スバル「強くてニューゲー……これ本当に強い?」   作:空見大

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居て、居なくて、それでも

 室内の空気が、強引に塗り替えられていく。

 直前までスバルの肩にのしかかっていた、歴史の歪みがもたらした重苦しい沈黙。

 それを吹き飛ばしたのは場違いなほどに明るく、そして計算高い響きを含んだ声音だった。

 

「クルシュさんも人が悪いわぁ、ウチが知らん間にすっかり話し込んでたなんて」

 

 許可も待たずに開かれた扉の向こう。

 白いドレスを揺らして不満げに頬を膨らませるのは、商魂逞しい少女、アナスタシアだ。

 彼女は室内に漂っていた微妙な空気など気にする様子も見せず、獲物を見つけた商人の顔でズカズカと部屋の中へと踏み込んでくる。

 

 その瞳は爛々と輝いており、これから始まる交渉への期待に胸を躍らせているのが手に取るように分かった。

 その背後。従者のように控えめに続く紫煙の騎士を見つけ、スバルは強引な話題の転換に感謝しつつ、こみ上げる冷や汗を隠すように片手を上げた。

 

「よぉユリウス、久しぶり」

 

「久しいねスバル。君の活躍はラインハルトから聞き及んでいるよ。正直恐れ入った」

 

 紫の髪を揺らし優雅に一礼する姿は、スバルの記憶にあるよりも幾分か穏やかだ。

 王選の間にいたころからそうであったが、この世界のユリウスは重ねてきた出来事が違うからだろうが、まるで以前と同じくらいの信頼感を差し向けてくれている。

 そんな彼の優しさと思いがなんとなく気恥ずかしく、スバルは咄嗟に別の事に話題を逸らす。

 

「なんかアイツやたらめったら俺の話漏らしてない?」

 

「騎士という立場にない君が、エミリア様の為に必死になって動くところを彼も気にかけているのだろうと思うよ。もちろんそれは私も同じことだ」

 

 そう言って微笑みかけてくるユリウスの姿は、やはりかつて自分が知っていたそれと似ている。

 スバルが持っている気恥ずかしさを理解した上で、それでも真っすぐに言葉を投げかけてくるその姿は、相変わらずといえるだろう。

 

 ありがとうと小さく言葉を返せば、ユリウスは満足したように笑顔を浮かべて見せる。

 ──ふと、そんなユリウスの横からひょっこりと可愛らしい猫耳が顔を覗かせた。

 

「騎士団みんなの前で戦ったのも大きかったよねぇ、スバルきゅんったら街の人達の間でも騎士なんじゃないかって話題沸騰中らしいし」

 

「そう! ウチが来たのはその件や。ナツキ君はエミリアさんの護衛なんやろ? 今回はウチが正式にナツキ君を引き抜きに来たっちゅうわけやね」

 

 パン、と手を叩き、本題を切り出す商人。

 その瞳が、チャリンと硬貨の音を立てて輝いたのをスバルは見逃さなかった。

 彼女にとってスバルは、白鯨討伐と大罪司教撃退という特大の功績を挙げた、いま最も市場価値の高い優良物件なのだろう。

 これから始まるであろう条件提示と、巧みな話術の組み立て。

 だが、その商魂逞しい提案は、少し離れた場所に座る銀髪の少女の逆鱗に触れるには十分すぎた。

 

「あー……アナスタシアさん」

 

「どないしたんナツキ君、雇用条件に関してならウチはけっこういい自信が──」

 

 スバルの頬に、じとりと重い、物理的な質量すら伴ったような視線が突き刺さる。

 思わず息を呑んで視線の隅っこ──ソファーに座るエミリアを見やれば、彼女はただ静かに、瞬き一つせずスバルを見つめていた。

 

 その瞳に宿るのは、親に置き去りにされることを予感して怯える迷子の弱さと、絶対に自分の所有物を手放すまいとする嫉妬深い女性の情念。

 相反するはずの二つの感情がないまぜになり、ドロリとした執着となってスバルを射抜いている。

 言葉はなくとも、その目は雄弁に『いなくなったりしないよね?』と訴えかけていた。

 

 ここで曖昧な態度を取れば、彼女はそれはそれは不機嫌になるだろう。

 スバルは背筋を走る悪寒を感じながら、畳みかけようとするアナスタシアの言葉を手で制し、宣言する。

 それは自身の立場を明確にするためであり、そして何より──この歪な世界で、唯一変わらない彼女への誓いを立てるため。

 

「この前正式にエミリアの騎士になったから、その話無しでお願いします」

 

 △▽

 

 バタン、と重厚な扉が閉じられる音が、廊下に虚しく響き渡る。

 

 無慈悲に閉ざされた扉の向こうに残されたのは、商談を邪魔されて不満げなアナスタシアと、スバルの爆弾発言によって凍り付いた空気を収拾するため、慌てて「ここからは候補者同士の話し合いだから」と人払いを提案したエミリアたちだ。

 気まずさと安堵、そしてほんの少しの徒労感がないまぜになった空気の中、スバルは肺の中の空気をすべて入れ替えるような、深く長い溜息を吐き出した。

 

「……寿命が縮むかと思った」

 

「商人の面目を真っ向から叩き潰せばああなるのは目に見えていただろう? ましてや相手はあのアナスタシア・ホーシンだ、ああなるのは当然の帰結といえるだろうね」

 

 スバルの隣、同じく部屋から追い出された形になる白髪の魔女──エキドナが、やれやれと肩をすくめる。

 その口ぶりは他人事のようだが、彼女自身もアナスタシアの追及をのらりくらりと躱し、煙に巻くのに一役買っていたのだからスバルには同罪に思えた。

 

「でもまぁ、エミリアには褒められたしユリウスは誇らしげだったし? 結果オーライというか、悪いことばっかってわけでもなかった気はするけどさ」

 

 追い出された扉の方を振り返りながら、スバルは努めて明るく、自分に言い聞かせるようにそう口にする。

 確かにあの中でスバルが言い放った啖呵は、エミリアを喜ばせ、ユリウスを満足させるものだったろう。

 

 だが、商談をふっかけたアナスタシアからすれば、大勢の前でお前よりもエミリアの方が価値があると宣言されたようなものだ。

 商人の顔に泥を塗った結果、室内に流れたのは時間も凍るような沈黙。

 エミリアの言葉は、そんな空気を察してスバルを逃がすための精一杯の助け舟であり、彼女の成長ぶりを見せていると言ってもいいだろう。

 

「だとしても、結果として部屋を追い出され、こうして廊下に立たされている時点で勝利とは言い難いんじゃないかい?」

 

「うっ……」

 

 痛いところを突かれ、スバルは言葉に詰まる。

 隣に立つ白髪の魔女は閉ざされた扉を冷ややかな目で見つめながら、意地悪く事実を陳列してみせた。

 

「あのまま中にいれば、間違いなくキミはアナスタシア・ホーシンの執拗な追及の的になっていただろうね。エミリアに助けられてよかったじゃないかスバル」

 

「……つうかなんでお前まで廊下に来てんだよ。保護者枠なら中にいてもよかったろ」

 

 スバルが追い出されるのは自業自得だとしても、彼女には部屋に残る権利があったはずだ。

 エミリア陣営の参謀役として、あるいはスバルの管理者として。

 だが、彼女は当然のような顔をしてスバルの隣に並んでいる。

 スバルのジト目に気づいたのか、エキドナはふっと遠い目をして、詩的な口調で語り出した。

 

「エミリアの成長は著しいね。自分の足で立とうとする娘の姿を、幼い頃から見ていた者として嬉しく思うよ」

 

 あたかも親心で見守るためにあえて席を外したと言わんばかりの美しい所作。

 だが、スバルは誤魔化されない。

 あの凍り付いた空気の中、アナスタシアに加え過去にやらかしたクルシュからも冷たい目線が向けられ、居心地が悪くなり逃げ出してきたのをスバルはその目でしっかりと見ていた。

 

「いい話風にしてるけどお前も追い出されただけじゃねぇか!」

 

「…………うるさいよ」

 

 保護者面をして頷く魔女に、スバルは食い気味にツッコミを入れる。

 そんな中でもどこまでも超然とした態度を崩さないのは流石というべきか、面の皮が厚いというべきか。

 

 そうして軽口を叩き合っていると、廊下の向こうから規則正しい足音が近づいてくるのが聞こえた。

 召使たちは先程からあまりこの場所を通っていないので、無意識のうちに五感は音のなった方にいやに意識を割く。

 スバルたちが顔を向けると、そこには鮮やかな赤髪の青年と、不釣り合いなほどラフな格好をした少女の姿があった。

 

「──誰かと思えば、スバルじゃないか!」

 

「ようラインハルト。それにフェルトも」

 

 爽やかな笑顔を向ける剣聖ラインハルト・ヴァン・アストレアと、その隣で退屈そうに欠伸を噛み殺しているフェルト。

 王選候補者とその騎士という組み合わせでありながら、まるで兄妹のような砕けた空気を纏っているのはどこの世界でも相変わらずのようである。

 反射的に声をかけられた相手の名前を読んでから、礼を失するわけにもいかないかとフェルトの名前を呼ぶと当の本人は少し自嘲気味な笑みを浮かべていた。

 

「オレはついでかよにいちゃん、こんなところで何してんだ?」

 

「中で楽しいお話してるところを、無駄に藪蛇つついて追い出されちまった……それにしても今日はなんでこんな王城に王戦候補者集まってんだ? もしかしてプリシラも来てたりしねぇだろうな」

 

「プリシラ様について詳しい話は聞いてないけれど、多分来ていないんじゃないかな。僕達も偶然来ただけだし」

 

「それならいいけどよ、前みたいなことになったら今度こそヤベェだろ」

 

 スバルの脳裏に過るのは、王選開始の広間で起きた大罪司教らによる襲撃事件。

 王選候補者が二人あつまるだけでも事件の予感がするというのに、全員大集合ともなればきな臭いことこの上ない。

 ましてやスバルが知る歴史であればこの後に起きる事件と言えばプリステラでの魔女教との正面衝突。

 それが場所を変えて再び王都で行われる可能性が脳裏を過ぎれば、慎重にならざる負えないというものだ。

 

「先日の一件の手前あまり言いづらいところもあるけど、そうならないために騎士団も今は動いているよ。どちらかといえば問題は三月後のプリステラでの演説会だろうね」

 

「演説会? 聞いてないけど」

 

 初耳の単語に、スバルは眉をひそめる。

 重要なイベントがあるなら事前に教えておいて然るべきだ。

ましてやプリステラ関連の行事ともなれば、警戒するに越したことはない。

 説明を求めるようにスバルは隣に立つエキドナへと視線を移した。

 

「君は落ち着いてゆっくり過ごしてくれと頼んだだろう? もちろん時期が来れば話すつもりではいたさ、三ヶ月後の会合の話を君にしていま気苦労を負わせても仕方がないだろう?」

 

 悪びれもせず、さらりと告げるエキドナ。

 その過保護とも取れる配慮はありがたくもあるが、同時にスバルを子供扱いしているようでもあり、少し複雑な気分になる。

 だがそんなエキドナの言葉に肯定的な意見を出す人間がこの場にはもう一人いた。

 

「アンタも苦労してんだな。にいちゃん話聞かなさそうだもんなぁ」

 

 貧民街で育った彼女特有の、人を見る目の鋭さだろうか。

 スバルという人間が一度話を聞けば、大人しくしていられる人間性ではないことを彼女は野生の勘で見抜いているらしい。

 ニシシと歯を見せて笑うその表情は悪戯っ子のそれだが、その瞳は妙に確信に満ちていて、スバルは少しだけ居心地の悪さを感じる。

 

「おいおい、エミリア陣営でオットーの次に聞き分けがいいって評判だぜ俺は。まぁみんな話聞かないってのもあるけどよ」

 

「なぁに言ってんだか。ほら言ってやれラインハルト」

 

 呆れたように肩をすくめ、フェルトは自身の後ろに控える最強の騎士へと話を振る。

 この世界で最も高潔で嘘をつかない剣聖ならば、この往生際の悪い男に真実を突きつけてくれるはずだと確信して。

 そして、その信頼は裏切られない。

 

「僕が言うのも申し訳ないけど、スバルは少し無鉄砲なところがあるとは思うよ」

 

「はいはい、反省します反省します!」

 

 そこには悪意など微塵もなくただ純粋な友人としての心配と、客観的な事実があるだけ。

 だからこそ反論の余地はなく、スバルは降参とばかりに大袈裟に両手を上げるしかない。

 そうして雑談に興じているとほんの一瞬だけ、フェルトは鋭い目線をスバルに向けてくる。

 そこに込められた感情は噛み砕きにくいが、きっと心配しているのだろうということはわかる。

 

「まぁなんでもいいけどよ、にいちゃん本当に気をつけろよ。生き急ぐやつほど死ぬぜ」

 

「────」

 

 生き急いでいるつもりはない。ただ、失いたくないものが多すぎて、そのためにやれることをやろうとしているだけ。

 だが、そんな言い訳を彼女にするわけにもいかず、スバルは努めて明るく笑って見せた。

 

「もちろん気をつけるよ、ありがとなフェルト」

 

「おう。またなにいちゃん」

 

 短く手を振り、フェルトはラインハルトを連れて廊下の奥へと消えていく。

 その小さな背中を見送りながら、スバルは改めて、これから始まる平穏なはずの三ヶ月と、その先に待つ新たな舞台に思いを馳せていた。

 

 △▽

 

 王都の喧騒も夜の帳が下りれば、幾分かではあるが鳴りを潜める。

 宿の一室。

 外から漏れ聞こえる微かな賑わいとは対照的に、その部屋には張り詰めたような静寂が満ちていた。

 

 対面するのは、豪奢なドレスに身を包んだ少女──ベアトリスと、その母エキドナだ。

 いつもならスバルと共にいるはずの時間。

 それをエミリアとレムに譲ってまで、ベアトリスはあえて二人きりの時間を作ることを選んだ。

 

「君が呼び出すとは珍しいねベアトリス。何か用事でもあったのかい?」

 

 湯気の立つ紅茶に口をつけ、エキドナが楽しげに目を細める。

 その表情には、娘からの呼び出しを喜ぶ親の顔と、これから問われるであろう内容を予期している魔女の顔が同居しているようにみえた。

 だがベアトリスからしてみればそんな母の顔は見慣れたものでもある。

 

「ベティだってお母様とお話ししたいかしら。ロズワールのやつは少しは気を回すべきなのよ」

 

「彼は心配性だからね。アレでも随分とマシになった方だと思うけど」

 

「……過保護すぎるのも考えものかしら」

 

 ぷい、と顔を背けて見せるが、それは照れ隠しと緊張を悟らせないための虚勢だ。

 そんなベアトリスの様子を微笑ましく眺めながら、エキドナはふと周囲を見回すような素振りを見せる。

 

「──そういえばスバルは? 一緒じゃないのかい?」

 

「スバルならレムとエミリアと一緒に街に出て食事を楽しんでいるのよ。オットーも一緒かしら」

 

「そうかい。ボクも付いていけば良かったかな、楽しそうだ」

 

 何気ない一言。だがその言葉に、ベアトリスは視線を彷徨わせる。

 冗談めかした響きの中に、ほんの僅かな寂しさが混じっているように聞こえたのは、ベアトリスの願望だろうか。

 テーブル一つを挟んだ距離。

 

 手を伸ばせば届くはずなのに、400年という歳月が作った透明な壁が、どうしようもなく二人を隔てている気がする。

 記憶が戻ってくる前のこの世界の自分は、それなりに母に甘えて暮らしていた記憶がある。

 だが記憶が戻り、スバルの契約精霊となったいま表立ってエキドナに甘えるような事はなくなり、こうして二人で話をする時間も随分と減ったように感じる。

 

 このまま沈黙してしまえば、また遠ざかってしまう。

 せっかく、ようやく母様もスバルもいる、幸せな世界に来れたのに。

 ベアトリスは膝の上で拳をぎゅっと握りしめ、その距離を埋めるための言葉を、必死に喉の奥から手繰り寄せた。

 

「こんどベティがお母様を誘うのよ、それで一緒に食べに行くかしら」

 

「楽しみにしておくよベアトリス」

 

 穏やかな会話。一見すれば、久しぶりに再会した母娘の微笑ましいやり取りに過ぎない。

 だが、会話のボールが途切れた瞬間、部屋の空気が鉛のように重く変質した。

 

 沈黙。

 

 ただ、紅茶の冷める音だけが聞こえてきそうな静寂の中で、ベアトリスは膝の上でドレスの裾をぎゅっと強く握りしめる。

 聞かなければならない。けれど、聞いてしまえば何かが決定的に変わってしまうかもしれないという恐怖が、喉元まで出かかった言葉を押し留めようとする。

 

 目の前にいるのは敬愛する母親だ。

 けれど同時に、彼女は理解の及ばない元魔女でもある。

 スバルの契約精霊として彼の隣を歩む自分と、エキドナによって生み出された被造物としての自分。

 二つの立場の板挟みになり、乱れる心を必死に繋ぎ止める娘の様子を、魔女は静かに見つめていた。

 

「──言い出しづらいかい? 私の方から答えてもいいが」

 

「……いいのよ。ちゃんとベディの言葉でお母様に聞くかしら」

 

 エキドナが差し出した助け舟を、ベアトリスは首を横に振って拒絶し、顔を上げる。

 その瞳には、かつて禁書庫でただ誰かが扉を開けるのを待ち続けていた頃の弱さはない。

 ナツキ・スバルというその人を選び、彼と共に歩むと決めた、一人の精霊としての意志が宿っていた。

 

「どうして、スバルにこの世界の異変について隠してたかしら。どうしてあの時知らなかったフリをしたのよ」

 

 核心を突く問い。

 この世界における賢者フリューゲルや荒地のホーシンといった、歴史の根幹に関わる欠落。

 知識の権化がその致命的な欠落に気づかないはずがない。

 それを知りながらあえてスバルに黙っていた理由を、ベアトリスは震える声で問いただした。

 問いかけの本質はオマエは敵なのかと言う単純なもの。

 だがその言葉を投げかける事はベアトリスにとって、何よりの苦痛であった。

 

 エキドナは少しだけ驚いたように眉を上げ、それからコトリと、小さな音を立ててソーサーにカップを戻す。

 その音が、ベアトリスには開戦の合図のように聞こえる。

 

「……まず第一に、それは必要だったからそうしたと答えさせてもらうよ。確かに君が言う通りこの世界にフリューゲルや、君たちが思い描くホーシンのような存在がいないことを僕は知っていた」

 

 悪びれることもなく、魔女は肯定する。

 まるで明日の天気を語るかのような軽さ。隠していた重大な秘密を、さも当然の事実として突きつけられ、ベアトリスは言葉を失う。

 きっとエキドナはいま起きていること、そして裏で何がどうなっているかを正確に理解している。

 その上でそれをひた隠し、情報を小出しにしてきていたのだ。

 ──それは一体いつから? スバルと出会って少ししてか、会ったばかりの時か、もしくはそれより遥か前か。

 

「知らないフリをしたのは単純にあの場にエミリアがいたからと言う理由が大きいが、もう一つはスバルがいる場所で私の知識についてペラペラと話すわけにはいかなかったからだよ」

 

「……どういう、ことかしら」

 

「情報に大切なのは取捨選択だ。彼が持つ最大の強みであるやり直し、これは手に入れた情報が全て正しいからこそ有効に使える。根元の情報を間違えたまま戦えば先に壊れるのは彼の方だよ」

 

 エキドナは細い指先で、宙に複雑な図形を描くように動かす。

 ナツキ・スバルという特異点は、未来の知識を持っているからこそ強く、そして脆い。

 彼の行動原理の根幹である知識が、この世界では通用しないと早々に突きつけられれば、彼は迷い、立ち止まり、最悪の場合、取り返しのつかない破綻すら引き起こす可能性がある。

 

 だからこそ、彼が自分の足で事実に辿り着くまで、あえて沈黙を守ったのだと彼女は嘯いた。

 

「そう……かしら」

 

 理路整然とした回答。

 その場にいたエミリアへの配慮、そして何よりスバルの精神を守るための沈黙。

 それは強欲の魔女らしい、合理的で、独善的で、けれどどこか不器用な愛情の形にも聞こえた。

 

 納得はできた。

 それが本当のことなのか、あるいは魔女特有の巧みな詭弁なのか、ベアトリスには判別できない。

 真実は藪の中、あるいは彼女の腹の底だ。

 

 だからベアトリスはそれ以上追及しなかった。

 追及できなかったのではなく、信じることを選んだのだ。

 握りしめた拳をゆっくりと解き、目の前の母を見つめる。

 

 ただ、本当だと信じたかった。

 母が自分たちにとって害をなす存在ではないと、そう思いたかったから。

 でもこれだけは聞いておかなければならない。

 過去はいい、もう終わったことだ。ならば未来はどうなのか?

 

「これだけは聞きたいのよ……スバルが触れられる情報を整理しているのは、お母様が考える何かを実現するために、スバルを利用しようとしているからではないと、そう……言って欲しいのよ」

 

 恐る恐る、けれどベアトリスは言葉にする。

 利用されることが嫌なのではない。スバルのためになるなら、彼が望む未来に繋がるなら、自分が利用されること自体は些末な問題だ。

 ただ、その利用の先に、スバルが傷つく結末が待っているのではないかという疑念だけが、棘のように胸に刺さっていた。

 

「優しいねベアトリスは。もう少し責めるような口調で言ったって良いんだよ、ボクはその言葉にいくらでも言い訳ができるが、大切なのは君がどう思っているかだからね」

 

「信じたいと、そうずっと思っているのよ」

 

 真っ直ぐな瞳。

 400年の孤独を越え、ようやくその人に出会えた少女の瞳には、かつてないほどの強さが宿っている。

 だからこそ、ベアトリスは踏み込む。

 スバルの隣を歩くパートナーとして、この世界の歪みを正そうとする魔女の娘として。

 

「お母様、この際だからはっきり教えて欲しいかしら。敵は一体誰なのよ」

 

「ボクがそれを知っているとでも?」

 

「お母様は誰より優秀なのよ、きっと王選開始の時には気がついていたかしら。それにお母様は、動揺すると一人称が私とボクで行ったり来たりするのよ」

 

「……」

 

 痛いところを突かれた、というようにエキドナが言葉に詰まる。

 完璧な魔女の仮面に入った、可愛らしいひび割れ。

 それは400年前から彼女を見てきた娘だからこそ気づける、微かな動揺のサインだった。

 

「……気にしてなかったな。使い分けはちゃんとしていたつもりだったんだけど」

 

 小さく咳払いをして、エキドナは観念したように肩をすくめる。

 その仕草は、どこかバツの悪そうな人間のそれだった。

 

「分かったよベアトリス、ただしこの話はボクがスバルに教えるまではずっと秘密だ。聞けばきっと君は無駄な心労を産むだろう。それでもいいね?」

 

 試すような視線。

 だが、ベアトリスは即座に首を縦に振る。

 自分の心労などどうでもいい。真実を知り、少しでもスバルの力になれるのであれば、どんな絶望でも飲み込んでみせる。

 

 その覚悟を受け取り、エキドナは静かに、けれど決定的な事実を口にした。

 

「君が、僕達が、そしてこれからスバルが戦うべき相手は()()()()()()()だよ」

 

 時が、止まった。

 

 先ほどまでの決意が、音を立てて崩れ落ちていく。

 ベアトリスの顔が蒼白に染まり、喉が引きつったように音をなくす。

 想像していた最悪を遥かに超えた、救いのない真実。

 

 絶望に染まるベアトリスの顔を見て、エキドナは小さく、長く息を吐き出した。

 張り詰めていた糸が切れたように肩の力を抜いた彼女は、魔女としての仮面を少しだけずらし、困ったような、けれどどこか救われたような瞳で娘を見つめ返す。

 随分と前から抱え込んでいた秘密を打ち明けた彼女は、ほんの少しだけ自分でも気が付かない内に肩の荷が下りていたのだろう。

 夜の静けさは変わることなく、こうしてベアトリスは新たな共犯者になるのであった。

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