鬼哭廻牢~追憶・天~   作:鯉庵

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邂逅

 神々と言えど、解脱は遠く、涅槃に至ることは困難である。

 神々とて(エゴ)に囚われ、魂は肉体に縛られている。

 

――――須弥山(しゅみせん)

 空を衝くその山はあまりに雄大であり、雲を突き抜け宇宙(せかい)を穿つ。

 其処は時の流れすら曖昧で緩やかである。

 その頂上に絢爛なる城は聳え立つ。

 絢爛なる黄金の城。

 

――――善見城(ぜんけんじょう)

 五重に重なった城は堅牢で、華美であった。

 風にそよぐ枝垂桜が淡い彩を添える。

 美しい理想郷。

 天人(あまびと)は終わらぬ春を謳歌している。

 

 善見城の最奥――――殊勝殿。

 

 そこは部屋と形容するには、広大にすぎる。

 四方の壁は、黄金。

 床一面は湖が渺々(びょうびょう)と広がっている。

 その美しい水面には、彩鮮やかな美しい蓮の花弁が咲き誇り揺蕩っている。

 其処彼処に聳え立つ太い柱には、黄金の龍が蜷局を巻いて、天井へ向けて咆哮を上げている。

 

――――貔叉邏の端正な貌が水面に映っている。

 素足で、()()()()()()()()()()

 

 足の表面に金色の波紋が立っていた。

 歩を進めるごとに、美しい音色が耳朶を打ち、そのたびに波紋が寂と立つ。

 狩を肩に担ぎ、道なき道を歩む。

 その先に、階が在った。

 

 

 貔叉邏は階の麓で歩を止め、玉座を見詰る。

 豪奢な造りの玉座であった。

 

 赤を基調に、金で縁取られた絢爛な玉座には、誰も坐していない。

 玉座の主は、()()()に居た。

 

――――宙で胡坐を掻いている。

 (かんばせ)の造りが不気味なほど美しい男。

 紅緋(べにひ)の瞳は濡れたように耀きを放って、それを閉じ込めるように黒い睫が縁取っている。

 瞳の色と同じ髪を緩く撫で付け、額には金の天冠。

 茶褐色の肌が、薄桃色の唇の色気を際立たせた。

 

 白を基調とした着物の袖には、紅色の鶴が羽搏く様が(あし)らってある。

 それを片肌姿で着こなす男は、蜜のように甘く蕩けるような艶を醸している。

 指が添えられた唇が笑みを象った。

 

 貔叉邏も笑みを湛える。

 牙を剝き出しにした獰猛で野蛮な笑みであった。

 語り合うでもなく、互いを見合う。

 

――――口火を切ったのは、貔叉邏だった。

 

「よぉ、テメェが俺を呼んだのかい?」

 

 軽い調子で問う。

 傲岸不遜な物言いに、然して気に留めることなく男は応じた。

 

「ああ、吾がお前を呼んだ」

 

 涼やかで艶を帯びた笑みが深まる。

 対して貔叉邏もまた笑みを深めた。

 

 それから、肩に担いだ狩を男に向かって放り投げる。

 放たれた狩は、音を置き去りにするほど疾く男を貫かんと宙を奔る。

 巻き起こった突風が衝撃波を生み、水面を蹂躙し蓮の華を無残にも消し飛ばす。

 狩が(きっさき)が男に触れるか、触れないかまでに迫っても、男の貌から笑みが消えることはなかった。

 

――――豁然(かつぜん)と甲高い音が木霊する。

 残響が波のように揺らいでいる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「野蛮な(ケダモノ)め、我慢を知らんか」

 男の紡いだ言葉は(そし)りを含んでいるものの、笑みは絶えていない。

 

――――男の眼前に、剣が浮かんでいた。

 

 独鈷杵。

 黄金の法具であり、形状は剣。

 両端の根本から黄金の光が伸びて刀身を形作っている。

 宙に浮いたそれが、狩を弾いたのである。

 

「――――へぇ」

 

 貔叉邏が感嘆の声を漏らした。

 

 男が右手の人差し指と中指を立てて、無造作に動かす。

 それに呼応するように、独鈷杵が宙を舞って、空を斬る。

 そのたびに、鈍い音で刀身が鳴いた。

 それから独鈷杵が溶け込むように消えていった。

 

「悪ぃな、帝釈天。けどよ、誘ったのはそっちだろうが」

 

「ほぅ、吾の名を知って居たか」

 

 帝釈天が、聊か目を細めて漏らす。

 

「そりゃおめぇ、敵さんの大将くらい覚えてらぁな」

 

 帝釈天が鼻を鳴らした。

 

「佳く言ってくれるな。黝虎(おまえ)にとって、吾など餌でしかなかろうよ」

 

 宙から胡坐のまま玉座へ降りた。

 膝に肘をやって、頬杖を突く。

 そののんびりとした様は、気の抜けたようでいて王の風格を損なってはいない。

 

「吾はお前と語らおうと思っていたのだが……まぁ良い」

 

 徐に帝釈天が指を弾く。

 残響が寂と溶けたころ、玉座の右側に二人、左側に一人。

 見知らぬ人影が立っていた。

 

 朧げだった形が鮮明になる。

 右側に立つ男は、非常に大柄だった。

 身の丈、実に八尺はあろうかという男。

 

 血が通っていない白い肌に赤い瞳。

 頭の半分は禿頭で、残りの半分からは紫色の髪が肩まで伸びている。

 真っ白な肉体を包む着物も純白で、金糸で配らわれた白孔雀が羽搏いている。

 紫色の飾り羽と赤い模様が毒々しい。

 

 雄々しく隆起した肉が着物の内からでも見て取れる。

 

――――だが。

 

「あらやだ、いい男……いいわぁ。凄ぉぉくイイッ! とぉぉっても強そうね」

 

 紫色の分厚く毒々しい唇から紡がれる言葉は女の其れであった。

 奏でるように発せられた声音は甘ったるいが、低く重い。

 頬に手を添えて、うっとりとした目で貔叉邏を舐るように見詰ている。

 

「気色のわりぃ声をだすんじゃあねぇよ我牢没(ガルバ)。耳が腐る」

 

 右隣から刺すような怒気と嫌悪を含んだ罵倒が飛んだ。

 

――――女。

 

 此方も大柄で、六尺程度の身丈である。

 青い肌に、青い瞳。

 面の造形は美しいが、その(ひょうじょう)は厳めしい。

 白銀の長い髪が黄金に照らされて煌めいている。

 惜しげもなく露になった瑞々しく、引き締まった肉体。

 両肩に掛った純白の半纏(はんてん)(カーテン)のようにゆらゆらと揺れている。

 其処から覗く乳房には、龍の藝彫(トライバルタトゥー)が刻まれている。

 瞋怒形の黒い龍が貔叉邏を()め付ける。

 

「ちょっと広目天(こうもくてん)! アンタ何勝手に真名で呼んでるわけ!? 知能が低い低いとは思っていたけれど、度し難い阿呆ね!」

 

 唾を飛ばしながら我牢没(ガルバ)と呼ばれた男が叫ぶ。

 言われた女が片耳に小指を突っ込んで、瞳を眇めた。

 

「あぁん? 煩せぇな! キンキンぴーちくぱーちく騒ぐんじゃねぇよ。減るもんじゃねーんだからいいだろうが!」

 

 少しも悪びれず広目天(おんな)が返す。

 

「そういう問題じゃないわよ!」

 

 ぎゃいぎゃいと騒ぐ2人を咎めるでもなく、主たる帝釈天は笑んだままであった。

 

「あのー、僕喋っていい?」

 

 間延びした少年の声で、言い争っていた二人が静まった。

 

――――少年。

 

 茶褐色の肌に、菫色の澄んだ瞳。

 深緑の髪を後ろで緩く編んでいる。

 両肌(もろはだ)姿で、眠たげに突っ立っている。

 腹掛けに包まれた肉体は、均整が取れていて無駄がない。

 背中に鉈刀(ククリナイフ)を二本佩いている。

 飛脚を想わせる少年は、気だるげにあくびをして言った。

 

「帝釈天さまー、僕ら何で呼ばれたのー? 僕寝たいんだけどー」

 

「そう言うな、増長天(ぞうちょうてん)。貔叉邏がひどく退屈しているようでな。相手をしてやってほしい」

 

 増長天が両目を瞠って叫んだ。

 

「絶対ヤダよー! この人相手にしたら僕死ぬもーん!」

 

 眠気が一気に醒めたようで、縋るように貔叉邏を観た。

 

「俺ぁ、どっちでも構わんぜ。やる気のねぇ奴と無理にやってもつまらねぇが」

 

 安心したように、増長天がため息を零した。

 

「ワタシも御免被るわ。戦闘は門外漢だし」

 

 我牢没(ガルバ)が挿げなく言う。

 

「お前は端から()らせる気はないぞ、持国天(じこくてん)

 帝釈天がゆるりと返す。

 

「オレは()りてぇなぁ! 強え男を観ると修羅の血が騒いじまう!」

 

 硝子細工のような青い瞳を炯々とさせて広目天が言った。

 腰に帯びた刀を鞘鳴させながら貔叉邏を睥睨する。

 挑発的な行為を然して気にするでもなく、狩で肩を叩く。

 

「ふむ。――――(いや)こうしよう」

 

 再び、指を弾く音が響いた。

 残響が寂と溶けたころ、聞きなれた声が貔叉邏の両耳朶を打つ。

 

「テメェ! もういっぺん言ってみろアホりゅう! あーしに無様晒したくせにチョーしのんなし!」

 

「喧しいクソ猿。()も耳も腐ったのか? ――――ああ、悪いな年増(ばばあ)処女(しんぴん)だったか? 使われるといいな年増(ばばあ)

 

「殺す!」

「死ね」

 

「うるせぇ……」

 

 辟易と貔叉邏がぼやく。

 

 聞くに堪えない罵り合いをしていた二人が、貔叉邏のぼやきに反応する。

 

「ふえ、貔叉邏! てか此処善見城じゃん! めっちゃ久しぶりー! 相変わらず金ピカでちょーウケるw めっちゃ()えそう!」

 

 はしゃぐ嫣瑩とは対照的に、緯戮は怜悧な瞳で帝釈天とその配下を()め付ける。

 万能(ごうまん)の龍は、他者から見下ろされるという状況を()としない。

 それが決して天部の王であっても。

 

「――――帝釈天……」

 

 呻るように緯戮が呟くと同時に、はしゃいでいた嫣瑩がその姿を認めて明るい調子で語りかけた。

 

「あー!!! 帝釈天ぢゃーん! まぢお久。元気してたー?」

 

 ひりついた空気を頑と無視してお気楽な調子の嫣瑩に、さしもの貔叉邏すらあきれ返り、配下の三人は貌を引き攣らせ、緯戮は蟀谷に青筋を立てる。

 

「死ねやぁ……年増(ばば)ぁ」

 

 帝釈天がくつくつと小さく声を漏らして笑う。

 

「久しいな。嫣瑩。息災のようで何よりだ」

 

「いんやぁ、死ぬかと思ったけど、なんか生きてるわー」

 

 照れたように頬を掻いて、少し。

 

「あ、そうだ帝釈天。あーし、最強じゃなくなったから! そこんとこよろー」

 

 衒いなく言う嫣瑩に、吃驚したのは()()()()()()であった。

 

「多聞天が負けた……ですって!? この男、それほどまでに……」

 

 我牢没が紫色の唇をわななかせて言う。

 唾の塊を嚥下すると、野太い音と共に喉仏が動いた。

 傲慢(ごうまん)の瞳に脅えが滲む。

 

「そいつぁ、やべぇな」

 

 広目天は獰猛に笑んだ。

 だが、頬に玉の汗が滑り落ち、それを乱雑に拭う。

 硝子細工のような青色の瞳の奥で、青い炎が燻ぶった。

 

「――――……へぇ、負けたんだ。嫣瑩ちゃん」

 

 増長天は唇の両端を持ち上げる。

 その唇が繊月を象った。

 

「ああ、知っている。()()()()()()()――――それで、()()()()()()? 嫣瑩よ」 

 

 問われた嫣瑩が、下唇に指を触れさせて答えた。

 

「うーん。あーし的には負けちゃったわけだし、多分釈迦もあーしに拘らないと思うんだけどねぇ……まぁ、当面は天部で貔叉邏と一緒に居たいなーって」

 

 ひしっ

 

 と隣の貔叉邏の腕を抱き寄せて頬ずりをした。

 貔叉邏は然して邪険にするでもなく嫣瑩の好きにさせた。

 

「あのー、帝釈天さまー」

 

 緩い声で、帝釈天へ問いかける。

 

「ふぅん、なんだ増長天」

 

「僕ぅ、嫣瑩ちゃんと闘いたいなぁって思うんですけどぉ」

 

 帝釈天の瞳に僅かな吃驚の彩が浮かぶ。

 嫣然と笑みを点して、帝釈天が言った。

 

「好いか? 嫣瑩よ」

 

弥屡啼(びるな)だったよね? いいよ。闘ろう」

 

 嫣瑩の双眸が薄氷に覆われた様に冷たくなった。

 鋭利な眼差しに、それを注がれた増長天――――弥屡啼が背筋を震わせた。

 

「おいおいおい! 俺も混ぜてくれや!」

 

 声を張り上げて、広目天が獅子吼。

 軽やかに、階の麓へ降り立と金色の美しい波紋が広がった。

 

「てめえでいいぜ。赤いの。俺と()ろう」

 

 青と黄金の双眸が火花を散らした。

 同じ高さで、ぶつかり合った視線。

 それは恰も鏡写しのようであった。

 

「――――あぁ? (おれ)でいいだぁ? 逆上(のぼ)せるなや阿婆擦れが」

 

 ちりちりと鬩ぎあう広目天と緯戮。

 睥睨し、薄い嘲笑を浮かべる増長天とそれを絶対零度で見詰める嫣瑩。

 

 二人の狭間で、貔叉邏が牙を剥いてが言った。

 

「こいつらの後で、()ろうや、帝釈天」

「ああ、好いぞ、存分に()ろう。貔叉邏」

 

 雷帝と黝虎(ケダモノ)が契りを交わす。

 

 

 

 




やっと四天王全員出せた……
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