内容としては小説36巻程度までのネタバレと、捏造設定を多く含みます。
独自設定なども盛盛なので、その点よろしくお願いします。
──早朝。
沈んでいた意識が徐々に覚醒するのに合わせて、スバルはベッドの上でゆっくりと目を覚ます。
目を覚ましたスバルは、いつも通り体を横にしたまま、何もせずゆっくりと天井を見つめる。
上下左右、いつもと何も変わりのない天井を眺め、その次に大きく息を吸い込む。
五感がそこまで鋭くないスバルの鼻では特にこれといって何も感じられないが、横で可愛らしい寝息を立てながら眠る小さな精霊の花のような香りは微かにする。
続いて耳を澄ましてみれば、寝息だけでなく屋敷で働く様々な人の動く音がする。
「んみゅう…………」
隣で小さく寝返りを打ったベアトリス。
そんな彼女の寝言を聞いて、スバルの頬は自然と緩む。
(今度こそ終わらせる)
何度失敗を繰り返そうとも、何度後悔を重ねようとも、それでも愚直にただみんなが幸せになる世界を作りたい。
心の底からただそれだけを願うスバルは、もう諦めようと囁く自分の弱い心に「もう少しだけ頑張ろう」と励ましの言葉をかけて奮い立たせる。
それがナツキ・スバルにできる全てで、それがナツキ・スバルに求められている物なのだから。
「よし、起きるか」
スバルが起きて一番にするのは、可愛らしい相棒の頭を撫でること。
傍らに眠る彼女の頭を優しく手櫛で撫でると、再び小さく声をあげながらベアトリスは嬉しそうに笑みを浮かべている。
そうして次にカーテンを開けて窓から外を眺め、何も変化がないことを確認したスバルは、寝ぼけているベアトリスの体を揺さぶった。
「起きろベアトリス。お寝坊さんなのもプリティで良いけど、そろそろ起きないとドやされんぜ」
「んぅ……おはようなのよ、スバル。もう朝なのかしら」
「おはようベアトリス。今日もいい日だぜ、みんなが頑張って生きてる姿がよく見える」
スバルたちがいまいるのはナツキ邸。
王選が終了し、無事にエミリアを王にしたスバル。
王城勤務なんて柄でもないと王都で商人でも始めようかと考えていた彼だが、王の一の騎士であり、大罪司教多数討伐の功績を挙げたスバルを国民は自由にすることはなかった。
魔女教という脅威が去ったとはいえ、強烈すぎるほどに輝いていたナツキ・スバルという星を誰も手放したくなくなってしまったのだ。
最初は何かと理由を付けて断ろうとしていたが、プリステラにおいて英雄として生きていくことを決めてしまったスバル。
最終的にはその責任を取るべきだと考え、そんな国民の提案を飲み込んだのである。
「ベティはもう少し寝ていたいのよ」
「昨日遅くまで本読んでるからだぞ。良い子は寝る時間だって言ったろ?」
「ムキーッ! 子供扱いはやめるかしら!」
頬を膨らませながら駄々をこねる子供のようなベアトリス。
そんな彼女は一瞬揺らぐスバルの目を見て──すぐ、大精霊としての落ち着きを取り戻し言葉を発する。
「スバル。今朝は何も変わりはないかしら?」
ベアトリスのその問いかけには、契約者を気遣う静かな優しさが宿る。
──どんな小さな異変も見逃したくないという強い意志。
スバルは、そんな彼女の優しさに気づいていながら、それでもいつも通りを装うように微笑む。
「ああ、何も変わらない。世界は今日も平和で、俺は五体大満足で、ベア子は昨日よりさらに可愛いよ」
優しいスバルの瞳。
自己犠牲でしか他者を救う術を知らず、結局ベアトリスとあと三人の共犯者にしか己の権能を教えられなかった哀れな青年。
だが知っているからこそ、ベアトリスはそんな彼の言葉を素直に呑み込めない。
せめて話をできないのであれば、自分がそばに寄り添うことでしか彼の辛さを埋めることが出来ないのであれば、ベアトリスは精一杯その役目を務めるだけだ。
「そう……ならいいかしら。今日も存分にベティーの可愛さを味わうといいかしら!」
「おう!」
/
──そこは戦場だった。
既にこの世界は救済され、平和な世界となったはずだ。
だが老若男女問わず様々な死体がそこら中に散らばり、絶叫と悲鳴がこだまし、踏んでいる物が誰の内臓なのかすら分からない場所は、戦場でなければ地獄だろう。
黒と赤の英雄──ナツキ・スバルとラインハルトは、その地獄の只中に立っていた。
彼らが戦っているのは、もはや理性が残っているとは思えぬ大衆だ。
数千、数万にも思えるほどの人の群れは、何度も二人の英雄に挑み、あっけなく肉片へと変わっていく。
山のような肉片が既に彼らの大半が殺されたことを示しているが、人の群れは殉教者のように体を差し出し、少しでも英雄たちの体力を削ろうとする。
どうしてこんな事を? なぜいまさらになって? そんな疑問は抱く暇もない。
時間が経てば先に体力が尽きるのは、必然的に黒の英雄──スバルだ。
「──ッ!!」
正面からやって来た敵に集中したその一瞬の隙に、側面から突き刺された刃によって腹部から大量の血が漏れ出していく。
腹から上がってくる熱に反射的に声を挙げそうになるスバルは次の敵の攻撃をなんとか避けながら、痛みのあまり一瞬だけ声を漏らした。
そのわずかな声音で状況を察知したラインハルトは、今日一番の攻撃で周囲に群がる敵を吹き飛ばしスバルに近寄る。
「スバルッ!!!」
叫びながら駆け出すラインハルト。
だが既にスバルの腹部からは内臓が流れ出し、彼の命をつなぎ止める血は逆らうことなく地面に溶けていく。
数多の生物を屠ってきたラインハルトでなくとも、一目見て分かるほどの致命傷。
ここから生きて帰るには早急な回復魔法が必要だが、ラインハルトは魔法を使えないし、この場からの撤退も絶望的だった。
何度も味わったこの場における死、そしてこうなると決まって出てくるのが黒幕というものである。
「あぁ、もう終わってしまうのですね」
「パン……ドラッ!!」
「ええ、私です。虚飾の魔女、パンドラですよ」
先程からスバルたちが相手をしていたのは魔女教の残党と、かつて討伐したはずのパンドラだ。
虚飾の魔女因子はスバルの中にも確かに存在しており、少なくとも彼女に魔女としての権能は存在していないはず。
だというのにも拘わらず、かつて対峙したときと同じ圧倒的な圧を彼女から感じ続ける。
一瞬にも満たない時間で龍剣を抜いたラインハルトがパンドラを切り裂くが、彼女は以前までと同じように平気な顔で別の場所から現れる。
「器もこれ以上は持ちませんし、数多の屍の上に立つ貴方たちの姿を見ることができました。ナツキ・スバル、貴方はいま幸せですか?」
「これが……幸せに見えるかよ」
「スバル! 話をしてはダメだ。傷口が開く」
「──ふふっ。それに、私のような魔女と話をしては何が起きるか分からない。でしょう? ですがもう私の力は先ほど使い果たしてしまいました」
目線だけで射殺してくるようなラインハルトの視線を受けても、パンドラはまったく表情を変えない。
彼女の口から出てくる言葉は、そのほぼすべてが真実であり、嘘であることを理解している二人は、ただただ垂れ流される雑音のような彼女の言葉を聞き流すしかないのだ。
そうしなければ大きく意識が揺さぶられてしまうから。
罵詈雑言であれば聞き流せるだろうし、嫌なことを言われても魔女教はそのようなものだと割り切ってしまえばいい。
だが次にパンドラの口から飛び出した言葉は、スバルの心を大きく揺さぶった。
「英雄ナツキ・スバル。貴方の人生の喜怒哀楽、すべてが偽物であったことにする程度のことは、いまの私でも可能でしたよ?」
「何を……言って……」
「貴方が歩んできたここまでの英雄譚、すべてを虚飾にするために。ここで死んだ貴方は、始まりの日に戻るようにしました」
なぜそんなことをする必要がある?
死に戻りをできないように、死に戻りの力自体を虚飾として扱おうとしたことは、彼女との戦いでも何度かあった。
その兆候があるたびにスバルは暴れ出す嫉妬の魔女の力でやり直しを強制されていたのだが、それでもまだ、次はそう彼女が考え至らないようにすればいいだけだった。
だが、もしいま彼女が言ったことが本当だとして、嫉妬の魔女がこの場所に出てきていないことから、パンドラにかけられた力がいまさらどうにもならないものなのだとしたら──
「なんでそんな事を……? お前は一体何なんだよ!!」
スバルの口から漏れ出た言葉は疑問だ。
いままでも突発的に巻き込まれた理不尽に対して言葉をこぼすことはあったが、目に涙を流しながらどうしてと理不尽に喘ぐのはいつ以来だろうか。
「私は虚飾の魔女パンドラ。自己紹介は……何度目ですかね?」
スバルの言葉に対してパンドラはずっと笑みを崩さない。
彼女にとって自分がどうなろうと、この世界がどうなろうとも結局どうでもいいのだろう。
すべてが嘘で、真実の●●なんてものはこの世に無いとそう証明できるのであれば、彼女は目の前で朽ちていく殉教者たちと同じように、虚飾に一切の躊躇いなくその身を捧げる事ができる。
「大丈夫、お互いに惹かれ合う心があれば、きっとまた同じ結末にたどり着けます。期待していますよ、ナツキ・スバル」
宙を舞うパンドラの首。
動きを止めた周囲の魔女教徒たちは、会話をしている間にラインハルトによって殲滅されていた。
意識も徐々に薄れていき、何も感覚がなくなっていくスバル。
普通の人間であればもうどうしようもない状況ながら、スバルはこれまで積み重ねてきた死の経験を基に、回らない頭で無理やりに言葉をひねり出す。
この世界がどうなってしまうのか、死に行くスバルには分からないが、それでも最後の責任を果たすために。
「らいん……はると」
「スバル……僕はまた君を──救えなかった」
大粒の涙をスバルの頬に落とすラインハルト。
だが命を繋ぐための血があまりにも出過ぎてしまったスバルは、そんな涙の感触すら分からない。
「お前はすげぇ……おれで全部の……魔女が死んだ。俺が死ぬ前に……大瀑布に……エミリアを……」
口から漏れ出る言葉は、いつだってスバルが胸中に抱き続けて来たもの。
すべての魔女因子を体に宿したスバルが死ねば、再び魔女因子は新たな宿主を探し、ひいては王になったエミリアに害意をもたらすだろう。
それはナツキ・スバルという男が最も恐れ、そして回避しようと躍起になっている確定した未来でもある。
「分かってる。分かってるよスバル」
「……あぁ……ありがとう」
死ぬ恐怖には耐えられても、ナツキ・スバルという人間は忘れられる恐怖に耐えられない。
暴食の権能にさらされながらも気丈に振るまっていた仲間を思い出し、彼らの高潔な精神には改めて敬服の意を示す。
これまでここで生きてきたナツキ・スバルは死に、新しい人生に直面しなければいけないのだ。
その耐えがたいまでの苦痛、苦悩にさいなまれながらも、ナツキ・スバルは力なく笑みを浮かべていた。
最後に彼の瞼の裏に誰が映ったのか。
せめてみんなに死にざまを見せる事にならなくて、本当に良かった。
そんな彼の思いは彼の命の炎と共に、泡のように消えていくのだった。