生きろ、フロストノヴァ 作:猛暑凍傷
フロストノヴァの病状は、順調とまでは行かずとも着実に安定していった。
現在、彼女が身を置いているのは、ロドスアイランド。テラ各地に事務所を構えるロドスの本艦である。
鉱石病研究の叡智が集結するロドスには、最新の医療設備だけでなく、研究施設や貿易所、居住スペースに戦闘訓練室など、多岐に渡る施設を内包しているらしい。
もっとも、絶対安静を厳に言い付けられているフロストノヴァは、医療部のベッドから起き上がることも許されないわけで、ロドスに関する情報は全て人伝に聞いたものでしかないが。
ベッドの上での生活は快適だった。物心ついてからというもの、真っ白でふかふかの布団に包まった記憶はない。
寝ている間に獣、あるいは軍の襲撃の心配がないという状況は、少し落ち着かなかった。
タラレバの話を好まないフロストノヴァだが、レユニオンの仲間たちがもっと早くにロドスに出会えていたら、どれだけ良かったかと思わずにいられない。
フロストノヴァの世話を担当してくれているのは、ススーロという医者だった。
子供と見紛うほどに小柄だが、情熱と責任感に輝く瞳が印象的な女性だ。
ススーロの話によれば、ドクターがフロストノヴァをロドスに運んでくれたらしく、即座に行われた集中治療の結果、奇跡的に一命を取り留めたそうだ。
二週間弱の昏睡状態から目覚めてから三日、フロストノヴァは流動食のみを口にすることを許されていた。フロストノヴァを蝕む忌々しい鉱石病は、特に喉から肺にかけて重篤な症状を発現させているらしい。
首から胸元にかけて大々的な手術が行われた結果、フロストノヴァは一時的に声を出せなくなっていた。
今日はその手術の痕から糸を抜くと聞かされている。
「心配しないで。きっと良くなるから」
そう言って、背中を撫でてくれたススーロの手は安心させてくる温かさだった。
◆◆◆
抜糸のためにかけられた麻酔から目を覚ましたフロストノヴァは、ゆっくりと深呼吸をした。
喉の辺りが少し軽くなった気がする。
「声を出してみて。小さく、ゆっくりと」
ススーロの指示に従って口を開く。
「あ、あー……あー……」
「痛みはどう?」
「すこ、し……痺れる、感じ、がする……痛くは、ない」
自分の喉が自分のものでないような、奇妙な感覚だった。
ボジョカスティも喉を患ってからというもの、こんな喋り方をしていた。
どうやら自分は父親似らしい。
「何か違和感があったらすぐに教えてくださいね。あまり長時間話したり、大声を出すのは控えてください」
「歌も、ダメか?」
ススーロは頷き、それから優しく微笑んだ。
「今はまだダメ。でも、きっと歌えるようになるから」
「分かった」
ススーロは手元の端末に何か書き込んでから、フロストノヴァの手首に機械を装着し何かを計測し始める。
「食事は少しずつ固形のものに変えていって、それからリハビリも少しずつやっていきます」
フロストノヴァは頷く。
それからススーロは少しだけ胸を張った。
「私、プライマリ・ケア——ええと、患者の日常的な医療サポートが専門だから。信用してくれていいからね」
フロストノヴァは少し俯いた。
医者としてのススーロが信用に足る存在であることは、ここ数日で伝わってきている。
——しかし、自分は?
「私は、レユニオンの、幹部だ……。ロドスの、お前の仲間を……たくさん、殺した。ロドスは、私を、信用できる、のか……?」
ススーロの優しげな笑みが消えた。
「ドクターが言ってた。フロストノヴァさんは仲間だって。アーミヤも、ブレイズさんも、グレースロートさんも。だから私はロドスの医療オペレーターとして、あなたを信じる」
それに、と言葉を切ったススーロはフロストノヴァの両手を、優しく握った。
「患者に敵も味方もない。私は、そう思うから」
「感、謝……する」
力強く頷いたススーロは、何かあったらすぐに呼んで、と残し病室から出ていった。
◆◆◆
その日の夜、フロストノヴァの病室に来客があった。ドクターとアーミヤだ。
目を覚ましてから、医療オペレーター以外の人間と会うのは、ブレイズを除いて初めてだった。
本当に、自分はロドスにいるのだという実感が、改めて湧いてくる。
「約束を守ってくれてありがとう、フロストノヴァ」
開口一番、ドクターが言った。
フロストノヴァは小さく頷き、それから単刀直入に尋ねた。
「タルラは、どうなった」
アーミヤとドクターが顔を見合わせた。
ドクターに促され、アーミヤが答える。
「タルラの陰謀は、阻止されました。レユニオンも、事実上の解体を迎えたはずです」
「そうか。……ありがとう」
しばしフロストノヴァは目を閉じ、どうしようもなく真っ直ぐで、痛々しいほどに頑固だった、かつての友人に想いを馳せた。
それから目を開けて、もう一つ問う。
「ボジョカスティ……パトリオットは……?」
アーミヤがひゅっと息を呑む音がした。それが答えのようなものだった。
「フロストノヴァ、聞いてくれ。パトリオットは——」
ドクターの言葉を、アーミヤが制した。
「待ってください。ドクター。私が……私が、言います」
アーミヤが真っ直ぐにフロストノヴァを見つめてくる。
フロストノヴァは少しだけ驚いた。アーミヤの顔つきは龍門で戦ったあの時とは、見違えるようだったからだ。
怒り。悲しみ。無力感。葛藤。
アーミヤの瞳の奥で、たくさんの感情が揺れ動いているように見えた。
しかし、アーミヤは、目の前の幼い子うさぎは、それら全てを飲み込んで、毅然と告げる。
「殺しました。私が」
アーミヤの瞳が揺れている。謝罪も言い訳もなかった。
「そう、か」
何となく、そんな予感はしていた。
怒りよりも先に、寂しさがフロストノヴァの心を満たした。
予感が現実のものとなってしまったという現実だけがエレーナの肩にのしかかる。
ベッドの横に立ち尽くすドクターとアーミヤに、フロストノヴァは顔を向けた。
「安心、しろ……お前たちに……ロドスに、危害を、加える、つもりはない」
そっとアーミヤの手を取る。
アーミヤの小さくて白い手は、小刻みに震えていた。
フロストノヴァは今の自分の感情を、上手く言葉にできない。それでも伝わって欲しいと祈り、アーミヤの右手を両手で包んだ。
アーミヤの両目に薄い膜が張った。それはすぐに大粒の涙となってこぼれ落ちる。
フロストノヴァはベッドから上体を起こし、アーミヤをそっと引き寄せた。
しゃくり上げるアーミヤの肩をそっと抱きしめる。思っていたよりもずっと華奢な肩だ。
「ごめんなさい……私に、泣く資格なんてないのに……」
フロストノヴァの胸に顔を埋めて震えるアーミヤの頭を撫でながら、ドクターの方を見る。
バイザーの奥からこちらを見返しているのが分かった。
「安心しろ。約束は、守る」
ロドスと共に、肩を並べて歩む。その約束は忘れていない。
それに、今のフロストノヴァには行くあてもない。兄弟姉妹も、パトリオットも死に、レユニオンも終わった。
助けてくれたロドスに報いる以外には、やりたいこともやるべきことも思いつかない。
「ああ。ロドスのドクターとして、歓迎するよ。フロストノヴァ」
「期待には、応えて、みせる。……ドクター」
ドクターは頷き、それからそれから少し照れ臭そうに言った。
「これは、ロドス顧問としてではなく、私個人としての言葉だが——キミにまた会えて嬉しいよ、フロストノヴァ」
「……意外と、恥ずかしいことを言うんだな、お前」
「んなっ」
◆◆◆
「ごめんなさい。みっともない所を見せてしまって」
落ち着きを取り戻したアーミヤが、鼻をすすりながらぺこりと頭を下げた。
気にするな、とフロストノヴァは首を軽く横に振る。
——そうだ、あれを試してみるか。
「アーミヤ、私のポーチを取ってくれ」
病室の壁に設られた棚を指差す。
アーミヤ何の疑いもなく頷き、ポーチをフロストノヴァに渡してくる。
使い込まれたポーチの中を探ると、やはり飴玉が残っていた。
フロストノヴァは極力平静を保ちながら、特別製の飴玉を一粒、アーミヤの手のひらに載せる。
「いいんですか?」
物珍しそうに飴玉を眺めるアーミヤ。
ドクターはといえば、やや顔を背けている。
「仲間と、よく食べていた。アーミヤも、食べてくれると、嬉しい」
何も知らぬアーミヤの表情が、ぱっと華やいだ。
「ありがとうございます! いただきますね」
アーミヤは躊躇いなく飴玉を口に含む。それから数秒、口の中でそれを転がし——。
「…………み゛ゃッ!!?」
年頃のコータスの女の子とは思えない悲鳴を上げた。
口を押さえながら、病室をバタバタと駆け回っている。
「ろ、ろくひゃっ……! み、みじゅ、みじゅをっ」
フロストノヴァの悪戯は、過去最高クラスの大成功を収めた。
「はははっ。そこまでいい反応は、お前が初めてだ、アーミヤ。ははは、けほっ、けほっ」
咳が漏れる己の喉を宥めながら、フロストノヴァは病室の窓に目を向ける。
真夜中の空に星が瞬いている。
タルラたちと共に焚き火を囲んで星を眺めたあの夜は、随分と遠くなってしまった。
ぴょんぴょん飛び跳ねながら凄まじい辛さと戦うアーミヤと、水を求めて病室から小走りに出ていくドクター。
真夜中なんだから静かにして! とやって来たススーロに小言を食らったのは、それから三十秒後のことだった。