自分の恋愛相手となってくれるはずの女性の気持ちに対して全く関心を持たなかったと言う事実に気が付き、薔薇色の脱童貞計画が、自己嫌悪によって急速に色褪せていく感じがした。
急に黙り込んだ僕を見て、操さんは「しまった」という顔をする。そして、笑いながら僕の背中を強めに叩いた。
「キャハハハ、貞ちん、暗ーい!ほら酌をしろ!酌を!」
とわざと元気な声でふざける。
僕もバイト中である事を思い出し、気持ちを切り替える。
「何言ってんですか。生中に酌も何もある訳無いじゃないですか!」
とツッコミを入れる。
操さんは「あれ?」と言う顔で自分が持つビールジョッキを見ると、
「よーし!それならポン酒だ!ポン酒!大将!お銚子一本ぬる燗で!」
「あいよっ!」
大将はいつも通り活気のある声で返事をする。
暗く沈みかけた雰囲気が元に戻される様な感覚。流石は大将、店の空気をコントロールするその様は、まさに一国一城の主と呼ぶに相応しい!なんて心の中で賛辞を送りながら、自分も負けてられないと、
「日本酒なアテに鮎の塩焼きなんてどうですか?酒のサカナだけに」
渾身のギャグを言うが、逆に場を凍りつかせてしまう。
「貞、お前は今からダジャレ禁止な!」
と大将がツッコむと、操さんはギャハハハと腹を抱えて笑っていた。
その後も操さんはよく店に飲みに来た。
よく、なんてもんじゃ無いほぼ毎日の様に飲みに来ていた。
バイト初日には来ていなかったけど、それ以外、僕がバイトに来てる時は大体いた。そして、だいたい酔っ払っていた。
「操さん、毎日そんなに飲んで体大丈夫なんですか?」
と聞いた事もあったが、
「大丈夫!あたしゃ毎月病院で診て貰ってるからね!まああっちの病気の検査だけど!」
と言ってケタケタ笑っていた。
「もうっ!すぐふざけて誤魔化すんだから」
と悲し過ぎる自虐ネタに僕は小言を言うのが精一杯だった。
ある日、操さんは酷く酔っ払っていた。
まあ、いつも酔っ払っているんだけど、その日はいつも
「あー出勤嫌だー」
ってギリギリまで駄々こねてから
「遅刻だー」
ってバタバタ出て行く時間になっても、ずっと飲んでいた。
「あれ?操さん、今日は仕事いいんですか?」
疑問に思って聞いてみると、待ってましたとでも言わんばかりの勢いで、僕の胸ぐら掴んで前後に揺らしながら、
「貞ちん、聞いてよー」
と涙目で言う。
「分かりました。分かりました!聞きますから、揺らすのやめて下さい!」
と言うとやっと手を離してくれる。
僕は頭がクラクラしながらも、
「それでどうしたんですか?」
と操さんに話を振る。
「昨日店に行ったらさー、お贔屓さんがいてさー、しつっこくてさー、キレてさー、お母さんが2、3日休みなって!酷くなーい!」
と一気に喋ると、手に持ってた生中を一気に飲み干した。
なんか色々端折られてて、正直、意味があまり分からなかったが、操さんが働いてる店の店主の事をお母さんって呼んでるのは知ってたから、トラブルがあって2、3日休む様に店主に言われたと言う事は分かった。
「客がキレたって、操さん、怪我とかさせられなかったんですか?」
と心配になって聞いてみる。
「うー貞ちんは優しいねー」
と操さんはいいながら僕の頭を撫でている。
「でも、キレたのは私で、お客さんの方じゃ無いから安心して」
ととてもいい笑顔で親指を立てグッドサインをしている。
僕は撫でられながら
「キレたのはあんたの方かい!」
とツッコミを入れる。
操さんは「テヘッ」と舌を出した。
ここらでおにおふざけは止めにして、ちゃんと事情を聞こうと
「で、実際何があったんですか?」
と少し真面目なトーンで再度聞いてみた。
店はピーク時間を過ぎて、少し落ち着いてきた、大将もお得意さんの話し相手になってやれとまだ合図を送ってくれていた。操さんも、その様子に、少し居住まいを正して口を開いた。
「まあ、この仕事やってると日常っていうか、よくあることなんだけど…」
と前振りした後に彼女が話した内容をまとめると、ざっと次のようになる。
月に1,2回のペースで通ってくれる常連客がいるらしい。これが最近、やたらと常連客風を吹かせて、元々態度が悪くなっていた。まあ飛田の客も上級者となると週に2、3回通う人もいるらしく、そういう人は流石に極稀だけど、週1回、たまに2回通うって客は少なく無いらしく、この超常連客はダイレクトに売上に関わるので、太客と呼び、この客を繋ぎ止める為に店からも嬢からも特別扱いされるようだ。今回のトラブルの原因になった客は月1、2回通う程度の客だったので、一応常連扱いはされるが、太客扱いとまではいかないいわば準常連客と位置付けをされていたらしい。
しかし、たまたま操さんが太客に接客している姿を見てしまったらしい。嫉妬に狂ったその客はその太客に
「俺の女に手を出しやがって!表へ出ろ!」
と喧嘩をふっかけたらしい。
そこはなんとか店の人たち総出で宥めて、ちょうど帰る所だった太客には不快な思いをさせて申し訳ないと謝罪をした上で先に帰らせたらしい。男は宥められた後も腑が煮えくりかえった様子だったと。流石は操さんもプロ。その状態でも満足してもらおうと、接客を頑張ったそうなのだが、男は嫉妬心から、
「男なら誰でも簡単に寝やがって!この売◯が!」
と操さんを突き飛ばしたらしい。
そこで操さんはキレて、股を手の平で軽くポンと叩いて、
「そうだよ!私は売◯だよ!ここで飯食ってんだ!それを分かって抱きにきてんだろ!嫌なら帰んな!」
とすごい剣幕で啖呵を切ると、近くにあった箒で男を散々打ち据えた後、足蹴にして店の外に追い出してしまったらしい。
店や周りの客達は操さんの啖呵が聞こえていたからか、好意的だったが、客に手を挙げた以上何もお咎めなしという訳にはいかないという事で1週間の謹慎処分となったようだ。
「チックショー!1週間も謹慎食らったら、借金の返済どうすんだよー!」
操さんがクダを巻いている。
「飲まなきゃ、やってられるかー!」
結局、操さんはそのまま閉店まで居座り、飲みつぶれて寝てしまうのであった。