TS女魔法師になったネトゲ廃人~極悪アップデートのVRMMO世界に放り込まれるなんて聞いてない!   作:桐谷アキラ

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第32話 焚き火の前の和解

 工房街の広場には静かな空気が漂っていた。

 騒動もひと段落し、皆が普段通りの作業に戻りつつある――ただし、一人を除いて。

 

「……まだ怒ってるの?」

 

 セレスの声は、火のはぜる音に紛れて柔らかく響いた。

 だが返ってきたのは、むすっとした頷きだけだった。

 リリィは焚き火の前で膝を抱え、小枝で灰をつついている。

 頬を膨らませた横顔は、年相応の少女のようでありながら、どこか大人びた苛立ちを滲ませていた。

 

「だって、やっぱりおかしいですよ。あんなところに行くなんて……」

 

「……うん。そうかもね」

 

 セレスは苦笑を浮かべ、湯気の立つマグを差し出した。

 

「ほら、飲んで。冷めると苦くなるから」

 

 リリィは渋々それを受け取ったが、まだ視線を合わせようとしなかった。

 マグを両手で包み込むように持ち、唇を尖らせる。

 そんな様子を見つめながら、セレスは息を吐く。――きっと、自分ではうまく言葉にできないのだ。

 

 そのとき、背後から豪快な声が響いた。

 

「お、まだ引きずってるの? まったく、若いねぇ」

 

 振り向けば、ヴァレリアが腕を組んで立っていた。

 腰に手を当て、口元にはおどけたような笑み。けれどその瞳は真剣で、いかにも“説教の前触れ”という空気を漂わせている。

 

 セレスは思わず肩をすくめ、「あとは任せた」とばかりに焚き火から一歩下がった。

 

「ちょっといい? リリィ」

 

「……はい」

 

 ヴァレリアはしゃがみ込み、焚き火を見つめながら穏やかに言葉を選んだ。

 火の粉が夜気の中に舞い、二人の顔を淡く照らす。

 

「昨日のこと、気持ちはわかるよ。ああいう店、あんたみたいな年頃の子にはショックだよね」

 

「……やっぱり、だめだと思います」

 

 リリィはきっぱり言い切る。

 ヴァレリアは苦笑して、頭をぽんと叩いた。

 

「“だめ”って言葉、便利だけどさ。現実はそんな単純じゃないんだよね」

 

 リリィが顔を上げる。

 その瞳には、まだ納得できない光が宿っていた。

 ヴァレリアは続ける。

 

「この世界、いつ何があるかわからない。昨日までの常識なんて、次の瞬間ひっくり返る。だからね、あんたが“正しい”と思ってることが、誰かにとっては“救い”になることもあるし、逆もある」

 

「……救い?」

 

「そう。ガルドにとってはあれが必要だったのよ。

 あんたも知ってるでしょ? 中身、女の人だったって」

 

 リリィの表情がわずかに揺らぐ。

 ヴァレリアは焚き火の枝を動かしながら、少し柔らかい声で言った。

 

「戦場で仲間を守るには、自分の身体を受け入れなきゃいけない。

 あの子は中身が女の人で、でも身体は男。その違和感を抱えたまま戦えば、どこかで崩れる。だからあれは、“リハビリ”みたいなもんさ。……まあ、カイの連れて行き方は雑すぎたけどね」

 

 そう言って肩をすくめるヴァレリア。

 リリィは唇を噛み、俯いた。

 

「……わたし、ガルドさんが嫌いなわけじゃないんです。

 でも、そんなふうにして“慣れる”なんて……なんか違う気がして」

 

「違うって思うのは悪くないさ」

 

 ヴァレリアは優しく微笑んだ。

 

「大事なのは、“相手を否定しないこと”。それさえできれば、あんたの優しさはちゃんと伝わる」

 

 リリィはしばらく黙り込み、湯気の向こうで小さく頷いた。

 

「……はい」

 

 その声はまだ少し弱々しかったが、確かに温もりを取り戻していた。

 

 その様子を少し離れた場所から見ていたセレスは、静かに微笑んだ。

 焚き火の明かりが頬を照らし、その瞳の奥に淡い安堵が宿る。

 

(……やっぱり、ヴァレリアは強いな)

 

 “僕”ならこううまく言えなかっただろう。

 “私”としても複雑な感情を抱えたまま、ただ曖昧に笑って終わらせてしまったに違いない。

 

 仲間たちがそれぞれに成長している。リリィも、ヴァレリアも、そしてガルドも。

 

 焚き火が静かに燃え続ける。

 その赤い灯りが、彼らの小さな絆を確かに照らしていた。

 

 そのとき、背後からごつごつした靴音が近づいた。

 顔を上げると、そこにガルドが立っていた。

 昨日の騒ぎを引きずっているのか、どこか気まずそうに後頭部を掻いている。

 

「……おはよう。リリィ」

「……おはようございます」

 

 短い挨拶のあとに沈黙が落ちる。

 焚き火がぱちりと弾け、静けさを誤魔化すように火の粉が散った。

 その気まずい間を破ったのは、ヴァレリアの快活な声だった。

 

「よーし! 二人とも顔見合わせたところで、私は鍛錬場に行くわ。

 ね、セレスも行こ。あとは若い子同士で仲直りでもしてなさい」

 

「え、ちょっ、わたし――!」

 

「大丈夫、大丈夫」

 

 ヴァレリアは笑いながらセレスの背を押した。

 セレスは苦笑いを浮かべつつ、押し出されるようにその場を離れる。

 

 ――焚き火のそばには、ガルドとリリィだけが残った。

 

 沈黙は続く。

 だがその沈黙には、どこか昨夜とは違う柔らかさがあった。

 

 やがてガルドが小さく息を吐き、ぽつりと口を開いた。

 

「……悪かったな。お前に心配かけた」

 

「い、いえ……わたし、ちょっと言いすぎました」

 

 リリィの声は小さく、それでも素直な響きを含んでいた。

 ガルドは目を伏せ、火の明かりを見つめながら苦笑を漏らす。

 

「いや、正しいよ。お前の言う通りだ。”私”だって、ちょっとどうかと思わないでもないし」

 

  彼の言葉に、リリィは驚いたように目を瞬かせた。

 その表情には、怒りよりも戸惑いが浮かんでいる。

 

「でも……ガルドさん、少し優しい顔になりました」

 

「そうか?」

 

「はい。昨日より、少し……穏やかです」

 

 リリィの言葉に、ガルドの口元がわずかに緩んだ。

 それはほんの一瞬の微笑み。けれど、それだけで彼の胸の重さが少し軽くなったことがわかる。

 

「そう言ってもらえるなら、行った甲斐はあったのかもな」

 

「……もう、そういうこと言わないでください!」

 

 リリィが頬をふくらませ、ガルドの腕を軽く叩く。

 ぱしんという音とともに、焚き火の火の粉が舞い上がり、二人の影が揺れた。

 

 その様子を、少し離れた通りの角からセレスとヴァレリアが見守っていた。

 ヴァレリアは腕を組み、どこか満足げに頷く。

 

「ね、言ったとおりでしょ? 怒るだけが教育じゃないのよ」

 

「うん。ありがとう、ヴァレリア。助かった」

 

 セレスがそう言うと、ヴァレリアはにやりと笑った。

 

「ふふ、あんたも本当は言いたかったんでしょ?」

 

 セレスは一瞬だけ迷い、そして静かに笑った。

 

「……“僕”としてはね。でも“私”としては、少し複雑だった」

 

 ヴァレリアは片眉を上げ、からかうような口調で言った。

 

「そりゃそうでしょ。あんた、もう半分以上は“女の子側”に立ってるんだから」

 

 セレスは答えず、夜風に金の髪をなびかせた。

 胸の奥に残っていたもやは、もうほとんど消えている。

 代わりに残ったのは、穏やかな笑みだった。

 

 ――“僕”と“私”が、ほんの少し歩み寄ったことを感じる。

 

 そのとき、背後から軽い足音が近づいてきた。

 軽やかで、どこか人を和ませるリズム。それが誰のものか、セレスは振り向く前に察していた。

 

「おーい、珍しく真面目な顔してると思ったら、また二人で見守りか?」

 

 現れたのはカイだった。

 片手にパンを持ち、もう片方の手で無造作に頭をかきながら、いつも通りの軽い笑みを浮かべている。

 だがその目の奥は、どこか観察者のように鋭かった。

 

「おはよう、カイ」

 

「おはよ。……で、リリィとガルドのほうは?」

 

 ヴァレリアが顎で焚き火の方を示すと、カイはそちらへ視線を向けた。

 まだ頬を膨らませたままのリリィが、どこか楽しげにガルドへ話しかけている。

 それに答えるガルドの表情は硬さが抜け、ようやく本来の落ち着きを取り戻しつつあった。

 

 その光景を見て、カイはパンをちぎりながら満足げに息を吐いた。

 

「なるほどな。ようやく空気が丸くなったか。

 あの二人は正反対だけど、案外いいバランスなんじゃないかな」

 

 軽口の調子を保ちながらも、その言葉には確かな意図があった。

 セレスは小首をかしげる。

 

「カイは最初から、こうなるってわかってたの?」

 

「まあね」

 

 セレスの問いに、カイは肩をすくめて笑う。

 

「ガルドもリリィも不器用だからな。放っておけば噛み合わないまま、気持ちが擦り切れそうだったしな。だから、ちょっと刺激を入れてやったんだよ。……必要なことだったろ?」

 

 ヴァレリアが目を細める。

 

「あの“きっかけ”……あんたが意図的に仕組んだってことでいいんだよね?」

 

「仕組んだってほどでもないさ。ただ、みんなに見せるべきもんを“偶然”見せただけ」

 

 カイはわざとらしく肩を竦めた。

 その笑みは飄々としていたが、底には確かな計算が見え隠れしていた。

 

「ガルドには現状を“受け入れる覚悟”が必要だったし、リリィには現実を“見る覚悟”が必要だった。――どっちも、通らなきゃ前に進めないだろ?」

 

 ヴァレリアは腕を組み、半ば呆れながらも小さく笑った。

 

「相変わらず性格が悪い。けど、言ってることは正論ね」

 

「褒め言葉として受け取っとくよ」

 

 カイはにやりと笑い、パンの欠片を口に放り込む。

 そして何気ない風を装いながら、セレスへと視線を向けた。

 

「でも――」

 

 そこで一拍、わざと間を置く。

 セレスはその視線に気づき、眉をひそめた。

 

「……でも?」

 

「お前さんは、どうもおかしいなって思ってさ」

 

「おかしい?」

 

 セレスは戸惑いを隠せずに問い返した。

 ヴァレリアも興味深そうに顔を向ける。

 

 カイは腕を組み、少し真面目な顔つきになった。

 

「他の奴らは、何かしら現実と折り合いつけようとし始めてる。

 ガルドもリリィも、ヴァレリアも――みんな“今の自分”を理解しようともがいてる。でもお前はさ、まるで“答え”を知ってる人みたいに動くんだよな」

 

 セレスは言葉を失い、しばし黙り込んだ。

 胸の奥に、ひやりとしたものが走る。

 

 カイは笑いを浮かべながらも、視線だけは外さない。

 

「まるでこの世界そのものを“観察してる”みたいなんだ。

 だからこそ頼りになるけど……正直、時々怖くなる。

 お前、本当に何が見えているんだ?」

 

 空気が一瞬、張り詰めた。

 ヴァレリアが思わず息を呑む。

 

 だがカイはすぐに笑みを戻し、軽く手を振った。

 

「――ま、冗談だよ。考えすぎかもしれないけどな」

 

 セレスは小さく息をつき、無理に笑顔を作った。

 

「……カイは相変わらず鋭いね。ほんと、見透かされてる気がするよ」

 

「俺はそういう役だからな。誰かが引き締め役をやらないと、うちのパーティは緩みっぱなしだ」

 

 軽口を交わしながらも、カイの瞳には探るような光が残っていた。

 セレスはその視線を真正面から受け止め、微笑みの裏で自分の鼓動を感じていた。

 

 ――この世界に立つ自分が、“誰”であるのか。

 その問いを突きつけられたような感覚が、胸の奥で小さく疼く。

 

 焚き火の煙が空へと立ちのぼり、朝の光に溶けていく。

 カイは何も言わずにパンを食べ終えると、ひらひらと手を振って歩き出した。

 

「ま、今はそれでいいさ。どうあれ、みんなお前さんを頼りにしてる。それは嘘じゃない」

 

 その背中を見送りながら、セレスは小さく息を吐いた。

 胸の奥に残るざらりとした感情を抱えながら、ただ、朝の空を見上げた。

 

 ――“僕”と“私”。

 その境界線は、誰よりも自分自身がいちばん曖昧にしていた。

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