TS女魔法師になったネトゲ廃人~極悪アップデートのVRMMO世界に放り込まれるなんて聞いてない! 作:桐谷アキラ
──ある日の午後。
陽射しに照らされた石畳を歩きながら、セレスは腕を組んで考え込んでいた。仲間たちとの戦闘を経て、頭の中は術式や補助陣の構想でいっぱいだったが――袖を引かれて顔を上げる。
「セレスさん」
そこにはいつも通りのリリィがいた。大きな瞳でまっすぐにこちらを見上げ、小さな手でセレスのローブを掴んでいる。
「……ちょっとだけ、付き合ってくれませんか?」
いつもよりも声が甘えている。セレスは思わず苦笑した。
「どうしたの、師匠?」
「師匠じゃありません!」
リリィは頬を赤くしてむくれる。その仕草が可愛らしくて、セレスはつい吹き出した。
「ごめんごめん。で、どこに?」
「……買い物です」
連れて来られたのは、街の広場の市場だった。屋台が並び、色とりどりの布地やアクセサリー、香草や菓子が並んでいる。人々の声と香りが入り混じり、戦場とはまるで別世界だ。
リリィは目を輝かせ、セレスの手を取って人混みの中を引っ張っていく。
「セレスさん、こっちこっち!」
ローブの裾が翻り、セレスは引きずられるように歩いた。
まるで年の離れた妹に振り回される姉のようだ――いや、実際そうなのだと”僕”は苦笑する。
まず目に飛び込んできたのは、色鮮やかなリボンや髪飾りの屋台だった。リリィは迷わず立ち止まり、ひとつひとつ手に取ってはセレスの髪に当ててみる。
「セレスさん、これ似合いますよ!」
「え、いや……私はいいよ」
「だめです。だってセレスさん、髪長いんですから。まとめ方次第で全然印象変わるんですよ」
小さな手で金髪をすくい上げ、青いリボンを結ぶ。鏡代わりの水面に映る自分を見て、セレスは言葉を失った。確かに雰囲気が柔らかくなり、年齢もぐっと下がって見える。
「……うん。悪くないもんだね」
リリィは満足そうに笑った。
「でしょ? セレスさん、もっと周りに女の子っぽいところ見せた方がいいんです」
おませな口調に、セレスは少し照れて視線を逸らす。
次に立ち寄ったのは香草と香油の店だった。瓶に詰められたオイルが並び、甘い香りや爽やかな香りが漂う。リリィは一本を手に取り、蓋を開けてセレスに差し出した。
「これ、髪につけると艶が出ますよ」
「リリィはこういうの詳しいの」
「ふふ、女の子の嗜みですから」
胸を張るその姿はどこか子供らしいのに、言葉の端々は妙に大人びている。セレスはそんなリリィを見て、やっぱり妹のようにしか思えなかった。
菓子屋の屋台に寄ったとき、リリィは小さな袋を二つ買い、ひとつをセレスに差し出した。
「セレスさんにも、あげます。今日はわたしのおごりです!」
「え、でも……」
「いいから!」
押し付けられるように受け取った袋には、甘い砂糖をまぶした揚げ菓子が入っていた。セレスはひとつ口に運び、思わず笑みをこぼした。
「……おいしい」
「でしょ!」
リリィも頬張りながら笑った。その笑顔は、どんな表情よりも年相応で、セレスの胸を温かくした。
夕暮れ。市場を一回りした後、二人は広場の噴水の縁に腰を下ろした。買ったばかりのリボンを指で弄びながら、リリィがぽつりと言う。
「……セレスさん、いつも頑張りすぎなんです。だから今日は、女の子らしいことしてほしかったんです」
セレスは驚いて目を瞬かせた。リリィは少し頬を赤くしながら続ける。
「私から見たら、セレスさんは三つくらい上の、すごく頼れる先輩みたいな人なんです。だから……無茶ばっかりしてほしくない。私を怖がらせないでほしい」
その言葉は小さいけれど真剣で、セレスの胸にまっすぐ届いた。
セレスは微笑み、そっとリリィの頭に手を置く。金髪と栗色の髪が夕陽に照らされ、揺れる。
「ありがとう、リリィ。君はやっぱり妹みたいに大事に思ってる。だから、私はすごく救われてるんだ」
リリィは撫でられながら、くすぐったそうに笑った。
「妹扱いは納得いきませんけど……まあ、今日は許します」
噴水の水音が静かに響き、二人の影が並んで伸びる。
戦場では恐るべき“神滅セレス”。だが、この時間だけは、リボンをつけて甘い菓子を食べるただの女の子と、彼女を慕う年下の少女だった。
リリィはそっとセレスの袖を握る。
「……また一緒に買い物、してくださいね」
「うん。今度は私がおごるよ」
二人は顔を見合わせ、笑い合った。
夕陽に染まる街は、ほんのひととき、戦場の現実を忘れさせてくれる楽園のように見えた。
***
その日の夕暮れ、市場の喧噪が少し落ち着き始めたころ人混みの中で、ヴァレリアとリオナが並んで立っていた。二人の視線の先には、リボンや菓子を手に歩くセレスとリリィの姿。
「……あの二人、あれじゃ完全に買い物デートよね」
ヴァレリアがにやりと笑う。
「そう見えます。リリィの顔、普段よりずっと嬉しそうでした」
リオナは小声で応じ、真剣な眼差しで後ろ姿を追いかけていた。
ヴァレリアはため息をつきながらも目を細める。
「セレスは完全に妹扱いしてるつもりなんだろうけど……リリィの方は、絶対それ以上に見てる。憧れの先輩って感じかしらね」
リオナがくすりと笑う。
「……あ、ほら、セレスがリリィの髪を撫でてます」
「ちょ、あれは完全にずるいわ。リリィが陥落するのも当然じゃない?」
二人は思わず声を立てそうになり、慌てて口を押さえた。セレスとリリィが振り返る様子はなく、二人だけの世界に没入している。
噴水の縁に並んで腰を下ろすセレスとリリィを遠巻きに見ながら、リオナがぽつりと呟いた。
「……でも、あの時間は必要なんでしょうね。最近のセレスはなんだか怖いくらいに冷静。でも今はただの女の子で……リリィは、その隣にいる」
ヴァレリアはしばらく無言で眺め、やがてにやりと笑った。
「……あれはからかい甲斐があるわね。今度何か言ってみようかしら」
「ほどほどにしてくださいよ。リリィが真っ赤になって逃げ出すのが目に浮かびます」
二人は顔を見合わせ、肩を揺らして笑った。
――その少し先。
セレスは、夕陽に照らされたリリィの髪をそっと撫でていた。
遠くから眺める二人の視線には気づかず、ただ妹のような存在を守りたいという穏やかな気持ちに身を委ねていた。
***
翌日の工房街の朝は、鉄を打つ音と人々の声で賑わっていた。
リリィは荷物を抱えて小走りで拠点に戻ってくる。その顔はどこか上気していて、普段よりも柔らかい。
そんな彼女を待ち構えていたのが、ヴァレリアとリオナだった。
「おっ、帰ってきたわね。ふふ、昨日は楽しかった?」
ヴァレリアがにやりと笑って声をかける。
「な、なにがですかっ!?」
リリィは耳まで真っ赤にして立ち止まる。
リオナが腕を組んで、穏やかに微笑む。
「市場でセレスさんと一緒に歩いているのを、少し見かけました。……本当に楽しそうでしたね」
「み、見てたんですか!?」
リリィは慌てて両手で頬を覆った。
「だってあれは、尾行したいくらい微笑ましかったもの」
ヴァレリアは肘でリオナをつつきながら悪戯っぽく笑う。
「リボン選んでもらって、髪を撫でてもらって、甘い菓子まで。……あれを“買い物デート”と呼ばずに何と呼ぶのかしら?」
「デ、デートじゃないですっ! ただの気分転換です!」
リリィは必死に否定するが、声が上ずってしまう。
リオナは少し柔らかく肩を竦めた。
「でも、良い時間だったんでしょう? セレスさんは妹みたいに扱っているつもりでも、あなたにとっては……」
「そ、それ以上でも以下でもありませんっ!」
リリィはさらに真っ赤になって俯いた。
ヴァレリアはその様子を見て、からかいを少し和らげる。
「安心しなさい、リリィ。あんたの気持ちは誰も笑わないわ。むしろ……セレスがあんな穏やかな顔をするのは、あんただけかもしれない」
リオナも真剣な眼差しで頷いた。
「そうですね。セレスさんの……昨日のあの顔は間違いなく“姉”か“先輩”でした」
リリィは胸の奥が熱くなるのを感じながら、小さく頷いた。
「……わたし、セレスさんの隣にいられるように、もっと頑張ります」
二人の女性は顔を見合わせて微笑んだ。からかい半分で始まった会話は、結局リリィの決意を強めることになったのだ。
工房街の朝のざわめきの中、三人の笑い声が小さく重なった。
けれどリリィの胸にあるのは、先輩へのほのかな憧れ。
それをヴァレリアとリオナがしっかりと察してしまったことを、セレスはまだ知らない。