は裏切りを証明するようにリンクを背後から奇襲、その身に致命傷を負わせたのだから絶望どころの話ではない。

 

リンクの心が折れないか心配だったのだ。

 

けれど、

 

 

「案ずることは、ないよ···········あまね」

 

 

耀哉の唇から漏れた声は静水に広がる漣の如く、そして有無を言わせぬ慈愛に満ちていた。

 

その声には、自分の一族の宿命の全てを見通した預言者の如き絶対の確信が宿っている。

 

 

「私の子供の、裏切り。そして、上弦の壱という、我が一族、鬼殺隊にとっての、もう一つの汚点。それらは確かに、彼に傷を負わせた···········しかしね、あまね。彼は必ず、その絶望を乗り越えて、戻ってくる」

 

 

もはやいつその息が途絶えてもおかしくない。

 

けれども耀哉には神のお告げに等しい確信がある。

 

彼が絶対に戻ってくるという、その確信を。

 

 

「以前、病の苦痛の底で私が視た、あの“()()()”を覚えているかい? 私があの世と見違えるほどに、美しく、苦しみもない世界で会った、あの“光り輝く人”が··········語ってくれた。彼の、伝説を」

 

 

耀哉は僅かに腕を起こし、その何の像も映さない瞳と共に天井の闇へ向けた。

 

 

「あの人は、私に天啓を授けてくれた。リンクという剣士は、一度世界が悉く瓦解し、信頼せし英傑達を失い、自身もまた死の淵を彷徨いながら、百年の長き眠りを経て、再び不屈の精神で大地に立ち上がった、まさに“()()()()()”なのだ、と。彼の肉体には、私達の理解を拒む、異界の超技術が刻まれており、百年前の勇壮なる姿のまま、時の運行が完全に凍結されている··········とね」

 

 

耀哉のその掠れた声は徐々に熱を帯び、その想いはやがて絶対的な希望となる。

 

 

「鬼の、呪わしき血肉に、一切頼ることなく、ただ己が人の尊厳のまま、不老の域へと至った、奇跡の人間。裏切りにあっても、決して折れることはない、強固な命の器が、彼には備わっている。その真実を、私はあの医者の鬼───“珠世さん”へ、伝えたんだよ。因縁の相手、無惨を確実に葬るため、ずっと研究していた彼女にとって、鬼にならずして不老を体現し、闇を跳ね除ける彼の存在は、まさに闇夜を切り裂く、『希望の光』に他ならなかった。だからこそ、彼女は我々と共に、鬼を滅する鬼殺隊と手を携える決意を、してくれたんだ」

 

 

耀哉は苦しそうに咳をし、長く話しすぎたことで喉に溜まっていた血を吐いた。

 

その刹那。

 

静寂を切り裂く羽音が、障子を激しく揺るがした。

 

乱暴に引き開けられた隙間から滑り込むように突入してきたのは、あの竈門炭治郎の鎹鴉、“天王寺松右衛門”であった。

 

松衛門は普段の傲岸不遜な態度を完全に排し、主宰たる産屋敷耀哉の威厳に深く平伏しながらも、その激しい気性を引き絞ったような緊迫感のある声音で言上した。

 

 

「伝令! 伝令ィィイ! リンク、五体満足、傷モナシ! 現在、水柱デアル冨岡義勇、並ビニ竈門炭治郎ノ三名、付近ノ店中ニテ、()()()()()()()()()()()()()()()()()、水柱ノ説得ヲ継続中! 継続中ゥゥウッ!!」

 

 

その一言一句に私情を挟まぬ真摯な報せを聞き、耀哉の病魔に屈しないその顔に至高の笑みが浮かんだ。

 

 

「ほら··········言っただろう、あまね。私達が紡いできた、そして彼が運んできてくれた『希望の灯火』は、これしきのことでは、決して消え失せることは、ないのだから。そうか、よく報せてくれたね。苦労を、かけた」

 

「ケケケッ」

 

 

耀哉の労いの言葉を受けると、松衛門は深く一礼して役目を果たした気高き伝令者の如く、昼下がりの青空へと再び羽ばたき去っていった。

 

静寂の戻った部屋。

 

 

「··········ところで、あまね」

 

 

そこで耀哉は顔をあまねへと向けた。

 

その表情には先刻までとは打って変わり、どこか呆気に取られたような微かな困惑の彩りが混じっていた。

 

数刻前まで致命の重症、死の淵にあると誰もが信じて疑わなかった男が、大正の長閑な蕎麦屋で水柱達と大層な勢いで箸を動かしているという。

 

そのあまりに世俗的で緊迫感とは程遠い光景を脳裏に思い描いた耀哉は、小さく息を漏らした。

 

 

「死の淵を彷徨っていたはずの、彼が··········何故、炭治郎と義勇と一緒にいて、そのような事を、しているのだろうね」

 

「····················」

 

 

その微かな拍子抜けの言葉に、あまねもまた張り詰めていた心の緒が不意に緩み、真顔を浮かべざるを得なかった。

 

本当、何故だろう?

 

 

 

□■□■□■

 

 

 

ならば語らないわけにはいかない。

 

きっかけはまず目を覚そうとする瞬間に起こった。

 

 

「────!!」

 

 

夢と現実、精神と物質の狭間の領域が、陽炎の如く揺らぎ霧散していった。

 

 

「───!! ───ん!!」

 

 

骸骨の剣士の遺した想いが遠退く中、リンクの意識は底知れぬ騒めきの底から、現世の地平へと急速に引き戻されつつあった。

 

 

「────ンクさん!!」

 

「····················?」

 

 

意識が現世の肉体へと戻ろうとするその瞬間、

 

混濁した意識の隙間を縫って、何処か遠くから必死に自らの名を何度も呼ぶ声が鼓膜を叩く。

 

その声は世界を裂くかの如き切実さを伴って、次第に大きく、というかかなり響き渡っていった。

 

 

「リンクさぁぁぁあああああああああんッッッ!!!!!」

 

「〜〜〜〜ッ!!!??」

 

 

鼓膜が破れるようなその叫びに、リンクの瞳が弾かれたように見開かれる。

 

眼前に広がっていたのは先程までの光景ではなく、陽光を遮るように青々と生い茂る竹林の中であった。

 

未だに精神世界の余韻にその身を強ばらせていたリンクの視界に飛び込んできたのは、かなり汗まみれの情けない顔でこちらを見下ろす───竈門炭治郎の姿であった。

 

 

「え? 何で、ここに········?」

 

「それはこっちの台詞ですッ!!」

 

 

ずっと叫んできている炭治郎の姿は、痛々しいに尽きる。

 

その右脇には木製の松葉杖があり、街へ甘味を買い求めに赴いた帰り道であったのか、しかしその最中に地面に無防備に横たわっているリンクの姿を目撃し、狂わんばかりに彼の名を連呼していたのだ。

 

リンクが奇跡の覚醒を果たしたその瞬間、炭治郎の内に張り詰めていた身を焦がすような心配が一気に吐き出される。

 

その執念深い追跡によって今もなお説得を続け、あの水柱でさえも疲弊してしまうほどの凄まじい真っ直ぐな熱量が容赦なくリンクへとぶつけられる。

 

 

「どうしましたかリンクさん!? 行方不明と思ったらこんなところで寝ていて!? 俺、ずっとずっと心配してたんですよ!? 一体何があったんですかッ!?」

 

「え!?」

 

「今までどこにいたんですか!? 義勇さんの屋敷に続く道の真ん中で寝ているなんて、一体どういうことなんですか!? 説明してくださいッ!!」

 

「いや、あの············」

 

「何があったんですかリンクさん!? リンクさん? リンクさんッ!!!!!」

 

 

周囲の空気を震わせるほどの力強い詰問と、怒濤の如き心配の連撃。

 

その余りの勢いと一切の隙がない畳み掛けに、さしものリンクもこの先で待ち構えている水柱が味わったであろう圧倒的な『恐怖と辟易』を、その顔に浮かべざるを得なかった。

 

あまりの剣幕に思わず身を退きながら、両手を振って応戦する。

 

 

「ちょ!? ちょっと待って!? 一回落ち着いて!?」

 

「何があったのか説明してくれるまで逃しませんよ!! リンクさぁぁぁぁああああああああああんッッッ!!!!!」

 

 

竹林に木霊する少年の絶叫は天を衝くほどの切実さに満ちていた。

 

その迷惑極まりない騒音は静謐なる竹林の木々を激しく揺らし、一瞬にしてリンクを現実の日常へと引き戻していく。

 

 

 

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