アニサマDay2.3で現場にいました。
リゼロ楽曲もたくさん聞けて良かったです、やる気出たので更新頻度上げます。
本当はこの話続きも書いてるんですが1話が3万文字超えちゃったので分割中です……。
来週くらいには更新したい。
何度でも、何度でも、繰り返す。
エミリアが演説を終え、広場を埋め尽くしていた人々から万雷の拍手が巻き起こったあの一瞬を起点として、ナツキ・スバルは今日という地獄の一日を幾度となくやり直していた。
少なくとも三十や四十ですらとてもではないが足りていない。
百に届いているのか、あるいは既に越えているのか、それすら今のスバルには分からなかった。
死ぬたびに擦り切れる精神を必死に繋ぎ止め、数えるより先に失敗した作戦の無残な結果と、それに対する敵の冷酷な反応を脳髄へ刻み込むことだけを優先するようになっていた。
それほどの時間を己の血と肉をすり潰しながら繰り返してもなお、スバルは結局のところ何も救えないまま無為に死に続ける。
最初に試したのは、各陣営の戦力を分散させ、市民の避難を最優先に進めるという正攻法だった。
大罪司教が複数存在することは既に把握している。
ならば一箇所に戦力を集めるのではなく、街の各地へ均等に人員を配置し、どこで問題が発生したとしても即座に対応できるようにすればいい。
エミリアとベアトリスには最も多くの市民が集まる大規模な避難所の防衛を任せ、スバル自身も群衆の誘導に奔走した。
考え得る限りの危険を排除し、可能な限り安全な盤面を作り上げたつもりだった。
だが、結果としてその「安全のために一箇所へ集める」というスバルの判断そのものが、最悪の引き金となった。
「はじめまして皆さん、私は魔女教大罪司教憤怒担当、シリウス・ロマネ・コンティです」
ミーティアから流れ出した狂気の声を合図に、避難所に集められた群衆の中にさざ波のような異変が走った。
街の人間が憤怒の言葉を受けて恐怖を覚える。その恐怖はシリウスの権能によって瞬時に共有され、増幅し、次の瞬間には明確な敵意となって避難所全体を覆い尽くした。
逃げ惑う人波が互いを突き飛ばし、殴り合い、悲鳴と怒号が入り混じる凄惨な殺し合いの場へと変貌する。
「落ち着け! それはお前らの感情じゃない!」
喉が裂けるほどの声で叫びながら、スバルは狂乱する人々の間に割って入ろうとする。
権能に揺さぶられ心の底からの恐怖を感じながら、それでもスバルは場をなんとかしようとした。
だが恐怖に駆られた群衆の力は想像を絶する。
誰かを傷つけようとしているわけではない市民たちに対して、スバルは武力で抵抗することができない。
エミリアやベアトリスもまた、防衛対象である市民を力ずくで退けることができず、ただ混乱の渦に飲み込まれていく。
押し寄せる人の波に足をすくわれ、冷たい石畳の上へ乱暴に引き倒される。
無数の足がスバルの背中や手足を容赦なく踏みつけ、誰かの手が無我夢中でスバルの首をきつく締め上げた。
酸素を奪われ肺が焼け焦げるような苦痛の中で、スバルの視界はゆっくりと暗転していった。
(…………っ)
──自分が良かれと思って彼らを集めた事実が、この地獄を生み出したという取り返しのつかない因果だけを胸に抱きながら。
次に試したのは、市民の希望を自分自身へ集めるという作戦だった。
憤怒が人の感情を操るのであれば、それ以上に強い希望を伝播させるしかない。
かつて自分が行ったことを再びする。
そのことに対してスバルは少しもためらうつもりはなかった。それで勇気づけられる人が居るのだと思えたから。
「プリステラにいるみんな、俺の声を聞いてくれ!」
遠くから爆発音が響き、建物の向こうでは異形の亜獣が咆哮を上げている。
この都市庁を奪還するのに兵力を用意し、カペラを退け、その間に被害はとてつもないものに変わっていた。
だがそうしなければならなかったのだと自分に言い聞かせ、ナツキ・スバルは言葉を並べる。
王の騎士として、エミリアの傍に立つものとして、平和を願うものとして、届けたい言葉をありったけの思いで伝える。
だが魔法器を通して届けた声は、酷く冷ややかな現実の前にあっさりと霧散した。
現在の市民たちには、ナツキ・スバルという人間の名前も、顔も、まだ十分には浸透していない。
確かに暴食を倒した男がいるとは聞いていた、だがいま目の前の被害を前にして本当にそんな存在を倒せる者が居ると信じられるだろうか?
剣聖なら理解できた、だがどこの馬の骨とも知らない男がこの地獄をどうにかできると本気で思える人間がどれだけいるだろうか。
しかも最悪なことに悪意はそんな街の人間たちの背中をそっと押す。
『我々魔女教が求めるのはただ一つデス、ナツキ・スバルの身柄の確保。勤勉な働きを期待するのデス』
そのたった一言でパニックに陥っていた市民たちの心を、怠惰はいとも容易く掌握した。
顔も知らない自称英雄の言葉と、実際に都市を蹂躙している絶対的な暴力の主が提示した生存の条件。
極限状態に置かれた大衆がどちらを信じるかなど、考えるまでもないことだった。
向けられる無数の殺意と狂乱から逃れるため、スバルは這うようにして狭い路地裏へと逃げ込んだ。
肺の痛みに反射的に肩を上下させ、壁に背を預けた直後、暗がりから生臭い獣の息遣いが漏れ聞こえる。
カペラの悪辣な権能によって生み出された異形の亜獣たちが、まるでスバルがここに逃げ込んでくることを最初から知っていたかのように前後の退路を完全に塞いでいた。
逃げ場のない狭い空間で、鋭い牙がスバルの肉を情け容赦なく引き裂き、無残に咀嚼される激痛の中で何度目かの試みもまた費えた。
ならば何も選ばず、全てを最強の手駒へ任せればいい。
そんな乱暴な結論へ踏み切り、ラインハルトとユリウスという最高戦力を中心に、都市庁を直接強襲させた周回もあった。
序盤は圧倒的だった。並み居る屍兵や亜獣を紙屑のように蹴散らし、瞬く間に都市の深部へと迫っていく。
だが強いだけなら倒す方法などいくらでもある。
スバルがとてもではないが勝てる見込みのない大罪司教相手に勝利を収めたように、相手のことを理解していればやりようなどいくらでもあるのだ。
四方の水門、避難所の人々、そして王選候補者であるアナスタシアやフェルトへの同時多発的な襲撃。
彼らが「誰かを救わなければならない」という絶対的な善性を持っていることを逆手に取り、見事に二人の手を止めて見せたのだ。
強者に頼り切った結果、孤立無援となったスバルは暗い地下水路へと逃げ込むしかなかった。
冷たい水音だけが響く空間で、息を潜めていたスバルの背後から、不意に幼い声がかかる。
「すばるん」
振り返った先にいたのは、拘束衣を引きずるダフネだった。
ジロリと見つめる彼女の目と死線が交差する。
一切の感情を読み取れない、底なしの暗闇のような無機質な瞳が剥き出しになっていた。
スバルを見つめるその視線には、憎悪も殺意もない。ただ純粋で、優しさすら感じられる瞳は、そうしてゆっくりと閉じられる。
「もう、時間切れです」
ダフネが小さく口を開く。
その直後、視界の全てが理不尽なまでの暗黒に呑み込まれ、抵抗の余地すら与えられないまま、スバルの意識は唐突にプツリと途絶えた。
それからも、数え切れないほどの死を重ねた。
避難所を分散させれば各個撃破され、地下水路を使えば水攻めに遭う。
ペテルギウスを先に討伐すれば、その死をトリガーとしてシリウスが即座に現れ、ロズワールを自由に動かせば敵の集中攻撃を浴びて無残に散った。
時間や人員の配置を変えれば、まるでその思考を先読みしているかのように、敵側も完璧な対策を講じて待ち構えていた。
まるで未来を知っているかのように、ナツキ・スバルが何を考え、誰を守ろうとし、どのような状況で何を最優先にするのか。
その精神の根本までを完全に理解した上で、最も彼が選びたくなる選択肢の先に、回避不能の罠を置き続けている。
傲慢がいる。それもきっとすぐ近くに。
自分が直面している敵が何者なのか、その輪郭が少しずつ鮮明になっていくことへの根拠のない恐怖だけが、思考の深淵に踏み込もうとするスバルの足を震えさせて押し留めていた。
「が、はっ……」
何度目かの失敗の果て。
薄暗い路地裏の石畳に倒れ伏したスバルの口から、べっとりとした血の塊が吐き出された。
腹部を深く斬り裂かれ、両手で必死に傷口を押さえても、指の隙間から命の熱が止めどなく零れ落ちていく。
立ち上がろうと僅かに力を込めるだけで、内臓を直接鷲掴みにされたような激痛が脳天を突き抜け、視界がチカチカと明滅した。
既にこの周回での敗北は確定している。都市のあちこちで火の手が上がり、仲間たちがどこでどう戦っているのかすら分からない。
絶えず聞こえる悲鳴と怒号の声はもはやスバルにとっては聞き慣れたものになりかけていた。
それでも、次のループへ一つでも多くの情報を持ち帰るために、スバルは薄れゆく意識を総動員して周囲の気配を探った。
路地の奥から、硬い金属が石畳を擦る嫌な音が近づいてくる。
三体。少し離れた背後に、さらに二体。生気のない屍兵たちの足音が、スバルの命を刈り取るための死のカウントダウンのように、等間隔で迫ってきていた。
路地の奥から聞こえてくる死の足音が、あと数歩でスバルへ届くというその瞬間だった。
「──いつ見ても貴様は這いつくばって、それはそれは哀れな姿を晒しておるな。凡愚」
自分以外に生きている者などいないと思っていた薄暗い路地裏へ、ひどく聞き覚えのある傲慢極まりない声音が響き渡った。
声が鼓膜を打ったのとスバルの頭上へ凶刃を振り上げていた屍兵たちが強烈な紅蓮の炎に包み込まれたのは、全く同時のことだ。
空気を焼き尽くす音と共に燃え上がった炎は、強固な鎧すらも紙切れのように燃やし尽くし、生気のない肉体を一瞬にして灰へ変える。
先ほどまでスバルの命を確実に奪おうとしていた者たちは、断末魔の悲鳴を上げる暇すら与えられないまま、黒い炭となって石畳の上へと崩れ落ちていった。
突如として発生した熱風に前髪を乱されながら、スバルは血で霞む視界をゆっくりと声のした方向へ向ける。
揺らめく陽炎の向こう側。抜き身の陽剣を片手に携え、堂々と立っていたのは、この凄惨な地獄にはあまりにも不釣り合いな一人の女性だった。
「プリ、シラ……?」
掠れた声で、どうにかその名前を呼ぶ。
スバル自身が自分の口から発せられたとは思えないほど弱々しい音だったが、プリシラはしっかりと聞き取ったようで、路地裏を汚す血だまりなど端から存在しないかのように、真っ直ぐにスバルの方へと歩み寄ってくる。
「どうして、ここに……。お前には、南の避難所を……任せたはずじゃ……」
声を発するだけでも腹の傷口が引き攣り、零れ落ちそうな内臓を無理やり押し留めるような激痛が全身を駆け抜ける。
それでも、問いかけずにはいられなかった。
今回の周回でスバルがプリシラへ宛てがった役割は、街の南側に存在する避難所の防衛だ。
都市の中心部から離れているため、強力な大罪司教や厄介な屍兵が直接姿を現す可能性がそれなりに低く、それでいて彼女の圧倒的な武力があれば、いかなる暴徒からも市民を確実に守れる場所。
彼女が少なくとも無事にこの周回をやり過ごすにはその場所にいることが必須のハズだった。
だというのに、今目の前に立っているプリシラの姿は、安全という言葉からあまりにもかけ離れている。
いついかなる時も完璧に結い上げられている美しい橙色の髪は乱雑に振り乱され、汗と返り血によって白い頬へ無残に張り付いている。
彼女の覇気を象徴するような豪奢な赤いドレスは何箇所も黒く焼け焦げ、裾は鋭利な刃によって引き裂かれたのか、白い脚が露出するほどにボロボロになっていた。
普段であれば煌びやかな宝石に飾られているはずの首元や腕も傷だらけだ。
砕けた装飾品の欠片が肌へ食い込み、肩口には深々と刃を受けた痕が刻まれ、あろうことか首筋には巨大な獣に直接噛みつかれたかのような赤紫色の痣が、くっきりと残されている。
ここに来るまで、一体どれほどの死線を越えなければならなかったのか。
理解できないものを見つめるようなスバルの視線に対してプリシラはただ言葉を返す。
「妾がどこで何をしようと、妾の自由よ」
自身の身に刻まれた致命傷一歩手前の傷など、気にも留める価値がない。
そうとでも言うようにプリシラは血に濡れた頬を拭うことすらしない。
ただ冷徹に陽剣の柄を握り直し、見下ろすように次の言葉を並べる。
「それに、貴様の窮屈極まりない指示通りに動いていてはどうにもならん。現にこの有様がその答えよ」
「避難所は……あそこには人が沢山……っ」
燃え盛る街もそこで死んでいる人も、確かに自分の指示が原因だ。
それは理解しているからこそスバルはそれに対して何も言い返す余地はない。
だが少なくとも、少なくとも彼女が避難所に居てくれれば助かる命は少しは多くなったはずで──
「案ずるでない。妾がいなくとも、あの程度の場所を守ることのできる者はおる」
一体だれが居るというのだ。
もう動ける相手がいないことなどスバルが一番よく知っている。
考えに考え抜いた結果がいまなのだ、自分以外の一分一秒さえ全て制して。
「また妙なものに好かれたものよな、貴様は」
それ以上、プリシラは誰のことを指しているのかを説明しようとはしなかった。
本来であれば、喉を枯らしてでも問いただすべき事態だ。スバルの全く把握していない未知の人間がこの街で動いており、しかもあのプリシラが避難所の防衛を任せることのできるほどの実力を持っている。
その正体と目的を確認しておくまえには死ぬわけにはいかない。
だが、今のスバルにはそれを聞き出すだけの時間も、残された生命力も存在しなかった。
既に末端の指先は氷のように冷え切り、腹部を押さえている両手からは少しずつ感覚が抜け落ち始めている。
己の命がそう長くは保たないことを、誰よりも死に親しんできたスバル自身が一番正確に理解していた。
這いつくばったまま動かなくなるスバルの状態を見抜いてか、プリシラは陽剣を軽く振って刃に付着した灰を地面へ落とすと、酷く冷ややかな、けれど確かな熱を帯びた視線を向けてきた。
「分不相応に全員の命を背負い込み、誰も死なせぬための甘い策を練り続けた結果が、この有様か」
「……好き勝手、言いやがって」
「妾はいついかなる時も好き勝手に言葉を口にする。それが許されるだけの正しさを、妾は常に持ち合わせておるからな」
普段であれば即座に言い返したであろう、高慢極まりない言葉。
しかし今回ばかりは、反論するための言葉が喉の奥で詰まり、血の塊と共に飲み込むしかなかった。
プリシラの指摘は、あまりにも残酷なまでにスバルの核心を突いていた。
もちろん、仲間たちの力を借りなかったわけではない。エミリアの魔法、ベアトリスの知識、オットーの機転、ラインハルトの圧倒的な武力。スバル一人では到底果たすことのできない盤面の構築を、彼らに頼り切っていた。
だが、その役割を頼むにあたり、スバルは常に彼らが死なない道だけを模索し、誰かが死ぬ可能性を避けようとしてきた。
誰を何処に配置すれば、最も安全か。何を伝えれば、彼らが無茶をせずに済むのか。
そうやって仲間を信じて背中を預けているつもりになりながら、その実、自分が安全だと判断した箱庭の中から一歩も外へ出さないように、彼らの可能性を鎖で縛り付けていたのだ。
「貴様は味方を信じていると嘯きながら、その実、死地に立つ者たちの底力を微塵も信じておらん。その有様実に傲慢よな」
「俺は……っ、俺は!」
「誰も傷つかぬよう手元へ囲い、全ての危険を取り除いてからでなければ送り出そうとせぬ。そのようなものは信頼ではない」
弁明しようと顔を上げたスバルを、プリシラの赤い瞳が、燃え盛る炎のような苛烈さで真っ直ぐに射抜く。
「ただ、貴様が失うことを恐れているだけよ」
その鋭利な一言を突きつけられ、スバルの呼吸が止まった。
失うことが怖い。そんなことは、言われるまでもなく痛いほど分かっている。
エミリアが氷の床に崩れ落ちる姿を見たくない。ベアトリスが炎に飲まれて消え去る光景も、レムが己を庇って血だまりに沈む瞬間も、オットーが自分の判断ミスによって二度と帰ってこなくなる未来も、二度と、絶対に味わいたくない。
プリステラの街でもう誰も死んでほしくなかった、せめてこの世界では平和な街であってほしかった、レムにこの街が良いところだったって、また来ようってそう言いたかった。
もう死ぬのは嫌だった、自分が摩耗していくから。
みんなが死んだ時に、悲しむ気持ちが薄れていっているような気がしたから。
いつか、フレデリカの言っていた自分になってしまいそうだっから。
だからスバルはどうせ突き放されるだろうと思いながらせめてもの抵抗で言葉を返す。
「生きて帰ってきて欲しいって思うのは……当たり前だろ」
「当たり前よ」
だがプリシラはスバルが予想していたよりも遥かにあっさりと、迷いなくその言葉を肯定する。
「戦場へ向かう者を見送るのであれば、誰であろうと無事に帰ってこいと願う。その程度の感情すら持ち合わせていない者を、人とは呼べぬ」
そう口にしながら、プリシラは陽剣の切先を石畳へ無造作に突き立て、血だまりが広がるスバルの目の前へとゆっくりと腰を落とした。
普段であれば、汚れた地面に膝をつくなど、彼女の美学が絶対に許さない行為だろう。
しかしプリシラは、豪奢なドレスがスバルのどす黒い血に染まることなど微塵も気にする様子を見せない。
死にかけてまともに顔を上げることすらできないスバルと正確に視線を合わせるためだけに、その冷徹で圧倒的な覇者の振る舞いを見せつけてくる。
「だが、その願いを理由に、相手が何を選ぶかまで奪うな」
「────」
「貴様が真に味方を信じるというのなら、絶対に安全な策など捨てよ。死ぬか生きるかの死線に立たせ、生きて帰ってくるとただ信じて、背を預けてみせよ」
血を吐くような凄惨な現場に響いたその言葉が、スバルの凝り固まった脳天を、殴りつけられるほどの衝撃を持って打ち据えた。
プリシラは、スバルの窮屈な指示を無視した。
安全な避難所に留まっていてほしいというスバルの願いを振り払い、自分自身の判断で戦場のど真ん中へと駆け込んだ。
スバルの知らない場所で、スバルの計算にはない選択をして、全身にこれほどの傷を負いながらも、事実として彼女は今、スバルの目の前で生きて立っている。
盤面を監視する傲慢は、ナツキ・スバルを完璧に理解している。スバルが誰を大切に思い、危険から遠ざけ、絶対に誰も死なせないための配置を組むことを見透かし、その安全な道の先に回避不能の罠を張り巡らせていた。
ならば、スバル自身にも全く予測できない不確定要素を盤面にぶち撒ければどうなるか。
仲間たちが死線の中で何を考え、どのように行動し、どんな理不尽を強引に打ち破って帰ってくるのか。
その全てを最初から計算から外してしまえば、相手がどれほどスバルの思考をトレースしようとも、この混沌とした戦場を完全に読み切ることなどできるはずがない。
それは、文字通り仲間を死地へ送り出す極限の博打だ。
だが、自分が敷いた安全なレールの上を歩かせるのではなく、彼ら自身が死地の中から必ず生き残る道を見つけてくれると信じ、全てを委ねる。
それこそが、相手の監視網を根底から破壊する唯一の反撃の糸口なのだと、何故だが不思議なことに確信できた。
「……はは」
「何がおかしい、凡愚」
「いや……相変わらず、お前はすげぇなと思ってさ。アルにも見せてやりたいよ、他人を激励してるお前の姿」
「道化に褒められて喜ぶほど、妾は安くないわ」
プリシラは不機嫌そうに鼻を鳴らし、石畳から陽剣を引き抜いて立ち上がる。
スバルの肉体は既に限界をとっくに超えていた。彼女と言葉を交わしている僅かな時間にも大量の血が流れ出し、視界は端から黒く染まり、心臓の鼓動はひどくゆっくりとしたものに変わっている。
「プリシラ」
「なんじゃ」
「次は……勝つ」
傷だらけで身動きすら取れない男の口から出た、呆れるほど根拠のない宣言。
だが、プリシラはその言葉を嘲笑うことも、疑うこともせず、まるで次の結果など最初から定まっているとでも言いたげに、迷いなく言い切ってみせた。
「当然よ……凡愚は凡愚らしく、己の成すべきと思うことだけを成して足掻け」
最後に鼓膜を打ったのは、いつもと変わらない、自信に満ち溢れた傲慢な彼女の声だった。
誰も死なせないために、自分一人で全てを抱え込む窮屈な盤面はもういらない。
死地へ向かう仲間たちが、必ずその理不尽を食い破って生きて帰ってくると信じ、背中を預ける。スバル自身にも、その最後がどうなるのか全く分からない未知の戦い。
次に目を覚ました時に自分が成すべきこと。それだけを薄れゆく意識の中で確固たる芯として胸に刻み込み、ナツキ・スバルの心臓はゆっくりとその鼓動を停止した。