ただの諜報員モブ   作:クモリ・C・ドンテン

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 これで第一章は終わりです。
 
 今回はセイア様の予知夢のお話です。
 時系列としては『枯死』より前になります。


観測

 意識が、静かな海溝へとゆっくり沈んでいく。

 肉体から解き放たれた精神は、因果の定まらぬ深淵を漂う。人々は夢を過去の残滓や無意識の表出と捉えるが、私の見るそれは少しばかり質が異なる。私の眠りは、時折、未来の欠片へと繋がることがあるのだ。

 

 私が観測するのは未来そのものではなく、その断片。

 映画ではなく一枚のスナップショット。

 前後の文脈はなく、ただ結果だけが映像として網膜に焼き付けられる。

 

 未来は覆せない。予知夢は必ず現実に成る。

 しかし、その断片が持つ意味と、それが指し示す方角の解釈は私に委ねられている。

 

 故に、私は正確には預言者ではない。

 ただの孤独な観測者に過ぎないのだ。

 

 今宵もまた、孤独な上映会が始まる。

 混沌とした蓋然性の奔流が、やがて一つの像を結ぶ──。

 

***

 

 最初の光景は、ひどく穏やかで満ち足りたものだった。

 場所は誰かの自室だろうか。本棚に並ぶ革装丁の本、壁に掛けられた趣味の良い絵画。

 窓の外は夜の闇に沈み、室内に灯された間接照明の柔らかな光だけが二人の少女の輪郭を優しく縁取っている。

 

 桐藤ナギサと、御影(みかげ)ユリカ。

 二人は、誰もいない部屋の中心で静かにダンスを踊っていた。

 流れているのは、弦楽器の甘い旋律が印象的なクラシック音楽。

 二人は互いの手を取り、その調べに合わせて踊っている。

 

 その姿は、まるで湖面を滑る白鳥のつがいのように優雅で、完璧な調和を保っていた。

 

 驚くべきはその親密さだ。

 二人の間には物理的な距離以上に、精神的な隔たりというものが一切感じられない。

 

 ナギサは、私が知る崇高な意志を持った政治家としての顔ではなく、ただ一人の少女として、心からの信頼と安らぎを浮かべた表情でユリカを見つめている。

 対するユリカもまた、いつもの底知れない能力を秘めた刃のような瞳は形を潜めていた。

 彼女はただ穏やかに、そして愛おしげに微笑み、ナギサの瞳だけを見つめている。

 

 世界に、まるで二人しか存在しないかのように。

 くるくる、くるくると。二人は互いの視線を決して逸らさずに舞踏を続ける。

 

 それは、永遠に続くかのような閉じた円環の舞。

 

 この光景がどのような経緯を経て実現したのか、私には知る由もない。

 ゲヘナとの和解が成った後か。あるいは、全ての政治的しがらみを捨て去った未来か。

 

 どちらにせよ、このスナップショットが示すのは、二人の魂が完璧に融和した一つの到達点としての未来だ。観測者としてではなく、一人の友人としてこの未来の実現を願わずにはいられない。

 そんな感傷が、私の思考の片隅を微かに掠めていった。

 

***

 

 その穏やかな光景は、ガラスが砕けるように唐突に霧散した。

 次に私の意識が捉えたのは全く対照的な、白く、冷たく、無機質な空間だった。

 消毒液の匂いが鼻をつき、規則的な電子音が静寂を支配している。

 

 ここは病室だ。

 

 ベッドの上には白いシーツに包まれたナギサが眠っていた。顔色は陶器のように青白く、その腕には点滴の管が痛々しく繋がれている。彼女は生きている。だが、その生命はか細い糸でかろうじて繋ぎ止められているように見えた。

 

 そして、そのベッドの傍らにユリカがいた。

 正確には、そこにいたのはユリカの抜け殻だった。彼女はパイプ椅子に腰掛け、ただ虚ろな瞳でナギサの顔を見つめている。その横顔は、感情というものが根こそぎ削ぎ落とされたかのように無表情で、正視に堪えないほどの空虚さが漂っていた。

 

 一目で分かる。

 今の彼女には、もう何も残されていない。

 愛も、憎しみも、絶望さえも燃え尽きた後に残るただの白い灰。魂の燃え滓。

 

「……ユリカさん。少しは何か口にしないと、貴女まで倒れてしまうわ」

 

 見舞客であろう生徒がユリカの肩にそっと手を置き、案じるように声をかけている。

 しかし、ユリカの瞳は微動だにしない。彼女の世界は、もはやベッドの上で眠るナギサ一人で完結してしまっているのだ。

 

「大丈夫よ。犯人は正義実現委員会が総力を挙げて追っているわ。必ず捕まえる。だから……」

 

 ──その言葉がこの光景の文脈を私に教えた。ナギサは何者かに襲われてしまった。そして、ナギサを襲った事件の犯人はこの段階ではまだ捕まっていない。

 そして、ユリカはその事実を抱えたまま、こうして時間を止め、心を枯死させているのだ。

 

 やがて見舞客は諦めたように溜息をつき、静かに病室を去っていった。扉が閉まり、再び部屋には二人きりの静寂と無機質な電子音だけが残される。

 私は観測者としての役割に徹し、その後のユリカの様子をじっと見つめ続けた。

 

 彼女は動かない。泣きもせず、ただナギサを見つめている。

 やがて彼女はゆっくりと立ち上がった。その動作は、まるで古びたブリキ人形のようだ。ベッドの傍らに膝をつくと、点滴の管が繋がれていないナギサの左手を、まるで壊れ物を扱うかのようにそっと両手で包み込んだ。

 

 そして、その冷たい手を自らの額に押し当てる。

 ただ、それだけ。

 

 その姿は祈りですらなかった。

 それは、失われた体温を求めるだけの、ほとんど本能的な行為のように見えた。

 

 なんて痛ましい姿だろう。

 これ以上見ていられなくて、ふと視線を横に逸らすと──。

 

 病室の白い壁が、まるでインクを垂らした水のように、黒く、深く淀み始めた。

 無機質な電子音は遠ざかり、代わりに私の鼓膜を圧迫するような重い沈黙が空間を支配する。

 観測者たる私の意識は、またしても奔流へと引きずり込まれていく。

 

 抗う術はない。

 私はただ、流れ着いた岸辺の光景を受け入れるのみだ。

 

***

 

 ──風景が再び反転する。

 

 私は巨大な薄暗い空間の只中に立っていた。

 空気にさえ重みがある。まるで深海にいるかのように、膨大な圧力が全身を包み込んでいた。

 

 ここはどこかの執務室か、あるいは謁見の間か。

 床は大理石を磨き上げたもので、私の姿を朧げに映し返している。壁一面には天井まで届く書架が並び、膨大な知識が革の背表紙の奥で静かに眠っていた。窓という窓は分厚い天鵞絨のカーテンで覆われ、外界の光を一切拒絶している。

 

 権威の具現。実に分かりやすい。

 しかし、金や宝石で飾り立てた成金趣味の悪辣さとは異なる。

 ここにあるのは富や権力を誇示するための装飾ではない。空間そのものが持つ構造と、選び抜かれた素材が放つ存在感によって、この部屋に足を踏み入れた者の精神を無条件に屈服させようという、極めて計算された権威の劇場だ。

 

 私は呆れるのを通り越してある種の感嘆すら覚えた。

 これほどの空間を設計し、その意味作用の中に自らを置こうとする精神性は常軌を逸している。

 

『……っ!?』

 

 私の視線が宙を彷徨った、その時。

 視線は瞬く間に部屋の奥の壁に釘付けになった。

 思考が一瞬だけ凍りつく。

 

 そこに掲げられていたのは、ゲヘナ学園の校章が刺繍された巨大なタペストリー。

 そしてその両脇には、政治機関である万魔殿の紋章旗が幾つも壁から垂れ下がっていた。混沌と自由を標榜し、一枚岩になることなど決してないと思われていたあの学園に、これほどまでに強固な権力の集中を象徴する場所が存在したという事実に、私は戦慄を禁じ得なかった。

 

 その時、部屋の入口から一人の生徒が姿を現した。

 側頭部から生える湾曲した角が彼女の正体を証明している。黒い制服に身を包んだゲヘナの生徒だ。彼女は部屋に入ると寸分の乱れもない動きで敬礼し、磨き上げられた床を軍靴で打ちながら部屋の中央へと進んだ。

 

 彼女の視線は、部屋の最奥に立てられた一枚の衝立へと向けられていた。

 その磨りガラスのような絹地の向こうに、ぼんやりとした人影が揺らめいている。

 

「──報告いたします、閣下」

 

 生徒の声は緊張で硬質化していた。

 それに答えるように、衝立の奥から声がした。

 

 ──それは私の観測史上、最も魔性に満ちた声だった。

 熟した果実のような、聞いた者の理性を蕩かし、本能を支配する抗いがたい響き。

 

「聞こう」

 

 衝立の向こうの声は、まるで古の竪琴が奏でる調べのようだった。

 その一言だけで緊張に満ちていた謁見の間の空気が弛緩し、しかし同時に、より密度の高い支配のオーラで満たされていく。報告に来た生徒は、その声の魔力にあてられたかのように一瞬だけ陶然とした表情を浮かべたが、すぐに規律を取り戻し背筋を伸ばした。

 

「トリニティによる経済制裁の影響ですが、自治区内の石油備蓄は残り三ヶ月分を切りました。市民生活への影響は限定的ですが、軍需産業、特に兵站部門への打撃は深刻化しつつあります。このままでは計画に遅滞が生じる可能性も……。閣下、我々は如何に対応すべきでしょうか」

 

 その問いに対する衝立の奥からの返答は、私の予想を遥かに超えて簡潔だった。

 

「余は既に、為すべきことの全てを其方らに伝えてある。余の判断を待つまでもなく、其方らが最適と信じる手を取るがよい」

 

 その声には一切の迷いも揺らぎもなかった。

 それは絶対的な自信の表明であり、同時に、この程度の局面の判断は部下に任せるという底知れない器の大きさを示唆していた。報告に来た生徒はその言葉の真意を測りかねたのか、あるいはその圧倒的な存在感に気圧されたのか、一瞬だけ言葉に詰まった。

 

「……は。しかし、閣下。それは……」

 

 彼女は何かを言いかけて、しかし恐れをなしたように口を閉ざす。

 その逡巡を、衝立の向こうの影は楽んでいるように見えた。

 やがて、その唇から微かな笑みが零れる気配がした。

 

「其方は余に何かを問おうとして、それを呑み込んだな」

 

 報告に来た生徒は、その言葉に射抜かれたかのようにびくりと肩を震わせる。

 

「滅相もございません! 閣下のご判断を些かも疑うものでは……」

「よい」

 

 声は、生徒の弁明を優しく、しかし有無を言わさぬ力で遮った。

 

「何でも問うがよい。其方の胸に去来する疑問、その全てをぶつけてみせよ。答えるか否かは余が決めることだ。ゆえに、恐れることはない」

 

 衝立の影が僅かに身じろぎする。

 

「争いごとにおいて余に並び立つ者はいない。もし其方の疑問が戦に関することであるならば、余はキヴォトスの誰よりも的確な答えを授けてやれるであろう」

 

 それはきっと、自惚れではないのだろう。

 ただ事実を淡々と告げているだけ。その圧倒的な包容力を前に、生徒の瞳に宿っていた恐怖は畏敬へと昇華したようだった。

 彼女は深く、そして恭しく頭を下げた。

 

「……閣下の御慈悲に、心より感謝申し上げます。ならば僭越ながら一つ……」

 

 彼女は顔を上げ、その瞳に強い意志の光を宿した。

 

「閣下の、真の御心をお聞かせ願えますでしょうか」

 

 ──その言葉が発せられた瞬間、私の身体に奔雷のような衝撃が走った。

 

 雷帝の真意。

 私が喉から手が出るほど欲してやまない情報。トリニティとゲヘナの対立、キヴォトス全体を覆う暗雲。その全ての点と点を結び、複雑怪奇な盤面の意味を解き明かす唯一の鍵にして、全ての力学を逆転させ得る最終兵器。

 この生徒は今、その鍵が納められた至聖所の扉に手をかけたのだ。

 

 私は、この断片にたどり着けた幸運に打ち震えながら、固唾を呑んで言葉を待った。

 

「……」

 

 衝立の影は、しかし即答しなかった。

 ただ、くつくつと──今度は明らかに悲しみを帯びた響きで喉を鳴らした。

 

「余は、悲しい」

「は……?」

 

 予想だにしなかった言葉に、生徒は素っ頓狂な声を上げた。

 

「これほど多くの者たちが余を慕い、付き従い、忠誠を誓ってくれているというのに。この余には、ただの一人も同志がおらぬ」

 

 その言葉に、生徒の顔がみるみるうちに青ざめていく。

 

「なっ……何を仰られますか! 我々万魔殿一同、この身命を賭して閣下にお仕えすることを誓った同志にございます! この気持ちに一片の偽りもございません!」

「……ふふ、すまぬ。言葉を誤ってしまったようだ」

 

 声は、狼狽する彼女を宥めるように穏やかに響いた。

 

「其方らが掛け替えのない同志であることは理解している。其方らの忠誠なくして今の余は存在し得ぬ。余が悲しんでおるのは、共に理想を語り、覇道を論じ、そして……この背中を預け、肩を並べて戦う者がいないということだ」

 

 その告白は、謁見の間に重い沈黙を落とした。

 絶対的な支配者。孤高の覇王。その彼女が、あろうことか自らの孤独を吐露したのだ。生徒は返す言葉を見つけられず、ただ呆然と立ち尽くしている。

 

「閣下は……これまで、たったお一人で……?」

 

 かろうじて絞り出したその問いに、衝立の奥の影は暫く動かなかった。

 長い、長い沈黙の後。

 

「然り」

 

 短く肯定した。

 

「それゆえ、余は待っておるのだ……」

 

 声は、まるで遠い星空に語りかけるように静かで、そしてどこか切なげだ。

 

 ──足元の大理石が僅かに振動している。

 壁際に設置されたソファとテーブルの輪郭が曖昧になり、それらが互いに溶け合って奇妙な色合いのグラデーションを作り上げていく。気付けば、そんな現象が部屋の至る所で発生していた。

 どうやら時間が来たらしい。権威の劇場が崩れ去っていくのを感じる。

 

 視界が暗くなっていく。

 生徒が何かを喋っているが、まるで水中のようにくぐもっていて判然としない。

 しかし、最後に衝立の奥から漏れた言葉は、何故か鮮明に耳に届いた──。

 

「ああ、青い瞳の君よ。其方はいつになったら、余の元へと舞い降りてくれるのか」

 

***

 

 第四の夢は、月明かりが静かに差し込む病室だった。

 先ほど観測した、ユリカが抜け殻のようになっていたあの部屋と同じ場所だろう。

 しかし、雰囲気がまるで違う。窓は開け放たれ、夜の涼やかな空気がカーテンを優しく揺らしている。ベッドの上では、ナギサが穏やかな表情で上半身を起こしていた。どうやら意識を取り戻したようだ。

 その傍らに居るユリカも、今や虚ろな抜け殻ではない。

 彼女の瞳には穏やかな光が宿っている。

 

 その光景に私はほっと胸を撫で下ろす。

 さて、今夜の夢は相当に活動的だ。どこか腰を下ろせる場所を探そう──として。そこで、自分が既に壁際の見舞客用の椅子に座っていることに気が付いた。

 

 ……ふむ、初めての経験だ。

 私はあくまで観測者──演劇の鑑賞者であって、役者や舞台装置ではない。ここでの役者とはナギサとユリカの二人、鑑賞者は私で、舞台装置はこの空間を構成する全てだ。

 そして私は、最初からそれに腰かけていた。

 

 これは……どう解釈すればよいのだろう。

 

 私も役者の一人ということか?

 実際に未来の"百合園セイア"がここにいて、その時の彼女が"私"と同じように腰かけているのだとすれば理解できなくもない。なぜ観測者たる"私"と役者の"百合園セイア"が同じ視点を共有しているのかという疑問は残るが……。

 

 しかし、もし仮にそうだとしたら、途端に二人の様子がおかしく見えてくる。

 

 今の彼女たちが纏う雰囲気は何というか……この世界には自分たちしか存在しないという、排他的で独占的な、とてもではないが健全とは言い難いものだ。第一の夢でも感じ取った二人の異様な親密さについては、まあ……以前から()()()()()は聞いていたので今は置いておこう。

 しかし、私の知る限りでは、こういった閉鎖的な空気感を第三者が存在する空間で作り出すのは非常に難しい。なぜなら、二人だけの世界に心から没入するためには、現実と虚構の境を一時的に手放す力が要るからだ。それはテーマパークを楽しむ人間の心理に似ている。

 

 そして──ナギサは分からないが──ユリカは間違いなくテーマパークを楽しめない人種だ。

 証拠はないが断言できる。絶対そうだ。そうに違いない。

 

 考えてもみて欲しい。

 あの堅物がキャラの帽子を被り、満面の笑みを浮かべて魔法のステッキを振り「キラキラきらめけ、夢のはじまり!」とかなんとか言ってる姿を想像できるだろうか。いや、できない。

 

 彼女はスタッフルームの入り口やアトラクションの安全装置など、虚構の裏側、つまり"現実"の部分を無視できない(たち)の人間だ。

 そして、現状彼女たちだけの世界が成立しているように見える以上、"百合園セイア"という二人の世界における"現実"がこの空間に存在するとは思えないのだ。

 

 では、単なる偶然か?

 私の座席には全く意味がないのだろうか?

 しかし、こんなことは今までに一度も……──。

 

「ユリカさん……」

 

 ──ナギサの声が私の内省を遮った。

 いけない、今の私は観測者だ。解釈は後に回せばいい。

 考察を打ち切り、目の前の演劇に集中しようとする。

 しかし──ナギサは次の瞬間、思いもよらないことを口にした。

 

「貴方は、本当に……本当に、雷帝の真意を解き明かしたというのですか」

『なっ……!』

 

 まさか、まさか、そんな。

 トリニティを、キヴォトスを救うのは──ユリカ、君なのか!

 

 私が今まさにその必要性を痛感し、これから長い時間をかけて地図を描き、航路を定め、ようやくたどり着けるかもしれないと夢想した未知の大陸。

 その最果てに、君はいつかの未来に到達するというのか!

 

 ユリカはナギサの問いに、ただ静かに首肯した。言葉はない。だが、その僅かな動きは如何なる雄弁よりも確かな肯定となって私の魂に突き刺さった。嘘ではない。虚勢でもない。彼女は確かに知っているのだ!

 私たちがまだ地図さえ描けずにいる未知の大陸の、その中心に聳える頂きに、彼女はいつかの未来に到達するのだ!

 

 その理解と共に、私の内に熱を帯びた一つの使命感が顕現した。

 そうだ、導かねばならない。私が、彼女を。

 

 第二の夢で見た、心を枯死させ魂の燃え滓となった彼女を、この第四の夢が示す未来へと導いてやらねばならない。

 

 予知夢が示す結果(目的地)を覆すことはできない。

 だが、その目的地へ至る過程(航路)は無数に存在する。

 そして、目的地にたどり着いた後に何をするかは完全に航海士の裁量に委ねられている。

 私の役割は、彼女の乗る船が途中で座礁したり、海賊に襲われたり、あるいは自ら錨を下ろして海の藻屑となることなく、確実にその偉大な大陸へ到達できるよう務めることだ。

 

 嵐を乗りこなす航海士は私一人ではなかった。

 私が必要としていたのは、私に並び立つもう一人の航海士だったのだ。

 

「教えてください、ユリカさん」

 

 ナギサが懇願するように言った。

 

「貴方が掴んだ真実を。それさえ分かれば、私たちは──」

「申し訳ありません」

 

 ユリカの返答は、静かだが刃のように鋭くナギサの言葉を切り裂いた。

 ナギサは、そのあまりに冷たい声に言葉を失ったようだった。

 

「……なぜ、ですか。私たちは友人でしょう? 貴方を信じています。私に話せない理由など、あるはずが──」

「誰が聞いているか、分かりませんので」

 

 ユリカは、口の前に人差し指を立てて呟いた。

 彼女の言葉にナギサの顔が強張る。

 彼女は怯えるように、病室の隅々へと視線を走らせた。

 

「盗聴器……? まさか、この部屋に仕掛けられているとでも?」

「いいえ。そのような物理的脅威は、ここには一切存在しません」

 

 ユリカはそう言って、ナギサから視線を外した。

 

 ──その動きに、予備動作というものは一切存在しなかった。

 まるで天体が定められた軌道を寸分の狂いもなく巡るように、彼女の顔はゆっくりと旋回する。その過程で彼女の視線は、心配そうに自分を見つめるナギサの顔を、ベッドサイドに置かれた花瓶を、そして窓の外に広がる夜景を、まるで存在しないかのように、意味のない背景として通り過ぎていった。

 

 そして──ユリカの青い瞳が、部屋の隅に座る私へと向けられた。

 

『……は?』

 

 ……どういうことだ。

 この病室という舞台において、意味を持つ役者は彼女たち。

 この夢という劇場において、観客は私ただひとり。

 そのはずだ。それ以外はあり得ない。そうでないといけない。

 

 だというのに──ユリカの瞳が、私という存在をその中心に捉えていた!

 深淵の青。あらゆる光を呑み込み、決して反射することのない深宇宙の色。

 その瞳に見つめられた瞬間、私は寒空の下に丸裸で投げ出されたかのような心地を覚えた。

 

 視ている。

 視られている。

 

 どうして、どうやって……?

 今まで経験したことのない深い恐怖が私の魂を貫く。

 それは物理的な脅威に対する恐怖ではない。自らの存在そのものが、より高次の知性によって完全に把握され、その掌の上で弄ばれていると知った時の、根源的な、形而上学的な戦慄──。

 

 私は、目を覚ました。

 

***

 

「──ユリカ。私に協力してくれ」

「お断りします」

 

 ……やはり断るか。

 まあ、そうなるだろうとは思っていたさ。

 ナギサのことが大好きな君に、彼女への忠誠を捨てて私の元へ来いと言っても聞かないことくらい容易に予想できたよ。

 

「私の愛は、貴方の政治の道具ではありません」

 

 分かっている。全く君の言う通りだ。

 君の愛は君だけのもので、生かすも殺すも全て自分次第だ。私にどうこう出来る権利はない。

 しかし、しかしだ……今の君は弱っている。そして、君は近い未来に更なる苦難を経験する。

 

 実のところ私は、君が()()()()()()をしてしまうのではないかと心配しているのだよ。

 いつか雷帝の真意を手にする君が、それに呑み込まれて──御影ユリカが"青い瞳の君"になってしまうのではないかと。その可能性を放置することは出来ない。

 だから先手を打つことにした。

 君がいなくなってしまえば、トリニティは最大の牙を失ってしまう。

 

 幸い、その(断片)は見ていない。

 つまり、まだ未来は確定していない。

 だから、私は出来る限りの手を尽くして君を導かねばならない。

 

「私は行くよ。隣の席は空けておく。嵐の正体を探るための航海士の席をね」

 

 それに……今の私には、ひとつの仮説(のぞみ)がある。

 最後の夢──あそこで見た君の瞳。

 存在しないはずの私を視ていた、青い瞳。

 

 御影ユリカ、君はもしかして……──私の()()ではないか?

 覆すことのできない未来に苦しみ、それでも最善を探し続けねばならない。

 君も、その役割を押し付けられた預言者ではないのか?

 

「貴方の隣は永遠に空席です」

 

 もし、もし、本当にそうだとしたら。

 

「いいや」

 

 君は、なおさら私の方へ来るべきだ。

 それしかない。それ以外にない。

 いや、例えそうでなかったとしても──。

 

「君は必ず来る」

 

 これは予知ではない。

 予定調和だ。

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