聖王都動乱、あるいはミニス・マーンの人生設計について   作:ひらつー

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【第3話】 少女の夢 ~Idealist~

 

 ファミィ・マーンは派閥の執務室で、一通の手紙を手にしていた。

 

 宛名は無し。印章も封蝋も無し。総じて誰が出したものかも分からない。

 

 ――そして、そんな手紙がファナンの顧問召喚師にして、金の派閥の議長を務める彼女の元へ届いた時点で、差出人は推察できた。

 

 永くはない、と聞いていた。おそらく、半年も持たないであろうと。その噂を聞いてから、今日で三か月ほど。

 

(そう……当然の如く、奇跡は起きなかったのですね)

 

 封筒の閉ざされた口を撫でる。まるで、そこに温もりが残っていないか探すように。

 

 聖王国において、ファミィ・マーンはどのような人物かと尋ねれば、表現の違いこそあれ、"傑物"という答えが返ってくるだろう。類い希な政治力。召喚術の腕前は当代最強のひとりとして数えられるほど。そして何より、逆境を克服した精神力を備えている。

 

 常に微笑みを絶やさぬその表情からは何も見透かすことは出来ず、下手な城門よりも強固であると言う者すらいるほどだ。

 

 だが、今の彼女を見れば、その意見を翻す者は多いかも知れない。

 

「……」

 

 まるで恋文に一喜一憂する小娘のように、ファミィがその封を破るには、精神力を総動員して意を決する必要があった。

 

 震える指が便箋を摘まみ出す。記されている手書きの文字は酷く読みづらい。病で手に力が入らなかったのだろう。内容もそう長くはないものだった。

 

 そこには感謝と謝罪だけが記されている。若く愚かだった自分を支えてくれたことに対する感謝。そして若く愚かだった自分がファミィに大変な苦労を掛けさせてしまったことに対する謝罪。具体的な内容がほとんど記されていないのは、万が一にでもこの手紙が第三者の目に映る可能性を考慮したせいか。

 

 馬鹿な人、と愚か者を自称する手紙の主に向けて呟く。

 

 苦労を掛けられた、などと思ったことはない。自分がここまでの地位を得る為に努力したのは、それを気に病ませぬ為に、というのがひとつの原動力であったというのに。

 

 手紙を大切に折りたたみ、鍵付きの引き出しの奥深くにしまい込む。

 

 感傷に浸る時間は、そう長くは取れない。ため息一つを区切りにして、ファミィはいつもの笑顔を浮かべた。廊下の向こうから足音が近づいてきている。

 

 部屋に入ってきたのは、彼女の秘書官だった。奇しくも手にしているのは、一枚の封筒である。ただし、受け取ってみれば、こちらにはきちんと印章が捺されていた。見覚えのある家紋だ。ファミィが生まれて初めて見た家紋。

 

 予想外の差出人に、思わず呟きを漏らす。

 

「お父様……?」

 

 

「ミニス・マーンの名の下に、ここに新たなる誓約を結ぶ……」

 

 野盗退治から数日後。ファナンにあるマーン家の別邸、その地下にある召喚実験場で、ミニスは誓約の儀式を行おうとしていた。

 

 召喚術の研究の一環である。マーン家の保有するサプレスに関する知識が自分の役に立たない以上、地道に開拓していくしかない。

 

 召喚実験場と仰々しい名前がついてはいるが、要は頑丈に作った石造りの部屋というだけだ。召喚術が失敗しても、その被害を敷地内で留める為の部屋である。崩れても生き埋めにならないように、屋敷とは微妙に位置をずらしてあるのが唯一の工夫といえるだろうか。

 

「汝、草原を駆ける刃。我が声を聞き、我が導きに従い出でよ……」

 

 魔力を注がれたサモナイト石が緑色の光を放ち、異界と繋がる門を確立していく。

 

 サモナイト石を媒介に門を開き、召喚対象の『真の名』を読み取り、名付けることによって誓約で縛る。

 

 召喚術において、新しい誓約を結ぶ際のプロセスはこんなところになる。

 

 重要なのは、『真の名』の読み取りと名付けだ。読み取りに失敗したり、あまりにも『真の名』とかけ離れた名前をつけてしまえば、召喚術は正常に機能しない。術の弱体化を招いたり、最悪、誓約に失敗して術が暴走してしまうことになる。

 

 古い召喚術の家系が保持する秘伝召喚は、ここを省けることが何よりのメリットだった。読み取りには召喚師の腕前がもろに反映されるが、最初から名前が分かっていれば失敗する可能性は低くなる。そしてさらに召喚を繰り返すことで精度を上げていき、次代に引き継ぐというのが一般的な召喚術の研鑽である。

 

 歴史を重ねた家柄ほど強力な召喚術を使用できるというのは、これが大きな理由のひとつだ。

 

「……召喚!」

 

 呪文の末尾が結ばれるのと同時、ひときわサモナイト石の発する光が強くなる。碧色の閃光は一瞬で膨れ上がり、そして一瞬で消えた。それと引き換えに、石畳の床の上に巨大な影が現れている。

 

 それは体高がミニスの胸元まであるような、巨大なイノシシだった。ただし、口元から生える牙が刃のように平たく、左右に伸びるように発達している。

 

 話を聞いた限りでは、本当に刃のような働きをするらしい。凄まじい突進力と相まって、大抵の生き物を真っ二つに出来るという。肉食ではなく、あくまで身を守るためのものだそうだが。

 

「わあ、凄いですミニスさん! あの凶暴な剣猪をほんとに従えてしまうなんて!」

 

 召喚場の端から歓声が上がる。

 

 声の主は、どこかの民族衣装を纏った少年だった。とはいえ、一目見れば人間でないことは分かるだろう。少年の頭からは、角のようなものが左右から一本ずつ生えている。角のようなもの、というのは、それが途中で折れてしまっているからだ。

 

 メトラルという、メイトルパに住む亜人種族だった。彼もまた、傀儡戦争後、ミニスが新たに誓約を結んだ召喚獣のひとりである。

 

「レシィから事前に色々聞けてたおかげよ」

 

「そんな、ボクなんて……大したことはしてないですよ」

 

 謙遜するように、レシィと呼ばれたメトラルの少年が手を振る。

 

 その少年に手伝って貰いながら、ミニスは呼び出したブレイドボアのデータを取り始めた。全長、体高、体重、牙の長さ、簡単なスケッチ……

 

「前から気になってたんですけど……」

 

 使い終わった巻き尺を丁寧に巻き取りながらレシィが尋ねてくる。

 

「毎回召喚獣の記録をとっているのはどうしてなんですか?」

 

「研究の一環よ。たとえば記録がたくさん蓄積できれば、その召喚獣がメイトルパの生態系の中でどの位置にいるのかとか考察できたりするから」

 

「ミニスさんがお望みなら、誰かに聞いてきますよ?」

 

「ありがたいけど、体系立てて纏めてあるわけじゃないでしょう? それに、蓄積した知識は無駄にはならないもの」

 

 そうしている内にデータ取りも終わる。

 

 突然知らない場所に呼び出された形になる筈だが、ミニスがスケッチブックを閉じるまで、ブレイドボアは嘶きすらあげなかった。誓約がきちんと結ばれている証拠だ。

 

「ありがとう。次もよろしくね」

 

 ミニスは用意しておいたシルドの実をボアの口元に差し出す。バリバリと芯ごとかみ砕いて飲み込み、満足そうに一息吐いたのを見てから、ミニスは彼を元の世界へ送還した。

 

「私たちもお茶にしましょうか」

 

「はいっ。あ、ボクがやりますから」

 

 万が一ボアが暴走した際のことを考えていたのだろう。レシィはようやく重圧から解き放たれたようだった。にこにこと率先して、部屋の端に用意されていたティーセットを、背の高い丸テーブルの上に広げ始める。

 

 この亜人の少年は、メトラルの代名詞である魔眼こそ使えないが、家事の類いはお手の物だった。メイトルパにはない茶器の類いも、すぐに使い方を覚えてしまったほどだ。

 

 そうして完璧な抽出具合のお茶と、きれいに並べられた帝国産のビスケットが配膳される。流れるように完了したお茶の準備を見て、ミニスは思わず唸った。

 

「本当はあなたにやらせるべきじゃないんだろうけど……私がやるよりも早いし、美味しいんだもの」

 

「いえ、戦いではお役に立てないので、これくらい」

 

「あなたの仕事は戦うことじゃないんだから。最初にそれは約束したでしょう?」

 

 ついでに言えば、家事をやらせるためでもないのだが。

 

 ミニスがレシィと誓約を交わしたのは一年ほど前のことになる。本格的にメイトルパの召喚術を研究しようと思い立った頃だ。

 

 召喚術をいま以上に研鑽するなら、異界の知識を収集・蓄積する必要がでてくる。

 

 例えばメイトルパにはディングという不定形生物が生息しているが、この中にはちょっとした刺激で大爆発を引き起こすような種も存在する。仮に誓約をしっかり結んだところで、持って生まれた特性はどうにもならない。友好のハグをした瞬間に召喚者もろとも木っ端みじんである。だがそういった種族がいると知っていれば、抱きつく前にちょっと立ち止まって考えることはできるようになるというわけだ。

 

 では召喚術を家系ごとの秘伝とする金の派閥において、その知識はどこから得れば良いのか?

 

 ミニスに限って言えば、同じメイトルパの術を使う知り合い――ミモザ・ロランジュに教えを乞うという選択肢もあった。ミモザは蒼の派閥の所属だが、傀儡戦争からこちら、両派閥の関係は改善されつつある。ミニスとしてもミモザという人物を尊敬していたし、術者としての力量も申し分ない。師事するなら最適のひとりといえただろう。

 

 それを選択しなかったのは、ちょうどその頃、ミモザが結婚したからだ。お相手は当然というか、相棒のギブソンだった。ミニスが初めて出会った頃から同棲していたので、そういう関係になるのは時間の問題だったともいえる。

 

 さすがに新婚の家に押しかけて『弟子にしてください』と宣うほど、ミニスは世間知らずではなかった。

 

 というわけで、ミニスが選択したのはごく真っ当な方法だった――実際に召喚してみること。ともすれば危険と隣り合わせな方法だが、そもそも召喚術は人間が扱うには大きすぎる力だ。どうしたって多少の危険はついて回る。

 

 そうして最初に召喚できたのが、このレシィだった。幸運なことに、彼はミニスが求めていた条件を全て満たしていたのだ。

 

「それじゃあ、今日の分をお願いできる?」

 

「はい。長老に聞いたんですけど、ミニスさんがお尋ねになった"原初の人"について残っている逸話は――」

 

 レシィが話す内容を、ミニスはノートに書き留めていく。この一年間続けてきただけあって、いまではレシィに待って貰うことなく、速記染みた速度でペンを動かせた。

 

 異界の知識を得るにあたって、もっとも手っ取り早いのは、その世界に住む者から情報を聞き出すことだ。ミニスが求めていたのは、口伝によって古の知識を継承している可能性がある亜人種族だった。

 

 実際、レシィから仕入れたメイトルパの知識は、ミニスに様々な知見を与えてくれていた。さきほど召喚したブレイドボアも、レシィからその存在を教えて貰って召喚を試みたのだ。

 

「――と、こんなところでしょうか」

 

「ありがとう。これはいつものお礼ね」

 

 いったんノートをテーブルの上に置き、ミニスは立ち上がった。部屋の隅に用意してあったリュックを持ってきて、レシィの座っている椅子の横に立て掛ける。

 

 それを見て、レシィは申し訳なさそうに身を縮ませた。

 

「ありがとうございます。あの、本当に毎回こんなに頂いてしまって良いんでしょうか」

 

「それだけのことはしてくれてるわよ……というか、私の方こそそれだけでいいの? って聞きたいくらい」

 

「ボクたちが住んでいるのは草原なので、ソレルクは滅多に食べられないんですよ」

 

 リュックの中に詰まっているのはソレルクの干物である。ファナンにおける浄水事業の副産物だ。

 

 体内に大量の塩分をため込むこの魚は、干すだけで持ちの良い保存食になる。とはいえ、海から遠いレシィの村まで届くことはほとんど無い――貨幣文化のないメイトルパでは行商の類いが発達していないからだ。

 

「村の人たちも、ボクが食料を持って帰ると褒めてくれるようになりましたし」

 

 心なしか胸を張って、レシィ。

 

 基本的に、メトラルは狩猟を軸にした生活をする種族だ。

 

 代名詞となっているその魔眼で獲物を麻痺させ、安全で効率の良い狩りを行う。狩りは基本的に男の仕事だが、角がないレシィは魔眼が使えず狩りも出来ない。それ故に半人前扱いだったらしい。

 

 ここ一年、ミニスが情報などの対価として、レシィにソレルクを始めとした食料を提供していた為、その立場もやや改善されつつあるようだが。

 

 少しだけ心配になって、ミニスは尋ねた。

 

「因縁つけてくる奴とかいないでしょうね? 危険も犯さず楽に手に入れた食料を配ってるだけのくせに、とか」

 

 半人前とされていた者の立場が急に上昇すれば、それを面白くないと感じるものもでるだろう。

 

「大丈夫ですよ。ミニスさんに言われたとおり、食料は族長を通して公平に配って貰ってますから。そもそもみんな召喚されることを凄く怖がってるので、むしろボクはかなり心配して貰ってます」

 

「うーん。それなら良かった……って手放しでは喜べないわね。1年間、レシィを通して誠実な付き合いをしてきたつもりだけど、まだ私は怖がられたままなんだから……」

 

「あっ、ごめんなさい! ミニスさんは凄くいい人ですって言ってはいるんですが……」

 

「気にしないで。それじゃ、私はノートをまとめちゃうから」

 

 今日の分の聞き取りを終えると、ミニスはノートの清書を始めた。聞き出した情報を整理し、疑問点を炙り出していく。次に召喚するまでに、レシィに調べてきて貰うためだ。

 

 その間、レシィはしばらく休憩時間だった。このお茶とお菓子も、この時間にレシィが手持ち無沙汰になってしまう為、何度目からかに用意し始めたのである。

 

 レシィもそれを知っている為、いつもなら静かにお茶を飲んで待っているのだが――今日は違うようだった。

 

「あのぅ……すみません。ちょっといいですか?」

 

「なあに? 話し忘れたことでもあった?」

 

 ミニスの問いに、そういうわけではないんですけど……と歯切れ悪くレシィが応じる。

 

 聞き辛い質問なのだろうと察して、あえてノートから目を離さないまま、ミニスは質問の続きを促した。

 

「怒らないから、何でも聞いてくれていいわよ」

 

「はい、すみません。そのぅ……ミニスさんは、なんでボクたちの世界のことを知ろうとしているんですか?」

 

「? 前にも言ったけど、召喚術の研究の一環よ。知識はいくらあっても無駄にならないもの」

 

「そうなんですけど、そうじゃなくてですね。えーと……」

 

 難しい顔でたっぷり1分ほど考え込んでから、レシィは言葉を続けた。

 

「ミニスさんがとっても凄い召喚師になったとして、それで何かしたいこととかあるんですか?」

 

「……はは~ん」

 

 ノートから目を上げて、ミニスは悪戯っぽく笑った。どうして彼がそんな質問をしてきたのか、予想がついたからだ。

 

「私が何かメイトルパに対して悪いことをしようとか企んでるじゃないかって、村の人に吹き込まれたんでしょ」

 

「えっ、あ、いや、その……」

 

 図星だったらしい。激しく目を泳がせるレシィに対し、ミニスは両手で自身の顔を覆って見せた。

 

「えーん、酷いわぁ~。レシィったら私のことを疑ってるんだ~。もうすっかり友達になれたと思ってたのにぃ~。そう思ってたのは私だけなんだぁ~」

 

「わあああああ違うんです違うんです! ボクは絶対にそんなことないって言ったんですけど、族長が念のため確かめるだけだって! 何年か前に別の村の族長の娘さんが召喚されたまま帰ってこなくてやっぱりみんな心配みたいで! ううっ、ごめんなさいぃ!」

 

 ミニスの雑な嘘泣きに、レシィはころっと騙された。逆に気の毒になってくるくらい狼狽して、最終的にはレシィの方が涙ぐんでしまう。

 

 やりすぎたことを察して、ミニスはすぐに顔を覆っていた手を放した。

 

「ごめんごめん、ちょっと意地悪だったわね。別に気にしてないから、ほら」

 

「うう、ほんとですかぁ……?」

 

 どうにかレシィをなだめて、再び席に着かせる。

 

 落ち着いたレシィに話を聞くと、やはりミニスが予想した通りだったらしい。本来なら仲間を召喚術で攫って扱き使う召喚師が、何故わざわざ"公平な取引"などをするのかと、レシィの村の大人達の間で不審がられているのだという。

 

「うーん、そっかあ。予想できなかったわけじゃないけれど……」

 

「予想……していたんですか?」

 

「ええ。私みたいな召喚師は少数派でしょうしね」

 

 基本的に、召喚師は召喚術を行使することを躊躇わないし、その際に召喚獣の事情など考慮しない。誓約さえ確立できていれば、いくらでも言うことを聞かせられるのだから。

 

 メトラルのように知識の伝達と蓄積が出来るような亜人種族なら、召喚師の悪辣さもさぞ集積されていることだろう。

 

「じゃあ、どうしてミニスさんは……」

 

「……笑わずに聞いてくれる?」

 

「もちろんです」

 

 二つ返事でレシィは返すが、これは彼が考え無しと言うことではないだろう。その逆で、どこまでも誠実であるが故のことだ。

 

 どうしても隠しておかなければならない理由は無い。お詫びもかねて、ミニスは初めて他人に、自身の夢を打ち明けた。

 

「……召喚師と召喚獣の関係の在り方を変えたいの。今の誓約を介した一方的なものとは違う、もっと対等な、友達と呼べる関係に」

 

 5年前の旅路において、ミニスははぐれ召喚獣の実情をその目で見た。召喚獣を元の世界に送還できるのは、その召喚獣を呼び出した召喚師だけ。召喚師にとっては常識だが、その常識がいかなる現実を織りなしているのか。

 

 ユエルというオルフルの少女は、召喚師に騙されて人殺しをさせられていた。誓約を利用され、最後は理性さえ奪われて、大切な人を無理矢理に傷つけさせられた。

 

 サイジェントにいる友人のところにも、召喚師の元から逃げ出してきて、元の世界に帰れなくなってしまった"はぐれ"がいるらしい。

 

「もちろん、全ての召喚獣と友達になれる、なんて言わないわ。それでも一方的に命令するだけじゃない、あくまで対等の関係が生まれる余地を広げられたら――なんて思ってるの。具体的な方法なんかは、まだ手探り状態なんだけどね」

 

 レシィとのやりとりもその一環だ。召喚時と送還時に身につけていたものは、召喚獣と共に世界を渡ることが出来る。それを利用して適正なトレードが出来れば、召喚獣と対等な関係を結ぶメリットが生まれてくる。誓約はあくまでこちらに召喚している間だけ有効なものだからだ。向こうの世界の植物や鉱石を集めて貰うためには、信頼関係が必要となる。

 

 ただし現状、多くの課題もある。一度に運べる量、やはり召喚師が主導で召喚と送還を行えること、召喚獣が裏切る危険性、生態系や文化形態の汚染……

 

 結果としてまだ試験段階を出ないというのがミニスの考えだった。新規事業として、派閥でプロジェクトを立ち上げようとしても、誰も乗ってはこないだろう。

 

「それは……とても素敵な夢だと思いますけど、難しいんですか?」

 

「まあね。そもそも召喚獣にとって、こっちに召喚されること自体が不本意なことでしょうし。例えばレシィの村の大人の中で、私にいきなり召喚された上で従ってくれそうな人はいる?」

 

「それは……確かに、難しいかもしれません」

 

 異界の存在が召喚師に対して抱く不信感は、長い年月を掛けて積み上げられてきたものだ。望まぬ支配を受けた者。仲間を奪われた者。その恨みや怒りは一朝一夕で消せるようなものではない。

 

 加えて言えば、召喚師の側にも異世界の存在に対しての不信感は存在する。リィンバウムは幾度も異界からの侵攻を受けているからだ。誓約による制御無しで召喚獣と接する危険性は、決して彼らの妄想などではない。

 

 結果として、両者は互いへの不信感を募らせ合っている。囚人のジレンマという奴だ。

 

「理想的なのは、召喚自体がお互いの合意によって行われることだけど……召喚前にコンタクトを取るのは難しいし。そもそも誓約って仕組みがある以上、召喚師側に主導権があるのはどうしようもないしね」

 

「誓約って、召喚獣に言うことを聞かせる仕組みのことでしたっけ?」

 

 小首を傾げながら、レシィ。この一年間、ミニスの言葉の端々から、多少の知識をつけたらしい。

 

「それって、なくしたりできないんですか? だって、ボクにはかかってないですよね?」

 

「一応、あなたとも誓約は結んであるわよ。制御権は完全に放棄してるけど」

 

「制御権?」

 

 傾げていた首の角度がさらに深くなる。そんなレシィの様子を微笑ましく思いながら、ミニスは解説を続けた。

 

「一口に誓約っていっても、その意味が文脈で変わるのよ。大別すれば二種類。ひとつめは、私がさっきやったみたいに、特定の召喚獣とサモナイト石を関連付けすることね」

 

 ブレイドボアの誓約済みサモナイト石を取り出す。誓約の儀式は訓練された正規の召喚師でなければ行えない。この儀式を指して誓約という呼称を使うことも多い。

 

「もうひとつは、さっきあなたが言ったとおり、召喚獣に命令をきかせる為のもの。その強制力のこと自体を指して誓約って呼ぶこともあるわ」

 

 この強制力はかなり応用が利く。術者の力量次第だが、単に痛みで従わることから洗脳染みたことまで可能だ。ミニスの知り合いの召喚師には、護衛獣として呼び出した大悪魔に凄まじい誓約を掛け、子供のような姿にしてしまった者もいる。

 

「ボクの場合は、サモナイト石との関連付けをしているけど、強制力に関してはほとんどないってことですか?」

 

「そうね。ただ、強制力の方に関しては術者の意思でいつでも調整できるから、安心できるものじゃないわよ」

 

「でも、ミニスさんなら変なことはしないですよね?」

 

「そのつもりはないけど、問題はその気になれば出来ちゃうってことだもの。誓約は召喚術の基礎部分に根付いたものだから、簡単には外せないし」

 

「難しいんですか?」

 

「かなりね。そもそも誓約のない新しい召喚術を確立しようとするなら、その実験自体にかなりの危険が付き纏う筈よ。あなたみたいな優しい子ならいいけど、誓約のかかっていない魔獣なんか呼び出しちゃったら危ないでしょ?」

 

 結局の所、既存の召喚術を用いる限り、ミニスの思い描く対等な関係は、召喚師のモラルに依存したものにしかならない。

 

 現在、レシィとは互いにとってメリットのある関係を結べているかもしれないが、その始まりはやはり一方的な召喚から始まっているのだ。

 

(なにもかも、完璧にはできないものね)

 

 始まりにはある程度、現在の形の召喚術を使用する形になるだろう。

 

 そうしてまずはレシィのような信頼関係を築けた者を介して、リィンバウムへの渡界を望む者を見つけ出し、さらに精度を上げた召喚術――狙った相手を召喚できるような――を用いて、あくまで合意の上で召喚を行う。誓約は制御権を放棄し、形だけのものとして運用。それが成功すればモデルスケールとし、他の属性でも運用できるようなシステムの構築を――

 

「……ミニスさん? あの、ミニスさんってば」

 

 と、思考の海に潜っていたミニスを、レシィの声が引き戻す。

 

「ああ、ごめんね。いろいろ考え事してて。やっぱり、色々と難しいところはあるのよ」

 

「そうなんですね……」

 

 難しそうな顔をしているミニスを見て、同調するように僅かにレシィの気持ちも沈む。

 

 レシィは召喚術に特別詳しい訳ではない。部族の大人達から、時折召喚されることの恐ろしさを聞かされてきた程度だ。

 

 だから専門家であるミニスが難しい、といえばその通りなのだろう。

 

「だけど、ボクはミニスさんの夢を応援しますよ」

 

 エールを送るように、ぴっと腕を振り上げるポーズを取る。レシィにとって、ミニスとの出会いは決して不幸なものではなかった。

 

「少なくとも、ボクはミニスさんのお陰で村のみんなから褒めてもらえるようになりました。それでボクがミニスさんのお役にたてているなら、それは一方的な関係とは違いますよね?」

 

 始まりは一方的な召喚だったのかも知れないが、それでもいまは違う。

 

「だから、きっとミニスさんなら夢を叶えられますよ……少なくとも、ここに実例をひとつ作れたんですから」

 

「……ありがとう。あなたにそれを言って貰えたことが、本当に嬉しいわ」

 

 二人で向かい合って笑う。そこには打算のない、確かに対等な友情があった。

 

 

 

 

 また一週間後に呼び出す約束をして、リュックを背負ったレシィをメイトルパに送還する。既にリィンバウムとメイトルパの時間周期の相違については算出しており、レシィにはゼンマイ式の時計を渡していた。召喚されるタイミングを事前に把握させる為だ。

 

 そろそろレシィが住む村の近くにある森で、美味しい果物がたくさん生るらしい。次の召喚時には、いくつか持ってきてくれると言っていた。病気や虫などには気をつけなければならないが、リィンバウムの環境で栽培できるかどうか試してみたい。

 

 そんな計画を立てながら、ミニスは召喚場を後にした。石造りの階段を上り、地上へ向かう。階段は人一人が通るのがやっとな広さの為、ランプとティーセットや記録用のあれこれを入れたトランクを持って上がるのは一苦労だ。

 

 階段を上りきり、ミニスは目の前に現れた木製のドアを押し開ける。屋敷の裏手にある小屋だ。日当たりも悪く、使用人も掃除の時以外はほとんど近づかない。

 

 だからそこに待ち構えるようにして人影が佇んでいたことに、ミニスは少しだけびっくりして、トランクを落とし掛けた。

 

 日は既に傾いている。夕日の赤い光が、その人物の顔に陰影をつけていた――見慣れた顔だが、ミニスはどこか違和感を覚える。

 

 まるで、何かとても悲しいことがあったような――

 

「ミニスちゃん、探しましたよ」

 

 だが、聞こえてきたのはいつも通りの母の声だった。

 

「お母様? こんなところでなにしてるの?」

 

「明日の朝、ファナンを発ちます。目的地はゼラムです」

 

「あ――」

 

 僅かに言葉に詰まる。

 

 それはつまり、王が崩御したということだ。

 

「分かったわ。友達に、しばらくファナンを空けることを伝えても? 事情は話さないし、信用できる人だから」

 

「モーリンちゃんでしょう? もちろん構いませんよ。戻ってこれるのは、最低でもひとつきは先でしょうし」

 

「はぁい。ところで、泊まるところは決まってるの?」

 

 ゼラムにはマーン家の本家があるが、祖父レイブンと母ファミィの関係を考えれば、そこには泊まれないだろう。5年前、シルヴァーナのペンダントを落としてしまった時にも、本家には近づかないようにしていたくらいだ。

 

 王都であるゼラムには、長期滞在する貴族向けの宿も数多く存在する。とはいえ、国葬となれば聖王国中から貴族が集まってくるだろうから、早く押さえるにこしたことはない。

 

 そういった理由から出た質問だったのだが、ファミィは少しだけ困ったように眉根を寄せて、

 

「それなんですけどね……もしかしたらお父様、ミニスちゃんにとってはお爺様だけど、とにかくご当主に会うことになるかもしれないの。その場合は、本家に逗留することになると思うわ」

 

「……へ?」

 

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