元枢機卿のTS聖女は怠けたい。   作:匿名

3 / 30
三話

 決戦の朝、というには(いささ)か大げさに過ぎるが、修道院の廊下を流れる空気は、まさしく戦場のそれに近かった。聖女候補生すなわち、うら若き乙女たちはこれから行われる『神学問答(ディベート)』を前に、各々の方法で精神の武装を固めている。壁際に立ち、鬼気迫る形相で聖典を暗唱する者。仲間と手を取り合い、涙ながらに神の加護を祈る者。あるいは緊張のあまり顔面を蒼白にし、今にも聖水を噴出させてしまいそうな者。その狂騒的なまでの熱気は、かつて私が経験したコンクラーベ初日の、やる気に満ちたごく少数の枢機卿(すうききょう)たちの姿を彷彿とさせ、実に面倒くさい。

 

 彼女らと私の唯一の違いは、彼女らが「選ばれること」を望んでいるのに対し、私が望んでいるのは「いかにして見事に落第するか」という一点に尽きる。目的は違えど、そのための戦略立案に余念がないという点においては、あるいは同類と言えるのかもしれない。そう思うと、ますます気分が滅入ってくるではないか。

 

 そんな私の瞑想を妨げたのは、やはりというべきか、天敵アグネスであった。彼女は廊下の向こうから、まるで後光でも背負っているかのように輝きながら駆け寄ってくると、私の両手をその温かい手で包み込み焼き尽くさんとする。

 

「マリア様。いよいよですね。共に聖女への道を歩みましょう!」

 

 その瞳には一点の曇りもなく、ただ純粋な好意と同志愛だけが満ちている。ああ、アグネス。神が天地創造の折にうっかり善意の壺をひっくり返して生まれたに違いないお前にとって、この試験は聖女への輝かしい第一歩であろうが、私にとっては平穏なる日常への撤退戦、その忌まわしき開戦の号砲に他ならないのだ。お前のその激励は、これからギロチンにかけられる罪人に対し「その刃の切れ味、あとで感想を聞かせてくれ」と無邪気に語りかけるようなものである。実に純真無垢で、実に悪魔的。

 

 だが私は決して心の内をさらけ出すことはない。何故なら「いや、私は聖女になるつもりはないので」などと言ってしまえば光の権化たる彼女のことだ。「絶対にあきらめないで!」などと斜め上から一層輝きを増した熱視線でもって私の眼球を超えて脳みそをこんがり焼こうとするに決まっている。

 

 心の毒を完璧に隠蔽(いんぺい)し、私は天使(しかり)とした笑みを浮かべてみせた。

「ええ、アグネス様。頑張りましょうね」

 

 荘厳な扉が開かれ、我々は試験会場である大広間へと足を踏み入れた。正面の席には、いかにも一筋縄ではいかなそうな三人の老神官が、まるで最後の審判を下す天使長のごとく鎮座(ちんざ)している。私は彼らを値踏みしながら、最終的な戦略を練り上げた。

 

 中央の御仁は、深く刻まれた眉間の(しわ)と、指先で神経質に机を叩く癖から見て、いかにも理論闘争を好む神学オタク。逆説的で持って回った言い方をすれば、きっと喜ぶに違いない。両脇の二人は……まあ、飾りだな。血色も良く、退屈そうに欠伸を噛み殺している。中央の神学オタクを完膚(かんぷ)なきまでに論破もといドン引きさせてやれば、それで勝負は決まるだろう。完璧な計画だ。

 

 やがて(おごそ)かな雰囲気の中、中央の審査委員長が重々しく口を開いた。

 

「これより、聖女選抜試験、第一次審査『神学問答(ディベート)』を()り行う。テーマは、『神への最も深き信仰の形とは何か?』……では、アグネス。(なんじ)より答えよ」

 

 指名されたアグネスは、臆することなく立ち上がり、鈴を転がすような声でよどみなく答えた。

 

「はい。最も深き信仰とは、日々祈りを捧げ、弱き者を助け、教えを忠実に守り、神の御業(みわざ)を疑わず、ただひたすらにその御心(みこころ)に従うことですわ」

 

 非の打ち所がない模範解答。しかし、審査員たちの反応は鈍い。「うむ、結構」と頷いてはいるが、その目は「敬虔(けいけん)だが凡庸(ぼんよう)」と語っていた。長年、同じような答えを何百回と聞かされてきた彼らにとって、それは何の感銘も与えない、ありきたりなものに過ぎなかったのだ。しめしめ、前座は上々だ。

 

「……次に、マリア」

 

 いよいよ私の番が来た。私はおもむろに立ち上がり、わざとらしく少し考え込む素振りを見せた後、故ドイツ総統もかくやというべき凛とした声で語り始める。

 

「よろしいか、審査員の諸君。そして、未来の聖女たらんとする姉妹たちよ。我々は今、実に美しい言葉を聞いた。祈り、奉仕、服従……なんと甘美で、なんと欺瞞(ぎまん)に満ちた美辞麗句でありましょうか!」

 

 会場がざわついた。上等だ。もっとざわつくがよい。私は右手を軽く上げ、聴衆を制するように見せながら、たたみかける。

 

「問おう! その祈りは真に神のためか?『救われたい』という自己愛の発露(はつろ)ではないのか! その奉仕は真に隣人のためか?『善人と思われたい』という虚栄心の発露ではないのか! その服従は真に信仰のためか?『罰されたくない』という恐怖心の発露ではないのか! それは信仰などではない! 神を相手取った、矮小(わいしょう)なる人間的『取引』に他ならない!」

 

 声に熱がこもり始める。もはや審査員をドン引きさせるという当初の目的すら忘れ、このくだらない価値観を木っ端微塵に論破せんとする快感に、私の魂は打ち震えていた。

 

「真の信仰とは何か! それは、己の矮小な意思を放棄し! 一切を! 全てを! 神の御心に委ねることにある! 我らが目指すべきは! 一つの教え、一つの信頼、そして唯一つの真理! それすなわち!」

 

 小さなこぶしを胸のあたりで上へ下へと振り回し、演説をクライマックスへと導く。

 

「聖典を紐解きたまえ! 労働とは、原罪を負った我らに科せられた『罰』ではなかったか! ならば! その対極にある『怠惰(たいだ)』こそ! 神がアダムに与えたもうたエデンの園、あの失われし楽園の姿に最も近い状態ではないのか!」

 

 聴衆を睥睨(へいげい)し、あえて短からざる沈黙を置く。会場の全ての視線が、この七歳の幼女の口元に集中しているのを肌で感じる。快感である。この世界に不謹慎という言葉はない。

 

「聞きたまえ! 我々は、自らの行いで神の御心を変えようなどという、傲慢(ごうまん)な考えを捨て去らねばならぬ! 我々がすべきことはただ一つ! 『神の采配を絶対的に信頼し、自らは何もしないこと』 これである! これこそが! 人間的な(おご)りを一切排除した、最も純粋で、最も深き信仰の形であると! 私は! ここに宣言するものである!」

 

 そして、私は天に向かって右手を、いや、この小さな身体全体を突き刺すかのように、ピンと伸ばした。

 

「Gloria!(栄光あれ!)」

 

 本来は神への荘厳(そうごん)賛美(さんび)であるはずの言葉を、まるでジークハイルとでも言うように、大聖堂の天井がビリビリと震えるほどに叫びきった。この世界に不謹慎という言葉はない。

 

 どうだ、この完璧なまでの冒涜! これで追放間違いなし! 私の内心では、すでに故郷の農村でハンモックに揺られる自分の姿が、喝采を浴びるかの如く見えていた。

 

 会場は水を打ったように静まり返り、誰もが審査員の激怒を待っている。はずだった。

 

 予想された雷鳴は、いつまで経っても(とどろ)かない。中央の審査委員長は、深く刻まれた眉間の皺をさらに深くし、腕を組んだまま微動だにしない。やがて、彼は打ち震える声で、絞り出すように呟いた。

 

「なんと……。この若さで、信仰の逆説的真理に到達しておられるとは……」

 

 ……うん?

 聞き間違いか? 私が呆然とする中、委員長は興奮して席から立ち上がった。

 

「我々凡人は、目に見える善行に囚われ、信仰を矮小(わいしょう)化してきた! しかしこの少女は、その全てを『人間的な(おご)り』と喝破(かっぱ)し、神への『絶対的信頼』という境地に至っている! これは、長年の修行を積んだ高位聖職者ですら到達困難な、信仰の極致だ! 天才だ! 紛れもない天才がおられるぞ!」

 

 その絶叫に、両脇の飾りだったはずの神官たちも「おお」「まさか」と感嘆の声を漏らし、私に向かって尊敬の眼差しを向け始めた。違う、そうじゃない。私が求めているのは尊敬ではなく侮蔑(ぶべつ)だ。感嘆ではなく非難だ。計画が私の理解を超えた領域で破綻(はたん)し始めている。

 

 そして、運命の結果発表の時。私はまだ、何かの間違いだと思いたかった。きっとあの顔色の悪い逆張り神学オタクは夜通し麻雀にでも明け暮れて今日で三徹目。冷静な判断ができておらず暴走しただけ。最終的には常識的な判断が下されるはずだ、と。

 

「……以上をもって、第一次審査の結果を発表する。予選第一位、マリア!」

 

 審査委員長が朗々と読み上げた己の名は、まるで異国の呪文のように聞こえた。私がその場で凍り付いていると、アグネスが満面の笑みで駆け寄り、私の手を固くにぎりしめる。あまりの体温の差に手がジュウジュウと音を立てているような錯覚をおぼえた。

 

「マリア様、素晴らしいですわ! 私も、あなたのようにもっと深く物事を考えられるようにならなくては……! 尊敬いたします!」

 

 その純粋な尊敬の眼差しが、私の最後の逃げ道を焼き切った 。周囲からは「類稀(たぐいまれ)なる知性を持つ幼き聖女候補」として、畏敬(いけい)と称賛の視線が突き刺さる。

 

 かくして、平穏という名の故郷へ至るための撤退戦であったはずが、我が演説は電撃戦さながらに敵陣の逆張り神学オタクを一点突破し、結果的に『聖女の座』へと続く呪われた橋頭堡(きょうとうほ)を確保するに至ってしまった。

 

 ああ、神よ。あなたの脚本のあまりの完璧さに、私はただひれ伏すしかありません。

 

 ……と、涙ながらにカーテンコールに応じるのが、あなたの期待する三文役者のムーブでありましょうな。

 

 しかし残念ながら、このささやかな我が闘争――いかにして楽に怠けるかという至高の闘争――は、まだ始まったばかりなのです。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。