そうしてやってきた貧民街。
スバルの体感ではこの一日二日で3回は来た場所であり、既に二人のスバルが終わった場所だ。
スバルがやらなければいけないことはエミリアが来るまでに徽章を手に入れ、エルザを迎え撃つ準備をすること。
この場からエミリアを連れて逃げることは可能だが、エルザが無傷のままで狙われるのはスバルとしては避けたい。
かつて帝国でそうだったように、スバルを真正面から警戒する強者はそれだけでリセットの回数を大幅に増加させる。
あの男も相当に厄介な存在ではあったが、不死性や現状スバルに協力してくれる可能性のある人物を考えれば状況はあの時より酷い。
最悪を想定する癖がついているからこそ、スバルは入念に作戦を練っていた。
そうして気が付けばいつの間にか盗品蔵にたどり着く。
スバルは緊張したような面持ちのユリウスをチラリと横目で見て、こいつも緊張するんだなと思いながら盗品蔵の扉をたたく。
扉の奥からのそのそと大きな何かが動く足音が聞こえ、それが止まったかと思うと次はしわがれた聞きなれた声が扉の奥から聞こえてくる。
「大ネズミに」
「毒」
問いかけられているのはこの盗品蔵を利用する者達の間で取り決められている合言葉。
スバル1人であれば勢いに任せて店に紛れ込むこともできなくはないだろう。
だが帯剣しているユリウスが居る以上は、正式な手段を取り客として侵入しない限り交渉のテーブルに着くことはまず不可能だろう。
数年以上前に聞いただけの言葉をなんとか記憶を頼りに答えたスバル。
扉越しに感じる雰囲気から、どうやら最初は間違っていなかったようだ。
「スケルトンに」
「あー……なんだっけなぁ……ちょいまち、いま思い出すから。喉元まで来てる」
言葉で時間を稼ぎながら、頭を軽くたたいて何とか思い出せないかと試してみるスバル。
そうして10秒程度すると驚くことにするりと答えが頭の中に浮かび上がってくる。
「あ! そうそう、落とし穴ね。思い出したわ、いやースッキリ」
「………………我らが尊きドラゴン様に」
「クソッタレってな」
何やら言いたいことが有りそうなロム爺だったが、少なくともスバルは全て答える事が出来た。
時間にして数秒程度だろうか、逡巡する様な間をおいてから盗品蔵の扉が開く。
「入れ」
招かれるままに中に入って行くスバル。
まるで警戒していない彼の素振りを見て、戦いはまだなのだろうと判断するユリウスだったが、先ほどの言葉が気になったのか表情は少し硬い。
「おいおい機嫌悪そうな顔するなよユーリ。歴史オタクのお前がドラゴン好きなのは知ってるけど、こんなの合言葉だろ?」
「キミは何故それを──いや。いい椅子に座ろうか」
招かれるままにカウンター席に座る二人。
ミルクの一つでも出してくれと言いたくなるような状況だが、こんなところでミルクなんて飲んだら腹を壊しそうなのでやめておこうとスバルが思って居ると、ロム爺から声がかかる。
「それで、お前さんらはなにようじゃ? この後に客が控えておるから、さっさと終わらして帰って欲しいんじゃが」
「安心してくれ、俺がやってきたのはもちろん理由がある。だがまず前提としてこれを見てくれ」
ポケットから取り出して見せたのはガラケーだ。
かつては白鯨討伐の折に商人に売り渡してしまった、異世界の残滓。
結局のところいまナツキ・スバルが切れる手札と言えばこれしかなく、オットーが喋っていた時の事を思い返しながらスバルは相手の興味が湧くのを待つ。
手渡してみれば人差し指と親指でつまむようにしてガラケーを受け取ったロム爺は、下手に動かして壊したと難癖をつけられることを嫌がったのかいろいろな角度から見てはいるがそこから何かしようとする素振りはない。
「なんじゃあこれは」
「それはミーティアだ。その場の風景から魂を切り取り、絵として残す機能がある。実際にやって見せようか?」
そういうと改めてスバルの手にガラケーは戻され、フラッシュ機能を外した状態でスバルは写真を撮る。
盗品蔵の中は暗いので正直写りは悪いが、それでも写真として見れる程度にはロム爺の姿がバッチリと映っていた。
「ほらこの通り」
この世界の事をまるで知らなかった前回と違い、今回はこの写真という機能だけでどの程度の価値があるのかを正確に判断することが出来ている。
この世界における絵というのは宮廷画家のような画の上手なものが数週間から数ヶ月規模で時間をかけて作る物であり、それを超える品質の絵をものの数秒で量産できるともなればその価値は計り知れないものがある。
しかも前回にはなかった情報として、とびっきり素晴らしく嫌な思い出でもある追加情報がこの携帯には乗っかってくるのだ。
「しかもなんと驚きの機能として、白鯨の出現ポイントが一度だけわかると言う超すごい機能もついている」
「なっ──白鯨の位置が!?」
「まぁそっちに関しては証明の仕様がないとして、このミーティアいくらだ?」
「後ろの話は嘘だとして、前半だけでもわしなら聖金貨20……いや、40で買い取ってもいいじゃろうな」
聖金貨40枚──それだけあれば少なくともフェルトと交渉のテーブルに着くことは出来るだろう。
本来はもう少し交渉すれば値段を釣り上げることもできるだろうし、言い淀んだのはそれをロム爺も理解しているからだろうが、今回は値段をつりあげる事が目的ではない。
ロム爺の目利きによってミーティアの値段が担保される、それこそが今回の真の目的だ。
「よし。じゃあその前提があった上でのお話だ、この後ここにくる女の子が持ってくるもの。依頼人より先に買いたいと俺は考えている」
「フェルトを知っておるのか?」
「おいおいやめてくれよそんな怖い顔で睨むの、見た目サイズからしても大人と子供だぜ? 子供には優しく」
テーブル越しにズイっと近寄ってくるロム爺から反射的に体を離しながら、スバルは話を続ける。
「ってのはまぁここでは通じないから冗談として流すとして、実際問題その子のことは知らないが奪われたものについては心当たりがある」
そう言ったスバルの言葉にロム爺の視線は鋭いものに変わる。
そろそろ人を殺せそうなほど凶悪な目線になってきているが、自分の目もそれに負けず劣らずの評価を貰った事もあるので目線を返しながらスバルは自信を持って言葉を続けた。
「ただ返してと言われて返されるとは思ってないし、取り上げる手間暇を考えたらこれを売った金で返してくれるなら俺はそれでもいいと思ってる」
実際問題盗まれたことを理解していて、その上でわざわざ盗品蔵にとっては正規の手順で取り返しに来ているのだから、スバルの言葉には説得力がある。
取り上げるだけならばそれこそ騎士団に頼んでこの盗品蔵を包囲するなり、フェルトを捕まえるなりやりようはいくらでもある。
むしろ金銭的に解決しようとする意志を見せているあたり、ここで手打ちにしておけという言外の意思表示だとロム爺はうけとるしかない。
「ふむ……まぁその金で納得するかはフェルト次第じゃ。好きにするが良い」
「せんきゅー。ユーリもそう言うことでいいか?」
「聞きたいことはいくつかあるが、まぁいいだろう」
こうして一旦交渉は完結する。
フェルトを待つ間何か飲むかと提案してきたロム爺に対してその必要はないとスバルが返答すると、それから数十秒程度で先程スバル達が入ってきた扉を壊さんばかりの勢いで、黄色い何かが部屋の中に入って来る。
咄嗟に構えそうになるユリウスを制止して入ってきた何かに目をやれば、10歳程度の年端もいかない少女の姿がそこにはあった。
「おいロム爺! 助けてくれ!!」
「なんじゃなんじゃ騒々しい。合言葉を言って入ってこんか」
「そんな余裕ないんだよアイツしつこくってさ……ってなんだコイツら」
「君を探していたものだ。スバル、こちらの子が?」
我慢ならなくなったのかここに入ってきてから閉じていた口を開くユリウス。
その言葉に対してスバルが警戒されないように微笑を浮かべながら頷きを返すと、ユリウスは状況を理解したとばかりに気が付かれない程度に構えを取る。
腸狩りがいつやってくるのか教えていればここまで緊張しなくても済んだのだろうが、あまりに正確にこれから起きる出来事を言い過ぎても未来予知のようになってしまうので仕方がない。
まずスバルがやらなければいけないのは、エミリアが来るまでにフェルトから徽章を買い取る事。
それだけだ。
「ああ、俺の目的その一。初めましてお嬢さん」
「おうニイちゃん初めまして。そんで? オレを探してなんのようだよ、なんか盗んできて欲しいのか?」
警戒心は強いが、それでもフェルトという少女は根がいいヤツだ。
100%下心を持たずにちゃんと彼女を尊重して言葉を投げかければ、本人はそのつもりが無くてもしっかりと対応をしてしまう程度には善人なのである。
いくらラインハルトに無理やり連れて行かれたとはいえ、王線候補者としてその役目を担いエミリア陣営のよきライバルであった彼女の考えはスバルも多少は理解しているつもりだ。
だからこそ先程までの交渉のまがい事とは違い、まっすぐに要求をぶつけることにする。
「盗んできて欲しいというより、お前が盗んだものが欲しい」
「──オマエ、何もんだ?」
「誰だって良いだろ? そこは重要じゃない。それよりも大切なのは俺がその商品にどれだけの金を出せるか、違うか?」
「……まぁ出せるもん出してくるってんなら俺は文句ねぇよ。それにあんまり長くもってたいもんでもないしな」
先程まで追われていた──おそらくはエミリアの事だろう──を思い出したのか、苦い顔をするフェルト。
実際彼女は自分が奪った物が何なのかいまいちよく分かっていないのだろう。
言葉を発しながらポケットからなんでもないように取り出した徽章を見せつけると、隣にいたユリウスの目が大きくぶれたのを感じる。
未だレースに参加することすら正式に決まって居ない王選候補者にとって命綱ともいえる代物であり、この世界に片手で数えられる程度しかない大事な代物。
それを前にして動揺するなという方が無理があるだろう。
だがスバルはこうなることを知っていたからこそ、冷静に言葉を続ける。
「前金でいくらってしたかったんだが、残念なことに急な事だったから手持ちの金はない」
「んだよ、話になんねぇじゃねぇか」
「おいおい待てよ、気が早い。だから頭金としてコイツだ」
ふくれっ面になるフェルトの前に差し出したのは先程のガラケー。
ユリウスはようやくなぜ先ほどスバルが交渉を行っていたのか理解したようで、今すぐにでも徽章を奪い返すべきかどうか逡巡していたようだが少し落ち着きを見せ始めていた。
ここで勝手に行動を起こしてスバルの計画を妨害してしまう可能性に発想が至ったのだろう。
大商人の一の騎士をしているだけあって最優の騎士はこういった事にも気が回せるらしい。
「なんだこれ」
「ロム爺、説明頼んだ」
「気軽に頼んどるんじゃないぞお前。まぁいい」
そして始まるロム爺からの説明。
スバルでもその説明は出来ただろうが、知っている人物から機能を紹介されるのとそうでないのとでは信頼度に大きな差が生まれるのは言うまでもない。
そして一通りロム爺からの説明を聞いたフェルトは、少し考えた素振りを見せてから頭をゆっくりと縦にふる。
「ほぅん……まぁそいつが頭金だってなら、聞いてやっても良い」
「よし。なら交渉成立だな、オマエは依頼者に取り返されたと説明する。相手は──ラインハルトで良いだろ。そんで後日俺が金を持ってきたなら交換だ、それでいいな?」
「ああ。交渉成──」
手を差し出していままさに徽章を取り戻せるというその瞬間。
スバルも成功を前にしてほんの少しだけ気が緩んでしまったのだろう。
エルザが入って来ることを気にして先程までずっと警戒していた出入口への警戒が薄れたその一瞬の隙間に、この場に最も来てほしくない人物が現れる。
「──そこまでよ!」
柔らかな目じりをキリッと釣り上げ、怒っていても優しさが漏れ出てしまう人の良さを見せている彼女──エミリアは、いままさに闇の取引をしているとしか見えないスバルを前にヒーローのように現れる。
前回の事を考えればもう少し遅くなるはずだが、やりなおし2回分の事も考えれば多少の誤差が出てしまったというところなのだろうか。
エミリアを再び見れた喜びともう少し遅ければという思いに板挟みにされたスバルは、何ともいえない表情を浮かべていた。
「…………………………すっごく悪いタイミングで来るねエミリアたん」
「ホントにしつこい女だなアンタ」
「徽章を返して。あれは私にとってすっごーく大切なものなの」
三者三様の意見を述べるが、少なくとも状況は大変悪い。
徽章をこの場でフェルトから奪い取ると、今後の王選で遺恨ができる可能性もある。
ここからどうするべきかと悩むスバルを他所に、エミリアは盗品蔵にいるはずのない人物を見つけて疑問を投げかける。
「ってあれ? なんでここにユリウスが? もしかしてユリウスも悪い人だったの?」
「それは違う。連れてきたのは俺で、徽章を取り戻すためにこっちでも動いてたんだよ。ちなみにユリウスは徽章を取り戻すために動いてたことは知らない」
とはいえフェルトからの信頼も大切だが、それよりも自分のわがままの所為でユリウスが不利な状況に追い込まれる可能性をスバルは嫌った。
未だスバルは残念なことにエミリア陣営どころか、認識すらされていない外部の人間だ。
この場において立場のないスバルの好感度がどれだけ下がったところで、王選においては何も問題がないということも出来た。
複雑になり始めた状況を見て自分なりに必死に考えたのだろうか。
頭の上にハテナマークを浮かべながらも、エミリアは一つの結論に至る。
「つまり──味方ってこと?」
「まぁそんな雰囲気でいいよ。いまミルクくれたおじさんと小生意気なロリが敵に回ったけど」
「結局おめぇらグルじゃねぇか!!」
会話を繰り広げる3人。
そうして結局いつかとおなじように氷で固められるロム爺。
こうなってしまってはなるべく穏やかに終わらせるというスバルの当初の目論見は不可能になったといってもいい。
状況に付いてこれていないのか自分の身の振り方が分からず戸惑っているユリウスに対して、スバルは近づくと小さな声で周囲に気がつかれないように視線を外したまま指示を出す。
「ユリウス、そのまま聞いてくれ。いまからここに腸狩りがくる。あの扉からだ」
「──本当か? ならばエミリア様が危ないではないか」
「冷静で助かるぜ、さすが最優。ただエミリアは安全だ、俺が保証する。防御は何とかなるから、お前は開始で全力の一撃をあいつに叩き込んでくれ」
ラインハルトの一撃でも死ななかったエルザがいまのユリウスの一撃で沈むかというと、スバルには未知数だという事しかできない。
だが少なくとも精霊の力を奪ってしまうラインハルトとは違い、エミリアも戦闘に参加できることを考えれば、ユリウスの勝率は初手にかかっているといってもいいだろう。
出入口を見据えたまま視線をユリウスにも向けずそんな言葉を投げかけるスバルに対して、ユリウスは微笑みを浮かべて言葉を投げかける。
「キミが保証して何になるのだと言いたくなるが、どうしてなのだろうな……私は友である赤毛の彼と同じか──それ以上にキミの言葉を信頼しても良いと思ってしまえている」
「……ありがたい話だな」
覚えているのか?
いや、覚えていたならこんな会話にはならないだろう。
出入り口に注意を向けていればスバルよりももちろんユリウスが先に気がつく。
ユリウスが踏み出すその瞬間、だがほとんど同時にスバルが大声で叫ぶ。
「パック! 防げっ!!!!」
快音と同時に防がれる攻撃。
それとほとんど同じタイミングでユリウスによって放たれた攻撃は、腸狩りの──エルザの体を深く傷つける。
腹部から肩に向かって逆袈裟斬りに放たれた一撃はエルザの肌をいともたやすく切り裂き、大量の血が床を染めるがそれでもエルザの表情は普段と変わらない。
むしろ少しこぼれ出た自分の臓腑を愛おしそうに触ると、手で内側に押し込んで見せる余裕すらある。
初撃の成果としてまずまずといったところだろうか。
「パック……」
「ナイス防御だぜパック」
「間一髪だったねまさに。それに最優の騎士、キミの攻撃も悪くなかった」
先程のスバルの呼び声に応じて出てきたのだろう。
可愛らしいネコ型の大精霊は、小さな体で胸を張りながらエルザから視線を外さずにユリウスを褒める。
「挨拶が遅れ申し訳ありません大精霊様」
「作戦だったみたいだしいいよ」
「気を付けろよユリウス。見ての通り、さっきのでも致命傷じゃない」
そう口にしたスバルの目の前で、みるみるうちに傷が癒えていくエルザ。
あれだけの出血をしていたにも関わらず貧血やそれに近しい症状が出ている様子もなく、放っておけば全回復まで数分持つかどうかといったようにすらみえる。
(マジで不死身だな……尊敬するぜガーフィール)
この相手に一人で勝利した可愛い弟分の事を思い出しながら、スバルは即座に近くにあったテーブルをエルザに向かって蹴り飛ばす。
武器がない以上スバルに出来るのは相手の気を散らすための行動しかない。
咄嗟に合わせたユリウスが床を割る程の勢いで踏みしめ前に出ると、室内は途端に安全地帯のない超危険区域へと早変わりする。
「あら残念……貴方私のこと知ってるの?」
「……腸狩りエルザ・グランヒルテ。お前のことはこの場の誰より知ってるよ、本当に何でもな」
かつてスバルが賢者の塔で読んだ死者の書。
そこには彼女の妹であるメイリィ・ポートルートのものがあった。
それでなくともスバルはこれまで戦った者たちについて詳しく調べているので、彼女のことを知っていると言い切れる自信がある。
「エミリア! ユリウスの援護を!!」
「わ、分かったわ!」
無意識の内に自分の腹を撫でながら、状況を理解したのか攻撃をしかけ始めるエミリアにも指示を出せば、状況は着々とスバル側に有利に働いていく。
想像していた最悪に比べれば状況はかなりマシなように見えるが、実際この状況は一手間違えただけで儚く消えるようなその程度の有利。
何度も死線を潜ってきたが、慣れる事のない死の感覚。
全身の毛が逆立ち、吐き気と極度の集中が同時にやってくるそのスバルの身体が告げる──避けろと。
「最優の騎士、精霊術士、厄介な相手は色々いるけれど、本当に厄介なのは貴方なのかしら」
何気ない会話から続いて、エルザは一歩前に飛び出る。
エミリアの守備に意識を割いていたパックとユリウスの間を縫って、指揮官として行動していたスバルを狙うためのその一歩。
(速い──!)
スバルの反射神経で追いきれる動きではない。ただ、危険の予兆だけが肌を刺し、条件反射のように腕を腹の前へ差し出していた。
その瞬間、世界がぐらりと揺れる。
骨の軋む嫌な音と共に、エルザの細い足が鋭くスバルの脇腹を打ち抜いた。
間に挟まれた腕ごと体が押し飛ばされ、肺から一気に空気が抜ける。
目の前が一瞬、白く弾けた。
痛みで意識が飛びそうになる。けれど──倒れていられる状況じゃない。
(ここで潰れたら、終わるッ──!)
必死に体勢を崩さないように踏みとどまり、スバルは振り返る。
腕と肋骨に走る鈍痛に顔が歪むが、エルザの次の動きを警戒し、わずかでも彼女の進路を塞ぐため立ちふさがる。
「──本当に厄介ね」
エルザが小さく舌打ちをした、その刹那。
「やれユリウス!!」
スバルの声が、全員の意識を引き戻す。
ユリウスが一歩前に踏み出し、エルザに向き直る。
射線上にスバルだけでなくロム爺とフェルトもいる以上、エミリアは魔法を下手に放つことが出来ない。
スバルに追撃を仕掛けようとしたエルザの背中をユリウスの剣が捉えると、鮮血を舞い散らせながらもエルザは再び逃がさないように盗品蔵の出入り口近くへと下がる。
状況はイーブンの用にも思えるが、回復力を前提に考えるのであればスバルが負傷した分先程よりも不利なのはこちら側。
次の一手を考えようとするスバルの横で、何が起きているのかよくわかっておらず立ちすくんでいたフェルトが覚悟を決める。
「こうなったらオレも──」
その言葉を聞いた瞬間、スバルの体は先に動いていた。
フェルトの小さな体を乱暴に抱え上げ、カウンターの向こう、ロム爺の方へと放る。
痛む腕がさらに悲鳴を上げるが、そんなことを気にしている場合じゃない。
「──痛ってぇな! 何しやがる、にいちゃん!」
「ロム爺! フェルトを頼んだ!」
「お主に言われんでも分かっとる!」
目の端で、ロム爺がフェルトを庇うようにカウンターの奥へ押し込む。
その光景をしっかりと確認する暇もなく、スバルは再びエルザに全神経を集中させた。
「パック! 1秒でも良いから相手の動きを止めてくれ! それだけあればユリウスが何とかする!!」
「猫使いが荒い男だねキミは」
スバルの言葉に続いていくつかの氷を発射するパック。
それに合わせてスバルは先程とは逆に前に出る。
「──スバルッ!?」
スバルの手には何やら巨大なこん棒が握られている。
それはカウンターの下に隠されていたロム爺の持つ武器であり、先ほどフェルトをロム爺が受け取った時に代わりに手にしたものだ。
エルザに向かって襲い掛かるように突っ込んでいくと、エルザは反射的にスバルに対してナイフを向ける。
もちろん超人的な身体能力を持つエルザからしてみればスバルの攻撃は蚊が止まる程の速度だったろうが、エルザの事を知っているからこそスバルは攻撃に対してのカウンターだけを警戒してこん棒をエルザに振り下ろすふりをしてそのまま腹部を守る。
──瞬間、やってきたのは先程骨をへし折られたときよりも更に強い一撃だ。
間にこん棒を入れていなければそれだけで死を覚悟させられるような一撃。
だが少なくとも攻撃を受け止めたことにより、エルザの足は止まり、そしてその大きな隙を大精霊は見逃さない。
「──いまだパック!!」
「もちろんだとも!!」
エルザの動きを止めるスバルの間を縫うようにして放たれた氷の刃は、エルザの体に深く突き刺さると瞬時のその体を氷結させる。
衝撃に耐えかねたスバルの体から徐々に力が抜けてうしろ向きに倒れそうになるが、地面に当たる直前にユリウスの手がその背中に添えられた。
「キミは凄い男だスバル。私も自分の仕事をこなしてみせるとしよう」
「あら残念。今回の依頼は失敗ね、でも次はもっと上手くやるわ」
微笑を浮かべながら嫌なことを口にするエルザ。
そんなエルザの前でユリウスは己の最大最高の力を刃に込める。
「次はない。六属性を束ねた私の刃は相手の魂を切り裂く。アル・クラリスタ!!」
極光が室内を満たす。
微精霊たちの祝福を受けたその一撃が、氷ごとエルザを掻き消し、盗品蔵の出入り口までも轟音と共に吹き飛ばす。
少しすれば盗品蔵には静けさが訪れていた。
見上げれば、既に夜。天井の抜けた蔵から満月の光が差し込んでいる。
「──跡形も残ってねぇけど、どうせ生きてんだろうな」
「次はないと言った手前すぐにそういう事を言われると傷つくよスバル」
そういってはにかむユリウスだが、彼も実際に先程の一撃で倒しきれた予感はしなかった。
王都を震撼させる腸狩り、その実力は相対したからこそ理解できる。
スバルやエミリアのサポートもなく、また闇夜に乗じていきなりの奇襲であれば結果は全く違う物になっていただろう。
それを確信しているからこそ、ユリウスは次に戦う時の事を想定して緩みかけた心の紐をきつく結びなおす。
「いやぁそれにしても今回は何とかなってよかったよかった! フェルトもこれに懲りたら人のものパクるなよ」
「うっせぇ! ……って言いたいけど、今回は正直にいちゃんが居なかったら死んでた。助かったぜ、さんきゅーな」
スバルの言葉に対していつもなら反抗していたフェルト。
だが流石に目の前で自分が殺されそうになっていたところを助けてもらった恩があるので、無闇矢鱈に反対することもできない。
感謝の言葉を口にするフェルトを前に室内にいる人間の間をなんとなく暖かい空気が流れるが、そんな中でふとユリウスの視線がとある一点に止まる。
そこにあるはずのないものを見たときのような、そんな彼の表情はみるみる間に驚愕へと変化していく。
「これは……? 徽章が反応している……!?」
「あー、まぁラインハルトにそこら辺は任せるってことでいいだろユリウス」
「キミがラインハルトを指名していたのはこれもあるのか? キミは一体どこまで……」
まさにユリウスからすらば未来を見るような所業だろう。
今回に関しては文字通り未来からやってきたのだから彼の疑念はその通りなのだが、説明することに対してのリスクやデメリットがどのようなものか分からない以上スバルはいつも通り誤魔化す事しかできない。
互いに目線で牽制し合うユリウスとスバルだったが、そんな二人の間に割って入る影が一つ。
「ちょっと! 私を置いて話を進めないで!」
「ああごめんごめん。時間が無くってさ、エミリアたんを無視したかったわけじゃないんだよ? マジで」
「私あなたに聞きたいことがたくさん! すっごく沢山あるんだから! パックの事を知ってるし、私の名前だって知ってるし、徽章だってあんな危ない人から取り返そうと──」
「……キミは覚えてないだろうけど、キミに救われたんだ。だから、それだけだよ」
どうしてだと聞かれても、それを答えたところでキミはそれを知らない。
思い出話を語り君の知らない君の物語をしたところで、それはきっと君を傷つけてしまうだけだと知っている。
だからこそスバルはエミリアに対してそれだけ言うと、まだ納得出来ていないだろう彼女を手で制してユリウスに問いかける。
「それでユリウス、ひとつ頼んでも良いか?」
「まだ何かあるのかい?」
もう何がきても驚かない。
そんな表情をするユリウスを前にして、ラインハルトですら驚いた事にオマエが驚かないわけないだろうと、悪戯っ子の笑みを浮かべるスバル。
「オレ倒れるからあとのことはよろしく」
それだけ口にすると、口の端から血を垂らし、ジャージがはらりと綺麗に開くと、腹に大きな傷を開けて真っ赤な鮮血で床を染めるスバル。
何度目か分からない激痛に意識を失いながら心に浮かんだのは、目を開けたとき一体どこにいるのだろうかという疑問だけだった