TS女魔法師になったネトゲ廃人~極悪アップデートのVRMMO世界に放り込まれるなんて聞いてない!   作:桐谷アキラ

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第11話 湯けむりの奥に

 工房街の拠点に腰を落ち着けた一行は、ようやく深呼吸できる時間を手に入れた。

 けれど、安堵とともに押し寄せてきたのは空腹や眠気だけではない。

 煤にまみれ、血と汗を吸い込んだ衣服の不快さ。焦げ臭さが肌に染みつき、指先にはざらついた粉塵がこびりついて離れない。

 興奮が冷めれば冷めるほど、現実の肉体の苦痛が鮮明に意識へ迫ってきた。

 

「……やっぱり、だいぶ匂うな」

 

 ガルドが鎧を外し、顔をしかめて呟く。

 分厚い鉄の下から立ちのぼるのは、血と汗が混じり合った生々しい臭気。

 かつてゲームの画面では伝わらなかった“現実”が、彼の鼻腔を容赦なく突いた。

 

 ヴァレリアは剣を布で拭いながら、肩をすくめる。

 

「まあ、これだけ動き回ったんだから仕方ないよね。……正直、シャワーでも浴びたい気分だわ」

 

 淡々とした口ぶりだが、その仕草はどこか女らしく、身に纏う汚れを早く落としたいという気持ちが透けて見える。

 

 リリィは自分の髪先を指でつまみ、恥ずかしそうに俯いた。

 

「……わたしも。もうベタベタで……」

 

 少し幼さの残る声に、場がわずかに和らぐ。

 だが、セレスの胸には重苦しいものが広がっていた。

 ゲームでは存在しなかった「衛生」の概念――それが今や肉体にまとわりつく不快さとして、確かに彼らを縛っている。

 

 そのとき、アルディスが口を開いた。

 

「安心しろ。簡単な風呂なら、もう作ってある」

 

 視線が一斉に彼へ注がれる。

 どこか誇らしげな声音で、彼は続けた。

 

「井戸から水を引いて、鍛冶場の炉で沸かしてる。大きな桶をいくつも並べてあるから、交代で浸かれば身体は洗える。……血と汗を落とさないと病気の原因になるだろうからな」

 

 その説明に、仲間たちの顔に安堵と羞恥が同時に浮かんだ。

 求めていた清潔がそこにある――だが、それは同時に互いの裸を意識せざるを得ない状況でもあった。

 

「……お風呂、か」

 

 セレスは思わず胸を押さえる。

 今の身体は十七歳の少女だが心は男性。

 裸をさらすなど想像するだけで全身が熱に浮かされる。羞恥と自己嫌悪が入り混じり、呼吸が浅くなった。

 

 ガルドもまた複雑な顔で視線を逸らす。

 中身は女性、しかし外見は逞しい男。その体をどう扱うべきか――考えれば考えるほど、答えは見つからない。

 

 一方、カイは心底ほっとしたように笑みを浮かべる。

 

「ははっ、いやー、風呂があるなら最高だな!」

 

 あまりに率直すぎる言葉に、セレスとガルドは同時に睨みを送った。

 

「他人事だと思って……」

 

「空気読め」

 

 ヴァレリアはそんな空気をさらりと払いのけ、豪快に笑って肩を叩く。

 

「いいじゃない。身体がどんなでも、風呂は大事だよ。順番に入れば問題ないでしょ」

 

 彼女の明るさに救われ、場の空気は少しずつ和らいでいく。

 だが、羞恥の火は完全には消えなかった。

 

 リリィはおずおずとセレスの袖をつまんだ。

 その瞳はまだほんの少し冷たく、けれど嫌悪ではなく、揺れる戸惑いの色を宿している。

 

「セレスさん。……今は“女の人”なんですから。だから、一緒に入ってもいいんですよ」

 

 その言葉は、優しさか、それとも無邪気な残酷さか。

 セレスの胸の奥で、“僕”の魂が苦痛にのたうつ。

 

(――違うんだ……! 僕をそんな目で見ないでくれ……!)

 

 それでも、口から出せるのは微笑みだけだった。

 

「……そうだね。ごめん、リリィ」

 

 自嘲を含んだ声とともに、仮面のような笑顔を張り付ける。

 その瞬間、背負う「セレス」という存在が、ひときわ重くのしかかるのを感じた。

 

 工房街の片隅、湯気を立ちのぼらせる桶が並んだ即席の浴場。

 そこに立つ彼らの胸には、戦場とは違う種類の緊張と羞恥が渦巻いていた。

 

 ――初めて拠点で迎える夜は、心と身体の現実を突きつける試練でもあった。

 

***

 

 鍛冶場の裏手に作られた即席の浴場。

 大きな桶にはすでに湯気が立ちのぼり、廃材で囲った仕切りの隙間から、ほのかに温かな湿気が漂ってくる。

 

「さて……どうするかだな」

 

 ガルドが腕を組み、険しい顔で言った。

 その表情からは、どうしようもない居心地の悪さを抱え込んでいることが伺える。

 

 カイはそんな空気を吹き飛ばすように、あっけらかんと笑った。

 

「どうするもなにも、今の見た目で分けるしかねぇだろ? 男は男、女は女。それ以上でも以下でもない」

 

 あまりに当然のように言い切るその声に、一同は小さく頷いた。

 だが、心の奥では簡単に割り切れるものではなかった。

 セレスは少女の身体を持ってしまったことを改めて痛感し、胸の奥に重苦しい鉛を抱え込む。

 ガルドは逆に、男性の身体に閉じ込められた女性としての自分を強く意識してしまい、顔をしかめるしかなかった。

 

「……俺は……自分の身体を見ること自体に抵抗がある。今は男なんだぞ……?」

 

 低い呟きが湯気のように漂い、場の空気を曇らせる。

 だが、ヴァレリアがからりと笑い、彼の肩を叩いた。

 

「何言ってるのさ。どんな体でも、それが“今の自分”だろ? 慣れるしかないんだから」

 

 おおらかで、強い声。

 その言葉に正面から反論することはできず、ガルドは口を噤み、視線を落とした。

 

 セレスは乾いた喉を鳴らし、緊張で手のひらに汗をにじませながら服の裾を握りしめる。

 その袖を、リリィがちょんとつまみ、いたずらっぽく笑った。

 

「セレスさん、顔真っ赤ですよ? ……もしかして恥ずかしいんですか?」

 

「そ、そんなこと……!」

 

 慌てて否定しかけたその瞬間、ヴァレリアがにやりと口角を上げる。

 

「じゃあ、私が洗ってあげるよ。髪も長いし、一人じゃ大変でしょ?」

 

 軽口のつもりだろう。だがセレスの心臓は跳ね上がり、顔から血の気が引いた。

 

「い、いいっ……そんなの、いいって!」

 

 必死に手を振るセレス。その様子に、リリィがくすくすと笑いながらさらに追い打ちをかける。

 

「じゃあ、わたしも一緒にお手伝いします! セレスさんの髪、きっとすごくサラサラになりますよ!」

 

「ちょ、ちょっと二人とも!」

 

 湯気の立ちこめる浴場に、少女たちの笑い声が響き渡る。

 

 セレスはそっと首まで浸かり、熱を逃がすように息を吐いた。

 だが、慣れない長髪が肩に張り付き、湯面に広がって漂っていく。金糸のように揺れる髪は、かつて男だった頃には存在しなかった煩わしさだった。

 

「セレス、髪がお湯に浸かってるよ」

 

 ヴァレリアが横目で見て、軽く眉を上げる。

 

「え……あ、ほんとだ」

 

 慌てて髪をかき上げるセレス。だが、重みを帯びた長い髪はすぐに垂れ、再び湯に落ちてしまう。

 どうして扱えばいいのか分からず、困ったように眉を寄せ、指先で髪をもてあそぶばかりだった。

 

 その様子に、リリィがくすりと笑った。

 

「セレスさん、長い髪に慣れてないんですね。じゃあ……まとめてあげます」

 

 小柄な身体で桶の中を移動し、セレスの背後に回り込む。

 濡れた髪をすくい上げる指先は思いのほか器用で、持ってきた紐で高めに結んでいく。

 幼い顔立ちに似合わぬ仕草の確かさに、セレスは思わず息を呑んだ。

 

「これでお湯につからないです。……ほら、似合ってますよ」

 

 ぱっと花が咲くように笑みを浮かべるリリィ。

 その無邪気な笑顔に、セレスは羞恥と戸惑いを覚えながらも、俯いて小さく頷いた。

 

「……ありがとう」

 

 その横で、ヴァレリアが腕を組み、にやりと口角を上げる。

 

 しばらく三人は湯に浸かり、戦いの疲れをほどいていた。

 熱が体の芯まで届いた頃、次の段階――身体を洗う時間がやってくる。

 

「じゃあ次は、髪の洗い方を教えてあげよう。長い髪は洗うのが大変なんだから」

 

「えっ……ちょ、ちょっと待って、ヴァレリア!」

 

 慌てるセレスの抗議も空しく、ヴァレリアは湯桶を手に取り、ぱしゃりと頭に湯をかけた。

 さらさらと濡れた髪が肩に貼り付き、泡立てた石鹸を手にしたヴァレリアの指が髪の間を通り抜けていく。

 

「ほら、力抜いて。頭皮をマッサージするみたいに洗うんだよ」

 

 思っていたよりもずっと優しい力で洗われると、セレスは抗議の言葉を失って目を閉じるしかなかった。

 羞恥で胸がいっぱいになりながらも、指先が頭皮をほぐす心地よさに、不覚にも肩の力が抜けていく。

 

 リリィも後ろから声を弾ませる。

 

「わたしも手伝います! セレスさん、髪長いから大変なんです!」

 

 両側から念入りに洗われ、セレスはとうとう観念したように小さく呻いた。

 

「……もう好きにして……」

 

 その投げやりな声に、ヴァレリアとリリィは顔を見合わせ、楽しげに笑う。

 

 泡で白く覆われた金髪を流すと、湯気の中に艶やかな光沢が浮かび上がった。

 先ほどまで血と煤に汚されていた世界とはかけ離れた、柔らかな美しさ。

 湯面に映るその姿は、まるで別人のように見えた。

 

「ほら、やっぱり綺麗じゃない。手入れ次第で、セレスはもっと映えるよ」

 

 ヴァレリアが茶目っ気を込めて言うと、リリィも力強く頷いた。

 

「そうです! セレスさんは女の人なんですから、ちゃんと可愛くしてないと!」

 

 その言葉に、セレスの心の奥で慟哭するも“私”の外見は否応なく十七歳の少女。その現実は、“僕”に容赦なく突きつけられる。

 

 だが褒め言葉はそれだけに留まらなかった。

 石鹸で泡立てた布をセレスの腕や肩に滑らせながら、ヴァレリアが感心したように息を漏らす。

 

「……それにしても、肌もすごくきれいだね。血や煤を落としたら、ほんと透き通るみたい」

 

 リリィも目を丸くし、頬をほんのり赤く染めながら続けた。

 

「わ、わたしより白いかもしれません……細いのに形も綺麗で……なんだか、すごく女の人らしいです」

 

「ちょっ……! や、やめてよ……!」

 

 セレスは慌てて胸元を押さえ、全身が熱湯に浸かったかのように真っ赤になり

 羞恥で心臓が痛いほど打ち鳴らされた。

 

(やめてくれ……そんな風に言われても……俺は――!)

 

 だが口から出るのは、やはり自嘲を含んだ微笑みだけだった。

 逃げ場のない現実と、仲間の善意。それに挟まれて、セレスはただ頷くしかなかった。

 

「……ありがとう、本当に」

 

 か細い声でそう答えたセレスは、湯気の向こうで微笑みを浮かべた。

 羞恥に身を震わせながらも、仲間と共に笑い合う温もりだけは、確かに胸へ沁み込んでいた。

 

 一方そのころ、男組もまた複雑な思いを抱えていた。

 カイは桶に肩まで浸かり、心底気持ちよさそうに息を吐き出す。

 

「はぁ……生き返るな。やっぱ風呂は最高だ」

 

 心の底からの安堵が滲み出ていて、場違いなほど屈託がない。

 

 対照的に、ガルドは桶の縁に肘をかけ、沈んだ目で湯面を見つめていた。

 逞しい胸板や筋肉質な腕――本来なら誇るべき肉体が、彼にとっては屈辱そのものだった。

 女性としての心と、男性の体。その乖離が湯気よりも濃い靄となって、彼の胸を締めつけていた。

 

「……慣れろって言われても、すぐには無理……」

 

 低い吐息のような言葉が湯気に紛れて消える。

 それは誰にも届かず、ただ桶の中に溶けていった。

 

 湯煙の向こうで、笑い声と沈黙が交錯する。

 それは、この世界で生きるために彼らが越えねばならない「もう一つの現実」だった。

 血と汗を洗い流す湯は、同時に羞恥や戸惑いも少しずつ溶かしていく。

 

 ――初めての入浴は、戦い以上に胸を熱くさせる体験となるようだ。

 

 

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