元枢機卿のTS聖女は怠けたい。   作:匿名

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二十六話

 聖都ルクス。総勢六名からなる我々、貧乏聖女候補団は薄いパン切れを分け合いながら、聖女選別のその日が来るのを待った。もはや後に退くことはできない。聖女になるか、餓死か。その思いが我々の絆を強固なものにしていた――というのは、いささか美化が過ぎる表現であろう。実際は、日に日に増していくアベルの奇行と、底なしの胃袋を持つ筋肉コンビの食費に、私の胃が物理的にも精神的にもきりきりと痛む、実に救いのない日々であった。

 

 そして、試験当日。

 

 第一試験の会場とされた大広間は、敬虔な信徒たちというよりは、むしろ一攫千金を夢見る者たちの欲望の坩堝(るつぼ)と化していた。屈強な傭兵崩れ、胡散臭い祈祷師、果ては昨夜まで酒場で歌っていた吟遊詩人まで。およそ聖女候補とは思えぬ、ありとあらゆる俗物が「登録さえすれば誰でも聖女候補」という甘言に釣られ、一堂に会している。この光景は、もはや神聖な儀式ではなく、壮大なスケールの職業安定所である。

 

 広間の壁際には埃をかぶった巨大なパイプオルガンが鎮座している。かつては神を讃える荘厳な音色を響かせたであろうその楽器は、今や固く口を閉ざし、この茶番劇を静かに見下ろしているだけだった。

 

 やがてオルガンの方から、一人の老神官がゆっくりと姿を現した。深く刻まれた眉間の(しわ)、神経質そうな指先。間違いない。かつて私の「怠惰こそ至高の信仰」演説に感涙した、あの逆張り神学オタク審査委員長その人であった。

 

 彼は俗物たちの喧騒を意にも介さず、広間の中央まで進み出ると、まるで面白い芝居でも鑑賞するかのように満足げに頷いた。その静かなたたずまいが、かえって異様な威圧感を放ち、あれほど騒がしかった広場が徐々に静まり返っていく。

 

「静粛に、とは申しません」

 

 全ての視線が自分に集まったのを確認し、彼は楽しそうに口の端を吊り上げる。

 

「神の家において、自らの魂の貧しさを声高に叫ぶのもまた、一つの信仰の形でありましょうからな。もっとも、その叫びが天に届くかは、また別の話になるでしょうが」

 

 皮肉に満ちた第一声に、何人かが気まずそうな顔をしている。

 

「どうも、シメオン監督官です。此度はこの茶番……いや失礼、この聖なる選抜において、あなた方の信仰に『値札』を付けさせていただく役を務めさせていただきます」

 

 彼は集まった俗物たちをまるで出来の悪い初学者でも見るかのような目で見渡すと、咳ばらいを一つして試験内容を告げた。

 

「これより、聖女選抜・第一次試験を執り行う。諸君らには、ただちにこの仮会場を離れ、日没までに次の会場へとたどり着いてもらう。間に合わなければ、その時点で失格となる」

 

 会場がざわつく。本会場の場所は知らされていない。どうやって行けというのか。シメオンは、その混乱を楽しむかのように手をあげて「場所を言うぞ」と、一つのヒントを与えた。

 

「――神は至る所に(ましま)し、故に至る道は無し。されど聖女たる者、神の沈黙にこそ道を見出すべし」

 

 あまりにも詩的かつ不親切な言葉を最後に、彼はさっさと広間から退出していった。残された候補者たちは大混乱に陥る。「神の沈黙とは何だ?」「隠された道があるに違いない!」「いや、これは神学的な比喩だ!」などと、実に愚かしい議論が飛び交い始めた。

 

 喧騒をよそに、私は一人、静かに思考を巡らせていた。そして、ふと気づく。いつの間にかアベルの姿が隣から消えている。彼は誰よりも早く、さっさと行動を起こしていたのだ。なるほど。実に彼らしい。

 

 よろしい。ならば私の役目を果たすとしよう。迷える子羊たちの無益な騒乱を鎮めてやろうではないか。

 私はかつて聖壇から信徒を導いた時のように、揺るぎない足取りで一歩前へ踏み出した。そして、この混沌に満ちた会場に神の言葉を届けるべく、朗々と声を張り上げる。

 

「皆様、お静まりください!」

 

 七歳児の声とは思えぬほどの威厳をはらんだ一喝が、混沌の極みにあった大広間を貫いた。熱に浮かされたように議論していた候補者たちが、ぎょっとして声の主を探す。その視線が一斉に、壇上へとあがった幼女の姿に集中した。私である。この愚かな子羊たちを、たった一つの真実へと誘う羊飼いの言葉を聞くがよい。

 

「この私に、神の御心が見えました!」

 

 私はゆっくりと、集まった全ての視線を一身に浴びながら、この滑稽な謎解きを壮麗なる神学劇場へと昇華させるべく、聖霊を身に宿す。

 

「静粛に。そして、私の言葉に耳を傾けなさい。そもそも、あなた方は根本的な心得違いをしている。これは謎解きなどという、子供の遊びでは断じてない。我らが神より与えられた、信仰の深さを問う『神学問答』なのです!」

 

 ざわ、と広間に動揺が走る。良い傾向だ。彼らは次の言葉を待っている。

 

「よろしいか。第一の神託、『神は至る所に在し』。これは、神の力がこの生者の世界のみならず、我々がいつか還るべき場所――声なき死者たちの領域を隔てる、その薄皮一枚のヴェールの向こう側にまで及ぶという、神学上の大原則を示唆しております。 我らが探すべき場所は、この華やかなる生の舞台裏、すなわち『死の領域』にこそある!」

 

 私の言葉に、何人かが息を呑むのが分かった。彼らの顔に浮かぶのは、恐怖と、そして抗いがたい好奇の色。

 

「次に第二の神託、『至る道は無し』。神は我々に『探せ』と命じておきながら、その道はないと(のたも)うた! なんと意地の悪い謎かけでありましょうか! ですが、これこそが最大のヒント! すなわち、我々が探すべき道とは、誰もが知る表通りなどではない。歴史の闇に葬られ、生者の地図からは消し去られた『隠された聖道』が存在するという、これ以上なく明確な逆説的証明に他ならないのです!」

 

 もはや広間に先ほどの喧騒はない。誰もが一言一句を聞き漏らすまいと、固唾を飲んで私を見つめている。私は演説のクライマックスに向け、わざとらしく一つ息を吸い込み、天を仰いでみせた。

 

「……そして、最も深遠なる第三の神託!『神の沈黙にこそ道を見出すべし』。聞きなさい、愚かな子羊たちよ! 沈黙こそが最も雄弁な神の言葉であると、なぜ気づかぬのですか! 我々生者の騒がしい祈りではない、決して言葉になることのない死者たちが魂の全てを捧げ続ける、永遠にして荘厳なる祈りの様相! それこそが『神の沈黙』の正体!」

 

 恍惚とした表情で両腕を広げ、聴衆を睥睨する。

 

「さあ、見えたはずです! これら三つの神託が、一本の光の矢となって指し示す、唯一にして聖なる場所が! 道は、街はずれの古い礼拝堂、その地下深くに眠る――死者たちの都、『カタコンベ』に他なりません!」

 

 我が演説は、淀んだ水面に投じられた一石であった。完璧な論理と煌々たるカリスマ性が描いた波紋は、候補者たちの間に瞬く間に広がり、熱狂の渦を巻き起こした。

 

「彼女は天才か!」「俺は気付いていたぜ!」などという、実に安っぽい賛辞や悔し紛れの台詞が飛び交う。やがて、その熱狂は一つの巨大な波となり、決壊したダムの濁流のごとく、大多数の候補者が大広間の外へと殺到していった。

 

 やがて熱狂の奔流が引き、大広間は嘘のような静寂に包まれた。そこには、呆然と立ち尽くす我が一行と、流れに取り残された数人の候補者だけが残されている。

 

「我々も急いだ方が良いと思いますが……アベル様は何処でしょう?」

 

 はぐれ子羊のように不安そうなアグネスを見て、私は羊飼いの仮面をそっと外した。

 

「急ぐ必要はないのです、アグネス。それに、あの熱狂の渦に飛び込むのは、実に非効率的で面倒だとは思いませんか? 神は何も、徒競走で我々の信仰を試しているわけではないでしょう。むしろ、この喧騒の中でいかに冷静に、そして怠惰に本質を見抜くか、そこにこそ神の御心があるというものです」

 

 持って回った言い方に、アグネスが困惑の色を浮かべるのを愉しみながら、私は静かに広間の壁際を指さした。その指が示すのは、忘れられたように佇む、あの巨大なパイプオルガン。

 

「ヒントをもう一度思い出してみてください。『神の沈黙にこそ道を見出すべし』、と。シメオン神官は、実に詩的な表現を好むようです。この大広間で、最も雄弁に神を讃え、しかし今この瞬間、固く口を閉ざして『沈黙』しているものは何でしょう?」

 

「あっ……!」

 皆が、息を呑んでパイプオルガンを見つめる。

 

「そう。答えは、あの神の楽器……その裏に隠れている扉です」

 

「まあ!」「なんと!」と、仲間たちが私の慧眼に素直な感嘆の声を上げる。その反応に満足しつつも、私は「ですが」と、さらに話を続けた。

 

「しかし、その答えすら私に言わせれば『不確実』です。もしあの扉の先に道がなかったら? 罠だったら? 謎解きには常に、解釈を誤るというリスクが付きまとうのです」

 

 シメオンは最初に自分が「試験の監督官」であると名乗った。これは後に続く出来の悪い詩などよりも、ヒントとしての価値がずっと大きい。監督官であるのなら、この後、本会場に向かう必要があるのだから。

 

「絶対に間違うことのない答えが、この場には一つだけ存在しました。それは『監督官本人』です。アベルは、不確実な謎を解くのではなく、『答え』そのものを追いかけることを選んだ。実に合理的。実に彼らしいやり方です」

 

 私はパイプオルガンの裏へと回り、シメオンが出入りしていた扉を開く。地下へと続く道には、新鮮な血痕が付着していた。

 

「やはりこの先にあるのは、ただの控室というわけではなさそうですね」

 

 生ぬるい風が吹き込んでくる道を見下ろし、静かに告げる。

「アベルは、私が彼の思考を読むだろう事も予測していた。だからこうして、親切にこの道が正解であると『赤い道しるべ』まで残してくれた、という訳です。謎解きの答えと、監督官が進んだ道。どちらも同じ場所へ通じているなら、間違いはないでしょう」

 

 私は、悠々とその先へと足を踏み出す。

「さあ、行きましょう。ほとんどの競争相手は勝手に脱落してくれました。最も確実な道は、目の前に示されている。これ以上楽な試験はありません」

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