TS女魔法師になったネトゲ廃人~極悪アップデートのVRMMO世界に放り込まれるなんて聞いてない! 作:桐谷アキラ
ダンジョンを無事に抜け出し、街に戻る途中の丘を越えた瞬間、一行の足がぴたりと止まった。
視界の先に広がる街は、彼らが知る拠点の姿ではなかった。
上空には黒煙がいくつも立ちのぼり、陽光を遮るかのように空を曇らせていた。
赤い炎が屋根を舐め、崩れ落ちる瓦礫の音が風に乗って響いてくる。
それは、かつてゲームの画面越しに見てきた“エフェクト”などではない。
焦げた木材の匂いが鼻を刺し、焼けた瓦が弾ける破裂音が耳を打つ。
そして、人々の絶望を引き裂く叫びが、確かに現実としてそこにあった。
「……嘘だろ」
ヴァレリアが呻くように声を漏らした。
普段は陽気な彼女の声が震えるのを、誰も責められはしなかった。
街道を行き交う人影が見える。
それはプレイヤーだけではない。商人、兵士、子ども――彼らがゲームで“NPC”と呼んでいた人々までもが、必死に逃げまどっていた。
泣き叫ぶ声。助けを呼ぶ声。そして、その背後から追いすがる獣の唸り声。
その光景がすべてを物語っていた。
――この世界にセーフティゾーンなど存在しない。
ガルドは唇を噛みしめ、大盾を握る手に力を込めた。
その瞳には迷いと怒り、そして守れなかった無力感が入り混じっている。
カイは苦く笑い、肩をすくめる。
「……やっぱりな。楽できるはずないと思ってた」
軽口めいたその言葉は、彼なりの恐怖のごまかしだった。だが瞳の奥ににじむ諦念が、その真意を隠しきれてはいない。
ヴァレリアも険しい表情で街を見つめていた。
握り締めた拳がわずかに震えているのは、怒りなのか、それとも恐怖なのか。
彼女自身にも分からない。ただ胸を焦がす感情が、静かに押し寄せてくるだけだった。
合流したばかりの三人の冒険者たちは、その場に崩れ落ちた。
エレナは顔を覆い、抑えきれず嗚咽を漏らす。
ハルトは祈るように手を組んだが、その声は震え、途切れ途切れで言葉にならない。
リオナは蒼白な顔で立ち尽くし、震える唇からかすれ声を絞り出した。
「……街まで……だめなんですか……」
その絶望の声に、リリィが思わずセレスへとしがみついた。
小さな肩は恐怖で震えていたが、泣き出すまいと必死にこらえている。
その健気さが、かえって皆の胸を締め付けた。
セレスは黙って前を見据えた。
胸を覆う不安と絶望は、氷のように冷たく広がっていく。
それでも、セレスの表情は崩れなかった。
“僕”の心は重く沈んでいても、“私”は仲間を導く魔法師として――冷静さを装い続けるしかなかった。
丘の上で立ち尽くす一行。荒れ狂う炎と黒煙が視界を覆う中、沈黙を破ったのはガルドだった。彼の声は低く、鉄を噛むように重い。
「……決めなきゃならない。俺たちは街に行くか、それとも避けるか」
誰もが息を呑み、その場に張り詰めた緊張が広がった。
自然と仲間たちの視線は三人――ガルド、カイ、そしてセレスへと集まる。
この場を引っ張るべき存在。そう無言で認めていたからだった。
カイは大きく息を吐き、肩をすくめる。
普段の軽快な笑みは消え、瞳には鋭い冷徹さが宿っていた。
「正直、街に入るのは危険すぎる。魔物が溢れてるかもしれないし、巻き込まれて全滅もあり得る」
軽口のように響いたが、その実、冷酷な現実を突きつける言葉だった。
彼は冗談で空気を和らげる男だ。だが今は違う。誰もが彼の声音の重さに息を詰めた。
ガルドも頷き、拳を強く握りしめる。
「安全を考えるなら、街を避けて拠点を探すべきだ。仲間の命を優先するなら、それが一番確実だ」
その言葉は騎士としての理屈に満ちていた。だが同時に、命を守ろうとする優しさの裏返しでもあった。
だが、リリィはその冷静な判断を受け入れられなかった。
幼い少女の瞳が大きく見開かれ、涙の膜がにじむ。
「み、見捨てちゃうの……? 街の人たちを……」
震える声は、必死に押し殺そうとしても嗚咽に近かった。
彼女の純粋な問いは、誰よりも痛烈に仲間の胸を突いた。
カイは一瞬だけ視線を逸らし、口元に苦い笑みを浮かべる。
「そう聞こえるかもしれないが……俺たちが死んだら、それこそ誰も助けられない」
理屈では正しい。だがその言葉は、リリィの心に届くはずもなかった。
エレナは唇を噛みしめ、リオナは蒼白な顔で俯く。
彼女たちはつい先ほど蘇生されたばかりで、彼らの冷徹な計算の前に声を失っていた。
セレスは黙って杖を握りしめ、静かに一歩を踏み出した。
「でも、街にはきっと私たちが知るプレイヤー達がいるはず。情報を得るなら、合流することが必要だと思う」
落ち着いた声。しかしその胸の奥では、激しい葛藤が渦を巻いていた。
(……見知った仲間を捨てる? 本当はそんなこと、僕だってしたくない。けれど“私”は冷静に選択肢を示さなきゃならない)
ヴァレリアが腕を組み、険しい表情で街を睨む。
「情報か……確かに、街を避けて逃げるだけじゃ、この世界がどうなってるかも分からないな」
ハルトは苦い顔をし、ゆっくりと頷いた。
「助けを求める声を見捨てるのは、胸が痛む。だが……俺たちも危険に晒される」
言葉を重ねるごとに、場の空気は重く沈んでいく。
年長組の冷静な計算と、若い仲間の純粋な衝動。二つの意見は真っ向からぶつかり、決して交わらなかった。
沈黙が落ちる。
焚き火のように揺らめく炎の音だけが、遠くから響いてきた。
重苦しい沈黙の中で、リリィが小さく息を吸い込んだ。
小さな胸が上下に震え、幼い少女の瞳は恐怖に揺れていた。
それでも、彼女は必死に言葉を探し、声を絞り出す。
「……怖い。でも、街に行きたい。わたし……誰かが助けを呼んでるのに、見捨てたくない」
その言葉は細く脆いものだったが、真っ直ぐで揺るぎなかった。
幼い心の純粋な叫びが、張り詰めた空気に波紋を広げていく。
弓手の少女――エレナが顔を上げ、涙を拭った。
「……私も。同じ。もし自分が倒れてたら、きっと街の仲間に助けてほしいって思うから」
その声には恐怖と迷いが残っていた。だが、彼女の決意がにじんでいた。
リオナは唇を強く噛み、震える肩を押さえ込むようにして、涙をこらえながら頷いた。
「……私の魔法のせいで仲間を失った。でも……もう誰も失いたくない」
三人の小さな声は、確かな熱を帯びて空気を震わせていった。
その純粋さは、大人組の胸にも鋭く突き刺さる。
安全を優先するはずだった彼らの心に、痛烈な矛盾を突きつけた。
ガルドは低く唸るように声を漏らした。
「……無理をするな、って言いたい。だが……それが君たちの決意なら、俺は盾としてみんなを守ってみせるさ」
その一言は、彼の覚悟の表れだった。
守るべきものがあるからこそ、彼の大盾はその堅牢さを増す。
カイは額を押さえ、ため息とともに苦笑を浮かべる。
「はぁ……ほんと参るよ。大人は臆病なぐらいでちょうどいいと思ってたのに……。でも、分かった。俺も付き合う」
言葉こそ軽く響いたが、その奥底には揺るぎない決意があった。
彼もまた、逃げ道を断ち切ったのだ。
セレスは静かに杖を握り直した。
――“僕”なら、きっと最後まで迷っていた。安全を優先して、無理をしない道を選びたかった。
けれど“私”は違う。仲間の決意を守るためにこそ、前に出る役を演じなければならない。
「街へ行こう。無理をしないためにこそ、みんなで一緒に行くんだ。……守るために」
その声は穏やかでありながら、確かな力を帯びていた。
迷いに揺れる仲間たちを導く、魔法師セレスとしての声だった。
仲間たちは力強く頷いた。
恐怖は消えない。だが、決意を共有したことで、一行の足取りには再び前へ進む力が宿った。
燃え盛る街を目指し、彼らは歩き出す。
その背にはまだ不安の影がつきまとっていたが――胸には確かに、同じ灯火がともっていた。