轟音が木霊する王城内。
戦闘が始まってから既に10分ほどは経過しているだろうか。
王城内の至る所で悲鳴が響き、廊下には打ち捨てられた死体が散乱しており、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図が作り出されている。
そんな中ベアトリスはただ1箇所を目指し、その小さな足をせっせと動かしていた。
(スバル──無理するんじゃないのよっ!)
スバルと同じく記憶を共有していたからこその油断。
加えてラインハルトに真正面から喧嘩を売るはずがないという考えに支配され、別件の為にスバルから離れて王城内を動き回っていたのが裏目に出た。
いまさら後悔しても遅く、ベアトリスは一秒でも早く足を前に出してスバルの元に向かう。
ベアトリスがいるのは王城の一階、スバル達がいる王選の間までは相当な距離がある。
廊下を走る道中で我が物顔で歩き回る魔女教徒達の姿が目に留まり、ベアトリスはそんな彼らを見ても足を止めることなく進み続ける。
「──ミーニャ」
一言彼女が口ずさめば紫のマナの矢が空中に形成されていき、魔女教徒達は彼女を見つけるが何もできずに結晶化される。
(燃費を気にせず撃てるのは正直ちょっと爽快なのよ。でもこんな事スバルには悪いから言えないかしら)
ベアトリスの契約者であるナツキ・スバルのゲートが壊れていない関係で、スバルからベアトリスが徴収できるマナの絶対量もそれなりに増加している。
ユリウスやエミリアといった精霊術士と比較できる程ではないが、少なくともベアトリスが戦闘に対して不便を感じない程度の魔力供給はある。
加えてこの世界線では大兎との戦闘をしていないので、屋敷の人間から溜めていた分のマナも存在していた。
エキドナのマナも踏まえると前回の2倍程度は保有しているといっていいだろう。
ベアトリスがその本来の実力を遺憾なく発揮すれば、魔女教徒たちがどれだけ数をそろえたところでその敵ではない。
──相手が魔女教徒であればという但し書きはつくが。
「あら、こんなところに可愛い子供」
「ムラク──ッ!」
曲がり角の先から覗く女の顔。それに付随して聞こえた声に、ベアトリスは咄嗟にムラクを唱えてその場から距離を取る。
ベアトリスは目の前にいる女の事を知らない。
屋敷に閉じこもってスバルに何度も声をかけられ、俺を選べとそう言われるまで外で闘っている人がいる事を知りながら外に出なかったから。
だが王都に住む人間であれば、だれもが知っている相手。
ベアトリスもスバルに傷をつけられたお礼参りをいつかしなければならないと思っていたからこそ、目の前の人物が誰であるかを理解する。
魔女教徒と同じような衣装を身にまといながらもその肢体や顔を隠すこともせず見せる彼女は、ベアトリスを前にして嬉しそうに笑みを浮かべていた。
「腸狩り……エルザ・グランヒルデかしら」
「私も随分と有名になったものね。ただの子供かと思ったけど……貴方がベアトリスちゃん?」
「ベティの名前を気安く呼ぶんじゃないのよ。なんでここにいるかは措いておくとして、丁度良かったかしら。スバルにしたおいたの分は、その体で支払ってもらうのよ」
スバルの脅威になることが確定している以上、目の前の敵はここで倒しておく必要がある。
問題があるとすれば前衛がいない事だが、その致命的な難題をベアトリスは己の技量だけで捌いてみせた。
「すばしっこいのよ。よく避けるかしら」
「聞いてた話とは違うわね。随分とたくさん魔法を撃ってるけど、大丈夫なの?」
「お前に心配される謂れはないかしら」
ベアトリスにとって幸運だったのは出会い頭に一撃を喰らわずに済んだことと、王城の廊下というそれなりの広さがありつつも直線的な動きしかできない環境だったことだろう。
攻められないように常にけん制でミーニャを放ちつつ、要所要所でシャマクを始めとした魔法で攻撃を仕掛けるベアトリス。
一撃を与えれば勝てるのはエルザだが、間違いなく戦況を有利に運んでいるのはベアトリスだ。
距離を取ったエルザは攻め手が無いことを認識し、どうしたものかとその場に止まる。
「──やりづらいわね。あの黒髪の子とお友達みたいだし、貴方も私の事を知っているの?」
「雑談に興じてやるつもりはないのよ」
ベアトリスのそんな態度に、彼女は連れないわねと言いながら笑みを浮かべて見せる。
いつでも余裕があると言いたげな彼女のその表情はどうにも癪に触るが、下手に動いては相手の思う壺だと自分に言い聞かせてベアトリスは静観の構えを取った。
「そう。そういえばメィリィは元気にしているのかしら」
「……元気かしら。少なくとも、もうお前らの所には絶対に戻してやらないのよ」
幸運なことにメィリィは王城に同行してきていない。
それは彼女がエルザを探すために王都を巡っているからであり、そうでなくともこれまでの仕事で人前に出られるような人物ではないので王城に来れる事は無かっただろう。
エルザに来てと言われたときにメィリィがどうするのかベアトリスは知らないが、エルザに対して口にしたのが彼女なりの答えだ。
そんなベアトリスの言葉に笑みを浮かべたエルザは、持っていた短剣を懐にしまう。
「どういうつもりなのよ」
「私が任された仕事はもう終わってるの。依頼者への付き合いで手伝って上げてたけど、メィリィがどうやら遊んでもらっているみたいだし、今日のところは引き下がってあげる」
そういってエルザはベアトリスに背中を向ける。
攻撃を仕掛けるつもりならご自由にどうぞ、そんな彼女の姿にベアトリスは寸前まで出しかけていた攻撃の手を止めた。
騙し討ちのつもりなら一切手加減するつもりはなかったが、少なくともベアトリスから見てエルザは本当に逃げるつもりのように見える。
下手に追いかけて戦闘を長引かせるより、合流を優先した方がベアトリスにとっては都合がいい。
「仕事って何なのよ」
「残念だけど、雑談に興じて上げるつもりはないわ」
それだけを口にするとエルザは今度こそ振り返る素振りも見せずに歩いていく。
ベアトリスは警戒しながらそんな彼女の後姿をジッと見ていた。
そんなとき、ふとベアトリスの背後から声が聞こえてくる。
「ベア子はここら辺に──ってエルザッ!?」
「スバルちょっとタイミングが悪いかしら……ほら居なくなっちゃったのよ」
背後から聞こえてきたのはベアトリスの契約者、ナツキ・スバルの声だ。
ほんの一瞬そちらに気を取られ視線を移したベアトリスだったが、即座に戻した廊下には既にエルザの姿はない。
代わりに奥から魔女教徒達がわらわらと出てきたのを確認し八つ当たり気味に魔法を放つと、そんなベアトリスの事をスバルは珍しそうな目で見つめていた。
「マジでごめん。それとベア子さん、そんなバカスカ魔法撃っちゃっていいんでせうか……?」
「溜めてた分があるから大丈夫なのよ。それにこれでもかなり省エネ運用かしら、明日には回復するレベルなのよ」
「そりゃよかった。そんでどんな経緯でエルザと戦ってたのか聞いても?」
「不意遭遇戦なのよ。というかスバルもどうやってここまで来たかしら、そんな傷だらけで」
王選の間からベアトリスがいまいるこの場所までは、かなりの距離がある。
直線距離にすればたかだか知れている距離ではあるが、王城内はただでさえ入り組んでいる上に道中魔女教徒達だっていたはずだ。
スバルの着ている騎士服はところどころ魔女教徒達の攻撃によって出来ただろう傷跡が見てとれ、素肌もかすり傷程度であるが傷ついているのが目に付く。
ラインハルト達がいる王選の間からスバル1人で出てきたうえに、ベアトリスの方面に向かって一人で来ていたのだと何か有ったのは理解できるがそれでもリスクは高い。
「鞭をシャンデリアにひっかけて逃げながら、命がけの鬼ごっこしてたよ。王選の間にペテルギウスが突っ込んできて現場地獄だったんだけど、とりあえず何とかなったからベアトリスを拾いに来たんだ」
「狙いはやっぱりエミリアかしら?」
「普通に考えるとそうだとは思うんだけど……正直微妙だな。エミリアを確保したいならわざわざこのタイミングで襲ってくる必要ないし」
王選候補者として周知される前に捕まえたかったのであれば、メィリィとスバルが森の中で襲われたときに大罪司教が押しかけているはずだ。
逆に王選候補者になったエミリアを捕まえたいのであれば、それこそ前回と同じタイミングでいい。
襲ってくる時期がズレたことは、そのまま何らかの理由が魔女教徒側に発生した事を証明している。
まったく何も関係なくただ王選を邪魔しにきたという線に関しては、エルザの参加が有ったことも考えると正直あまり考慮に入れる必要はないだろう。
仕事して彼女が来ている以上は少なくとも裏で手を引いている誰かがいるのは確かだ。
エミリアでもなく王城を襲う理由──そこまで考えて思いつくのはベアトリスがスバルの元を離れていた別件のこと。
「王城に存在する秘宝、そっちの方がメインの可能性もあるのよ。少なくとも2つはさっきあるのを確認してきたかしら」
龍の血や竜歴石といった秘宝はリスクをかけて取りに来るだけの価値はあるものの、エキドナを始めとしてこの国の魔法使いたちが心血を注いで作った結界に阻まれているので城を制圧したからといってそう簡単に取り出せるものでもない。
加えて龍の血ならばまだしも竜歴石はサイズもそれなりにあるし、大罪司教達は近い役割を持つ福音書を持っているため狙う必要性があるかと聞かれれば疑問符が残る。
実際口にしたベアトリスもそれを聞いたスバㇽもあまり納得がいっていないようだ。
「言ってもあれ動かしてどうするんだって感じはするけど……混乱に乗じてっていうのなら可能性としてはあるか?」
「正直何も分からないのよ。異変が多過ぎて考察のしようもないかしら」
ただでさえ行動原理がまるで分からない魔女教徒。
魔女の復活を目論むという彼等だが、そもそもこの世界では魔女は生きているというのがエキドナの談だ。
だとすれば彼らの行動目的自体が変化しているというわけで……。
堂々巡りの思考を一旦他所に置き、スバルは一つ提案する。
「とりあえず王城内の魔女教徒達の制圧しながら王選の間に戻ろう。情報共有もしないといけないし」
「分かったのよ。それとスバル、自分の命を犠牲にする可能性が高い選択肢を取るのはやめるかしら。ベティはちゃんとスバルの元に向かってたのよ」
「来てくれるのは信じてたよ。でもそうだな、安全には気を付ける。ありがとなベア子」
「分かればいいかしら」
そういって走り出すスバルと、足並みをそろえてその後を付いていくベアトリス。
王選の間から外に出てきたのもきっと最悪死ぬことを考慮に入れつつ、周囲の状況を知るためにわざわざ外に出てきたのだろう。
口ぶりからして既に一度は
道中何度か魔女教徒達との戦闘を行いながら王選の間を目指すスバルとベアトリスだったが、ふとベアトリスが周囲の状況に違和感を感じて足を止めた。
先程からずっと気になっていた違和感が許容値を越え、容認できない違和感として彼女の足を止めさせたのだ。
「──やけに静かかしら。城内に人の気配がしないのよ」
「もう避難したか、見つかったか。隠れてるって線も有るだろうけど……」
同じく足を止めたスバルが周囲の状況に五感を研ぎ澄ますと、確かに爆発音や悲鳴が聞こえていた最初の頃とは違い、王城内はまるで誰もいないように静かだ。
隠れているとしてもどこもかしこも静かな状況は考えづらく、ましてや廊下には先程までとは違い特に人の死体のような物すらどこにも見つける事が出来ない現状。
まるで戦闘そのものが無かったかのような違和感だが、魔女教徒達がやってきている以上現実的に戦闘が起きている事は確かである。
どうなっているか分からないのであれば、試すほかないだろう。
「どっか適当に開けてみるか……いいかベアトリス?」
「いつでも準備はできているのよ」
壁に背を当ててドアノブに手をかけたスバルは、ゆっくりとノブを回して扉を開ける。
建付けがよいのか音もなく開かれた扉がそのまま完全に開ききると、部屋の中の様子がある程度は確認する事が出来た。
おそらくは応接室として使われていた部屋なのだろう。
部屋の中央には大きなテーブルがあり、その周囲には3人掛けのソファが対面で置かれている。
テーブルとソファを挟んだ先には執務用の大きな机も置かれており、部屋の左右には天井まで届くような巨大な本棚が軒を並べていた。
人が隠れられるような場所は特に見当たらず、死角になってしまうのは執務用の机の中や開けた扉に阻まれた場所くらいだろう。
「エミリア様の護衛、ナツキ・スバルだ。いまから室内に入るけど、攻撃してこないでくれよ。攻撃されたら問答無用で反撃する」
それだけを口にしてスバルはベアトリスと視線を合わせ、そのままの勢いで室内へと侵入する。
まず見るのは自分たちの背後──開いた扉の死角になっている側だが、そちらには人影などは特になし。
次に鞭を手に持ちソファを蹴り飛ばして執務机の方に向かってみると、そこにも特に誰もいない。
これで人が立っていられるような場所はどこにもなくなり、後に残っているのは誰もいない部屋だけだ。
「……誰もいないか。まぁそりゃ扉開けれた時点でいないよな」
立てこもるのであればソファや本棚などを動かして扉を開けられないようにするだろうし、魔女教徒達はだまし討ちするほどの知性がある者は少ないのでもとより期待感はあまりなかった。
他の扉も開けて回ればいずれ当たりの部屋にたどり着く可能性はあるが、あてずっぽうでやっているほどの時間はあまりない。
さっさと切り上げて王選の間に向かおうと振り返ったスバルは、そこでふと嫌悪感を露にしているベアトリスの表情を目にする。
「相変わらず、趣味が悪いかしら」
「なんか見つけたのか?」
彼女の視線はスバルと彼女の中央、ソファがあった程度のところに止まった。
そこにあったのは数人分の衣服。
脱ぎ捨てられたように放置されたそれには血の痕跡などは特に付いていない。
衣装棚などはないので、この服はどこからか持ち込まれたのか元からこの場にあったのか。
あまりの違和感にスバルの記憶が刺激され、ベアトリスに遅れてこの状況の意味を理解する。
「怠惰に引き続き色欲までご登場かよ」
持ち上げた
それはかつて人であったものであり、色欲の権能によってその姿かたちを歪められてしまったものだ。
口を開くこともできず、話す知能も持っていないのなら、悲鳴が聞こえないのは当然の事といえるだろう。
こうなってくると場内の静けさの原因は、察するにあまりある。
「クソッ!!! 王選の間まで急いで行くぞベア子、状況があまりにも悪すぎる」
「分かっているのよ」
手を這う虫たちを優しく地面に置きなおし、必ず元の姿に戻すと誓ってスバルはその場を後にする。
目指す先は王選の間、状況を考えればもはや一刻の猶予もない。
ラインハルトを外に出し魔女教徒達を封殺し、王城を開放して現状を正確に知る必要がある。
分からない事は数多くあるが、これ以上後手に回れば取り返しのつかない事になる可能性だってある。
気が付けばスバルの足は速くなり、魔女教徒達に襲われる可能性も考慮に入れず一心不乱に足を前に進める。
どういうわけか魔女教徒達は1人もおらず、スバルたちは何の障害もなく王選の間にたどり着く。
硬く閉ざされた扉はスバルが閉じたときから変わりはないように感じられ、扉の前でスバルは警戒しながらも声を出す。
「いまから扉開けて入るの俺とベア子だから攻撃するなよ! 入るからな!」
「……やけに静かなのよ」
万が一にも同士討ちを避けるために警告したスバルは、ベアトリスの言葉を耳にしながらもゆっくりと扉を押し開ける。
スバル一人ではかなり重たい扉だったが、途中でベアトリスの手によって扉の重さが打ち消されするりと扉は開け放たれた。
最初にスバルの五感を刺激したのはツンとした嗅ぎなれた匂い、続いて視界から入ってきた情報を処理した脳がなんとか口から出た音は、言葉ですらないものだった。
「──ぁ?」
彼の目線の先に広がっているのは、
当然奥に目をやってみればそこにはスバルを先ほど見送ってくれたばかりの彼女の姿もあって──
「な、なんで、ここは、安全で、ラインハルトが」
そうだ、ここにはラインハルトがいるはずだ。
ラインハルトがいるからこそスバルはこの場を離れたし、逆の立場であれば絶対にここだけは狙わないとそう思えた。
室内に赤毛の彼がいないか探すが、倒れ伏した死体の中にはラインハルトのものはない。
死んではいない、だがこの場にもいない。
「そんな……ウソなのよ…こんなこと」
拘束されていたと思わしきペテルギウスはその場で死体になっており、フェリスはクルシュの亡骸の上で涙を流しながら死んでいた。
そこにはエミリアやアナスタシアの姿もあるが、プリシラの姿は
離れた先では賢人会の面々が同じように死んでおり、誰もこの場から逃げることはできなかった事を表している。
中でも一際酷い死に様をしているのはボルドーで、彼の体には敵討ちだとでもいいたげに騎士の刃が何本も刺さっている。
そんな地獄のような光景を眺めて、スバルは一歩一歩とエミリアの元に近づく。
近づく度にその死が鮮明に写り、どうしようもない現実に膝が折れる。
震える手で頬に触れれば既に冷たくなっており、痛みと恐怖に染められた顔はその死が酷いものであった事を物語る。
彼女の顔の近くにはパックが封印されていた結晶が黒く変色し割れて転がっていた。
「ぁぁぁあっ、っんで、おれ、っあ――――――――っ!!」
スバルは苦しそうなエミリアの死体の手を両手で握りしめ、声も出せずにうずくまった。
ラインハルトは? パックは? エキドナは? 自分よりも強い者たちがいたはずなのにどうして彼女が死んだのか。
どうしようもない事を理解したからこそ、スバルは怒りの行き場を無くして拳を強く地面に叩きつける。
同じくベアトリスも死んだエキドナを発見して強く動揺するが、その動揺を表に出さずスバルに問いかける。
「……スバルはこんな思いを、ずっとして来たのかしら」
「………………あぁ」
ベアトリスの言葉に対してスバルはかすれた声で小さく言葉を返す。
この場所から自分が離れたから、この結末になったとそう思っているのだろう。
実際はスバルがいてもどうにもならなかった可能性の方が高いが、事前に知っていれば対策ができたはずだ。
現場にいなかったスバルでは事態を考察するのが精一杯で、次回を考えてしまうスバルの脳はこの最悪の状況が一度目でしかない事を理解してしまう。
「おそらく死亡した状況から見て憤怒の権能なのよ。ラインハルトがいないのは強欲に引き剥がされたか、何らかの魔法で空間ごと転移させられたか……」
そう言いながらふとベアトリスは、エキドナの死体の手の中に紙が一枚入っているのが目に入る。
書かれている内容は酷く走り書きで読みづらく、中身もベアトリスやロズワールしか知らない暗号で書かれているものだ。
そこにはいくつかの単語が書かれており、包帯、鎖、窓の外、ボルドー、傲慢の五つ。
前2つは憤怒の特徴だろう。
後ろの3つに関しては情報が少なすぎるので判別不可能だが、少なくともエキドナが死の直前に残した以上は大切な情報のはずである。
ベアトリスは淡々とスバルにそれを告げた。
「──これで全部なのよ。ここで知ることができるのは、これで」
ベアトリスの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。
この後どうなるかを理解しているから、ベアトリスは手の中に先ほどまで魔女教徒達に向けていた結晶を生成する。
殺す事しかできないそれを、殺したい相手もいない部屋の中で。
「……ごめん、ベアトリス」
スバルはこの世界では生きていけない。
友と呼んでくれるはずの男が、見知った人間達が、何よりエミリアが死んだこの世界で生きていく事をナツキ・スバルは許容しない。
それをベアトリスは分かっているからこそスバルの近くに歩み寄る。
そして優しく彼の体に抱きついた。
怒りに震える体はひどく冷たく、ベアトリスが近付いても緊張した体は固まったままだ。
「スバルが謝ることはないかしら。悪いのは魔女教の奴等なのよ。それにベティはスバルが死ねば消える世界線のベティなのよ、だから──」
言葉を発するたびに、悲しみが心の内を塗りつぶす。
どうしてスバルがこんな目に遭わなければいけないのだ!
一体スバルにこんな酷いことをしているのはどこの誰だ!!
出来ることならこの世で最も酷い苦痛を味合わせたいのに、ベアトリスはそれができない。
泣かないでいたかったのに、スバルの方が辛いから、だから──
「ご、ごめんなさっ、いなのよ。ベティが居るせいでスバルに余計な気苦労までかけて、ベティには、せめて優しく送り出してあげることしか」
優しく抱きしめるスバル。
一人じゃないから、スバルはまだ落ち着くことができた。
何度助けられればいいのだろうか? 小さな身体で精一杯頑張るベアトリスを前に、スバルは空元気を見せてあげることしかできない。
「ごめんな、ベア子。お前がそうやって泣いてくれるから、俺は次も頑張れる。正直状況はかなり厳しいし、ぶっちゃけ無理ゲーだって思う気持ちもあるけど、でも頑張るよ。ありがとう」
「………………スバルが契約者で、本当に良かったのよ」
「ああ、俺もお前以外の相手なんて想像つかないくらい、ずっとそう思ってるよ」
痛みを伴わないようにシャマクで五感を断絶し、ベアトリスはスバルを優しく見送る。
命が流れ出していき、冷たくなっていくスバルの体。
彼が完全に死んだ瞬間に元の世界に記憶が消されて戻されるのか、それともこの世界線はまだまだ続いていくのか。
結果を知るのが怖くて、ベアトリスは己の中にある核を破壊する。
溢れ出す虹色の粒子はスバルの体に降り注ぎ、ベアトリスは彼の手を優しく握りながらその体の横で、諦めきれない怒りに身をやつしながらゆっくりと眠りについた。