魔力がなくても魔術主義世界で君を守ることはできますか? 作:花屋
魔力がないというのは、およそ生物的にあり得ない状態である。
前提として、人間を始めとしたすべての生命体はすべからく魔力を持つからだ。
また、無生物であっても、“霊脈”と呼ばれる世界を巡る魔力の波長を受け、ごく微量の魔力を宿す場合がある。
つまり、魔力を一切持たないミナルカは、その世界の循環から完全に外れた存在で。
——紛れもなく、異端の存在であった。
◆◆◆
「はあ〜、こりゃまた……」
ハステア魔術学園“第八実験室”。
壁に所狭しと押し込められたガラス扉の収納棚には雑多に魔道具や実験器具の数々が押し込められ、床に敷き詰められたかつて白かったタイルは度重なる実験の被害(主に爆発)から煤を被ったような黒ずみが目立つ。
「マジでピクリとも反応しねえ。こんなことがあんだなあ……」
そんな実験室のど真ん中にポツンと寂しく置かれた机に頬杖をついて、赤髪紅眼の男教師、ラングレイ・カーマインが困惑と興味に彩られた感嘆を上げた。
机を挟んで彼の目の前に立つミナルカが触れる、白色半透明の水晶板。これは魔力に反応する鉱石を加工した魔道具だ
触れた対象の魔力を
「“無色”でも光るはずなんだが、光らねえってことは……吸い上げる
そのいずれの現象も起きないというのは、ミナルカには魔力がないということに対するなによりの証明だった。
「ううっ。ごめんねリルぅ……」
なんとか誤魔化せないか?
そんな希望をあっさりと打ち砕かれたミナルカは、ここにはいない、別室で待機する雇い主のリルファーナに向けて謝罪を口にする。
(こりゃ入学許可は無理だな)
しょぼくれるミナルカに向けて、ラングレイは内心で当然の判断を下す。
ここが魔術学園である以上、魔力を持たない少女に入学許可を出すことはできない。
(無理だ。……普通なら)
しかし彼は、この入学希望者を落とす気をまったく持ち合わせていなかった。
「んじゃあ、お前の魔力は“無色”ってことで通しとくから、
「えっ?」
「帰りに制服受け取るの忘れんなよー」
予想外の入学許可に、ミナルカがきょとんと目を見開いて間抜け面を晒した。
「いいの⁉︎ 私、魔力ないんだよ⁉︎」
「本当はダメだな。ここ、魔術を学ぶ場所だし」
至極当たり前である。
ハステア魔術学園は魔術師および様々な
そんな場所に魔力のない田舎娘を放り込める道理はない。
そもそも魔力の有無が入学の可否に繋がる以前に、ラングレイの行動は立派な
当然、バレたら社会的に首が飛ぶ。
「だがな、ミナルカ」
しかしそんなことを意にも介さず、男教師は紅眼を光らせ続けた。
「魔術への
「はっ——。なるほど!」
おもいっきり詭弁だったが、その辺の駆け引きや機微にまるで疎いミナルカはラングレイの言葉に簡単に納得した。
あまりにも簡単に丸め込まれた少女の姿に、ラングレイは自分で言っておきながら『変な男に引っ掛からねえといいけど』と、将来を心配せずにはいられなかった。
その後、ラングレイは『魔力がねえこと、絶対に口滑らすなよ?』と再三にわたって念押ししてからミナルカを解放。
「……不安だ」
自分のことながらとんでもない綱渡りをしている自覚のある慢性的に寝不足な教師は、あの世間知らずの田舎者がポロっとこぼしそうだなー、という確信に近い予感に頭痛を覚えた。
「まあ、先のこたあ未来の俺に任せりゃいい」
ウキウキで主人に吉報を届けに行く忠犬のような後ろ姿を見送ってから暫く。男は机の傍に置いてあった一枚の報告書をつまみ上げた。
「
都市周辺で起きた出来事の殆どは学園に報告が上がり、その多くは教師の耳にも届く。
ハステアが『学都』の名で呼ばれるがゆえの
「あの反応、自分に魔力がねえことを知ってやがった」
魔力がないことへの驚きではなく、
「知って、とっくに受け入れてやがる」
——
理論上、不可能とは言いきれない。
魔獣の強靭な外皮や筋肉を貫けるだけのパワーがあればできることだ。
……問題は、その難易度が『魔力を使わないで鉄塊を握り潰せ』と言っているのとほぼ同義、という一点に尽きる。
自然と口角が上を向く。普段は無気力な紅眼が未知への興味に鮮やかな色を帯びる。
「……面白え」
少なくとも自分には絶対に無理だとラングレイは笑った。
何らかの技術か、魔道具か、はたまた本当に身一つなのか。
いずれにせよ、そんな面白い人材を逃せるわけがない。
「今年は退屈しないで済みそうだ、ククク」
訓練室で一人、ラングレイは演劇の悪役のような笑い声を噛み殺す。
帰りが遅いと同僚が殴り込んでくるまで、男は少女が巻き起こすであろう騒乱に思いを馳せていた。
——そのいざこざに自分が巻き込まれることを、この時の彼には知る由もなかった。
◆◆◆
「課題が終わんないよ〜!」
なんやかんやあったけどなんとか編入を認めてもらえた日の夕方。
私は編入許可と一緒に貰っちゃった膨大な数の課題に押しつぶされそうになっていた。
「文字見すぎて目が熱い……」
観葉植物やハーブとかも置かれた、木目調のホッとする内装のリビング。
中央に置かれた木製テーブルの上には、大量の教科書。
私は詳しくないけど、きっと風情とか台無しだ。
「うう、頭痛くなる……!」
魔獣生態学、強化魔術基礎、七大属性体系論、大陸歴史学、魔術言語学、神話学などなど。
目にするだけで気絶しそうな分厚い教科書たちの、視界がぐわんぐわん回る文字の洪水に私の脳は破裂寸前だ。
「リ゙ル゙だずげで〜!」
「ええっと……」
目の前に座るリルは机に上半身を投げ出す私を見下ろし、困ったように苦笑い。
紫の瞳で私と教科書を交互に見てから首をかしげた。
「ちなみに、ミナルカ? 課題の内容は……」
「教科書、指定のページまで読んで来いって。これ、範囲」
「…………うーん」
私が手渡した紙を数秒ほど眺めてから、リルはより一層苦笑いを深めた。
「…………うん、頑張ってください!」
「ぴぃ……!」
課題の内容が手出しのできないものだってことがわかって、私はご主人様に見捨てられてしまった。
「——そんな情けない声出しちゃダメよ」
萎びた夏野菜みたいにヨレヨレになる私に檄が飛ぶ。
「ウォリックの従者は、どんな場所、どんな時でも自分を律するもの。昨日教えたでしょ?」
声の主は、茶髪メイドのアイリだ。
アイリはリルの専属
切れ目でクールな美人メイドさんは、キッチンでお茶を淹れる手を止めて、私の目をまっすぐと視た。
「わかった?」
「だずげで……!」
「そんな返事、教えてないわ」
白黒メインのスカートが長いメイド服を着こなすアイリ。
彼女の綺麗な翠緑の瞳が、スッと細まって険しさを帯びた。
「このあとの
「ミ゜ッ」
歩き方や敬語、その他必要な従者としての知識を徹底的に叩き込まれた昨日の一幕を思い出して発作で鳴いた。
メイドさんは恐ろしく厳しいのだ。魔獣なんか比になんないくらい怖い。あと、これ言ったら絶対にもっと怖くなる。
「アイリ、その辺で」
いよいよ人間の言語を発せなくなってきた私に
「なれない勉学に苦戦してますし、今日はほどほどにしてあげてくださいね」
「……お嬢様がそうおっしゃるのであれば。畏まりました」
「リル……!」
やっぱり持つべきは優しい雇い主! 一生ついていきたい!
「仕方ないわね……ミナルカ」
リルの優しさに瞳を潤ませて感動していると、アイリが小さくため息をついてからこう続けた。
「明日以降に繰り越すわ」
「え゙」
涙が引っ込んだ。
「当然よ。まだまだ覚えてもらうことは山積みなんだから」
「ひぃん……!」
何食わぬ顔でお皿を片付けるメイドさん、血も涙もない。
雇い主は優しいけど先輩がちっとも優しくないよう。
「ううっ、剣振りたい……。鍛錬したいよお。読書疲れたよお……」
心が冬の日の真夜中くらい冷え切っている。
春の室内は暖かいのに。あと頭は爆発しそうなくらい熱いのに……。
「まったく、もう」
無音で。
アイリが洗練された動作でティーカップを私の前に置く。そこに、ふわりとハーブが香るお茶が注がれた。
「これでも飲みなさい。少しは頭がスッキリするわよ」
「うん……」
ひと口飲むと、彼女が言ったとおり、霧がかった脳が晴れるような感覚があった。
「アイリ、鞭と飴が上手すぎる……」
「何事も一流にこなすのがウォリックの従者よ。あと、このお茶は『さっさと終わらせなさい』って圧力だから」
鞭と鞭……!
「す、少しだけ休ませて……!」
「今、お茶を飲んだでしょ?」
「10秒とかだったよ⁉︎ せめて分刻みじゃない⁉︎」
「ふふっ!」
私とアイリの掛け合いを見て、リルが楽しそうに笑う。
その笑顔を唯一の飴として癒されながら、私は夜遅くまで課題と格闘を続け……なんとか読み終えることに成功した。
「お、終わった……!」
「お疲れ様、ミナルカ。さあ、
「今から⁉︎」
——なんて一幕があったけど。
結局、私に根気強く付き合ってくれていたリルがうつらうつらと船を漕いでいたから、講座は(アイリに)惜しまれながら明日に延期となった。
◆◆◆
翌朝。
赤を基調とした学園の制服に袖を通す。
黒のスカートとズボンの二通りあったんだけど、私は動きやすさ重視でズボンを選んだ。
——そして、絶賛着替えに大苦戦中。
「ミナルカ、そろそろ行きますよ!」
「わ、わかった! えっとえっと、輪っかに通して——」
「ほら貸しなさい。……全く、今日は帰ったら身だしなみ講座をみっちりやるわよ」
「ゆ、許して……!」
目と声がガチなアイリにネクタイを整えて貰ってなんとか準備完了。
翠緑の眼光が鋭すぎて泣きそう。
「頑張りなさい、ミナルカ。ウォリックに仕える者として恥じない振る舞いをするのよ」
「任せて!」
「不安だわ……」
キメ顔で頷くと、アイリは何故か、とても不安そうな顔をした。
さて、魔術学園は今日から新学期(新年度)を迎えるとのこと。
詳しい話はちんぷんかんぷんだけど、どうやら一区切りついた状態から始まるから私の編入もスムーズにできた背景があるんだとか。
ちなみに私は全四学年あるうち、リルと同じ第二学年からのスタートだ。
編入の時に色々
お仕事のためとはいえ、ちょっと心折れそう。
「——これでいいわ。明日からは自分でやりなさいね」
「ありがと!」
笑顔でお礼を言うと、アイリは小さく首肯する。けど、両手は私のネクタイを持ったまま……むしろ、指先に力を込めた。
「…………アイリ?」
「ミナルカ」
鋭く、切実に。
たった2日の関係だけど、その声がとても真剣な心から出たものだってことはすぐにわかった。
翠緑の眼差しが私の金眼と交わる。
「——お嬢様を、守ってください」
左目の泣きぼくろが、どうしてだろう。今だけは、本当に泣いているように見えた。
だから私は——ううん。元々そのつもりだったけど、だからこそ、誓う。
ネクタイを握るアイリの手をほぐして、上から両手で握り込んだ。
「もちろん! 私はリルの侍衛だからね!」
主人の呼ぶ声に応えて、私は外に出た。
「行ってきます!」