TS女魔法師になったネトゲ廃人~極悪アップデートのVRMMO世界に放り込まれるなんて聞いてない! 作:桐谷アキラ
工房街の広場には静かな空気が漂っていた。
騒動もひと段落し、皆が普段通りの作業に戻りつつある――ただし、一人を除いて。
「……まだ怒ってるの?」
セレスの声は、火のはぜる音に紛れて柔らかく響いた。
だが返ってきたのは、むすっとした頷きだけだった。
リリィは焚き火の前で膝を抱え、小枝で灰をつついている。
頬を膨らませた横顔は、年相応の少女のようでありながら、どこか大人びた苛立ちを滲ませていた。
「だって、やっぱりおかしいですよ。あんなところに行くなんて……」
「……うん。そうかもね」
セレスは苦笑を浮かべ、湯気の立つマグを差し出した。
「ほら、飲んで。冷めると苦くなるから」
リリィは渋々それを受け取ったが、まだ視線を合わせようとしなかった。
マグを両手で包み込むように持ち、唇を尖らせる。
そんな様子を見つめながら、セレスは息を吐く。――きっと、自分ではうまく言葉にできないのだ。
そのとき、背後から豪快な声が響いた。
「お、まだ引きずってるの? まったく、若いねぇ」
振り向けば、ヴァレリアが腕を組んで立っていた。
腰に手を当て、口元にはおどけたような笑み。けれどその瞳は真剣で、いかにも“説教の前触れ”という空気を漂わせている。
セレスは思わず肩をすくめ、「あとは任せた」とばかりに焚き火から一歩下がった。
「ちょっといい? リリィ」
「……はい」
ヴァレリアはしゃがみ込み、焚き火を見つめながら穏やかに言葉を選んだ。
火の粉が夜気の中に舞い、二人の顔を淡く照らす。
「昨日のこと、気持ちはわかるよ。ああいう店、あんたみたいな年頃の子にはショックだよね」
「……やっぱり、だめだと思います」
リリィはきっぱり言い切る。
ヴァレリアは苦笑して、頭をぽんと叩いた。
「“だめ”って言葉、便利だけどさ。現実はそんな単純じゃないんだよね」
リリィが顔を上げる。
その瞳には、まだ納得できない光が宿っていた。
ヴァレリアは続ける。
「この世界、いつ何があるかわからない。昨日までの常識なんて、次の瞬間ひっくり返る。だからね、あんたが“正しい”と思ってることが、誰かにとっては“救い”になることもあるし、逆もある」
「……救い?」
「そう。ガルドにとってはあれが必要だったのよ。
あんたも知ってるでしょ? 中身、女の人だったって」
リリィの表情がわずかに揺らぐ。
ヴァレリアは焚き火の枝を動かしながら、少し柔らかい声で言った。
「戦場で仲間を守るには、自分の身体を受け入れなきゃいけない。
あの子は中身が女の人で、でも身体は男。その違和感を抱えたまま戦えば、どこかで崩れる。だからあれは、“リハビリ”みたいなもんさ。……まあ、カイの連れて行き方は雑すぎたけどね」
そう言って肩をすくめるヴァレリア。
リリィは唇を噛み、俯いた。
「……わたし、ガルドさんが嫌いなわけじゃないんです。
でも、そんなふうにして“慣れる”なんて……なんか違う気がして」
「違うって思うのは悪くないさ」
ヴァレリアは優しく微笑んだ。
「大事なのは、“相手を否定しないこと”。それさえできれば、あんたの優しさはちゃんと伝わる」
リリィはしばらく黙り込み、湯気の向こうで小さく頷いた。
「……はい」
その声はまだ少し弱々しかったが、確かに温もりを取り戻していた。
その様子を少し離れた場所から見ていたセレスは、静かに微笑んだ。
焚き火の明かりが頬を照らし、その瞳の奥に淡い安堵が宿る。
(……やっぱり、ヴァレリアは強いな)
“僕”ならこううまく言えなかっただろう。
“私”としても複雑な感情を抱えたまま、ただ曖昧に笑って終わらせてしまったに違いない。
仲間たちがそれぞれに成長している。リリィも、ヴァレリアも、そしてガルドも。
焚き火が静かに燃え続ける。
その赤い灯りが、彼らの小さな絆を確かに照らしていた。
そのとき、背後からごつごつした靴音が近づいた。
顔を上げると、そこにガルドが立っていた。
昨日の騒ぎを引きずっているのか、どこか気まずそうに後頭部を掻いている。
「……おはよう。リリィ」
「……おはようございます」
短い挨拶のあとに沈黙が落ちる。
焚き火がぱちりと弾け、静けさを誤魔化すように火の粉が散った。
その気まずい間を破ったのは、ヴァレリアの快活な声だった。
「よーし! 二人とも顔見合わせたところで、私は鍛錬場に行くわ。
ね、セレスも行こ。あとは若い子同士で仲直りでもしてなさい」
「え、ちょっ、わたし――!」
「大丈夫、大丈夫」
ヴァレリアは笑いながらセレスの背を押した。
セレスは苦笑いを浮かべつつ、押し出されるようにその場を離れる。
――焚き火のそばには、ガルドとリリィだけが残った。
沈黙は続く。
だがその沈黙には、どこか昨夜とは違う柔らかさがあった。
やがてガルドが小さく息を吐き、ぽつりと口を開いた。
「……悪かったな。お前に心配かけた」
「い、いえ……わたし、ちょっと言いすぎました」
リリィの声は小さく、それでも素直な響きを含んでいた。
ガルドは目を伏せ、火の明かりを見つめながら苦笑を漏らす。
「いや、正しいよ。お前の言う通りだ。”私”だって、ちょっとどうかと思わないでもないし」
彼の言葉に、リリィは驚いたように目を瞬かせた。
その表情には、怒りよりも戸惑いが浮かんでいる。
「でも……ガルドさん、少し優しい顔になりました」
「そうか?」
「はい。昨日より、少し……穏やかです」
リリィの言葉に、ガルドの口元がわずかに緩んだ。
それはほんの一瞬の微笑み。けれど、それだけで彼の胸の重さが少し軽くなったことがわかる。
「そう言ってもらえるなら、行った甲斐はあったのかもな」
「……もう、そういうこと言わないでください!」
リリィが頬をふくらませ、ガルドの腕を軽く叩く。
ぱしんという音とともに、焚き火の火の粉が舞い上がり、二人の影が揺れた。
その様子を、少し離れた通りの角からセレスとヴァレリアが見守っていた。
ヴァレリアは腕を組み、どこか満足げに頷く。
「ね、言ったとおりでしょ? 怒るだけが教育じゃないのよ」
「うん。ありがとう、ヴァレリア。助かった」
セレスがそう言うと、ヴァレリアはにやりと笑った。
「ふふ、あんたも本当は言いたかったんでしょ?」
セレスは一瞬だけ迷い、そして静かに笑った。
「……“僕”としてはね。でも“私”としては、少し複雑だった」
ヴァレリアは片眉を上げ、からかうような口調で言った。
「そりゃそうでしょ。あんた、もう半分以上は“女の子側”に立ってるんだから」
セレスは答えず、夜風に金の髪をなびかせた。
胸の奥に残っていたもやは、もうほとんど消えている。
代わりに残ったのは、穏やかな笑みだった。
――“僕”と“私”が、ほんの少し歩み寄ったことを感じる。
そのとき、背後から軽い足音が近づいてきた。
軽やかで、どこか人を和ませるリズム。それが誰のものか、セレスは振り向く前に察していた。
「おーい、珍しく真面目な顔してると思ったら、また二人で見守りか?」
現れたのはカイだった。
片手にパンを持ち、もう片方の手で無造作に頭をかきながら、いつも通りの軽い笑みを浮かべている。
だがその目の奥は、どこか観察者のように鋭かった。
「おはよう、カイ」
「おはよ。……で、リリィとガルドのほうは?」
ヴァレリアが顎で焚き火の方を示すと、カイはそちらへ視線を向けた。
まだ頬を膨らませたままのリリィが、どこか楽しげにガルドへ話しかけている。
それに答えるガルドの表情は硬さが抜け、ようやく本来の落ち着きを取り戻しつつあった。
その光景を見て、カイはパンをちぎりながら満足げに息を吐いた。
「なるほどな。ようやく空気が丸くなったか。
あの二人は正反対だけど、案外いいバランスなんじゃないかな」
軽口の調子を保ちながらも、その言葉には確かな意図があった。
セレスは小首をかしげる。
「カイは最初から、こうなるってわかってたの?」
「まあね」
セレスの問いに、カイは肩をすくめて笑う。
「ガルドもリリィも不器用だからな。放っておけば噛み合わないまま、気持ちが擦り切れそうだったしな。だから、ちょっと刺激を入れてやったんだよ。……必要なことだったろ?」
ヴァレリアが目を細める。
「あの“きっかけ”……あんたが意図的に仕組んだってことでいいんだよね?」
「仕組んだってほどでもないさ。ただ、みんなに見せるべきもんを“偶然”見せただけ」
カイはわざとらしく肩を竦めた。
その笑みは飄々としていたが、底には確かな計算が見え隠れしていた。
「ガルドには現状を“受け入れる覚悟”が必要だったし、リリィには現実を“見る覚悟”が必要だった。――どっちも、通らなきゃ前に進めないだろ?」
ヴァレリアは腕を組み、半ば呆れながらも小さく笑った。
「相変わらず性格が悪い。けど、言ってることは正論ね」
「褒め言葉として受け取っとくよ」
カイはにやりと笑い、パンの欠片を口に放り込む。
そして何気ない風を装いながら、セレスへと視線を向けた。
「でも――」
そこで一拍、わざと間を置く。
セレスはその視線に気づき、眉をひそめた。
「……でも?」
「お前さんは、どうもおかしいなって思ってさ」
「おかしい?」
セレスは戸惑いを隠せずに問い返した。
ヴァレリアも興味深そうに顔を向ける。
カイは腕を組み、少し真面目な顔つきになった。
「他の奴らは、何かしら現実と折り合いつけようとし始めてる。
ガルドもリリィも、ヴァレリアも――みんな“今の自分”を理解しようともがいてる。でもお前はさ、まるで“答え”を知ってる人みたいに動くんだよな」
セレスは言葉を失い、しばし黙り込んだ。
胸の奥に、ひやりとしたものが走る。
カイは笑いを浮かべながらも、視線だけは外さない。
「まるでこの世界そのものを“観察してる”みたいなんだ。
だからこそ頼りになるけど……正直、時々怖くなる。
お前、本当に何が見えているんだ?」
空気が一瞬、張り詰めた。
ヴァレリアが思わず息を呑む。
だがカイはすぐに笑みを戻し、軽く手を振った。
「――ま、冗談だよ。考えすぎかもしれないけどな」
セレスは小さく息をつき、無理に笑顔を作った。
「……カイは相変わらず鋭いね。ほんと、見透かされてる気がするよ」
「俺はそういう役だからな。誰かが引き締め役をやらないと、うちのパーティは緩みっぱなしだ」
軽口を交わしながらも、カイの瞳には探るような光が残っていた。
セレスはその視線を真正面から受け止め、微笑みの裏で自分の鼓動を感じていた。
――この世界に立つ自分が、“誰”であるのか。
その問いを突きつけられたような感覚が、胸の奥で小さく疼く。
焚き火の煙が空へと立ちのぼり、朝の光に溶けていく。
カイは何も言わずにパンを食べ終えると、ひらひらと手を振って歩き出した。
「ま、今はそれでいいさ。どうあれ、みんなお前さんを頼りにしてる。それは嘘じゃない」
その背中を見送りながら、セレスは小さく息を吐いた。
胸の奥に残るざらりとした感情を抱えながら、ただ、朝の空を見上げた。
――“僕”と“私”。
その境界線は、誰よりも自分自身がいちばん曖昧にしていた。