燃え盛るロズワール邸の中庭で、スバル達は一秒すら惜しみながら動き回っていた。
周囲に控えているのはエミリアを始めとしてベアトリス、メィリィの3人。
対峙するのはこの世界で三大魔獣と呼ばれ恐れられている白鯨と多兎。
何度も死に戻りを繰り返した末にスバルが行き着いた結論は、このメンバーで何とかして2体の魔獣を討伐しなければならないというあまりにも無茶なもの。
これ以上多くても少なくてもどこかに綻びが出ることを知っているからこそ、スバルはここで決めるしかないとばかりに大声で叫ぶ。
「ベア子とメィリィは予定通りに!! エミリアは俺と一緒にあの上から見下ろしてる鯨野郎を倒す、オーケー?」
「うん分かった!」
言うが早いか空気中の水分をまるで苦労も見せずに固め巨大な氷の刃を生成したエミリアが、えーいと気の抜けた声を出しながら白鯨に向かってそれを投げる。
飛んでいった氷の刃は先程スバル達を攻撃してきていた白鯨の腹に深々と突き刺さると、白鯨の耳をつんざく嫌な悲鳴と共に中庭が紫色の血でグロテスクに染められていく。
「すんげー威力……」
初戦であること、パックの援助なしに初めて魔法を使うことを考えれば想像以上の威力であったが、それを嬉しい誤算として考えつつ現状を詳しくまとめるためにスバルは頭を働かせる。
この戦いをする上でこちら側に有利に働く要因が主に二つ。
一つ目は魔獣は何度も死に戻りをしたことで強くなるスバルの魔女の香りに当てられて、基本的にはスバルを集中的に狙おうとしていること。
これはいまもなお白鯨の猛追や多兎の攻撃が飛んでいることからも証明が出来ており、エミリアの援護が無ければ一分後にはスバルは魔獣の腹の中だろう。
二つ目は白鯨と多兎は協力関係にないということだ。
確かにこうしてロズワール邸の襲撃に参加しているこの二匹だが、知性の高い白鯨に対して多兎の欲求はただ一つ。目の前の物を食べること、ただそれだけだ。
閉鎖空間に追い込まれれば自らを捕食するような生物が仮に飼い主が同じだったとしても白鯨に対して攻撃をしないわけがなく、実質的な脅威度としては両者合わせても1.5倍程度だろうか。
普通に考えれば十二分に絶望的な状況ではあるものの、それでもスバルの目には勝機が見えていた。
「──合わせてくれエミリア、俺を信じて」
王選の間でも見せたナツキ・スバルの表情を前に、エミリアは微笑みを浮かべながらゆっくりと息を呑む。
信じろと言われなくとも信じている。
だけどそんな相手から信じてと言われて、自分のことを信頼していると改めて言われれば表情は緩んでしまう。
「────はい!」
「よし! じゃあいっちょやってやろうぜ!」
それだけ言うとスバルは中庭にある崩壊したコテージに向かってエミリアと手をつないだまま走って行き、瓦礫の山を駆けあがって白鯨の方へ向かって思いっきり跳躍する。
スバルの動きに釣られるようにしてエミリアが氷の足場を作り、スバルはそれができることを信じていたのか躊躇いなくその氷の足場を踏みしめる。
「さぁ行くぞエミリア!」
舗装されて出来上がった氷の道の行先はいまもなお苦しみながら空を飛んでいる氷の刃が突き刺さった白鯨であり、あっというまに同じ高さまで駆け上がったスバルは躊躇なくその背に向かって飛び込んだ──
「──────!!!」
たとえ分身体であろうとも、400年以上もの間人類を襲い続けた白鯨にとって足蹴にされるような屈辱は耐えられるものではない。
絶叫を上げながら身をよじる白鯨だったが、それを許さないとばかりにエミリアが再び氷の刃を生成すると今度は頭部に向かって思いっきり突き刺した。
「これで一体!」
「墜としたはいいけどこの後はどうするのスバル!?」
「兎がちゃんとこいつに食らいつくまでここで待機!!」
スバルの言葉を証明するように、燃え盛る屋敷の影や地面のあちこちから、無数の白い兎が姿を現し始めていた。
スバルの魔女の香り。そして墜落した白鯨が撒き散らす臓物の匂いに引き寄せられた多兎の群れだ。
カチカチと歯を鳴らしながらやってきた兎たちは瞬く間に白鯨の体に突き刺さると、その体を内側から食い破り始める。
己の体が食い破られる痛みに白鯨が大きく鳴くが、そんな鳴き声すらも多兎の歯の音に掻き消えていく。
その痛みを知っているからこそ一瞬眉をひそめたスバルだったが、視界に収まる多兎が全て白鯨に食らいついたことを確認してエミリアを抱え白鯨の体から滑り落ちて距離を取る。
道中何匹も大兎が攻撃を仕掛けてくるが、そちらはエミリアの魔法によって何とか撃退されていた。
走りながら距離を取りスバルはこの状況を締めくくるだけの一撃を持つ頼れる相棒の名を叫ぶ。
「ベアトリス!!!」
「任せるかしら。アル・シャマク」
呼ばれるのを待っていたとばかりにベアトリスが魔法名を唱えると、地面に倒れ伏した白鯨を中心にして大きく空間が歪み始めていく。
ベアトリスだからこそ使える影魔法の極致。
かつて多兎を討伐せしめた魔法により、再びかの魔獣は別の時空へと封印される。
一瞬の静寂が辺り一帯を支配するが、それよりも早く大きな鳴き声が再びスバル達の体を大きく震わせる。
中庭に残るのは中空でスバル達を窺う
戦力比から考えれば先ほどまでに比べてはるかにマシな状況ではあったが、これだけで攻略が出来るのであればスバルは何度も死に戻りを繰り返してなどいない。
「──アぁ!? これってさぁいったい何がどうなってるわけ? 僕たちの可愛いペットまで居なくなってるし、お兄さんの仕業かなぁ?」
邸宅の外壁を破壊しながら現れたのは、体を半分ほど焦がしたロイだ。
いくつか攻撃を受けた痕跡はあるものの致命的な傷を負っている様子はなく、まだまだ戦えるとでも言いたげに本人は笑みを浮かべながらスバルに向かってそんなことを問いかける。
わざわざ答えることなどしないスバルだったが、屋敷の方は一体どうなったのかと目線をチラリと向けてみればそこには見知った人物が立っていた。
「まったく、君たち兄弟のせいで我が家の美しい庭が見ての通りの有様だ。正直ボクは結構怒っている」
打ち壊された屋敷の外壁、その三階部分に立ちながらエキドナは暴食達を見下していた。
いつも着こんでいる真っ黒な彼女のドレスは動くのに足元が不自由だったのかスカートのようにひざ下が切り捨てられており、焼けた木材からでた煤で白い肌は所々黒く染められている。
強欲の魔女として名を馳せた彼女がどうしてここまで防戦一方になっているのか。
それはただ単純に彼女の持つ魔法の破壊力が極端であり、この屋敷や周辺住民を守りながらの戦いをするのに向いていないからだ。
「はっきり言って──不快だ」
「────―ッ!」
彼女が言葉を紡ぐたびに魔力を持たないスバルですら感じ取れるほど張り詰めた魔力が周囲を震わせ、さしもの暴食とてその圧力を前にたじろいでいる。
だがエキドナにはすでにまともに動けるほどの体力はなく、後から現れた彼女をずっと守っていたロズワールも既に満身創痍。
口元に余裕の笑みすら浮かべてみせるが、誰が見てもそれは空元気であることが分かる。
「スバル! キミにこれを預けよう」
「何言って──ちょまっ! アブねぇな!?」
ふとエキドナが手に持っていた杖を投げ捨てた。
彼女の体と同じ程の大きさを持つ杖は魔法使いにとって超一流の杖であるはずなのに、それが突き刺さったのは他でもなく魔力がほぼないスバルの足元だ。
脅威であるはずの杖が無為に捨てられたこと、エキドナという戦力がこれでまともに機能しなくなったことにロイは笑みを浮かべずにはいられない。
「そのお兄さんじゃさぁ、杖の一つもまともに扱えないよ」
「ベティの契約者はシャマクの一つくらい使えるのよ、舐めるんじゃないかしら」
「そのカバーはむしろ俺を微妙に傷つけてるぞベア子」
魔法を使えると言ってもそれはこの世界においてゲートが壊れていないという意味で使えるだけで、普通の魔法使いに比べることも出来ない程度の威力と才能しか持っていないのだ。
渡された杖に目を落としてみれば、どこかで見た覚えがあるような気もする。
記憶の奥底にあるような気はするのだが、それが一体何処だったか。
そんなことで頭を悩ませているスバルの横でベアトリスは分かっているとばかりに頷いてみせる。
「とりあえずスバルが持っておくのよ。タイミングはきっとスバルなら分かるかしら」
「いやそもそも使い方とかまるで分かんないんだけど!?」
「マナを込めてそこを押すだけかしら。誰でも出来るのよ」
「──動物ちゃん達は撹乱に徹するのよお!」
「鬱陶しいなぁ! 食えもしない不味い生き物をどれだけけしかけたところで無駄なんだよ!!」
知っていますとばかりに動き出したメィリィとベアトリスだったが、杖について何も知らないスバルは完全に状況に取り残された形だ。
メィリィはどこか懐かしさすら覚えるギルティラウの背中に乗って、ベアトリスは持ち前の戦闘能力を活かしてなんとかロイを抑え込みにかかっていた。
エミリアは中空に浮かびあがっている白鯨の方に攻撃を集中させており、こちらはスバルが見ている限り放っておけば勝てそうなくらいには安定している。
ボロボロのエキドナとロズワールは3階から事の成り行きを見守って戦闘に参加する隙を窺っているようだったが、下手に参加して前線を乱せばそれこそ危機になることを理解しているからか動く様子はない。
「──クソ、やることが多い!」
呟きながら己の内側にある権能にスバルが意識を強く傾けると、屋敷の中でいまもなお動いている反応が強く感じられる。
一階辺りを重点的に戦っているそれらは機会を窺うようにして動き回っており、スバルはそんなレム達に聞こえることを信じて大きく息を吸い込む。
「ライを外に追い出してくれ!!!」
状況は均衡し始めており、こうなってくるとライかロイのどちらかが逃げに転じ始めるのは既にいくつかのルートで予習済みである。
ここで暴食の二人は絶対に倒さなければならない。
そんな決意を抱いているからこそのスバルの言葉に対して、それを知らない中庭の面々にほんの少しの動揺が走るものの、そんなことはお構いなしとばかりに屋敷の一角が見事に吹き飛んだ。
吹き飛ばされたのはライで、その後を追いかけているのはレムとラムとグルービーである。
アベルから借り受け遊撃隊としてロイとライ両方の戦闘に参加を頼んでいたグルービーだったが、その仕事を彼が完璧にこなしているからかラムとレムの消耗は思っていたよりも相当抑えられていた。
これならば禁書庫で村の人間の隔離を手伝っているアベルを呼び出すようなことにはならないだろう。
「──やりました!!」
「よくやった!!」
これで中庭に全ての人員が揃った形になる。
一瞬の間全ての人間の動きがピタリと止まり、そして次の瞬間にはスバルの目では追うのがやっとの戦いが始まった。
一瞬の隙が生死を分ける状態を前にしてスバルが出来るのは頭を動かすことだけ。
森の中に隠れていた魔女教徒達は大半が多兎によって捕食されてしまっているのがスバル達にとっては大きなメリットだろうか。
「──―ッ、ピーキー過ぎんだろこの杖」
地面に突き刺さった杖を手にしたスバルは先程のベアトリスの言葉を参考にマナを杖に入れてみると、ほんの少しだけのつもりがごっそりとマナを持っていかれてほんの微かに杖の先が開く。
使い方はいまいち分からないが、少なくとも使ってみないことには何も分からない。
真っすぐにスバルが杖を向けた先は空に浮かぶ白鯨の本体の腹、杖の中腹に力を籠めれば自然と杖はスバルの意志に応える。
白く細い光線が空を裂いて飛んでいき、白鯨の体に届くよりも少し手前で掻き消える。
ライやロイはそんなスバルの姿を見て嘲笑っていたが、そんな彼等よりも大きく口を開けてスバルは獰猛な笑みを浮かべてみせた。
──この武器は使える。後は状況を整えるだけだ。
数多の暴力が異音を轟かせながら響き渡る戦場の中で、スバルの目には既に勝利までの道筋が見えている。
「強欲の魔女! 俺のところに来いっ!!」
「ひゃ──ひゃい! じゃなくてなんでボクがそっちに──っっわかったよ!! 魔女使いが荒い子だね君も!!」
なんのために杖を渡したのか、そちらに行って一体どうするというのか。
そんな胸の内に浮かび上がってくる疑問の全てはナツキ・スバルは自分のことを信用しているというただそれだけの事実に掻き消えていき、エキドナは3階から躊躇なく飛び降りてみせる。
着地の瞬間にふわりと体が浮き上がり、そのままの勢いで地面を蹴ってスバルの元へ向かって走りだすエキドナ。
もちろんライやロイがそのような行動を黙って見守るわけもなくさまざまな形の暴力がエキドナに向かって放たれるが、それら全ては道化師の一撃によって粉砕される。
「──ボクの目が黒い内は、師匠に怪我をさせるわけにはいかないかぁらね」
既に満身創痍に近いだけの傷を負いながらも守り切ってみせたロズワール。
しかしさしもの彼でも爆風まで防ぐことは出来ず、エキドナの背後で大きく魔力が爆ぜる。
「あわわわ──ぶぅ!」
「大丈夫か!?」
「も、問題ない」
蛙の潰れたような声を出しながらスバルの元へ飛び込んだエキドナを体で受け止めると、スバルは再び己の中の力に語りかける。
必要なのは場所と状況、そして距離が近くなるほど強くなる強欲の権能だ。
エキドナが隣にいることで効力を増した強欲の権能はいつもより明確に誰が何をしたいのか、それをスバルに共有し脳に洪水のような情報を流し込む。
それら全てをまともに処理すればスバルの脳は一瞬でパンクしてしまうだろう。だからこそ持ち前の直感でそれらの情報をかいつまんで理解し、スバルは大声で叫ぶ。
「メィリィ後ろに! ベアトリスはそのまま!! エミリアたんさっき考えてたこと全部やってこっちに!!! グルービーは使いきれ!!!!」
一息で全てを吐き出してスバルは激動する戦局を目にする。
ギルティラウに乗ったメィリィが後ろに下がったことで大きな生き物に視線を誘導された
エミリアは小山が落ちてきたのかと思えるほどの氷塊を中空に発生させ、ギルティラウに意識を割かれた
絶命するには至らないがそれで充分。
空の脅威が居なくなったことでエミリアは即座にスバルの元へ駆け出しており、グルービーはスバルの声を信用してため込んでいた道具を全て放出し最後の時間稼ぎに挑む。
ナツキ・スバルにはこの戦いを終わらせるための道が見えていて、それを元に指示を出しているのだとこの場にいる全員が理解した。
だからこそ暴食達の反抗は先程までの比にならない程の荒れように変わる。
正に死に物狂いのその様を前にしてスバルは一秒を惜しみながらもただ待つことしかできなかった。
エミリアがスバル達の元に来られればこちらの勝ち、それまでに前線の誰かが致命傷を負えばそれでスバル達の負けだ。
「────―ッ!!!!」
「どうした暴食! いつもの減らず口が聞こえねぇぜ!!」
吐き出す言葉は震えていた。
ここをしくじれば最初から。そしてスバルの性格上おそらく同じ道をたどることは出来ない。
エミリアのためとはいえ、この道であれば彼女が再起するとはいえ、彼女を救うために演じればそれはフレデリカが恐れていたもしもの自分と同じになる。
エミリアが一歩を踏み出すたびにレムとラム、そしてグルービーの体に傷がつく。
数多の武芸者の技が雨のように降り注ぎ、それをなんとか防げているのはラムの天才的な立ち回りとグルービーの補助能力があってこそ。
ことここに至ってはレムですら戦力不足の烙印を押される始末。
時間は刻一刻と流れていき、エミリアはスバルのすぐそばまでやってきていた。
5歩──ついにグルービーの持っていた道具が壊れる。悪態をつきながらロイの体に突進する彼は、その小さい体で大罪司教を抑え込んでみせた。
4歩──ライによってグルービーが弾き飛ばされ、戦線から離脱。だが時間は確かに稼げている。
3歩──エミリアの背に向けてロイが短剣を投擲。レムとラムはその射線上に入ろうとするが、一歩間に合わない。
2歩──飛んでいた短剣が甲高い音を立てて弾き飛ばされる。ぶつかったのは紫の小さな結晶、それを放った大精霊はこれくらい児戯だとばかりに笑ってみせる。
1歩──もはや暴食に打つ手はない。
エミリアの手が届き、彼女の手が杖に触れた瞬間──スバルは叫ぶ。
「姉様! 全力で頼む!!」
スバルが切る最後にして最強の鬼札。
既に瀕死のフレデリカを救うために一度使用しあまり余力が無かったスバルはギリギリまでその使いどころを見定めていたが、使うならば今しかないとそう判断した。
「──────やるじゃない、バルス」
四六時中体を動かすことすら出来ないほどに己の体を蝕む倦怠感がどこかに吹き飛び、思い通りに体が動くことを理解したラム。
そんな彼女は全能感があふれ出す体に物を言わせ、可愛い妹を虐めた目の前の愚かな男たちに歩み寄る。
「ギャッ──」
「──ぅグ」
必要な攻撃は二回だけ。拳と蹴りによる一撃を放つとそれだけで暴食二人の体が簡単にへしまがり、その手足を掴むとラムは乱雑に二人を白鯨の方へと向かって放り投げる。
──これでちょうど、全員が射線に入った。
エキドナに渡された杖を握るのはスバルだけじゃない。エキドナとエミリア、両名がその杖の上に手を翳して魔力を込めると杖がその魔力に耐え切れず嫌な音をミシミシと立て始める。
持っているだけでそこに込められた魔力がどれほどか、どれだけの強い思いが込められているかを理解できるようで、スバルは空に浮かぶ白鯨たちに向かって笑みを浮かべてみせた。
「スバルゥゥゥゥゥッッッ!!!!!!」
吠えたのはライかロイか。
どちらか声で判別することは難しいが、少なくともその声に込められた怨嗟の気持ちは理解できる。
だがそんな声を前にしてもスバルは揺らがず、ただまっすぐ空を見つめて不敵に笑ってみせた。
「せっかく名前を呼ばれたところ悪ぃけど、俺はお前らに食われてやるつもりなんかねぇよ。精々腹いっぱいになるまでこれでも喰らってな!!」
そう言いながらスバルが指先に力を籠めると、杖が一瞬大きく震え────轟音と共に反動で地面を抉るほどの一撃が放たれる。
月に向かって放ったなら月すら欠けさせることが出来ただろう。
そう確信できる一撃はライとロイの体だけでなく白鯨すらも跡形もなく消し去り、空を覆っていた雲を吹き飛ばして星が輝く夜空が一面に広がっていく。
剣聖ですら喰らえばただでは済まないだろう。
そう確信できるだけの一撃を放った後の静寂は誰も動けない程に静かで、誰しもが勝利の実感を求めて声を潜める中、一人が大きく息を吸い込んだ。
「──スバル! 私達勝った! 勝った!!」
勝ち鬨を上げたのは他でもないエミリアだった。
いまだ戦闘の跡が強く残るロズワール邸ではあったが、少なくとも今夜の襲撃者。その全ての撃退を成し遂げてみせたのだ。
まさしくそれは偉業であり、褒め称えるのに十二分の行いである。
「あのクソみてぇな状況から勝っちまいやがった……」
さしものグルービーですらその渦中に居たからこそ、この状況がいかに細い糸の上を通って導き出されたものかを理解しており、感慨深く声を漏らすことしかできない。
戦闘音が消えたのを聞きつけたのか破壊された屋敷から出てきていたアベルは、中庭の状況を確認してどうやら勝ったらしいことを認識し、張り詰めていた肩を下ろす。
「……相変わらず無茶をする」
だが一方そんな状況を創り出した立役者であるスバルはどうかと言われれば、まともに立っていることもできずに空を向いたまま地面に倒れ伏していた。
ピクリとも動かないその姿は生きているのかも怪しく、いの一番にそんなスバルの元へ駆け寄ったのはレムである。
「スバル君大丈夫ですか! 怪我はありませんか?」
「怪我はあんまり……あ、ちょっと待ってレムさん向こう行って」
倒れ伏したままレムに肩を揺さぶられ、スバルの体はついに限界を迎える。
喉元から湧き上がってくるものをなんとか押しとどめ、その場を動くことも出来ない体を呪いながらなんとかそんな言葉をスバルが吐き出すもののレムは少したりとも動く素振りは見せない。
むしろスバルの上半身を少し持ち上げ体を横にすると、吐きやすいように体勢を整える。
「吐く時はしっかり吐いたほうが体にいいですよ。大丈夫です、レムは気にしません、しっかり吐いちゃいましょう」
「レムさん、まって、ほんとに──」
続きの言葉を出すよりも早くスバルの口から様々な物が溢れ出る。
昼間食べた物や大きな血の塊、それらが混ざって酷い有様だがレムは己の服が汚れることを気にする素振りもなく黙ってスバルの背中を優しくさすった。
遅れてエミリアもやってきて同じように背中をさすられると、スバルはもう何が何だか分からなくなり黙って体の欲求に従って吐き続ける。
そんなスバルの姿を見てアベルは労いの言葉の一つでもかけてやろうと吸い込んでいた息を吐き出し、呆れたように笑顔を浮かべた。
「自業自得よな」
「お兄さんはいつまで経っても決まらないわあ」
英雄のような行いをして見せたところで、結局のところナツキ・スバルという少年はそれくらい弱い存在なのだ。
そんな彼の弱さを知っている二人は互いに言葉を交わすことは無く、最愛の人達に囲まれてどぎまぎしているスバルの姿を眺めている。
「それにしてもスバルは無茶しすぎなのよ。ラムも言ってやって欲しいかしら」
「バルスの分際でラムの身体を気遣うなんて、不敬で不快よ。罰としてそうやってレムとエミリア様に痴態を晒していなさい」
「もうラムったら。スバル、大丈夫?」
「人生最高の気分が一転して……うぉぇぇっ……最悪な気分になったけどまぁなんとか」
内臓が全てひっくり返り、地面が起き上がってくるような感覚に、足元がフラフラとしているものの時間の経過で多少はマシになる。
心配して介抱するエミリアだが、度重なる無理が祟ったのか流石のスバルも元気な素振りを見せることすらできないでいた。
屋敷の人間の誰しもがまともに動けないほどの疲労の中で、ただ一人アベルは悠然とスバルに肩を貸すエミリアの方へと近寄っていく。
その表情は固く、スバルの友ではなく皇帝としての彼であることがこれまで何度か話をしてきたエミリアには一目で理解できた。
「……エミリア。王とはなんたるか、お前の答えを聞かせてもらおうか」
この二週間何度も聞かれた言葉。
どれだけ考えても頭を悩ませても浮かんでこなかった彼の言葉に対する答えが、いまのエミリアの中には確かにあった。
ただただ純粋無垢で真っ直ぐな思いが、最後に残ったその感情こそがエミリアを王にさせるためのものなのだ。
「…………私はみんなを守れる王様になりたい。誰にでも公平な国を作って、世界中の誰でも幸せに暮らせるそんな国を」
「つまり何も変わらないと?」
「いいえ、違うわ。私はそんな王になる為に、スバルやエキドナ、みんなの力を借りられる王様になるの。何か大切なことを決めなければいけない選択の時は、丸ごと全部助けられる道を探す。すっごく大変だろうけど、それがきっと私が思い描く王様の姿だから」
王の形は何も上に立つことだけではない。
皆の先頭に立ち、己を旗印にして一つの目標に一丸となって進んでいくこと。それもまた王道である。
そして奇しくもエミリアの目線ではきっとそうはまだ見えていないだろうが、彼女が口にした王道こそスバルがかつて己に課していまもなお守り続けているただ一つの約束。
この主人にして、あの従者あり、なのだ。
だがエミリアの言葉に対してアベルは眉一つ動かすことはなく、それに対して続きの言葉を返す。
「……夢物語だ。現実的じゃない」
「そうかもしれない。でも王様としての私の覚悟はそこです」
何を言われたとしても、仮にそれでアベルに認められなかったとしても王としての自分の答えはすでに定まっている。
時間にして五秒にも満たない間二人の視線は交差し、ゆっくりと
「…………帰るぞグルービー。帰宅の用意を」
「おいアベル!」
咄嗟に呼び止めたのは瀕死の重傷ながら事の成り行きを見守っていたスバルだ。
流石に何か一言言えよと言いたげな彼の声かけに対し、アベルは言われずともそうするつもりだったとばかりに睨みつけながら言葉を続ける。
「……ナツキ・スバル。今回の働き、よくやった。お前の働きと俺がしたエミリアとの契約。その成り行きはヴァラキア帝国皇帝、このヴィンセント・ヴァラキアがしかと見届けた」
「つまり──!」
「──スバル!!」
両者洒落にならない怪我をしているというのに、アベルの言葉一つで跳ねて回って喜ぶエミリアとスバル。
揺らされたのが最後の決め手になったのか再び吐き戻しているスバルは、満面の笑みのまま口からも目からも汁を垂れ流しており見るに堪えない。
普段はこういった場でも表情を抑えがちなエミリアが、瞳に涙を浮かべながら喜んでいるあたりよほど嬉しかったのは間違いなく、アベルは自分の言葉ひとつで飛んで跳ねて喜ぶ二人を前に大きく息を漏らした。
「まったく……」
──ふと、そんなことをしているアベルの背後で
分身体がまだ消えていなかった。
そのことに誰も違和感を覚えなかったのは、激戦の後なのと白鯨にそんな知能があるとは思っていなかったからだ。
最上空を飛んでいたのは本体に見せかけた複製体であり、目の前にいるのこそが本物の白鯨──!
「────!!」
「危ないアベルッ!!!」
咄嗟にスバルが手を伸ばすが、とてもではないが間に合わない。
ここまで来てまだ足りなかったのか──そんな考えがスバルの脳裏をよぎった瞬間。
星屑の空の上から真っ赤な閃光が降り注ぎ、白鯨の身体をいとも容易く焼き尽くす。
放たれた攻撃の効果はほんの一瞬だが、感じ取れる圧倒的な破壊力。
その肉体の大部分が爆風によって消失し、白鯨がいた場所から現れたのは銀にいくつかの差し色が入った髪が特徴的な軽装の女。
彼女こそスバルが参戦を期待していた存在でもあり、ヴァラキア帝国にて九神将の弐の将の座を頂く女傑。
『精霊食い』のアラキアである。
「報告終わった、皇帝陛下……ピンチ?」
「いまので終わりだ。報告は?」
己の命がどれほど危険な状況に追い込まれてもアベルが揺らぐことはない。
スバルはこの事を知らず対策が遅れたが、アラキアの援護によって自らの命は繋がった。
それがアベルにとっての全てでありそれ以上でも以下でもない。
それを分かっているからこそアラキアも特に何を言うこともなく、アベルからの問いかけに答える。
「セシルスがスバルと会いたいって騒いでて抑えるのに時間がかかった。チシャが国境線沿いに既に帰る手配をしてあるって」
「ご苦労」
それだけ口にするとアベルはそのままグルービーを引き連れてエミリア達に背中を向ける。
それは先ほどまでと違い明確に出立する雰囲気を纏っており、王としての自覚がようやく芽生えて話したいことがあったエミリアは咄嗟にそんな彼らを呼び止める。
「──もう行ってしまうんですか皇帝陛下。スバルとの事とか、色々とすっごーくお話ししたいことがあるんですけど」
「もとより今日は帰国する予定の日だ。それにこれだけの戦闘だ、すぐにラインハルトかカルステン家が飛んでくるだろう。面倒ごとは避けたい。それと俺は帝国の王とはいえ、お前は同じく王になるつもりなのだろう? ならば俺に謙らず、同じ目線で言葉を語れ」
「……分かったわ、ありがとうアベル」
「ふん。それでいい」
アベルの言葉に付け入る隙は少しもなく、エミリアは頬を膨らませると黙ってそれを受け入れるしかなかった。
エミリアにとって厳しくはあったが王とは何かを説いてくれた先生。
そんな彼が自分のわがままのせいで面倒ごとを被るのであれば、エミリアとてわがままを口にしない程度の分別はつけられる。
そんな彼女の姿が意外だったのか少しだけ口元を緩めると、アベルはエミリアではなくその少し横に視線をずらす。
「ではなナツキ・スバル。次は帝国で会おう」
「おう! まぁセシルスのいない時にな」
そんなスバルの言葉を受けてアベルは微笑みだけ浮かべてみせると、アラキアに連れられてグルービーと共に夜の闇の中へと消えていく。
嵐のようにやってきてあっという間に去っていくあたり、どんな世界であろうとも変わらない男である。
この何も分からない世界で国外に出る気はさらさらなかったスバルだが、去っていったアベルの表情を見ている限り、帝国に行くのはそう遠くない未来のように思えた。
目の前にいるとすぐに言い合いになってしまうが、居なくなってしまうとそんな時間が少しだけ寂しさに変わる。
「……慌ただしいやつだったな」
「皇帝陛下は本当にスバルのことがすごーく好きみたい」
どことなく的外れなエミリアの言葉も、いまのスバルにはなんとなくそうなのかなと素直に受け入れることが出来た。
それはただ単純に失った血が多すぎて、まともに頭を動かすことが出来なくなったからだが本人は自覚することもない。
「そうかもな…………動き過ぎたなこれ。ごめん気絶する」
「君本当によく気絶するねぇ。まぁこれだけのことをしたんだ、いまはゆっくりおやすみよ。スバル」
そんなエキドナの言葉を最後にスバルはゆっくりと目を閉じる。
何度となく繰り返した死を乗り越えて、ようやくつかみ取ったのだ。
誰も失わずに済んだことに満足し、意識を手放すのだった。
インフルエンザになりました。
五章はちょっと時間かかるかも…………。