元枢機卿のTS聖女は怠けたい。   作:匿名

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二十四話

 我々一行が次なる目的地として訪れたのは、潮の香りと、一攫千金を夢見る男たちの野心が入り混じる、活気にあふれた自由都市アジェンタム。巨大なガレオン船が停泊する港は、まさしくこの街の心臓部であり、あらゆる情報と人材が、血液のように絶えず流れ込んでは、また流れ出していく。

 

「マリア様、この街に我々の仲間になってくださる方がいるのですか?」

 人の多さに目を白黒させながら、アグネスが尋ねてきた。私はといえば、あたりを付けている確固たる勝利への道に不遜な笑みを浮かべずにはいられなかった。

「ええ、いますよ。よく働き、『信仰に(あつ)い』傭兵がね」

 

 あの筋肉だるま、バルガス隊長のことである。知性よりも筋肉の成長を優先させたであろう、愚直な男。アグネスの豊満なる善意を前に、知能指数が鳥類レベルにまで退行した単純な男。彼ほどの駒が、この政治闘争においてどれほど有用か。考えるまでもない。彼は私の言葉を神託と信じ、アグネスのためならば火の中水の中、何人もの部下を従えて票集めに奔走してくれるに違いない。完璧な計画である。実にエレガント。

 

 *

 

 冒険者ギルドの扉を蹴破らんばかりの勢いで開けると、そこは相変わらず汗と安い酒と、鉄の匂いが充満していた。カウンターで気だるげに爪を磨いていた受付嬢に、私は努めて愛らしく問いかける。

 

「あの、バルガスさんという方をお願いしたいのですが」

 

 受付嬢は、私の顔を一瞥すると、面倒臭そうに分厚い台帳をめくった。

 

「バルガスねえ……。一週間ほど前に出ていったわよ。『こんな仕事の来ねえ場所にいられるか! 大海原に出て一発当ててやる!』とか何とか叫びながらね」

 

 ――なんだと。

 私の完璧な計画に、早くも致命的な亀裂が入る。仕事が来ないだって? ……まさか、あのアグネスの護衛任務が彼に残された唯一の仕事だったとでもいうのか。私は内心で派手に舌打ちをした。

 

 しかし、ここで諦める私ではない。まだ算段は残っている。同じくアグネスに一目惚れした単純な男が、もう一人いたはずだ。盗賊団の頭領、ザンギ。彼はバルガス以上にアグネスの言葉に骨抜きにされていた。大勢の盗賊をまとめ上げてもいる。票を手早く集めるならば、こちらの方が上かもしれない。

 

 *

 

「盗賊さん……ですか。少し怖いです……」

 心配するアグネスに、私は胸を張って見せた。

「大丈夫です。あなたの祈りが必要以上に通じる相手ですから」

 

 私は御者台のアベルに、わざと森の中で馬車の速度を落とすよう指示した。これ見よがしに油断した馬車を演出し、獲物が自ら罠にかかりにきたと、愚かな盗賊どもに思わせてやるのだ。

 

 案の定、木々の間から待ちかねたように男たちが姿を現す。だが、その中に頭領であるザンギの姿はない。そして何より、彼らの目には、かつてアグネスに向けられたような()れ者の光はなかった。ただ、獲物を前にした飢えた獣の、無機質な光があるだけだ。

「止まれ──金目のものと、そこの女二人を置いていきな」

「お待ちください! 争いは何も生みません!」

 アグネスの悲痛な叫びも、彼らの耳には届かない。

 

 まずった。状況が、私の想定外のパターンへと転がり落ちていく。私としたことが、何故こうも楽観視してしまったのか。彼らがアグネスに心酔したのは、あくまで頭領がそうであったからに過ぎない。その頭領が不在となれば、彼らはただの飢えた狼の群れだ。

 

 頭の中が後悔で満たされた、その時であった。

 御者台から、アベルが音もなく飛び降りた。

「マリアさんには、指一本触れさせませんよ」

 

 そう呟くと、彼は着ていた司祭服を脱ぎ捨てた。その下に現れたのは、聖職者のそれとは到底思えぬ、無駄な脂肪が一切ない、しなやかで力強さを秘めた肉体。そして、その白い肌を無数に彩る、おびただしい数の傷痕。

 盗賊たちが一瞬、その異様な光景に気圧(けお)される。

 

「なんだこいつ……? まあいい、相手は丸腰だ! やっちまえ!」

 誰かの号令をきっかけに、男たちが剣や棍棒を手に襲いかかった。

 

「いけません、アベル様!」

 アグネスの悲痛な叫びが森に響く。しかし、その声はアベルにとって、これから始まる祝祭の開始を告げる鐘の音にしか聞こえていなかっただろう。彼は、常人であれば回避するであろう攻撃を、まるで意に介さない。それどころか、自らその刃の森へと恍惚の表情すら浮かべて飛び込んでいく。

 

 ゴッ、と鈍い音が響く。棍棒がアベルの肩を(したた)かに打つ。しかし彼は怯まない。逆にその衝撃を利用して踏み込み、相手の顎を的確に拳で打ち抜いた。血飛沫を浴びながらも、彼の口元は笑っていた。

 

「どうしたのかな。全然、痛みが足りない。もっと……生を実感させてくれないか!」

 

 狂気の笑み。自ら傷を負うことを厭わず、ただひたすらに前進し、敵を殴り倒していく。その姿は、もはや戦闘ではなく、自傷行為と破壊衝動が一体となった、異端の儀式である。

 盗賊たちは、彼の戦闘技術ではなく、その底知れぬ狂気に恐怖した。やがて一人、また一人と武器を捨て、地面に膝をつき降伏を告げた。

 

「アベル様、ひどい怪我……!」

 戦闘が落ち着くと同時に駆け寄ったアグネスに、血まみれのアベルは穏やかに微笑んだ。

「いえ、むしろ魂が清められました。マリアさんをお守りするという聖なる務めを、この肉体で実感できましたから」

 

 そのやり取りを冷ややかに見つめながら、私は震える盗賊にザンギの行方を問いただした。

「お、頭領(おかしら)……いや、ザンギなら『ここでは俺の筋肉は輝けねえ! 海は広いぜ!』とか言って、部下を連れて、海賊になるって港へ……」

 

 頭が痛い。どうやらこの世界の筋肉自慢は、みな一様に海を目指すらしい。

 

 私がげんなりと天を仰いだ、その時。

 空から、森全体を揺るがすような巨大な咆哮が響き渡った。

「ど、ドラゴンだぁっ!」

 降伏していた盗賊たちが、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。残されたのは、我々三人のみ。

 

「マリアさん、アグネス。僕はもう動けません。ここは僕を置いて、早く逃げてください」

 血まみれのアベルが、アグネスに腕の傷を手当てされながら満足げに言う。しかしアグネスは断固として首を横に振った。

「それはできません! 我々は三位一体。そう約束したばかりではありませんか!」

 

 白熱したやり取りを嘲笑うかのように、木々をなぎ倒し、巨大な影が我々の眼前に降り立った。神話の厄災、ドラゴンの登場である。

 ドラゴンが大きく息を吸い込み、灼熱(しゃくねつ)咆哮(ほうこう)を放たんとする、まさにその寸前。

 

 すでに靴下を脱いで準備を済ませていた私は、大きく振りかぶって渾身の一投をドラゴンの鼻っ面に叩きこんだ。

「──フゴッ」

 

 次の瞬間、世界を焼き付くはずだった咆哮は「クゥン」という実に情けない、間の抜けた鳴き声へと変わった。

 

「…………」

「…………」

 

 灼熱の代わりに、実に白けた空気が二人と一匹を凍り付かせた。

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