限界過疎アクアリウムガールが先生とお喋りするだけ   作:お前の母ちゃんベアトリーチェ~!

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【前回までのあらすじ】
・スクリア海に浮かぶ、水族館併設型学園、"ノアール"が舞台。
・唯一の生徒である船織アヤナは、先生と水棲生物トークに興じる。
・エデン条約編バッドエンド、プレナパテスルート。


投稿が遅れ、大変申し訳ございませんでした。
明日、明後日の更新で完結する見込みとなっております。



限界過疎アクアリウムガールとペンギンの話

 季節は巡るもので、最近は外気が夏の匂いを運ぶようになってきた。

 

 他所との交流が無いノアールだが、これで意外と季節感というモノには敏感だ。

 何しろ、この時期になると台風が頻発する。朽ちかけの校舎を考えれば、重要な事で。

 気象観測装置が伝える、季節風の到来と太陽高度。それがこの学園における夏の合図。

 夜半の空に浮かぶ夏の星座、遠く立ち上がる積乱雲を見る度に、夏が来たと実感する

 先日、学舎棟から釣り糸を垂らして、脂の乗った(アジ)を釣った事などは記憶に新しい。

 

 なんだか浮足立ってしまいそうな季節。が、台風も含め、正直不便な事の方が多い。

 暑さを増す日中。ノアールは海上に学園がある都合上、屋外は紫外線が凄まじい。

 これまでの様に屋上で休憩がてらにラジオを聞こうとすれば、ソレを直接浴びる事になる。

 今更日焼けを気にすることはないが、日射病のリスクに関しては流石に無視できない。

 そこで、物は試しと受付兼生徒会役員室でラジオを使ってみたのだが────

 

『──こ──、────と、かい──、────ぁ──』

「ノイズばっかり。分かってはいましたが、碌に使えませんね」

 

 ノアールが物理的に風通しのいい校風であるにせよ、ここはアクアリウムだ。

 学園で最も頑丈に設計された建物で、日々の維持管理の賜物か、壁には穴も無い。

 現代の電子機器ならこの程度苦にもしないが、ここは海上で、ラジオは旧世代の一品だ。

 棒状のアンテナが窓を向くが、気休め程度。聞こえてくるのは、情報の断片程度のモノで。

 

『────子ウサギタウンで、サーモバリック弾頭の爆発事故が発生したとの────』

「………………聞こえてくるニュースまで暗いんですから、救い難いですね」

 

 先日まで、カイザーインダストリー主導で再開発が進められていた子ウサギタウン。

 その地下を走る鉄道の、更に深部には、巨大サイロ────軍用格納庫が存在した。

 カイザーが水面下で作り上げた軍事拠点。爆破したのは証拠の隠滅の為、では無いのだろう。

 そもそも、<A.N.T.I.O.C.H.>計画の成果物など、彼らは所持どころか、知る由すら無い筈だ。

 この場合、カイザー側の都合と言うよりも、"彼女"側の都合だと考えるのが自然だろう。

 

「大方、恐怖支配の真似事をしたがったんでしょうが…………」

 

 不知火カヤ防衛室長…………あぁ、今は連邦生徒会長代理だったか。

 治安維持法の無理な施行と、それを警察学校では無く民間企業に行わせる事による不信。

 D.U.近辺で頻発していたデモ活動からも、彼女の求心力が低下していたのは目に見えた。

 自身に反対する勢力に対する威信行為として、こんな真似を考え付いたのだろうが────

 

『負傷者は複数報告され────死傷者数は最低でも────』

「…………これはやり過ぎです。彼女の進退まで行くでしょうね」

 

 カイザーも余程目が眩んだらしい。恐らくは地下鉄か、再開発の利権を対価に受け取ったか。

 再開発地区として住人の退去が進んでいた子ウサギタウンだが、まだ多くの人間が残っていた。

 それを、避難勧告すらせずにサーモバリック弾頭の爆破解体場にするなど、正気ではない。

 まして性質上、アレは地下での爆発で威力を増す。或いは、それが目的だったのかもしれない。

 地下鉄での爆破事故。察するに、交通室長の責任問題で終わらせるつもりだったのだろうが。

 

『なお、カヤ連邦生徒会長代行はカイザーグループと違法な取引を行っていた疑惑があり、双方に重大な処罰が──────』

 

 このキヴォトスで死者まで出したのだ。最高権力の代行として、責任の追及は免れない。

 決して躱せない凋落の烙印。カイザー共々、学園都市への支配に終わりを迎える筈だ。

 尤も、カイザーに関しては相応の損失こそ被れど、名前を変えて存続し続けるだろうが。

 次は…………サンダーグループ辺りを名乗るんじゃなかろうか。あの女の考えそうな事だ。

 

「分からない事と言えば、誰がどうやって不正取引の証拠を掴んだか、ですが…………」

 

 昔から、長期的な視点を持てない少女だった。単純に今になってボロが出た、とも見れるが。

 彼女の謀略に身内を殺された者の執念、と考えることも出来る。何しろ規模の大きい事案だ。

 事件発生前、カイザーの制止振り払い地下鉄へ突入した人物が数名報告されている事もある。

 飽くまでも想像だが、突入した地下で証拠を手に入れ、即座に脱出できれば、一応の筋も通る。

 察するにそれは…………とまで考えて、どうでも良い事だ、と脳内から疑問を弾き飛ばせば。

 

『これより連邦生徒会による────を、──け──、──────』

「っと、流石に限界ですか。やっぱり屋内じゃ駄目ですね」

 

 伸びをするように、椅子の背もたれへ体重を預ける。血流が良くなる感覚を覚え遠くを見る。

 壁掛けのアナログ時計に目をやれば、次の業務の開始まで凡そ五分ほどを示す針。

 残り短い休憩時間だが、ラジオが聞けないなら仕方が無い。屋上で過ごすとしよう、と。

 わたしが古く重たいラジカセを持って立ち上がろうとした時、入り口に見慣れた影を見た。

 

 純白のコートに身を包んだ、独立連保捜査部の紀章。唯一の利用客である先生の姿だった。

 

 ──────そこに小さな違和感を抱いた。

 現状、陸路の存在しないノアールに辿り着くには、何らかの船舶を利用する必要がある。

 が、今に至るまで、わたしの耳にエンジン音は届いていない。ラジオに集中してたにせよ、だ。

 にも(かか)わらず、先生はどうしてかロビーに足を踏み入れている。それはきっと異常な事の筈で。

 …………なんて、我ながら白々しい思考を、わたしは一息に打ち切った。

 

「ノアールへようこそ、先生。また来るなんて、物好きなひとですね?」

 

 ◇◇◇

 

 ………………かつん、かつんと。二つ分の残響が、足跡として刻まれる。

 

 暗い夜道に似た、狭い通路を二人で歩く。街灯は頭上ではなく足元に。

 受付兼生徒会役員室で普段通りのやり取りをして、わたし達がロビーを発って、暫く。

 わたし達はいつも通りに、他愛もない雑談に興じながら、幾多の海を巡る旅をしていた。

 交わした言葉の内容は、吹けば飛ぶような下らない話。

 

「そうそう、前に学舎棟でアジを釣ったんです。三十センチ越えですよ、三十センチ越え」

「あぁ、夏が旬だったっけ、アジ。新鮮な魚がそのまま食べれるの、少し羨ましいかも」

「たいへん美味しかったですよ? 魚拓も取ったので、今度見せてあげます」

 

 巡回先へ辿り着くまでの、ちょっとした時間つぶし。

 今朝食べたご飯や、最近あった良い事など。ちょっとした日常の出来事を交換する。

 心底から意味を持たない会話。わたしは、先生と過ごすこの時間が無性に楽しかった。

 最近は道中で妙な話をする事が多かったが、元よりわたし達の会話などこんな物なのだ。

 

『今日は甲殻類のエリアを見回ります、他に見たい場所があればそちらに』

 

 わたしが先生にそう告げてから、それなりの時間が経っていた。

 今日の巡回先である甲殻類エリアは、動線の都合上、比較的遠い場所になっている。

 あそこに展示してあるのは、名前の通り、エビやカニ、そして一部の深海生物だ。

 …………因みにだが、初めて甲殻類エリアを案内した日の先生の感想は、

 

 『わぁ、美味しそうだね』

 

 なんて。情緒もへったくれも無い、あまりにも正直すぎる所感だった。

 正直、生徒とは言え、女性と二人で水族館を巡った感想がソレなのはどうかと思う。

 

 …………が。飼育員(わたし)の立場にすれば、それほど悪くない感想だったのも事実だった。

 "美味しそう"という直観は、裏を返せば、体躯の大きさや色艶が良好である事の証。

 それはつまり、水棲生物の生育環境が上等である事の証明にもなり得る、という事で。

 ノアールの人手不足/資源不足な現状を考えれば、それは望外の言葉に他ならず。

 先生にあの言葉を言われた日の夜は、ニヤけて寝付くのが遅くなってしまったほどだった。

 

 今度もまた同じことを言わせてみせる、とわたしが意気込んだ折、ある場所を通りがかった。

 

「ここ、暗いので気を付けて………………、っ?」

 

 左手側の視界が急に晴れる。目を向ければ、そこは閑散としたステージだった。

 プラスチックで出来たいくつもの観客席が、半月を描くが如く、階段状に並んでいる。

 椅子達の視線の先には、舞台と一体化した巨大な水槽と、自然を模倣した岩礁。

 陸地部分には人工雪が積もっており、遠く離れたこの場所にさえ、冷気を運んでいた。

 それは、水族館によくあるような、何の変哲もない普通の屋内ショーステージだった。

 

 …………この場所に奇妙な点があるとすれば、観客だけでなく、展示対象も居ない事だけだ。

 

「なんでここの電源が入って…………制御系の誤作動? それとも…………」

「ねぇ、アヤナ。展示物が見えないけど、ここはどういう場所なの?」

「へっ!? あ、えーっと、その、夢の跡、みたいな感じですかね?」

 

 取り敢えず脳内に浮かんだ疑問を隅に置き、先生の移動へと優先順位を切り替える。

 とうに廃棄されたエリアに電源が入ってしまった理由の解明は、後で幾らでも出来る事だ。

 少なくとも、何もない退屈な場所で立ち往生する理由は無いだろう、と先生に振り返る。

 

「さ。こんな場所よりも、早く甲殻類エリアに行きましょう、先生。

 ノアール名物、生きたキヴォトシアンデス・ダイオウグソクムシを見せてあげますよ!」

「キヴォトシアンデス…………ごめん、何?」

 

 キヴォトシアンデス・ダイオウグソクムシ。キヴォトス原産の深海生物の一種だ。

 等脚目ウオノエ亜目スナホリムシ科、キヴォトシアンデス属の生物種の総称で、亜種は二種。

 深海三百メートル近辺に生息し、主に夜間活動の底生、食性は腐肉から海藻までの雑食。

 分類からも分かる通り、ダイオウグソクムシを名乗っている癖に、親戚としては割と遠い。

 この種の最大の特徴は、古生代の常識をそのまま持って来たかのような体躯の大きさだろう。

 成体の平均全長は一メートル前後、最大で二メートル以上の個体が確認されている程だ。

 

「まぁ、乱暴な言い方をすれば超大きいダンゴムシです。ほら、行きましょう先生?」

 

 音に聞こえる散財(シュミ)の傾向からして、先生は明らかに童心を忘れていない事が伺える。

 きっと、幼少期は岩の裏のダンゴムシを見つけてはしゃいだタチだろう、多分。

 まして先生は"外"から来た人だ、キヴォトス固有の水棲生物は喜ばれる、と思ったのだが。

 

「────えっと、ごめんね、アヤナ。私、今日はここに残ろうと思うよ」

 

 返って来たのは、予想だにしなかった言葉。己が聴覚の正常さえ疑った一言。

 試しに全体を見渡してみるが、人も展示物も無いなら、目を引く物など見当たらない。

 自惚れを抜きに、この場所で過ごすよりも、わたしと水族館を巡った方がまだ楽しい筈だ。

 柄にもなく混乱する。先生の言葉の真意が読み取れず、気づけば確認の声を上げていた。

 

「もしかして、嫌いでした? キヴォトシアン・デスダイオウグソクムシ」

「ううん? 面白そうだと思ってるけど、今日はいいかなって思ってね」

「…………あの。わたし、行っちゃいますよ? 本当に良いんですか?」

「まぁ、寂しいけど仕方ないよね。考えてみれば、いつも付き合わせちゃって悪いし。

 ──────お仕事頑張ってね、アヤナ。応援してるから」 

 

 この場所の何が気に入ったと言うのか、錆びかけた手摺を伝って階段を降りていく。

 先生は覚束ない足取りで、近くにあった古ぼけたプラスチック製の客席に座る。

 その視線がこちらを振り返る事は無い。どうやら本当にここで分かれるつもりらしい。

 

 …………別段と、わたしにとって不都合な事は無い。

 先生がこの場所で留まってくれるのなら、わたしはバックヤードを使った移動が出来る。

 大幅な移動時間の短縮だ。そしてこの場所もまた、立ち入り禁止エリアという訳でもなし。

 ここの電源が入っていたのは予想外だったが、先生が帰った頃合いを見て落とせばいいだけ。

 そもそもとして、わたしの巡回に先生が勝手に着いて来ているのだ。配慮する道理なんてない。

 

 の、だが。空の水槽を見つめる先生の瞳の危うさに、ここから去るという選択肢は消えていた。

 

「…………行かなくていいの?」

「まぁ、多少は時間に余裕を持たせてありますし。それにわたし、さっきは休憩中だったので」

 

 先生の傍の席に、わたしも腰を下ろす。距離はきっかり二席分、きっと適切な距離。

 放っておけないと言うか、アレしてしまった弱みと言うか。先生は罪深いひとだと思う。

 …………先生に倣うよう、主役の欠けたステージへ視線を送る。変わり映えのない静止画。

 風すら吹かない退屈。周囲には冷気が漂っているが、心地よいモノではなく、少し肌寒い。

 小さな息遣いが二つばかり、様子を窺うように先生の方へ首を回せば、切り出された話が一つ。

 

「それでさ、ここは結局どんな場所なの? さっきは夢の跡とか、何とか…………」

「…………そうですね、一口に説明するのは難しい場所なんですが…………。

 まず、ここではある試みとして、二種類のペンギンを飼育していたんです」

 

 一つ目は、鳥綱ペンギン目ペンギン科オウサマペンギン属の鳥類である、コウテイペンギン。

 黒い背面と、真っ白な腹部。上胸から頸部にかけて、黄色い斑があるのが特徴的な点。

 図鑑などを開けば初めに目に入るペンギンで、一般にイメージされるペンギンはこの種の事。

 世界最大級のペンギンであり、成鳥の体長は一メートル以上、体重は最大四十五キロほど。

 食性は甲殻類や小型魚類などの雑食で、最低でも百メートル以上は潜水し、狩りをする。

 

 二つ目は、同網同目同科アデリーペンギン属に分類される、アデリーペンギンだ。

 食性はコウテイと同様に雑食、潜水深度は百メートル以下が多く、短周期の潜水を繰り返す。

 ペンギン目の体躯としては比較的小型だが、他種に比べ非常に気性が荒い事が特徴的だ。

 有名な画像で言えば、寄って集って雛を虐める、三羽のアデリーペンギンの写真だろうか。

 状況次第だが、人間や新しい物体に対して大胆に接近する傾向が多い事も報告されている。

 

「へぇ…………その子たちって、普通の水族館で見るペンギンとは違うの?」

「一般的なのは温帯や亜熱帯、地中海性気候のペンギンで、こちらは南極圏のペンギンなんです」

 

 ノアールで飼育されたのは、二種共に極地圏を生息域とし、繁殖行動までそこで行う南極鳥類。

 通常、水族館で飼育されるペンギンと言えば、コガタやフンボルト、マゼラン等が一般的だ。

 何しろ、南極圏の水棲生物を飼育するには非常に手間が掛かる。温度適応性が代表的だろうか。

 それ以外に、輸送の費用や展示の実務性、繁殖の容易さなどからも、飼育例は多くない。

 …………()()()()()、ノアールは自身を貴重な飼育例とする為に、彼らの展示を計画した訳だ。

 

「それに失敗しちゃったって事? 聞いた感じ、そこまで無茶には聞こえなかったけど…………」

「まぁ、そうですね。ここまでの話で済んだのなら、成功していたかもしれませんが。

 問題はここからで──────そう、多分。頭が可笑しかったんですよ、その人」

 

 飼育例を生もうとしたのは良い。それは福祉として、研究機関としての大切な仕事だろう。

 ──────が、()()()()()()()()()()()()()()()()など、正気の沙汰ではない。

 野性化の彼らは、南極圏の生物は餌が少ない極寒の中、不毛の氷地で生きねばならない。

 深海魚にも通じる話だが、そういった生物は、極めて省エネに生活しようとする傾向にある。

 要するに、ペンギンショーなどの激しい動きは、生態の規格からして向いていないのだ。

 考えてみれば単純な話、"寒いから動けない"。幼子でもわかる簡単な理屈だったが、しかし。

 

「結果として、ノアール建設の費用の内、実に五パーセントがこの一角に注ぎ込まれました。

 分かりますか? 寮や学舎棟の建設費用を含めた、"ノアール"全体の五パーセントです」

「………………………………うわぁ」

 

 具体的には超大型ドラムフィルター、産業用蛋白質分離装置、MBBRシステム、高流量のUV殺菌装置三基、予備に一基、オゾナイザー一式、高出力の主循環ポンプを予備含め四台、補助小型ポンプを計十台、冷却水循環装置四基、プレート熱交換器、PLC、SCADA、交換用センサー十個、施設用UPS、スラッジ脱水機、産業用人口氷雪生成装置、その他重要な物品、etc…………。

 

「これだけの設備。設置も大概ですが、維持費だけでも凄まじい額になります。

 ………………これで客足でもあれば、採算も取れたかもしれませんが」

「えっと、早い内から人が来なくなっちゃったんだっけ、ここ」

「………早々に見切りをつけて、この場所を解体した先輩たちは偉大ですね、本当に」

 

 ペンギン達はまだ十分野性で生きていけると判断され、早々に極地海域に放逐された。

 資料室に置かれていた記録によれば、ノアール開校から二年目の出来事だった。

 さもありなん。こんな立地で、一体どうして黒字になる程人が来ると言うのか。

 察するに、ノアールの設立を考えた人と、ここの企画を立ち上げた人は同一人物なのだろう。

 …………というか、こんな頭の足りない人物が同時期に二人も居たとか信じたくないし。

 

「そういう訳で、ノアール最大の不良債権であるアクアリウムにおける最大の不良債権がここ、ペンギンエリアなんです」

 

 因みに、今日ここの設備が稼働していたのは偶然だ。

 大規模施設の例に漏れず、ノアールでも施設全体で電気の流れをある程度一括で管理している。

 察するに、開館前の施設稼働の際に不具合でも起こしたのだろう。古い施設にはよくある話だ。

 念の為ブレーカーごと落としていた筈だが、何かの拍子に上がってしまったのだろうか。

 幸い、人工雪を見るに稼働してからそう長くない。原因究明は後でも良い、と横を見れば。

 

「………………………………」

 

 どこか、浮かない顔をした先生。人気(ひとけ)の途絶えたこの場所に、何を思っているのか。

 それを問いただすのは簡単だったけれど、何となく、聞いてはいけないと思ってしまった。

 なので、それを誤魔化すように。いつも通り、ちょっとした水棲生物の解説をする事にした。

 

「先生、先程紹介したペンギンは、非常に家族思いって、知ってますか?」

「…………そうなの?」

「ええ、特にコウテイペンギンは、世界一過酷な子育てをする事で有名なんです」

 

 彼らは秋頃になると、海岸から数十キロメートル離れた氷原の繁殖地へ立ち戻る。

 メスは比較的大型の卵を一つ産み、それをオスに託すと食料収集の為に海へ出る。

 抱卵期間は約六十五日。雛が孵った後も、ペンギンミルクと呼ばれる分泌物を与え続ける。

 上陸から凡そ百日以上、メスが帰るまで、オスは絶食しながら育児を続けなければならない。

 

「エネルギー消費は抑えているみたいですが、それでも体重は四十パーセントも落ちます」

 

 結果、育児を交代し海へ向かうことが出来たとしても、その過程で命を落とす事がままある。

 或いはそれよりも前、不漁や急速な温度変化、大型海鳥による襲撃でも壊滅的被害を受ける。

 そもそも根本的に、冬の南極大陸は過酷だ。平均気温はマイナス五十度、一部では極夜が発生。

 詳しい理屈の説明は省くが、季節風や低気圧活動が活発化し、強風/吹雪も頻繁に発生する。

 環境適応に基づく自然選択の結果だというのは理解できるが、凄まじい話だと思う。

 

「極地の育児かぁ。けど、なんで冬なの? 他の季節の方が楽そうに思えるけど」

「良い質問です、先生。実際、アデリー辺りはそういった意味で"楽"ではありますが…………」

 

 アデリーペンギンの繁殖期は夏。南極沿岸部、雪の解けて露出した岩場で行われる。

 平均気温はゼロ度近辺。人間には極寒だが、南極生物には過ごしやすい程度のモノだろう。

 とはいえ、卵自体は別だ。降雨や降雪、雪解け水に晒されれば、間違いなく死滅してしまう。

 その為、アデリーペンギン達は、可能な限り高い位置に巣をつくる必要性に駆られるのだ。

 

「ですが、南極に露出した岩場は少ないですし、巣材の小石は貴重資源です」

 

 結果として、この時期になると親鳥達による小石の奪い合いが散見されるようになる。

 これは、"らしい"巣作りをしないコウテイペンギンにはない特徴だろう。

 海に出た親鳥が潜在的に餌を奪い合う事はあるが、直接的に資源を奪い合う事は無い。

 この辺りが、コウテイペンギンが冬に内陸部で育雛を行う理由の一つなのだろう。

 

「それに、巣が完成した後でさえ、育雛には大きなリスクが残ります」

「大きなリスク…………夏ってくらいだし、天敵が活発だったり?」

「大正解です、流石先生。具体的には、シャチやヒョウアザラシでしょうか」

 

 夏頃になると海氷が減少し、解放水域が広がってしまう。

 アデリーペンギンの繁殖地や狩場は、氷縁や沿岸部にあるため、格好の狩場となる。

 

「特に、シャチの中でも中型のBタイプの動きが活発になる時期でもあるんです」

 

 シャチには、現状は亜種と分類されていない亜種…………"エコタイプ"が存在する。

 エコタイプは…………大雑把に説明するのなら、キヴォトスでの学園間の違いに近い。

 狩猟の文化化(自治区の所有)社会構造の固定化(校風の違い)遺伝的な隔離(羽や耳など)、と言ったような具合で。

 現状、極海域で記録されたエコタイプは四種類。大きい順に、A型、B型、C型、D型がある。

 この内、B型から更に分化したB2型がペンギン狩りに先鋭化している個体群になる。

 水中からの浮上時は勿論、陸上にいても水面から引きずり込まれる等の行動が確認されている。

 

「なので、コウテイペンギンに比べて育児が間違いなく楽、とは言えませんね」

「自然界って厳しい…………けど、外敵も多いのによく全滅しないね?」

「まぁ、その為の"ファーストペンギン"ですからね」

「………………? 口ぶり的に、慣用句の意味じゃなさそうだけど」

 

 日常会話において勇気ある人への比喩として使われる言葉だが、由来はペンギンの生態にある。

 生態学的には、氷縁で群れの他個体に先行して最初に海に入る個体を指す言葉。

 これには大きなメリットとデメリットが伴う。利点で言えば、餌の競争で有利を取れる事。

 

「そしてデメリットは、捕食リスクが跳ね上がる事」

「…………………………」

 

 いつかに聞いた話では、先生は確か、幼少期に錦鯉を飼っていたのだったか。

 コイのいる水槽の中に投げ入れられた餌のようになる、と言えば想像しやすいだろうか。

 より多くの餌にありつける可能性か、死か。生存競争の天秤に載せられた二者択一。

 ………………個体レベルで言えば、吊り合いの取れていない賭けに他ならない。

 

「ですが、群れ単位で見れば、話は違ってきます」

 

 ファーストペンギンが持ち帰る情報次第で、群れ全体の給餌効率が向上する。

 払うべき代償は、たった一個体の死。繁殖期であっても、雛含め僅か三/四匹のみ。

 群れの生存率まで上がるため、個体レベルの話とは打って変わって、分のいい賭けとなる。

 かと言って、生き物である以上死を恐れるのは当然、群れの誰もが尻込みする。

 

「だから、蹴落とすんです。群れを生かすために」

「…………………………」

 

 これは飽くまでも私見だが、落とされるファーストペンギンは怨みなど抱かない筈だ。

 何しろ悪意では無いのだ。必要だからやっただけ。偶々それが自分だった、という話。

 …………そもそもとして、その機構に浴して生き延びてきた内の一匹なのだから。

 群れを存続させるための犠牲になる事に、何の不満を零すことが出来るのだろう。

 

「とまぁ、二種ともカタチは違いますが、群れやコロニーに執着する種です」

「…………それって、ここの子達を野生に戻す時、困らなかったの?」

「かなり手間取ったそうですよ。それはもう大暴れだったみたいで」

 

 住めば都とは言うが、それは展示されていた彼らにとっても同じ事だったらしい。

 例えそれが、雪や冷気に至るまで作り物の、傍から見れば牢獄みたいな環境だったとしても。

 …………まぁ、確かに。彼等の"居場所"に対する執着も、理解できない訳では無いのだ。

 帰る家や学園というのは、大切なモノ。それは、その人の原初のアイデンティティになるから。

 

 崩れかけのアクアリウムであっても。正義を名乗るキヴォトスの暴力装置であったとしても。

 ────帰る場所を失い、暗闇の中をさまよい続けた彼女達の恐れは、想像も及ばない。

 

「SRTの子達の事は、残念でした」

「………………あの子達と知り合い、だったのかな?」

「昔の同僚、といった所でしょうか。向こうがどう思ってたかは知りませんが」

 

 共に、多くの難事案を解決に導いた。きっと、友人までは行かずとも、戦友ではあったと思う。

 けれど、わたしの身勝手な裏切り────"あの事件"以降、その認識は変わってしまった筈だ。

 真っ当に考えれば、恨まれているのが自然だが。何しろ善性の塊みたいな子達だったし。

 案外わたしの事を怨んでいない…………というのは、自分に都合がよすぎる妄想だろうか。

 もう二度と会えない彼女達の表情を思い浮かべ、わたしが自嘲的な息を吐いた折。

 

「──────伝えられなかった言葉が、あったんだ」

 

 …………ぽつりと。そんな言葉を耳にした。

 先生から初めて聞いた、後悔の声。選択出来なかった未来へ、思いを馳せるように語る。

 あの日。置手紙を残して消えてしまった少女達と、先生は二度と会えなかった。

 先生に、その選択を責める意思はない。それが少女たちの選択なら、間違いなく祝福するから。

 ────けれど、あの時。あの少女は、過去と現在が生んだ"責任"に苦しんでいたのだ。

 

「私は、ミヤコに"責任"と、その在り処を教えてあげたかったんだ」

 

 その言葉を伝えて、辿る結末が変わっていたかは分からない。

 或いは、その言葉を聞きたくないからこそ、彼女達は黙って去ったのかもしれない。

 こんなモノは余計なお節介で、彼女達はこの結末にさえ満足していたのかもしれない。

 けれど、それでも。少女の苦しみを、世界の責任者の一人(大人)として──────

 

「"いってらっしゃい。いざという時は、責任を取るから"って、言ってあげたかったんだ」

「………………」

 

 放逐されたペンギン達がどのような末路を辿ったのか、わたしは知らない。

 二種のペンギンの寿命は、野性下の場合最大でも二十年程度。大抵はその半分程度か。

 ここが解体された時期と、当時の年齢を考えれば、まず間違いなく死んでいる。

 その死がどのようなモノだったのか、それを知る者は最早、遠く凍てつく海だけだ。

 

「…………先生は」

 

 この世界の事が嫌いになりましたか、と言い掛けて、わたしは口を噤んだ。

 キヴォトスが、少女達の血で生き延びている現実を認識してしまった今。

 その答えを先生に出させるのは残酷で。わたしも、その答えを聞きたくはなかった。

 ────ただ。先生が空のステージへと向ける瞳だけが、何より雄弁に現実を語っている。

 

「最近は、後悔してばかりだ………………ごめんね、愚痴を言って」

「…………構いませんよ、わたしにしてあげられる事は、この位ですから」

 

 先生が、遠い。僅か二席分の距離が、水平線の彼方に比肩する程遠かった。

 こんなに頑張っている先生を、こんなに苦しんでいる先生を、抱き留める事すら出来ない。

 

 耳元で、"君になら、もっと違う結末に辿り着けたんじゃないのか"と囁く声する。

 当然幻聴で、驕りに違いない。なのに、あの少女の言葉が、棘の様に胸に食い込んで離れない。

 脳漿を満たす傲慢を打ち払うよう、わたしは頭を振って立ち上がる。小さく眩暈がした。

 左腕のデジタル時計を見れば、いい加減に時間の余裕が無い事に気が付く。

 

「わたしはそろそろ行きます。先生はどうしますか?」

「………………残るよ。もう少しだけ、ここにいたい」

「そうですか…………分かりました」

 

 コンクリートで出来た、浅い階段を上っていく。先生に必要なのは、慰めよりも時間だ。

 このキヴォトスでは、今も水面下でドス黒い陰謀と策略とが蠢き、喰い荒らそうとしている。

 

 目下の難題は、エデン条約の一件を生き残ったらしいベアトリーチェだろうか。

 当初の計画が頓挫した以上、彼女はまた、何らかの手段で"色彩"に接触を図るだろう。

 尤も、他の不可解な存在(ゲマトリア)にとっても、かの異次元からの色は不俱戴天の敵。

 その点で言って先生と彼らは協力し合える筈だが…………しかし、信用は出来ない。

 早急な対処が求められる。結局、全ての状況が先生に足を止める事を許さない訳だ。

 

 ──────それが、無性に。何故だかとても、腹が立った。

 

「…………先生!」

 

 階段を上り切って、振り返る。カラのステージを眺めていた瞳が、わたしへと向かう。

 きっと先生には少し、休む時間が必要なのだ。立ち止まって、振り返って、前を向くために。

 もしも世界がソレを許さないと言うのなら、ノアール(わたし)がその役目を背負って見せよう。

 だから、ほんの一瞬、ほんの一瞬だけ先生が先生でなくなるための、魔法の言葉を掛けるのだ。

 

「さようなら、先生──────また明日!」

 

 何千何万と繰り返されてきた、帰りの挨拶。それは、"先生"の荷を下ろすための魔法。

 "先生"と呼ばれたその人は、意外そうな表情で何度か瞬きをして。そしてふと、微笑んだ。

 

「……………………ふふっ。うん、また明日ね、アヤナ」

 

 返される言葉と、あの人の柔らかな笑みを省みないよう、わたしはバックヤードに消える。

 ────ここでのひと時が、あの人にとっての安らぎであれば良いと、切に願った。

 

 

 

 その日から、先生がノアールを訪れる事は無かった。

 




【連邦生徒会によって記録された、ある事件】

首謀者:[データ削除]
犯行人数:単独
被害範囲:キヴォトス全域
備考:船織アヤナを自称する少女が画策した、とある事件。
   現存する全ての学園への甚大な悪影響を確認済み。
   状況から先生の関与が疑われていたが、現在は否定。
   連邦生徒会の首謀者確保の試みは全て失敗している。
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