読む場合はご理解の上でよろしくお願いします。
「さてと……なんでここに居るんだ?」
目が覚めたスバルの眼前に広がるのはロズワール邸。
話の流れ的にユリウスのところに厄介になるつもりだったスバルは、目を丸くしながら辺りを見回していた。
エミリア視点から見れば。スバルはいきなり現れて徽章を取り戻そうとしていたよく分からない人間でしかない。
確かに死にかけていたことを考えればどちらかの家にお世話になる必要があり、ラインハルトは回復魔法も使えなかったので前回スバルがロズワール邸に運ばれた理由は分かる。
だが今回はユリウスがフェリス辺りを呼んで回復させるだろうと、スバルはそう思っていたのだ。
(これこの状況でユリウスに捕まったらいろいろと不味くない?)
現状自分がどのような立場に置かれているか、把握すらできていないスバル。
だが彼には少なくともロズワール邸に足を踏み入れた以上、絶対にしなければならない事があった。
「……ベア子」
スバルは痛む体を無理やり起こし、ベッドから這い出るようにして降りる。
以前エルザに切られたときよりも幾分か痛む腹は、前よりも活躍できたことの証左だろう。
腹を抑えながら廊下に出ればそこにあるのは燃え尽きてもはや懐かしさを感じるロズワール邸の長い廊下。
改めてその場にやって来たスバルは廊下を軽く眺め、そしてとある違和感に気が付く。
「……魔法が使われてない?」
始めてこの屋敷に来た時廊下にかけられていたはずの魔法がどこにもないのだ。
勘を頼りに屋敷内を練り歩いてみるが、怪我もあってかいつものように頭が働かない。
(……ここか?)
ふと足を止めて扉を開けてみれば、その先はかつてベアトリスが居座っていた禁書庫。
だがかつてと違う大きな違和感が一つ──それは本来そこに座っているはずの人がいないという事実だ。
主の居ない部屋はかつて見たときよりも随分と広く、がらんとした印象を受ける。
「べ、ベア子……? ベア子!?」
大声を上げながら禁書庫内を走りまわるスバル。
だが狭い室内には彼女が居た痕跡は残っておらず、かつてエキドナが用意した本だけが無造作に積み上げられている。
「……………………………………おぇっ」
吐瀉物で床を汚しそうになり、スバルは反射的に胃から上がってきたものを無理やり飲み込む。
酸っぱさと匂いで吐き気は加速し、ストレスで喉が焼けていく。
何度もそれを繰り返していくうちに徐々に体は落ち着きを取り戻し、スバルは考えたくない思考に対して改めて向き合う事を決めた。
この世界は元の世界とは違う別の世界だ、だから元の世界とは違う差異が存在している。
ラインハルトが王都にいなかったように、ユリウスがスバルに対して声をかけてくれたように。
スバルが知識を有しているいないに関わらず、前回の周回とは全く違う様相をこの世界は持っているのだ。
気が付けばスバルは元居た部屋に戻っていた。
死人のような足取りで部屋へと帰り、現実から逃げるようにベッドで眠ったスバル。
次起きた時には元の世界に戻っているようにと願いながら眠り目を覚ました彼は、起き上がり再び目にしたくない物を目にする。
「おはようございますお客様」
従者として完璧な礼を見せながら、鬼の少女──ラムは能面のような無表情でスバルの事を見つめていた。
初対面の人間であればその顔を見て冷たい人だと感じるだろうが、いまのスバルにはそんな彼女の表情すらまともに視界に収める事が出来ないでいる。
それは彼女の横にある空白。
本来ならば存在するはずの場所、無くてはならない場所に、誰も存在していないのだ。
記憶と存在を世界から消され、片割れを無くした時と同じように、鬼の少女は表情を感じさせない顔でジッとスバルを見つめている。
「れ、レム? レムは、レムはどこなんだ!!」
ラムの片割れであり、妹であるレム。
彼女がこの時期に屋敷を離れる理由は存在しないはずであり、屋敷の家事をほぼ一人で担っている彼女がこの屋敷に居ないという事はつまり──
そこまで考えて先程戻しそうになった胃の中の内容物が飛び出そうになるのをなんとか堪えるスバル。
起き上がることすらできない体でありながらレムの名前を呼ぶスバルを見てか、ラムは一瞬だけ表情を暗いものに変えると口を開く。
「失礼ですがお客様、お名前は?」
どうしてそんな事を聞いて来るのか。
少なくともスバルが知っているラムという女性は、人に対して名前を聞くようなことは積極的にしないタイプだ。
正直いまは放っておいて欲しかったスバルだったが、それでも聞かれたことに対して答えようと口を開く。
「あ、あぁ悪い。ナツキ・スバルだ」
そういえばエミリア相手にも名乗っていなかったか。
彼女が自分の名前を知らないのも無理はないとそう思って居ると、ラムの口から予想外の名前が飛び出す。
「そうですか、貴方が……。ラムの可愛い妹からお話は聞いています」
「レムが居るのか!? ──ッ」
ベッドから飛び起きるようにしてラムの元に駆け寄ったスバル。
先程胸の内にあった絶望感を一言で払拭してくれたラムに対して感謝するしかない。
遅れてやってきた痛みに顔は歪むが、耐えていればその内消える体の痛みなどスバルにとっては誤差のような物である。
そんなスバルを見て少しだけ笑みを見せながら、ラムは言葉を続けた。
「怪我人が無理に動くと傷が開きますよ。レムからはもし貴方が起きてすぐレムの名を呼んだら『入れ違いになった。ベアトリス様と一緒に王都に行っている』と伝えてくれと言っていました」
「い、いまなんて?」
「…………入れ違いになったと」
聞き返されたのがよほど面倒に感じたのか省略して返答してきたラムに対して、スバルはゆっくりと状況を理解する。
それと同時にあふれ出してくるのは疑問。
どうして自分が、ナツキ・スバルがこの屋敷に
前述した通り、この時期のレムは屋敷を出るのを渋られる立場。
ましてやベアトリスと共に行動する程の仲でもなかったはずで──
「お客様?」
心底不思議そうなラムの声すら聞こえずに、スバルはこの状況になってから何度目か分からない涙を流した。
どうしようもないほどに嬉しくて、いつもなら必死に止めようとする涙を惜しげもなく出し続ける。
シーツを強く握り締め、満面の笑みを見せながら泣くスバルの姿は、側から見ていれば理解不能だ。
「……そんなに嬉しいのですか?」
泣きながら笑う。
そんな器用な事をしてのけるスバル前にして、ラムは少し引きながらも疑問を投げかけてくる。
スバルからしてみればこの程度でこの喜びを表現できているか、不思議なくらいだ。
「俺の事を知ってくれてる子がいる……それが……本当に嬉しいんだ」
「そうですか。正直ラムは貴方のことを信用していません」
残念なことではあるが、当たり前だろう。
ただでさえ今のスバルは、王選関係者であるユリウスを巻き込んで事件に乱入してきた不審者である。
それだけでも十分怪しいのに、愛しの妹が突如として聞いたこともない男の名前を挙げたのだ。
誰よりも優しい彼女がこの異常すぎる現状に対し、最悪を想定して警戒するのは当然だとスバルには思えた。
「妹は少なくともナツキ・スバルを信用しているようでした。貴方がそのナツキ・スバルなのかも分かりませんが、レムの期待を裏切らないように祈っています」
「おう! 任せとけ。あの子の為なら俺はなんだってできるよ。そんで姉様は何しにここに?」
レムの英雄でいること。
それはスバルにとって何よりも大切な事の一つだ。
なぜレムに記憶があるのか、ベアトリスにも記憶があるのか、どちらも分からないことばかりではあるが、レムの期待を裏切らない事だけはスバルは己に誓えた。
急に自信満々の顔で胸を張るスバルを前にして、ラムはどうしたものかとなんともいえない表情をしている。
「…………ロズワール様が朝食をどうかと、そうおっしゃられています」
「そうか、分かった。向かうよ」
切り替えが早いのを褒めるべきか、情緒が不安定なところを心配するべきか。
なんにせよ、こうしてスバルはベッドから立ち上がり案内されるがままに見慣れた屋敷の中を歩くのであった。