元枢機卿のTS聖女は怠けたい。   作:匿名

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五話

 かくして、我が『平穏なる日常奪還計画』は、一方にしてみれば最も輝かしい成功に、私にしてみれば最も(みじ)めな失敗という形で終わった。

 

「聖女マリア!」という割れんばかりのコールが、大聖堂の天井をビリビリと震わせ、私の意識を白く塗りつぶしていく。思考停止した私は、満面の笑みを浮かべたアグネスに手を引かれるまま、魂の抜けた人形のように祭壇の中央へと導かれた。

 

 目の前で繰り広げられる光景は、もはや喜劇ですらなく、一つの完成されたシステムであった。逆張り神学オタクの審査委員長は権威として機能し、周囲の聖職者たちはそれを追認し、純真な姉妹たちは盲目的な支持者となる。彼らが見ているのは、この七歳児の肉体を持った私ではない。彼らが自身の信仰と怠惰と思考停止の果てに作り上げた『聖女マリア』という都合の良い偶像なのだ。その偶像を維持するための労働力として、この私が生贄に捧げられたのである。

 

 ああ、なんと効率的で悪趣味な搾取構造であろうか。私はただ怠惰に生きたいだけの、しがない元高等遊民なのに。それがどうして、異世界の巨大宗教法人の終身名誉CEO(無給・無休)などという、考えうる限り最悪の役職に就かねばならないのか。

 

 やがて始まった戴冠式(たいかんしき)は、私から人としての尊厳を奪い去る、実に手の込んだ宗教的拷問であった。

 

 まず、祝福と称して頭のてっぺんに聖油なるものを垂らされる。その量たるや尋常ではない。テレビ番組でいかにもなコメディアンが身体を張った罰ゲームを受ける様を想像してもらいたい。サラダ油と何ら変わらぬ粘度を持った、実に不愉快な液体をたっぷりと垂らされて、うっかり鼻の穴に侵入してくるそれを思い切り吹いて返そうとしたら、鼻汁が飛び散った。誰も私の痴態に気付かない。彼らは私という実像ではなく拡大解釈された聖女マリアの虚像しか見えていないのだ。私はここにいるよ。

 

 次に純白の法衣に袖を通させられる。前世でトマトソースの染み一つで国際問題に発展しかねないと恐れた 、あの純白のお召し物と瓜二つである。勿論のこと、あっという間に法衣は私の鼻水で汚れた。

 

 極めつけは、頭上に乗せられた豪奢(ごうしゃ)(かんむり)だ。 見た目以上に重い。 物理的にも比喩的にもだ。この冠の重さは、単なる金と宝石の質量ではない。全世界の信徒たちの「なんとかしてくれ」という、実に厄介な期待の質量が上乗せされているのだ。この重圧が私の華奢(きゃしゃ)頸椎(けいつい)を粉砕し、最後の慈悲を与えてくれるというのなら、それもまた一興かな……などと現実逃避の境地に達しかけた、その時である。隣のアグネスが感極まった様子で、私の手を灼熱万力のごとく握りしめてきた。

 

「マリア様……! これで、あなた様は真の聖女ですわ!」

 

 その純度百万パーセントのキラキラした瞳に見つめられ、私はただ曖昧に微笑むことしかできなかった。ああ、アグネス。私の死神。お前のその純粋な善意こそが、私をこの絶望の断頭台へと送り出した最大の要因なのだということを、お前は知る由もないのだろうね。

 

 *

 

 さて、聖女としての日常が、前世で私が心底危惧していた「考えただけで眩暈(めまい)がするほどの重労働」の日々であったことは、間違っていなかった。

 

 聖女の執務室という名の流刑地に運び込まれた私を待っていたのは、羊皮紙の雪崩(なだれ)であった。世界中から送りつけられる嘆願(たんがん)書、報告書、教義に関する面倒な質問状の山、山、山。前世の私が地獄と定義した光景が、寸分違わずここにあったのだ。皮肉なことに、長年(つちか)った「面倒事をいかに効率よく右から左へ受け流すか」という枢機卿(すうききょう)時代の高等技術が、まさかこんな形で再び日の目を見ようとは。とはいえ、そのスキルをもってして一杯一杯なのである。

 

 終わらない謁見(えっけん)もまた地獄であった。 病に苦しむ者、貧困に喘ぐ者、果ては「隣家のヤギが私の洗濯物を食べるのをなんとかしてほしい」と訴える者まで。あらゆる信徒が、この七歳児に聖なる解決策を求めて列をなす。私は無垢な少女の仮面を完璧に貼り付け、慈愛に満ちた微笑みで頷きながら、心の内ではこう毒づき続けるのだ。「何故ヤギのそばで洗濯物を干す。もっと高いところに干せばいいだろう。二度とくだらない質問を投げかけるなお前たちも私から見ればヤギの顔をした悪魔だよ!」と。

 

 中でも最も悪質だったのが「奇跡の強要」である。

「聖女様、この日照りをなんとかしてください!」

 村長らしき男に泣きつかれ、面倒くささの極致に達した私は、やけくそで天に向かい、あの呪いの言葉を吐き出した。

「Maledicte!(クソッタレ!)」

 

 狙い通り、空に暗雲が立ち込めて枯れ木に轟雷(ごうらい)が突き刺さる。(おのの)く人々。これで少しは静かになるだろうと思っていたら、その雷が偶然にも雨雲を呼び、村に恵みの雨を降らせてしまったのである。結果、私の評判は「天候すら操る偉大なる聖女」としてさらに高まり、仕事が倍増したのは言うまでもない。我が呪詛は、天に吐きかける度に祝福となって降り注ぐのだ。そして祝福が私を(むしば)んでいく。実に悪趣味な循環法則である。

 

 そんな地獄の日々に、一輪のはた迷惑な花を添えてくれたのが、やはり天敵アグネスであった。

 

 「マリア様、お疲れでしょう! 書類の整理は、このアグネスにお任せくださいまし!」

 

 彼女は善意の塊となって私の仕事を手伝おうとするのだが、その結果は常に悲劇的であった。 彼女が分類した嘆願書は、「緊急」「重要」「その他」の三種類に分けられるどころか、「文字が美しいもの」「羊皮紙の香りが良いもの」「なんとなく可哀想なもの」という、芸術的かつ絶望的に役に立たない基準で再構築され、かえって手間が三倍になる。 良かれと思って持ってくるお茶は、必ず私が最も集中している瞬間に、重要な羊皮紙の上に盛大にぶちまけられる。

 

 おお、アグネス。私の死神。気付いているかな? 地獄の(ふち)でたたらを踏む私へ、お前の善意が虎視眈々(こしたんたん)とドロップキックを()じ込むタイミングを図っているということを。

 

 かくして、(こよみ)が一枚めくられる間に、私の生命力は風前の灯火と化した。

 

 もはや食事も喉を通らず、目の下には枢機卿時代ですら経験したことのない見事な(くま)が刻まれた。しかし、周囲の聖職者たちは、その私のやつれた姿を見て、感動に打ち震えながらこう言うのだ。

「ご覧なさい。聖女マリア様は、我々衆生(しゅじょう)を救うため、その身を粉にして祈りを捧げておられるのだ」と。

 

 断じて違う。これは自己犠牲などという高尚なものではない。単なるキャパシティオーバーであり、神という名の悪徳経営者による、明らかな労働基準法違反である。「聖女じゃないよ、ただの幼女だよ。私はここにいるよ。誰よりも助けを必要としている幼女マリアがここにいるよ」そう叫んでやりたかったが、もはやその気力すら残ってはいなかった。

 

 そして、運命の夜が来た。

 山と積まれた決裁書類の最後の一枚に、「もう楽にさせてくれ」と震える手でサインを書き終えた、その刹那。私の心臓は、実に素直にも、前世と同じようにその機能を停止することを決定したらしい。あっけないものである。

 

 インクの匂いと羊皮紙の乾いた感触を最後に、私の意識は急速に薄れていく。

 

 ああ……ようやく、終業の鐘が鳴る。

 神よ。あとは永遠に眠れるベッドへ導いていただくだけで結構です──。

 

 ペンを握ったまま机に突っ伏し、私は静かに息を引き取った。 二度にわたる人生の、あまりにもあっけない、しかし私にとっては実に安らかな、究極のサボタージュであった。

 

 *

 

 翌朝、聖女マリアの亡骸が発見された時、聖都は深い悲しみに包まれたという。

 彼女の死は「過労」などという世俗的な言葉ではなく、「殉教(じゅんきょう)」という最も輝かしく、最も神聖な言葉で(いろど)られた。そのあまりに献身的な生涯は、後世まで聖女の中の聖女として語り継がれ、彼女を描いた聖画や彫像は、無数の信徒たちの祈りの対象となった。

 怠惰を愛し、平穏を何よりも求めた元枢機卿の魂は死してなお「勤勉と自己犠牲の象徴」として、永遠に人々の祈りという名の労働を強いられることになったのである。

 

 

 ──などという憎たらしい皮肉にまみれたエピローグを見せられて、私は再び現世へと目覚めるのである。

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