ゲーム開発部がゲヘナで野菜をつくるお話 作:空を飛ぶジンベエザメ
またケーキを作ろう。それも今度はただ作るだけじゃなくて、モモイ達を歓迎するためのものとして。農業を通して一皮むけたのなら更にもう一歩、大好きな料理でも前に進んで欲しい。それは先輩としてジュリを1番近くで見て来たフウカの心からの願いだった。
「ありがとうございます、先輩。でも、遠慮しておきます」
「ジュリ...」
ジュリはしかし、寂しそうな笑顔でそれを拒んだ。フウカの顔にふっと、暗い影が落ちる。それでも尚、ジュリは続ける。
「また私が台所に立ってパンちゃんを作ってしまったら、このパーティーの料理も台無しになってしまうかもしれません。それなら私はこのまま...」
料理は出来なくてもいい
「...ッ!?」
喉の奥まで出かけたその言葉を、ジュリの中の何かが強く押さえ付けた。
(あれ...?今私、何を言おうとして...)
別に今回のパーティーで何も振る舞えなくても、料理そのものが出来なくなる訳では無いし、お世話になった人達に感謝を伝えられなくなる訳でも無い。
だけどその言葉を発してしまったら、失敗続きの中でも一つずつ積み上げて来た自分の中の大切なものが崩れてしまう気がする。その予感をジュリは、自分自身で驚きつつも確かに感じていた。
「ねえジュリ」
そんな彼女に、今度はヒナが語り掛ける。
「私がこれを言うのは何だか卑怯な気がするけど、それでも言わせて。私も貴女にケーキを作って欲しいの。もし失敗して料理があのパンちゃんになっても大丈夫。その時は私が直ぐに静かにさせるから。このパーティーを台無しになんてさせないわ」
ヒナは鋭い目つきで愛銃の「終幕:デストロイヤー」の重厚な銃身を指でなぞる。彼女が銃を持ってきた理由を知り、ジュリは再び鼓動が強くなるのを感じた。
「でも、私...」
しかしそれでも尚、ジュリは首を縦に振ろうとはしない。その時、再び食堂の扉が開いた。
「こんにちは」
「先生!?」
扉を閉め、テーブルに並ぶ料理に視線を少し奪われつつもジュリに歩み寄って来たのは他でも無い、先生だった。ヒナとは違い、シャーレからゲヘナまで足を運ぶ先生がこんな早くに到着するなんて、開始時間を間違えて伝えてしまったのだろうか...
「実は先生にも貴女の背中を押して欲しいって頼んでいたの。自分勝手な先輩で、ごめんね」
困惑するジュリに、フウカは申し訳なさそうに微笑みつつ、先生に「お願いします」の視線を送る。
「話はフウカとヒナから聞いてるわ」
自分の説得が必要だと直ぐに悟った先生はジュリの前に立ち、彼女の目を真っすぐと見つめる。その顔は普段のおちゃらけた彼女とは正反対の、真剣だがそれでいて深い優しさを帯びていた。
「ねえジュリ。料理をするの、怖い?」
「え...」
単刀直入が過ぎるその問いに、鼓動が三度、今までで一番強く高鳴る。
「正直に言って欲しい。いつもひたむきに料理に向き合う貴女が前に踏み出せない理由。それはパーティーを台無しにしてしまうかもしれないから、それだけじゃない気がするの」
ジュリは目を見開く。どうやら先生には全てお見通しのようだ。いや、きっと先生だけじゃない。こうなる事を予測した上で先生に応援を求めていたことからしてフウカやヒナにも、自分の心の内は見透かされていたのだろう。それを悟ったジュリは先生の望み通り、ありのままを吐露する。
「先生のおっしゃる通りです。私、怖いんです。ゲーム開発部の皆さんと出会って、そこからミレニアムの様々な人達の協力も得られて、そのお陰で立派な南瓜が沢山採れて、そして今はその南瓜を使ってこんなに素敵なパーティーまで...。それにフウカ先輩が言っていたように、モモイさん達と作業をする中で、私自身も成長を実感していたというか、前に進めていた感覚があったんです。でももしここで料理に失敗してしまったら、今までの良い事が全部曇ってしまうような、そんな気がして...」
そう。今まで失敗続きで、その度に悔しい思い、もどかしい思いをしてきたジュリにとってこの半年の出来事はこれまで経験したことが無い程に、順風満帆だった。しかし有終の美とも言えるこのパーティーで料理に失敗してしまったら、これまでの良い流れが全部崩れてしまい、成長を感じられていたことも無かったことのようになってしまう気がして、ジュリは堪らなく恐ろしかったのだ。
ジュリの心の内を、先生は何も言わず、静かに聞いていた。そして
「話してくれてありがとう。そうよね、モモイ達と一緒にいたジュリは本当に楽しそうだったし、今まで気付けなかった自分の長所に気付いて、それが貴女自身の成長に確かに繋がっていた。でもそれが料理の失敗一つで霞んでしまう気がする...怖くないほうがおかしいくらいだわ。けれどね、ジュリ」
そこで先生は僅かに震えるジュリの肩にそっと手を置く。
「ここでもし挑戦することを諦めれば、きっと貴女はそのことをずっと後悔することになる。私には分かるわ、例えこの半年の美しい経験にヒビが入ることが怖くても、それでも料理がしたいと心の底では望んでいる、貴女の本心を。それを押さえつけることは給食部として活動している貴女の、本当に大事なものを否定することに他ならないわ。先生として、これだけは伝えておくわね」
その言葉にジュリは、胸の内で蠢いていた嫌な感覚がすっと消えるのを感じた。
先生の言う通りだ。自分が給食部にいるのは、料理が大好きだから。なのにその本心を自分から否定することは、自分だけでなく、その思いを尊重してこの場を用意してくれた先輩達や先生の気持ちを裏切る行為だ。
その事に気付けたならば、これから取る選択肢はもう一つしかない。
「良い顔ね、ジュリ。失敗したって大丈夫よ、全力でやってきなさい」
「はい、ありがとうございます」
ジュリの表情が変わった事を確かめた先生は優しく微笑むと共に、その手をジュリの肩から放した。
「フウカ先輩!私、ケーキ作ってみます!」
フウカにそう告げたジュリは喜びが抑えきれていないフウカと共に厨房へと向かう。パーティーの〆を担うデザートである、南瓜のチーズケーキを作る為に。
「出来た...。後はこれをオーブンで焼くだけ...」
ジュリが決心して調理を始めてから約30分後。大きなケーキ型に流し込んだ生地を、ジュリはそっとオーブンに入れようとしていた。緊張の一瞬、一同は固唾を飲んでそれを見守る。
生地がオーブンに入る。扉を閉じ、温度と時間を設定。そして、温め開始のスイッチを押す。中のケーキが、パンちゃんに変わる気配は、無い。
「...これ、いけたんじゃない?」
ブーンというオーブンの音が食堂に響き始めたその時、先生がぼそりと呟く。
「...うん。多分成功よ、ジュリ」
「本当ですか!?」
フウカのその言葉に、ジュリは信じられないと言った顔で振り返る。ジュリが目を離してもやはり、ケーキは大人しくオーブンの中に収まったままだ。
「勿論まだ油断は出来ない。でもこの前は生地を混ぜようとしたところでパンちゃんになったんだから、きっと上手くいくわ!!」
以前は生地を作ろうとして材料を入れた泡だて器をボウルに入れた瞬間にパンちゃんに変わってしまった。しかし今回は生地を混ぜるのは勿論、クッキーの土台を型に作る行程においても、食材がパンちゃんに変わることは遂に無かった。後はこのままケーキが焼けるのを待つだけであり、その間にジュリがケーキに触ることは無い。
「先生、私...!!」
ガタンッ!!ガタンッ!!
しかし、現実は非情だった。ジュリが先生に視線を移したその時、オーブンの中で何かが暴れるような音がした。オーブンに視線が集まる。薄暗いその中では、ケーキだったものが二回り程に肥大し、丸っこいその体から生えた触手のようなものを蠢かせているのを見ることが出来た。
「皆...離れて」
誰よりも早く行動に移すヒナ。この現実を嘆いている時では無い。今はこの怪物からパーティー会場と料理を守るのが、最優先事項だ。皆が厨房から距離を置いた事を確かめたヒナは、まるで特殊部隊が屋内に突入する際のような手つきで、オーブンの扉を勢いよく開け放った。
「...ッ!熱いッ...!」
扉が開いた瞬間、溢れ出て来た熱にヒナは僅かに怯んでしまう。そしてその隙に、オーブンからそれが飛び出てきてしまった。
「いつものパンちゃんじゃない...!!」
厨房を飛び出し食堂の天井に張り付いたそれを見て、先生は思わず声を漏らす。ジュリのチーズケーキが変化して生まれたモンスター。それは普段彼女が生み出す、緑色の粘液を滴らせるパンケーキの化け物ではなく、鮮やかなオレンジ色の南瓜の身体から紫の触手を生やした異形のモンスターだった。オレンジの南瓜の姿だから、これも一応パンちゃんと言えるのだろうか...
パンちゃんは声を上げた先生に狙いを付けると、天井から彼女目掛けて勢いよく突進した。オーブンの熱を伴って湯気を立てているそれが顔に張り付きでもすれば大火傷だ!
「先生ッ!!」
銃を構えている暇は無い。ヒナは手元にあった包丁を手に取ると、先生に迫るパンちゃん目掛けてナイフ投げよろしく放り投げた。しかしパンちゃんはそれを何と空中で受け止めると、触手を伸ばして天井に戻りつつヒナに投げ返した!時間にして一秒にも満たない、恐ろしい早業だ。
(こいつ、強い...!)
思わぬ強敵の出現に、ヒナの闘争心に火が付いた。
ヒナは飛んで来た包丁を敢えて避けず、額で受け止めつつ銃を構える。巡航ミサイルの爆風にすら耐えるその身体が、包丁の刃一つで傷つくはずも無かった。
パンちゃんはヒナに追撃を見舞うべく天井から厨房にこれまた凄まじいスピードで舞い戻った。高速の熱源がヒナに迫る―だがヒナはパンちゃんが自身の懐に飛び込む寸前で右脚を高く振り上げ、飛んで来たパンちゃんを逆に食堂側へと蹴り返した。予想外の迎撃に、流石のパンちゃんも次の動作に遅れが出る。そしてその一瞬の隙が、命取りとなった。
バキンッ!バキンッ!バキンッ!
ヒナの放った銃弾は空中のパンちゃんを正確に捉え、そして貫いた。風穴を開けられたパンちゃんはきりもみ回転をしながらテーブルに吸い込まれてゆく。だが丁度隙間が空いていたテーブルのど真ん中に絶命したパンちゃんがホールインワンした時、驚くべきことが起こった。
パンちゃんはテーブルに着地するや否やブルブルと激しく震えながら生やしていた触手を全て引っ込め、只の大きな南瓜の姿になる。更に次の瞬間、パンッ!というクラッカーのような音を立て、その上半分が弾け飛び、そしてそれっきり動かなくなった。
奇想天外な一連の現象に理解が追い付かず、目をぱちくりさせる先生達。そんな中依然として冷静なヒナは銃を構えつつ、残った下半分を覗き込むように観て、そしてこう告げた。
「これ、中にケーキが詰まっているわ...」