気が付けば、スバルは大地に立っていた。
視界いっぱいに広がるのは見慣れた王都。
噴水広場の真ん中で一人たたずむスバルは、急いで背後を振り返り、改めてパンドラが口にしたことが事実であったことを認識する。
広場の真ん中にはエミリアが王になったことを記念して、本来パックの姿かたちをかたどった可愛らしい銅像が建てられていたはずだ。
だが、それがない。
「──っっ!!」
体中からあふれ出した後悔や怒り、パンドラに対しての憎しみや“どうして”という行き場のない感情がスバルの身体を駆け巡る。
気が付けば涙があふれ出し、どうしようもないくらいに辛かった。
いつもならばエミリアがいて、レムがいて、関わってきた様々な人々がいて、そんな人たちの言葉に助けられてスバルは起き上がれた。
ナツキ・スバルという男が強くあれたのは──強くあろうとすることが出来たのは、弱いスバルを信じてくれた人がいたからだ。
だがそんな人物たちの記憶からスバルはいなくなり、もはやこの世界で起きた出来事を覚えているのは自分だけだと、スバルは理解してしまった。
大量の涙を流して地面に頭を押し当て、泣き叫びたいほどの激情をなんとか耐えながら声を殺す。
苦痛を訴える心に見せた精一杯の抵抗は、王の騎士としてのせめてもの矜持だろうか。
周囲の人間もそんなスバルのことをいぶかし気な目で見ているが、一人泣いている異邦の人間に話しかけるような人物はおらず、そうしてスバルは泣いていた。
ずっと泣いて、泣いて、少し落ち着いたら近くの路地まで移動して、また泣いた。
街を歩く人々の足音も、変わってしまった王都の街並みも、すべてがスバルの頭を強く揺さぶる。
ここは現実じゃない、ここは夢の世界だ、死ねばまた元の世界に戻れる。
そんな幻想を何度も抱くが、体の内側からいつでも飛び出る準備をしている魔女因子たちが今日はやけにおとなしく、ただひっそりとスバルに「そんなことをしても無駄だ」と告げる。
宿主が絶望しているさまが、それほど面白いのだろうか。
泣き続けて体中の水分がなくなるほど泣いて、スバルは気が付けば夕暮れの王都で一人空を見上げていた。
(……あ……エミリア)
ふと絶望に溢れていたスバルは夕日を見てあることを思い出す。
夕暮れ時の王都、これから貧民街にある盗品蔵で行われるのは徽章の争奪戦だ。
この世界でのスバルの記憶の最も古いところ、二人でエミリアと盗品蔵に足を運んだ時、エミリアはエルザに一切の抵抗を許されず、あっけなく殺された。
王になったエミリアならばいざ知らず、この時のエミリアはパックに守られながらでなければ生きていけない、小さな子供だ。
(……すけないと……エミリアを……助けないと)
こんなところで立ち止まっている場合じゃない。
足に力を込めて何とか立ち上がろうとしてみるが、心が折れてしまったスバルの足はがくがくと震えて言うことを聞いてくれない。
それでもなんとかしなければ──そうしなければエミリアが死ぬ。
意思の力で体を起こし、大通りに出たスバルは見た。
貧民街の方向に現れる巨大な氷の魔獣を。
我が子を殺され、契約のままにすべてを破壊する暴君になった、氷の獣を。
そしてその獣からあふれ出した氷は貧民街を瞬きの間に飲み込み、大通りを走り──スバルは気が付けば氷に包まれていた。
△▽△▽△▽△▽△▽△▽
──そしてスバルの両足は大地を踏みしめる。
何度も経験した死の瞬間にスバルは反射的に気を立て直すと、視界に広がっていたのは前回と変わらない、かつての王都だ。
これで死に戻りをしたところで戻れないことは確定してしまった。
「くそっ……くそ! ……くそっ!!!!」
死ねばここに戻ってくるのであれば、スバルにできることはただ一つだけ。
もう一度一からすべてをやり直し、英雄ナツキ・スバルとして今度はパンドラを完全に打倒すること。
それだけがナツキ・スバルに許された唯一の道であり、仮に逃げるのであればこれからどんな惨劇が起きるのかは、スバル自身も知っていた。
昨日までのスバルであればもう立ち直れただろう。
だがいまだスバルは自分の中で立ち上がるための熱が無いのを無意識に感じ取っており、そんなスバルは自分の熱を取り戻すために無意識に貧民街へと足を向けていた。
どれくらい時間がかかっただろうか。
まるで浮浪者のような足取りで歩くスバルは、いつもより驚くほどに長い時間をかけ、ようやく貧民街へとたどり着く。
そこから、もうなくなってしまった盗品蔵を探すためにあっちこっちへと歩き回れば、運動不足だったころの身体は既に悲鳴を上げていた。
休ませてくれと願う体に「せめていまだけは」と鞭打てば、なんとか足が動かなくなるまでに貧民街を見つけ、そしてそんな貧民街の前にたたずむ白の少女が一人。
「──エミリアッ!!!」
気が付けばスバルは叫び、駆け出していた。
どうしようもないくらいに会いたくて、彼女のためならなんだってできるとそう再び言いたかったから。
だが彼女はこちらを見て驚いたような表情をすると、パックが現れて彼女とスバルの間に立ちはだかる。
まるで守るように立ちはだかったパックを見て『なぜなのか』とそう思ったころには、スバルの足が限界に達してその場で盛大にこけた。
貧民街の土は砂利も混じっており、しっかりとダメージを食らったスバルは、すりむいて土と砂が混じった皮膚を見ながらちょっと泣いた。
「派手にこけたねぇ……リア、知り合い?」
「ううん、知らない人」
ずっこけた状態で投げかけられる知らない人宣言。
もしかしたら覚えていてくれるかもという淡い幻想を心のどこかで持っていたスバルは、今度は本当に泣いた。
だが先ほどまでよりは確かに生きる気力が湧いたのは、変わらずエミリアがここにいることを知れたからだ。
「ご、ごめん。いきなり驚いたよな、俺の名前はナツキ・スバル。キミの──ファンなんだ」
忘れられたならもう一度改めて思い出を積み重ねていけばいい。
騎士になれるかどうかは分からないけれど、それでも彼女の横で共に居れるような人になりたい。
燻っていた火は再び胸の内で業火に変わり、スバルは鼻を啜りながらにっこりと笑みを見せた。
それは人の警戒心を無理矢理にでも解いてしまうような、そんな優しい笑顔だ。
「ごめんなさい、ふぁん? っていうのが何か分からないけど、貴方が応援してくれてる人だってことはすごーく伝わった。でも私、いますっごく急いでて、だから貴方のこと、またお話聞かせてくれる?」
「ああ、俺のことならいくらでも。キミが満足いくまでどれだけでも教えるよ」
それじゃあ、と別れの言葉を告げてスバルはエミリアに背を向ける。
この後のことを考えれば無理にでも同行するべきなのだろうが、ここで下手について行こうとすれば違和感を抱かれるだろう。
「すいませーん」
背後でエミリアがドンドンと戸を叩く音を聞きながら、スバルは思考を続ける。
せめて彼女が貧民街に入る前に準備をできれば──そう思わないでもないが、いまさら言ったところで始まらない。
少なくとも前よりは足手纏いにならずに、ここから全員を無事に逃すのがスバルの使命だ。
エルザがやってくるまでは距離をとっておき、挟み撃ちにするのが現状取れる最善か。
「ここに居るのは分かっているわ! 開けないと酷い目に遭うんだから!」
(それだと悪役のセリフだよエミリアたん)
なんとも気の抜けた言葉を投げかけているエミリアに対し、そんな事を思っていたスバルはふと足を止める。
かつての記憶なので思い出すのに時間がかかったが、少なくとも自分がドンドンと扉を叩いた時ロム爺は反応していた。
それでなくとも店の前でスバルがあれだけ騒いでいたのだから気付かれていてもいいだろう。
息を潜めて隠れているのも考えられたが、罪人とはいえ殺されるようなことをしたわけでもないのに仕事場を壊される事をロム爺が甘んじて受け入れるとは思えない。
だとするなら──
そこまで考えたスバルは、もはや反射的に走り始めていた。
「危ないッッッ!!!」
「えっ──」
直感でしかないが、スバルは数々の死を経験して自分の直感に絶大な信頼を置くようになっていた。
死の雰囲気を感じられるとまでは言わないが、少なくともまずいと思った状態で何も起きなかったことはほとんどない。
振り返ってみればエミリアは既に盗品蔵の扉に手をかけており、半分ほど開いた扉からは今まさにククリナイフを持った女の腕が現れていた。
エミリアの腹部に向かって飛んでいくナイフの軌道はタイミングも軌道も完璧、だからこそナツキ・スバルは一点読みでその間に割って入ることができた。
「────ッ!!!」
灼熱が腹を焼き、首筋から背中を抜けて冷たい空気が肌を撫でる。
それは死の直感。
「あら、まさか邪魔されるなんて思ってもいなかったわ」
腹部に突き刺さるナイフは明らかに致命傷だ。
何度も味わった死の感覚が全身を駆け抜け、腹部にできた大きな傷を治そうと全身が死を回避するために活動を始める。
熱いのか寒いのかも正確に分からない中で、驚くエルザの手を握りスバルは一瞬息を吸うと自分の出せるだけの大声で叫ぶ。
「逃げろエミリアッッ!!!!!」
「──そんな、だって」
「リアッッ!!!!」
こうなってしまってはもはや、出来ることは彼女を逃すことだけ。
逃げろと言われたエミリアは一体何が起きたのかも理解できていないようで身体を固まらせるが、パックの呼びかけに反射的に逃亡を選択する。
「貴方のお腹がどうなっているのかも気になるけれど、依頼されているのは──」
あちらなのだから。
そう続ける前にナイフを引き抜いて目の前の障壁を排除しようとしたエルザは、自分の身体を未だ押さえつけるスバルに驚愕の視線を向ける。
明らかに訓練された兵士の身体ではなく、むしろ貴族の子供やそれに近い身体をした少年。
握られた手のひらはまるで少女のように柔らかく、目つきさえ悪くなければ女の子だと言われても納得できただろう。
そんな少年が──いや、彼が、全力で手を退けようとしたのに、中で肉を引きちぎった感触をさせながらもエルザの動きを未だ止めていたのだ。
絶え間ない激痛が全身を襲い、口の端から赤い泡を出しているその様は死んでいない方が不思議だというのに、一体どうしてこれほどの力が出せるのか。
「っぐぎぎぎぎぃ!」
「──まるで殉教者ね」
空いた手を使い予備の武器を用いて刺せども斬れども彼は力を緩めることはない。
彼が逃がそうとした少女の背中が見えなくなるまで、そうしてエルザを止め続ける。
「なんで、どうして、私は貴方のこと、何も知らなくて、これから──」
そんなエミリアの呟きもスバルに届くことはない。
だがまるでそんな彼女の呟きが聞こえたかのように、守れた事を誇れるようにして、ナツキ・スバルは激痛の中優しい笑顔を浮かべて死んだ。