「うん、いいんじゃないか? 様になっている」
王城の廊下を歩くスバル達。
エミリアとエキドナの護衛として王城に入ったとはいえ、王の決まる場所に正装をしないというのは不味いだろうと、騎士服に着替えたスバルの服装を見て、エキドナはにやにやと笑みを浮かべていた。
一体何が面白いのかと思うスバルではあったが、護衛として来ているというのに騎士服に袖を通したスバルの優柔不断さを笑っているのだろうか。
襟を正すようにして服に触ってくるエキドナを前に、なんとなく気恥ずかしさを感じたスバルはエキドナから少し距離を取る。
「近いっ。まぁでも正直久々すぎてちょっと着られてる感じもするけど」
「そんな事はないさ、似合っているよ」
「そらどうも。にしても謁見か……」
ここ数日スバルの頭の中にずっと渦巻いていた記憶。
騎士とはなんたるかを学ぶキッカケになる場所であり、スバルの人生の中でも三指に入るトラウマでもある。
思い返せば人生の転換期として必要だったことは理解できるが、それでも同じ失敗を分かっていて二度も繰り返すことに対しての心理的ハードルの高さは言うまでもない。
己の内側に意識を傾けすぎていつの間にか腕が当たる程の距離まで来ていたエキドナは、周囲に聞こえないくらいの小さな声でスバルに問いかける。
「嫌なことを思い出したかい?」
「そこまで知ってんのかよ」
「キミとのリンクが濃くなったから改めて記録を読みなおしたんだ。もうほとんど君が知っている事はボクも知っている」
突如としてとんでもない事を口にするエキドナだが、そんな彼女をスバルは努めて無視する。
魔女のやることにいちいち口を挟んで良いことなど一つたりとてないと理解しているからだ。
胸中を乱す焦燥感と嫌な緊張感から逃げたいのであれば、いまから行う会議の場で恥ずべき言動を行うことを辞めればいいだけの話。
スバルが暴走しなければ、道中多少の問題が起きてもエキドナが上手く解決して特に恙なく会議は終わるだろう。
だがそれではダメなのだ。
ナツキ・スバルという存在がこの王選の場において重大なやらかしを行うことは既定路線であり、そこを踏み外しよく分からない人物のまま王選が始まるのは今後の展開を考えても避ける必要がある。
「エミリアが王になるための一歩として俺の醜態が必要なら、俺は何回だって同じことをやってみせる」
「いい覚悟だ。妬けるね」
「言ってろ」
本心から口にした言葉に対し、スバルはそれを分かっていながら茶化す。
エキドナと二人きりで話をして早いもので数週間。
近すぎず遠すぎずの距離感を維持しようとするスバルと、それに付き合うエキドナはこうして確かな関係性を構築していた。
そんな二人を見て頬を膨らませるのは前を歩いていたエミリアだ。
背後を振り返りずんずんと近寄ると、寄り添っていたエキドナとスバルの間に無理やり体を割って入る。
「もう、スバルもエキドナも直ぐにナイショのお話するんだから!」
まるで小さな子供のように二人の間に入ったエミリア。
そんな彼女を見て暖かい笑みを浮かべるのはスバルだけではない。
「エミリア様には眼前の式に集中力をさいて欲しいので。ですよねエキドナ様」
「そう言うことだよ。緊張はしていないかい?」
「大丈夫。ありがとうエキドナ、それにスバルも」
スバルが緊張しているのは本来お門違いなはずで、エミリアこそこれから先の事態に向けて暴れる心臓を抑えるのに必死なはずだ。
以前のエミリアであれば口数も少なくなり冷静な表情を崩さなかったはずだが、今回はエキドナがこの場にいることが相まってか表情も朗らかで緊張もかなり抑えられているように見える。
それからいくつかの雑談をして緊張感が完全になくなったのを確認し、そのままの勢いで玉座の間にやってきたエミリア一行。
堂々と中央を歩き周囲の人間から向けられる視線を気にする素振りもないエミリアとエキドナを他所に、護衛としてやってきたスバルは空気を読んで素早く騎士の列の末席に立つ。
見知った顔だらけだがほとんどが自分を知らないのだと思うと、改めてなんとも不思議な感覚だ。
(アルのやつ、本当に居ないのかよ)
王選会場内を見回してみるがプリシラの姿はあるもののアルの姿はどこにもなく、彼女が口にしていた一人で王都まで来たという言葉の意味が本当のことだったのだと理解する。
元より無駄な嘘はつかない彼女なのでそうなのだろうとは思っていたが、それでも存在していた人間が顔を出なくなるという異常事態はスバルからしてみれば目を背けたくなるような事態でもある。
見知っているのに自分の事を知らない人間ばかりの空間だが、当然そんな顔ぶれの中にはユリウス達の顔もある。
音もなくやってきたスバルの気配を感じ取ったのか急に振り返ったユリウスは、周囲の人間に断りを入れてからスバルの方へと向かって歩いて来る。
前の人の動きを見る限りどうやらわざわざ隊列まで組みなおしたようで、空気を読んでいなくなった隣の騎士の場所に当然のような顔をしてユリウスは立つ。
「おはようスバル」
「おう、おはよう。騎士だらけの中にパンピーの俺が入って浮きまくってる気がして気が気じゃないんだけど大丈夫? 馬子にも衣装くらいにはなってるか?」
「とても似合っているとも。街中を歩く人間が見れば間違いなく騎士と答えるだろう」
「そりゃどうも。お世辞でも嬉しいぜ」
実際に似合っているのだがスバルはユリウスの口から語られた言葉をまるで信用していない。
そんなスバルを見てあきれるような笑みを浮かべるユリウスに対してスバルが睨みつけていると、ふとそんな二人の話し合いを聞いていたのか見知った顔が二人やってくる。
「ユリウス、もしかしてその子が前に言っていた子?」
声をかけてきたのは騎士服に身を包み、猫耳をぴょこぴょことさせながら現れた女性にしか見えない男性──フェリックス・アーガイル。
スバルの事を上から下まで舐めるように確認し、ユリウスから聞いていた話と想像との差が大きかったのか不思議そうな表情をしている。
「俺の名前はナツキ・スバル。キミは?」
「どもー。フェリスです、フェリちゃんって呼んでね」
「よろしくフェリス」
挨拶のために差し出した手に対してしっかりと握手をしながらも、フェリスは呼ばれ方に不満があるのか可愛らしい表情で器用に怒って見せる。
「……スバルきゅんってばノリ悪いね」
「公の場では身の程をわきまえた発言を心がけておりますので」
様々な王選候補者の騎士の中で最もスバルが距離感を掴みかねている相手と言ってもいいフェリス。
前回はクルシュの一件を解消した経緯もあってか良好な関係を築くことが出来たが、今回は出会い方からしても違うので正直どんな風に接するべきかすら、スバルも分かりかねていた。
そしてそれと全く同じ事を言えるのがフェリスと一緒にやってきて、いまもなおスバルの事を観察している赤髪の男だ。
涙ぐんで己の非力を呪い、スバルを大瀑布へと投げ落とした彼の表情が目の前の彼と一瞬だけ交差するが、彼はそんなスバルに対して真っすぐ視線を注ぐだけだ。
腰に携えた剣──龍剣レイドにそれとなく手をかけている彼を前に冷や汗をかきながらも、スバルは努めて冷静にいつも通りのテンションで言葉をかける。
「そんでそっちの人がラインハルトさんってことでOK?」
「──初めまして、ラインハルト・ヴァン・アストレアだ。君が腸狩りの撃退に貢献し、フェルト様を見つけてくれたと聞いている。心からの感謝を」
声をかけた途端に朗らかな表情になったラインハルトは、スバルに対して綺麗な礼を取って見せる。
話しかけているメンバーがメンバーなだけに、周囲から気づかれないようにこそこそとこちらを伺っていた幾人かがラインハルトが頭を下げたことにギョッとし、スバルはそんな状態を理解しているからこそすぐに彼の頭を上げさせる。
「頭下げないでくれ、エルザを倒したのはユリウスだし、俺なんて腹切られて転がってただけだから」
「ふふっ、ユリウスにも聞いていたけどスバルは本当に自己評価が低いんだね」
「──ユリウスさんあっちこっちで俺の話しすぎじゃない?」
「語られるべき活躍に口をつぐむのは、己の権利を保持したい者が行うことだ。私はあの戦いが私個人のおかげだとは少しも思っていない」
ああ言えばこう言うとはよく言ったものだ。
実際はスバルの行いについて詳しく語りたかっただけのユリウスが四方八方で騎士でもないのに、己の命を顧みず腸狩りと対峙したという話をして回った影響なのだが、もはやその噂を止めさせることは不可能。
周囲で驚いていた人間もその噂の主だったのかと合点がいった様子すら見せ、スバルはこの後のことを考えて更に腹が痛くなるのを感じる。
期待感が中途半端に高すぎればそれはそれで面倒だが、あまりに高くなりすぎてスバルの騎士宣言が受け入れられてしまっては元も子もない。
何としてもいますぐ認識を変えさせる必要があると決心するスバルに対し、そんなことは知らないとばかりにユリウスは話を更にややこしくする。
「そもそも元はラインハルトへの依頼だった、彼なら君にも傷の一つすら付けさせなかっただろう」
「流石に買い被りすぎだよユリウス。それに現場にいられなかった僕では、そんな風に評価してもらうこともできないよ」
「ラインハルトは忙しかったからねぇ。帝国の奴らが国境まで来たせいでフェリちゃんもお仕事増えて大変だったし」
フェリスの口から語られた言葉で、スバルはようやくあの日なぜラインハルトが王都に居なかったのかを理解する。
そもそも国外に出る事は禁止、王都の外に出る事すら許可が必要なラインハルトが王都にいなかったという異常事態。
その背後にあったのが帝国からの干渉だというのであれば理解ができることではある。
前回はそんな出来事がなかったことと、ラインハルトが向かったということはおそらく九神将の内でも壱か弍が来たとみて間違いないだろう。
わざわざヴィンセントがこの時期に下手な兵力の動かし方をするとは思えないので、そうなるとやらかしたのはほぼ間違いなく壱だ。
「国家間のいざこざとか多分守秘義務バリバリ案件だと思うんだけど俺聞いてていいの?」
「商人たちの間で噂になっているし、機密事項というわけではないよ。それにこの場にいると言う事はスバルは騎士かそれに類する立場なんだろう? エミリア様かプリシラ様か……プリシラ様の方かな?」
「あんな傍若無人大魔神に連れ回されたら命がいくつあっても──」
そこまで口にしてスバルは己の手で口を無理やりに閉じる。
動物的なスバルの本能が行わせた行為。
ほぼ反射的に視線を動かしてみれば射殺すようなプリシラの視線が突き刺さっている。
距離はそれなりに離れていると言うのに、地獄耳なのか天性の感なのか。
どちらでもあり得るが少なくとも後が怖いのでいったん頭を下げて見せると、向けられていた殺意も鳴りを潜める。
「こっわ。いまはエミリア様の護衛兼小間使いみたいな立場かな、ここに来たのも一応護衛としてだよ。まぁ俺一人だと正直ほぼ意味ないけど」
「彼はベアトリス様と契約されているんだ。そういえばスバル、ベアトリス様はどちらに?」
「いまごろ王城のどっかでのんびりしてるよ。ベア子こういう場所あんま好きじゃないし、それにここには強いやついっぱいるからな。俺たちの出番はないだろうし」
ラインハルトだけでほとんどの出来事は防げるだろうし、ましてやこの王都で特に何も起きないのは前回で確認済み。
下手に油断することはできないが、それでもいまこの場を狙う理由もなければ戦力も多すぎて、下手な行動であれば制圧も容易いだろう。
「期待に添えられるよう頑張るよ。スバルはこの後何か用事あるのかい?」
「………………あるっちゃあるかな、全治2ヶ月くらいの怪我する予定が」
ユリウスに殴られることを想定してその程度。
仮にラインハルトに殴られるのであれば起き上がってこれるようになるまでどれくらいかかるか。
手加減してくれればいいのだが、両者ともそのあたりの融通があまり効かない性格をしているのは既知なので、スバルとしてもなんとも言い難い。
そんなスバルの予定に対して文句を付けるのは当然直すことになるだろうフェリスだ。
「スバルきゅんってばどんな予定立ててるのさ。怪我してもフェリちゃんにゃおしてやらないよ?」
「断じてしたくてするわけじゃない!! まぁなければ良いなとは思ってるけど、それなければ三日四日は王都にいるかな」
「そっか。ここだと腰を落ち着けて話辛いだろうし、できれば今日か明日の夜ゆっくり話をしたいな」
ラインハルトからの突然の誘いに対してスバルは一瞬動揺する。
フェルト関連の話をしたいというのがおそらくは理由としてあるだろう。
それを理解することはできるが、この時期のラインハルトがわざわざ誘ってまでしたい話とはいったい何なのか。
考えていたせいで返答が遅れたスバルに対し”迷惑だったかな”と話すラインハルトは申し訳なさそうで、そんな彼に対して急いで訂正の言葉を続けた。
「突然のお誘いにドキッとしちゃったけど、俺は別に構わないぜ」
「ありがとう。楽しみにしておくよ」
そうして一旦の話し合いを終了させたスバル達。
そんな彼らのタイミングを計ったように、室内に騎士団長の声が響き渡る。
「──賢人会の皆様。候補者の皆様方、揃いましてございます。僭越ながら近衛騎士団長の自分が、議事の進行を務めさせていただきます」
それからの話の流れは特に変わる事はない。
賢人会の代表者があれやこれやと話をし、ラインハルトがフェルトを呼び出す。
以前にもまして豪華絢爛なドレスに身を包んだフェルトは、スバルの事を見つけると一目散に駆け寄ってきた。
「なんでこんなとこにいんだよ、兄ちゃん! そんな上等な服まで着ちまって、やっぱ騎士だったのか?」
「よぉ久しぶりだな。騎士じゃねぇけど、怪我も治って元気百ば──いってわけよ」
腹部に向けて放たれた前蹴り。
それをスバルはフェルトの足が伸び切る前に静止する。
まさか止められるとは思っていなかったのか驚いた表情のフェルトを前に、スバルは自慢げに鼻をかいて見せる。
「まぁ傷が塞がったのはここ最近だったし、あっこからも襲われたりなんだりで大変だったけどな」
「にいちゃんも大変だったんだな。こっちもこっちでこんな服着せられて動きにくいったりゃありゃしねーぜっ」
だがそんな自慢げなスバルの顔が気に障ったのか続いたフェルトの2撃目はスバルのみぞおちを確かに捉える。
初撃は何とか防いで見せたスバルだったが、アレは来ることが分かっていた上で警戒していたからこそできた芸当だ。
腹部が圧迫されたことで腹部から息が漏れ出て、スバルは膝から崩れ落ちる。
「──ぐへっ、なんで二度目っ……」
「あ、わり結構綺麗に入っちまったか?」
手に伝わってきた感触からどうやら完璧に入ったことを理解して、心配し近寄ってくるフェルト。
正直なにしやがるんだと思わないでもなかったが、とはいえ王選候補者をこんな場所で怒鳴り散らかすことなどできるはずもなくスバルは俯いたまま近寄ってきたフェルトにだけ聞こえる小さな声でつぶやく。
「ここに来る前に……ロム爺にあった。とりあえず現状は軽く説明しといたから、多分そのうち来るはずだ。あとマジお前……覚えとけよっ」
「なんの気遣いだよ、にいちゃん本当よくわかんねぇやつだな。あとマジで悪かった」
しっかりと謝罪をするフェルトを前にこれ以上何か言う事もないだろうとスバルは口を閉じる。
ロム爺への義理は通したし、今度会った時に頭を軽く小突く程度が丁度いいだろう。
そしてそんな二人の空気を察したようにラインハルトが横から声をかける。
「フェルト様。旧交を温められるのもよろしいですが、こちらへお願いします」
──そうして改めてではあるが、スバルの目の前で王選は前回とほぼ同じ流れを踏襲する。
スバルがフェリスの性別について言及しないなどの細かな差異はあるものの、王選候補者が決意表明をする流れは変わらない。
クルシュ陣営は騎士として、その誇りと矜持を感じさせ見ないようにしていた現実を共に歩む決意をさせてくれる。
続くプリシラはまさに傲慢不遜。この世で我に並び立つ者無しと言わんばかりのその所作は、不思議と人を惹きつける。
アルがいないことで少し強気な印象が以前よりも感じられるが、彼女は一人でもなんら変わりなく周囲の人間を圧倒して見せた。
アナスタシアは己の欲について語る。改めて聞けばその内容は彼女らしさが感じられ、強欲の魔女と呼ばれたエキドナはそんな彼女の様子を品定めするような目で見ていた。
3人目が終わり、賢人会が次に指名するのはエミリア。
名を呼ばれたエミリアは自然な足取りで前に出る。
「ではエミリア様。並びにロズワール・
人生最大の屈辱で、無知な青年が届かぬはずの物に手を伸ばし、そのしっぺ返しの痛さを思い知る時が、いままさにやってくる。
スバルの心拍数はかつてないほどの急上昇を見せ、トラウマを刺激されて呼吸が荒い物へと変わる。
そんなスバルを置き去りに、時間の流れは等しく進む。
「お初にお目にかかります、賢人会の皆様。私の名前はエミリア。家名はありません。ただのエミリアとお呼びください」
前を見据え、凛とした態度を崩さずにエミリアは己の名前を告げる。
それだけで周囲の人間は彼女の堂々たる態度に魅了され、ささやき声を出すことすら出来ない。
他者を魅了する魔性の美、並び立つエキドナも同じく持つそれにより、二者は周囲の人間を黙らせてみせた。
もはや見慣れたスバルですら改めて息を呑むその立ち姿は、まさに未来の王たるに相応しい威風を纏っている。
「そして、エミリア様の推薦人は先程の紹介通りロズワール・A・メイザースが務めさせていただく。生憎今日は不在だが……先ずは賢人会の皆様方にはお時間を頂き、ありがたく」
「推薦人がこの場にいないなど前代未聞ですぞ! 一体王選をなんだと思って……」
王選を馬鹿にされていると感じて怒りの声を上げたのは賢人会のボルドーだ。
かつてエミリアを糾弾した彼は当然のようにエキドナに対しても声高にその失礼を糾弾するが、徐々に尻すぼみになっていく声はエキドナによって睨まれてしまったからだ。
蛇に睨まれた蛙という言葉がまさにぴったりだと思えるように言葉に詰まったボルドーに対し、エキドナは素の表情を変えないままにただ淡々と言葉を並べ立てる。
「400年の間、君達のくだらない約定に従い森の奥深くで静かに暮らしていたから忘れてしまったのかもしれないが、私は強欲の魔女と呼ばれた存在でありロズワールの師匠でもある。彼の代理をすることに何の問題もないだろうし、それに彼は君達もよく知っている人物の相手をしてくれている。そんな彼をどうしても呼び出したいとそう言うのであれば、私は別に一向にかまわないけれどね。当代の剣聖だってここにいるわけだ、多少は諸君の恐怖だって抑えられるだろう?」
そう言いながらエキドナがラインハルトの方を見てみれば、ラインハルトは苦笑いを浮かべてやり過ごす。
多少はこの世界で運動しているとは言っても一般人よりも肉体能力で言えば劣るレベル。
ましてや強欲の魔女としての権能すら使えないとあっては、いくら知恵が有ったとしてもこの場でいきなり戦闘が始まればラインハルトの勝利は揺るぎないものだろう。
彼が苦笑いを浮かべたのは心配性のボルドーと、それを分かっていて煽るエキドナの言動を前にどちらに着くこともできず場をやり過ごす事しかできないからである。
緊張した空間に助け舟を出すのは同じ賢人会の一員であるマイクロトフだ。
「確かにエキドナ様は王国民の誰もが知らぬものはいないお方、また宮廷魔術師であるロズワール卿も無為に約束を違える方ではなく事前に通達も受け取っている。正式にエキドナ様を代理として認めることになんの問題もないでしょうな」
「私は断じて許さん! そもそも人と森妖種の混ざりもの──つまりハーフエルフを玉座の間に迎え入れる事すら恐れ多い上に魔女までこの場に来るだと!!」
「ボルドー殿、口が過ぎますな」
「マイクロトフ殿こそお分かりか?! 嫉妬の魔女の仲間がその容姿に瓜二つなハーフエルフを連れてきたのだぞ!? 神龍ボルカニカに深い傷を負わせ! あまつさえ世界の大半を飲み干し全ての生物を絶望の混沌へ追いやった破滅の象徴!! それを知らぬ存ぜぬで通せと? ましてや王選に参加するなど言語道断だ!!」
吐き気がする。
先程までとは違い、並べ立てられる侮辱の言葉に腹の底から湧き上がる怒りが堪えられず、いまにも吐き出してしまいそうだ。
時を待つべきだと、そう理解しているのに、分かっているのに、気が付けば足が前に踏み出して。
「──スバル。相手は賢人会の方だ。短慮を起こせば状況が悪くなるのはエミリア様の方になる」
気が付けば一歩踏み出していたスバルを、ラインハルトが制止する。
普段であれば理性的な彼の声はスバルの激情を抑えるための役割を持つが、今回限りはそんな彼の声ですらスバルの怒りを覚ます事が出来ない。
「ラインハルトはあの行いが正しいと思うか? 騎士や剣聖じゃなく、お前はあの行いを見て素直に納得できるのか?」
「………………僕にそれを判断する権利はないよ」
ハッとした表情の後に長い沈黙の末、ラインハルトは絞り出したように言葉を漏らす。
彼に出来たのはそこまでで、スバルはそんな彼を責めることもできず押し黙る。
いまのラインハルトでは己の正解を導き出すことは出来ない。
英雄としての幻想に己を縛られ、そうあることでしか己の価値を見出せないラインハルトでは。
そうなるように世界に望まれてそのためだけに生きたのだから、彼の判断が間違いだと言うつもりはない。
いずれ乗り越える事の出来る障壁はいまは他所に置き、スバルはいまの問題を解決するために足を一歩前に出して──
「──さて、もうその辺で構わないかな?」
エキドナの言葉でそれが止められる。
「言葉を尽くしたか、という意味ならばまだまだ言い足りんほどだ。卿の行いはそれほどのものだぞ。わかっているのか、強欲の魔女よ」
「分かっているとも。伝聞で伝え聞いた程度の知識で私の友を馬鹿にし、大切にしている彼女の悪口を強欲の魔女の前で並び立てるその蛮行は、十二分に理解している」
マイクロトフの視線がラインハルトに向けられる。
それはまさに彼女を警戒している証拠だ。
どちらかが一言言葉を誤ればその瞬間に戦闘が始まるだろうと確信できる。
そんな状況の中であってエキドナは三日月のように口を曲げて魔女と呼ばれるに値するだけの獰猛な笑みを浮かべて見せた。
「私を差し置いて賢人を名乗っているんだ、建設的な議論をするべきだから個人的な感情は横に置いて、理性的に話を進める段階に移行しても構わないかい? それともこれ以上非礼を重ねて、私より怒らせるべきではない存在を怒らせたいかい?」
──話の流れが違う。
これでは怒りを発露するタイミングがないではないか。
そんなスバルの想いとは裏腹にそう口にしたエキドナの前にパックが現れる。
腕を組み、射殺さんばかりの視線をボルドーに向けるその姿は周囲の人間の言葉を失わせる。
「なんだあの凝縮されたマナは……可視できるものは真っすぐに見てはならん!! 吞まれるぞ!」
「もしやあれがエリオール大森林に巣くったという……」
「──氷の大精霊っ!」
ここまで来てスバルはようやく気が付いた。
己の恥を再び浴びる機会を、必要だと話したはずの彼女が。
そんな彼女がスバルの為に己の言葉でもってスバルの言葉が必要ない状態へと持っていこうとしているのだと。
パックはエキドナとも長い付き合いでよほど突拍子もない事かエミリアを害する話でない限りその条件に乗るだろうし、ましてやいまさらこの場でスバルに出来る事は何もない。
己の役目を背負った魔女を前に、何もできずに指をくわえて待っている事しかできないのだ。
『剣聖の庇護下で好き放題話をして、ボクの可愛い娘を傷つけるつもりならボクはこの王都を氷の城に変えても一向にかまわない』
「お気をお静めください大精霊様」
『ボクの事を止められるのは契約者たる可愛い娘のお願いだけ。ボクの意志以外にはリアにしか従わない』
ラインハルトの声ですらパックは止まらない。
彼が口にした通り本当にエミリアと自分の意志以外で止まる事は無いだろう。
それがたとえどのような状況で、進めば終わると分かっているような選択肢であろうとも。
『不愉快な君たちがいまも氷漬けになっていないのは、剣聖のおかげじゃなくこの子がボクを引き留めているからに他ならない。それを努々忘れぬように』
その声には本当にこの場にいる人間全てを凍らせるという決意が込められ、パックから放たれるその声だけで周囲にいる人間は体の芯まで凍り付くような恐怖を刻み込まれる。
そんな中で賢人会が座る座席から一つ大きな笑い声が聞こえてくる。
「──ほっほっほ」
声の主はマイクロトフ。
そのあまりの豪胆さに周囲の人間が視線を向けると、彼はゆっくりと口を開く。
「賢人と呼ばれ長く椅子に座っていると、こうして地位と知恵で対等な立場を築いて貰わなければ意見を受け止める事すらできない。大精霊様、エミリア様、エキドナ様、三方には平にご容赦を。改めてエミリア様から何をお求めになるかお聞きしてもよろしいでしょうか」
「マイクロトフ!!」
「繰り返しが過ぎますぞボルドー殿。ここは王の候補者が己の思い描く未来を語る場、正義と悪の問答を繰り広げる場ではない」
この場にいる時点で誰であったとしても王の候補者なのだ。
その候補者の言葉を邪魔するなど賢人会であったとしても許されるものではなく、マイクロトフの強い言葉にボルドーは苦い顔をしながら口を閉じる。
「ではエミリア様、貴方のお言葉を聞かせてください」
真っすぐにエミリアを見つめるマイクロトフ。
そんな視線に対してエミリアは胸を張り、己の胸の内にある言葉をただまっすぐに伝える。
「──私は公平を求めます」
「……公平」
エミリアの言葉を吟味するように小さくつぶやいたマイクロトフ。
彼女の口からそのような言葉が出たのが意外だったのか、王選の間にいる人間の何人かが耳を傾けるのが感じられる。
「ハーフエルフであることも、自分の見た目が魔女と同じ特徴を持っていることも、全ては変えられない。それが理由で誰しもに偏見の目で見られることも同じ。でも、それで可能性の目を全て摘み取られるのは断固として拒否します」
「つまりエミリア様。御身はこの王選に対し、一候補者として対等に扱えと、そうお望みになるわけですか」
「公平であることは、私の生涯においてひどく貴重なこと。この場でそれ以上を求めることは、私が尊く思う公平さに対する侮辱に他ならない」
エミリアは王になってからも公平を元にした政治を敷いた。
彼女の治める国では身分や種族に関わらず全ての人間は公平であった。
強者は強者として、弱者は弱者として、それぞれの大変さを持っていることは理解しつつも王国で生きる全ての人間が等しく挑戦の機会を得る事が出来た。
平等ではなく公平な世界。
それを実現するには様々な困難が有ったのは言うまでもないが、少なくとも彼女はスバルが王の騎士として活動していた時にその理想を叶えて見せた。
「だから私があなたたちに求めることはたったひとつ、公平に扱ってもらうこと。契約した精霊を盾に、王座を奪い取ろうだなんて公平さを欠く行いは絶対にしない」
それはいまも彼女の胸の内にある強い思いがあってこそ。
誰よりも公平に扱われなかったからこそ、誰にでも公平を求める彼女。
そんなエミリアの言葉は聞いている人間に彼女が王になった時の姿を幻視させる。
「私は、他の候補者に比べても足りないところばかりの未熟な存在です。知らないことばかりだし、学ばなければいけないことは山のようにある。それでも、目指すべき頂がわかっているから、努力を欠かそうとは思わない」
少なくともこの場において、彼女は己がどのような存在なのかを知らしめた。
初めの内はまともに聞くつもりもなかった者達に、己の考えを伝えることに成功したのだ。
その結果彼女の考えに賛同するかは別として、少なくとも理想を成し遂げるための足掛かりがそこにはある。
「私の努力が王座に見合うかはわかりません。でも、そうあれるようにと努力し続ける気持ちは本物です。その思いだけは、他の候補者にだって負けたりしない」
だからエミリアは諦めない。
伝える事を、誤解を解くことを、恐れをせめても和らげる事を。
「公平な目で、私を見てください。家名のない、ただのエミリアを。『魔女の墜とし子』でもなければ、銀の髪のハーフエルフでもない。私を、見てください」
真摯な彼女の想いは伝わった。
演説を終えて一歩後ろに下がるエミリアを前に、賢人会はその誰もが口を閉じていた。
様々な演説がなされた今日、エミリアは誰よりも心に言葉を届ける。
他の王選候補者達ですら、エミリアをよく知りもしない相手からライバルであると認識させるに値するだけの演説。
そんな演説を前に一番に口を開いたのは意外にもボルドーだった。
「私の意見は決して変わらん。『嫉妬の魔女』を思わせる、そなたの外見が国民に悪影響を及ぼすのは間違いない。王選に関して、不利な立場にあることは依然同じだ」
「だが──」
続くボルドーの言葉をスバルは知っている。
結局は彼も教育に染め上げられ恐怖に身をやつし、偏見と差別で己の身を安全にしようとする市民の一人にしか過ぎない。
そんな彼の凍えて固まった心をエミリアは言葉でもって、優しく溶かして見せた。
帰ってくる言葉はエミリアにとってきっとこれから先の一歩目を踏み出すために大切なものだ。
喉の奥で言葉がつっかえるのか数回口を開いたボルドーは、意を決したように口を開き──
「──な、なんじゃ!!!」
──突如として場内に響きわたる
地面が揺れるほどの衝撃はまさに異常事態を知らせる物であり、聞こえてくる悲鳴と叫びが少なくない被害が出たことをその場にいる人間全員が認識する。
王選候補者が勢ぞろいする王城、警備の目はいつもの比ではなく、王国最強と呼ばれる者達のほぼすべてが首を並べて立つような状況。
ラインハルトだけでも恐ろしいのにそんな場所に突進してくるような愚かな者達など、スバルは一組しか知りはしない。
ゆっくりと音を立てて開かれる扉。
そこにはもはや見慣れた濃い紫のフードを被った集団が立っている。
その中央で自らの指をへし折るほどの力で噛みしめながら狂人が、狂気的な笑みを浮かべながらこちらへ向かって足を進めていた。
以前一度だけ見たことのある顔、
ここに来るまでもひずみ、ひび割れ、それでも何とか堪えてきた歯車が──
「初めまして、私は魔女教大罪司教、怠惰担当ペテルギウス・ロマネコンティ──デスッ!」
──完全に壊れた。