リリィ研究機関エリュシオン   作:あばなたらたやた

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第一話:手術

 

 ヒュージ研究機関G.E.H.E.N.Aと対を成すように、リリィ研究機関エリュシオンは産声を上げた。それは必然の帰結だった。

 

 人類の宿敵たるヒュージを解析し、その技術を人類の超越者たるリリィの強化に転用するG.E.H.E.N.Aの存在に対し、エリュシオンはリリィを制御し、必要ならばその力を無力化する役割を担った。

 

 両者は表裏一体の存在でありながら、互いに相容れぬ目的を追求していた。G.E.H.E.N.Aがヒュージの生物学的特異性を解き明かし、リリィを戦闘の尖兵として鍛え上げるならば、エリュシオンはリリィの力の暴走を抑止し、人類の安全を確保する防波堤として機能した。

 

 エリュシオンの研究は、リリィの肉体と精神を解析し、その超越性を解体する技術の極北を追求するものだった。彼女たちの肉体は、ヒュージ由来の技術によって強化され、常人を遥かに超える戦闘能力を有していたが、同時にその力は人類にとって脅威となり得た。

 

 エリュシオンは、こうしたリリィの「神性」を制御し、場合によっては彼女たちを無力化する兵器の開発に特化していた。

 

 リリィ脅威論が過去のものとなった背景には、エリュシオンの冷徹な科学と、その無慈悲なまでの効率性が存在していたと言えるだろう。

 

 G.E.H.E.N.Aがヒュージの細胞構造を解析し、アンチヒュージウェポンの開発に邁進する一方で、エリュシオンはリリィの肉体と精神を弱体化させる技術を洗練させていた。両機関は人類の生存を賭けた二つの刃であり、互いに均衡を保ちながら、しかし決して交錯することのない軌跡を描いていた。

 

 

 リリィ研究機関エリュシオンに属する無菌手術室の内部は、冷たく白い光に満たされていた。無機質な壁面に反射する光は、まるで時間の流れを凍結させるかのように、空間に静謐な緊張感をもたらしていた。

 

 手術台の周囲には、微細な振動音を立てる医療機器が整然と配置され、その一つ一つが人間の知覚を超えた精度で稼働していた。

 

 リーフは、滅菌済みの手術衣を身に纏いながら、透明な隔壁の向こうで待機する指揮官に向かって、淡々とした口調で言葉を発した。

 

「今回のオーダーなんてしょうか?」

 

 隔壁の向こうから、指揮官の声がクリアに響く。彼女の声には、感情を抑えた冷静さと、どこか疲弊した人間らしい響きが混在していた。

 

『第一にリリィの肉体の修復、第二にリリィの魂の修復、第三に施された強化の削除。そして最後に蘇生を頼みたい』

 

 リーフは一瞬、視線を手術台に横たわる物体へと移した。そこには、かつて「少女」と呼ばれた存在の残骸があった。肉体は無残に裂け、腹部からは内臓がはみ出し、ヒュージの汚染によって黒ずんだ組織が不気味に蠢いている。強化手術によって独立した臓器群は、なおも生命活動を維持し、心臓は規則的な鼓動を刻み続けていた。

 

 首はほぼ完全に寸断され、頭部はわずかな結合組織で辛うじて繋がれている状態だった。それでも、虚ろな瞳はリーフを見つめ、微かに揺れる光を映し出していた。それは、死と生の狭間にある存在の、静かな抗議のように見えた。

 

「大変ですね……しかし救える命は救います。では、オペレーションを開始します」

 

 リーフの声には、感情の揺らぎがほとんどなかった。彼女は構造体――人間のオリジナルを基に、対リリィ戦および対ヒュージ戦用に再構築されたアンドロイドである。

 

 その設計思想は、効率と無謬性を追求したものであり、感情は彼女の行動を妨げるノイズでしかなかった。しかし、彼女の言葉には、どこか人間的な温かみが宿っていた。

 

 それは、彼女がかつての「オリジナル」の記憶の断片を、意図せず引きずっているからなのかもしれなかった。

 

「貴方は必ず私が助けます。だから、待っていてください」

 

 リーフは、少女の虚ろな瞳に語りかけるように囁いた。その声は、手術室の冷たい空気の中で一瞬だけ温もりを帯び、すぐに消えた。第一工程――肉体の修復。リーフの手は、機械的な精度で少女の破壊された肉体を再構築し始めた。

 

 彼女の指先は、ナノスケールの医療デバイスと連動し、裂けた組織を縫合し、人工筋肉を移植し、骨格を再形成する。

 

 ヒュージの汚染は、少女の細胞構造を侵食し、異常な増殖を誘発していた。リーフは、汚染された細胞を一つ一つ除去し、代わりに生体適合性の高い人工組織を埋め込んでいった。

 

 手術台の少女の体は、徐々に人間らしい輪郭を取り戻していくが、その過程はあまりにも無機質で、まるで壊れた彫刻を修復するかのようだった。

 

 第二工程――魂の蘇生。リーフは、少女の肉体に血液を循環させるためのポンプを接続し、微弱な電流を流して神経系を刺激した。

 

 次に、ルーンと呼ばれる量子的な情報媒体を用いて、少女の魂を肉体に再定着させる作業に移った。魂とは何か――それはエリュシオンの研究者たちが未だに完全には解明できていない、情報と意識の複雑な結節点だった。

 

 リーフは、ルーンの微細な振動を調整しながら、少女の意識を肉体に固定する。この工程は、科学的というよりはほとんど神秘的とも言える繊細な作業だった。少女の瞳に、微かな光が戻る瞬間、リーフは一瞬だけ手を止めた。それは、生命が再び宿った瞬間だった。第三工程――強化手術の除去。

 

 少女の体に施された強化は、G.E.H.E.N.Aの技術の結晶だったが、その施術はあまりにも粗雑だった。リーフは、少女の体内に埋め込まれた人工神経回路や、ヒュージ由来の強化組織を慎重に摘出していく。

 

 彼女の内心には、憤りと哀れみが交錯していた。

 

(雑な仕事ですね……恐らくこの子はメインプランではなく、メインの遂行を強固にするための練習台として強化されたリリィ……)

 

 リーフの思考は、彼女と接続しているマインドビーコンを通じて、指揮官にも共有されていた。この少女は、G.E.H.E.N.Aの実験の犠牲者であり、強化の過程でその人格と肉体は歪められていた。

 

 リーフは、機械の腕と自身の実際の手を交互に使いながら、少女の体内から異物を一つ一つ取り除いていった。 

 

 それは、まるで少女の存在そのものを「人間」に戻す儀式のようだった。

 

「終了です」

 

 手術は10時間以上に及び、リーフの内部クロックは疲労の蓄積を警告していた。少女の体は、特殊な液体で満たされたカプセルに移され、自動搬送システムによって「保存室」へと運ばれた。

 

 そこには、数百ものカプセルが並び、それぞれにリリィの修復を待つ少女たちが眠っていた。彼女たちは、覚醒の時を待つ亡魂のように、静かに漂っていた。リーフは手術衣を脱ぎ捨て、無菌室の外にある簡素なベンチに腰を下ろした。彼女の人工皮膚は、汗をかくことはないが、長時間の精密作業による内部システムの過熱で、かすかに熱を帯びていた。

 

 大きく息を吐きながら、彼女は目の前の指揮官を見上げた。

 

「お疲れ様、リーフ」

 

 指揮官の声は、疲れを隠さない柔らかさを持っていた。彼女は、リーフのマインドビーコンとして接続する役割を担う人間だった。

 

 マインドビーコンは、構造体がその能力を最大限に発揮するために必要不可欠な存在であり、同時に構造体のメンタル異常を修正する役割を果たす。リーフのような構造体は、過剰な負荷がかかるとメンタルが欠損し、最悪の場合、機能停止に陥る。

 

 そのリスクを軽減するために、指揮官はリーフの精神を安定させる「灯台」として存在していた。

 

「お疲れ様です。私との接続は神経を使ったのではないですか?」

 

 リーフの問いに、指揮官は軽く笑みを浮かべた。

 

「大丈夫よ。私はそういうのに長けた人間だからね。貴方達のメンタルを守れるなら、いくらでもビーコンになるわ」

 

 リーフは構造体である。彼女のオリジナルは自分を分解し、対リリィ戦および対ヒュージ戦用に再構築したものだった。

 

 その身体は、ナノマシンと人工神経で構成され、常人を超える計算能力と反応速度を誇る。しかし、その完全性には欠点があった。

 

 マインドビーコンとの接続がなければ、彼女の精神は不安定になり、過負荷によって崩壊する危険性があった。指揮官との接続は、リーフにとって生命線そのものだった。

 

「少し、疲れました」

 

 リーフの声は、機械的な平坦さを保ちながらも、どこか人間的な脆さを滲ませていた。指揮官は、彼女の頭を優しく撫でた。その手の感触は、リーフの人工皮膚を通じて、微かな電気信号として彼女の内部システムに伝わった。

 

「ゆっくり休みなさい」

 

 指揮官の言葉を最後に、リーフは睡眠モードへと移行した。彼女の意識は、暗闇の中に沈み、機械の静寂に包まれた。手術室の冷たい光と、少女の虚ろな瞳は、彼女の内部メモリに刻まれたまま、静かに待機状態へと溶け込んでいった。

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