限界過疎アクアリウムガールが先生とお喋りするだけ   作:お前の母ちゃんベアトリーチェ~!

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限界過疎アクアリウムガールとバックヤードの話

 ──────わたしは、ノアールから見る星空が好きだ。

 

 "開拓"の言葉すら知らない、無垢なる空。穢れを知らぬ秘境の夜。

 水平線にすら下卑た光はなく。文明の明かりが途絶えた、原初の光が降り注ぐ。

 この星明りの下では、人間はこの世界の主役では無くなり、イチ端役になり下がる。

 鳥達は飛ぶ事を止めて、眠りにつき。冷たい海の風が、命の揺り音すら攫って行く。

 月光は僅かな暗雲にすら霞む事は無く、星々は宇宙の広がりを黙して語る。

 

 …………特にわたしは、ノアールのロビーから見える夜空が好きだった。

 

 擦り切れた革製のソファから天を見上げれば、丸く象られた、ガラス張りの天井。

 際限のない空はその分だけ縮小し、見える景色はまるで、最上のプラネタリウムのよう。

 閉館後、眠れない夜。一人きりで行う天体観測が、ノアールの日々で二番目に好きだった。

 …………この上ない本物を前に、偽物を連想するのは矛盾に思えるな、なんて苦笑した折。

 アクアリウムの正面入り口に立った、一人分の小さな影を、わたしは認めた。

 

「すみませんが、今日はもう閉館したんです。明日以降のご来館をお願いできませんか?」

 

 一線を敷くための忠告。されど、声を掛けた相手には、その自覚が無いのか。

 或いは単に、わたしの話など聞く気はないのか。彼女は引き返す事をしなかった。

 かつん、かつん、かつん。静寂に満ちていた空間に、硬質な足音が残響を始める。

 割れたタイルを踏み砕くように。覚束ない足取りで、真っ直ぐにこちらへと歩みを寄せる。

 

 ──────冴え冴えとした蒼白。月光が、少女を照らし出した。

 

 寂れた世界に不釣り合いな、金糸にも似た、細く長い髪が揺れている。

 華奢な首筋を彩る白磁の肌は、今にも手折れてしまいそうなほど細く、儚く見える。

 この夜空にあっても焼けてしまいそうな少女は、淡く彩られた彫刻に似ていた。

 こと美しさにおいて、至高のビスクドールさえ彼女の足元にも及ばないと直感する。

 間違っても、生きているなんて感想を持ってはいけない美の類。完成された芸術のような少女。

 …………不思議な事に。わたしはそんな少女と、面識を持っていた。

 

「こんばんは、良い夜ですね。────"ティーパーティー"所属、百合園セイアさん」

 

 トリニティ総合学園生徒会長の内の一人、サンクトゥス分派代表、百合園セイア。

 キヴォトスに二人と存在しない、強力な未来予知の"神秘"を持った特異な性質の少女。

 その代償からか、予てより虚弱体質である事が内外問わず知れ渡っていたのを覚えている。

 昔に見た通りの、特徴的な狐の耳。眠たげに開かれていた瞳は、しかし────

 

「ここは、なんだ。何故………………一体何故、君は、こんな所にいるんだ」

 

 ────見開かれた瞳は、真っすぐに此方を捉えて離さない。

 声に乗った感情は、驚愕と困惑と怒り、或いは失望も混じっていたかもしれない。

 わたしを糾弾するかのような表情。敵意にも似た感情の発露を、目線を切って受け流す。

 思い返せば、彼女がこれ程狼狽えた場面など見た事が無かったな、と苦笑を零して。

 

「こんな所、なんてご挨拶ですね。わたし、これでも頑張って手入れしてるんですよ?」

「そんな事は聞いていない! いいかい、重要な事は三つだけだ────」

 

 一つ、この寂れた空間の正体は何なのか。二つ、何故彼女はここに居るのか。

 

「そして三つ。どうして君が、こんな────ゲホッ、ゲホッ!」 

 

 凄まじい剣幕でこちらに寄せてくるのと同時、己の強い感情に咳き込む百合園セイア。

 顔色は死人同然に悪いと言うのに、その気迫は一層増して、壮絶とさえ形容出来る。

 トリニティに特有の政争であっても、これ程の彼女は見れないだろう、と直感する程。

 …………尤も、わたしの心の内海は酷く凪いでいた。今更何を思う事もないな、と。

 さしあたって。第一の質問である、"ここはどこなのか"について答えてみる事にした。

 

「ここは"ノアール海洋動物専門高等学校"。スクリア海を覗く、唯一の海上施設です」

「ノアールに、スクリア…………? トリニティでも聞いたことの無い名前だが?」

「当然でしょう。連邦生徒会ですら、ここを感知出来ていませんから」

「………………あぁ、そうかい。僅かながらに合点がいったよ、道理で君は…………」

 

 何かに納得した様子の百合園セイアの呟きを無視し、わたしは説明を続ける。

 このキヴォトスにあっても世にも珍しい、大規模施設に伴って建設されたこの場所。

 自治区に人は存在せず、在籍数は僅か一人。いずれ人知れず消えてしまう、斜陽の学園。

 ノアール最大の特徴である巨大水族館は、学園最大の不良債権であり、破綻した機構そのもの。

 本来なら、わたしの在学から二人目になる、記念すべきお客様として館内へ通したい処だが。

 

「ですが生憎と、もう閉館時間です。貴女を中に案内することは出来ません」

 

 深夜零時を回った現在。アクアリウムの生き物たちは、その殆どが眠りについている。

 硝子や水と言った隔たりがあると言っても、下手に足音を出して刺激するのは頂けない。

 彼らの心身を管理するのがわたしの仕事で。身体はともかく、心に関しては手が入れ難い。

 触らぬ神に祟りなし、と接触しない事が妥当な判断だった。彼女、持ち合わせもなさそうだし。

 

「…………はっ。だったら、何だと言うんだい。君の居所を知った私は、始末されるのかな」

「しませんよ、意味がないので。…………と言うか、わたしのイメージ、ソレなんですか?」

 

 心外だ、と呟いてから、わたしは擦り切れたソファから立ち上がる。

 ずっと星空を眺めていた影響だろうか。視界が明滅して、脳漿は掻き回された様な心地がする。

 軽い前後不覚。けれど習慣の為せる業だろう、わたしは迷う事無く、とある扉の前へと。

 手触りだけで鍵束から目当てのモノを選び出せば、"STAFF ONLY"の施錠が解かれる音。

 

「館内は駄目ですが、立ち話も何ですし。わたしとバックヤードの見学、しませんか?」

「………………君は一体、この状況で何を」

「聞きたい事、言いたい事があるんでしょう? 受けて損はありませんよ」 

 

 言って、彼女の方へと振り返る。その先で、見慣れた苦悩の表情を見た。

 二者択一に見えて、取れる選択肢は事実上一つである。そんな状況を目の前にした際の表情。

 退路は途絶え、進むしかないのに、その先行きは地獄であると勘付いてしまっている者の顔。

 決して最善には成り得ない選択を迫られた誰かの表情を、わたしは既に、鏡の前で知っていた。

 そして。そんな人間が取る行動は、どの時代、どんな個人でも、常に同じで。

 

 ………………少女の足取りは、確かにこちらへと向き始めた。

 わたしは彼女が下した選択に満足し、重苦しい黒い扉の口を開く。きっと、中は深淵だ。

 緩慢な足音が、わたしの横を通り過ぎようとした折。ふと、思い出した事が一つあった。

 

「あぁ、そうだ。今は船織アヤナって名乗ってるんです。貴女もそう呼んでくださいね?」

 

 その言葉が響いて数秒後、ロビーから人の気配が途絶えて消えた。

 

 ◇◇◇

 

 思い返せば、誰かをバックヤードに招くなんて初めての事だった。

 当然と言えば当然の話。わたし以外の飼育員は存在せず、"スタッフ"が指すのは一人だけ。

 ノアール唯一の訪問者である先生も、飽くまで水族館の利用客として来ている訳で。

 業務に携わるなど、望むべくも無く。根本的に、年の近い誰かと話すのさえ久しかった。

 …………尤も、わたしの隣を歩く少女の表情を見れば、気安い感情など搔き消えたが。

 

「足元、気を付けて下さいね。この辺りは暗いので」

 

 紛いなりにも華やかさを保っていた表側(あちら)と違い、裏側(こちら)は取り繕いの影すらなかった。

 展示エリア以上に最低限の光源と、取水設備と濾過槽が駆動する無機質な音。

 蛋白質分離装置やオゾナイザーが潔癖に働く度、内壁は崩れそうな振動に震えていた。

 周囲に乱立した箱型は、一つ一つが水槽だ。あまりに無骨な在り方に、眩暈すらする。

 換気扇は擦り切れる程回っているのに、塩水や餌の匂いが消える気配はない。

 頭上を複雑に走る配管は、怪物の血脈のようで。床には絶えず、水滴が落ちた跡がある。

 

 水族館、と言うよりは工場や研究施設に近い。機能性を求めた場所が、バックヤードだった。

 

「…………こういう、普段見えない所ってワクワクしませんか?」

 

 白状するが、わたしは未だに心が浮つく。仕事で散々使っているにも関わらず、だ。

 先生が訪ねて来た場合は、展示エリアの方から巡回するが、正直こちらの方が好ましい。

 無論わたしの趣味もあるが、動線の都合上、バックヤードの方が手早く仕事が済むのだ。

 水棲生物の展示を目的としていない以上、ここでの移動は常に最短距離を辿ることが出来る。

 趣味と実益を兼ねた秘密の専用通路、個人的にはかなり気に入っているのだが、しかし。

 

「さてね。少なくとも、君が傍にいる内は、そんな風に考えられないさ」

「………………貴女、お友達とかいます? 普通は適当に頷きますよ、こういうの」

「そうだね、無論私にもその程度の社会性はあるとも。但し、君以外には、だが」

 

 この通り、百合園セイアはわたしに対して良い感情は持ち合わせていない様だった。

 妥当な反応、と言えばその通り。根本的に、彼女とは特別深い仲でも無かった訳で。

 彼女に直接的な不利益を与えたわけでは無いが、その波及は間違いなく被った筈だ。

 であれば、彼女の嫌悪感も理解できる。多少遠回りする予定だったが、仕方が無い。

 

「…………はぁ。ここを真っすぐ行った先に、屋上があります。話はそこでしましょうか」

 

 言って、わたし達は旅をする。眠りについた世界を横切るが如き旅路を辿る。

 小さな桟橋を渡り、無機質な配管を伝っていくように、二人分の足音が響いていく。

 会話はない。湿った空気は息苦しくて、オゾン発生装置を循環する水はどこか窮屈で。

 常時稼働する調温装置は、常に一定の間隔で唸りを上げ続けているのが見える。

 ────歩き始めてから暫く。沈黙を破り、彼女に問い掛けられたことが一つあった。

 

「人里離れた場所で、一人きり…………これが、君の望みだったのか?」

「? 確かにわたしは望んでここに居ますが、それがどうかしましたか?」

「────君は。こんな事がしたかったが為に、"あんな真似"をしでかしたのか?」

 

 ともすれば、擁護のしようも無い程に愚かな選択だ、と彼女はわたしを糾弾する。

 先程から声を発さなかったのは、どうやらソレについて考察を重ねていたからの様子。

 あの日、わたしが"とある事件"を引き起こした理由について、今の状況から逆算した結果。

 彼女が導いた結論は、"船織アヤナは、一人安穏に生きたかった"というモノだったらしく。

 そして、百合園セイアという少女にとって、その答えは度し難いモノでもあったらしい。

 

「君は、君の行動(せい)で一体どれだけの人が血を吐いたか、知らないんだろうね」

 

 皮肉に満ちた、嫌悪感だけで構成された言葉。嫌われたものだ、と笑い出しそうになる。

 無論、わたしも人間だ。人並みに罪悪感を感じる機能はあるし、良心の呵責も存在する。

 嘘を吐けば心が痛むし、誰かを傷つけたと知れば、自分の行動を後悔する事もある。

 過失があれば謝罪をする。不利益があれば、出来る限りの責任を取る。────けれど。

 

「知りませんね。それに貴女は、わたしにどんな考えがあったと言っても信じないでしょう?」

 

 ()()()()()は必要だった。例え世界全てに否定されようと、あの選択に間違いはなかった。

 誰に理解されずとも、わたしは取れる最善を選び抜いた。この決断だけは、決して曲げない。

 …………それに。わたしなりに、対応策は用意して置いた筈だ。使用が遅れた方が悪い。

 

「巫山戯ている。誤解を解く事を諦めるのが、責任の取り方だとでも言うつもりかい」

「ですが、貴女にだってある筈ですよ。不用意な発言で、誰かの運命を歪めたことが」

 

 その相手の前でも同じ言葉が吐けるのか、と問えば、少女は途端に押し黙った。

 捻じれて歪んだモノ。取り返しがつかなくなったモノの前にして、言葉は酷く無力だ。

 悪い事ではない。人間関係など所詮は相互誤解で回るもので、取り繕いには意味がなく。

 第二の古則が示しているように、他人は他人を理解する事など出来はしないのだから。

 誤解は誤解のまま、軋轢は軋轢のままで、わたし達は生きていかなくてはいけない。

 

「………………。君は一体、何を、知っているんだい」

「さぁ、何も。昔なら兎も角、今のわたしにキヴォトスの事は分かりませんから」

 

 スクリア海の外への情報源など、古びたラジオの放送か、とある個人に絞られる。

 最早かつての様な行動は出来ない。それでも理解できる事柄はある、というだけの話だ。

 …………と。バックヤードの中、とある扉を通りがかって、思い出した事が一つあった。

 

「すみませんが、そこの資料室に寄ってもいいですか? 用事を思い出したので」

「…………構わないよ。丁度、歩き詰めで疲れていた所だからね」

「それは失礼しました、お嬢様。中にある書籍は、好きに読んで頂いて構いませんから」

 

 室内は、ノアールにしては手狭な空間だった。窓の無い部屋で、冷たい明かりを灯す。

 壁一面に、無機質な金属製の棚。憮然とした表情のファイルが所狭しと並んでいる。

 ここは唯一の蔵書庫。ノアールには図書館が存在しない。厳密に言えば、あった、だろうか。

 わたしがここに入った時には、学舎棟の紙類は、その殆どが波に攫われてしまっていた。

 結果的に残ったのが、この場所。狭苦しく窮屈な、ノアールの記録保管所だった。

 

 百合園セイアが千鳥足で書類棚に向かっていったのを見送り、わたしも行動を開始する。

 図鑑、記録、情報。海水に侵されないこの場所には、運営に必要な全てが詰まっている。

 巨大な水族館も、言葉に落とし込んでしまえば、この程度の規格で足りるらしい。

 妙な感傷は頭の片隅に。わたしは記憶を辿り、目当ての水棲生物の記録を取り出した。

 先日から、熱帯魚の内何匹かが弱っている。隔離水槽に移した事を記録しなければいけない。

 

「セミピカソクラウンと、カクレクマノミ…………アルビノ個体のページは、と」

 

 重たいファイルを手に、備え付けられた机へ。わたしは無機質に情報を書き込んでいく。

 弱ってしまった原因は不明。少なくとも、水槽内の虐めや栄養状態に起因する物ではない。

 水温の変化や酸素不足、外傷や混泳相性も調査してみたが、芳しい成果は無かった。

 となれば、心因性の免疫低下だろうか。この場合、治療用水槽でも効果があるかどうか。

 そこまで考えを巡らせてから、わたしは記録を止め、ファイルを元の棚に戻した。

 今、ここで思案しても仕方が無い。現状、経過観察以上に効果的な行動が思い当たらない。

 

「百合園セイアさん、わたしの用は済みましたよ。どこに────あぁ、いた」

 

 彼女は比較的近くの棚の記録を読み込んでいる最中だった。

 一応はわたしも此処の主だ。彼女が何を読んでいるか、記憶の照合は簡単に済んだ。

 あの棚はノアールの運営に携わる書類を纏めた場所だ。予算とか、顧客管理記録とか。

 真っ当な学園なら部外秘だが、隠すような秘密も無ければ、困るような情報も無い。

 

「変なものに興味を持ちますね。面白い事なんて書いてないでしょうに」

 

 わたしは彼女に歩みを寄せる。どうやら、在籍記録のファイルを読んでいるらしい。

 特筆することの無い記録。潮が引いて行くように、新入生が途絶えていった記録。

 衰退するべくして衰退した事を示すだけ、破綻した営みがもたらした、妥当な結末。

 今更確認する事でもない。少なくとも、百合園セイアの興味を引くとは思えなかったが。

 

「そうでもない────ほら、在籍記録に"船織アヤナ"の名前が無いなんて、愉快だろう」

 

 年々減少傾向あった入学者の記録。当初を思えば、目も当てられない零落は、しかし。

 十年前に、一度停止していた。…………以降の入学者が現れない、というカタチで。

 学園都市のルールに照らすのなら、この学園は既に、生徒の断絶により廃校になっている。

 けれど、それは可笑しい────今もこの学園は存続し、わたしは生徒会長の座に在る。

 この矛盾。どちらが誤っているのか。少なくとも、眼前の少女は、もう答えを持っていた。

 

「………………いい加減、屋上に行きましょうか。これは、そういう話でしたから」

 

 ◇◇◇

 

 錆びついた金具が悲鳴を上げる音。腐朽したスクラップが開き、潮風の匂いを呼び込んだ。

 

 遠く、さざ波の音。文明を忘れた星空の下、息遣いはきっかり二人分。

 海は光を呑み込んで、夜空よりも昏く。宙は光を乱反射して、巡るように流れていく。

 惑星の原初。生命の温もりを知らない、神秘の極光で満たされた、孤独を謳うソラの天蓋。

 網膜に焼き付く、遠い過去の残滓。決して届きはしないのに、掴めそうだと錯覚しそうな星。

 ロビーから見る夜空が好きと言ったが、撤回しよう。偽物の天象儀(プラネタリウム)では、遠く及ぶまい。

 

 ここはノアール海洋動物専門高等学校、その屋上。時代に取り残された、星見の塔。

 いずれ消えてしまう夜の下。雲に翳らない宙の外。ここが、短かった旅の終点だった。

 

「──────さぁ。貴女が伝えたかった事を、わたしへ」

 

 海に溶けて眠る言葉。夜明けの訪れを拒む静寂。耳元で囁く風の声すら淡く。

 永遠を錯覚させる彼岸の夜。死後の世界を想起させるだけの、夢の中のような心地。

 星々が瞬く度に、その瞬間を永遠にしたくなる衝動。不気味な程美しい、残酷な空。

 これから聞かされることを思えば、景色ぐらいは綺麗な方が、慰めになる。

 ………………語り出しは厳かに。けれど端的に。聞かされたのは、そんな事。

 

「全ての始まりは、あの日──────()()()()()()()()()()()()()

 

 エデン条約調印当日、先生が錠前サオリに撃たれ、運ばれていた頃の出来事。

 白洲アズサはアリウスの目論見を破る為、単騎でスクワッドへと挑む事を決意した。

 結果、ぬいぐるみに仕込んだヘイロー破壊爆弾によって、秤アツコが瀕死の重傷を負った。

 ベアトリーチェの想定が甘かったのか、或いは、錠前サオリの防御が間に合わなかったのか。

 原因は不明だが、彼女は致命傷を負い。一時は命を繋いだものの、最後には衰弱し死亡した。

 

 あの瞬間の錠前サオリの表情は、筆舌に尽くし難い程、壮絶だったと言う。

 そして、親友からの贈り物によって他者の命を奪った白洲アズサもまた、酷く、心を。

 アリウスの利用した戒律は、一人の死と、二つ分の消えない傷によって停止する筈だった。

 …………だが、ベアトリーチェの小細工により、秤アツコの死後も複製達は稼働し続けた。

 その上で、阿慈谷ヒフミらによるエデン条約機構の宣言する事で、漸く事態は沈静化した。

 

「エデン条約に関連する最悪の事件は、死者一名で終わりを終着を迎えた、かに思われた」

 

 思い返せば、これが悪夢の始まりだった、と彼女は吐き捨てるように呟いた。

 以後、事件の調査をする中で、トリニティは白洲アズサが殺人を犯した事実に行き着いた。

 恐らくはその時まで、彼女は知らなかった筈だ。複製の稼働が、少女の生存証明だったから。

 やむを得ない事情があったにせよ、キヴォトスから浮いた概念である「殺人」を犯した。

 それは彼女に癒えない傷を作る事となり、トリニティ首脳部は相応の罰を下す事を決定した。

 彼女を知る者──セイア自身も含め──の抗議を意にも介さず、"ある処分"が下された。

 

「具体的な扱いの明言はよそう。…………だが、そうだね。浦和ハナコが、今一度学園に失望するに足りるモノであったとは、言っておくよ」

 

 時を同じくして、アリウス・スクワッドは秤アツコの死体を背負い、全てから逃亡していた。

 調印式の一件で悟ったのだ。彼女だったものが、どんな扱われ方をするのか、その片鱗を。

 彼女達の胸中を満たしたのは、秤アツコの安寧と白洲アズサへの復讐、アリウスの校訓のみ。

 虚しいだけの世界で、けれど最後には、スクワッドは大切なひとだったものさえ奪われた。

 白洲アズサへの復讐と、愛する者への尊厳ある死。最早、その両方叶える道は無かった。

 

「それがどれだけの絶望か、私には分からないが…………彼女は、先生を頼った」

 

 彼女が対価として提示したのは、自身の生殺与奪の放棄と、白洲アズサへの復讐を諦める事。

 先生の協力を取り付けた錠前サオリは、散っていた戒野ミサキ、槌永ヒヨリと合流。

 彼女達は、全てが虚しいモノと知りながらも、アリウス分校を擁するバリシカへ向かった。

 ────全ては、秤アツコの安らかな眠りのために。

 

「そして私は、予知夢の中でゲマトリアの会合を目にしてしまった」

 

 エデン条約の一件。その全てを裏から操っていた存在の発露。

 身に余る神秘の代償として曖昧になった意識の中、百合園セイアは真実の一端を知った。

 この事実を、彼女は誰かに伝えなければならなかった。事件はまだ、終わっていない事を。

 けれど、流転する運命の皮肉か。彼女の傍に立っていたのは、聖園ミカだけだった。

 ゲマトリアの悍ましい計画を聞き、錯乱した状態で、彼女は聖園ミカに言葉(呪い)を掛けた。

 

『先生が、スクワッドに狙われている…………君が…………先生を、連れて来たから!』

 

 意識を失う直前、百合園セイアが発した訂正の言葉は、きっと彼女に届かなかった。

 ここは祈りで救われる世界では無いと。お伽噺の様な、甘い夢を見ていた少女は知った。

 真理の報酬として手渡されたのは、毒の言葉。────そして、聖園ミカは魔女になった。

 檻を破り、自身が味わったソレと、同じだけの苦痛と喪失を、錠前サオリに与える為に。

 

「両者はアリウス分校で会敵した。再三の戦闘は、アリウス勢力さえ巻き込んだんだ」

 

 両陣の決着は、祭壇場が存在するバリシカへと続く地下回廊で決した。

 聖園ミカが最も厄介だと断じたのはシャーレの先生。その指揮能力の高さは当然の事。

 何よりも彼女には、先生を傷つける動機が無かった。銃口の先は、飽くまでスクワッドのみ。

 故に、地下回廊の装飾に使われていた柱を利用し、彼女は物理的な分断作戦を決行した。

 

 ………………そこに、失敗があるとするのなら。槌永ヒヨリが取り残された事だろう。

 

 苦渋の選択は、僅か数瞬の内に。彼女達は先を急ぐ決断を下した。

 それは、見捨てるという宣言にも似た行動は、槌永ヒヨリからの進言もあっての事だった。

 …………だが、錠前サオリなら兎も角。彼女では聖園ミカという暴力に屈するしかなかった。 

 その全身が、九ミリの弾丸に刺し貫かれる間。彼女が知ったのは、虚しさを伴った"赤"だけ。

 死の間際、彼女は声を発する事は無かった。遺言も、命乞いも、普段の泣き言さえ鳴りを潜め。

 

 そして、いつしか。彼女の頭上に浮かんでいたヘイローが砕け散った。

 ………………聖園ミカが、本当に魔女になった瞬間があるとすれば、ここだった。

 百合園セイアを殺したと思い込んだ少女は、もういない。居るのは、本物の"人殺し"。

 無邪気な夜の希望は堕ちて。一線を越えた彼女は、自壊を厭わない悲哀の狂気に変わり。

 躊躇いも無く、畏れも無く、己さえ失い不幸を撒いた彼女は、確かに童話の魔女そのもの。

 

「そして。ベアトリーチェが差し向けた数多の複製、聖女バルバラを道連れにして。穢れ切った笑みと共に、彼女は救いの無い世に別れを告げた」

 

 時を同じくして、儀式により異形と化したベアトリーチェとの戦闘があった。

 欠けたスクワッド、不完全な儀式。バリシカの決戦は、辛くも先生らの勝利に終わった。

 尤も、彼女を打倒するには"奇跡"が足りず、"大人のカード"で埋め合わせる事になったが。

 それでも何とか栄光を勝ち取った彼女らに対する仕打ちは…………あまりに酷だった。

 

 かの儀式は、開始から秤アツコが死んでいた事により、不完全な状態で進行していた。

 寧ろそれが最悪だった。本来、儀式とは厳粛なモノ。正規の手順を一つ外れれば停止する。

 例えば、祭壇から秤アツコを下ろす、といったような。何気ない行動で良かった筈なのに。

 けれど彼女は死んでいて、儀式は不完全な状態から開始していた。()()()()()()()()()()()

 

「故に、多少の小細工を弄した所で、不完全な成功が発生する事は決まっていたんだ」

 

 色彩の力を利用する為の儀式は、しかし。其そのものを顕現させるモノへと劣化していた。

 発生する被害は大きく。儀式の完遂能力は、正規のソレよりも強固に変わってしまった。

 不完全な成功を望まず、完全な成功を望むべくも無いのなら、残る退路は一つだけ。

 必要だったのは、"失敗"だった。中途半端なミスでは無く、全てを台無しにするような。

 

「幸いにして、それは簡単だった。…………彼女はきっと、この結末を知っていたんだろう」

 

 本来、これはロイヤルブラッドのヘイローが砕ける事によって完遂される儀式。

 現状の儀式でさえ、秤アツコを利用する。ならば、彼女以外が生贄になれば、全てが破綻する。

 錠前サオリは、笑って死んだらしい。全ては虚しいが、それでも為せた事はある、と。

 彼女のヘイローが砕けるのと同時、キヴォトスは色彩の影から逃れる事に成功した。

 …………だが、それで戒野ミサキは折れた。虚しい世界に生きる理由を、失くしてしまった。

 全てが終わったある日、血を流し続ける事によって自殺した彼女の姿が見つかったと言う。

 

 生き残った者のいない、陰鬱な話。それは、彼女でさえ例外でなく────

 

「ミカにあの言葉を吐いた後、私は意識を失い、明晰夢の中であのバリシカにいた。

 ────そして、ベアトリーチェからの攻撃によって私は僅かながらに色彩に曝露した」

「ええ。お察しの通り、()()()()()()()()()()()。これは、遅れた走馬灯のようなものです」

「…………そうか。それが、私がここに居る理由、という訳か」

 

 これが、エデン条約で起きた全ての事。不快で、忌まわしく、眉を顰めるような。

 悲しくて、苦しくて、憂鬱になるような。ただただ後味だけが苦い、真実の話だった。

 錆びついたフェンスを背に、意味も無く、わたしはもう一度夜空を仰ぎ見てみる。

 感嘆するほど綺麗だった視界は、いつの間にか色褪せて。寂しさだけが残っていた。

 

「全ては、船織アヤナ。君の選択が引き起こした結末だ」

 

 百合園セイアから、糾弾の声が届く。彼女の怒りは、尤もなモノだと思う。

 それが最善であるかは兎も角、彼女達なりに懸命に行動した果てがこの結末だ。

 努力は報われない物だが、これは度が過ぎている。彼女達には報酬があるべきだった。

 そんな彼女の立場にすれば、何一つ行動を起こさなかったわたしは、憎むに足りうる。

 

「君になら、もっと違う結末に辿り着けたんじゃないのか」

「…………無理ですよ、わたしをなんだと思ってるんですか」

 

 わたしが干渉しようが、しなかろうが。結末は然程変わりはしなかっただろう。

 ────いや、この場合は寧ろ。わたしのせいというのも、間違っていないか。

 

「結局、そうですか。無力で無意味な物語、と。そういう訳ですね」

「……………………君は、何を言って」

「慰めになるか分かりませんが、そうですね。三つ目の問いに答えましょうか」

 

 "一つ、この寂れた空間の正体は何なのか"。"二つ、何故彼女はここに居るのか"。

 "そして三つ。どうして君が、こんな────"。それが、彼女の問うた言葉。

 わたしは可能な限り正確に、わたしの認識出来うる限りの現実を、彼女へと伝えた。

 それが正しい事だったのかは分からない。けれど彼女の表情を見て、少しだけ後悔した。

 それから直ぐに、百合園セイアは夜の風になって消えた。屋上に残る息遣いは一つ分。

 思いを馳せたのは、遠い空に浮かぶ星。彗星が一つ、軌跡を残して散っていった。

 

「さようなら、預言の大天使。願わくば、貴女が次に見る夢が、幸せでありますように」

 

 透き通るような世界の隅で、叶う事のない夢を、切に願った。

 

 




【シャーレの先生】

所属:連邦捜査部S.H.A.L.E
趣味:玩具/スマホゲーム
宝物:生徒から貰った折り鶴
備考:“……我々は望む、ジェリコの嘆きを。”
   “……我々は覚えている、七つの古則を。”
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