室内に現れた大罪司教という異物。
それを前にして真っ先に動き始めたのは、誰でもないスバルであった。
隣に立つユリウスの体を無理やり引っ張りながら前へと進み、それに対して一瞬遅れてユリウスも動き始める。
ラインハルトもそんな二人の行動に呼応するように前に飛び出るが、それよりも一手早くペテルギウスの口が開いた。
「──怠惰たれ」
「なんっ──!?」
スバルの眼前で何かを唱えたペテルギウスを中心として、周囲に黒い靄のような物が展開される。
粘性を含んだ気体のように見えるそれは見た目に反して驚くほどの速度で広がると、王城の間全体を覆いつくした。
スバルの胸中を埋め尽くす考えは一つ──
遅れて反応を示していた騎士達を含めその気体を吸い込んだ者の多くが発狂、あるいは気を失ったように唐突にその場に立ちすくむ。
立っているのは飛び出したスバルとラインハルトにユリウス、残りは騎士数名と王選候補者達がかろうじて耐えているくらいの物だろうか。
スバルは知らないペテルギウスの能力。
それを前にしてスバルが取った決断は、この場において最も確実性が高い一手。
「気絶させろラインハルトッッッ!!」
「了解した!」
ノータイムで見えざる手を発動させたペテルギウスを前にラインハルトならばなんとかするだろうと無理やり判断し、前に出ていた足を無理やりに引っ込めてスバルは王選候補者達の方へと向かう。
この場における魔女教の狙いとして最も考えられるのは当然王選候補者。
中でもエミリアは彼らにとって拿捕すべき標的であり、絶対に彼らに捕まえさせるわけにはいかない。
ペテルギウスの背後から飛び出した魔女教徒達と王選候補者の間に割って入ったスバルとユリウスは、そのままの勢いで飛び出してきた魔女教徒を制圧する。
この程度の物量であればまだ対処が出来る。
そして対処が出来るという事はつまり、まだまだ後詰が来るという事だ。
間にペテルギウスが噛んでいるにも関わらずこの攻めはあまりにも稚拙、だとすればまだ警戒を緩めることは出来ない。
見えざる手を器用に避けながらペテルギウスに渾身の一撃を入れているラインハルトを横目に、スバルは振り返らずにエミリアに語りかける。
「大丈夫かエミリアッ!!」
「私は……っ大丈夫! でもエキドナが!!」
そこまで言われてようやくチラリと視線をエキドナに移して見れば、苦しそうな顔をしながら倒れ伏している彼女とそれを介抱するエミリアの姿が目に留まる。
魔女であった、魔女でない者。
それがいまのエキドナであり大罪司教の持つ権能に対し、耐性を有しているわけではない。
命に別状があるのかないのか、後遺症が残るものなのかすら判別が付かないが、いまスバルにできるのはエミリアを安全な場所に逃す事。
この場を乗り切るために頭を使ってスバルに対し、状況を理解できていないユリウスが叫ぶ。
「スバル! この者達の対処方法が分かるか?!」
「相手は名乗ってた通り怠惰の大罪司教! ヤバいのは見えざる手っていう掴まれたら終わりなのに不可視のチート技と、憑依を用いた他者への乗り移り──」
までのはずだ、スバルの記憶通りであれば。
少なくともペテルギウスがスバルとの戦闘において使用したのは、その二つと土魔法くらいのもの。
だからこそスバルはペテルギウスが出した煙の正体と、その権能が自分だけでなくエミリアやユリウスに害を及ぼしていない理由に頭を回す。
ラインハルトが効いていないのはいつか彼が言っていた通りそういう者だとして、であるならその他の人間の共通点は──?
1秒が惜しい状況にありながらスバルの脳はかつてないほどの働きを見せ、彼の中で違和感としてそれは徐々に溜まっていく。
だが正解に辿り着くよりも一歩早く、階下を激しく揺らす爆発が起きる。
それは一度目のものよりさらに大きく、窓の外から閃光が迸ったのすら確認できた。
「とにかく魔女教徒の殲滅が優先事項だ! ユリウスはとにかく雑魚を倒してくれ」
「承知した! 立てるものは王選候補者をお守りしろ!!」
胸の内に確かに感じるベアトリスとのパス。
彼女に危害が及んでいない事に安堵しつつも、スバルはようやくここに来て周囲の状況を俯瞰して確認できた。
ペテルギウスの制圧をほぼ完了させたラインハルト。
スバルと共同とは言えその他ほとんどの魔女教徒を制圧せしめたユリウスと、立ち上がり彼の命令通りに王選候補者達を守りに入る騎士達。
外がどうなっているかは別として、少なくともこの場はもう鎮圧が完了したと言ってもいい。
スバルの意識が向けられ続けている王選の間と外を隔てる扉は、一度ペテルギウスが入って来た時からいままで締め切られている。
このまま終わるわけもなく、スバルの脳裏をよぎるのは他の大罪司教の存在だ。
この場にやって来て欲しくない筆頭は強欲と色欲、続いて憤怒と言ったところか。
だがラインハルトを当て馬にするとして、その他の目標があるなら大罪司教は既に現れていなければおかしい。
(指先を派遣したのはなぜ? 元の体を使えば──それともペテルギウスは指先を
そんな事を考えていたスバルの視線の先で、ふとあるものが目に止まった。
こちらに向かって走ってくる騎士の1人の服の内側に、なんらかの膨らみがあるのを見たのだ。
それは丁度小脇に抱える程度の大きさのもので、その造形はまさに──
「──そう言うことかよペテルギウスッ!!」
叫ぶと同時に騎士に向かって突進をかますスバル。
他の騎士やユリウスが驚きの表情を見せる中で、スバルはぶつかった時の感触で直感が事実であった事を認識する。
だが残念ながら──もう遅い。
「そう。人はある日突然、己が愛されていることに気がつく。この世界に、他者に、魔女に、愛されていると!!!」
魔女教徒は何も自らが望んでなるわけではない。
ある日突然手元に送られた福音書がその始まりであり、適性が有ればというお触れは付くが誰であっても魔女教徒になる可能性は存在する。
たとえそれが騎士であろうとも、一度魔女の魅力に憑りつかれたのであればもうどうすることもできないのだ。
スバルが取り押さえていた騎士の体が突如として膨れ上がったかと思うと、周囲に爆炎をまき散らす。
咄嗟に防御の体勢を取ったが至近距離で浴びたスバルの被害は甚大で、手足はかろうじて繋がっているに過ぎない。
「──っぁぁああアアアア!!!! 」
片眼は焼け焦げ、肌は焼けていない部分の方が少ない有様。
たった一手ミスをしただけなのに、スバルの死はほぼ確定した。
「──スバルッ!!!!」
叫ぶユリウスの姿に申し訳なさを感じつつも、スバルが視線を向け続けるのは王選の間の扉。
いまだ悲鳴が聞こえる扉の向こうに視線を向けながら、その扉の先から何かが来るのを待ち続ける。
だが扉が開かれる事は無く、再び動き始める魔女教徒達を前にユリウスも動く事は出来ない。
どこが痛むのか分からないほどの激痛の中で耐えがたい程の睡魔に襲われて、ナツキ・スバルはゆっくりと目を閉じるのであった──。
/
「──な、なんじゃ!!!」
つい先ほど聞いたばかりのはずの声を聴いて、スバルは事の重大さを改めて認識する。
これまでもいくつか重要なポイントを起点として巻き戻しを行ってきたスバルの死に戻りは、事もあろうに事件発生直後を起点とした事がこれで確定したことになる。
ペテルギウスが扉を開けるまでに一刻の猶予もない事を理解したスバルは、なりふり構わずに大声で叫ぶ。
「エキドナ怠惰だッ! エミリアを守れ!! ラインハルトは周囲の警戒を!!!」
「──なっ? いったい何を言いだすのだ!」
「状況の確認を優先しろ!! 爆破はどこからだ!!」
スバルの声に反応してようやく現状を認識した騎士たちが騒ぎ立てるが、そんな中でエキドナはスバルの顔を見て憐れむような表情を浮かべ、ただ頷いた。
「
要所を伝えるだけで事態を正確に把握したエキドナは、王選候補者を守るようにして障壁のような物を展開する。
そんな彼女の行動を見ることもせずただ信じて、スバルは隣に立つユリウスの服を引っ張って王選の間の入り口に向かって走り出した。
一歩、二歩──三歩目を踏み出す前に扉が開くが、そのころには引っ張っていたスバルよりも早くユリウスが扉の前に躍り出る。
状況はよく分からないがとにかく異常事態であることはユリウスも理解しており、だからこそスバルの動き出しに合わせて走りだすことが出来た。
「初めまして、私は魔女教大罪司教、怠惰担当ペテル──」
扉を開け放ちわざわざ一礼までして見せるペテルギウス。
王選の間という場所に対して敬意を示しているはずもなく、ただそうするものだからそうしているだけと言った程度の雑な礼。
だがそれだけの時間があれば敵を認識して攻撃するのには十分な隙が生まれる。
「アル・クラリスタ!!」
「────デス!!?」
顔を上げたころには眼前に迫っていたユリウスの攻撃により、ペテルギウスの体は2つに切り裂かれる。
反射的に周囲を取り囲んでいた魔女教徒達がユリウスに向かって短剣を向けるが、そのことごとくを弾いて見せる。
──だが、それがまずかった。
「貴方、勤勉デスね。であるならば! 我々もその勤勉さに報い!! 試練を与えなければならない!!」
「なんッ──ギャァッ!?」
「取り押さえろ! こいつ正気じゃないぞ!!」
そんな声がスバル達の背後──騎士の方から聞こえてくる。
振り返れば周囲の騎士を見えざる手で肉の塊に変えながら、ペテルギウスが次の肉体──先程爆散した男のそれに乗り移っているのが見て取れた。
ラインハルトが反射的に前に出るが、ここで殺せば次どこに出るか本当に分からなくなる。
「殺すなラインハルト!! 他の奴に逃げられる!!」
それだけを伝えるとラインハルトは頷いてペテルギウスとの戦闘を始める。
先程に比べればまだ状況は最悪からほど遠い。
ラインハルトに伝心の加護が有れば状況は更にこちら側に傾くだろうが、残念なことに彼は現状その加護を有していないし戦闘中にラインハルトに伝心の加護を取得しろなどといっている暇もない。
「ユリウス、エキドナと一緒にエミリア達を頼む。いけるな?」
「もちろんだ。だが君は?」
「俺は王城内を走って状況を確認してくる、ベアトリスに会えれば更にこっち有利に状況を持ち込める。あと敵は自爆特攻覚悟できてるはずだ、絶対に油断しちゃだめだしラインハルトにも伝えてくれ」
ラインハルトがスバルのように爆風程度で死ぬとはとても思えないが、その周囲が爆風によってどうなるかはスバルの体が先程検証したばかりである。
様々な疑問が胸中を渦巻いているだろうにも関わらずユリウスはそんなスバルの言葉に対してただ頷くと、王選候補者達の元に駆け出して行った。
「フェリス!! できるならラインハルトと協力してアイツを止めてくれ! 肉体は檻みたいなもんだ! 壊せば中身が誰かに紛れる!! 透明な腕が生えてて触れられたらヤバいから対処はラインハルトに任せろ!! ラインハルト左だ!!」
「にゃにソレ!? そんなのずるじゃん!!!」
「見えざる手を知っている!? しかも見えている!? 私以外に! 見えざる手が!! ああァァァァっっ!!!!!」
「すばるきゅんのせいでなんか怒ったんですけどぉ!?」
敵がいる前で口で情報を伝えなければいけないという事実が招いた障壁がまさに現れているが、そんな現実に目を背けてスバルは王選の間の扉に手をかける。
三人の騎士に加えてこの場には騎士も大勢いる。
見てみれば騎士団長が立て直しのために守備陣形を構築しており、王選の間に立てこもる戦法を取るようだ。
懸念材料としてあるのは先程のようにペテルギウスの指先が紛れていた時だが、その部分はラインハルト達が手加減を間違えずペテルギウスを制圧してくれることに賭けるしかない。
実際何度か爆発が起きているにもかかわらず室内に被害が及んだことはなかったので、この部屋がかなり堅牢な作りになっている事は間違いがない。
ペテルギウス戦を前に背中を向けることになるとは思っても居なかったスバルだが、状況を把握するためには仲間たちを信用してこの場を立ち去る他なかった。
「──スバルッ!!」
扉を押し開き外に出ようとするスバルの背中に、エミリアの声が突き刺さる。
どうして一人で行ってしまうのか、そんな心配する気持ちが痛い程伝わってくる声を背中に受けてスバルは振り返って笑って見せる。
「大丈夫だエミリア! 俺が全部何とかして見せる!!」
心配してくれる大切な人がいる。
それだけでスバルは自分が最強になれたような気がした。
一度走り出すと振り返ることもせずに廊下に出たスバルは、背後で閉まる扉の音と、眼前にわらわらと湧いて出る魔女教徒達を前にして笑って見せた。
「さて、鬼ごっこの時間だぜ」
ー戦いはまだまだ終わらない。