スバル「強くてニューゲー……これ本当に強い?」   作:空見大

32 / 38
新年あけましておめでとうございます。
この作品を読んでくださる皆さんが、今年一年楽しく平和に過ごせることをお祈りしています。
あと2,3ヶ月で終わる予定の本作、最後までお付き合いいただけると幸いです。


約束に呼ばれて

 ごとごとと、不規則に地面の轍を拾って竜車は揺れる。

 代わり映えのしない景色が窓の外を流れていくのを眺めながら、スバルは深く重たい溜息をこぼした。

 考えるのは、どうしてこんなことになったのかという、今更答えの出ない問いばかりだ。

 魔女教との戦いを終え、ようやく訪れたつかの間の平穏な日々は一転、こうして竜車に乗り王都を目指してひた走る現状は日常からは程遠い。

 運命というやつはどうもスバルが暇を持て余すことを許さないらしかった。

 

「それにしても賢人会だけでなく他の王選候補者から二名も声がかかるとは、さすがに人気者だねスバルは」

 

 スバルの憂鬱などどこ吹く風とばかりに、面白そうに口を開くのは向かいの席に座る白髪の魔女──エキドナだ。

 既に賢人会向けにあれやこれやと手を回し続け、なんとかスバルが無理をしなくても良いようにと水面下で根回しをしていた彼女。

 だがさすがに王選候補者二名からの正式な呼び出しともなると、そうそう無下に断るわけにもいかなかったのだろう。

 

 心配する様子の彼女だが、その表情からはほんの少しだけどうなるのか気になるという知的好奇心も見え隠れしていた。

 他人事だと思って楽しげなその態度に、スバルは半眼になって呆れたような視線を向ける。

 

「やめろよエキドナ、さっきからその話するたびにエミリアたんの表情がどんどんおかしな方向に向かってるんだから」

 

 スバルの隣──ぴったりと隙間なく身体を寄せて座るエミリアの気配が、エキドナの茶化すような言葉一つで明らかに鋭利なものへと変質するのはこれで何度目か。

 物理的な温度すら下がったのではないかと錯覚するほどの冷気。

 だがそんな内面の変化を表に出すことはせず、彼女は至って穏やかな、それでいて瞳の奥に一切の光を宿さない笑顔で口を開いた。

 

「ううん、怒ったりはしてないの。スバルはすっごく魅力的で、私には勿体ないくらいイイ子だけど……他の人にあげるつもりは、これっぽっちだってないんだから」

 

「それは怒ってる人のセリフだねエミリアたん。あと嬉しいんだけど腕がミシミシいって……ちょ、エミリアたん!?」

 

 生物の骨が立ててはいけない音が腕から聞こえ、スバルは反射的に叫ぶ。

 この世界において比較的非力な部類──というか最弱に近いスバルとは違い、エミリアはスバルなど片手でひねり潰せるほどの怪力の持ち主だ。

 どういう原理かその細腕からは想像つかないほどに圧倒的な膂力を持つ彼女に腕を本気で握られれば、あっという間に繋がったばかりの骨は折れてしまう事間違いなし。

 

 そんなスバルの悲鳴で我に返ったのか、エミリアはハッとして「ごめんなさい」と謝りながら力を緩める。

 だがその手は決してスバルの腕から離れようとはせず、むしろ逃がさないと言わんばかりに指を絡ませてしっかりとホールドしたままだ。

 どうしたものかと痛む腕をさすりながら悩むスバルだったが、エキドナはそんな二人のやり取りを見ても、あくまで楽しそうに口元を緩めるだけだった。

 

「クルシュ・カルステン公爵のところはおそらく白鯨関連だとして……アナスタシア陣営はどういった用件なんだろうね? ボクの把握している限りでは、キミと彼女の間にそこまで太いパイプはなかったはずだが」

 

 白鯨討伐の件について、あるいは王選の間での行動についての何らかの確認事項。

 律儀なクルシュ陣営に関して言えば、このあたりは想定の範囲内だ。

 実際スバルもクルシュ陣営には──というよりとある一個人に白鯨の事に付いて話をしておきたいことがあった。

 だが、アナスタシアに関してはまるで心当たりがない。

 

「さぁ? オレもあんまり覚えてな…………」

 

 そんな言葉と共に記憶の海を深く潜ってみると、スバルの脳内に嫌な予感が走り、それと共にいつぞやの光景がフラッシュバックする。

 それはまだ王選が始まる前、何気ない会話の中で交わした軽い口約束。

 

 思い出したとほぼ同時に露骨にスバルは視線が泳ぎ、冷や汗がじわりとこめかみを伝っていくのを自覚した。

 傍目から見ても心当たりがある人間の反応そのものであり、これ以上隠しても傷口を広げるだけだと悟ったスバルは、観念して正直に己の罪を白状する。

 

「……そういや王選始まる前に、今度呼ぶから来てねみたいな、そんな話を……ちらっと社交辞令でした気がする…………かもです」

 

「どうせスバルの事だからそんな事だろうと思ったのよ」

 

 膝の上に乗せた本から視線を上げず、呆れたようにベアトリスが言葉を投げかけると竜車に同乗するスバルを除く全員が首を縦に振る。

 緊急時ならばいざ知らず、平時のスバルはもちろん頼れる所もあるが、それと同じくらいに抜けたところが目立つ。

 今回もまた、そういったスバルの詰めが甘い特性が遺憾なく発揮されたと言わざるを得ないだろう。

 

「お兄さんは相変わらずだわあ」

 

「ぐうの音も出ないからそのあたりにしてくれると助かるんだけど……」

 

 御者台で竜車を運転しながら話を又聞きしていたメィリィにまでクスクスと笑われ、スバルはがっくりと肩を落とした。

 過去の自分が撒いた種とはいえ、こうも的確に忘れた頃に芽を出して自分の首を絞めてくるとは。

 いつも注意をするようにはしているが、何度反省したところで、この性分ばかりは治りそうにもない。

 

「まぁ、いまの王都であればスバルが巻き込まれるような事件もないだろう。羽休めには丁度いいんじゃないかな」

 

 確かに魔女教の脅威が去り、帝国の脅威も水面下で蠢いている現状。

 王都は比較的安全な場所といえるのかもしれない。

 少なくとも直近でスバルの命を脅かすような、理不尽な死の危険はそこにはないはずだ──そう、信じたいところではあるが。

 なんにせよ、王都に行く事は既に決定した事だ。あとはどうにもならない。

 

 ▽△▽△▽△▽△

 

 整備された街道を避けた弊害は、硬い座面を通してダイレクトに尻へと伝わってくる。

 人目を避けるための裏道ゆえの悪路だ。

 文句を言っても始まらないが、ただごとごとと不規則に揺られるだけの時間は、スバルの退屈と心労をじわじわと加速させる。

 車内に漂う少し重苦しい空気を入れ替えるように、スバルは気分転換のつもりで窓枠に肘をつき、代わり映えのしない景色へと視線を投げた。

 

「…………そういや、ここら辺って」

 

 視界の端、流れる木々の隙間から、遥か彼方に聳え立つ巨影が飛び込んでくる。

 雲を突き抜けんばかりのその巨躯は、遠目に見ても圧倒的な存在感で天を支えていた。

 かつて白鯨討伐のためにへし折られ、あるいは爆発する魔石を飲み込み、スバルたちを勝利へと導いた因縁の巨木。

 その圧倒的な質量を認め、スバルは懐かしさと、あれが折れていないという事実に対する奇妙な安堵で目を細める。

 

「やっぱり、フリューゲルの大樹さんじゃん。昼間に見ると一際デカいな」

 

「────?」

 

 漏れ出た独り言に、隣に座る銀髪の少女が不思議そうに小首を傾げた。

 何があるのかとスバルの視線を追って窓の外を覗き込み、その巨木を目にして、ぽかんと頭の上に可愛らしいハテナマークを浮かべる。

 

「スバルのいた地域では『世界樹』のことをそう呼ぶの?」

 

「──ん? エキドナ、あの木って世界樹って名前でしか呼ばれてないのか?」

 

 さらりと言われた言葉に、スバルの動物的な勘がけたたましく警鐘を鳴らす。

 会話の歯車が、致命的な部分で噛み合っていない時の、あの背筋が粟立つ感覚。

 嫌な予感をねじ伏せるようにして問いただしたスバルに対し、向かいの席の魔女は、知的好奇心に瞳を輝かせながら、残酷な事実を口にした。

 

「少なくともこの国ではずっと、あの木は世界樹と呼ばれているね。──『フリューゲル』なんて人物の名を冠した伝承なんて、ボクの知識には存在しないよ」

 

「……伝承も何も、フリューゲルさんが植えた木だからフリューゲルの大樹だって習ったんだけど…………」

 

 スバルの常識と、この世界の常識の齟齬。

 かつての世界で得た知識が活用できなかったことなど今まで一度もなかったのに、フリューゲルという存在だけが、まるで最初からいなかったかのように欠落している。

 不安になってチラリと膝の上のベアトリスに視線を向ければ、彼女はエミリアに怪しまれない程度に、しかしスバルの記憶が間違いではないと肯定するように小さく瞬きをした。

 

 賢者フリューゲルを知る者と、知らない者。

 御者台のメィリィはと言えば、地理や歴史にはあまり興味がないらしい。

 スバルが驚いたから反射的に大樹を一瞥し、「大きな木だわあ」と呟くだけですぐに興味を失い、手綱捌きへと意識を戻している。

 

「ボクの知る限りフリューゲルなんて人物は()()()()()()()()()。なぜスバルの地域ではそう呼ぶのか、強欲の魔女として大いに興味があるね。詳しく話を聞かせて貰っても?」

 

「えぇ? あんまり覚えてねーぜ俺」

 

 エキドナの瞳はスバルの言葉を前にしゆらりと怪しく輝いていた。

 この世に存在しない。その言葉の重みに、スバルの心臓がドクリと嫌な音を立てて跳ねた。

 歴史の改変か、それとも認識の阻害か。

 スバルの知る歴史と、この世界の歴史の間にある決定的な亀裂。不用意な発言が、またしてもスバルを未知の領域へと引きずり込もうとしている。

 

「お願いスバル、私もスバルの住んでたところのお話を聞いてみたいの」

 

 エキドナの追及をのらりくらりと躱そうとしたスバルだったが、エミリアの上目遣いによる追撃には弱い。

 キラキラと期待に満ちたアメジストの瞳で見つめられ、スバルは観念したように大きく息を吐き出した。

 

「まぁ、エミリアたんがそう言うなら……」

 

 話せる範囲で、当たり障りのない昔話を。

 そう腹を括り、スバルは記憶の中にある賢者の物語を、この世界とは異なる歴史の断片を、静かに語り始めるのだった。

 

 ▽△▽△▽△▽△

 

 先行する竜車が不規則に揺れるのをぼんやりと眺めながら、御者台に座るオットーは、襲い来る眠気を振り払うように手綱を握りなおした。

 視界の端、天を突くように聳え立つのは巨大なフリューゲルの大樹だ。

 かつてはへし折られたはずのソレが、今もなおこの世界では圧倒的な質量を持って風景を形作っている。

 その異様な存在感を眺めていると、ふと背後から独特な間延びした声が鼓膜を震わせた。

 

「そぉれにしても君は、てぇっきり向こうの竜車に乗るのだとばかり思っていたよ、オットー君」

 

 こえをかけてきたのは誰でもないロズワールだ。

 この竜車に乗っているのはロズワールのほかに、メイドのラムとレム。

 屋敷に残ったのはフレデリカのみであり、今回は文字通りエミリア陣営総出での大移動ということになる。

 確かに自分はこっちの竜車ではないよな、と自嘲しつつも、オットーは出発時の割り振りを思い出しながら、背後の客車にも届くよう意識して声を張り上げた。

 

「エミリア様と事前に約束をしていた様ですし、邪魔は出来ませんよ。それに信頼は積み重ねですからね、辺境伯も目に見える範囲に居た方が安心でしょう?」

 

 あくまでオットーは、彼らにとって急に現れた部外者。

 魔女教徒に襲われたばかりで、しかも相手が『暴食』であれば、外部の人間に対して警戒心が強くなっていてもおかしくはない。

 そんな配慮から言葉を投げかけたオットーだったが、それを鼻で笑って否定したのは当のロズワールではなく、その傍に控える青髪のメイドだった。

 

「オットー君が何かできるとは、レムには思えませんけどね」

 

「気を抜いてはダメよレム。こういうタイプが意外と一番厄介なんだから。姑息な手を使う手合いよ」

 

 当然と言えば当然の反応ではあるが、どことなく評価軸がズレているような気がするラムの指摘。

 それを受けてロズワールは面白そうに微笑を浮かべ、レムはそうですかと可愛らしく小首を傾げるが、前しか見ていないオットーがそんな車内の様子を知る由もない。

 

「随分と辛辣ですねラムさん……ところで辺境伯、領地を離れてもよかったのですか? 領民の方も心配されていたようですが」

 

「ああ、その点に関してなら気にしなくていいとも。師匠の友人が来ているからね」

 

 投げかけた疑問への答えに、聞き捨てならない単語が混じっているのをオットーは聞き逃さなかった。

 次の瞬間、彼の視線は御者台から半身を捻り、背後にいるロズワールへと鋭く突き刺すような視線を向ける。

 

 その目は嘘を一つでも吐けば、たとえ相手が誰であろうとこの場で喉笛を食いちぎる──そんな剥き出しの殺意と覚悟を秘めていた。

 さしものラムやレムもその気迫に息を呑む気配を見せるが、ロズワールだけはそんな彼女達を手で制し、涼しい顔で受け止める。

 

「……もしかして、魔女ですか?」

 

「いいや、違うとも……そこまで警戒するということは、オットー君は昔、魔女に痛い目を見せられたのかな?」

 

「──失礼しました、魔女と関わり自体はありません。ただナツキさんの安全を守るためにも色々と知っておきたいので」

 

 喉元まで出かかった感情を飲み込み、オットーは淡々と答えた。

 今のオットーにとって最も大切なのは、これ以上スバルが傷つかないこと。その一点のみだ。

 そのためならば悪魔と手を組むことも、修羅の道を行くことも厭わない覚悟が、今のオットーにはある。

 たとえそれが、スバル自身が望んでいない結論だったとしても。

 

 ロズワールの言葉を聞いても、オットーは一切油断しなかった。

 元はと言えば、かつての世界で大体の悪事を裏から手引いていたのは、目の前のこの男だ。

 オットーも一発殴って「これでおあいこ」というスバルの提案に形だけは乗っていたが、別の世界で一度やってしまった実績がある以上、疑ってかかるのは当然の防衛本能ともいえる。

 射殺すような視線を一身に受けながらも、ロズワールはそれでいいのだとばかりに、道化ではない、彼本来の笑みを深めてみせた。

 

「君は本当に、スバル君の事が好きだねぇ」

 

「友人として、あの人が間違った道に歩むことだけは絶対に許せませんから」

 

「それには同意だ、彼は危なっかしい所があるからね。師匠と彼が決別することは私としても何としても避けたい。キミも彼の為に、私も師匠の為に、お互い頑張ろうじゃぁないの」

 

「…………ええ」

 

 少なくとも彼がエキドナの為に動いているという事実だけは疑いようがない。

 初めて見せたその笑顔は、オットーに信用できるならしたいと思わせる程度の説得力を持っていた。

 今これ以上問いただしても、きっと彼は真実を吐く事はないだろう。

 ならば自分は、彼の手を借りずに周囲の状況を掌握すればいいだけのこと。

 己のやるべきことを改めて噛み締め、オットーはロズワールの言葉に短く首を縦に振ると、再び視線を前へと戻すのだった。

 

 ▽△

 

 夕闇が迫る王城の廊下を、カツカツと複数の足音が響く。

 豪奢な装飾が施された窓の外を見れば、空は既に茜色から夜の群青へとその色を変え始めていた。

 報告会という名の尋問。あるいは品定めのような時間はスバルが想定していたよりも遥かに長く、

 精神的な強い疲労感が襲い掛かってくる。

 

「王都についたと思ったらすぐに王城行で、あれやこれやを聞かされて解放されたのが夕方と……疲れたぁ」

 

「大罪司教の撃破に加え、三大魔獣の内二体を討伐だからねぇ。いくら事件直後にかの剣聖が見聞に来ていたとはいえ、城も慎重にならざるを得ないのだろうよ」

 

 大罪司教の討伐──こちらに関しては生きている可能性もあるので扱いは微妙だとしても、三大魔獣の内2体を討伐したという功績はそれほど大きなものだ。

 事実だとして既に市政に広めている側の賢人会が疑ってかかってくるのはどういうつもりなのだと問いただしたくなったスバルだが、相手も相手で状況が上手く呑み込めていないのだろうと思えば多少は踏ん切りも着く。

 思い出されるのは先程までの記憶。

 

『一体どうやって、三大魔獣を二体同時に討伐したというのか』

『大罪司教の権能は? その攻略の糸口は?』

 

 矢継ぎ早に飛んでくる質問の雨あられ。

 本来であれば現場で指示を出していたスバルが答えなければならない場面だろうが、下手に口を滑らせてあれやこれやと外に情報を漏らす可能性もある。

 死に戻りとアベルがロズワール邸にいたこと、この二点は仮に憶測される事すら危うい事象である。

 口下手ではないが嘘を吐くのがあまり得意とは言えないスバルの代わりに舌を回したのは、隣を歩きながら平気な顔を見せるエキドナだった。

 

 彼女は事実の中に巧みな嘘と脚色を織り交ぜ、老獪な賢人会の面々ですら唸らせるような、完璧なでっちあげの理由をその場で仕立て上げてみせたのだ。

 おかげでスバルはただ横で神妙な顔をして頷いているだけで済んだわけだが──こういった場での彼女の有用性には頭が上がらない。

 

「慎重なのは分かるけど、だからって呼び出すのがこの四人組なの流石にどうなの? アンバランスが過ぎる気がするけど」

 

「なぁに、気にしないでもスゥバル君の目つきの悪さを差し引いても今回の活躍は公的な場で我々と肩を並べるに値するとも」

 

「…………まぁ俺ただの一般人だったもんな」

 

 ロズワールの口ぶりに言い返してやりたくなり一瞬身構えたスバルだったが、この世界におけるスバルは王選の間での活躍こそあれどエミリアとの関係性も不透明な一般人。

 王国の辺境伯や王選候補、ましてや歴史に語られる強欲の魔女と肩を並べる事が出来るかと言われれば怪しさも残る。

 

 英雄だなんだと持て囃されてはいるが、所詮スバルは無位無冠の一般人。

 王の騎士として名を馳せていたころを思い出すと、少しだけ寂しさも感じられるというもの。

 そんなスバルの心中を察したのか、隣を歩いていたエミリアが、励ますようにスバルの腕をぎゅっと抱きしめた。

 

「スバルはすっごく頑張り屋さんだから、そんな事気にしなくてもいいのよ? もしスバルにそんな酷いこと言ってくる人がいたら、私がみんなやっつけちゃうんだから!」

 

「エミリアたんなんか変な方向に振り切ったよね。でも嬉しいよ、ありがとう」

 

 以前のエミリアであれば、もっと穏やかに否定していただろう。

 だが、今の彼女には少しだけ積極性と、独占欲のような強さが見える。

 それはきっと、彼女が生まれてから成長するまでの過程で、常に隣にエキドナがいた影響なのだろうと、スバルは妙に納得している。

 

 ──そうして、他愛のない軽口を叩きながら廊下を歩いていると、前方から見慣れた緑色の髪をした女性を筆頭にする一行が歩いてくるのが見えた。

 肩で風を切るようにして歩くその一行は、廊下をすれ違う召使たちとは違い王城という場所においてまるでここが自分の居場所だと言わんばかりの存在感を放っている。

 

「──────」

 

 スバルは、言葉に詰まる。

 気が付けば喉の奥で呼吸が止まっていた。

 視線の先にいたのは、緑髪の麗人──クルシュ・カルステンではない。

 その背後に控える、古傷の刻まれた老紳士──ヴィルヘルム・ヴァン・アストレアを目にしたからだ。

 向こうもこちらに気がついたようで、少し歩幅を大きくしてこちらへと歩み寄ってくる。

 

「誰かと思えば、こんなところで会うとは奇遇だなエミリア」

 

「お久しぶりですクルシュさん」

 

「招待状を体良くそちらの魔女に差し戻され続けては来たが、こうしてようやく会えたことを嬉しく思う」

 

 挨拶もそこそこに、クルシュの鋭い瞳がチラリとエキドナを射抜く。

 その目は明確な敵意というほどではないが、今まで何度か煮え湯を飲まされてきましたと言わんばかりの苦い色が混じっていた。

 基本的に全ての人間を公平に評価し、その時の行動の善悪で判断する実直な彼女が、ここまではっきりと嫌そうな表情を見せるのは相当なことだ。

 

「……なんでもいいだろう別に、いまそれとこれとは全く関係がない話だ。ボクのプライベートだよ」

 

「絶対ろくなことしてねぇじゃん」

 

 スバルのジト目に対し、エキドナは両手で耳を塞いで「アーアー」と聞こえないフリを決め込んでいた。

 まるで駄々をこねる子供のような素振りだが、こんなのでも伝説に名を残す魔女なのだから始末に負えない。

 どうしたものかと頭を抱えるスバルの後ろで、呆れを通り越して苦笑したクルシュが提案する。

 

「立ち話もなんだ、ちょうどいま私が借りている部屋がある。そちらに行って腰を据えて話をしたいのだが、構わないか?」

 

「私は大丈夫だけど……」

 

 既に予定時刻は大幅に超過している。

 外で待たせているラムやレムに報告する係も必要だし、この後の事だっていろいろと予定があるかもしれない。

 そんな思いからエミリアが判断を仰ぐように、チラリと視線をロズワールに向けると、彼はいつも通りの道化師の笑みを見せながら言葉を返す。

 

「ラムやレムたちにはわぁたしが連絡してきますので大丈夫ですよ」

 

「ではぜひお願いします」

 

「それはよかった。案内します、こちらへ」

 

 ロズワールが道化めいた大仰な仕草で一礼してその場を離れると、残された面々はクルシュの先導で客室へと移動する。

 通されたのは王城の一角にある、他国の要人をもてなすための豪奢な一室だ。

 ふかふかのソファーにエミリアとエキドナが腰を下ろし、ローテーブルを挟んで対面にクルシュが座る。

 本来ならば同席すべき立場かもしれないが、あくまで護衛という体裁をとっているスバルは、壁際に控えるフェリスやヴィルヘルムと同じく、少し離れた場所で直立していた。

 

「いやぁスバルきゅん、少し見ない間になんか成長した?」

 

 不意に声をかけてきたのはフェリス。

 可愛らしい猫耳を揺らし、人懐っこい笑みを浮かべているが、その黄金色の瞳は鋭くスバルを観察している。

 治癒術師として人の生死を見続けてきた彼だからこそ、スバルの纏う空気の変化──あるいは、死線を潜り抜けてきた者特有の匂いに敏感なのかもしれない。

 

「あんまりそんな実感ないけど……変わったように見えるか?」

 

「前よりなんか落ち着いたように見えるよ、まぁエミリア様の方が大変身! って感じだけど」

 

「いろいろあったんだよ色々。語り明かしたら三日三晩じゃ足りないくらいな」

 

「そりゃあいろいろあるでしょ。フェリちゃん達がせっせこ頑張って、ようやくそろそろ〜って時に白鯨倒しちゃうんだもん。ねーヴィル爺」

 

 うっとした表情で同意を求められ、スバルの背筋が伸びる。

 視線の先、剣鬼ヴィルヘルムはフェリスに声をかけられるまでただジッと静かに佇んでいた。

 だが話題に挙げられたことでいよいよ話に入らないわけにもいかなくなり、スバルの視線に気づくと彼は深く頭を下げた。

 

「……失礼、フェリスにばかり話を任せてしまいました。初めましてスバル殿、私はヴィルヘルム・ヴァン・アストレアというものです。まずは貴方に感謝を」

 

「やめてくださいヴィルヘルムさん、俺は貴方に感謝されることなんて出来てません…………それにきっと、貴方の手で本当は白鯨を倒したかったでしょう?」

 

 スバルは知っている。

 かつての世界で、この老人がどれほどの執念で白鯨を追っていたかを。

 妻の敵討ち、その一点に生涯を捧げ、復讐の刃を研ぎ続けてきた男の無念を思えば、横から手を出した自分が感謝されるなどおこがましいにも程がある。

 しかしスバルの言葉に、ヴィルヘルムは穏やかな、しかしどこか寂しげな笑みを浮かべた。

 

「そう言われると、少し歯痒い部分もあります。亡き妻が()()()()()()()()()()()()()()──白鯨を討伐できなかったという思い出を、出来れば私の手で叶えてあげたい気持ちは有りました。ですが結果的に白鯨が討伐されたのであれば、妻も文句はないでしょう」

 

「────え?」

 

 記憶と、違う。

 スバルの思考が、錆びついた歯車のように軋んだ音を立てて停止する。

 少なくともスバルの知る歴史では、ヴィルヘルムの妻──先代剣聖テレシア・ヴァン・アストレアは、白鯨との戦いによって命を落としているはずだ。

 死の間際に後悔を口にする? そんな時間などなかったはずなのに。

 そもそも彼女の死体は持ち去られ、色欲に傀儡として利用されるという最悪の結末を迎えていたはずだ。

 

 他者の大切な記憶に土足で踏み入ることに酷い嫌悪感を抱きながらも、確かめずにはいられない。

 スバルは震える声を押さえつけ、恐る恐る重ねて問いかける。

 

「……し、失礼なことを伺いますが、奥様は白鯨に?」

 

「いいえ、数年前に病で。私も妻も良い歳です、かつて戦場では鬼神と恐れられていても、過ぎ去る年月には勝てそうにも有りません」

 

「そう……ですか、失礼しました。ぜひ一度お話をしてみたかったので」

 

「そうですね……私も、スバル殿には妻に会ってもらいたいとそう思いました。どうしてか分かりませんが、きっと妻と話が合うとそう思います」

 

 穏やかな老人の笑み。

 だがスバルの背中は、嫌な汗でぐっしょりと濡れていた。

 病死? あの剣聖テレシアが?

 英雄としての死ではなく、家族に看取られた平穏な死を迎えたというのか。

 

(……アルやフリューゲルだけじゃない。きっと何か、大きな勘違いを俺はしている)

 

 この世界の歴史は、スバルの知る正史からどこまで乖離しているのか。

 フリューゲルが存在しない世界。剣聖が家族の元で死ねた世界。

 ここにあるのは、スバルが知るよりも遥かに優しく、けれど決定的にスバルを置き去りにする異郷の歴史だ。

 そしてそれはきっと、見逃してはいけない大きな何かの異変の始まりだ。

 

「なぁんかヴィル爺もスバルきゅんもしんみりしちゃってさ、フェリちゃん仲間外れみたいじゃん」

 

 重苦しい空気を察したのか、フェリスがわざと明るい道化のような声で割って入る。

 その軽薄な振る舞いが、彼なりの不器用な気遣いであることをスバルは痛いほど理解していた。

 彼が持つ優しさに感謝しながらも、スバルはふと気になった疑問を彼に投げかける。

 

「フェリスは会ったことあるのか? ヴィルヘルムさんの奥さんに」

 

「随分前のことだけどね。その時のフェリちゃんに今くらいの腕があれば、助けられたかもしれにゃいのに。なぁんて、暗い話を続けてても仕方ないよね」

 

「妻も私も、納得した上での最期だった。少なくとも口下手な私に語る時間を作ってくれたのはフェリス、お前の魔法であったことは確かだ……感謝している」

 

「もうヴィル爺ったら、すぐにそんなこと言っちゃってさ」

 

 照れ隠しのように、フェリスがパタパタと猫耳を動かして視線を逸らす。

 その、どこか家族のような温かいやり取りにスバルが目を細めた、その時だった。

 

 不意にフェリスの猫耳がピンと立ち、同時にヴィルヘルムの穏やかな瞳が、瞬時に剣鬼のそれへと変貌する。

 達人たちがおよそ戦闘とは無縁な気配を察知した直後、軽快な音がコンコンと扉を叩いた。

 

「失礼します。ここで秘密の会議が行われてるって聞いて、お邪魔しに来ました」

 

 許可を待たずに開かれた扉。

 そこに立っていたのは真っ白なドレスに身を包み、柔らかな笑みを浮かべた紫紺の髪の少女──アナスタシア・ホーシンだ。

 彼女は部屋の面々を見回すと、最後にスバルへと視線を固定し、獲物を見つけた商人の顔で目を細める。

 

「──お久しぶり、ナツキ君。ウチ、キミに聞いてみたいことが山ほどあるんよ」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。