TS女魔法師になったネトゲ廃人~極悪アップデートのVRMMO世界に放り込まれるなんて聞いてない!   作:桐谷アキラ

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第1話 仕様変更で突然のヘルモード

「……え?ここ、どこ?」

 

 思わずつぶやいた声に、自分が一番驚いた。

 耳に届いたのは聞き慣れない透明なアルト。喉の奥の響きも、舌の置き場も、息の抜け方も、いつもの“僕”ではない。

 反射的に喉へ手を当てる。――喉仏が動かない。指先に触れる肌は細く、声帯の震えは軽いのに、よく通る。

 

 吐き出された言葉は、自分でも信じられないくらい頼りなく震えていたのに、澄んで耳に残る“女性の声”。肩口に当たる柔らかな髪の感触と、その華奢な身体を包むローブの重みが、その現実感をさらに”僕”に押しつけてくる。

 

 ほんの一瞬前まで、“僕”は自室でVRゴーグルをかぶり、コントローラーを握っていたはずだ。

 お気に入りのオンラインRPG《エターナル・クエスト》で、仲間たちとオークジェネラル討伐に挑んでいた――ただの休日の夜。

 

 《エターナル・クエスト》は、もう十年以上続いている老舗VRMMOだ。

 毎年のように大型アップデートが行われ、国内の累計プレイヤー数は数百万人。課金要素は控えめで、学生から社会人まで幅広い層に愛されていた。

 サブクラスを含めた自由度の高さと緻密な戦闘システムが売りで、古参にとっては、もうひとつの“生活の一部”にも等しい場所だった。

 

 このゲームには独特の成長システムがある。

 メイン職をレベル250まで上げると、キャラクターは一度レベル1に戻される代わりに「サブクラス」を獲得できる。

 リセットするたびにスキルポイントが増え、最大三周――三度のカンストで二つのサブクラスを持ち、メイン職にスキルを組み込める。そのカスタマイズ性こそ、《エターナル・クエスト》が“やり込みゲー”と呼ばれる所以だった。

 

 “僕”、篠原悠真もそのひとり、二十代後半の、ごく一般的な会社員だ。

 大規模クランに属さず、ひとりで狩りやクラフトに没頭する《ソロ》の身。

 社会人では決まった時間に合わせて仲間と動くのが難しい。だからこそ、気楽なソロが性に合った。

 

 十年続けた結果、僕は三周目のカンストに到達し、ゲーム的にはこれ以上の成長が望めない“行き着くところまで行った”プレイヤーとなった。

 強敵を繰り返し倒し、素材を集め、理想装備を追い求める――周回に周回を重ねる、典型的なエンドコンテンツ勢だ。ランキングの常連となり、いつの間にか古参プレイヤーとして名前を知られるほどになっていた。

 

 ゲーム内の”僕”――セレス。金髪の女性魔法師。

 女性アバターを選んだのは――まあ、単純にロールプレイが好きだっただからだ。

 どうせ長く付き合うなら、架空のもうひとつの人生を演じてみたい。そんな遊び心の延長で選んだはずなのに、十年も演じ続ければ“私”は、もう一人の“僕”として馴染んでしまっていた。

 

 この日も、いつもの素材周回。

 エンドコンテンツの討伐を繰り返すだけの、退屈で愛おしい作業のはずだった。

 ただの休日の夜。繰り返しの一戦。

 

 ――それが今。

 

 足元には冷たい石畳が広がり、鼻を突くのは硫黄の焦げたような匂い。遠くから地鳴りとなって押し寄せる咆哮が鼓膜を叩く。

 視界に広がるのは、画面越しに見慣れたダンジョンの光景……けれど、今そこにあるのは紛れもない“現実”だった。

 

(どういうこと……? これは、ゲームじゃない……)

 

 熱気が肌を刺し、握った杖の木目が掌に食い込む。着込んでいるローブの重みは想像していたよりずっと重く、足首へまとわりつく。

 視界の端にあるはずの仲間や自分のHPバーもミニマップもない。

 

 ――五感が、全部、生身のものだ。

 

「……な、なにこれ……こわい……」

 

 間近で聞こえた掠れた声に、セレスは反射的に振り向いた。僧侶《リリィ》が、怯え切った目で立ち尽くしている。彼女は震える指で杖を胸に抱き、子どものように身をすくめていた。

 

 重装の騎士《ガルド》も、眉間に深い皺を刻んで立ちすくんでいた。平静を装ってはいるが、盾を構えた腕がわずかに強張っているのをセレスは見逃さなかった。

 シーフ《カイ》は苦笑めいた顔で周囲を一瞥し、戦士《ヴァレリア》は喉をひとつ鳴らして肩の力を抜こうとしている。

 

 ――全員が混乱の縁にいる。

 

それでも、長年の“習慣”だけは、身体の奥でかろうじて息をしていた。

 

「落ち着け、リリィ! 全部後で考えろ!」

 

 ガルドの低い声が、場に楔を打つように響く。前衛としての矜持が、その声の芯を辛うじて支えていた。

 セレスは小さく息を吸い、内側の“僕”を無理やり静める。ここで冷静さを失えば、全員が蹂躙される。

 

(怖いに決まってる。でも――今は“私”だ。やるべきことをやるしかない)

 

「リリィ、後ろに下がって。私が前を焼く」

 

 セレスが言うと、リリィはこくこくとうなずき、一歩、二歩と後退した。彼女の足取りの不安さが、そのまま皆の心拍を代弁しているようだった。

 

 次の瞬間、オークジェネラルが棍棒を振り下ろし、床石が砕けて破片が跳ねた。

 仲間たちは反射的に陣形を整える。

 

「ガルドは正面! ヴァレリアは右! カイは背中を狙って!」

 

 声を張り上げると、仲間が一斉に頷いた。

 “セレス”の声に仲間たちがいつも通りに迷いなく反応する。

 

 カイが影のように背後へ回り、ヴァレリアが右から牽制へ走る。ガルドは正面で受け止める構え。――無数の夜を共にした“定型”が、いま命綱になっている。

 

 魔法詠唱――喉が、自然と知らないはずの馴染みの言葉を紡ぎはじめる。ここは範囲魔法で一掃する局面。そう、いつもなら。

 本来なら範囲魔法で焼き尽くす局面だ。

 

 だが、セレスの胸の奥で警鐘が鳴った。

 

(……嫌な予感がする……!)

 

 詠唱を進めながら、セレスは意識をぐっとねじ込むように変化させる。

 その瞬間――構築されかけていた魔法陣が、ぐにゃりと歪んだ。

 幾何学模様のラインが置き換わり、迸る光が別の回路を描き出していく。

 

 セレスははっきりとそれを“視た”。

 魔法陣が、意図的な介入によって切り替わる――そんな現象は、ゲームでは決してあり得なかった。

 肌を逆撫でするような違和感が走り、同時に胸の奥を刺激する知的好奇心が火花を散らす。「なぜ」「どうして」という探究の渇きが喉を満たす。

 

 ――だが今は、考えている場合ではない。

 

 今は眼の前の現実にのみ対処する。優先順位の低い実験も検証も後回しだ。

 理想の魔法師として、今はただ目の前の脅威を排除すること

 

 ――それだけに集中する

 

「――《ファイアランス》!」

 

 灼熱の炎の槍が空を裂き、次々とオークジェネラルの胸郭を穿つ。

 肉が焦げる匂いが鼻をつき、オークジェネラル達の悲鳴が耳を震わせる。

 数拍ののち、巨体が崩れ、周囲に静寂が戻る。

 飛び散った血溜まりが、石畳の上に生々しく残る。

 

「……おい、セレス。なんで範囲魔法を使わなかった?」

 

 ヴァレリアが額の汗を拭いながら、訝しげに目を細めた。

 カイも肩を竦め、半歩、こちらへ体を向けた。

 ガルドは無言のまま、しかし答えを待つ視線を投げてくる。

 リリィは杖を胸に抱いたまま、縋るようにセレスを見ていた。

 

 皆の視線が一点に集まる。セレスは一瞬だけ呼吸を整え、微笑の角度を“最適”に整える。

 

(みんなを怖がらせない。けれど、誤魔化さない)

 

「……念のため、ね。この状況があまりに現実的すぎたから。範囲魔法を撃ったら、みんなを巻き込むかもしれない――そんな気がしてならなかったの」

 

 その瞬間、ヴァレリアの指が自分の頬へ跳ぶ。薄く、赤い擦過痕がついていた。炎の余波が、かすめた跡だ。

 

 彼女の目が大きく見開かれる。

 

「……嘘。こんなこと、今までなかったのに」

 

 彼女の小さな呟きが、空気を凍らせる。

 これまで“仕様”で守られていたはずのパーティ内攻撃無効――それが、ここでは通用しない。

 

「つまり……俺たちの攻撃は、味方にも当たるだろうってことか」

 

 ガルドが低く結論を言葉にする。

 カイが乾いた笑いを漏らした。

 

「マジかよ。後衛がヘマったら、真っ先に焼け死ぬのは俺ら、って話?」

 

 ヴァレリアは大剣を地へ突き立て、肺の空気を吐ききる。

 

「じゃあ、今までみたいな範囲ぶっぱは封印だ。……危なかったわけね、さっき」

 

「……ええ」

 

 セレスは静かに頷き、リリィの震える肩へそっと片腕を回した。

 触れた肩は驚くほど熱かった。恐怖で上がった体温が、そのまま彼女の不安を伝えてくる。

 

「大丈夫。私たちは、気づけたよ。だったら、これからも避けられる」

 

 そう言い切ると、彼女の強張った肩からわずかに力が抜けた。

 

 ゆっくり、言い切る。リリィの肩から、少しだけ力が抜けた。

 ――それでも、皆の顔色はまだ蒼い。

 セレスは“理想の魔法師”の仮面を、丁寧に、けれど確固として被り直す。

 

(本心は恐怖でいっぱいだ。それでも、”私”が崩れたら終わる)

 

 石畳に転がるオークジェネラルの死骸から、淡い蒸気が立ち上る。焚き火の残り香に似た焦げ臭さが、いつまでも鼻腔に残った。

 だがいつまで経っても、その肉塊は消えなかった。ログも、経験値も、ドロップも現れない。

 

(……死体が残る? 経験値もない……そんなの、ゲームじゃない)

 

 胸の奥がざわめき、女性の体になってしまった自分の心臓が早鐘を打つ。

 揺れる髪の感触も、ローブに包まれた身体の柔らかさも、現実のものとして否応なく”僕”を締めつけてくる。

 

そして……

 

 ――仲間の攻撃があたる

 

 この世界で最初に学んだ、残酷だが当たり前の“現実”。

 

 だがまだ誰も知らなかった。

 本当の“仕様変更”は、この程度では終わらないということを。

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