TS女魔法師になったネトゲ廃人~極悪アップデートのVRMMO世界に放り込まれるなんて聞いてない! 作:桐谷アキラ
カイがまだ痺れの余韻に顔をしかめていると、リリィがそっと一歩前に出た。
小柄な体を震わせながらも、杖をぎゅっと握りしめている。
「わ、わたし……やってみます。回復……!」
その声は不安と決意が入り混じっていた。
仲間の誰もが驚きに目を向けたが、すぐにセレスが柔らかく頷く。
「大丈夫、リリィ。あなたならできるよ」
リリィは大きく息を吸い込み、かすかに唇を震わせながら詠唱を始めた。
杖の先に淡い光がぽつりと宿り、次第にその輝きは強まり、やがて温かな光の流れとなってカイの体を包み込んでいく。
「……っ」
カイの強張った肩がふっと緩み、苦痛に歪んでいた顔からしだいに力が抜けていく。
皮膚の赤みが消え、筋肉の緊張もほぐれていった。
痛みが霧のように薄れていく感覚に、彼はゆっくりと息を吐いた。
「……すげえな。本当に治ってる。ゲーム的なエフェクトじゃなくて、体そのものが回復してるんだ」
驚愕と感嘆を込めて呟いたカイは、顔をほころばせてリリィに片手を上げる。
「ありがとな。助かったよ」
「ほ、本当に治った……?」
リリィは両手で口元を押さえた。目の縁に涙が浮かび、信じられないといった顔から、次第に安堵の笑みに変わっていく。
「うん、痛みも消えた。完璧だ」
カイの力強い答えに、リリィの表情はぱっと花開くように明るくなった。
照れ隠しにローブの袖で口元を隠し、ぴょこんと跳ねた癖っ毛を指先で直す。
「それと、リリィ。今の感じなら“薄く・回数多め”でお願いできるか? 軽い擦り傷や疲労のうちに都度消していこう。詠唱の長さと魔力の減りは後で一緒に測るかな」
「う、うん……! が、がんばる……!」
その様子を見ていたヴァレリアは腕を組み、深く息をついた。
「……回復は有効、か。少なくとも傷や疲労に対しては少し安心だな」
ガルドも重々しく頷く。
「これなら継戦能力は維持できる。だが……問題は蘇生だな」
その言葉に、場の空気が再び重く沈み込む。
リリィの瞳に宿っていた勇気の光が、脆くも揺らいで消えかける。
「し、死んだら……本当に……?」
少女の震える声は、場の誰もが抱いていた恐怖そのものだった。
セレスはそっとリリィの肩に手を置き、真剣な瞳で見つめながら答える。
「蘇生は、ここでは試せない。……誰かが本当に死ななきゃいけないから」
言葉が落ちた瞬間、広間に深い沈黙が落ちる。
リリィの唇は小さく震え、今にも泣き出しそうになった。だが、セレスは微笑みを作ってその不安を遮った。
「大丈夫よ。私たちが試す必要はない」
穏やかな声。その表情は理想の魔法師のように優美だった。
しかし胸の奥で、“僕”の心臓は冷たく跳ねていた。――この言葉がただの慰めでしかないことを、誰よりも自分が理解していたから。
「私たち全員が“ここ”に来ているのなら、同じゲームをしていた他のプレイヤーも必ずいるはずだと思う」
セレスの言葉に、ヴァレリアが険しい表情で頷いた。
「そして……嫌な予想だけど。パニックになった結果、全滅した連中もいるはずだな」
リリィがびくりと肩を震わせた。
「や、やだ……。死体なんて……見るのは、無理……」
小さな声で絞り出すと、彼女の顔は真っ青にこわばった。
杖を握る手も震えて、今にも取り落としそうだ。
セレスはそっとその手を包み込み、視線を合わせる。
「大丈夫。リリィだけが無理に見る必要はない」
少女の恐怖を受け止めるように、やわらかい微笑みを向ける。
――だが、“僕”の胸は痛んでいた。大人として、幼い少女にこんな重荷を背負わせることになるなんて。
それでも理解していた。蘇生の奇跡を行えるのは、僧侶であるリリィしかいない。
そして本人もそのことを理解している。
「……で、でも……回復も、蘇生も……わたしがやらなきゃ……」
涙声で訴え、リリィはセレスの袖にすがりつく。
セレスは少女を優しく抱き寄せ、安心させるように語りかけた。
「みんなで支えるから。あなただけに全部を背負わせたりはしないよ」
ヴァレリアが腕を組んでうなずく。
「そうだ。私とガルドとカイで状況を確認して、リリィは後から魔法をかける。それで今は十分だ」
カイも軽く口を添える。
「任せとけ。俺たちが前に出る。リリィは杖を振ればいいだけだ」
――軽口に聞こえたが、その眼差しは真剣だった。
リリィはしばらく涙をこらえるように顔を伏せていた。
やがて小さく頷き、か細い声を返す。
「……うん。わかった。やる……」
セレスはその姿を見つめ、胸の奥で深く息を吐いた。
(ごめん……本当はこんな重荷、背負わせたくない。でも……前に進むためには、どうしても必要なんだ)
広間の空気は重く沈んでいた。
それでも仲間たちは互いに視線を交わし、小さな希望をかき集めるようにしていた。
――この世界で生き延びるために。
そして、“死”の本当の意味を知るために。
***
通路を進む彼らの耳に、低い唸り声と骨を噛み砕く生々しい音が届いた。
獣の荒い鼻息と、鉄のように濃い血の匂いが鼻腔を突き刺す。
広間に足を踏み入れた瞬間、全員の足が硬直した。
そこには、狼型の魔物が群がっていた。
床に横たわる冒険者たちの亡骸を食いちぎり、赤黒い肉片をむさぼっている。生者と死者の区別などなく、ただ獲物として貪っていた。
リリィが息を呑み、蒼ざめた顔で口元を押さえた。
「……っ!」
耐え切れず声が漏れたその瞬間、セレスは反射的に杖を構えた。
無駄な逡巡は一切ない。即座に詠唱を終えると、杖の先から閃光が弾け、灼熱の火球が狼の頭部を貫いた。
悲鳴を上げる暇すら与えず、魔物たちは次々と崩れ落ちていく。
広間には、静寂と血の匂いだけが残った。
空気は重く淀み、吐き気を誘うほどの残虐な光景が広がっていた。
「……ひどい」
ヴァレリアが顔をしかめる。
床には五人の冒険者が倒れていた。肉体の一部は食いちぎられ、原形を留めない者もいる。
リリィは震える手で杖を抱き締め、涙を浮かべて首を振った。
「む、無理……わたし、こんなの……」
そのか細い声には、年若い少女が背負うには重すぎる恐怖と絶望が滲んでいた。
セレスは彼女の肩にそっと手を置き、真剣な眼差しで見つめる。
「大丈夫。……ただ、回復を信じて」
僧侶の少女は涙を拭い、必死に頷いた。
「……やってみる」
彼女は倒れた冒険者たちの中で、まだ体の損壊が軽い三人に視線を向けた。
若い女性の魔法師、僧侶の中年男性、そして弓手の少女。
セレスが「いける」と目で合図を送ると、リリィは震える声で詠唱を始めた。
杖から溢れ出した光が死者たちの体を包み込み、やがて柔らかな波動となって広間を満たしていく。
血に染まった肉体が淡く輝き、時間が逆流するかのようにその姿を修復していく。
そして――
「……あれ? わたし……」
弓手の少女が目を開け、きょとんとした表情で辺りを見回した。
魔法師の女性も、僧侶の男性も同じようにまどろみから覚めたように瞬きを繰り返していた。
彼らは自分が死んでいたことに気づいていない。ただ眠りから目覚めたかのような顔だった。
リリィはその光景に安堵のあまり膝から崩れ落ち、胸に手を当てて嗚咽まじりに呟いた。
「……よかった……生き返った……」
しかし残る二人――戦士の青年と斥候の少女には、蘇生の奇跡は届かなかった。
体があまりに損壊しすぎているためか、蘇生の魔法は反応を示さない。
「……駄目か」
ガルドが低く、重く呟いた。
その一言で、誰もが理解した。
――完全に肉体を破壊されれば、蘇生はできない。
それでも。
セレスは心の奥で、小さな安堵を覚えていた。
(死んだだけなら戻れる……少なくとも、現実世界よりははるかに死ににくい。それだけでも……救いだ)
仲間の大人たちもまた、同じ思いを抱いていた。
絶望だけではない。そこには確かに、希望があった。
その事実を知ったことで、血の匂いに満ちた広間にも、わずかに光が差し込んだように思えた。