生きろ、フロストノヴァ   作:猛暑凍傷

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#2 黒うさぎと黒フード

 フロストノヴァの病状は、順調とまでは行かずとも着実に安定していった。

 現在、彼女が身を置いているのは、ロドスアイランド。テラ各地に事務所を構えるロドスの本艦である。

 鉱石病研究の叡智が集結するロドスには、最新の医療設備だけでなく、研究施設や貿易所、居住スペースに戦闘訓練室など、多岐に渡る施設を内包しているらしい。

 

 もっとも、絶対安静を厳に言い付けられているフロストノヴァは、医療部のベッドから起き上がることも許されないわけで、ロドスに関する情報は全て人伝に聞いたものでしかないが。

 

 ベッドの上での生活は快適だった。物心ついてからというもの、真っ白でふかふかの布団に包まった記憶はない。

 寝ている間に獣、あるいは軍の襲撃の心配がないという状況は、少し落ち着かなかった。

 

 タラレバの話を好まないフロストノヴァだが、レユニオンの仲間たちがもっと早くにロドスに出会えていたら、どれだけ良かったかと思わずにいられない。

 

 フロストノヴァの世話を担当してくれているのは、ススーロという医者だった。

 子供と見紛うほどに小柄だが、情熱と責任感に輝く瞳が印象的な女性だ。

 

 ススーロの話によれば、ドクターがフロストノヴァをロドスに運んでくれたらしく、即座に行われた集中治療の結果、奇跡的に一命を取り留めたそうだ。

 二週間弱の昏睡状態から目覚めてから三日、フロストノヴァは流動食のみを口にすることを許されていた。フロストノヴァを蝕む忌々しい鉱石病は、特に喉から肺にかけて重篤な症状を発現させているらしい。

 

 首から胸元にかけて大々的な手術が行われた結果、フロストノヴァは一時的に声を出せなくなっていた。

 今日はその手術の痕から糸を抜くと聞かされている。

 

「心配しないで。きっと良くなるから」

 

 そう言って、背中を撫でてくれたススーロの手は安心させてくる温かさだった。

 

 ◆◆◆

 

 抜糸のためにかけられた麻酔から目を覚ましたフロストノヴァは、ゆっくりと深呼吸をした。

 喉の辺りが少し軽くなった気がする。

 

「声を出してみて。小さく、ゆっくりと」

 

 ススーロの指示に従って口を開く。

 

「あ、あー……あー……」

「痛みはどう?」

「すこ、し……痺れる、感じ、がする……痛くは、ない」

 

 自分の喉が自分のものでないような、奇妙な感覚だった。

 ボジョカスティも喉を患ってからというもの、こんな喋り方をしていた。

 どうやら自分は父親似らしい。

 

「何か違和感があったらすぐに教えてくださいね。あまり長時間話したり、大声を出すのは控えてください」

「歌も、ダメか?」

 

 ススーロは頷き、それから優しく微笑んだ。

 

「今はまだダメ。でも、きっと歌えるようになるから」

「分かった」

 

 ススーロは手元の端末に何か書き込んでから、フロストノヴァの手首に機械を装着し何かを計測し始める。

 

「食事は少しずつ固形のものに変えていって、それからリハビリも少しずつやっていきます」

 

 フロストノヴァは頷く。

 それからススーロは少しだけ胸を張った。

 

「私、プライマリ・ケア——ええと、患者の日常的な医療サポートが専門だから。信用してくれていいからね」

 

 フロストノヴァは少し俯いた。

 医者としてのススーロが信用に足る存在であることは、ここ数日で伝わってきている。

 

 ——しかし、自分は?

 

「私は、レユニオンの、幹部だ……。ロドスの、お前の仲間を……たくさん、殺した。ロドスは、私を、信用できる、のか……?」

 

 ススーロの優しげな笑みが消えた。

 

「ドクターが言ってた。フロストノヴァさんは仲間だって。アーミヤも、ブレイズさんも、グレースロートさんも。だから私はロドスの医療オペレーターとして、あなたを信じる」

 

 それに、と言葉を切ったススーロはフロストノヴァの両手を、優しく握った。

 

「患者に敵も味方もない。私は、そう思うから」

「感、謝……する」

 

 力強く頷いたススーロは、何かあったらすぐに呼んで、と残し病室から出ていった。

 

 ◆◆◆

 

 その日の夜、フロストノヴァの病室に来客があった。ドクターとアーミヤだ。

 

 目を覚ましてから、医療オペレーター以外の人間と会うのは、ブレイズを除いて初めてだった。

 本当に、自分はロドスにいるのだという実感が、改めて湧いてくる。

 

「約束を守ってくれてありがとう、フロストノヴァ」

 

 開口一番、ドクターが言った。

 フロストノヴァは小さく頷き、それから単刀直入に尋ねた。

 

「タルラは、どうなった」

 

 アーミヤとドクターが顔を見合わせた。

 ドクターに促され、アーミヤが答える。

 

「タルラの陰謀は、阻止されました。レユニオンも、事実上の解体を迎えたはずです」

「そうか。……ありがとう」

 

 しばしフロストノヴァは目を閉じ、どうしようもなく真っ直ぐで、痛々しいほどに頑固だった、かつての友人に想いを馳せた。

 

 それから目を開けて、もう一つ問う。

 

「ボジョカスティ……パトリオットは……?」

 

 アーミヤがひゅっと息を呑む音がした。それが答えのようなものだった。

 

「フロストノヴァ、聞いてくれ。パトリオットは——」

 

 ドクターの言葉を、アーミヤが制した。

 

「待ってください。ドクター。私が……私が、言います」

 

 アーミヤが真っ直ぐにフロストノヴァを見つめてくる。

 フロストノヴァは少しだけ驚いた。アーミヤの顔つきは龍門で戦ったあの時とは、見違えるようだったからだ。

 怒り。悲しみ。無力感。葛藤。

 アーミヤの瞳の奥で、たくさんの感情が揺れ動いているように見えた。

 しかし、アーミヤは、目の前の幼い子うさぎは、それら全てを飲み込んで、毅然と告げる。

 

「殺しました。私が」

 

 アーミヤの瞳が揺れている。謝罪も言い訳もなかった。

 

「そう、か」

 

 何となく、そんな予感はしていた。

 

 怒りよりも先に、寂しさがフロストノヴァの心を満たした。

 予感が現実のものとなってしまったという現実だけがエレーナの肩にのしかかる。

 

 ベッドの横に立ち尽くすドクターとアーミヤに、フロストノヴァは顔を向けた。

 

「安心、しろ……お前たちに……ロドスに、危害を、加える、つもりはない」

 

 そっとアーミヤの手を取る。

 アーミヤの小さくて白い手は、小刻みに震えていた。

 フロストノヴァは今の自分の感情を、上手く言葉にできない。それでも伝わって欲しいと祈り、アーミヤの右手を両手で包んだ。

 

 アーミヤの両目に薄い膜が張った。それはすぐに大粒の涙となってこぼれ落ちる。

 

 フロストノヴァはベッドから上体を起こし、アーミヤをそっと引き寄せた。

 しゃくり上げるアーミヤの肩をそっと抱きしめる。思っていたよりもずっと華奢な肩だ。

 

「ごめんなさい……私に、泣く資格なんてないのに……」

 

 フロストノヴァの胸に顔を埋めて震えるアーミヤの頭を撫でながら、ドクターの方を見る。

 バイザーの奥からこちらを見返しているのが分かった。

 

「安心しろ。約束は、守る」

 

 ロドスと共に、肩を並べて歩む。その約束は忘れていない。

 それに、今のフロストノヴァには行くあてもない。兄弟姉妹も、パトリオットも死に、レユニオンも終わった。

 助けてくれたロドスに報いる以外には、やりたいこともやるべきことも思いつかない。

 

「ああ。ロドスのドクターとして、歓迎するよ。フロストノヴァ」

「期待には、応えて、みせる。……ドクター」

 

 ドクターは頷き、それからそれから少し照れ臭そうに言った。

 

「これは、ロドス顧問としてではなく、私個人としての言葉だが——キミにまた会えて嬉しいよ、フロストノヴァ」

「……意外と、恥ずかしいことを言うんだな、お前」

「んなっ」

 

 ◆◆◆

 

「ごめんなさい。みっともない所を見せてしまって」

 

 落ち着きを取り戻したアーミヤが、鼻をすすりながらぺこりと頭を下げた。

 気にするな、とフロストノヴァは首を軽く横に振る。

 

 ——そうだ、あれを試してみるか。

 

「アーミヤ、私のポーチを取ってくれ」

 

 病室の壁に設られた棚を指差す。

 アーミヤ何の疑いもなく頷き、ポーチをフロストノヴァに渡してくる。

 使い込まれたポーチの中を探ると、やはり飴玉が残っていた。

 

 フロストノヴァは極力平静を保ちながら、特別製の飴玉を一粒、アーミヤの手のひらに載せる。

 

「いいんですか?」

 

 物珍しそうに飴玉を眺めるアーミヤ。

 ドクターはといえば、やや顔を背けている。

 

「仲間と、よく食べていた。アーミヤも、食べてくれると、嬉しい」

 

 何も知らぬアーミヤの表情が、ぱっと華やいだ。

 

「ありがとうございます! いただきますね」

 

 アーミヤは躊躇いなく飴玉を口に含む。それから数秒、口の中でそれを転がし——。

 

「…………み゛ゃッ!!?」

 

 年頃のコータスの女の子とは思えない悲鳴を上げた。

 口を押さえながら、病室をバタバタと駆け回っている。

 

「ろ、ろくひゃっ……! み、みじゅ、みじゅをっ」

 

 フロストノヴァの悪戯は、過去最高クラスの大成功を収めた。

 

「はははっ。そこまでいい反応は、お前が初めてだ、アーミヤ。ははは、けほっ、けほっ」

 

 咳が漏れる己の喉を宥めながら、フロストノヴァは病室の窓に目を向ける。

 真夜中の空に星が瞬いている。

 タルラたちと共に焚き火を囲んで星を眺めたあの夜は、随分と遠くなってしまった。

 

 ぴょんぴょん飛び跳ねながら凄まじい辛さと戦うアーミヤと、水を求めて病室から小走りに出ていくドクター。

 

 真夜中なんだから静かにして! とやって来たススーロに小言を食らったのは、それから三十秒後のことだった。

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