暴食の大罪司教の撃破。そして三大魔獣の内二匹がこの世界から消えたという情報は、音よりも早く世界中に拡散されていく。
王城襲撃について一件を有耶無耶にしていた賢人会は、この情報を待っていましたとばかりに王城襲撃を踏まえこの報道を後押しし、ついには市井に新たな噂が流れ始める。
──どうやら黒髪の英雄が、魔女教徒を討伐して回っているらしい。
王城の襲撃という一大ニュースに紛れて徐々に囁かれだしたそんな言説は、街中を歩くラインハルトがその噂について問いただされて、間接的にではあったが肯定したことによって更なる広まりを見せた。
剣聖と対を為す存在、智謀によって王選候補者全てを救った英雄。
その男の名前は──
「──おはようございますスバル君」
「おはようレム。なんか風邪ひいたのかもしんないけど昨日からくしゃみが……ぶえっくしゅん! 止まらないんだけど。噂になるようなことしたかな」
「少し肌寒いですし、風邪を引いたのかもしれません。今日もゆっくりしますか?」
「いんや、さすがにあんまり横にばっかなってると体もなまるし起きるよ」
いまスバル達がいるのはアーラム村の使われていない小屋だ。
聖域に全員を避難させていた以前とは違い、いまはこの村に全ての住人が揃っているため下手に移動させることもできない。
また他の家にお邪魔するにしてもロズワールが手紙を送ってそのやり取りをしてからになるので、一定期間、村でお邪魔させてもらう事になった。
事件が解決してから早いもので既に二週間。
傷口も随分と良くなったもので体を起こすことに問題が無くなったスバルは、隣で眠りこけるメィリィとベアトリスを起こして朝の日課であるラジオ体操を始める。
「スバル、怪我はもう大丈夫かしら」
「そんなに心配しなくても大丈夫だよ。フレデリカは大丈夫なのか?」
「あの人なら、一週間前には元気になって仕事のためにあちこち走り回っていたわあ」
「さすがガーフィールの姉ちゃん」
耐久力は折り紙付きのフレデリカ。スバルが傷を肩代わりしていなければ死んでいた傷も、一週間と回復魔法さえあればものの見事に全回復。
その回復力を羨ましく思いつつも、直ぐに仕事が出来るほどのバイタリティがいまの自分にあるとは思えないので、この程度が丁度いいのだろうと納得する。
エミリアによって発生していた冷気は鳴りを潜めているが、それでも冬の村は寒く、息を吐き出せば白い靄が空へと上がっていくのが目に留まった。
ラジオ体操のおかげですこし体はぽかぽかするが、それでもいまだ寒さは健在である。
ロズワールの所に行って来ると離れていったベアトリスを見送り、村の中を歩いていると子供達に紛れて何やら遊んでいるエミリアの姿が目に留まった。
「あ! おはようスバル、体はもう大丈夫なの?」
そんなスバルの視線に気が付いたのか、視線を向けたエミリアはスバルが外を出歩いているのを見ると、パッと花が咲くような綺麗な笑顔を見せながら問いかけてくる。
近くにいる子供達も遊びを中断してスバルの近くに寄って来ると、大丈夫なのかよ、とかだらしねーぞ、なんて服を引っ張りながらあれやこれやとスバルに対して好き放題な言い様だ。
なんとも可愛らしい子供達を手で制し、スバルは今日一番になる予定の笑顔を見せた。
「もちろん! エミリアたんも無事みたいで何よりだよ」
「私は怪我らしい怪我してないから大丈夫。ロズワールの方は大変だったみたいだけど」
暴食からエキドナを守りきるため、一人で盾の役割をこなしてみせたロズワール。
事前に厳しい戦いになることは伝えており無理はするなと口酸っぱく念押ししておいたにも拘らず、ロズワールはエキドナに一切の傷を負わせまいとスバルですら驚くような活躍をして見せた。
その反動としてまともに体を動かす事すらできなくなったとは聞いていたが、エキドナに看病してもらえることになったらしいので本人としてはあまり気にしていなさそうである。
「まぁみんな無事でよかったよ。それにしても村の子達と随分仲良くなったんだね」
「そうだぞー」「スバルには遊ばせてやんねー!」「うぇーい」
「お前等そんな感じだっけ……」
「元々エキドナがいろいろと話を通してくれてたみたいで、スバルのお友達だって言ったらすぐに仲良くしてくれたの」
そもそもがこの村は魔女のお膝元。
以前までの村に比べてエミリアの見た目に対する偏見は弱く、それに加えてエキドナやスバルという共通の知人がいる事。
何よりもロズワール邸に逃げ込み助けられていた彼らは、アベルの口から事の顛末を聞き、尋常ではない戦いの跡が刻まれた中庭をその目で見ているのだ。
自分達を守るために命を懸けて王選候補者が戦ってくれた、その事実はこの村の人間にエミリアという存在を認めさせるには充分だった。
スバルの力がなくとも手に入れられた初めての理解者がこの村の人間であり、だからこそか、エミリアの表情はいつだって笑顔である。
それが堪らなく嬉しくなり、スバルは己に纏わりついて来ている子供たちの頭を思いっきり撫でてやる。
「やるじゃんお前等。見直したぞ」
「スバルうざい」「エミリア様は俺らと遊ぶんだー!」「あらあ、ふふっ」
「なんか混ざってるし……。まぁいいか、俺は用事あるからエミリアたんと楽しく遊ぶ権利をお前らに一時的に譲ってやるよ」
そう言いながら一歩スバルが引くと様々な文句が飛び込んでくるが、スバルはそれを軽くいなしてエミリアに目で「よろしく」と合図をすれば彼女も「分かってるわ」とばかりに目線を返してくれる。
以心伝心とはまさにこのこと、なんて風に喜びながらスバルが向かう先は村長の家だ。
村の中でも一際大きい家の前にやってきて扉をノックすると、中から現れたのはメイド姿に身を包んだラムだ。
気だるげに現れた彼女はスバルを見ると下から上まで軽く眺め、鼻で笑ってみせる。
「はっ、誰かと思えばバルスじゃない。それにラムの可愛い妹も」
「おはようございますお姉さま」
「朝から随分な挨拶じゃねーの姉様」
「もう動けるようになったのならさっさと仕事をしなさい。レムとフレデリカだけじゃ処理しきれないわ」
相変わらず厳しい物言いをするラムの後に付いて部屋の中に入ると、紅茶の良い香りが室内に軽く漂っている。
部屋の真ん中に設置された机の上には大量の資料が山積みになっており、その資料の山の前でうんうんとうなっているのはエキドナだ。
彼女はほんの一瞬だけ落としていた資料から目を離しスバル達の事を見つけると、ぱあっと明るい笑顔を浮かべて椅子から立ち上がる。
「誰かと思えば、怪我はもう大丈夫なのかい?」
「おかげさまで。正直今回ばかりは生き残れるか怪しいかなと思ってたけど、なんとか生きててよかったよ」
「君は本当にいつも傷ついているね。前回も相当に大変だったが、今回は異常だ。王都に出す報告書だけでこの量だよ? この量!」
そう言いながらバンバンと机の上にある書類を叩きつけるエキドナ。
一枚軽く手に取って中身を見てみれば、暴食の大罪司教が使っていた権能についてつらつらと彼女なりの予測を元にしたレポートのような物が書かれている。
途中で内容は終わっているので、おそらくはいま机の真ん中に置かれているのがこれの続きなのだろう。
白鯨、大兎、それに加えて二人の暴食の大罪司教の撃破。
この事実を王国に居る頭でっかちの人間たちに信じさせるには、文章だけで説得力を生み出す必要性がある。
ペンをどれだけ躍らせれば気が済むのだと言わんばかりにこの一週間寝る間も惜しんで書き進めた甲斐もあってか、エキドナの仕事の大半はそろそろ終わりを迎えようとしているようだった。
王の騎士として働いたことのあるスバルだからこそ、彼女の報告書制作という難題がどれほど面倒な事なのかを正確に分かってあげられる。
「頑張ってると思うぜ、割とマジで」
「本気で同情されるとそれはそれで何とも言いにくいよ」
何とも言えない表情を浮かべつつそんな事を口にするエキドナ。
それから一呼吸おいて言葉を続ける。
「レムとラムは悪いけどこれをフレデリカと一緒に倉庫に運んで、王都に運送する手はずを整えておいてくれるかい?」
「はい、分かりました!」
「ありがとう。その間彼の身柄はボクの方で預かっておこう」
もはや通例のようになってしまったエキドナとの反省会。
それが始まるのを理解したスバルは席を立ちあがり適当なコップを見繕うとそれに紅茶を入れ、ゆっくりとそれを口に含む。
嫌な話をしなければならないと分かっているからこそ口は重たい。
せめて飲み物で気を紛らわせることくらいはしてもいいだろう。
そんな事をしているうちにレムもラムも居なくなり、先ほどまでに比べて随分と広くなった机を挟んでスバルとエキドナの視線は交差する。
「何度やりなおしたか、聞いてもいいかい?」
「毎回聞くけど聞いてどうするんだよ。面白い話でもないぞ」
「君の精神がどれほど負傷しているのか、それを測るためにも、そして今後の対策を練るという意味でも知っておいて損はないだろう? 特に今回の状況は私の目から見て殆ど詰みに近かったからね」
なにせスバルはこの三日間でエキドナに対して一つも暴食達の対処に対して助言を聞くことはなかったのだ。
もちろん人員の配置が適切かどうか、屋敷の構造について等細かい話は何度かした。
だがそれを抜きにすれば、珍しいことにエキドナに要求されたのは強欲の魔女としての知識ではなく、魔法に精通した魔法使いとしての力。
もちろんそこいらの魔法使いに比べれば自分が優れている自信はあったものの、あまり人から求められるものではない物を求められたことに同時にエキドナは驚きを隠せない。
自分であれば自分を戦いの為の駒として扱う事は絶対にしないだろう。
最悪戦闘のための要員として数えるとしても、それは本当に最後の事で基本的には自分が居なくても成立するように案を組み立てるはず。
つまりエキドナの知るかぎりスバルが提案した案はスバルの物であって、エキドナの口添えが有った案ではない。
「いろいろあったよ。最初はエミリアが脱走して、森の中で白鯨に遭ったところがスタートだ。長くなるから簡潔に話すけどいいか?」
「もちろん構わないとも。一気に話すのが難しければ別日にしてもかまわない、相当つらい経験だっただろうからね」
随分と優しい表情を浮かべるエキドナの前で、淡々とスバルは今回の周回について言葉を並べ立てる。
もっとも扱いやすかったのは白鯨、理解しがたかったのが多兎、ライとロイに関してはある程度上振れや下振れがあるものの予測の範囲内。
そんな感覚がスバルの最終的な結論だろうか。
単純に物量だけで見ても攻略が絶望的な相手であったが、エキドナの持っていた杖とエミリアの覚醒が最終的なトリガーとして起因したことは間違いがない。
二桁に及ぶ死についてつらつらと語るスバルは、その表情をピクリとも変化させずにただただ淡々と言葉を並べ立てていた。
「随分と大変だったね。少し落ち着く期間がいるだろう、当分は極力働かないように。ボクの方からラムたちにも口添えしておく」
「俺は大丈夫だ! これくらいならいままでだって──」
「そのつけを払い続けた結果が、フレデリカが言っていた君の未来で──ボクが君に強制してしまった世界なんじゃないのかい?」
エキドナは一を聞けば百を予測する。
どうしてエミリアが覚醒したのか? その要因を話すためにはフレデリカの話をしないわけにはいかず、極力彼女が自分たちの世界のフレデリカと違う記憶を持っていたことは隠したはずだった。だが、それでも彼女はその事に気が付く。
酷く悲しそうな表情を見せるエキドナを前にして、再び真っ向からそれでも大丈夫だとはスバルも口にすることが出来なかった。
「分かった、ゆっくりするよ。とりあえずこれから一年くらいは平和になるはず…………っても今回の一件を考えるとそうも言ってられないんだけど」
「少なくとも君が屋敷に来てまだ二ヵ月と少しだ。魔女教徒だのなんだのといろいろ大変なことは有ったけれど、彼等もこれほどの痛手を負えば少しの間はおとなしくしているだろう。年長者として、少しでも君に安らげる時間があることを祈っているよ」
「…………ありがとよ」
「どういたしまして。プリステラの件も踏まえていろいろと動かないといけない事は多いけれど、そちらに向けての対処も私の方で進めておこう。皇帝君にも恩を売れたようだしね」
そう言いながら再びエキドナは紙にペンを走らせ始める。
本人なりにこの後手後手の状況についてきっと思うところがあるのだろう。
次こそは絶対に先手を打ってみせると意気込む強欲の魔女の姿は、スバルにとってとても心強い物であった。
手を止めずに書を書き続けるエキドナを眺めながら紅茶を飲み、少ししてからスバルは「それじゃあ」と言葉をかけてから家を後にする。
軽く見送られながら扉を開けるとそこに立っていたのはベアトリスだ。
なんの話をしているか不明瞭なため家の中に入ることをためらっていたのだろう。
気の利く彼女は頬をぷっくらと膨らませながら、スバルに対して問いかける。
「遅かったかしら、母様と何を話していたのよ」
「安静にしてろってさ。いまから少しの間は魔女教も動かないだろうしってさ」
「そうかしら」
母が言うからそうなのだろう。
そんな言葉を顔に張り付けたようなベアトリスを前にして、スバルはそう言えばロズワールの所に行っていたんだよなと思い返して疑問を口にする。
「逆にそっちは何の話してたんだ?」
「ロズワールに改めてお母様をよく守ったと褒めてやったかしら。正直ベティだったら厳しかったのよ」
「まぁそこらへんは適材適所って事で。ベア子は誰よりもプリティで頑張り屋さんだからな、多兎を討伐出来るのはベアトリスだけだったよ」
「ふふっ、もっと褒めるかしら!」
頭を撫でられてまんざらでもない様子のベアトリスの頭を撫でながら更にスバルが褒めの言葉を口にすると、ベアトリスはキャッキャと声を上げながら喜んでみせる。
こんな平和な時間が続くのであればそれに越したことはないだろう。
△▽△▽△▽△▽△▽
そんな風にしてひとしきり遊んだ二人は、ロズワール邸の跡地に向かって足を伸ばしていた。
今回も例に漏れず全焼してしまったロズワール邸だが、焼け跡から持ち出せなかった何かがまだ見つかるかもしれないと考えての行動だ。
実際は、エキドナが既に王都へ人員の手配を済ませているため、放っておいても事後処理は進むはずだった。
だが何もせずにじっとしていることに耐え切れなくなったスバルが、ベアトリスに頼み込んで連れ出した形である。
鼻をつく焦げ臭い風が、肌を撫でる。崩壊した正門を越え、黒く煤けた瓦礫が散乱する中庭へと足を踏み入れたその時。
――前方に、人影があった。
スバルの足がぴたりと止まる。
反射的に隣のベアトリスを庇う位置に身体を滑り込ませ、全身の筋肉を強張らせた。
白鯨、大兎、そして大罪司教。立て続けに死線を潜り抜けてきたスバルの神経は、今や張り詰めた糸のようだ。
こんな廃墟に佇む人物など、火事場泥棒か、あるいは逃げ遅れた魔女教の残党か。
スバルは息を殺し、目を細めてその背中を睨みつける。
灰色の髪を振り乱し、ゆらりと頼りなげに立ち尽くすその後ろ姿。
何やらぶつぶつと譫言(うわごと)のように呟いているようにも見える。敵意は感じられないが、尋常な雰囲気ではない。
慎重に距離を測ろうとしたスバルの視界にふと、その人物の顔が一瞬だけ飛び込んできた。
どこかで見覚えのある、気の弱そうな横顔。
その瞬間に、反射的に抱いた警戒心が急速に薄れていく。
スバルの脳裏にある記憶と、目の前の不審人物が身につけている、くすんだ緑を基調としたどこか野暮ったい服装がカチリと合致した。
「……あ?」
スバルの口から間の抜けた声が漏れ、同時に張り詰めていた緊張の糸がぷっつりと切れた。
警戒心は瞬く間に霧散し、代わりに湧き上がってきたのは安堵と、少しの苛立ち。そして待ちわびていた歓喜だ。
「なんだよ、びっくりさせやがって……!」
間違いない。そこにいるのは、スバルが待ち望んでいた相手だ。
スバルは反射的に、その親友の名前を呼ばずにはいられなかった。
「おーい! オットー!」
いつ来てくれるのかと待ちわびていた相手が目の前にいる。その事実に胸を弾ませ、スバルは一目散に駆け出した。
これまでの苦難を忘れさせるような、純度一〇〇%の笑顔。オットー相手には普段見せることのなかった、心からの屈託のない表情。
スバルの声に反応し、オットーがぎこちない動作でゆっくりと振り返る。
その顔を見て、スバルはさらに笑みを深くした。きっと彼も無事を喜んでくれるはずだ、そう確信して。
だが――。
駆け寄ってくるスバルの満面の笑みを目にした瞬間、オットー・スーウェンの顔が激しく引きつった。
まるで、この世のものではない怪物と対峙したかのような、根源的な恐怖に彩られた形相。
「――っ、ぅ」
言葉にならない悲鳴。
直後、オットーはその場に崩れ落ちるように膝をつくと、胃の中身をすべてぶち撒ける勢いで、激しく嘔吐した。
これがこの世界での、初めてのオットーとの出会いだ。
次話の予定は未定です。
プロット自体は終わってるので、手が空き次第また書きます。