「おやおやおーや、皇帝陛下とスバル君はお知り合いだったのですか?」
突如としてスバルの名前を口にした
エミリアが何故皇帝がこの場にいるのか。
そしてどうしてスバルの事を知っているのかと驚愕の表情を浮かべる。
そんな中アベルはロズワールの言葉に首を縦に振りながら、探るような視線をスバルに向けた。
「……まぁそのようなものだ。そちらが覚えているかは知らんがな」
「仮に100回生まれ変わったところで忘れられねぇよ。久しぶりだなアベル」
皇帝陛下と、一介の護衛に過ぎないスバル。
本来まともに会話すらできないはずの身分の差だ。
それなのに二人は旧友のように言葉を交わして見せる。
スバルの言葉に激昂してもおかしくないはずなのに、アベルと呼ばれると軽く笑って見せ、そんな皇帝の姿を見てスバルもいつになく嬉しそうな笑みを浮かべていた。
アベルに促され、スバルは椅子に腰かける。その視界の端では、レムが「秘密にしておきました」と笑みを浮かべて部屋の隅に立っている。
そのままの流れでロズワールが俗に言う誕生日席へ移動し、アベルとスバルが対面に。
スバルの膝の上にはベアトリスが座り、メィリィはスバルの近くの壁に背中を預け、エキドナとエミリアがそれぞれ左右に座った。
座席を見れば人数差はスバル側が多い。だが、アベルはそれを微塵も感じさせない威厳を持って話し始めた。
「ふむ。状況はなんとなく理解している。これほどまで待たされたのは人生でそうない経験だったがな」
「来た時期が悪すぎんだろ。王選始まったばっかだぞ、どうやってこんな時期に入ってこれたんだお前」
この時期、王国はとてつもなく緊張感が高まっていた。
王が不在であり、他国からの侵略を警戒して国境どころか辺境の街の警備ですら相当なはずだ。
だというのにも関わらず、どうやって王都近くのこの場所にこれたのか?
皇帝が動けば相当目立つのは間違いない。もし仮に入国できたとしても、それはエミリアが帝国に入った時のように、何か大きな事件が起きた時くらいのものくらいで──
「──お前もしかして」
スバルの脳内で突如はじけたシナプスが、いくつかの記憶を結び付けた。
腸狩り戦にラインハルトがいなかったこと。その原因が帝国との国境線でのいざこざであったこと。そして動いたのが気分屋のセシルスであったこと。
セシルスならばそんなものかと一度は納得してしまったスバルだが、冷静に考え直す。
大舞台でもない辺境の地での剣聖との戦闘を、あのセシルスが望むだろうか?
偶発戦闘ならば喜んで剣を振るうだろうが、わざわざ自分から赴いてまでそんな戦場を彼が選ぶとは思えない。
だとすればセシルスに命令をできる誰かがそうするように指示したということだ。
そしてこの世界において、九神将であるセシルスに指示を出せるのはただ一人。
「そういう事だ」
脇に置かれた高そうなワインを一口含み、アベルはなんでもない事のようにそう言って見せる。
「おまっ! 俺がどんだけ苦労したと思って!!」
人の苦労も考えずにこの男は!
そんな怒りからスバルが身を乗り出して文句を垂れる。だがアベルはそんなスバルの文句を聞いても涼しい表情を微動だにせず、ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てるスバルの声を黙って聞いていた。
肩で息をするほどにあれやこれやを言い終わり、いよいよ語彙がなくなってしまったスバルを前にしてエキドナがようやく思い出したように注意を入れる。
「まぁまぁ、その辺で。旧知の間柄でこの場所が公の場所でないとはいえ、さすがに見過ごせないラインもあるよスバル」
「分かってるよ。失礼しました皇帝陛下」
「フン、思ってもいないことを言うな。それにしても……話は聞いていたが、お前が強欲の魔女か?」
睨みつけるような表情でエキドナへと視線を移すアベル。
心の弱い者であれば悲鳴を上げてしまう様な眼光だが、しかしエキドナはそんなアベルの眼光に一切臆する様子もなく言葉を返す。
「皇帝陛下もご存じとは光栄だね。その通り、ボクが元強欲の魔女エキドナだとも」
「お母様に何か言いたいことでもあるのかしら」
「なくはないが、いまの彼女に言ったところで無駄なことは理解している」
ベアトリスもアベルも、前の世界のエキドナによって多大な迷惑をこうむった側の人間だ。
特にアベルに関しては一言どころか言ってやりたいことが山ほどあるだろう。
だが飲み込むのに時間がかかったスバルとは違い、アベルはいまの状況を理解してその留飲を飲み込んで見せた。
少なくとも現状のエキドナが王選候補者の後見人。アベルの知る記憶においてこの数十年間でエキドナが特に目立った行動を起こしていなかった。
その点で警戒心は以前に比べれば多少はマシと言ったところだろう。
場の空気が何とも言えない状況になったのを敏感に察したスバルは、話題を大幅に切り替える。
「それで皇帝陛下はどんなご用件で? 護衛も引き連れずにこんなところで、お仕事は大丈夫なんですか」
「問題ない、少なくとも数年分は既に済ませてある。それに護衛を連れずにここに来ることをチシャが許すはずがないだろう?」
そうアベルはまるで簡単なことのように言うが、皇帝の業務量の多さは言うまでもなく目を見張るものがある。
だがアベルに言わせてみればそれは既に一度こなした仕事だ。
施策とその結果を知ったうえでの行動で、彼が後れをとるようなことがあるはずもなかった。
必要なものを必要な場所に配置し、効率よく運用すれば一月二月の余裕も生まれるという物。
まして帝国は元よりアベルの身に何かあっても運用できるようにすでに用意がなされており、故にこうしてこの場にいるのである。
護衛の選出に関しても、アベルに一切の抜かりはない。
「護衛としてグルービーとアラキアを連れてきている。王城での一件を報告するためアラキアは席を外しているが、少なくとも帝国まで逃げ帰る分には問題なかろうよ」
広範囲戦闘を得意とし、ラインハルト相手でも時間を稼げるアラキア。加えて魔道具の扱いに長け様々な状況に対応できるグルービーが一緒に来ているのであれば、確かにアベルがこの場に来れたのも納得がいく。
室内にグルービーがいないのは、ロズワールに対して敵意が無い事を証明するためだろうか。
少なくとも隣の部屋には待機しているのだろうとは思いつつ、スバルは先日の一件を思い出す。
この世界は前回と同じようには動いてくれないのだ。
「気を付けろよ何が起きるか、なんも分からないんだから」
「未来とは元よりそのようなもの。覚悟の上で行動している。ここに来たのは認識のすり合わせを行うためだ」
スバルの言葉を受けても、アベルは何を当たり前のことを、と言わんばかりの態度を見せる。
星詠みに己の運命を予言されていながら、それでも帝国の為に最大限の努力をして見せた男だ。
そんな彼の口にする言葉は重たい。
改めて凄い男だと思いつつもそれを認めるのが癪にさわり「そうかよ」とスバルが口を出せば、アベルはそんなスバルの言葉を鼻で笑って見せた。
「仲がいいのは良いことかしら。でもいつまでたってもその態度じゃ、話が進まないのよ」
「ベア子、オレとこいつが仲がいいなんて冗談は──」
「もうそのやり取り飽きたのよ。いいから話を進めるかしら」
皇帝陛下がわざわざロズワール邸まで足を運んだのは、ナツキ・スバルの存在があってこそだ。
元よりいまこうして話をする二人の関係性を見れば、皇帝が誰を目的として来たかは彼の口から語られるまでもない事実だった。
ベアトリスやレム、メィリィにいたるまでが心配症な皇帝が、スバルの身に何か起きたのではないかと万が一の為にやって来たのだと確信している。
自分も逆の立場であれば同じようにしただろうと三人は思っていた。
なんにせよ、そうして記憶を保持している皇帝とスバルとの交流がある程度済み、状況がまとまる。
すると一番に疑問を口にした者が一人。
それはこの現状に置いて行かれ、沈黙を守るしかなかったエミリアだった。
「あ、あの私はエミリア。ただのエミリアといいます。皇帝陛下がどうしてスバルに会いにここへ? それにスバルの為にここに来たって……」
彼女にしてみれば、隣国の皇帝がいきなり目の前に現れたこと自体が衝撃だった。
その上皇帝が気にしているのはエキドナでもロズワールでも、ましてや自分でもなく、ただスバル1人の事だったのだ。
ナツキ・スバルという少年の事についてエミリアが知っていることは多くない。
だが一般常識として、皇帝と友達のように会話をするのがどれほどの事なのか、エミリアにも多少は理解できる。
屋敷から出ているところをあまり見ないベアトリスが知り合いのようにスバルとアベルの間に入ったのも気になるところではあったが、大精霊の彼女であればそんな事もあるのだろうと飲み込むことは出来た。
だがスバルは? いったいどうして皇帝とそこまで親密な間柄を築くことが出来たというのか。
そんな疑問を持って投げかけた質問に対し、アベルは今日初めて嫌悪に近い表情をエミリアに向かって浮かべた。
「…………チっ、そういう事か。やけに白々しい態度を取ると思っていたが、なるほどな」
「気分を悪くさせたならごめんなさい。私スバルの事を何にも知らないから、皇帝陛下とスバルがどんな関係なんだろうって」
エミリアが疑問を口にするたび、アベルの顔は更に険しいものへと変わる。
それはまるで恩を忘れた人間を見るような、そんな目線だ。
いわれのない感情を前に反射的にエミリアも防戦の構えを取るが、そんな彼の目線が一瞬だけチラリとスバルに向けられる。
それが自身に向けるのとは全く別の、憐れむような目線であったことに気が付き、エミリアは何もできずに体が固まる。
大きくため息を吐いたアベルはエミリアのことなど眼中にないと言いたげに視線を外し、スバルに対して問いかける。
「おい、どうするつもりだ?」
「どうもこうもしねぇよ。エミリアたんはいつだって最高なんだぜ」
頓珍漢な返しをするスバルだったが、アベルの言葉の意味をしっかりと理解した上での返答であることは目を見ればアベルにも理解はできた。
貴様であればそのような考え方をするだろう。そう思いつつも、それをそのまま流すことが出来ない理由がアベルには合った。
「そういう話ではない。しかしこうなると面倒だな……貴様、王になる腹積もりはあるのか?」
「も、もちろん。私は王様になってこの国を誰にでも公平な国にして、それで──」
「その道がどれ程の物なのか、分かっているのか?」
アベルはただまっすぐにエミリアの目を見つめる。
その目は剣狼達の王になるため命を懸けた、熾烈な争いに勝利した皇帝としてのものだ。
王とは何たるか、それを説くアベルの言葉に対してエミリアは返事を返すことが出来ない。
たった一言。それなのにアベルの言葉は、彼女の根幹になんとなくあった甘い考えを、その重みで圧し潰した。
「王とは国の為、必要であれば全てを断じて己のなすべき事をなさねばならない。その覚悟があるのかと、そう聞いている」
アベルの問いかけに対してエミリアは逡巡する。
言葉を発することすらできない。それは己がいかに無力なのかを痛感させられた、王選の間での一幕を思い返しているからだろう。
スバルがあの場に居なければ、一体どれほどの被害が出ていたか。
パックの力を借りられない自分に、いったいどれほどの事が出来るというのか。
自分よりも遥かに力のないスバルは、あの場にいる全ての人間の為に己の命を投げ出した。クルシュはその隣に立って戦ったし、プリシラはスバルを言葉で助け、魔法をかけて戦えるようにした。
フェルトとアナスタシアは直接戦闘こそしなかったが、従者を励ましスバルを助け、現在は王都で復興作業に従事していると聞く。
あの場にいる誰もが己の役割を持って仕事をこなし、将来の王として為すべきことを為していた。
それにもかかわらず、エミリアは己が何も出来ていなかったことを、ずっとずっと恥じていた。
故に言葉を己の内側でかみ砕き、なんとか咀嚼して言葉を返そうと口を開く。
だが喉から音が出る事はない。
エミリアが何度かそうしているうちに、見かねたスバルが横から割って入ってきた。
「帝国と王国は王に対して求められるものが違う。そんなのいまさらだろ」
「違うな。少なくとも、あの女はそのあたりを理解していた」
アベルの口にする『あの女』とは帝国で初めて会った時のエミリアの事だ。
スバルを追いかけてやってきた彼女は少なくとも王として己がどのような存在になるべきなのか、己の騎士に対してどのように相対するべきなのかを理解していた。
アベルから見れば、一国の王として甘い所だらけではあった。だが、その脇の甘さをもってしても『周囲に助けたいと思わせる力』、そして『王として自立する力』が彼女には有ったのだ。
だが、今のエミリアにそんな未来の話など知る由もない。嫉妬の魔女だと後ろ指を指される時のように、己の知らない誰かと見比べられる感覚。じゃあどうすればいいのかと、彼女の胸の内には当てどもない感情がこみ上げる。
「皇帝陛下、その辺りでエミリアをいじめるのは勘弁してもらえないかい? 懸念していることについてはこれから私たちが教えて行くとも」
「──駄目だな、そんなには待てない」
エキドナの助け舟すらも、アベルからしてみれば当てにならない言葉だった。
確かに数年待てば、以前と同じようになるかもしれない。
だが、それでは事態がどうなるか分からないのだ。
「最近帝国内に反政府勢力とでも言うべき忌まわしい火種が出来始めている。公平さを叫び、非力な人間でも暮らしやすい世界を。などと世迷い言を発している者達が急増している」
彼がこの場に来たのはナツキ・スバルの記憶と存在を確認するため。だがそれと同時に、自分の知らない未知の現象に対応するため、エミリア陣営の力を──正確にはスバルの力を借りる必要があったからだ。
いまのエミリア陣営がスバルを貸し出せないことなど百も承知している。
無理矢理他国の人間を、それもそれなりの地位にある者を帝国に引っ張ってきたとなれば、国際社会における帝国の信頼失墜は免れない。
故にアベルは表立って招き入れる事の出来る程度の立場に、スバルを早急に押し上げようとしたのだ。
だがそんなアベルの事など知る由もなく、スバルが疑問を投げかける。
「帝国も平和路線に舵を切るってことか?」
「たわけたことを抜かすな。影響されているのは若年層ばかりでいまは内々で抑えているが、裏で手を引いている物がいるのは間違いない。おかしな金の流れや人の移動、知りも知らない商品の販売を始めとしてきな臭いことだらけだ」
それはスバルでは到底知りえない情報。
国を治める立場のアベルだからこそ知りえた、この世界の異変だ。
そして仮にそれがスバルたちの敵対者が起こした行動なのであれば、そのあまりに理性的な行動は大罪司教ではない新たな敵の存在が生まれたという事実に他ならない。
直接的な武力で解決できる問題であれば帝国でも十分に対処が可能だろう。
だがパンドラのように武力でどうこうならない相手を前に戦うのであれば、スバルの発想力を始めとした力はアベルにとって不可欠であった。
「王選がどのように行われるか等微塵も興味はなかったが、王国に統治者がいない状況で下手にこの流れが大きくなれば帝国にとっていい迷惑だ」
「理由は分かったけど、それでも無茶だぜ。いきなり王にしようっての。それにエミリアをお前の都合で振り回そうとするな」
「分かっている。だが期待を向けてやるのがお前の仕事だろうナツキ・スバル。そこな女がいまだ王の器足りえないのはこの目でしかと見た、であれば俺がこの屋敷に居られる限界──2週間以内に王の器の片鱗でも見せて見ろ。そうすれば皇帝として正式に王の候補者と認め、今後の関係も続ける見込みは立つ」
これはアベルからすれば、スバルの力を手に入れるための交渉だ。
故に、2週間の期限を設ける必要などない。即座にエミリアを王に推薦しても別に問題はなかった。
だが剣狼の王としての矜持が、王たる責務を理解しない者を玉座に座らせる事を拒んだ。
与えた期間はエミリアへの期待の期間であると同時に、「スバルならばなんとかするだろう」と考えての期間でもある。
もちろんスバルが死に戻りをすること自体を望むわけではない。しかし、事態はそれほど深刻なのだとエミリアとスバル、その両方に分からせるには必要なことだった。
王選の場と同じ状況だ。だが、その視線に込められたものは「期待」。エミリアを王として背中を押したい者達だけが、この場に集まっている。
だからこそエミリアは己の胸の内で決意の火をともす。
「やってみせるわ。ぎゃふんと言わせてやるんだから」
「口で言うだけなら誰だってできる。ゆめゆめ忘れるな、己を王にするためにどれだけの人間が力を貸しているのかを」
こうしてアベルによる王とはなんたるか。
それを問うための問答の2週間が幕を開けるのであった。