元枢機卿のTS聖女は怠けたい。 作:匿名
決戦の朝、というには
彼女らと私の唯一の違いは、彼女らが「選ばれること」を望んでいるのに対し、私が望んでいるのは「いかにして見事に落第するか」という一点に尽きる。目的は違えど、そのための戦略立案に余念がないという点においては、あるいは同類と言えるのかもしれない。そう思うと、ますます気分が滅入ってくるではないか。
そんな私の瞑想を妨げたのは、やはりというべきか、天敵アグネスであった。彼女は廊下の向こうから、まるで後光でも背負っているかのように輝きながら駆け寄ってくると、私の両手をその温かい手で包み込み焼き尽くさんとする。
「マリア様。いよいよですね。共に聖女への道を歩みましょう!」
その瞳には一点の曇りもなく、ただ純粋な好意と同志愛だけが満ちている。ああ、アグネス。神が天地創造の折にうっかり善意の壺をひっくり返して生まれたに違いないお前にとって、この試験は聖女への輝かしい第一歩であろうが、私にとっては平穏なる日常への撤退戦、その忌まわしき開戦の号砲に他ならないのだ。お前のその激励は、これからギロチンにかけられる罪人に対し「その刃の切れ味、あとで感想を聞かせてくれ」と無邪気に語りかけるようなものである。実に純真無垢で、実に悪魔的。
だが私は決して心の内をさらけ出すことはない。何故なら「いや、私は聖女になるつもりはないので」などと言ってしまえば光の権化たる彼女のことだ。「絶対にあきらめないで!」などと斜め上から一層輝きを増した熱視線でもって私の眼球を超えて脳みそをこんがり焼こうとするに決まっている。
心の毒を完璧に
「ええ、アグネス様。頑張りましょうね」
荘厳な扉が開かれ、我々は試験会場である大広間へと足を踏み入れた。正面の席には、いかにも一筋縄ではいかなそうな三人の老神官が、まるで最後の審判を下す天使長のごとく
中央の御仁は、深く刻まれた眉間の
やがて
「これより、聖女選抜試験、第一次審査『
指名されたアグネスは、臆することなく立ち上がり、鈴を転がすような声でよどみなく答えた。
「はい。最も深き信仰とは、日々祈りを捧げ、弱き者を助け、教えを忠実に守り、神の
非の打ち所がない模範解答。しかし、審査員たちの反応は鈍い。「うむ、結構」と頷いてはいるが、その目は「
「……次に、マリア」
いよいよ私の番が来た。私はおもむろに立ち上がり、わざとらしく少し考え込む素振りを見せた後、故ドイツ総統もかくやというべき凛とした声で語り始める。
「よろしいか、審査員の諸君。そして、未来の聖女たらんとする姉妹たちよ。我々は今、実に美しい言葉を聞いた。祈り、奉仕、服従……なんと甘美で、なんと
会場がざわついた。上等だ。もっとざわつくがよい。私は右手を軽く上げ、聴衆を制するように見せながら、たたみかける。
「問おう! その祈りは真に神のためか?『救われたい』という自己愛の
声に熱がこもり始める。もはや審査員をドン引きさせるという当初の目的すら忘れ、このくだらない価値観を木っ端微塵に論破せんとする快感に、私の魂は打ち震えていた。
「真の信仰とは何か! それは、己の矮小な意思を放棄し! 一切を! 全てを! 神の御心に委ねることにある! 我らが目指すべきは! 一つの教え、一つの信頼、そして唯一つの真理! それすなわち!」
小さなこぶしを胸のあたりで上へ下へと振り回し、演説をクライマックスへと導く。
「聖典を紐解きたまえ! 労働とは、原罪を負った我らに科せられた『罰』ではなかったか! ならば! その対極にある『
聴衆を
「聞きたまえ! 我々は、自らの行いで神の御心を変えようなどという、
そして、私は天に向かって右手を、いや、この小さな身体全体を突き刺すかのように、ピンと伸ばした。
「Gloria!(栄光あれ!)」
本来は神への
どうだ、この完璧なまでの冒涜! これで追放間違いなし! 私の内心では、すでに故郷の農村でハンモックに揺られる自分の姿が、喝采を浴びるかの如く見えていた。
会場は水を打ったように静まり返り、誰もが審査員の激怒を待っている。はずだった。
予想された雷鳴は、いつまで経っても
「なんと……。この若さで、信仰の逆説的真理に到達しておられるとは……」
……うん?
聞き間違いか? 私が呆然とする中、委員長は興奮して席から立ち上がった。
「我々凡人は、目に見える善行に囚われ、信仰を
その絶叫に、両脇の飾りだったはずの神官たちも「おお」「まさか」と感嘆の声を漏らし、私に向かって尊敬の眼差しを向け始めた。違う、そうじゃない。私が求めているのは尊敬ではなく
そして、運命の結果発表の時。私はまだ、何かの間違いだと思いたかった。きっとあの顔色の悪い逆張り神学オタクは夜通し麻雀にでも明け暮れて今日で三徹目。冷静な判断ができておらず暴走しただけ。最終的には常識的な判断が下されるはずだ、と。
「……以上をもって、第一次審査の結果を発表する。予選第一位、マリア!」
審査委員長が朗々と読み上げた己の名は、まるで異国の呪文のように聞こえた。私がその場で凍り付いていると、アグネスが満面の笑みで駆け寄り、私の手を固くにぎりしめる。あまりの体温の差に手がジュウジュウと音を立てているような錯覚をおぼえた。
「マリア様、素晴らしいですわ! 私も、あなたのようにもっと深く物事を考えられるようにならなくては……! 尊敬いたします!」
その純粋な尊敬の眼差しが、私の最後の逃げ道を焼き切った 。周囲からは「
かくして、平穏という名の故郷へ至るための撤退戦であったはずが、我が演説は電撃戦さながらに敵陣の逆張り神学オタクを一点突破し、結果的に『聖女の座』へと続く呪われた
ああ、神よ。あなたの脚本のあまりの完璧さに、私はただひれ伏すしかありません。
……と、涙ながらにカーテンコールに応じるのが、あなたの期待する三文役者のムーブでありましょうな。
しかし残念ながら、このささやかな我が闘争――いかにして楽に怠けるかという至高の闘争――は、まだ始まったばかりなのです。