鬼滅の伝説   作:織姫ミグル

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序章
第一章


 

 

波の音が聞こえていた。

 

むせかえるほど濃厚な汐の匂いがする。

 

目の前の崖の下から反響してくる波音は夜にしては激しく、荒々しかった。

 

乾燥し、ひび割れた地面を蹴って、赫灼髪の少年は石柱の影に飛び込んだ。

 

 

「はぁ、はぁ·······」

 

 

背を岩陰につけて息を整えながら、周囲に注意を払う。

 

 

「スゥー、ハァー」

 

 

呼吸が落ち着いてきたところで、少年はもう一度周囲に視線を巡らせる。崖の下に押し寄せる激しい荒波音だけが聞こえてくる。それさえも、頭上、はるか遠くから聞こえてくるのみである。だが、今回の標的の場合は気を抜くことができない。

 

 

「来た!!」

 

 

そう叫びながら腰にある黒い刀を抜き放ち岩陰を飛び出した。呼吸を整えて全ての感覚を研ぎ澄ました少年でも、ほんの直前まで気配を察知するのが遅れてしまった。

 

微かな振動を起こした直後、それは上から降ってきた。

 

崖の土や砂、小石が舞い散り土煙が立ち込める。

 

最初に目についたのは頭から生えている二本の角。そして異形の体。体を抉り取るための鋭い爪。人の二倍はありそうな巨体に加え、その巨躯を支えるために発達した脚。

 

どれをとっても、それは昔から恐れられている『鬼』の名を冠するに相応しい異形の化け物だった。

 

 

「鬼狩りか·······」

 

「申し訳ないが·······覚悟してくれ」

 

「舐めるなよ、小僧ォォォォォオオッ!!」

 

 

腹の底から全身を震わせるようにして吼える。

 

あれだけの巨体を使っているだけあって凄まじい音量だ。それでもまだ全力でない。少年は押し寄せる雄叫びの音を切り裂くようにして突き進む。もし全力で振り絞って、鬼だけが使う『異能』なんて使われたら、今頃その力に圧倒され一瞬にして体がバラバラになっていたかもしれない。

 

少年は相手の動きを見ながら間合いを詰める。

 

駆け寄ると同時に襲いかかるその巨体に向けて黒刀を振り上げ叩きつける。水のようなものを巻き上げながら猛然と黒刀を振るう姿は、とても美しかった。

 

しかし、少年の振るう斬撃を気にもとめず、その大きく発達した巨体は生半可な攻撃を弾き返すほど頑強だった。

 

巨体を生かして全身を引き裂こうとするその爪に合わせるように、少年の動きはさらに鋭くなった。

 

斬りつけ、突き、斬り上げ。

 

型を基本として流れを忠実に掴む少年は攻撃をいなしていく。

 

 

「くっ!?」

 

 

距離がなくなった化け物は腕を無造作に振るい、後ろに滑るように飛んだ。少年はもちろん逃すつもりはなく、あたりにたたきつける気合いと共に、その黒い刀身が閃き斬りつける。

 

体重の乗った一撃。

 

黒刀の重量と勢いを受け止めながら、両足は素早く体重を移動し、爆発的な勢いで地面を蹴り前進する力を生み出す。

 

足から腰へ、腰から背を通り肩、そして肩から腕を通る瞬間腕力を上乗せして、全身を使った突きを繰り出す。その様子は波紋のように広がる。

 

突きが終われば、大地を蹴り付けた足は途端に地面に吸い込まれる水のようにガッチリと捕まる。こうなれば少年の体は少しも揺るがない。そして突き出した刀を握り直し、全身の力を振り絞って伸び上がるように斬り上げる。

 

 

「水の呼吸、捌ノ型────」

 

 

斬り上げた体勢から即座に体の周囲を振り回すようにして遠心力を加えると回転し、そこから手首を使って切先を捻るような小さく素早い二連撃を繰り出すと、化け物が怯んだ隙に力一杯振り上げそして滝から流れ落ちる水流の如く、自らの体重を全て乗せ、無防備となったその『頸』目掛けて叩きつける。

 

 

「“滝壺”!!」

 

「ガ、アァァァァァアアアッッッ!!!??」

 

 

決着はあっという間についた。

 

まさに水のように変幻自在。

 

崖っぷちにまで追い込んだ化け物の頸と胴体は切り離され、その巨体は次第に崩れていく。

 

どうやら異能の者ではなかったようだ。

 

比較的簡単に終わらせられたと感じた少年はその黒い刀を鞘に納め、背中に背負っている木箱の底を優しく叩き声をかける。

 

 

「大丈夫だったか?」

 

 

その声に反応したのか、木箱の中からガサガサという引っ掻き音が聞こえてきた。それを聞いて少年は安心したのか優しい笑みを浮かべる。

 

そして無事任務を終えた少年は屋敷に戻ろうとする。

 

 

「······許さん」

 

「!!」

 

 

その声に視線を向ける。

 

もう崩れ去る直前の化け物が奥歯を噛み締めガチガチと歯軋りをし、片方だけ残っている目でこちらを睨みつけていた。

 

 

「よくも······よくもォッ!!」

 

 

切り離された、まだ意識が繋がっている肉体が動いたことに気づかなかった少年は、反応が遅れながらも帯刀していた刀を抜こうとする。

 

直後だった。

 

 

「ただでは死なんぞ! 小僧ォォォォォオオッ!!」

 

 

断末魔にも似た叫びと共に、その頸なしの巨体が襲いかかってきたと思ったら、その体の節々から『真っ黒な何か』が噴き出してきた。

 

 

「黒い霧!?」

 

 

気づいた時には遅かった。吸い込んでしまった直後、全身を弛緩させ刀の重みに引っ張られるようにして地面に膝をついてしまう。濃厚な霧は辺り一帯を覆いつくし、目と鼻の先すらも見えないくらいに広がっていく。

 

 

(血鬼術!?)

 

 

異能の力を持っていないと思っていたが、思い違いだったか。いや、そんなはずはない。戦っていた最中そんな素振りを見せなかった。おそらく死に際で発現したのだと思われる。

 

何にしても少年はこれ以上は吸うまいと手で口と鼻を覆うが、一度吸い込んでしまったことで体が思うように動かない。

 

その次の瞬間────濃厚な霧の向こうから少年の眼前に化け物の爪が迫っていた。

 

 

「!?」

 

 

少年は反応が僅かに遅れてしまい、咄嗟に体を捻って回避しようと試みたものの右脇腹から左肩に向けてその鋭い爪が差し込まれ、皮膚を抉りながら切り付けられた。

 

 

「ッ!?」

 

 

痛みで体が強張る。

 

衝撃で体が宙に浮く。

 

 

「くっ!! ウオォォォォオオオッ!!」

 

 

少年はカウンターとして刀を振るってその巨体を斬り裂き、急いで刀を地面に刺して吹き飛ばされるのを防ぐ。

 

その瞬間、今度の今度こそ化け物の体は消え去り、そして周囲に展開されていた霧も晴れていった。胸が痛む。胸骨は無事みたいだがその前の肉は抉り取られて出血していた。

 

 

「はぁ、はぁはぁ······」

 

 

少年は神妙な顔で全神経を研ぎ澄ませ、体の隅々まで神経が行き渡ると、破れた血管の正確な位置を感知した。血管が大きく脈打つ音が聞こえる。全神経を負傷した血管へ集めると、呼吸を集中させて破れた血管を塞いでいく。

 

異変を感じたのは、その直後だった。

 

全神経を身体中に集中させたせいだろうか、背中にあったはずの重みが、感じられない。あれほど慣れ親しんだ感触が消えていて、何よりも静かだ。

 

静かすぎる。

 

まるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「······え?」

 

 

恐る恐る背中に手を回す。

 

その先には何もなく、手のひらは虚空を通り抜ける。

 

心臓がバクバクと大きな音を立てて早鐘を打ち始めるが、それとは正反対に声が出なくなっていく。

 

 

「嘘······嘘だよな?」

 

 

自分の声ではないようだった。もはや何を言っているのか自分でもわからない。いくら腕を伸ばして触ろうとしてもそこには何もなく、いくら呼びかけても返事はない。

 

霧が完全に晴れた。

 

それを合図にパンパンに膨れ上がっていた少年の不安も爆発した。

 

後ろを、どこを見渡しても、大切な木箱は見つからない。

 

 

「どこにいるんだ!? 返事をしてくれ!!」

 

 

それまでとは一変して、少年は手に持っていた刀を落とし、焦るように辺りを探し回った。けれど影一つ見つからない。知らぬうちに、少年の目から涙がこぼれ落ちていた。

 

その瞬間、少年は悟った。

 

起こってはいけないはずのこと、決してあり得るはずのない事態が起こったのだと。

 

これまで感じたことがなかった絶対的な喪失感が、容赦無く襲いかかってくる。

 

少年はガタガタと震え始める。歯の根が合わない。全身の力が抜けていく。世界が歪み、空が地面に、地面が空へと反転していく。

 

崖の向こうでは、水平線の遥か彼方から日の頭が昇り始めていた。そんなことを気にする余裕がないほど少年はその現実に打ちのめされ、地面に崩れ落ちながら、それでも叫ばずにはいられなかった。

 

 

「う、嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だぁぁぁぁぁああッ!!」

 

 

絶叫。

 

 

「“禰豆子”ぉぉぉぉぉぉおおおおおッッッ!!!!!」

 

 

その慟哭も、波音に吸収され消えていく。

 

世界はどこまでも残酷だった。

 

この日、少年はたった一人の大切な家族を失い、その世界に一人取り残されてしまった。

 

 

 

□■□■□■

 

 

 

見える範囲、全てが白で覆い尽くされていた。

 

濃密な霧が彼を包み込み、視界を阻んでいたのだ。

 

何も見えない。

 

一瞬で前後左右が白で塗りつぶされ、しばらく経つと上下の間隔さえ疑わしいものになってくる。加えて、ここはとても寒く感じ、冷気が皮膚の感覚を狂わせる。

 

体のあちこちが痛む、痛む感覚はあるものの消耗が進みすぎているのかどこがそもそも傷んでいるのかわからなくなりつつあった。

 

相変わらず視界は晴れない。そんな中で、自分の格好がいかに場違いなのかを考えて白い息を吐く。

 

まず目立つのが空のように青い生地で作られた衣。その下に着ているシャツの生地は紺で、その上に数多くの調査のために出向いた先で傷んでしまった部分を補強するために肩当てなどで耐久性を上げている。顔は見えないように目深くフードを被っている。

 

普通の人間が纏う服装とは思えないほど麗々しく、しっかりとした装備だった。

 

青年は、言ってしまえば特別だった。

 

青年は各地を旅し、ある目的のためにこんな辺境の地を歩いていた。

 

その目的とは。

 

 

「ウォォォオオオオッ!!」

 

「······」

 

 

霧の中を突き抜けて、強力な殺気が彼に叩きつけられる。

 

剥き出しの殺意。

 

そして獲物を狙う目。

 

眼前に迫り来る危機感を感じながらも彼は唯一確かな物に手を伸ばす。

 

自分の背に携えた『剣』の柄。

 

それは全ての不浄を祓う退魔の剣だった。青い鳥が翼を広げたような形状をした鍔とその中央にはめ込まれている菱形の宝石、剣身の根元のやや幅が広い部分に刻印されているのは王国の伝説、万物の理すら捻じ曲げ手にした者の願いを叶える万能の力と言われている『聖なる三角形』

 

神々しい退魔の剣を鞘から抜き、同時に紅き鳥の紋章の意匠が施されているヒーター型シールドを空いた手で持ち、身構えながら横に転がる。ほとんど直感で動いた行動であった。

 

直後、彼がいたはずの場所を圧倒的な重量を持った何かが殴りつけた。空中に漂う濃霧がそれによって切り裂かれる。

 

人型だった。

 

霧によってその影を明確に捉えることはできない。気配は感じるというのに肉眼で捉えることができない。目の前の僅かな動きを捉える。厚い濃霧の奥から見計らったかのようなタイミングでその影が飛び出してくる。

 

相手の狙いをずらすため、あらかじめ彼はバク転して回避した。

 

直後、世界が静寂に染まる。

 

彼を中心にして、世界の流れそのものが止まったように感じる。彼だけがそこを自由に動けるかの如く、その無防備に伸ばされた影に向かって、青年はその輝く刃を振り下ろす。

 

 

「シェアアアアアアアアッッッ!!!」

 

 

濃霧を切り裂くような声を上げながら振り下ろされた蒼い刀身は、吸い込まれるようにしてその異形の者の両腕を斬りつけ、

 

 

「ぐあァァァアアアアアアッ!?」

 

 

瞬間、朧げながらも自らが相対していたものの姿が濃霧の向こうにぼんやりと浮かび上がっていた。

 

人型ではあるものの、異形の姿をした怪物。

 

報告通りだ。

 

監視砦に集まってきている報告書とほとんど似た姿をしていた。その姿は個体差はあるものの、犬歯とは全く別物の鋭い歯が生えている。そして頭に生えている角のようなもの。魔物らしい見た目はしているが、どうやらこいつらは人語を操るという。何より、最大の特徴はその再生力。各地に派遣されている調査隊や討伐隊達からの報告によると、こいつらに通常の武器は効かないらしい。支給されている武器で斬っても即座に再生する。

 

そんな奴らが数日前から各地に出現したという。

 

その生態はまだ調査中のため、ほとんどわかっていない。

 

だが、弱点らしきものは判明している。

 

わかったのは、対峙していた調査隊が夜間のみ出現するスタル系と戦っていた時の出来事だ。スタル系は単体では弱いが、複数で現われるとそれぞれの頭部を全て破壊しないと復活してくる面倒な魔物で、その対処のために武器や弓を消費してしまうのも勿体無い話だ。夜間に調査をしていた彼らは、スタル系の魔物に襲われ、いつものように『カガヤキの実』で一斉撃退しようとした時、偶然こいつらが現れたという。襲われた当時、無論彼らは応戦したがこいつらに通常兵器は効かず、いくら攻撃しても再生し、対策法がわからず何人もの調査隊が重傷を負ったが、その時スタル系に有効な『カガヤキの実』を落としてしまって辺り一体に輝きを放ち、その瞬間にこいつらの体はスタル系の魔物と同じく跡形もなく消え去ったとのこと。

 

これが唯一の対抗手段であり、すぐさまその情報は共有され、外出の際は必ず『カガヤキの実』は常備するようにと通達されている。

 

そして、奴らには共通点がある。

 

それは服装だ。

 

カカリコの『シーカー族』達が着込んでいるような服を身につけていることから、何か関係しているのではないかと思われたが、現状関連性は不明。

 

何にしても、人を襲うのであればそいつらは害獣であることは間違いない。

 

調査隊はその魔物の生態を調べると共に、即座に退治することを命じられた。

 

今回もそう。

 

青年はこいつらを倒すために夜間ここにやってきて、そしてここでまたわかったことがある。

 

こいつらには、自分の持つ『退魔の剣』は有効であるということ。

 

兵器類は効かないとばかり思っていたが、『カガヤキの実』を当てるために怯ませようと腕をぶった斬ってみたところ、どういうわけか腕は再生しなかった。

 

瘴気の魔物と同じだった。

 

こいつらと対峙する時、退魔の剣が覚醒して刀身に破魔の輝きが灯った。そして斬りつけてみたところ、その魔物は異様に苦しみだし、斬り離された腕は塵のように消えていった。

 

嬉しい誤算だ。

 

兵器は通用しないと思っていたが、退魔の剣は有効であることが証明された。

 

では、あとはカガヤキの実なしでどこまでやればこいつらを倒すことができるのか、生態調査のために今ここで確かめるのも悪くない。

 

 

「ま、待て!! 待ってくれッ!!」

 

「?」

 

 

怪訝そうな顔をする青年に、魔物はない両腕を上げて怯えながら話しかけてきた。

 

 

「悪かった! 悪かったって!!」

 

「······」

 

「俺もどうかしてたかもしんねぇ! もう、どうしようもないくらい腹が減ってたんだよ!! ここに来てからずっと喰えてなくて、喰おうにもなんか訳のわかんねぇ木の実投げつけてきて仲間は一瞬で消えちまうし、慎重になるのは当然だろ!?」

 

 

青年は正直戸惑っていた。

 

人語を操るとは聞いていたが彼は魔物と話したことはなく、こんなことは初めてのためどう反応したら良いのかわからなかったのだ。

 

一先ず、青年は慣れないながらもその魔物とコミュニケーションを取ることにした。

 

 

「お前達は何だ? どこから来た?」

 

「し、知らねぇ! 気付いたらここにいたんだ!! 『鬼狩り』に襲われて死にそうになった中、急に体から黒い変なものが噴き出して、次に目が覚めた時にはここに!!」

 

 

黒い何か。

 

その単語が妙に気になるが口ぶりからしてこいつも知らないのか。

 

何にせよ、先ほどの会話でわかったこと。

 

こいつらはどうやら人を喰うらしい。魔物が人を襲うこと自体別に珍しくはないが、人語も理解し、知能がここまであるとなるとそこらの魔物よりも厄介だ。幸いにも対策法がわかっているとはいえ、放っておいたら被害が拡大する。

 

青年はゆっくりとした動作で剣を天に掲げ、それに気付いた魔物は目を見開きながら命乞いをする。

 

 

「ま、待てよ、待て待て!! わかった! わかったよ! 抵抗はしねぇから────」

 

 

青年はその言葉に耳を傾けず剣を振り下ろす。

 

ザシュ!! という肉を斬り裂く音と共に、魔物は驚いたように自分の両足を見る。

 

 

「ァァああああああああああああああああああッ!?」

 

 

激痛に叫び、地面に転がるようにして踠き苦しむ。魔物の近くには斬り離された両足がある。魔物は赤黒い血を噴き出す肉体に苦しみながら目の前の青年を睨む。

 

 

「て、抵抗しねぇって言ったろう、が────ッ!!」

 

 

その時、魔物は気付いた。

 

表面に見える以上の圧倒的な恐怖を。

 

青年は真顔ながらもそこから滲み出る殺意によって魔物を黙らせる。

 

 

「······生憎、魔物の命乞いに応えてやる道理はない」

 

「ッ!?」

 

「お前達が人を襲うのであれば、俺達は例外なく倒すまでだ」

 

 

青年は剣を構え、魔物に幾度もその刃を振り下ろす。

 

肉が裂けて骨が切断される音と、単なる絶叫以上の雄叫びのようなものが炸裂した。

 

 

 

□■□■□■

 

 

 

数分後。

 

塵となって服だけが残された魔物を眺めながら、青年は退魔の剣を背中の鞘に戻した。その身に傷は一つもない。彼は騎士の家系に生まれ、幼少時、それも四歳の時点から大人をも打ち負かす程の類稀なる剣才と、鍛錬による非常に高い実力を持っているため、この程度の魔物など草木を処理するに等しい。

 

その才能ゆえに注目もされやすく、周囲の模範となるよう自身を律し続けたせいで感情を表に出せなくなっていたが、『記憶喪失』になったおかげでその性格は緩和され、今では結構ノリのいい好青年へと生まれ変わっているものの、敵に対しては容赦をしない一面を持ち合わせている。

 

よって彼はその魔物が退魔の剣でどこまでやれば倒せるか実験してみた結果、身体中にその魔物の返り血を浴びてしまった。

 

彼は自分の身を見回して再確認してみて、何となく臭気と粘ついた赤黒い液体に不快感を出した。洗えば落ちるだろうが、それでも不快感は拭えない。この服は、『大切な人』の自らの手によって仕立てられたものである。それを汚したとなるとすごい罪悪感を覚える。

 

霧が濃い夜の大地を歩いていると、どこかから川が流れる音が聞こえてきたため、音を頼りにそちらへ向かい、川岸に辿り着くと衣服を脱ぎ始める。

 

フードを脱ぎ、その青年の整った顔がようやく姿を顕す。

 

異様な右腕も現れ、その手で衣服を掴むとザブザブと水に晒す。

 

汚れを落とすために丁寧に洗い、近くの枝に衣服を干すと寒さを凌ぐために近くの枝を拾っては一箇所に集め、火打ち石をポーチから取り出すとそれを砕いて火花を散らして焚き火をおこす。

 

そして体を洗うために川に入って水浴びをし、ついでにそこに泳いでいた魚を慣れた手付きで手掴みで捕ると焚き火で炙る。

 

魚が焼かれるのを確認しながら青年は先ほどの魔物について考える。

 

結論から言えば、全く脅威ではない。

 

退魔の剣で他に弱点はないか何箇所か斬って調べてみたが、内臓などは人間と同じで、生物の核とも言える心臓を潰してみても死なず、どこを斬っても苦しむだけで死には至らなかった。けれど、首辺りを斬ったらその魔物は今まで以上に苦しみ、塵となって消えていった。

 

では奴らの弱点は首か?

 

通常兵器でもそこを斬り落とせば通用するのか?

 

だが今ではカガヤキの実という現状最適な有効手段もある。しかしあくまでもあれは木の実だ。採れる場所も量も限られてるし、調達には時間がかかる。

 

倒すために、さらなる調査が必要だ。

 

と、考えていると香ばしい匂いが鼻腔を刺激し、青年は焼かれた川魚を手に取る。

 

────そんな時だった。

 

川を眺めながら魚に食いつこうとした矢先、視界の端に何かがちらりと見えた。

 

何かが川岸に流れ着いていたのだ。

 

それは長方形の木箱で、見た目からしてかなり丈夫に作られている。

 

 

「······?」

 

 

青年は一度串付きの焼き魚を焚き火近くに刺し、その木箱に近づいてみる。

 

見たこともない材質にデザインだ。補強のためか黒い金具が取り付けられている。片開きの取っ手付き扉があることからおそらく大切なものをそこに入れて背負って運ぶのだろうが、紐が千切れているためそれは無理そうだ。

 

青年は好奇心からついその箱を持ち上げるが、異様に重かった。

 

······中に何かまだ入っている。

 

青年は恐る恐ると言った感じで中身を確認しようと、ゆっくりとその箱を開ける。

 

と、

 

 

「!?」

 

 

中身を見て驚愕した。

 

すうっと思考が薄れるのを感じながら、青年はどうにか口を開いた。ほとんど空気だけの掠れ声を絞り出す。

 

 

「お、女の子?」

 

 

中に縮こまっている少女は動かない。眠っているのか、長い睫毛に縁取られた瞼は閉じられ、両腕を曲げて静かな寝息を立てながら眠っている。だが目立つのは、その口元につけられている竹筒。何のためにそんなものをつけているかわからないが。

 

シーカー族のようなデザインの服を着ていることから、彼らと関わりがあるのか。

 

何にしても放っておけない。

 

周囲を見回したが、近くには自分が起こした焚き火があるくらいで、少女がこんなところに木箱の中で眠っている理由のようなものは見つからない。箱の現状からしておそらく、持ち主の元から切り離されたのだろう。

 

紐の切れ端を見ると僅かに血痕のようなものが付着していた。推測だが、これを背負っていた者が正面から襲われ、体ごと紐を千切られたのだろう。

 

だが考えるのは後だ。

 

少女の額に触れた瞬間、ひんやりとした感触が伝わってくる。

 

急いで寒さを凌げる場所まで連れて行かなくては。

 

あらかた乾いた衣類を身につけて食事を秒で終わらせると、

 

青年、“リンク”は。

 

奇妙な木箱で眠っている少女を抱え、拠点となる監視砦に向けて走り出した。

 

 

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