元枢機卿のTS聖女は怠けたい。   作:匿名

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二十九話

 地獄の根競(こんくら)べの一巡目が終わり、瀕死の候補者たちが荒い息を整えていると、それまで静観していたプリマが穏やかな声で口を開いた。

 

「皆様、汁だけでなく、ぜひ中の具も食べてくださいな。しっかりと煮込まれていて、きっと美味しいですから 」

 

 孫にご馳走を勧める祖母のような声色だったが、内容は悪魔の宣告に他ならなかった。

 

 二巡目。一番手の黒服がシメオン監督官の顔色を伺う。シメオンは大きく頷いてみせた。プリマの決めたことは絶対なのだろう。黒服は観念し、涙ながらに椀の底に沈む熱々の黒い塊を口に放り込む。彼のサングラスの下から滴る水分は、汗か涙か。

 

 しかしこのままでは、あまりにも不利だ。この地獄を延々と耐えられる自信はない。投票箱が回ってきた時、私は毅然とした声で挙手をした。

 

「監督官、ならびにプリマ様。この投票、少々アンフェアではありませんか! 」

 

 私の唐突な異議申し立てに、シメオンが面白そうに眉を上げる。

「ほう、アンフェアとは?」

 

「ご覧の通り、私はか弱き七歳の幼女です。皆様のような成熟した大人たちと、同じ量の試練を課せられるのは、神の前の平等に反するとは思いませんか! 」

 

 この熱弁に、我が一行が即座に反応した。「そ、そうですわ! マリア様はまだお小さいのです! 」「そうだそうだ! こんなガキに大人と同じ量を食わせようってのが間違ってる!」 バルガスとザンギが、地獄のスープで真っ赤になった顔で賛同する。

 

 対するヴィオレッタは扇子で口元を隠し、冷ややかに言い放つ。「あら。聖女候補として自ら名乗り出たのでしょう? 年齢を言い訳になさるなど、見苦しいですわ」

 

「見苦しいか否かという問題ではりません! 」私は一歩も引かず、反論の弁舌を繰り出す。「子供の味覚というものが、どれほど繊細で敏感か、あなた方はご存知ない! 大人が耐えられる刺激も、我々にとっては致死量に等しいのです! 子供が酒を飲めないのと同じ道理です。これは贔屓をしろと言っているのではありません。ハンディキャップを考慮し、公平な土俵を整えよと申し上げているだけなのです! 」

 

 大げさではあるが、今回は詭弁ばかりではない。ただでさえ虚弱体質な私なのだ。この訴えが通らなければ、最初に脱落するのは私だろう。

 プリマは楽しそうに聞いていたが、やがて静かに手を打った。

 

「分かりました。理屈はともかく、神聖な試験です。公平性は保たれなければなりません。マリアさん、あなただけは椀の半分の量で結構です。ただし──」 彼女は悪戯っぽく目を細める。「具は、必ず食べていただきますよ」

 

「感謝いたします!」 私は深々と頭を下げ、緩和された条件の椀を受け取った。半量とはいえ、鼻を突く刺激臭は変わらない。私は意を決し、スープの具である黒々とした塊を口に放り込む。

 

 灼けつくような辛さ。だが、その奥から、信じられないほどの旨味が溢れ出してきた。これは……ただの肉ではない。長時間煮込まれ、香辛料と出汁の全てを吸い込んだ、極上の肉だ。

 なるほど。プリマの言う通り、これはご馳走に違いない。となると、この食事を厄介にしているのは、具ではなく汁の方だ。

 そう判断した私は、すぐさま行動に移した。近くに置かれていた白湯の入った水差しを手に取り、残りの汁が入った私の椀が溢れる寸前まで、なみなみと注ぎ込む。

 

「あっズル……! あなた、お行儀が悪いですわ! 」 ヴィオレッタから甲高い非難の声が飛んでくる。だが、私はお構いなしに、完璧に希釈されたスープを飲み干した。勝てばよかろうなのだ、勝てば 。

 

 二巡目が終わる。結果はアグネス6票、ヴィオレッタ4票。変わらない。三巡目、四巡目と地獄の投票は繰り返された。結果は同じ。しかし、部屋の状況は確実に悪化していた。投票用紙が燃やされるたびに暖炉の火力は増し、室温はサウナのように上昇。灼熱のスープと灼熱の空気で、候補者たちの体力は限界に達していた。

 

 そして、運命の五巡目。ヴィオレッタの部下である黒服たちの意識が、明らかに朦朧としている。

 

「うぅ……あ、暑い……」「そんなにやべえなら……その暑っ苦しい服を脱げば良いじゃねえか……」 ザンギが、すでに上半身裸になりながら呟く。「おうよ……見ろ、俺の筋肉も汗で輝いてるぜ……お前らも筋肉自慢しようや……」 バルガスも上半身裸でマッスルポーズを決め、呼応する。二人とも、熱気で完全におかしくなっていた。

 

 黒服たちは、苦悶の表情で口を一文字に結びながらも、ヴィオレッタの顔色を伺う。ヴィオレッタは、ただでさえ暑い室内で涼しい顔を崩さず、扇子を優雅に動かしながら、部下たちを一蹴した。

 

「みっともないわね。これが私たちの流儀なの。その服を脱いだ瞬間、あなたたちはバルベーラ商会の組員ではなくなる。分かっているわね? 」

 

「……姐さんの、言う通りだ……」黒服の一人がそう言い残すと、そのまま机に突っ伏すように倒れた。それを皮切りに、残る二人も次々と意識を失う。

 

 シメオンが汗をまき散らしながら黒服たちを雪原の部屋へと運び出していく。その際、扉が開いたことで吹き込んできた一筋の涼しい風を受けて、私の意識も少しだけはっきりした。私は好機とばかりに、ヴィオレッタを煽る。

 

「自分だけ涼しい顔で扇子をお使いになって、部下へはあの仕打ち。あんまりではないですか。いつか嫌われてしまいますよ?」

 

 ヴィオレッタは、吹き込んできた風を逃さぬよう素早く扇子を動かしながら、私に冷たい視線を返す。

 

「あなたこそ一番涼しい入口側にちゃっかり座って、さらに自分だけ条件緩和までしてもらっているじゃありませんか。そういう抜け目のない方こそ、いずれ足元をすくわれるものですわよ?」

 

 6対1。我々一行と、ヴィオレッタただ一人。圧倒的不利な状況にもかかわらず、彼女の瞳は少しも怯むことなく、むしろ妖しい光を湛えている。何か策があるのだろうか。

 

 やがて、バルガスに投票箱が回ってきた時だった。ヴィオレッタが動いた。

 

「まあ、バルガスさん。その自慢の筋肉が、茹でダコのように真っ赤っかじゃありませんこと? もう耐えられないのではなくて?」

「な、何のこれしき! 俺の筋肉は熱にも強いのだ! 」

 バルガスは震える腕で力こぶを作ってみせる 。

 

「ふふ、無茶をなさらないで。ほら、これで扇ぐといいですわ」 ヴィオレッタが懐から取り出したのは、一枚の古びた紙きれだった。

 

「はあ? 扇ぐったって、こんなもので── 」 バルガスは、訝しげにその紙を受け取り、そして、固まった。それは、バルガスとザンギ両名が、アジェンタムの街で船を買うために方々から借りて回った借金を、バルベーラ商会がすべて取りまとめたという、恐るべき債務証書だったのだ。

 

「あの街で借金をするということは、すなわち、このわたくしから『恩』を受けることと同義なのですわ」ヴィオレッタは、これまでにないほどの完璧な笑みを浮かべている。

 

 やられた。アジェンタムでの借金のツケが、最悪のタイミングで回ってきた。

 涙ぐむアグネスと、青ざめるバルガスとザンギ。その光景を満足げに眺めながら、ヴィオレッタはとどめの一言を放つ。

 

「仲間を裏切って私に票を入れろとは申しませんわ。そんなの、醜い買収みたいでよろしくありませんもの。ただ──」 彼女は、煮えたぎる鍋に視線を落とす。「こんなに辛いスープを勢いよく食べ続けていては、体調を崩してしまうことも、あるかもしれませんわね?」

 

 それは唯一の逃げ道だった。裏切りではなく棄権なら、と。バルガスは「うおおぉ……!」と苦悶の叫びを上げると、アグネスに一度だけ頭を下げ、叫んだ。「す、すまんアグネス様! 腹が……腹が痛えんだっ!」 彼は、雪原の部屋へと転がり出ていった。

 

「おい、姐さんよぉ!」 残ったザンギが、債務証書を掴み取る。「こいつぁ、ケツを拭く紙に使ってもいいってことだよな!? 」「下品ね。わたくしは、そんなはした金に固執いたしませんの」 ヴィオレッタが、おかしそうに手を振る。ザンギもまた、バルガスの後を追って部屋を出ていった。

 

 一瞬にして、6対1から4対1へ。ヴィオレッタはただ一人、扇子で涼しげに風を送りながら、勝者の笑みを浮かべていた。

 

「さあ、暑苦しいのがいなくなりましたわ。続けましょう? 」

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