聖王都動乱、あるいはミニス・マーンの人生設計について 作:ひらつー
◇
「カンパーイ!」
モーリンの道場。その庭に面した縁側で、ミニスとモーリンはそれぞれ酒杯を傾けていた。
リィンバウムにおいては、慣習的に15歳から成人として扱われる。数年前に社交界デビューを果たしたミニスも、アルコールの類いを口にする機会がたびたびあった。
あの後、野盗達の引き渡しの手続きを終える頃には既に陽も傾いており、腹の虫も空腹を訴えていた。適当な店に入ってもよかったのだが、モーリンがミニスを自宅に招いたのだ。
「さあさあ、遠慮せず食べとくれ。まだまだいくらでもあるからさ」
といって縁側に並べられた皿の上には、炙った魚の干物が大量に積み上げられていた。
女二人で食べるには多すぎるそれを見て、ミニスが唸る。
「月謝を干物で払われてるって言うの、本当だったの?」
「なんだい、あたいが嘘ついたと思ってたのかい?」
「そういうわけじゃないけれど」
呟いて、ミニスは10センチほどの丸干しを手に取り、頭から囓った。干し魚特有の凝縮された旨味が、口の中にじんわりと広がっていく。
モーリンはというと、先の賭けの戦利品である肉の串焼きを頬張っていた。モーリン邸への帰り道、屋台で売っていたのをミニスに購入させたのである。
「かーっ、美味いっ! 久しぶりに食べるとひとしおだねえ」
「おっさんくさい……」
肉串を酒で流し込むようにして片付けていくモーリンに、ミニスが苦言を呈する。当の本人はそれを、はっ、と笑い飛ばした。
「いまここにゃあたいとあんたしかいないんだ。誰に気兼ねするって言うのさ」
「一応、私は貴族なんだけど?」
悪戯っぽい笑顔を浮かべながら、冗談めかしてミニス。対して、酒が回り始めたらしいモーリンはゲラゲラと笑い声を上げた。
「忘れてたよ! お望みならこれからはミニス様って呼ばせて貰おうか?」
「やめてよ、気持ち悪い」
「気持ち悪いとは、なんだ、このー!」
「あはは、狼藉者ー! であえ、であえー!」
酔っぱらい特有のじゃれ合いが始まる。
傀儡戦争に深く関わった5年前のメンバーの中で、ミニスともっとも付き合いが深いのがモーリンだった。なにしろ同じ街に住んでいるのだ。下町の用心棒のような存在になっているモーリンとは、今日のように仕事を共にする機会も度々発生する。結果として、二人はこのように冗談を言い合える、気安い仲になっていた。
笑い声を伴うじゃれ合いは愉快なものだったが、永遠に続くわけでもない。しばらくすれば回りきった酒精が気怠さに変わっていき、二人の言葉は少なくなっていく。だが、気まずさはない。遠く聞こえる潮騒の音を耳にしながら、ゆっくりとグラスを空けていく。気が置けない仲だからこそ共有できる、何でも無い時間だった。
「……立派になったもんだねぇ」
年一くらいで会う親戚の子供を見るような目でミニスを見ながら、モーリンが呟く。
5年前のメンバーの中で、最も印象が変わったのは成長期を迎えつつあったミニスだろう。見た目だけではない。かつての直情性も鳴りを潜め、召喚師として持つべき自制心を備えつつある。
干物を囓りながら、ミニスは肩を竦めてみせた。
「そりゃもう16歳だもの」
「十分若いよ。それで今日みたいな仕事をこなしてさぁ。あたいがそのくらいの歳だった頃は、もっと馬鹿やってた気がするけどねぇ」
「馬鹿って?」
「悪い奴をぶん殴ってた」
「今日と変わらないじゃない」
「仕事じゃなくて、趣味で殴ってたんだ」
「……そこは義侠心で、とか言ってよ」
ミニスの突っ込みも意に介さず、あーもーと、モーリンは自身の頭を抱え込んだ。
「若い奴の成長を見てると、自分が歳食ったのを痛感させられるんだよ。もっとガキでいなよ」
「モーリンだって、まだ25とかだったでしょ」
「24だよ……いいかい、よく聞きな。20を過ぎるとね、時間の流れが一気に速くなるんだ」
「そうなの?」
「ああ。あたいにとっちゃ、悪魔どもと戦ったのが一年前くらいって感覚なんだよ」
「じゃあ例の島へ調査に行ったのは?」
「……一年前くらい?」
「……なるほど、重傷だわ」
「そうだろ、このままだとあっという間に年増だよ……年増って言えば、あんたが年増年増言ってたケルマだけど」
「私が言うのもなんだけど、ひどい思い出し方ね」
「あいつ、何歳なんだい?」
「え……たしか、35……は、いってなかったかな」
「じゃあ5年前はまだ20代じゃないか! うああ、あたいももうすぐあんたから"モーリンおばさん"とか呼ばれるんだ……」
「呼ばないわよ」
「でも、あんたの子供とかからは呼ばれることになるだろ?」
"子供なんて、まだ早いわよ。考えたこともないわ"
なんとなく、そんな返しを予想していたモーリンだったが。
「……子供ねぇ……」
夜空を仰ぎ見ながら呟くミニスの表情には、どことなく真剣に悩むような影が差していた。それを見て、だばぁ、と口の端から酒を溢しつつ、モーリンが恐る恐る尋ねる。
「あの……ミニス……さん? もしかして、いい人でも出来た……?」
「え? ……ああ、違う違う。そういうのじゃないんだけど」
モーリンの動揺っぷりに苦笑を浮かべながら、ミニスが否定する。
口元を拭いながら、モーリンはほっと一息吐いた。
「脅かすのはやめとくれよ……これであんたの方が先に結婚したら、ますますあたいが行き遅れみたいになるじゃないか」
「……でも私より先に結婚したいっていうなら、あと2~3年以内にしないとじゃない?」
「え?」
慌ててモーリンが顔を上げると、ミニスの悪戯っぽい笑みが待ち受けていた。なんだ冗談か、と胸をなで下ろそうとするが、しかし、2~3年とはいやに具体的な数字だ。
何か引っかかるものがあったので、モーリンは質問を重ねた。
「いい人はいないんじゃなかったの?」
「いないけど、20までに結婚はすると思うわよ。お見合いとかで」
「お見合いって……あんた、まだそんな歳でもないだろ」
「私は貴族だもの。もういくつか婚約や縁談の申し込みも来てるみたいだし」
「貴族だとその歳でお見合いするのかい?」
当然だという顔で説明するミニスと、ちんぷんかんぷんだという表情で受け答えするモーリン。
なるほど、とミニスは思った。
モーリンとは気心知れた仲だ。身分の違いをモーリンは気にせず、普通に接してくる。だからこそ、貴族の慣習などについて説明するような機会もほとんどなかったのだ。
「珍しくはないわよ。貴族は家の存続が第一だし、結婚は家同士の繋がりを作るには手っ取り早いもの。結婚は早い内に、それこそ生まれたときから婚約するようなケースもあるし」
「生まれたときからって、それじゃあ結婚相手がどんな奴になるかとか、好きになれるかなんて分からないじゃないか」
「だから好きな相手と自由結婚するっていうのが、貴族にとってはレアケースなのよ。意外と乙女チックよね、モーリンって」
「うるさいな、いいだろ別に」
と、顔を赤らめたモーリンが、何かを追い払うような手つきを見せる。
「っていうか、あんたはそれでいいのかい? ろくに会ったこともないような奴と結婚するってことだろ?」
「そりゃとんでもない人と結婚するってなったら少しは考えるけど。それにまあ、さっきも言ったけどまだ数年は先の話よ……多分」
「多分って? あ、話したくないなら、別にこれ以上は聞かないけどさ」
「うーん、別にそういうわけでもないんだけど」
あんまり面白くもない話よ? と、前置きしてからミニスは話し始めた。
「私の家……マーン家の次の当主が、まだ本決まりになってないのよね。私の結婚はそれがきちんと片付いてからか、もしかしたら逆に凄く早くなるかも」
「? 今、一番偉いのはあんたのお袋さんだろ? じゃあ、次はあんたなんじゃないの?」
ミニスの母、ファミィ・マーンは金の派閥の議長――実質的な派閥のトップである。その唯一の実子であるミニスが後継者になるというのは、一見、真っ当な話に聞こえるだろう。だが、
「よく勘違いされるんだけど、マーン家の現当主はお母様じゃなくて、レイブン・マーン――お母様のお父様、私にとってはお爺様に当たる人なの」
「え……そりゃあ初耳だね。顔どころか名前も聞いたことないよ?」
「お爺さまがいるのはゼラムの本宅だもの。ほとんど隠居状態で、実務はお母様がやっているから、知らなくても無理はないわ」
政治事情に疎いモーリンは当然の如く、金の派閥の構成員ですら、マーン家の当主はファミィであると思い込んでいる者は多い。
「あと、実を言うと、私も直接お会いしたことはないのよね……」
「はぁ? なんでさ、自分の爺さんだろ?」
「お母様とお爺様、ほとんど絶縁状態なのよ。さっきいったお母様が当主でないってことにも関わってくるんだけど……私のお父様が誰かって噂、聞いたことあるでしょ?」
「そりゃあ……まあ、ねえ?」
モーリンはどことなく気まずそうにしながらも、消極的に肯定する。
ファミィ・マーンが未婚の母であるということは、ファナンに住む者なら誰もが知っているだろう。お偉いさんのスキャンダルというのは、得てして話題になりやすいものだ。
ミニスの父親が誰かは不明。ファミィも頑なに名を明かさなかった。
「貴族の身分を保障するのはその血筋だから……誰のかも知れない子供を産むっていうのは、貴族的にはもう完全にアウトなのよね」
「そこまでのことなのかい?」
「ええ。モーリンにも分かりやすく言うと、お母様がしたのって、道場の看板を薪にしてキャンプファイアーやったようなものなのよ。しかも道場の真ん中で」
「そこまでのことなのかい!?」
仮にモーリンの道場に通う弟子がそんなことをしでかしたら、ぼこぼこにした上で路上に放り出し破門である。
「道場の看板っていうのは大切なものよね? 歴史のある道場ならなおさら。先人から託されて、受け継いできたんだもの。貴族にとっての血筋もそれと同じよ。お母様、当時はまだ縁談も決まってなかったから良かったけど、もしも婚約、ましてや結婚なんてしてたら一生軟禁状態だったでしょうね」
そもそもリィンバウムに存在する三大国家の全てが、トップにエルゴの王の血筋を戴いているのだ。貴き血統を保つ重要性については推して知るべし……というものだろう。
「はあ、貴族様はおっかないねえ……でもさ、そんなにやらかしちまったってんなら、どうして今、あんな立派な立場にいるんだい?」
「まあ……そこは単純に努力よね」
「……努力でどうにかなる話かね」
「そうとしか言いようがないんだから仕方ないじゃない。派閥のプロジェクトを次々に成功させて、そっぽ向いてた貴族を根回しして取り込んで、めきめき頭角を現していって……」
皮肉なことに、その成果を最も実感しているのはファナン育ちのモーリンだろう。僅か10年ほどで、鄙びた漁村を聖王国最大の交易都市にしてしまったファミィの手腕は恐るべきものだった。
「それで結局、お爺様が退いたのよ。それまでお爺様が務めてた議長の座も、ほとんど明け渡す形でお母様が継いだの」
もちろん『継いだ』というのは言葉通りの意味ではない。実際のところは投票によってファミィが選ばれたのだ。
「へえ、それで絶縁ってわけか。まあ実の娘にそこまでけちょんけちょんにされたら、会わす顔もないだろうけどさ」
「それは違うわ。これってお母様が勝ってお爺さまが負けたとか、そんな単純な話じゃないのよ」
「? どういうことだい?」
「お世辞でもなんでもなく、お爺様は"勇退"されたの。本気でお母様と争えば、マーン家が割れてしまう。派閥も混乱する。だから自分から舞台を降りたのよ。お母様の能力を認めて、自分よりお母様が表舞台に立った方がマーン家は発展すると読んだってわけ。まあ、将来性というか若さなんかも込みでの話だと思うけどね」
そも、ファミィが根回しを行っていたとはいえ、その時点では票田となる多くの有力な家は、いまだファミィの父――レイブン・マーンの側についていたのだ。
もしもレイブンが争う姿勢を示せば、少なくともファミィは未だ評議長の座についていなかっただろう。ファナンもここまでの発展はしてなかったに違いない。
「噂でしか知らないけど、お爺様って家のことに関しては、一切私情を挟まない人だったみたい。歯車みたいに、ひたすらマーン家の発展の為に尽くしてきた人なんですって。だからそれが必要なら、自分のキャリアを全部捨てて、隠居することも選択できたってことなんでしょうね」
「はあ。そりゃあ何ともご立派なことで」
貴族の価値観が未だに理解できないモーリンは、それを手放しで賞賛することはできなかったが。
だが何とはなしに、モーリンは胸中でミニスの祖父と自分の父親を比べていた。道場の館長でもあるあのロクデナシは、道場と一人娘を放り出し、未だ修行の旅から帰ってきていない。どこかで野垂れ死んでいてもおかしくはなかった。
それを考えれば、やはりミニスの祖父は、最後まで責任を果たした立派な人だということなのだろう。
「でもそれならさ、当主の座もあんたのお袋さんにくれてやれば良かったじゃないか」
「そこは努力でもどうにもならなかった所よね。お母様には、もう良い縁談は望めなかったでしょうし……ないとは思うけど、もしもお母様が私を当主に据えようとしたら問題になるもの。だから次の当主の任命権だけはお爺様が持ってるの」
「あんたが当主になると、なんか問題あんの?」
「いっぱいあるけど、特別大きい問題はふたつ。まずひとつめは、召喚適性の問題ね。マーン家はサプレスの召喚術を受け継いできた家柄だから、メイトルパの私じゃ継承できないものが多すぎるのよ」
召喚術の大家は、いくつもの秘伝召喚を伝えているものだ。それは強力な召喚獣の『真の名』であったり、誓約済みのサモナイト石であったりする。
マーン家が伝えてきたそれらを、ミニスは受け継ぐことが出来ない――受け継いでも意味が無い。こういったことが起きないよう、召喚師の家系ではきちんと結婚相手を選別するのだ。
「もうひとつは、私が当主になった場合の継承権の問題ね」
「そりゃ、あんたの子供に継承されるんじゃないのかい?」
「私が力を持ったら、私の父親の一族が出張ってくるかも知れないじゃない」
父親が誰かも分からない子供がいるということの問題がこれだ。
有象無象ならまだいいが、これがどこかの貴族であるとなれば、マーン家の利権を切り取ろうとしてくる可能性すらあるのだ。貴族が血で繋がるが故の問題であった。
「ああ、宝くじに当たったら親類が増えるとか言うあれかい」
「そんな感じね。だから私は当主にはなれないの。結婚相手も、問題にならないような家柄か、貴族位を持たないけどマーン家に取っては利になるような相手……商人とかになるでしょうね」
「あんたはそれでいいの?」
「もともと当主になりたいと思ったことはないわ。結婚に関しては……相手も決まってないし、正直、実感がわかないって言うのが本音かも」
長々と話したせいで喉が渇いたミニスは、残っていたグラスの中身をぐいと飲み干した。ふう、とため息をひとつ吐く。
「現状、次の当主にはイムランおじさまが適任なんでしょうけど、おじさま達はお母様に頭が上がらないから……本家から打診しても、なんだかんだ理由をつけて断っちゃってるみたい」
ファミィを差し置いて自分が当主になど、とてもとても……ということらしい。
「ひとつだけ分からないんだけどさ」
肉が刺さっていた串を行儀悪く咥えながら、モーリンが呟く。
「あんたが当主になれないってのはさ、あんたの親父さんが下手な家柄だったら不味い、ってのが原因な訳だ」
「ええ。極端な話、無色の派閥に連なるような家系だったらマーン家の名は地に落ちるでしょうし」
「じゃあ逆にさ、あんたの家にとってプラスになるような家柄だったら? 例えばもの凄い力のある貴族とかさ」
「それはないわよ」
「なんで言い切れるんだい?」
「マーン家は聖王国でも最有力の貴族だもの。同格ということは有り得るかもしれないけど、圧倒的に上っていうのはね」
有り得るとすれば――
と、ミニスは思い浮かんだ仮定の話を、グラスの中身と一緒に飲み込んだ。それこそ有り得ない話だ。不敬な話でもある。
それで思い出したというわけでもないが、ミニスは話題を変えた。
「そういえば、もう少ししたら私はゼラムに行くことになると思う。しばらくは会えなくなるかも」
「ゼラムに? なんかあるのかい?」
「うーん……モーリンならいっか。ここだけの秘密にしてね?」
僅かに声を潜めて、遠く聞こえる波の音に紛れさせるようにミニスは囁く。
「聖王様の御体調が、かなり悪いらしいの」
「王様が? この前の武闘大会の時は、そんな風には見えなかったけど」
数年前にゼラムで開かれた武闘大会の開会式で、モーリンは聖王――スフォルト・エル・アフィニティスの姿をその目に見ていた。確かに顔には苦悩から来たのであろう、深い皺が刻まれているようだったが……
目を丸くしているモーリンに、ミニスが説明する。
「正直、王宮の中は人外魔境だからね……海千山千の貴族達とやり合うのが、かなりの心労になってるって噂はあったみたい」
「そういうのはよく分からないけど……じゃあ、あんたはお見舞いに行くのかい?」
「『何かあった時』の為、よ。マーン家みたいな大貴族が堂々とお見舞いにいったら、それこそ聖王様のご病状を喧伝することになっちゃうじゃない」
つまるところ、ミニスが王都へ向かうのは国葬に備える為である。
既に王が永くはないというのは、貴族の間では公然の秘密であった。
王の葬儀に遅参したとなれば大問題になる。遠方の貴族達の中には、既に王都へ向かいだした者もいるらしい。
「出立する日が決まったら伝えに来るけど、その時は多分、金の派閥の人員もかなり減ると思うから……」
「ま、下町くらいならあたいの腕だけでも守れるさね。安心して行ってきなよ」
「ありがとう。……グラスが空ね。酔いも覚めちゃったし、飲み直しましょうか」
「……前から思ってたけど、結構なザルだよね、あんた」