鬼哭廻牢~追憶・天~   作:鯉庵

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龍と(ケダモノ)

「バカヤローーーーーー! く・う・きよめーーーー!!」

 

 渺漠(びょうばく)とした闇に嫣瑩の大絶叫が木霊する。

 嫣瑩は、怒りの余り黄金の髪と尾を逆立てて激昂していた。その隣で貔叉邏が六対の長耳のうちの二つの穴に、指を突っ込んで眉を顰めた。

 

「煩せぇなぁ、全くよう」

 

「だって、だって! あーしが、あーしがせっかくせっかく!! そのあんたと一緒に……」

 

 萎れた花のように、嫣瑩の尖った耳と、尾が垂れる。

 貔叉邏は、喉をくつくつと鳴らして笑っていた。

 嫣瑩はキッと貔叉邏を睨めつける。

 目尻には真珠のような涙が浮かんでいた。潤んだ黄金瞳がてらてらと煌めいていた。

 褐色の頬を膨らませた貌は、女童のようにあどけなく愛らしいと貔叉邏は思う。

 頭に手をやりわしゃわしゃと撫でてやった。

 

――――一里ほど離れた先に門が在った。

 それは、貔叉邏が破壊した儼乎(げんこ)たる鉄の門であった。

 門に崩落の跡は絶無で、亀裂一つ奔っていない。

 

「へぇ、あれだけ派手にぶち壊したのに元に戻ってやがる。摩訶不思議だねぇ」

 

 貔叉邏が感心したように漏らす。

 その言に、怒り狂っていた嫣瑩が冷静さを取り戻し、門を()っと見詰める。

 

「マジだ、マジで元に戻ってるー! やったー! これで釈尊に怒られずに済みそー」

 

 打って変わって、飛び跳ねながらはしゃぐ嫣瑩を見やり、貔叉邏は唇の片端を釣り上げて笑みを点した。

 目尻の下がった優しい笑みであった。

 赫い瞳からも普段の獰猛さが失せて、温もりを帯びる。

 

――――突如、砂漠が大きく揺れた。

 飛び跳ねていた嫣瑩が、着地と同時に砂上に尻を付けた。

 震源地は門の向こう、即ち、魔界である。

 門は一定の間隔を置いて揺れている。

 衝撃の具合から見て、巨大な何かが追突しているらしかった。

 

 揺れが収まる。

 音が消えた。

 

「――――嫣瑩」

 

 呼ばれ、嫣瑩が貔叉邏を見やる。

 

 

不見(ふけん)とやらで、しばらく隠れてな。門の向こうに居る野郎には見当がついてんだ。俺でも、()()()()なんでな」

 

「で、でも……」

 

 二の句は告げなかった。

――――その貌に、ひどく獰猛な笑みが点るのを目の当たりにしたから。

 

 貔叉邏の貌には、獰猛さとは別の歓喜が色濃く滲んでいた。

 まるで友が来訪するのを待ちわびるような、高揚を抑えきれないといった風情である。

 言外に、貔叉邏はこう言っているのだ。

 

――――邪魔をしてくれるな、と。

 嫣瑩は、門の向こうで暴れる挑戦者(チャレンジャー)がどんな怪物かは知らない。

 けれど、確かに。

 貔叉邏は嫣瑩と闘っていた時よりも愉しそうであった。

 胸中にささくれ立つような痛みを覚えながら、自身の権能を発動させる。

 

「――――不見」

 

 嫣瑩の姿が、音もなく消え去った。

 貔叉邏の六対の耳が遥か彼方で不貞腐れる嫣瑩の気配を捕らえた。

 

 時を見計らったかの様に、門が囂々《ごうごう》と音を立てて開き始める。

 重々しく鉄扉が横へ動く。

 砂を削る音に交じって、鉄が鳴る。

 それはまるで甲高い悲鳴にも似ていた。

 

 闇の中で、灼熱が瞬いた。

 赤炎が殺到する。

 貔叉邏が牙を剥いて、笑んだ。

 愛戟、狩を突き出して、旋回させる。

 砂を払うが如く、炎が散った。

 

――――否。

 

 炎は狩の白い牙のような刀身に巻き取られ、吸い込まれていったのである。

 

 炎が消失するのと同時に、門の中から現れたのは、巨大な一匹の赤い龍。

 赤い鱗に、黒い(たてがみ)

 頭の両脇から樹木の様に枝分かれした角が生え伸びている。

 巨大な口腔には鋭く伸びた牙が伸び、牙から滴る(よだれ)が帆を張った。

 黄金(くがね)色の(まなこ)瞋怒(しんぬ)を湛え、鋭く細められた瞳孔の奥で、火華を散らす。

 その数、計八つ。

 目尻に骨のような白い鱗が在った。

 異形の(まなこ)を持った赤き龍が猛り、吠えた。

 咆哮は衝撃を伴って、突風を巻き起こす。

 その乱風が山を築いた黒い砂を浚って、平らな地平へと変える。

 八つの眼が、同時に貔叉邏を睨めつける。

 

「遅かったなぁ! 緯戮(ヴィル)よぉ!」

 

 狩を担いで、貔叉邏が獅子吼(ししく)

 

 赤龍、緯戮(ヴィル)は返答代わりに炎を吐いた。

 灼熱が闇を照らす。

 赤き月が陽炎のごとく揺らめく。

 貔叉邏は衒いなく狩《しゅう》で炎を()()()

 赤龍(ヴィル)が不快げに貔叉邏を睨み、猛然と突貫。

 巨木の幹よりも、尚太い胴を闇に躍らせながら迫ってくる。

 何を思ってか、貔叉邏が狩を天に向かって放った。

 天高く舞った狩は、ゆっくりと宙に円を描く。

 赤龍《ヴィル》と貔叉邏が衝突。

 その衝撃で、狩が彼方へと吹き飛んだ。

 貔叉邏は素足で赤龍(ヴィル)の牙に足を掛け、片手で龍の上顎を押し上げる。

 まるで暖簾を潜るような気軽さで、口腔内を覗き込んだ。

 赤龍(ヴィル)と共に(そら)に昇る。

 太い胴を荒々しく躍らせる度に、赤い炎が闇に奔った。

 

 口腔で赤い灼熱が瞬いて、貔叉邏を呑み込んだ。

 しかし、(あおぐろ)い炎が赤い炎を(むさぼ)る。

 

「呵々ッ」

 

 瞋怒(しんぬ)に染まった赤龍(ヴィル)の貌が苦悶に歪み、()るんだ拍子に下顎の牙を蹴って、貔叉邏が飛び退る。

 赤龍の牙と牙が咬み合わさって、火花が散った。

 

 (そら)に身を委ねた貔叉邏が叫んだ。

 

「狩!!」

 

 応じ、瞬き一つ儘ならない間に、愛戟(しゅう)が貔叉邏の()に収まった。

 狩が瞋りを表明するかの様に、白銀の刀身に黝い炎を纏う。

 

「拗ねるなって。じゃれただけだろうが……違う? なんだぁ、面倒くせぇ奴」

 

 どうやら狩は大層ご立腹らしい。

 自我(いし)持つ戟は、八つ当たりとばかりに牙の如き刀身に黝炎(こくえん)を漲らせ、その炎が刃を(かたど)った。

 

「うらぁ!」

 

 貔叉邏が吠え、愛戟を振るう。

 巨大な刀身は、赤龍を間違いなく狩るはずだった。

 

 けれど、そうはならなかった。

 赤龍の鱗が狩の刃を弾いたのである。

 

 貔叉邏の眦が大きく裂けた。

 吃驚(きっきょう)と歓喜が交じり合って、笑みを形作る。

 呵々大笑し、叫ぶ。

 

「おいおい、緯戮さんよぉ!! 前より随分固くなってるじゃねぇか!!」

 

 貔叉邏は嬉々としてはしゃぐ――――が、狩は不貞腐れた。

 

「あん? 遊ぶな? 久々なんだぜ。許せや」

 

あの手この手に煩わされた赤龍(あそびあいて)との日々に、貔叉邏は想い馳せる。

 

 宙で大の字に四肢を広げて、笑む。

 好きにしろ、と赫瞳が煽る。

 

 傲慢(ごうまん)此処に極まる。

 逆鱗を舌で(なぶ)られたような心地。

 驕れる黝虎(こくこ)と嘗ての己が重なった。

 喉が焼け爛れるような嫉妬。

 

 瞋れる赤龍の貌が屈辱に染まる。

 赤龍(ヴィル)は識っている。

 この黝虎(けだもの)にとって己との闘争が児戯に過ぎないことを。

 彼の地(まかい)で赤龍が覇を轟かせていた頃、いとも容易く喉笛を咬み千切られた。

 窯の底で熱せられ、掻き混ぜられた鉄のように赫々(あかあか)とした瞋り。

 灼熱の記憶。

 

 赤龍の矜持は砕けて久しい。

 

―――けれど、だからこそ。

 眼前で、嘗め腐った笑みを湛える黝虎を(わざ)ではなく、炎と牙(ちから)で捻じ伏せたかった。

 

 赤龍は吠える。

 憎悪と瞋怒をまき散らして炎を吐いた。

 貔叉邏は厭そうにその赫怒《かくど》を斬り払う。

 それは恰《あたか》も、蠟燭に点る火を手で払う程度の所作であった。

 

 砂上に降り立って、狩を肩に担いだ。

 頭上で呻る赤龍を見上げた。

 何が気に食わないのか、(たてがみ)を逆立てて、牙を剝き出しにして呻っている。

 どうやら、本領を発揮するつもりはないらしい。

 で、あるならば、逆鱗を衝いてやろう。

 既に触れるどころか、舐ってさえ居るのだが貔叉邏の知るところではなかった。

 

 

 

「芸がねぇなぁ……もっと()()()()()()()、緯戮」

 

 嘲る。

 

――――張り詰めた糸が、鈍い音を立てて千切れる音がした。

 

 今の今まで固唾を呑んで、隠れ潜んで居た嫣瑩が危うく声を漏らしそうになる。

 

――――かわいそうに。

 

 と、嫣瑩は赤龍心底憐れんだ。

 許されるのなら肩を叩いてやりたかった。

 

 狩を背負った。

 その所作に、黝虎(こくこ)が身を屈めて獲物(えさ)を狙う様を幻視する。

 黝炎が瞬き、爆ぜて迸る。

 ただ、十全に鋭く。

 (くろ)い牙を剥く。

 

 赤龍が咆哮を上げた。

 確かな質量を伴ったそれは、闇を揺らし、赤月《あかつき》を震わせる。

 赤龍の白い牙が、ぬらりとした光を帯びる。

 飛び散った唾が砂上へと滴り落ちて、しゅうしゅうと音を立てた。

 昏い赤龍の口腔に、赤と黒の瞋怒(ほのお)が滾り、渦を巻く。

 その瞋怒(ほのお)暉々(きき)として闇を(なぶ)る。

 悲鳴のように甲高く、喧しい音が轟いた。

 それは金烏(たいよう)の産声。

 (たぎ)り、(みなぎ)り、膨れ、結実する。

 

 

 

 

 

――――それから、一拍の間を置いて、

 黝虎(けだもの)(きば)と赤龍の炎暉(たいよう)が相まみえる。

 極光が闇を(おお)った。

 

 

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