限界過疎アクアリウムガールが先生とお喋りするだけ   作:お前の母ちゃんベアトリーチェ~!

3 / 7
限界過疎アクアリウムガールとリュウグウノツカイの話

 ────昔から、ノアールでは情報の巡りが悪いという性質がある。

 

 なんと言う事はない、当然の話。ここは、人里離れた絶海の孤島であるためだ。

 陸地は当然、電波すら繋がっていない以上、必然的に外の事情に疎くなっていく。

 ノアールで流行った言葉遊びが、外ではとうに廃れていた、なんて珍しくもない話。

 そんな中、倉庫でラジオを見つけた際は、わたしも近代化最高、などと喜んだものだが。

 

『先程、エデン条約調印会場から不明な爆発が発生しました!! 古聖堂周辺の状況は凄惨であり、疎らな銃声と火の手が上がっています!! お近くの皆さんはご自身の安全を─────』

 

 高波でさえ届かない屋上で、絶望的なニュースが、わたしの思考を攫って行く。

 今日、この日、この瞬間。わたしは初めて、ラジオを手に入れた事を後悔した。

 けれど、わたしの状態なんて知った事では無いと、クロノスは続く情報を流し続ける。

 

 ………………ゲヘナとトリニティ間の平和を目指す取り決め、"エデン条約"。

 皮肉に満ちた名の不可侵条約は、連邦生徒会長が示した、ある人物に対する奇策。

 当事者たちが消え、白紙に戻るかに思われた条約は、しかし調印される運びとなった。

 根深い対立の垣根を越え、彼女らは今日、平和へ歩み寄る─────筈、だったのに。

 

 エデン条約は、火の海に沈んだ通功の古聖堂と共に、灰となって消えてしまった。

 遠い大地で起きた地獄。ラジオからでは現場は見えないが、想像することは出来る。

 どんな人物の陰謀か。誰であれ動機は充分で、特定するのは難しいが、確かな事が一つ。

 この調印式を破壊する目的を持った存在がいて。その目論見は見事に達成されたという事だけ。

 …………加えて、何よりもわたしの心を揺さぶったのは。

 

『ゲヘナ、トリニティ首脳部は緊急会合を開始したとのこと!! 尚、調印に際し同席していたシャーレの先生は現在行方不明であり、目撃談によれば、不明な人物に撃たれたとも─────』

 

「………………っ!」

 

 わたしは居ても立ってられなくなって、気が付けば屋上を後にしていた。

 崩れかけの階段を転がるように駆け下りながら、この行動に意味はあるのかと自問する。

 直にわたしは、ノアールの出入り口であるロビーへ辿り着く。…………それで、その先は?

 わたしは決して、この水族館を離れることは出来ない。先生の元へは行くことは叶わない。

 仮にここを発てたとして、わたしが先生の力になれる、なんて思い上がりも甚だしい話で。

 わたしに出来る事は、精々があの人の足を引っ張る程度。力になるなんて以ての外。

 

 ────なのに、なのに。それでもわたしは、脚を止めることが出来なかった。

 だって、こうして走っていなければ、自分がどうにかなってしまいそうな気がしたから。

 無意味と知って、尚。息を切らしながら、ロビーへ辿り着いた私を、待ち受けていたのは。

 

「………………あ。やぁ、アヤナ! ちょっと遅かったね?」

 

 なんて。気軽な声と共に手を振った、見慣れた連邦捜査部の制服を着た大人。

 嫌に明るい日差しの下。腰掛けた革製のソファは、赤黒い血に染まっていて。

 軽快な言葉とは裏腹に、その表情は蒼白で。意識を保つ事さえ綱渡りだろうと予感させる。

 本来ここに居るはずのない人物は、幻覚を疑う程に不自然に、けれど不思議な程に穏やかに。

 目下行方不明、銃弾に倒れたという話さえあった先生が、どういう訳かここにいた。

 

「────なんで、ここに。先生が、いる、んですか」

「さぁね! 正直言って、私にもよく分かってないんだ!」

 

 先生はひどく溌剌とした態度で、蒼白い顔に似合わない、無責任な台詞を吐く。

 普段とは明らかに違う、奇妙な言動。それに何だか、言い知れない違和感を覚える。

 調印式場は、きっと混迷を極めている筈だ。或いは学園間戦争も有り得る状況だろう。

 そんな状況で、何故ここに居るのか。まさか、爆風で吹き飛んだという事も無い筈だ。

 

「巫山戯ているんですか、先生。もう一度聞きます、どうして────」

「えっと──────、ごふ、ぁ」

「…………せんせい?」

 

 答えようとした先生の腹部から、一際赤い鮮血が溢れだしたと同時。

 先生の上体が、制御を失ったように揺れて。古ぼけたソファの上に、横たわった。

 瞬間的にわたしの中で、()()()()が膨れ上がり、即座に全ての疑問を頭から投げてた。

 受付兼生徒会役員室に常備してあった医療バックを持ち出し、わたしは先生の傷を診る。

 

「服を破きます、叱るのは後にしてください!」

 

 そこにあったのは、喘ぐように血を流し続ける、悼ましい傷痕。

 背部から撃たれたのだろう、五・五六ミリの弾痕は、その数倍の大きさに裂けている。

 キヴォトスの生徒であれば問題にならない弾丸一発が、今、先生の命を奪おうとしていた。

 …………だが、幸運にも弾そのものは身体を貫通しており、且つ臓器を傷つけた様子もない。

 外傷の応急手当程度なら、水棲生物専門のわたしでも出来る範囲だった。

 

「先生。ここに麻酔は無いので、このタオルを噛んでいてください」

「………………ん」

「これから圧迫止血を開始します。動かないで下さいね」

 

 血管の損傷からなる流血を止める為、傷口に強くガーゼを押し当てる。

 赤色に染まっていく純白。血を吸えないと判断した傍から、新しいガーゼを重ね続ける。

 

「…………、…………、っ!」

「堪えて下さい、先生」

 

 先生は身動ぎをする気力も無いのか、タオルを噛み、声も無いままに痛みを耐えていた。

 使用したガーゼが五枚を超えた頃。治療開始から十分ほどで、漸く赤の浸食が停まった。

 恐らく血餅が出来たのだろうと判断し、消毒液に漬けたガーゼを滅菌包帯で固定する。

 背中側も同様に止血処置すれば、一応の治療は終了した。

 

「…………お疲れさまでした、先生。取り敢えず、応急処置は終わりです」

 

 歯型の付いたタオルを回収すれば、先生は少しだけ安堵した表情をした。

 まだ出来る事はありそうだが、生憎とわたしは、人間の治療に関して門外漢だ。

 治療に不備が無かったとも限らない。今すぐにでも専門機関に診てもらうべきだろう。

 少なくとも、このままノアールで時間を浪費するような余裕は、どこにも無い筈だ。

 …………なのに、どうしてか。

 

「わたしに出来る事はここまでです。先生には今、行くべき場所がある筈です。

 事の次第なら後でいくらでも聞いてあげます。ですから先生、今は────」

「………………いいや。私は、アヤナの見回りに着いて行きたいな」

 

 朦朧とした表情で、先生はそんな事を口にした。

 

「──────、何を。言ってるんですか」

「お願い。それが済んだら、私も元居るべき場所に戻るから…………だから」

 

 ノアールを離れられないわたしは、飽くまで先生の帰還を促す事しか出来ない。

 先生を帰すには、先生の意思が何よりも不可欠。強制送還など夢のまた夢の話。

 そして、わたしは知っていた。この人が、一度決めた物事を決して曲げない事を。

 …………だから。そんな先生の願いを突き返す事が、わたしには出来なかった。

 

 ◇◇◇

 

 仄暗く照らし出された廊下を、繊細な足音が攫って行く。

 白昼なのか、闇夜なのかも分かりはしない。水族館の内部は、きっと深海に似ている。

 水深数千メートルを航海するような心地。故に、瞳から得る情報に価値は無かった。

 だから、わたしも。深海で生きる彼らに倣うよう、息を潜めて耳を澄ませる。

 

 ──────きり、きり。錆びて歪んだ車輪が上げる、歓びの音が周囲に響いていた。

 

 ずっと昔に仕舞い込まれて以来、日の目を浴びる事の無かった器物に、体重が乗っている。

 普段より視線の低い、先生の姿。体温維持のためのブランケットが、寧ろ痛々しい。

 先生からの願いと言えど、血を流した人間を、普段通りに連れ回す訳にもいかず。

 わたしは埃を被っていた車椅子を引っ張り出し、ソレで先生を運ぶ事にした。

 旧式だが、揺れが少ないと評判の製品。こんな状況にはお誂え向きな車椅子だった。

 

「…………………………」

「…………………………」

 

 目的地へと続く長い通路。普段とは違い、わたし達の間に会話は無い。

 一方は気まずさから。一方はアドレナリンが切れた故に、先程から黙りこくっている。

 車椅子を押すわたしから見えた先生の表情は、虚ろであると同時に剣呑だった。

 この状況に思う所があるのか、或いは、この場所に来るまでの出来事を回想しているのか。

 

 ラジオでニュースを聞いただけのわたしには分からないが、先生は事件の当事者だ。

 あの古聖堂で何が起きたのか。被害者として、わたし以上に把握しているに違いない。

 気にならない、と言えば嘘になるが。けれど、ソレを問いただすのも気が引けて。

 かと言って、このまま会話が無ければ、先生が永い眠りについてしまうような気さえして。

 ────ふと。つい先日に起きた、ちょっとした出来事を口にしていた。

 

「先生。もしもノアールが陸続きになるって言ったら、驚きますか?」

「………………どういう、こと?」

 

 小さくではあるが、喰いついた。どうやらそれは、無視出来る話では無かったらしい。

 ノアールはスクリア海沖に位置する施設だ。通行の際、片道一時間は船に揺られる必要がある。

 海底数千メートルを走れる車がある訳でもなし。とても"陸続き"なんて言葉は信じられない。

 そんな感情の籠った視線。とは言え、わたしも根拠のない嘘を吐いた訳では無い。

 

「つい先日、連邦生徒会から路線開拓の申し出があったんです」

「………………へぇ、連邦生徒会から」

「ええ。一体どこの物好きさんが入れ知恵したんでしょうね?」

「………………私じゃないよ?」

「先生の事だなんて言ってませんよ、わたし」

 

 なんでも、スクリア海を縦断しD.U.方面までを繋ぐ、巨大海上橋を製作したいらしい。

 橋上に線路を敷き、幾百もの列車を走らせる。その目的は、長期的に見た輸送費用の削減。

 決して慈善事業ではない。正直に言って、ノアールに駅を作るのはオマケの様なものだ。

 スクリア海全体を自治区に持っているが為に、半ばお情けとして提示されたような条件。

 だが、廃校寸前の学園を相手に強硬策を取らなかっただけ、誠実というモノだろう。

 

「これが繋がれば、この辺りで、人や物の往来は活発になる筈です」

「………………そう、なるだろうね」

 

 物流が開始されれば、橋の節点に組立や加工、Eコマース等の物流ハブが集積する筈。

 駅が建設されて、漁場へ直結する冷蔵ハブ、海洋研究ステーションも出来るかもしれない。

 そうなれば、必然的に雇用が創出される。人がやってくれば、開発は加速度的に進むだろう。

 当然と言えば当然の話。モノが集まる場所には、必然的にお金が集まる訳で。

 お金が集まる場所には、当然に人が集まるもの。有史以来、人類が繰り返してきたお約束だ。

 

「………………けど。それって、良い事だけじゃないでしょ?」

「鋭いですね、先生────ええ、その通りです。問題はいくつもあります」

 

 この現代において、人間の手が入るという事は、自然を殺してしまう事と同義だ。

 便利である事には代償が伴う。大気汚染に、海洋汚染。果ては生態系の破壊まで。

 どう足掻いても今まで通りとは行かない、不可逆的な変化。今の景色は、いずれ霧散する。

 止める手段はない。この先、スクリア海での全ての出来事は、わたしの手から離れてしまう。

 先生の懸念は尤もで、わたしだって悩まなかった訳では無い。────けれど。

 

「でも大丈夫です、先生。きっとわたしが、全部何とかして見せます」

「………………どうやって?」

「頑張って、です。ノアールの管理が出来るなら、海の保全だって出来ますよ」

「………………あはは、滅茶苦茶だ」

 

 先生はそう言うが、大真面目に考えてみても、わたしに出来ない道理はないのだ。

 何しろ五桁にも及ぶ種類の水棲生物を飼育し、展示しているのが、このアクアリウムだ。

 それを一人で管理し、果ては先生の我が儘を聞くだけの余裕を持っているのが、このわたしで。

 ともすれば、海一つの管理が何だと言うのか。スクリア海など、少し大きい水槽程度のモノ。

 …………それに。例え、わたしの力が及ばずとも。訪れる破綻を緩やかにする位は出来る。

 だってそれは、ノアールで普段から行っている。わたしの得意分野なのだから。 

 

「それに、先生。やっぱり、悪い事だけじゃないんです」

 

 物が流れ、経済が回り、人間が集まる。そんな状況なら、人に居場所が必要になる。

 大抵の場合、キヴォトスでその役割を背負うのは、その地域に根差した学園機構だ。

 スクリア海のような未開発の海洋であれば、普通は都度、学園を新設するのだが。

 知っての通り、既にスクリア海には、ノアール海洋動物専門高等学校が設置されていた。

 

「きっとこの先、ノアールにも新入生がたくさん来ます」

 

 わたしは形だけの生徒会長ではなくなって、成績も主席ではなくなるかもしれない。

 これまでの様に、一人きりで水棲生物達の世話をする必要もなくなるのだろう。

 可愛い後輩が沢山出来て、声のしない学生寮で眠りにつく必要もなくなる筈だ。

 明日も目覚める事に希望を抱いて、使い切りの昨日とお別れすることが出来る。

 

「そうすれば、ノアールは昔みたいに綺麗になって、今よりずっと賑やかになります」

 

 人出が増えて、物資も増えるのなら、ノアールの改修工事だって簡単だ。

 海水に沈んだ学舎棟は、元の在り方を取り戻して。寮では高波に起こされる心配も無い。

 掃除は行き届いて、ロビーには人が溢れて、アクアリウムはかつての賑わいを思い出す。

 そうすれば、週に一度、先生が訪れるのを待つ六日間なんて、一瞬で過ぎてしまうだろう。

 

「きっと今より忙しくなるでしょうが、先生は心配しなくていいですよ?」

「………………どうして?」

「古いお客さんですから。VIP待遇で、その時はわたしが案内役をしてあげます」

 

 先生が訪れる時、わたしは常にロビーの受付に座っていて。

 入館処理をして、諸注意を伝えて。そして、不満そうな顔で先生に連れ添うのだ。

 広い館内。幾千もの海を巡り、わたしたちはどうでも良い様な言葉を交わし続ける。

 周りには他の客がいて、新しいノアール生がいて。けれど、わたし達だけが今のまま。

 

「………………はは。今と変わらないね」

「誰のせいだと思ってるんですか。…………ですが、ええ。その通りです。

 ────その為にも、先生に死んで貰っては困ります」 

 

 少しだけ、声が震えていたのを自覚する。思い描いたのは、ある未来の話。

 もしも、ノアールが明るい展望に満ち満ちて、何もかもが上手く行ったとしても。

 そこに先生が居ないかも、と思うと、少しだけ。ほんの少しだけ辛くて、泣きたくなる。

 あの時。先生の身体に穴が空き、血が吹き零れた時、思考を染めたのはそんな未来の話。

 わたしのエゴ。身勝手な意味を込めた言葉。それを、先生は知ってか知らずか。

 

「──────勿論。私だって、死にたくはないからね」

 

 なんて。少しだけ生気の戻った声で、わたしの言葉を肯定した。

 胸の中に湧いた小さな安堵に見ないフリをしてみれば、目的地が近づいてきている。

 …………思い返せば、今日は目的地を明かしていなかったか、と思い直し。

 

「着きましたよ、先生。ここが、深海魚エリアです」

 

 普段通りに、わたしは声を上げたの同時。一風変わった内装が、わたし達を出迎えた。

 

 ◇◇◇

 

 高く設計された天井と、ノアールでは珍しい、暖色のスポットライト。

 展示物は、水槽で象られた小さな海を泳ぐでも無く、空中に固定されて動かない。

 旧式の投射機が空回りする音。淡い明かりと共に、粗い映像を映し出している。

 水の音もぜず、誰かの呼吸すら感じ取れない。命の気配がしない空間。

 ──────そこは、水族館と言うよりも、博物館と言った風情だった。

 

「ここには、生きた魚はいなんだね」

「ええ。深海魚を生きたまま展示するのは、少々難しいものがありまして…………」

 

 一般に、地上で深海魚を飼育する事は非常に困難であり、事実上不可能とされている。

 彼らが生息しているのは、水深数千メートルの深み。その水圧は、想像もできない程高い。

 それを地上まで引き上げるのだから、その過程で内圧差が発生、内臓が破裂し死に至る。

 …………市場に並べるのならそれでも十分だが、水族館で死骸を浮かべても仕方がない。

 

「具体的には…………そうですね、このアコウダイなんかが顕著です」

「うわ、すっごい目が飛び出てる」

 

 アコウダイ。スズキ目メバル科メバル属の海水魚。タイとは言うが、実際はメバルの仲間だ。

 体躯は五十センチ前後。特徴的な点は、真っ赤な体色と、大きく飛び出したその目だろう。

 別名に"メヌケ"とある事からも分かる通り、眼窩が数センチにも及ぶほど突出している。

 深海七百メートル近辺に生息する為、釣り上げた際の急激な水圧差でこうなってしまうのだ。

 それ故、厳密に言えば、これはアコウダイの本当の姿では無かったりする。

 

「なるほどね。でも偶に、浜辺とか浅瀬で見つかったりしない? アレは飼えないの?」

「良い視点ですね、先生。…………残念ながら、現実はそう上手くは行きませんが」

 

 極めて稀な事態だが、深海魚が生きたまま地上へ到達する奇跡は、確かに存在する。

 だが、そんな奇跡を水族館で維持する事は、もう一度奇跡を起こすほどに難しい。

 

 まずは減圧/加圧水槽を用意し、且つ水温を深海と同様の五度前後に維持し続け。

 それに加え、観覧者の為に特殊な加工を施したガラスを使用する必要も出てくる。

 はっきり言って、一つの水槽に掛ける労力としては度を越している、というのが現状。

 浜辺に打ちあがった個体も同様。何しろ、浅瀬へ来た時点で瀕死まで弱っているのが常だ。

 現状の医療技術、及び生態への理解では生命維持は不可能。要するに技術の限界だった。

 

「そういう訳で、深海魚エリアに生きたままの水棲生物はいません」

 

 ノアールを含めた水族館では、深海生物はエタノール標本や剥製、映像展示が基本となる。

 蟹やダイオウグソクムシなどは飼育が可能だが、分類として甲殻類の方に展示してある。

 結果として、深海魚エリアはノアール唯一と言って良い、命の気配がしない場所になっていた。

 そのせいか、開館当初はアクアリウムで最も人気の無い区画だった、と記録されていた。

 …………とは言え、管理する立場(わたし)にすれば、そう悪い事だけでも無く。

 

「お陰様で、淡水魚エリア以上に管理が楽なんですよね、ここ」

 

 保存状態が劣化していないか、映像投射機に問題はないか、壁は壊れていないか。

 見るべきものと言えばそれくらいで、メディカルチェックも餌やりも必要ない。

 ここでの業務と言えば、大抵は日々の掃除と補修程度。他とは比べ物にならない程簡単だ。

 …………今日の見回りが此処だったのは、実に幸運だった、と。心中で息を吐く。

 目下の目標は、先生を元居た場所へ送り返す事だ。業務で時間を使う訳にはいかない。

 

「先生、何か気になる子はいますか? わたしが連れて行ってあげます」

「うーん、深海魚はあまり知らないんだよね。一番有名な展示物って何かな?」

「ここで一番の展示物って言ったら、シーラカンスか…………あぁ、あの子にしましょう」

 

 方向を変え、車椅子の進路をある展示物が飾られている場所へと車椅子を押す。

 軋みをあげる車輪の跡を残しながら、複雑な機構の館内を、迷う事なく進んでいく。

 視界の端に映る、投射された深海魚の姿。かつて彼らが生きていた頃の回遊が再生されていた。

 既に魂の無い、死の間際を切り取られた彼らの真横で、観衆も居ないまま生前が繰り返される。

 それに、悪趣味だと自嘲したと同時。わたしは目的の場所へ辿り着いた。

 

「ノアール最大の深海魚。十二メートルになる、リュウグウノツカイの剥製です」

「わぁ………………これは、大きいね」

 

 アカマンボウ目、リュウグウノツカイ科、リュウグウノツカイ属。大型の深海魚。

 食性は甲殻プランクトン。鮮やかな白銀の体色を持ち、背、胸、腹ビレの朱色が映えている。

 深海二百から千メートルの位置で確認されており、一般的な体長は三メートル前後。

 特徴的な見目から、深海魚の中でも特筆して有名な種と言って差し支え無いだろう。

 反対に、その姿を記録した映像は少なく、詳しい生態は現在も然程判明していない。

 

「この大きさで下半身が残ってる個体、凄く貴重なんです。学術的価値すらありますよ」

「下半身が残ってるって…………それが普通じゃ無いの?」

 

 リュウグウノツカイは、重要な器官が比較的前身に集中している事が特徴だ。

 これにより、リュウグウノツカイは蜥蜴に代表される"自切"を行う事がままある。

 例えば外敵に身を襲われた際や、もしくは餌が見つからず、自らを捕食する際など。

 蜥蜴の尻尾とは違い二度と再生される事は無いが、泳法の都合上、大きな問題もなく。

 極端な話、生命維持をする分には、身体の半分は不必要な部位という事になる。

 

「な、なんというか…………かなり奇妙な生態をしてるね?」

「深海魚は皆こんな感じですよ。海底はほとんど異世界みたいなモノです」

 

 僅かに大気の構成が違えば、わたし達の姿はまるで別物だったと言われている。

 彼等の持つ、地上の常識とは違うゼラチン質の筋肉と、脂肪で満たされた浮袋。

 光すら届かない、極限の水圧下で進化した生物なら、異質に見えるのも仕方が無い。

 その妖しい魅力が、古くから人の心を惹きつけて止まないのだろう。

 ………………その生まれに、現実にはないお伽噺を連想してしまうほどに。

 

「先生。竜宮城伝説については、知っていますよね」

「? 虐められてたカメを助けて、竜宮城に招待されるって、あのお話の事?」

「はい、そのお話です。それが、この子の名前の源流に当たります」

 

 カメを助けた親切な人が、海底に存在した楽園へと招かれたお伽噺。

 そこでは色彩鮮やかな魚達が、親切な人をもてなす為に舞を踊り、宴を開いたという。

 リュウグウノツカイの麗しさは、架空の楽園、饗宴に例えられるほど鮮烈だったのだろう。

 …………例えそれが、人々の望む本当の竜宮城(エデン)では無かったとしても。

 

「キヴォトスに伝わる古則の五つ目。"楽園に辿り着きし者の真実を証明する事は出来るのか"」

 

 もしも楽園へ辿り着く事が出来たのなら、その者は永遠の快楽を享受し、二度と外へは出ない。

 故にその存在は感知できず、楽園の外に出る事があれば、それは楽園の存在否定になる。

 ────存在しない者の真実を証明することは出来るのか。浅ましく、悪趣味な問い。

 少なくともその点で言って、竜宮城は落第だ。親切な誰かは、決まって最後には帰るのだから。

 実在せず、探す事も叶わない。空想で編まれた楽園なのに、しかしそう呼ばれる資格はない。

 

「なんとも中途半端な場所だとは思いませんか、先生」

「……………………そう、かもしれないね」

 

 ならば、その名を与えられたある深海魚には、どんな願いが込められめたのか。

 連邦生徒会長は、古い経典に登場する架空の園から、皮肉を込めて"エデン条約"を名とした。

 知る事の出来ない他者の心の内。目には見えない憎しみの連鎖。それを断つ、不可能性故に。

 ならば、先人たちも同じだろうか。波に打ち上げられた深海魚を見て、嘲りで名を付けたのか。

 楽園ですらない楽園から追放され、緩やかに死んでいく様を眺め、絶望したのだろうか。

 

「────わたしは、そうは思いません」

 

 竜宮の使い。それは、いずれ楽園を旅する誰かのための、案内人への呼び名。

 或いは流れ着いた時点で、先人たちは竜宮城が存在しない事に気付いていたのかもしれない。

 それでも彼女らは謳ったのだ。彼の者は追放されたのではなく、我々を迎えに来たのだと。

 例え辿り着く事の出来ない楽園だったとしても、それを目指す事に誤りはないと胸を張って。

 盲信からでは無い。証明できない真実を以って前を向く。昏い現実に立ち向かう。

 

「きっとその為に、先人たちはこの名を付ける事に決めたんです。

 ──────実際に存在するかは問題では無くて、そう、信じる為に」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()。それが、リュウグウノツカイに込められた意味。

 目に見えないからこそ、信じ続ける。楽園の存在証明は、たったそれだけで事足りた。

 

「先生、そろそろ時間です。貴方には貴方の、信じるモノがあるでしょう?」

「………………そうだね。少し、のんびりし過ぎたかな」

 

 言って、先生は車椅子から立ち上がる。傷は痛む筈だが、そんな素振りは見せない。

 生徒達がただ、生徒である為に。そうあって欲しいと願う、先生自身の心に従って。

 憎み合う事を止める為の"エデン条約"。だが今も尚、彼女らの心に憎悪が巣くうのなら。

 まずはソレと相対するのだ。それが、理解しえない他者を理解する、一歩目だから。

 

「それじゃあ──────行ってくるよ、アヤナ」

 

 わたしもまた、この人を信じている。わたしには出来ない、先生としての選択を。

 それが世界を救う鍵になると、世界の隅からずっと。だから笑って、送り出すのだ。

 

「はい──────行ってらっしゃい、先生」

 

 取り残された車椅子。僅かに見えた青空の色は、ひどく鮮やかだった。

 

 


 

【船織アヤナ】

 

役職:生徒会長

学年:三年生

武器種:ショットガン

備考:限界過疎アクアリウムガール、ワンオペぼっち会長。

   先生の事が好き大好き愛してる。嫌いではない。

   現実的なのにロマンチスト。特別なのに寂しがり屋。

   ………………どこにでもいる、ただの女の子だった。

   現在、連邦生徒会は彼女の存在を認知出来ていない。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。