世界はヒュージによってその生存圏を脅かされていた。
ヒュージ――人類にとっての絶対的他者とも呼ぶべき存在は、科学の枠組みを超えた異常な特性を有していた。実弾兵器を無効化するバリア、高出力のレーザー、そして予測不能な異能。それぞれが人類の従来の兵器体系を嘲笑うかのように機能した。
しかし、ヒュージの真の脅威は、その数と圧倒的なフィジカルにあった。無尽蔵とも思える増援と、個体ごとの肉体的な強靭さは、人類の防衛線を次々と突破し、生存圏を侵食し続けていた。
これに対抗する存在がリリィだった。彼女たちは、人間を超えた少女たちであり、ヒュージと同等のバリアや異能を操り、驚異的なフィジカルと再生力を誇った。だが、その力は時間的制約に縛られていた。
リリィの戦闘能力は一定期間しか発揮できず、過剰な負荷は彼女たちの肉体と精神を蝕んだ。それでも、彼女たちの存在は人類の最後の希望だった。
リリィの能力には個人差が存在し、ボトムとトップの間には明確な格差があったが、訓練と経験によってその差は埋められることが多かった。
唯一、異能と呼ばれる特殊能力は生まれつきの才能に依存していたが、それすらも「絆」「愛」「勇気」「根性」といった人間的な感情によって超越可能であるという実例が存在した。
それは、科学では説明しきれぬ、ほとんど神秘に近い事象だった。
◆
リリィ研究機関エリュシオンは、危機の只中にあった。
無菌的な白い廊下は、慌ただしく行き交う研究者や戦闘員たちの足音で満たされていた。様々な階級や部門の人間が交錯し、命令や報告、憶測が飛び交う喧騒は、まるで戦場の前線を思わせた。
リーフと指揮官は、急ぎ足で会議室へと向かった。
リーフの人工皮膚は、微細な振動を捉えながらも、感情を表に出さず、機械的な冷静さを保っていた。指揮官の表情には、疲労と緊張が混在していたが、彼女の目は揺るぎない決意を宿していた。
会議室に足を踏み入れると、そこはさらに混沌としていた。壁一面のモニターには、リアルタイムのデータや映像が映し出され、複数の声が重なり合って議論が繰り広げられていた。
戦術立案者、技術者、医療班、そして戦闘員――それぞれが自らの役割を全うすべく、情報の奔流に身を投じていた。
リーフの内部システムは、周囲の音声データを解析し、重要度の高い情報を優先的に処理していたが、その中でも「東京」という単語が繰り返し検出された。
突然、会議室の照明が一斉に落ち、薄暗い空間に静寂が訪れた。
中央の壇上に、一人の女性が姿を現した。
彼女の上級IDバッジが、微かな光を反射していた。背後の巨大なモニターに、複雑なデータと映像が映し出され、彼女の存在感を一層際立たせていた。
「集まったかね? 落ち着いてくれ。静かにしてくれ」
彼女の声は、低く、しかし鋭く響いた。
その一言で、憶測や妄想に基づく雑音は瞬時に収束した。ここに集う者たちは、リリィ研究機関エリュシオンの戦闘部門に属する精鋭たちだった。
緊急時に無駄な時間を浪費するような無能は、この場には存在しなかった。
彼らの目は、女性の言葉とモニターに映し出された情報に釘付けだった。
「諸君らはリリィ研究所エリュシオンの一員として、人類の平和を維持してくれてきた。今日まで。先ほど、東京のエリアディフェンスの反応が消えた」
モニターに映し出された地図には、生存圏を保護するエリアディフェンスのネットワークが表示されていた。その中でも、東京を表す赤い点が、突如として消滅していた。
エリアディフェンスは、ヒュージの侵入を防ぐ結界であり、人類の生存圏を維持する最後の防壁だった。その機能停止は、東京がヒュージの侵攻に対して無防備になることを意味していた。
会議室に集まった者たちの間に、緊張の波が広がった。
「ヒュージはケイブと呼ばれるワープホールから出現する。エリアディフェンスが無くなれば、すぐにやつらは現れるだろう。東京の平和が十数年ぶりに破られた可能性がある」
モニターに映し出された映像は、戦慄を誘うものだった。機動力に優れた小型種のヒュージが、群れを成して高速で移動している。その背後には、30メートルを超えるギガント級のヒュージが、まるで動く要塞のようにゆっくりと進軍していた。
その巨体は、地面を震わせ、都市の構造物を粉砕しながら前進していた。映像は、衛星とドローンからリアルタイムで送信されており、ヒュージの無慈悲な進軍を克明に捉えていた。
「出撃命令を受けた隊員はヒュージを殲滅しつつ、エリアディフェンスの再起動を目指す」
女性の声は、冷静さを保ちながらも、状況の深刻さを如実に伝えていた。彼女は一瞬、視線を会議室に集まった者たちに巡らせ、言葉を続けた。
「エリアディフェンスの崩壊は、人為的なものの可能性がある。どのような意図があるか不明だが、対ヒュージはもちろん対人戦も想定してほしい」
モニターには、対ヒュージ用の装備と、対人用の装備――精密射撃が可能なライフルやEMPグレネード――が詳細に表示された。
人為的な破壊工作の可能性は、新たな脅威を意味していた。ヒュージの脅威に加え、人間同士の戦闘が予想される状況は、リリィたちの負担をさらに増大させるものだった。
「エリアディフェンスを復活させなければ、この戦いは終わらない」
女性の言葉は、冷たく、しかし重く響いた。エリアディフェンスの結界が機能しなければ、ヒュージはケイブを通じて無限の増援を送り込んでくる。
リリィの戦闘能力は限定的であり、長期戦になれば、彼女たちの肉体と精神は必ず限界を迎える。ヒュージは恐れも疲れも知らない怪物であり、その質量と異能は、人間であるリリィを圧倒する。
東京の戦力がすり潰される前に、エリアディフェンスを再起動させることが、唯一の勝利条件だった。
「では、作戦開始」
女性の言葉が、会議室に最後の静寂をもたらした。リーフは、指揮官とともに立ち上がり、戦場へと向かう準備を始めた。