スバル「強くてニューゲー……これ本当に強い?」   作:空見大

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ただのエミリア

 スバルが放置したままにしていたフレデリカの記憶の齟齬。

 それについて聞くべきか迷っていたスバルだが、彼女が話をしたいというのだからそれほど大切な話なのだろうと黙ってうなずく。

 するとフレデリカはゆっくりと語り始めた。

 

「私が記憶しているのはエミリア様が王になったその瞬間、そこまでです。まずはざっと、私が知っているスバル様を説明いたしましょうか」

 

 フレデリカの口から語られた話は、まるで自分のことを言われているようにはスバルには感じられなかった。

 全ての物事を完璧に言い当て、解決策を提示し、ありとあらゆる行動を的確にこなすその様はまさに全知。

 

 己の力を正確に分析し他者を動かし、陣営間の戦いに勝つためにフェルトを追いやり、ラインハルトという手駒を手に入れたその様は、まさにこの世界で死に戻りすることを躊躇しなくなった結果生まれた怪物だ。

 全てを救いたいと願い行動を起こす今のスバルとは違い、エミリアを王にするためなら全てを利用するという意思のこもったその様はまさに強欲といえるだろう。

 

 動きが変わった時期とその当時を思い返し、スバルはその世界線を辿った自分が何故そのような行為に走ってしまったのかを理解する。

 

(──契約を結べば、オレもそうなってたってことか)

 

 墓所においてエキドナに提示され、スバルが直前になって断った契約。

 うすうす感じた嫌な予感を頼りにして断ったはいいが、その結果がフレデリカが語った世界線なのだとしたら、まさにファインプレーと言うほかない。

 

(フレデリカの言ってたことが俺がもし他の選択肢を取っていたら。なんて世界線だとして、そんな記憶があるのはフレデリカだけか? 仮に別の世界線で何か大きな失敗をしていたら──)

 

 自分の人生はいつだって綱渡りで、成功していたのが奇跡のような人生だったとスバルは理解している。

 もしもを考え出せば誰しもが敵の世界線が見えてくるようで、それが怖くて意識を一旦思考の海から戻したスバル。

 そんな彼の頭に浮かんできた疑問は、どうしてそんな話をしてきたのかという単純なものだ。

 

「……この話をしたのは、エミリア様が心配な以上にスバル様が心配だからです」

 

「俺が?」

 

 フレデリカの言っている言葉の意味が分からずにつまるスバル。

 だが彼女はそんなスバルの様子にうなずいて言葉を続ける。

 

「ええ。いまのスバル様はあの時のスバル様と同じ目をしていらっしゃいます。エミリア様の不安も、迷いも、全てを先回りして取り除かれていたあのときと。私はスバル様にそう在ってほしくありません。この屋敷で会って2週間近くずっと私はスバル様を見ていました。温かく、人懐っこくて、力を貸してあげたくなるあなたの姿を」

 

「……俺はそんな上等な人間じゃないよ。現にエミリアを立ち直らせてあげることも出来てないし」

 

「それでもエミリア様のために優しく声をかけ、お菓子まで作ってあげる姿は以前のスバル様からは感じられなかった優しさです。私はそんなスバル様が好きですし、ぜひそうあって欲しいと思っています。だからこそ心配なのです」

 

 死に戻りを繰り返せば当然精神は疲弊する。

 一度の死でさえ普通の生物ならまともに耐えられず、数回も死ねばそれだけで死に戻りなんてしたくないと喚き散らすだろう。

 

 スバルが死に戻りをしても正気を保っていられるのは強い目的意識と、残念なことに死に対して一種の慣れのようなものができてしまっているからだ。

 エキドナもベアトリスも、そしてフレデリカでさえもそんなスバルの慣れをどこか見抜いており、ゆえに不安な気持ちをこうしてこぼすのだろう。

 

「エミリア様のためを思って行動されているのは見ていてよく分かります。メイドの身分たる私がこのようなことを口にするのは許されることではないと分かっていますが、きっとエミリア様はスバル様に怒られるのを待っているのではないでしょうか」

 

「オレに怒られるのを?」

 

「はい。私の知るエミリア様は依存心が強く、全ての価値基準をスバル様に置いていました。貴方が黒いものを白だと言えば妄信的にそれに従ってしまうほどに。いまのスバル様がそれを避けるために程よい距離感を持って接しているのは見て取れますが、それではきっと遅かれ早かれ同じような状況になるかと。いまは強い言葉でもいいから、思いを伝えてあげるべきです」

 

 フレデリカの言葉は語気こそ強くないものの、その瞳に込められた思いはスバルをして一歩退いてしまいそうになるほど力強いものだった。

 

 異なる世界線で一体何があったのか、そこで彼女が何を見てきたのか。

 スバルが知っているもしもの世界は所詮フレデリカの口によって語られたものでしかなく、優しい彼女のことだからきっといくつも知らない話があるのだろうということはスバルとて想像がつく。

 フレデリカがいまもずっとつらい表情をしているのは彼女もエミリアの心がいまどれほど乱されているのかを分かっていて、そこから立ち直るのがどれくらい難しいことなのかを分かっているからだ。

 

「もしスバル様が心苦しいようであれば、私が代わりにさせていただきます」

 

「……いや、俺の責任だ。ありがとな、気を使ってくれて」

 

「お気になさらないでください。エミリア様を立ち直らせるために必要なことがあれば、なんなりと私にお申し付けくださいまし。最大限の協力をさせていただきますわ」

 

 差し出されたフレデリカの手を取り、スバルは強く彼女の手を握りしめる。

 それからの動きはいつも通りエキドナの自室を訪れ、ベアトリスに事情を説明し、アベルの部屋へと向かう。

 

 効率化された説明と状況の共有は自然と三者にスバルの死に戻りの回数を伝えるが、いたって平静を装いながらスバルはそんな三人の前で言葉を並べて見せた。

 結局スバルが自室に戻り瞳にうっすらと涙を浮かべるベアトリスと共に眠れたのは、日が上がりかけてからだ。

 いつかと同じように部屋に篭るエミリア。だが夜も更けてきたころ、そんな彼女の部屋の前に立つ男が一人。

 

「──エミリア。起きてるか?」

 

 軽いノックと言葉には返事がなく、冷たい空気だけが部屋の隙間から漏れ出てきていた。

 部屋の中に人がいる気配は感じられるので脱走したわけではない。

 ただただ言葉を返す気力もなく部屋の中で静かにうずもれているだけだ。

 以前ならここで諦めて部屋を去っていたスバルだが、それではだめだと自分に言い聞かせてもう一度扉を強く叩く。

 

「起きてるんだろエミリア。開けてくれ」

 

 開けてもらえるまで何度だって扉を叩くつもりでいたスバル。

 そんな彼の決意を感じ取ったのか、部屋の中からゆっくりと何かが動くような音が聞こえる。

 

「……なぁに、スバル。私寝てたんだけど」

 

 扉が開けられることはない。

 壁越しに聞こえるエミリアの声はひどく冷たく、まるで感情が読み取れなかった。

 ここまで無意識に避けてしまっていたエミリアの最も底にある感情を前に、スバルはこれを放置してしまっていた己の不甲斐なさを嘆くほかない。

 だがすぐに今ならばまだやり直せると考えを改め、スバルは扉に手を当ててエミリアに語り掛ける。

 

「ごめん、どうしても君のことが心配になって。昨日パックから聞いた、当分出てくることが出来なくなるって。パックが出てこないんだろ?」

 

「──そっか、スバルにはもう教えてたんだ。ふふっ」

 

 エミリアは楽しそうに笑う。

 だがそれは台本を読み上げているだけのような不気味な異質さで、同時にスバルに対して怒りをはらんだ声音でもあった。

 言葉に詰まるスバルを前にエミリアはそれならばと、続けて言葉を重ねる。

 

「パックは私に呆れちゃったみたい。今日の朝、起きたらパックがいなくなっててただ一言だけ『ごめん』って、それだけ書き残して消えちゃった。私が……私が王様の器じゃなかったから」

 

「それは違うよ、アイツは君のためを思って──」

 

「──スバルに何が分かるの!?」

 

 エミリアの怒りと共に、扉の隙間から凍てつく冷気が暴風と共に吹き荒れる。

 スバルが手を添えていた扉はあっという間に凍り付き、咄嗟に距離を取ったものの足首や手のひらは氷結によりかなりの痛みを訴えかける。

 

 一言でも間違えれば今後の関係性を大きく歪めかねない状況。

 何を話すべきか考えようとして──スバルはそれをやめた。

 落ち着いて物事を見られるようになったのは騎士としての長い経験ゆえのものだが、それが原因で伝えるべきことを伝えきれていないと感じたからだ。

 

「わかるよ! パックと同じくらい君を大切に思ってるから、いまこうしてここに来てるんだろ!?」

 

 扉に拳を強く叩きつけ、スバルは吠える。

 氷結した扉を叩いたことで傷口はひどい有様になっているが、そんなことをまるで気にしないスバル。

 パックにも認められたようにエミリアを心の底から思う気持ちは、今も昔もずっと変わらずスバルの中で一番だ。

 

 ゆっくりと音を立てて扉が開く。

 スバルの視界に見えたのは心の内を表したように真っ暗な瞳と整っていない髪に、ぐちゃぐちゃの感情をなんとか表情に出さないように精一杯押し留めているエミリアの姿だ。

 

「スバルは、どうして私のためにそんなに必死になってくれるの?」

 

 凍りついた足元も、傷だらけの手も、スバルがどれだけ隠そうとしても見えるものはある。

 ナツキ・スバルという青年がそんな傷を負いながらも、どうして自分のために動いてくれるのか。

 ずっと考えていたのにまるで分からず、エミリアはもう何が何だか分からなくてスバルに問いかける。

 

「俺が君に救われて、心の底から君が大切だからだよ。俺はエミリアを王にしたいと、本気でそう思ってる」

 

「──────」

 

 スバルの言葉は、そんなエミリアの心に深く突き刺さる。

 嘘だとそう言いたかったのに、そんなことを言わせないほど真っ直ぐなその言葉は、嘘だと断じることすらさせてくれなかった。

 目の前の人物は本当に本心からそう口にしているのだと、エミリアに思わせたのだ。

 

「スバル。私、パックがいなくなっちゃって、それで、誰も頼れる人がいなくて」

 

 涙は出ない。

 ただ言葉だけが漏れ出ていくだけだ。

 

「私一人じゃなにも出来ないのに、パックがいてくれないと私一人じゃ、なんにも──」

 

 言い訳がましい言葉はエミリアの脳を巡り巡って、文にもならない言葉をスバルは黙って聞く。

 

「だから私、スバルに決めて欲しいの。私どうすればいい? スバルなら信じられるから、だから。……ねぇスバル、私どうすればいい?」

 

 ナツキ・スバルは間違えない。

 盗品蔵でも王選の間でも誰よりも強く、賢く、勇敢だった。

 ラインハルトさえ彼の指示を聞き、エキドナですらスバルの知恵を頼り、パックが最後に自分を任せた男性。

 

 彼の言葉を聞けば間違えないはずだった。

 つらい言葉を投げかけてくるアベルもスバルならどうにかしてくれるはずで──

 

「──知らねぇよそんなこと。俺はパックの代わりじゃねぇ」

 

 決死の覚悟で放った言葉に対してスバルから返された言葉は、呆れからくるものだった。

 

 それからのことをエミリアは覚えていない。

 ボロボロの姿になったスバルが何も言わずに立ち去り、エミリアは急いで部屋の中に戻り扉を施錠して布団の中に全身を隠し、小さく丸まった。

 スバルに対して何かを喚き散らし、怒りのあまり手まで出して彼を傷つけたことだけは自覚している。

 

 取り返しのつかない言葉を口にしてしまった気もするが、何を言ってしまったのかもいまのエミリアには分からなかった。

 ただ一つ分かったことは、パックと同じくらい自分のことを大切に思ってくれていたらしい相手を、自分から突き放してしまったという事実だけだ。

 

(…………分からない。なんにも……どうすればよかったの?)

 

 気が付けば無意識のうちに結晶を強く握りしめる。

 パックがいたはずの場所。だがそこからはなんの力も感じることはできず、エミリアの孤独はさらに強くなった。

 

「ぱっく……」

 

 気が付けばエミリアは眠ってしまっていた。

 夢の中ではパックが居て──がいて、幸せな世界がそこにはあった。

 だがそんな幸せな夢の世界は、そう長くは続かない。

 

「────」

 

 コンコンと部屋のドアを叩く音が聞こえ、エミリアは反射的に飛び起きて扉の方に視線を向ける。

 外を見てみればまだ日が上がりきるかどうかといった時間帯。

 誰かが部屋に訪れるにしては随分と早い時間であり、エミリアは扉の向こう側の人間が誰なのか、怯えるように構えを取る。

 だが聞こえてきたのは予想だにしていなかった声だった。

 

「エミリア様、起きていらっしゃいますか?」

 

 声の主はフレデリカだった。

 ラムでもレムでもなく、スバルとは関わりが薄いはずの彼女がやってきたことに、エミリアは無意識のうちにホッと胸を撫で下ろしていた。

 身体は未だに重たく歩く気力もなかったが、スバルだったらと思って心構えしていたぶん心の方は多少マシだった。

 

 フレデリカだけじゃないかもしれないと窺うようにゆっくりと扉を開けると、少なくともエミリアから見える範囲では彼女の姿だけだった。

 

「エミリア様、体調はどうですか? 昨日は優れないご様子でしたが」

 

「心配かけてごめんなさい。いまはもうすごーく元気になったの、お腹も空いちゃった」

 

「そうでしたか。それは良かったです」

 

 フレデリカを心配させまいと無理をして元気になったことをエミリアがアピールすると、彼女は嬉しそうに笑顔を見せてくれた。

 騙しているようで心は痛んだが、それでも彼女が悲しむことに比べればエミリアにはいくらかマシに思える。

 

「とはいえ体調不良を相手に油断しているとあっという間に重症化、なんてことにもなりかねません。今日は私が一日付きっきりでお世話させていただきますので、もう一日だけゆっくりなさってください」

 

「……でも私、皇帝陛下のところに行かないと」

 

「この休養はアベル様の身を案じてのことでもあります。大丈夫だとは思いますが、熱ならなおのこと皇帝陛下の前に行くわけにもなりませんから」

 

 フレデリカの言葉は正論で、アベルの元に向かわないための言い訳を探していたエミリアには何より魅力的に映った。

 そういうことならと首を縦に振ったエミリアは、そうして久々に他者から与えられた休みを得ることとなった。

 

「それではまずお風呂から入りましょう。昼食と夜食はこの部屋で。精一杯お世話させていただきます」

 

 そうしてエミリアの一日はあっという間に過ぎ去っていく。

 フレデリカに言われるがままにお風呂に入り、気がつかないうちに冷え切った身体が芯までゆっくりと温まる。

 昼食はフレデリカが腕によりをかけて作ってくれた特製のご飯で、エミリアにとって初めて食べる料理ばかりだったが、そのどれもが彼女の好物になるほど美味しかった。

 

 屋敷の外が何やら騒がしい。チラリと目線を窓の方へ向けると何人かの人影が見えたが、フレデリカはそんなエミリアの視線を遮るように立った。

 あまりにも怪しいその動きにとっさにエミリアは問いかける。

 

「何かあったの?」

 

「村の近くで野盗が出たと、昨日報告がありました。なのでそれの対策にエキドナ様主導で動かれていると伺っています」

 

「……そう」

 

 ロズワールが支配する領域の多くはエリオール大森林という森であり、魔獣が多く暮らしているものの同時に悪い人間の隠れ家にはもってこいの場所でもある。

 どこからか逃げ延びた野盗が身を潜める場所として、候補の一つに上がるような土地であり、エミリアも特にそのことについて気にする様子はなかった。

 

 彼女の頭の中をずっと巡っているのはスバルのこと、パックのこと、それから屋敷の様々な面々のことだ。

 フレデリカはいつも通り、レムやラムもエミリアの部屋の窓から時折その姿が見えるが、そこにスバルの姿はない。

 

 意識して見たことがないから気が付かなかっただけか、それとも避けられてしまっているのか。

 ぐるぐる回る考えはどうにもこうにも答えにたどり着くことはなく、エミリアは再び眠りにつく。

 

 

 ──エミリアが部屋にこもり始めて3日目の朝。

 いつもならば誰かが起こしに来る時間になっても誰も来ず、エミリアは重たい体を引っ張って己の部屋の外に出る。

 正確な時刻は分からないが、普段であれば朝食を食べ終えているくらいの時間だろうか。

 たった二日部屋の中で過ごしていただけなのに体は歩き方を忘れてしまったようで、ゆっくりと一人で屋敷の中を歩くエミリア。

 

 何やら慌ただしい足音があちらこちらから聞こえてきて、エミリアは吸い寄せられるようにその足音が鳴る方向へと足を向ける。

 最終的に向かった先は1階の日陰になってあまり人が使っていない廊下。

 声が聞こえてくるのは外からで、視線を向けてみれば村の人間と楽しそうに遊んでいるスバルの姿が目に映った。

 

「────」

 

 屈託のない笑みを浮かべながら子供だけでなく大人たちまで巻き込んで楽しそうにしているスバルの姿を前に、エミリアは言いようのない感情を胸の内に抱える。

 楽しそうに遊ぶスバルをただただ一人でジッと眺めていると、どれくらい時間が経ったのか遊びが終わり、今度はエキドナやアベルを集めて何やら話し合いをしているのが見て取れる。

 

 真剣な表情を浮かべながらあれやこれやと話し合いをしているのを見る限り、どうやら昨日の野盗関連の話をしているらしい。

 入れ替わり立ち替わり様々な人がスバルの元にやってきて相談し、答えを得たような表情で帰っていくその様は、エミリアの持つスバルへの認識が何も間違っていなかったことを肯定する。

 誰からも頼られ、誰も見捨てず、その様はまさに英雄のそれだ。

 

「──エミリア様、こんなところにいらしたんですか」

 

 ふとそんな声をかけられてエミリアはハッと窓から視線を逸らす。

 声をかけてきたのはフレデリカで、口ぶりからどうやら自分を探していたのだとエミリアは判断する。

 先程まで見ていた視線の先を探られないように、エミリアは急いで窓際から離れた。

 

「おはようフレデリカ。急にいなくなってごめんなさい、元気になったから少し身体を動かそうかなって」

 

「そうでしたか。お気になさらないでください。朝食がまだでしたよね? 召し上がりますか?」

 

「ううん、お腹空いてないからまだ大丈夫。ありがとうフレデリカ。それにしてもみんななんだかすごーく忙しそう」

 

「──野盗が屋敷の近くまでやってきたそうです。エミリア様は自室にて待機するようにとエキドナ様からのお達しです」

 

「……そう。分かったわ」

 

 パックがいたなら戦うこともできた。

 だが一人きりになったエミリアでは戦闘が起きても邪魔になるだけで、エキドナが部屋にいるようにと言うのであればそうした方がいいのだろう。

 案内されるがままにエミリアは自室へと戻る。

 

 勇気を出して部屋の外へ出て知ったのは、自分がいかに間違いを積み重ねているかという事実だけだ。

 フレデリカはお話をしましょうと言って椅子に座り、他愛のない会話を積み重ねて時間を経過させる。

 気が付けば()()()()()()()()()()()()になっていた。

 

 エミリアは知らない、この後何がやってくるのかを。

 本来なら教えてくれるはずの人間を己から突き放してしまったがゆえに。

 遠くから聞こえる何かが大きな声で鳴くような音が、屋敷の窓を強く震わせる。

 

「──なんの音?」

 

 椅子から立ち上がりそう口にした瞬間、耳をつんざく爆音と共に、立っていられないほどの衝撃がやってくる。

 普通じゃ到底考えられないような衝撃を受け、反射的に窓の方へ駆け寄るエミリア。

 彼女の視界に映ったのは燃え盛る中庭をぐちゃぐちゃに荒らす巨大な白い鯨と、そんな鯨の周りで動き回る何人かの人影だ。

 

「なんっ──フレデリカ! みんなが!!」

 

 見えたのはスバルとベアトリスだけだが、何人かが戦っているのは見てとれた。

 魔法が放たれるたび白鯨の巨体は大きくのたうち回り、美しかった庭を火の粉と共に蹂躙する。

 咄嗟にフレデリカに助けを求めるエミリアだったが、フレデリカは唇をキュッと引き結びエミリアの言葉に答えないまま扉の前に立つ。

 何をしているのか理解ができず、エミリアはただ問いかけることしかできなかった。

 

「フレデリカ……?」

 

「いまのエミリア様が行っても被害を広げるだけです。気持ちは分かりますが、ここで待機を」

 

「そんな、なんで!? みんなが、スバルが戦ってるのに──!」

 

 パックのいない自分では戦力にならないことなど、エミリアは痛いほど理解している。

 だがそれならスバルはどうなのだ? あの非力でか弱い少年は、エミリアが無意識に漏らした冷気にすら怪我をしてしまうようなあの少年は、誰が守るというのだ?

 だが叫ぶエミリアに対して、フレデリカは淡々と言葉を返す。

 

「そのスバル様から、エミリア様を頼むとそう言われています」

 

「な……ん……で……っ」

 

「貴方なら立ち直ってくれるから、自分なんかに依存しなくても一人で立てるはずだから。だから立ち直れるまでは自分がエミリア様を守ると、そうおっしゃられていました」

 

 スバルから向けられる期待の重さを、エミリアは受け止め切ることができない。

 

「スバルは私が『スバルしかいない』って言っても、『俺はパックの代わりじゃない』って、そう言って……」

 

「……依存が向かう先は、どこまで行っても破滅の道です。エミリア様もきっと、独り立ちする時が来たんですよ」

 

 人はいつまでも子供のままじゃいられない。

 どこかで自分の足で立って生きていく必要がある。

 たとえそれがどれだけ辛い道のりであったとしても。

 

「私一人じゃ、どうすればいいかなんて──」

 

「──危ないッ!!!」

 

 エミリアが言い終わるより先に、中庭側の外壁が爆ぜた。

 圧倒的な質量によって吹き飛ばされた外壁は室内に崩れ込み、エミリアを庇うようにして咄嗟にフレデリカが前に出て──

 

 

 

 鼻を突く嫌な臭いと、壁を隔てないことで全身を震わせる白鯨の鳴き声が聞こえ、エミリアは痛む身体を無理やりに起こす。

 一体どれくらいの間眠っていたのだろうか。

 夕焼けは既に地平線の彼方に落ち込み、辺りはすっかり夜に変わっていた。

 瓦礫まみれの部屋の中では同じように倒れているフレデリカの姿があったが、半分獣化した彼女の体にはいくつも痛々しく瓦礫が突き刺さっている。

 

「……生きてる!」

 

 なんとか体を起こしてフレデリカの体に手を当ててみると、微かにではあるが鼓動が感じられる。

 半獣化したことが功を奏したのだろう、普段通りの姿であれば死んでいた可能性も十分にあった。

 

 もはや外と内を隔てる役目を放棄した外壁からは外が一望できてしまい、燃えているロズワール邸や空を飛ぶ3匹の白鯨の姿が嫌でも目に留まる。

 一匹でもあんなに強かった相手が三匹になっており、屋敷まで火の手が回っているという異常事態を前にして、エミリアの心は考えることをやめてフレデリカの救命措置を無意識に選択した。

 

 散らばったカーテンを傷口に当て、骨折しているだろう箇所に添え木を当て、なんとかフレデリカだけでも助けようと動くエミリア。

 そんな彼女の懸命な処置が効いたのか、苦しそうだったフレデリカの呼吸がほんの少しだけ穏やかなものに変わる。

 このままこの場に放置しておくわけにもいかず、とはいえ屋敷のどこが安全なのかすらもいまのエミリアには分からなかった。

 

 ひとまず壁が崩れておらず火の手が届かなさそうな二部屋隣のベッドにフレデリカを運び、万が一の場合衝撃を少しでも和らげるために窓際に家具を集める。

 時折エミリアを呼ぶような声がフレデリカから聞こえるが、彼女の意識が戻ることはない。

 

(誰か──回復魔法が使える人を探さないと!)

 

 そんな思いに駆られて廊下へと飛び出したエミリア。

 三階の端まで火の手が届くことはないものの、じんわりと身体に熱がこもるほどの熱気があたりに充満している。人を見つけるために急いで二階へと向かったエミリア。

 そんな彼女が見つけたのは、いま一番会いたくない人物だった。

 

「エミリア……っ! どうしてここに!?」

 

 スバルはエミリアを見つけると同時に、その腕を強く握りしめて近くの部屋に隠れるようにして入り込む。

 暗くてその表情を見ることもできないが息遣いも荒く、相当に焦っているのが感じ取れた。

 そんなスバルに対してエミリアは、彼ならば助けてくれるかもとすがるように言葉を口にする。

 

「スバル! フレデリカが私を庇って怪我してるの!!」

 

「落ち着けエミリア! フレデリカは死なない!! それよりも早くここから逃げないと──」

 

 スバルからしてみればエミリアが部屋の外に出てきたのは大きな誤算だ。

 フレデリカに準備をしてもらいわざわざエミリアを部屋の中に閉じ込めたのは、あそこがこの屋敷の中で最も安全だと知っていたから。

 そんな場所に飛び出てきたことなどエミリアは知る由もなく、むしろフレデリカをないがしろにするスバルに対して怒りの表情を見せる。

 

「どうしてそんな事が言い切れるの!? あんなに血が出て、苦しそうなのに!」

 

「分かるんだ! 説明するのは難しいけど、フレデリカは絶対に死なない!!」

 

 どうしてそんな事が言えるのか。

 怪我も見ていないのに、状況を知っているわけでもないのに。

 自分に対して見せてくれた彼の優しさは自分にしか向けられていなかったのか? それとも本当にフレデリカは大丈夫で、彼は何らかの手段でそれを知っているのか?

 考えれば考えるほどに理解ができなくて、エミリアはもう何を信じればいいのかも分からなくなっていた。

 

「……もう私分からない。どうしてスバルはいつもそう言い切れるの? 私は間違ってばかりで、何も決断できないのに、フレデリカのことだって私は……」

 

「…………エミリア、キミが悩んでるのは分かってる。苦しんでるのも。でもいまは安全な所に──」

 

「──スバルには何も分かんないよ! スバルには!! 一人でだってなんでもできる……スバルに……は」

 

 エミリアの言葉は途中で途切れる。

 それは月明かりに照らされて今のスバルが見えたから。

 全身から血を流し衣服をボロボロにして、一目で先程のフレデリカよりも酷い状況だと分かる程の怪我をスバルは負っていた。

 

 本当になんでもできるのなら、目の前の彼はなんだ?

 瀕死になり今にも死にそうな体で生きているのが不思議なくらいなのに、それでも彼はなんのために戦おうとするのか?

 

 エミリアの脳裏を笑顔を浮かべたスバルの顔が横切っていく。

 目の前のスバルより少し大人びた、騎士の服を纏ったスバルの姿が。

 見たことがないはずなのに自分の記憶だと確信できる風景の気持ち悪さに頭を抱え、エミリアは己の内側で爆発した感情をそのままにスバルにぶつける。

 

「どうしていつも私ばっかり助けようとするの? どうしてそんなに傷ついて! 私スバルのこと何にも知らないのに……」

 

 何か下心があって付き従ってくれているのなら、エミリアも納得することが出来ただろう。

 幼いころから一緒に居て、それで今のような関係性を構築したのならそれだって納得できた。

 だがどうしてほとんど何も知らないと言っていいような関係性なのに、何度も自分のために命を懸けてくれるのか。

 

 いまこの瞬間だって死にそうなほどの怪我をしているのに、それでもどうしてこんな自分のわがままに付き合ってくれるのか。

 心の底からエミリアの言葉に対して、スバルは吐き出しかけた言葉を一瞬吞み込み、ほんのりと顔を赤くしたかと思うと意を決したように叫ぶ。

 

「──っ好きだからだよ! エミリア、俺はキミのことが好きなんだ!!」

 

「嘘! スバルは私のことなんて何にも知らないのに! それで好きだなんて言われても信じられない!」

 

「嘘じゃない。それに俺は君のことを知ってる。確かに昔のこととかはちょっと怪しいけど、レムやラムのために気を回したり、他人のために声を上げられたり、自分が傷つくことを分かっていても、いま傷つく人のために立ち上がれる子だってことを俺は知ってる」

 

 そもそもエミリアが気を回してロズワール邸に運びこんでくれなければ、スバルはユリウスの手によって騎士団で捕縛されていた可能性もある。

 王選の間でエミリアが声を出してスバルを応援してくれなければ、重ねていた死に戻りの回数は片手で済むような数ではなかっただろう。

 

 それは、エミリアは知らない自分の行い。死に戻りしたときのことを含めればスバルは何度も彼女に救われている。

 だがエミリアはもちろんそんなことを知らない。

 

「私は……そんなんじゃ……」

 

 口から漏れ出るのは今日何度目かの否定の言葉。

 もはや言いよどむこともなくなった自虐に対して、スバルはエミリアの手を強く握りその言葉の続きを遮る。

 

「キミがどれだけ自分を悪く言っても、オレは君を応援する。キミが挫けたら手を差し伸べるし、辛いならそばにいてやれる。俺は君のためだったらなんでもできる!」

 

 真っすぐな双眸が己の瞳に向けられて、エミリアは反射的に顔を背けた。

 スバルの言葉はエミリアには届かない。

 半魔として蔑まれ、一人ぼっちで過ごした過去を持つエミリアにとって真っすぐすぎる彼の言葉は、あまりにも綺麗で信じ切ることができなかった。

 

「ならどうして助けてくれなかったの!? 私じゃちっともダメで、アベルの言うこと何一つ上手く返せなくて、スバルならどうにか出来たでしょう!?」

 

 スバルなら──。

 気が付けば漏れ出ていたそんな言葉はエミリアの中にずっとあった言葉だ。

 王選の間でスバルだけが戦っているのがいやで、そのために他の人に頭を下げてお願いまでしたというのに、いまエミリアはそんなスバルに全てを押し付ける言葉を投げかける。

 

 だがスバルはいつも通り少し微笑むと、そんなエミリアの言葉を受け止めた上で誰よりも優しく声をかけてくれた。

 

「キミを信じてるから。俺は君に失望なんて絶対にしないし、どんなに打ちのめされても起き上がってきてくれるって信じてる」

 

「ムリだよ、私にはそんなの……」

 

「本当にどう頑張ってもムリなら、落ち込んでへこんで、どうしようもないくらいに泣いて、泣いて、エミリアが泣けなくなるまで傍にいる。マイナスからのスタートでも、君とならきっと歩いて行けるから」

 

「信じられない! パックもみんなも! あの時それで良いって言ってくれたら私まだ歩けたのに! どうして、どうして……」

 

 スバルを信じさせてほしい。

 そんなエミリアの願いは、いま目の前にいるスバル本人によって拒絶されたのだ。

 信じて、どうすればいいか教えてくれたら、それで自分はきっと頑張れたのに。

 フレデリカが言った依存は破滅の道だという言葉も、それでもいいとすら思えたのに。

 

 涙があふれ出し、子供のように泣きじゃくりながらエミリアはスバルの服を強く握りしめて叫んだ。

 そんなエミリアをスバルは優しく抱きしめる。

 

「信じるのって辛いよな、裏切られるのって怖いよな、居なくなるのって寂しいよな。どれも全部分かるよ、分かってあげられる」

 

「スバルに分かるはずがない!」

 

「分かるよ―ー全部、見てきたから」

 

 たった数ヶ月の付き合いなのに、一体私の何が分かるんだ!

 そう言いたかったのに、エミリアの心はスバルの言葉を無意識のうちに、事実として受け止める。

 きっと目の前の彼は最初から知っていたのだ。エミリアがどんな人間で、何を求めていて、皆に期待される王様になるためにどうすればいいか必死に悩んで後悔している姿すら。

 

「一歩を踏み出す勇気が出ないなら、俺と約束しよう。俺は君を絶対に幸せにしてみせるし、キミの元から離れない」

 

 嘘だと訴えかけるエミリアの視線に、スバルは嘘じゃないと言葉を返す。

 永遠なんてものはないけれど、生きている限り続くスバルなりの彼女に見せられる最大限の誠意。

 信じられないと思うなら、信じてしまいたくなるほどに強く言葉で心を揺さぶる。

 

「明日の話を笑ってしよう。大変なことでもゼロからやっていこう。この国で誰より貧弱な男だけど、オレはお前を誰よりも信じてる」

 

「信じさせてくれるの? 私はスバルより何も出来ないダメな子なのに」

 

「世界中の誰よりも君を信じてる。君がいてくれれば世界はもっと良くなるよ」

 

 どれだけ突き放しても、けなしても、スバルはずっとそこにいてくれた。

 エミリアが一歩踏み出してくれることを信じて距離を置き、どうしようもなくなったら叱ってくれて、こうして死にかけても傍にいてくれた。

 

 そんな人がそこまで自分のために動いてくれるのなら、そんな人のために誇れるような自分でありたい。

 何にも上手くいかないけれど、どうしようもなく無力だけど、それでもそれを理解して、いつかあなたの隣に並び立てるような人になりたいから。

 もはや涙は止まり、エミリアは初めてスバルの瞳を真っすぐ見つめる。

 

 誰よりも優しく真っすぐに自分を見つめてくれるその瞳を、こんどは同じくらい信じるために。

 だからこそエミリアは有耶無耶にしていた関係性を終わらせるために、一世一代の告白をする。

 

「私の騎士に──なってくれますか?」

 

「もちろんだ。これから先君がどんな大変なことがあっても、俺がいの一番に君のところに駆けつけてみせるし、たとえ誰が相手でもオレは君を守り抜く」

 

 差し出された手は温かい。

 その手を握るだけで、なんでもできる気がした。

 その声で名前を呼んでもらえるだけで、自分がここにいてもいいのだと思えた。

 きっとこの瞬間のために、今日という日のために、これまでの人生はあったのだ。

 

「俺と一緒に行こうエミリア」

 

「──はいっ」

 

 屋敷に轟音が響き渡る。

 白鯨のうちの一体がスバルから漂う魔女の香りに惹かれ、屋敷の中腹にその体を強く打ちつけたのだ。

 計り知れない質量と速度を前に屋敷は簡単にその形を大きく変え、内部にあった全ての物をくしゃくしゃにしながら外へとはじき出す。

 

「──スバル君ッ!!!」

 

 あまりの光景を前にして居ても立ってもいられずに、暴食がいるにもかかわらず咄嗟に名前を呼んでしまうレム。

 だが次の瞬間には焦った彼女の表情は微笑みに変わる。

 吹き飛んで空に舞う瓦礫の中に浮かぶ異質な氷の塊。それがゆっくりと空から落ちてくると同時に、二人の人影がその中に見える。

 傷だらけでもう少しでも傷を負えば倒れてしまいそうなほどなのに、今日一番の笑顔を見せた二人がそこにはいた。

 

「さっきのは結構ムリかなぁと思ったけど、さすがエミリアたん!」

 

「もう。スバルったら、すごーく危なかったんだから」

 

 手を繋ぎ、戦闘していることなど忘れたように笑う二人。

 ウジウジしていたエミリアも、彼女のためにずっと悩んでいたスバルももうここにはいない。

 いるのはお互いを完全に信頼したいずれ王になる者と、それを傍で支える男だ。

 ベアトリス達の近くに降り立ったスバルとエミリアは、お互いの手をギュッと握りしめて白鯨の前に立つ。

 

「……間に合ったかしら」

 

 追い詰められて緊張していた面持ちのベアトリスは、それだけ言うと肩の力を抜いて大きく息を吐き出した。

 

「後は任せてくれていいぜベアトリス。二度目にして初めての、初陣補正があるからな」

 

 白鯨に大兎に暴食の大罪司教。

 以前よりも数倍まずい状況を前にしても、スバルの心に敗北の二文字が浮かび上がってくることはない。

 そしてこんな時の彼の強さを理解しているからこそ、ベアトリスは一歩下がると仲睦まじい二人の姿を見て満面の笑みを浮かべてみせる。

 

 かつての再演が出来ないのは残念だが、殻に閉じこもっていた自分だからこそベアトリスにはいまのエミリアの気持ちがよく分かった。

 

「ダメじゃない。あんなおっきな鯨に勝てるかどうかも分からないのに、簡単にそんな口約束しちゃって」

 

「いいんだよエミリアたん。二人でなら、守れない約束なんてないんだから」

 

 そうして改めて戦闘が始まる。

 いずれ伝説と呼ばれるに相応しいだけの戦いの火蓋が、いままさに切られるのであった。

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