鬼哭廻牢~追憶・天~   作:鯉庵

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追憶・上

 木刀が空を割く。

 洗練された足運びと共に、木刀を振り下ろすと汗が飛び散った。

 その汗が床板に浸みこむ。

 縁側の向こうでは、深々と雪が降り積もっていた。

 美しい庭園が純白に染められている。

 

 木刀を一心不乱に振っているのは、妙齢の少女だった。

 麗しいと形容するにふさわしい少女。

 凛とした(かんばせ)の造りは、怜悧で冷たい印象を与えるだろう。

 加えて、美しい面に浮かぶ表情は厳めしい。

 (まなじり)を吊り上げ、薄い桃色の唇をきつく引き結んだその貌は、深い瞋りを滲ませていた。

 

 名を珱嘩(えいか)という。

 剣術道場の長女に生まれ、武の才覚にも恵まれた少女であった。

 しかし、珱嘩は己の性や肉体にまるで納得がいかなかった。

 自我が芽生えてから、一度も己が女であることが腑に落ちない。

 こうして木刀を振るうことも、道場主の父から面白く思われていないだろう。

 

 そのことも、珱嘩を苛立たせる。

 門下生は多い方で、剣術が武から作法の色に染まりつつある時分にも関わらず、父にに教えを乞う男どもは絶えなかった。

 

 当然、その門下生の中に、女は一人もいない。

 家中の下女(げじょ)達は一様に珱嘩を憐れむような眼で見ていた。

 それも気に喰わない。

 

 門弟たちが珱嘩を侮り、嘗め腐って、挙句の果てには「女だから加減をしてやった」などとほざく。

 心底、一切合切、瞋怒(ゆるせない)

 

「――――珱嘩」

 

 渋みを含んだ声が、珱嘩の耳朶を打つ。

 珱嘩は木刀を振る音が、ひたりと止まる。

 顔を縁側の方へ向けると、着流し姿の父が立っていた。

 濃紺の着流し姿で、袖に腕を潜らせている。

 

 頭が禿げ上がっていて、側頭部に白髪の髪が寂しげに生えている。

 皺の多い顔だが、眉間に寄ったそれは、珱嘩を咎めるために、出来たのだろう。

 近頃、父はこのような顔を珱嘩に見せることが増えた。

 はっきりとは口にしないが、珱嘩が木刀を振ることを快く思っていないだろうというのは察せられる。

 

「はい。父上」

 

 珱嘩は挿げなく応じた。

 珱嘩の声に、自然と険が籠る。

 

「話が在るから、汗を流したら部屋に来なさい」

 

「はい」

 

 それだけ応えて、珱嘩は己が満足するまで、しばらく木刀を振った。

 

◆◆◆

 

 珱嘩が父の部屋を訪れたのは、陽も沈みかけた夕刻であった。

 雪化粧した山々の間から刺す斜陽の光が、屋敷を照らしている。

 珱嘩は障子の前に正座をして、父の許しを待った。

 

「入りなさい」

 

 促されて、部屋に入る。

 その所作は、優雅で洗練されていた。

 障子を閉め、胡坐を掻いた父と対面する。

 刀架に掲げられた刀に視線をやった時、あの刀で父を斬りつけたら己の中に渦巻く瞋怒を少しは沈められるだろうか、と詮無い事を夢想した。

 

「遅くなって申し訳ありません。父上」

 

 心にもない謝罪を述べる。

 

 父は煙管の吸い口を唇へと運び、紫煙を吸い込む。

 珱嘩はその所作に、微かな羨望を覚える。

 男が男然と振舞う姿が珱嘩はどうしようもなく羨ましいと思えてしまう。

 

「道着のまま来たのか」

 

 父の呆れを多分に含む言を耳から流して、見据えた。

 父が貌を顰めた。

 どうやら睨めつけてしまったらしい。

 

「ご用件をお伺いしても?」

 

 無視して問う。

 父は紫煙と一緒に深い溜息を零して、禿げあがった頭をつるりと撫でた。

 

「珱嘩よ。お前、そろそろ嫁に行かぬか」

「行きませぬ」

 

 鰾膠もない返答に、父はむっと唇と曲げる。

 瞠目した眼で怒りの火が燻ぶった。

 

「お前もいい年だ。剣術などやめて、花嫁修業に努めなさい。いい相手は見繕っている」

 

「お言葉ですが、父上。(わたくし)は嫁になど行く気は毛頭ございませぬ。それに、後継ぎはどうなさるのですか」

 

 息もつかぬ間に返答し、詰るように言い募る。

 珱嘩の指摘はもっともだ。

 父は四十を過ぎてから子を設けた。

 母も決して若くなく、今後子供を孕むことはないだろう。

 嫡男が居ないのである。

 後継に能う門弟もおらず、珱嘩が継がなければ父の代で道場を畳むことになる。

 それは父もしたくないだろうと、珱嘩は考えていた。

 

「養子を取る」

 

「は?」

 

 珱嘩は呆気にとられ、父を見た。

 父の貌は憮然としていた。

 

「何を驚くことがある? お前が継げるとでも思っていたのか? 馬鹿を言うな。

 お前は女だぞ……

 道楽はいい加減に辞めて、嫁に行きなさい」

 

 珱嘩は頭が真っ白になる。

 言葉の意味を咀嚼して、今度は目の前が真っ赤に染まった。

 

 道楽と言ったのか、この男は。

 珱嘩は膝の上で拳を作って、固く握りこんだ。

 爪が皮膚を突き破って、血が滴る。

 珱嘩は固く父を睨め付け、言い放った。

 

「父上、今すぐ門弟を道場へ集めて頂きたい」

「何をする気だ」

 父は渋い顔で、珱嘩に問うた。

 

「決まっています」

 

――――すっ、と珱嘩の双眸が細まった。

 黒い瞳は、光を失い濁っている。

 

「――――試合を」

 

 珱嘩はそれだけ言って、立ち上がった。

 拒否は許さないと父を無言で見詰た。

 

 父の喉仏が動くのが見えた。

 

◆◆◆

 

 一刻程経って、門弟たちが道場に集まっていた。

 百を超える門弟の中で、父が認めた二十人ほどが詰めかけた。

 この中から養子を取って、跡継ぎにする腹積もりだろうと見当がつく。

 

 各々坐して、珱嘩を見詰ている。

 

 珱嘩は壁を背にして門弟たちを見下ろしていた。

 手にした木刀の鋩を床板に叩きつけ宣告する。

 

「夜分にご苦労。お前たちには、今から私と試合をしてもらう」

 

 珱嘩の言に、門弟たちは目を瞠った。

 その後に、貌を綻ばせる者や嘲る者に分かれた。

 皆一様に、珱嘩を嘗めている。

 

「父から先刻、剣術など辞めて嫁に行けとせがまれてな。私はもちろん断った。自分より弱い男に嫁ぐ気はない、と」

 

 門弟たちの目が鋭くなった。

 纏う雰囲気が一変し、珱嘩を睨め付けている。

 侮っている女に、そう言われて腹を立てたのだろうが、それはお互い様だろう。

 それから直ぐに立ち合いが始まる。

 

 珱嘩と対峙する男は、長身で一見すると痩躯だった。

 しかし、それは無駄がないというだけで、胴着に包まれた肉体にはしっかりと隆起している。

 面の造りもいい男だった。

 後ろへ撫で付けた髪を、結ってある。

 その髪が、馬の尾の様に揺れた。

 

 癪に障る男。

 造りのいい面には、自信と下卑た嘲笑が浮かんでいる。

 珱嘩よりも、頭一つ分抜けているため、見下ろされる形となる。

 

 瞋怒(ゆるせない)

 

 珱嘩の瞳の奥で、瞋怒が熾った。

 

 互いに、木刀構える。

 

 珱嘩は、中段で正眼に構えた。

 門弟の男は、大上段に構えた。

 

「始め」

 

 二人の間に立つ父が、厳かに告げると同時に事は起こった。

 

 門弟が大上段から木刀を振り下ろした。

 それを珱嘩は躊躇いなく、受けた。

 受けたが、木刀を傾けて流した。

 刀身の上を滑った木刀が、行き場を失って空を斬る。

 乾いた音の後に、首を打ち据える音がして、男が床板に倒れ伏した。

 

 うつ伏せになって、白目をむきながら泡を吹いている。

 

「次」

 

 淡々と珱嘩が言う。

 凍てついた空気を無視して門弟たちを睨め付けると、すっと手を挙げる男が居た。

 平凡な貌の男だった。

 勤勉で、剣術に真摯に向き合っている男だった。

 剣の才覚には乏しい男であったと珱嘩は記憶している。

 

 父は痛くこの男を気に入っていた。

 

 瞋怒(ゆるせない)

 

 男と言うだけで、こんな凡夫までも剣の道を歩める事が。

 

 相対する二人は、互いに同じ構えを取っている。

 合図がしても、しばらく互いを見合うに留まった。

 この門弟は体格に恵まれていない。

 背格好も珱嘩と同程度である。

 男は受けの姿勢を崩さない。

 

 痺れを切らした珱嘩が踏み込んで、突く。

 その刺突を木刀で受け流された。

 乾いた音が木霊する。

 門弟は体をずらすように避けて、珱嘩の首裏に向かって木刀を振り下ろす。

 それを予期していた珱嘩はさっと体を引いて躱す。

 躱した傍から、門弟の木刀を自身の木刀で抑え込む。

 一拍置いて、手首を木刀で打ち据える。

 門弟の木刀が床板に落ちた。

 間を置かずに鳩尾を打ち、くの字に折れたところで喉を突いた。

 声を上げる事さえ許されず、倒れこんだ。

 門弟が泡を吹いて、魚のように跳ねた。

 

「次」

 

 門弟たちが短い悲鳴を上げて、身を竦ませた。

 戦意を失い、怯えた瞳で珱嘩を見詰ている。

 

「――――……珱嘩」

 

 父が唖然とし、名を呼んだ。

 その貌は、悲壮に満ちている。

 父は別段、珱嘩を侮蔑する意図で嫁に行けと告げたわけではない。

 この時分、女の幸せを考えるならば、ある種当然の親心である。

 しかし、それを珱嘩は好としなかっただけなのだ。

 珱嘩は血のこびりついた木刀で肩を叩いた。

 その様は、()()()()()()()

 

「――――…………はぁ」

 

 長く息を吐いた。

 その息と共に、これまでの自己を捨てる。

 

「――――()()

 

 父がはっとする。

 珱嘩の貌に笑みが浮かぶ。

 その笑みは粗野で野蛮。

 

「やっぱ俺ぁ、()()()()()()()()

 

 とん、とん、と木刀の峰で肩を叩く。

 唖然とする門弟たちをぐるりと見渡して続ける。

 

「やっぱりどうにもしっくり来なかった。どうしても成りきれねぇ……」

 

 珱嘩は目を伏せる。

 長い睫が、その瞳に影を落とした。

 美貌は色香を醸し、女であることを強調してくる。

 

「たまたま、肉体(からだ)が女ってだけだ……俺の肉体(からだ)だってのに、思うように動かねぇ。軽いし、遅い」

 

 珱嘩が臍を噛む。

 

「親父にも、お袋にもわりぃとは思うけどよ。俺ぁ、()()()()()がまだマシだよ」

 

 珱嘩は皮肉気に、唇の片端を吊り上げて笑んだ。

 

「俺ぁ、今日限りで出てくからよ。跡目は親父の好きにすりゃいい。アンタにゃ悪いが娘は死んだと思ってくれや……」

 

 呆然と立ちすくむ父に背を向けて道場を後にする。

 

 後のことなど決めていないが、どうでもよかった。

 

 父の部屋へ無断で入り、刀架に掛けられた日本刀を手にする。

 鞘を滑らせて刀身を見やると、其処には女の貌が映っていた。

 

「っち」

 

 刀を鞘へ納めて、腰に帯びる。

 

「……珱嘩、貴女、何をしているの?」

 

 横から声がした。

 視線をやると、台所で夕餉のお支度をしていたらしい母親が珱嘩を見詰ていた。

 その瞳には恐れが色濃く滲んでいる。

 それは、珱嘩が父の部屋の刀を帯びている所為ではない。

 

「……お袋」

 

 母が息を呑む。

 一拍の間を置いて、両目がきっと釣り上がった。

 

「貴女! 何処へ行くつもりなの! そんな(モノ)腰に下げて! それにその呼び方はやめなさいとあれ程言ったじゃない! 貴女は女なのよ!」

 

 癇癪を起した童の如くに喚いた。

 胴着の裾を掴んで、縋りつく。

 おろおろと涙をこぼして泣いた。

 

 母はいつも己を責めるように珱嘩に言いつのっていた。

 きっとおかしな娘を生んでしまったことに罪悪感を抱いているのかもしれない。

 だが、間違いなく珱嘩が珱嘩らしくあろうとするのは、(エゴ)に他ならなかった。

 

 珱嘩の胸がちくりと痛んだ。

 珱嘩は瞋怒(いか)ってはいても、両親を憎んではいなかった。

 自己の肉体と精神の歪さが珱嘩を苛んでいるのである。

 

「悪ぃな、お袋……俺なりに頑張っては見たけどよ、やっぱり駄目みてぇなんだわ。今日限りで家を出ていくからよ。俺のこたぁ、死んだと思ってくれや」

 

 泣きじゃくる母の頭をなでる。

 引き留める声を背中に受けながら、決して振り返ることなく屋敷を後にした。

 

 

 

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