聖王都動乱、あるいはミニス・マーンの人生設計について 作:ひらつー
◇
火のついた燃料の塊が破裂する爆音。仲間の悲鳴。そして怪物の咆哮。
背後から絶え間なく響いてくるそれらの圧力。男は必死に走りながら、無意識に胸の辺りを手で押さえた――だが心臓が握りつぶされそうな錯覚は振り払えない。
「なんっ――なんだ、あれは!」
木立の中を駆け抜けながら、小声で呻く。その声がアレに届いてしまえば終わりだという自覚はあったが、腹の底から無限に湧き上がってくる恐怖を少しでも声に変えて吐き出さねば、まともな思考を保てそうになかった。
日の出と同時に、男とその仲間の住居を襲撃してきたのは白亜の飛竜だった。その怪物が口から吐き出した炎の砲弾が、一瞬で長閑な朝を地獄絵図に変えたのだ。
なんて不幸だ、と男は自身の運命を嘆いた。
けちのつき始めは五年前に起きた傀儡戦争だ。当時、ゼラム周辺で仕事をしていた男は、戦争の影響で河岸を変える羽目になった。
帝国まで足を延ばしたが、新天地での商売はあまりうまくいかなかった。何とかという名門出の女軍人に邪魔をされたのだ。
どうにかこうにか糊口をしのぎ、そして最近になって勝手知ったる聖王国に舞い戻り、ようやく商売が軌道に乗ったというところで――
「ふざけるなっ、ふざけるなっ、くそっ」
罵りは止まらない。だが続けるうちに、冷静な思考が少しずつ蘇ってくる。
飛竜の正体は召喚獣だろう。あんな強大な"はぐれ"がいればとうの昔に噂になっている。街道から随分と離れているとはいえ、ここはファナンの目と鼻の先なのだ。ということは、これは召喚師による攻撃ということになる。
外道召喚師ではあるまい。この付近に飛竜を従えるほどの術者がいれば、これもまたとっくに自分の耳に入っていなければおかしい。
(つまり、これは――)
結論に至るのと、目の前に現れた茂みを飛び越えるのと、答えが現れたのはすべて同時だった。
木立は途切れ、そこは小さな広場のようになっていた。森の中には、差し込む光のバランスが原因で、たまにこういった空間が現れることがある。
その空間の中央に、二人の若い女性がいた。片方は広場の中央に横たわる倒木に腰かけ、もう片方は同じ倒木の上でバランスを取るように片足立ちをしている。
とりわけ男の目を引いたのは、倒木に腰かけている方だ。男は多少の目利きもできるが、その女性が着ている服は高価なキルカ糸を使ったものだった。ゆったりとした上衣にボトムス。動きやすさを優先した取り合わせで華美な印象もないが、それでも上下で数十万バームはするだろう。
二人とも、男の登場を予想していなかったのだろう。どこか間の抜けた顔でこちらを見ていた。
男は無意識の内に止まろうとしていた足を無理やりに動かし続けた。腰の短剣を引き抜き、手近にいたという理由で座っている方へ斬りかかる。
先手を取れたのは意識の差だ。すっかり油断していた女二人に比べ、男は召喚師の存在を予想していた。
召喚師――このリィンバウムにおける最強の力、召喚術を扱うものたち。
あの飛竜はその力で呼び出されたものだろう。確かに強大な力だが、しかし召喚師といえど無敵ではない。召喚術を使えるという点以外は人間と変わらないのだ。
(ここで召喚師を殺せば、あの飛竜は制御されなくなる! 逃げ切れる目が出てくる!)
胸を狙って刃の切っ先を突き出す。
そして次の瞬間、男はその剣を握りしめたまま宙を舞っていた。
「は……がっ!?」
油断と緊張が男の奇襲を成立させたのだとしたら、この結果を生み出したのは単純な鍛錬量の差だった。
座っている方を庇うような位置に、いつの間にかもう片方の女性が移動していた。古びた男物のコートをたなびかせ、拳を突き出した姿勢で残心を取っている。
何をしたのかと言えば、単純かつ身も蓋もない話だった。片足立ちの姿勢から、男が認識できないような速度で移動し、これまた男が反応もできない身のこなしでボディブローを打ち込んだのである。
もちろん女の細腕をいくら鍛えたところで、成人男性を吹っ飛ばすような筋力はそうそう身につかないし、女の腕も鍛えられてはいたが丸太のように太いというわけではなかった。
『ストラ』――気功とも呼ばれる、シルターン由来の技法。特殊な呼吸法で身体能力を強化するその技を、女は達人と呼ばれるほどに鍛え上げていた。
軽々と5メートルほどを飛んでから、男は重力に引かれて地面に叩きつけられた。容赦なく急所を打ち抜かれており、ついでに背中を地面にしこたま打ち付けた為、しばらくは立ち上がることさえできないだろう。
それを見て取ると、男を殴り飛ばした女は得意げな声を上げた。
「ほーら、あたいが残ってて良かったろ? 夕飯はそっちの奢りだ」
対して、守られた形になるもう一方の女性は、慌てて手に取った杖を元の位置に戻しながら、恨めしげな表情を浮かべていた。
「うー……年下にたかって恥ずかしくないの?」
出費を嫌うというよりは、単純に賭けに負けたのが悔しいらしい。だがそんな言葉を意にも介さず、男を殴り飛ばした女性は近くに置いてあった荷物からロープを取り出していた。
「あんたの方が金持ってるじゃないか。こちとら貧乏道場を抱えて家計が火の車なもんでねえ」
「あれ? モーリンの道場、お弟子さんがいっぱい増えたんじゃなかったっけ? 悪魔との戦いで活躍したのが噂になって」
「増えたって言ってもね、月謝を魚の干物で払ってくるような連中だよ。おかげで食うには困らないけどさ。ほら、大人しくしときなって」
男を軽々と殴り飛ばした女性――モーリンは、地面に落ちた短剣を遠くに蹴飛ばしてから、手早く男を縄で縛り上げた。街の用心棒のようなことをしていた彼女にとって、暴漢を吹っ飛ばして縛り上げるのはお手の物である。
「でもそういう人でも受け入れてあげるモーリンって、やっぱりすごく立派な人だと思う。憧れちゃうなぁ」
「え、そ、そうかい? ……って、そうやっておだてても賭けはチャラにしないよ」
「ちぇっ」
「それより、他の連中は大丈夫なんだろうね。こいつはここで捕まえられたからいいけど」
モーリンの問いに対し、倒木に座っていた女性は首に提げていたペンダントを握って耳に当てた。そこから何かを聞き取ろうとでもするかのように目をつむる。
「ふむ……ふむふむ。『そんなこと言っても、死人が出ないように手加減しながらだと一人くらい取り逃すのは仕方ないっすよミニスさん』ですって」
「……アンタんとこのワイバーン、そんな口調なのかい?」
「ううん。意訳。他の連中は、みんな捕まったって」
さて、と呟き、女性――ミニス・マーンは立ち上がった。いままで軽口の応酬をしていた親しみのある雰囲気は消え、地に伏す男へと感情の宿らない事務的な視線と声を落とす。
「金の派閥の召喚師、ミニス・マーンです。隊商襲撃の容疑であなたを逮捕します」
「召喚師……風情が!」
男――ここ最近、ファナン周辺で強盗行為を繰り返してた無法者のひとりは、憎しみの篭もった視線でミニスを睨み付けた。
だがそんな視線にも恫喝にも、この年下であろう少女は怯えることも動揺することもなかった。心も体も微動だにしない。それを見て、逆に男の方が不気味さを覚えたほどだ。
それはこのミニスという少女が、歳不相応に荒事慣れしていることを意味していた。
「お前らに逮捕権はない筈だ!」
男は攻め方を変えることにしたらしい。この状況では悪あがき以外の何物でも無いが。案の定、ミニスは淡々と言葉を返した。
「領主から正式に権限を委任されています。今頃、あなたの仲間を捕まえているのはファナンの衛兵です」
「クソがッ!」
悪態をつくも、それ以上の言葉は男から出てこなかったが。
それからしばらくして、木々の間から、手かせで数珠つなぎになった野盗達を引き連れたファナンの衛兵達が戻ってきた。
ミニスは彼らの人数が欠けていないことを確認すると、倒木に立てかけていた杖を手に取る。
以前に持っていた杖代わりの箒は、2年ほど前にへし折れた。なんとなく手になじんではいたので、その折れた箒の柄を加工して作って貰ったのだが、自身の身長の半分ほどの長さの棒というのは、荒事に介入する身としては色々と便利ではあった。先ほどの男があのまま突っ込んで来たとしても、シルヴァーナを呼び戻す程度の時間を稼ぐ自信はあったのだ。
「怪我をした方はいませんか?」
「い、いえ、全員無事です――が」
と、衛兵の視線が気まずそうに揺れる。どうしたのだろう、とミニスは一瞬悩んだが、すぐに理解した。先ほど、ミニス達に襲いかかってきた男に、衛兵達の視線は注がれている。
「気にしないでください。見落としはこちらの不手際でもありますから」
「……申し訳ありません」
と、衛兵の隊長格らしき人物が、自身よりも一回りは若い少女に向かって頭を下げる。その背後でも、他の衛兵たちが緊張の面持ちで直立不動を保っていた。
その様子を見て、ミニスは胸中でため息を吐いた。彼らの畏れは、ミニスへ向けられたものだ。召喚師であるミニスに。
(……別に、友達になりたいってわけじゃないけれど)
ここに到着する前の行く道では、年若いミニスに軽口を叩くような者もいたのだが、実際に召喚術の威力を目の当たりにした結果がこれだった。
急変した態度に感じるものがないといえば嘘になる。だが同時に、もはや慣れつつある感覚でもあった。
そもそも本来、これは無茶な作戦だったのだ。生き残った強盗の被害者達から得た事前情報では、野盗の数は10から20人。対して捻出できる衛兵の人数は7人が限界だった。
当然ながら、そんな人数差では返り討ちに遭うのが関の山だ。
だがそこに召喚師ひとり(と、心配で着いてきたその友人)が追加されるだけで、野盗集団は総崩れになった。事前の打ち合わせ通り、ブレスで分断・無力化された野盗達を、ファナンの衛兵らはただ縛り上げていくだけ。
召喚術はリィンバウムにおける最強の力だ。抗えぬ力と言ってもいい。何しろ最高位の術者なら、たった一人で軍隊をも撃退するのだ。
ミニスはまだ16歳だったが、既に大人顔負けの術者だった。金で手に入れた誓約済みサモナイト石を使うだけの外道召喚師などとは比べものにならない。野盗の集団を蹴散らすことくらいは朝飯前なのである。
(……まあお母様も、こういう召喚師への"普通の態度"を見せたくて、こんな任務を振ってくるんだろうけど)
ミニスがここにいるのは、母親であり金の派閥の議長でもあるファミィ・マーンから命じられてのことだった。
もともとただの漁村だったファナンも、いまや帝国への直行便すら出る聖王国有数の港町だ。だがその急激な拡大に、内政機能はついて行けなかった。港町というのは様々な人種が集まる故に、どうしても治安は悪化しがちだ。衛兵の拡充は間に合わず、近隣の街道での集団強盗などが頻発している状態だった。
その為、ファナンに拠点を置く≪金の派閥≫――召喚術による利益追求を掲げる組織が、顧問召喚師として治安維持に手を貸すようになるというのは当然の流れであるといえた。
そして治安維持という任務の性質上、ファナンの浄水事業のようなものとは違う、攻撃的な術を使う必要性がどうしても生まれてくる。
ミニスの個人的な知り合いの多くは、ミニスを畏れることなく接してくる者が多い。代表的なのが心配だからと着いてきてくれたモーリンだが、そうした接し方は決して普通ではないということを学ばせたいのだろう。
モーリン達は得がたい友人であり、そして召喚師であるということの影響力の大きさを自覚せよ。そんなところだろうか。
(分かってるつもりではあるんだけどね……)
それでも考えてしまうのは、まだ未熟であるという証なのだろうか。
そんな思いを巡らしていると、ふとその場に影が落ちた。遅れて風が吹き抜け、木々が大きくざわめく。
役目を果たした友が戻ってきたのだ。ミニスは空を見上げ、その名前を呼んだ。
「シルヴァーナ!」
白亜の飛竜――シルヴァーナは応じるように咆哮をひとつあげると、森の中の空き地に器用に舞い降りて着地した。人にぶつかったり踏み潰したりしないよう、それとなく注意してくれているのが感じ取れる。ミニスがそうするように命じたのではなく、シルヴァーナが自主的にそうしたのだ。主であるミニスなら、きっとそれを望むだろうと判断して。
ミニスは両腕を広げ、そんな優しい子の鼻先をハグするように迎え入れた。シルヴァーナも嬉しそうに顔を擦りつけてくる。目の前のそんな光景に、野盗達は完全に固まってしまっていたが。
「お疲れ様。ファナンに戻るまで、もうちょっとだけ手伝ってね」
それと、とミニスは野盗達を横目で見ながら続けた。本気で注意するわけではない。ただ、帰りの道中を楽にするための冗談だった。
「……その人たち、大人しくしてる間は食べちゃダメだよ?」
かくしてファナンへ戻る道中、逃亡を企てる者はひとりもいなかったのである。