元枢機卿のTS聖女は怠けたい。 作:匿名
一話
そもそも、である。
神は存在するのか? この問いは、神学者が
そう。皮肉なことに、私の人生における最大の不幸こそが、神の存在証明に他ならなかったのである。全知全能の神がいると仮定すればこそ、この理不尽な配役が「神の気まぐれ」という唯一の解答にたどり着くのだから。
システィーナ礼拝堂の
初めのうちは良かったのだ。「次代の教皇は誰か」などという、まるで競馬の予想屋にでもなったかのような無責任な議論に興じ、有力候補たちの顔を値踏みしては、心の中で「あの御仁は少々厳格すぎる」「こちらの方はもう少し俗世の空気を吸うべきだ」などと、さも高尚な批評家然としていられたのである。
ところが、どういう運命の悪戯か、あるいは悪魔の差金か。おそらく神の暇つぶしだろう。遅々として進まぬ投票の末、風向きが変わり始めた。まるで淀んだ空気が突如として流れ出すように、有力者たちが互いを食い合おうと自滅した挙句、どういうわけか私の名を書いた票が、一票、また一票と増え始めたのである。冗談ではない。私はただ、この長ったらしい会議をさっさと終わらせたいだけなのだ。お気に入りの書斎で、配達させたばかりのマルゲリータ・コン・ブッファラをダイエットコーラで流し込み、聖アウグスティヌスの『告白』を開きもせずただ尻目に置き、「ああ、信仰とはなんと面倒なものか。それに比べてこのピザの円満な形状はどうだ」などと悦に入りながら、本当にやりたいこと、すなわちインターネットの海で猫の動画を漁るという、至高の知的活動に没頭していたいだけの、しがない聖職者なのである。いや聖職者というよりは、もはや宗教という壮大なシステムに寄生する高等遊民なのである。そんな私に、全世界の教徒十億の魂を背負えと? 世界が終わっちまうぞ。私じゃない。世界がだ。
いよいよ票が三分の二に達しようかというその刹那、私の絶望は臨界点を超えた。
教皇になる……? この私が本当に……?
あの純白の法衣は、トマトソースの染み一つで国際問題に発展しかねない、極めて管理の難しい衣類だぞ。信徒たちの前に立って手を振る? あれは見た目以上に手首への負担が大きい、一種の重労働だ。ミサの司式は言うに及ばず、延々と続く謁見、各国の首脳との腹の探り合い、おまけに復活祭のスピーチの原稿は自分で考えろと? 過労で殉教する未来しか見えんではないか。
考えれば考えるほど狂っている。どうして私がこんな大役を負わねばならないのだ。どうして教皇は私より先に逝ってしまわれたのか。
……どうしても何もない。聖下の死は過労が原因だ。
とにかく無理だ。絶対に無理だ。そんな責務を背負わされるくらいなら、いっそ今この場で心臓が止まってくれたほうが、どれほど神の御心にかなうことか……!
そう願った瞬間、私の心臓は、素直にもその機能を停止した。実にあっけないものである。
周囲の同僚たちが「おお、神よ!」「猊下が!」などと騒ぎ立てる声を遠くに聞きながら、私の意識は急速に薄れていった。
見よ。神はやはり存在したではないか。そして、私のささやかな願いを聞き届けてくださった。なんという慈悲深き御方であろうか。アーメン。
……と、穏やかな気持ちで永遠の眠りにつこうとした私に、どこからともなく、不思議な声が響き渡ったのである。
『お前の腐った魂に、ひとつ試練を与えてやろう』
腐っているとは、なんとも心外な物言いではないですか。教皇という俗世の権力の頂点から逃れるため、己の命すら
*
次に目覚めた時、私は赤子になっていた。しかも、身に覚えのない女の赤子である。
一体全体、どういうことか。
私の視界に広がるのは、粗末な木材で組まれた天井と、そこからぶら下がる干し草の束。私を抱きかかえる女の腕は、土と労働で節くれだっている。周囲に漂うのは、貧しさと家畜の匂いが混じり合った、お世辞にも芳しいとは言えない香りであった。どうやら私は、前世とは比較にもならぬほど、社会のヒエラルキーの最底辺に生まれ落ちたらしい。
まあ、それ自体はあまり問題にならなかった。人は慣れるもの。
これはおかしい。何かがおかしい。この過剰なまでの優遇は、無償の愛などという美しいものではない。もっと打算的で、粘りつくような、何か別の感情の匂いがする。彼らは私を、まるで大切に育てられる「金の卵を産む鶏」か何かのように扱っているのだ。一体、私に何を期待しているというのだ……?
答えは私が七つになった日、あまりにも突然かつ理不尽な形で突きつけられた。
その日、村に一台の立派な馬車がやってきた。村中が
「見つけたぞ、聖女の卵よ。喜ぶがよい。今日よりお前は、神に仕える身となるのだ。さあ、教会へ参るぞ」
我が両親は、その言葉を聞くなり、まるで長年待ちわびた吉報を受け取ったかのように、感涙にむせび始めた。そして、私の背中を押し、涙ながらにこう言ったのだ。
「ああ、マリア……! お前は
その瞬間、私の脳内で、これまで霧に包まれていた全ての点と点が、悪魔的な星座を描き出していた。
ああ、そういうことか!
この両親の歪んだ愛情は、私個人に向けられたものではない。私の背後にちらつく、教会が発行する小切手に向けられたものだったのだ!
私は娘として愛されていたのではなく、「金の卵を産む鶏」もとい、将来死してなお有望な「聖遺物を生む聖女」として丁重に管理されていただけだったのである!
前世では信仰を食い物にして生きてきた私が、今世では自らの存在そのものが信仰のダシにされるとは。これはまるで、悪趣味なドッキリ番組ではないか。神よ、あなたは私が「してやられた」と悔しがる顔を、高みからポップコーンでも頬張りながら見物しているのだろう。この番組の出演料はいつ支払われますか。
かくして私は、両親の涙(投資回収によるもの)に見送られ、純白の馬車へと強制的に放り込まれた。
聖女になる? 冗談ではない。私は神に仕えることの面倒から逃れるために、一度死んだ男なのだ。それがどうして、異世界でまで同じような責務を負わねばならないのか。
ガタガタと揺れる馬車の中で、私は必死に記憶の糸をたぐり寄せた。そして、思い至ったのである。あれは、まだ私が言葉もろくに話せぬ赤子であった頃。貧困かつ不自由な環境に
「Maledicte!(クソッタレ!)」
中指を立てた瞬間、雲一つない快晴であったはずの空に、突如として暗雲が立ち込め、近くの枯れ木に
当時の私は、それを単なる偶然の一致、あるいはこの世界の気候が不安定なだけだろうと高を
ああ、神よ。あなたの試練とやらは、どうやら私の想像を遥かに超えて、悪趣味で執念深く、そして輪をかけて面倒くさい。いったい私が何をした。
私を乗せた馬車は、私の絶望など露知らず、聖なる都へと続く道を、軽快な音を立てて進んでいく。
私は窓の外を睨み、眠りこける神官にバレないよう小声で「Maledicte(クソッタレ)」と中指をおっ立てた。
唸る轟雷。飛び起きる彼。
なるほど。きっとこの『クソッタレ』をあなたに食らわせるまでが試練なのですね。
私は神官の熱い視線を感じながら、立てた中指を抱きかかえるようにして眠りについた。