聖王都動乱、あるいはミニス・マーンの人生設計について   作:ひらつー

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【第6話】 簒奪の夜 ~Usurper~

 

 

 フォルテはディミニエを従えて、王城の中を足早に進んでいった。

 

 人とは全くすれ違わない――これは偶然でも何でも無く、使用人たちの動線と、王族の動線が異なっているためだ。王宮の奥で息苦しく暮らす王族たちを煩わせぬように……ということらしい。

 

「覚えていますか?」

 

 唐突にディミニエが口を開く。いまの彼女は王女のドレスでは無く、侍女服を身に纏っていた。先ほどの暗殺者からフォルテが剥いだものを変装のために着せたのだ。

 

「昔、お兄様が厨房から誰にも見つからずにシルドの実を取ってこれると言い張って、お城の中を冒険したことがありましたよね?」

 

「あー、あったなぁ。途中で誰かに見つかったら爆発するってルールで」

 

「私も後をついていって、結局、侍従長にこっぴどくお説教されましたっけ」

 

「……当時から俺は馬鹿だったよなぁ」

 

「でも、私はとても楽しかったのですよ」

 

 ちらとフォルテが振り返ると、実際にディミニエは微笑みを浮かべていた。

 

(……多少は落ち着いたか?)

 

 ディミニエを好きに喋らせているのは、その方が他のことを考えずに済むだろうと判断したからだ。適当な思い出話に花を咲かしている内は、未来のことから目をそらしていられる。

 

 ディミニエは繊細な子だ。暗殺されかけたという事実は、その心に負担を強いたはずである。とにかくいまは、自力で歩いて貰えるだけでありがたい。使用人達と会わないような経路を進んでいるが、見つかるのは時間の問題だ。暗殺者の雇い主が計画の失敗に勘付けば、すぐに兵士が集まってくるだろう。

 

(何しろ、こっちも不法侵入には違いねえからな……)

 

 何も知らない末端の兵士は、自分を捕縛しようとしてくるに違いない。黒幕達にしてみれば、ディミニエを取り戻した後で、再度暗殺すればよいだけだ。

 

 妹を気遣いながらも、歩調を早める。と――

 

 フォルテは立ち止まった。しっ、と唇に人差し指を当てつつ、ディミニエにも停止を促す。

 

 数メートル先にある曲がり角。その先に人の気配があった。

 

 フォルテは角のぎりぎりまで進むと、曲がり角の向こうにいる相手に向けて、問うように囁く。

 

「裏拳」

 

「ぶっ飛ばすわよ?」

 

 合い言葉が成立したのに満足して、フォルテは曲がり角から顔を出した。そこには人影が二つ。その内、フォルテと同じようにフードとマントで姿を隠した女性が、不機嫌そうな表情を浮かべていた。

 

「……あんたね、即興で物語本みたいなことやらせないでよ。ここを待ち合わせ場所に指定したのはあんたでしょーが」

 

「緊張をほぐしてやろうっていう気遣いだぜ?」

 

 肩を竦めてみせるフォルテに、女性――ケイナは小さくため息をついた。

 

「……別の意味で緊張はしたけどね」

 

 ケイナは自身の背後に控えている人物を、肩越しにちらりと見やる。

 

「お、それはあれか? やっぱり家族へのご挨拶って言うのは――」

 

「お黙り」

 

「だぁお!?」

 

 いつもの癖で相棒に拳をたたき込んでから、ケイナははたと停止する。そういえば、まさにその相棒のご家族(しかも王族)がこの場にはいらっしゃるのだった。

 

「お兄様!?」

 

 小さな悲鳴がフォルテの背後から聞こえる。相棒の妹である、硝子細工と同質の美しさを持つ女性が、ショックを受けたように口元を押さえていた。急速に口の中が渇いていくのを感じながら、ケイナはなんとか誤魔化そうと言い募る。

 

「ええと、これはその――」

 

「噂通りの見えない拳……すると、貴女がケイナ様なのですね!」

 

 喜色満面で聖王女様はそんなことを宣った。まるで憧れのスーパースターにでも出会ったように、きゅっとケイナの手を取ってくる。

 

「へ? あ、はい。ケイナですけど……噂?」

 

「お兄様からお話はかねがね。とても頼りになる、唯一無二の相棒だと」

 

「フォルテ……」

 

「そして一撃でゴリラすら屠るスーパーパンチをお持ちだとか」

 

「フォルテ?」

 

 ジト目で相棒を見つめるが、その相棒はこれ見よがしにケイナからの視線を無視した。さすがに聖王女の手を振り払ってまで殴ってくる気概はないと踏んだらしい。

 

「さあて、じゃれ合いはそのくらいにしまして、だ。そっちも無事に連れ出せたみたいだな」

 

 フォルテの呼びかけに応じて、ケイナの背後に佇んでいた人物が進み出る。こちらも常とは違う、貴族が乗馬にでも出かけるような、動きやすい服装に着替えていた。

 

「そちらも無事にディミニエを連れ出してくれたようですね、フォルディエンド」

 

「今はフォルテで通してるって言ったろ」

 

「名とは、呼ばれる者と呼ぶ者の双方でそれぞれ意味を持つものです。私にとっては、あなたはいつまでも我が息子、フォルディエンドですよ」

 

 聖王妃――フォルテの実の母に当たる女性は、聖母のような笑顔で、しかし断固とそう告げた。

 

「……そう言われちまうとな。分かった。好きなように呼んでくれ」

 

 がりがりと頭を掻いてから、フォルテは話を切り替えた。

 

「で、無事に連れ出せたけどな……ぎりぎりだったぜ。短剣忍ばせた女が部屋に入っていくところだった」

 

「……やはり、あなたを呼んで正解だったようですね」

 

「お母様がお兄様を? ……ということは、お兄様に連絡する方法をずっとお持ちでしたのね」

 

 後半はすねたように、ディミニエ。ともすればこれから一生会話すら出来ないと思っていた兄との連絡方法があったと聞けば、こういう反応にもなるだろう。

 

「せめて今日、お兄様が来ることくらいは教えてくださっていてもよかったのに。危うく大声を上げてしまうところでした」

 

「敵に悟られぬ為です。お前に腹芸は出来ないでしょう?」

 

「むぅ……」

 

 王妃から宥めるように言われ、むくれたように黙ってしまう王女を見て、ケイナは場違いに、王族と言ってもこういう所は普通の家族みたいね……などと思っていたが。

 

 ディミニエを慰めるように、フォルテが口を開く。

 

「武闘大会の時、お前に会いに行ったろ? あん時だって、手はずを整えてくれたのは、ははう……お、お袋だぜ」

 

「呼び慣れてなさそうね。良いじゃない母上で」

 

 にやにや笑いながら茶々を入れてくるケイナに、うるせえな、と身振りで返してから、フォルテは続ける。

 

「あの時の借りは返すつもりだったからな。お袋には連絡方法を伝えてたって訳だ。だけど、今回は王城への侵入だ。内側から手引きして貰えるにしても、さすがに時間が掛かっちまった」

 

 始まりは一ヶ月ほど前のこと。聖王の体調が悪化し、執務が完全に滞り出した頃だ。フォルテのもとに、母から助けを求める手紙が届いた。王宮に不穏な動きがあると。

 

 具体的には、城内、とくに王族の住む最奥の区画に勤める者の人事に、いくつか不自然な点が見つかったというものだった。無断で人を入れ替えていた形跡――今日のことを思えば、人目の空白を作るためのものだったのだろう。

 

 たったそれだけのことで暗殺を警戒するの? とは、手紙を横で読んでいた時のケイナの言だが――聖王国の王家が、暗殺に対して過剰といえるほどに敏感なのには理由がある。

 

 エルゴの王の末裔というのが聖王国を統治する正当性になっている以上、王家は血を繋いでいかなければならない。本来なら、分家筋をつくって事故や病、暗殺などで血筋が途絶えないようにするものだが、聖王国の王室においては()()()()()で血筋を分けることが禁忌とされているのだ。

 

 結果として、現代のように王の血は細々と継がれる形になっている。王に複数子がいた場合、後継にならなかった者には降嫁すら許されていないのである。

 

 スフォルトが亡くなれば、この王宮の中で自分たちが孤立無援であることは、王妃も理解していた。どんな小さな違和感でも、それが暗殺に繋がりかねないなら見過ごすことは出来なかったのだ。

 

「まあ、勘違いであればそれが一番良かったんだが……そうでなかったんなら、間に合って何よりだよ」

 

「でも、凄い偶然よね。私たちがようやくお城へ侵入できたその日に、暗殺者も動くなんて」

 

「偶然ってよりかは、多分必然だろうな。親父がくたば……崩御したのが昨日だから、俺たちと同じでその混乱を利用したんだろ」

 

「……私たちは、これからどうすれば良いのでしょう?」

 

 僅かに声の調子を落として、ディミニエ。励ますようにフォルテが努めて明るい声を出す。

 

「誰が絵図を描いてるのかも分からねえからな。いまはとにかく脱出だ」

 

 王族の暗殺を企む者。順当に考えれば旧王国か、テロリストの筆頭である無色かということになるが、それは今考えていても仕方ない。王城内の人事にまで影響を及ぼせるとなると、無視は出来ないが……

 

「しかし……王族の生活区への出入りは入念にチェックされています。変装しているとはいえ、私たちを連れてどうやって?」

 

 フォルテとケイナは、出入りの商人が使う人足に扮して城内に入り込んだ。普段なら王族の生活区域どころか、既定の場所にしか入れないのだが、王の死により人の出入りが多くなっており、その隙を突いたのだ。とはいえ、さすがに王族を連れて外に出ようとすればばれるだろう。

 

 当然、そのことはフォルテも考えていた。即答する。

 

「船でハルシェ湖へ出る」

 

「城の船着き場からですか?」

 

 ハルシェ湖に隣接する王城は、巨大な船着き場を備えている。ハルシェ湖が海に通じているため、湖上での艦隊戦闘が発生する可能性があるからだ。

 

「しかし……あそこへ行くにも、出入りの確認は受けることになるのでは?」

 

「伊達に城の中を探検してないぜ。"庭園"の池は、至源の泉から水を取り入れて、ハルシェ湖に排水してるんだが」

 

 フォルテの言う"庭園"とは王族の生活区域内に存在する、小さな――といっても、外周を歩いて回ろうとすれば数分ほどもかかるが――庭のことだった。わざわざ土を運び込み、芝や木々を植えてちょっとした自然公園のようになっている。フォルテの言うとおり、ささやかなものだが池も存在していた。

 

「排水の為に穴が空いてるわけだから、構造的に脆いわけだ。俺の召喚術でも穴を広げることくらい出来るだろ」

 

 と、フォルテはポケットから、誓約済みのサモナイト石を出してみせた。それを見てケイナが目を丸くする。

 

「あんた、それどこから持ってきたのよ?」

 

「昔、ミニスに借りた奴だよ。ほら、武闘大会の時」

 

 かつての武闘大会にはフォルテも参加しており、その際、相手を麻痺させる召喚術を使う対戦相手に対抗するために借り受けたものだ。

 

 誓約しているのはローレライ。癒やしの力を持つ他に、水を操り攻撃する魔法も使う、メイトルパの住人だ。

 

「いやぁ、返そうとは思ってたんだけどなぁ。その直後に親父にボコられてそれどころじゃなかったろ? その後もなかなか機会が無くてよ……」

 

「呆れた。それじゃあ数年間借りっぱなしってわけ?」

 

「まあ、それがこうして役に立つんだから、そう目くじら立てるなって。壁を崩したら、船着き場まではすぐだ。さ、行こうぜ」

 

 フォルテが先頭になって歩みを再会する。特に障害もなく、庭園まで到達した。

 

 ――だが、障害がなかったのは本当に到達するまでのことだった。

 

「っ、下がれ!」

 

 通路の角から庭園内の様子を伺おうとしたフォルテが警告を発し、ケイナが王女と王妃を乱暴に通路の奥に引き戻した。

 

 次の瞬間、破裂音が連続して響いた。それは火薬が燃焼し、文字通り爆発的に膨張した気体が、鉛の塊を凄まじい速度で押し出す音――機銃を掃射する音だった。

 

 安らぎの庭園が、一瞬で地獄絵図に変わる。植えられた木々は抉り、なぎ倒され、飾られていた彫刻が砕け散って白い石粉をまき散らした。

 

 それをなしたのは、機界・ロレイラルの一般的なガードロボットだ。鉄の箱から、虫のような関節構造の四つ足が生えたような外見。召喚獣として最低位の存在だが、装備した機関砲は、騎士が装備する金属鎧を楽々貫通して人体を消し飛ばす威力を持つ。

 

 そのロボットが3体ほど、庭園の中央に布陣していた。

 

「お兄様!?」

 

「心配すんな、掠りもしてねえよ! そっちは平気か?」

 

「はい。ケイナ様が助けてくださいましたので」

 

 咄嗟に顔を引っ込めたフォルテが後列を見やると、ケイナが二人に姿勢を低くするように指示しながら、後方を警戒しているところだった。射線にはないが、跳弾や破片を警戒してのことだろう。

 

 持ち込めた短刀を抜きながら、ケイナが短く聞いてくる。

 

「機械兵士?」

 

「の、1ランク下ってところだな。1体ならともかく、3体もいやがる」

 

 あの型とはやり合ったことがある。それが正式な名前かは知らないが、(ボックス)に似ているので、そのままボクスと呼ばれていた。基本的に思考は単純なので、本来なら弾切れを誘うことも簡単なのだが、統制する指揮官がいるとなれば話は別だ。

 

 隊伍を組むロボット――ボクスの背後に、杖を持った壮年の男が立っていた。それも一人だけではない。確認できただけでも3人。庭園の向こう側にある通路に、後詰めが控えている可能性もあった。

 

「ありゃあ宮廷召喚師だぞ。まさか王宮のど真ん中で召喚術を使ってくるたぁな」

 

「宮廷召喚師?」

 

「親父の何代か前に、派閥に依存しない召喚戦力を保持しようってことで設立されたのさ。まあ結果だけ見りゃあ成功したとは言いがたいんだが――何にせよ、城の警備に出張ってくるような連中じゃねえ。あいつらも暗殺計画に噛んでんだろうな」

 

「黒幕そのものってことはないの?」

 

「一応、王宮の直属だぜ? ディミニエが死んだらこの国はお仕舞いなんだ――まあ、世間一般ではな」

 

 実際は自分――フォルディエンドという直系がいる以上、ディミニエが死んでも再興の可能性は0ではないのだが、連中がそれを知っているとも思えない。そもそも今、蜂の巣にされそうになったのだ。

 

「とにかく、奴らには動機がねえよ。どっかの勢力に抱き込まれたんだろ」

 

「――好き放題言ってくれますね」

 

 声は曲がり角の向こう――庭園の中央から。

 

 召喚獣の背後に立つ召喚師達の内、リーダー格らしい壮年の男が、よく通る声を投げかけてくる。

 

「我々は、殿下を攫おうとする鼠を捕らえようと馳せ参じたまでですよ」

 

「へっ、種は割れてんだよ。テメエらの子飼いの暗殺者が全部吐いたぜ! なかなか賢い女だったよ。自分なりに裏取りして、依頼主を突き止めてたんだからな!」

 

 言葉のやりとりに、僅かに空白が生まれる。

 

「……それ本当なの?」

 

「いんや、鎌かけ」

 

 相手に聞こえないように小声で尋ねてきたケイナに、フォルテが事もなげに返す。

 

 宮廷召喚師の男はしばらく黙考していたが、やがて小首を傾げて見せた。

 

「――さて、何を言ってるかは分かりかねますが……降伏するのなら、命だけは助けて差し上げますよ?」

 

 へえ、とフォルテは僅かに感心した。鎌かけに引っかからない。声音に動揺すら生じなかった。交渉ごとの経験が豊富になるような部署だとも思えないのだが。

 

 壁から僅かに顔を出して、もう一度相手を確認する。金色の髪を油かなにかで後ろに撫で付けた、40絡みの男。痩せていると言うよりはやつれていると言った方が正確な顔に、獲物を睨む蛇のような表情を浮かべている。

 

 あの男が20年前も宮廷に出入りしていたのであれば、当時のフォルテもその顔をどこかで見ていたとしてもおかしくはない。だが、あいにくと記憶には無かった。

 

 その顔に向けて、フォルテは吐き捨てるように告げる。

 

「嘘こけよ。せいぜい暗殺の下手人に仕立て上げるってところだろ」

 

「交渉決裂ですか。では仕方ありませんね。我々は死力を尽くして殿下の救出を試みるだけのこと」

 

 召喚師が号令を下したらしい。ボクス達が歩みを進める金属音が近づいてくる。拠点防衛が主な役目のあれは、一応動ける固定砲台とでもいうべき存在だ。歩みは決して早くないが、さほど猶予があるわけでもない。通路を曲がり、こちらを射程に入れるまで30秒というところか。

 

「そういうのを語るに落ちるって言うんだぜ」

 

 あの召喚獣に、対象を選別できるような知能や狙撃機能はない。連中が王族の命を何とも思っていない証拠だ。

 

 フォルテは大剣を引き抜きながら、相棒に指示を飛ばした。

 

「ケイナ。ディミニエ達を連れて、もうひとつ後ろの角まで後退してくれ」

 

「……弓を持ち込めればね」

 

 悔しそうな顔で、ケイナ。フォルテの大剣は王族の生活区域に侵入した後、緊急用の武器庫から拝借したものだ。万が一、賊が城内にまで侵入した際、使用人達が最後の手段として用いる武具である。さすがに弓までは置いていなかったのだ。

 

「召喚獣をやったら俺が飛び出して、術者の方をどうにかする。そうなったら続いてくれ」

 

「了解……死なないでよ」

 

「へっ、そっちこそとちんなよ」

 

「……お兄様、ご武運を!」

 

 ケイナに連れられて、二人が後退していく。それを横目で確認して、さて、とフォルテはひとり召喚獣の編隊を待ち受ける。

 

 3体同時に始末するのは無理だ。あんな鉄の塊を剣で一刀両断できる人間は、絵物語の勇者か、シルターンのサムライくらいのものだろう。

 

 フォルテに出来るのは、精々が脆い脚部機構を破壊して行動不能にすること。だが普通にやれば、一体目を破壊する間に残りの二体から集中砲火を受けることになる。

 

(召喚術で隙をつくるしかねえな。固まって通路に入ってくるなら、ローレライの魔法で纏めて押し流せる)

 

 問題は、手数で負けていることだ。

 

 ローレライの魔法で隙をつくり、よしんば無傷でボクス3体を行動不能にしたとしても、向こうにはまだ召喚師が3人いる。彼らは、こちらがローレライを呼ぼうとした瞬間にそれを悟り、更なる召喚術を行使するだろう。

 

 おまけに召喚術について十分な訓練を受けていないフォルテは、ローレライを長時間呼び出しておくことが出来ない。この点でも著しく不利となる。

 

(さて、どうなるかね……)

 

 ボクスの足音に耳を澄ましながら、剣の柄を握りしめる。

 

 そして金属製の多脚構造が芝を踏み潰す音が、石畳を叩く音に変わった、刹那。

 

 唐突な爆圧が、フォルテを襲った。

 

「んっ、なぁ!?」

 

 轟音と、膨張した空気が体を叩いてくる衝撃。思わず数歩、たたらを踏む。

 

 まさか敵が自爆戦法でも使ったのか。だが、それにしては爆発するタイミングが早すぎる。

 フォルテは自身の体の状態を確かめた。破片一つ掠めていない。ボクスが爆発したのは、フォルテが身を隠す曲がり角の向こう側でのこと。

 

 危険を承知で、フォルテは通路の角から再び顔を出した。どうやら爆発したのは先頭を進んでいたボクスだったようだ。庭園から通路に入った辺りで破裂したらしく、そこを中心に残骸が飛び散っている。

 

 未だ庭園内にある残りの2体は混乱しているのか、それとも爆発の原因を特定しようとしているのか、キョロキョロとモノアイを様々な方向へ向けていたが、次の瞬間、その内の一体が壊れた。まるで上から不可視の巨人に押しつぶされたように、箱形の本体が一瞬で致命的なまでに凹む。さらにもう一体も同じ道を辿った。

 

 壊れた――のでは、ない。壊されたのだ。

 

 それは、明らかに何者かによる攻撃だった。

 

「な、なんだ――!?」

 

「襲撃!? 召喚術を――」

 

 宮廷召喚師のリーダーとその部下達が慌てふためき、さらに召喚術を行使する。一瞬の閃光が終わった後には、再び召喚獣の群れが揃っていた。ボクス、シルターンの悪鬼、サプレスの下級悪魔――

 

 それらもまた、一瞬で屠られていく。ボクス本体の上面に大穴が開き、悪鬼は急に首を180度無理矢理に回転させられ、悪魔の胸に大穴が開いた。

 

 何がどうなっているのか、その場にいる誰にも理解できなかった。魔力が働いている様子はない。ただ唐突に、死神がスキップして回っているかのような気まぐれさで死と滅びが齎されていく。

 

「これは、いったい――」

 

「――失礼。緊急事態みたいだからね。少々強引な手を使わせて貰ったよ」

 

 声は宮廷召喚師達の向こう側――フォルテにとっては向かい側の通路の奥からだった。

 

 そこから姿を表したのは、高級そうな服飾に身を包んだ少年だ。ただし、少年なのはあくまで外見だけの話――実際はその見た目以上に時を重ねており、どこか老獪な雰囲気さえ漂わせている。

 

 エクス・プリマス・ドラウニー。

 

 蒼の派閥のトップ。間違いなくこの聖王国でも最高峰の召喚師のひとり。その姿を認めた宮廷召喚師のリーダーが、苦虫をかみつぶしたかのように表情を歪めた。

 

「まさか……早すぎる」

 

「それは僕が君たちの計画に気づくまでの時間かな? それともここまで来るのにかかった時間の方?」

 

 事もなげに歩みを進め、エクスが庭園に踏み込む。目前には召喚師3名。どれほど無能であろうとも、騎士小隊くらいなら真正面から蹴散らしてしまえる戦力相手に、少年の姿をした男は緊張すらしていない。

 

「前者なら、僕には優秀な密偵がいるし、後者なら――今日は優秀な人たちを連れてきたからね。動かない方が良い。バスク家の秘伝召喚については聞いたことがあるだろう?」

 

「……ラウル・バスクの見えざる死の手か!」

 

「単独で砦を落としたという、あの……」

 

 宮廷召喚師達がざわめく。

 

 フォルテは自分への注意が完全に逸れたことを察して、下がらせていたケイナ達を呼び戻した。いままで自分が隠れていた角に待機させ、フォルテ自身は庭園へ進み出る。

 

「いよぉ、エクスの旦那! 助かったぜ!」

 

 気安く片手などあげて挨拶してくる冒険者の男に、エクスは苦笑を浮かべた。

 

「……君がここにいるのは知らなかったんだけどね。目的は同じみたいだけど」

 

「優秀な密偵さんとやらは?」

 

「グラムス達と一緒に、兵士の足止めをしてくれてる。正式な手順を踏む時間もなくてね。現状、僕たちは反逆者扱いだ。あとでそこにいる王女殿下の方から、恩赦なりなんなりを頂けると助かるんだけど」

 

「そりゃ当然。で、俺たちはもう帰ってベッドに入ってもいいのかい?」

 

 横目で宮廷召喚師たちを警戒しながら、フォルテが軽口を叩く。彼らはサモナイト石こそ手にしているが、すでに召喚術の行使は止めていた。呼ぶ端から召喚獣を始末されてしまっては、魔力の無駄遣いにしかならない。

 

「残念ながらそうもいかない。何も知らない兵士には怪我をさせないようにしてるせいで、完全には侵攻を止め切れていないんだ。そのまま下がって、城の奥でお二人を守ってくれるかい?」

 

「そいつは難しいな。すでに暗殺者が入り込んでる。毒でも焚かれたら守り切れねえ」

 

「……本当にぎりぎりだったんだね。いや、むしろ君たちがいなかったら間に合っていなかったのか。分かった。そっちにプランは?」

 

「一応、こっちでも脱出の手は考えちゃいたが……」

 

「じゃあそれで一度外に出て、ことが落ち着くまで身を潜めていてよ」

 

「分かった。ああ、ついでにそこの壁を吹っ飛ばしてくれるか?」

 

 フォルテが排水溝の付近を指さすと、エクスはやや顔を引きつらせたものの、時間をおかず頷いた。

 

「……建国以来、攻められたことすらない王城に、初めて損傷を与えるのが僕とはね」

 

 諦めたように小声で呟くと、エクスが召喚術を行使する。

 

 呼び出されたのは巨大な鬼の武将だった。成人男性ほどもある剣を一閃させると、次の瞬間には壁に大穴が開く。

 

 鬼神は役目を果たすと、すぐに送還された。あまりの手際の良さに、フォルテはひゅぅ、と口笛を吹く。

 

「さすがだねぇ。何でもかんでも初めてって言うのは実に男の子冥利に――いでぇ!?」

 

「馬鹿なこと言ってないで、早く行くわよ」

 

 いつの間にかディミニエ達を連れて、ケイナも通路から出てきていた。フォルテの脇腹に一撃を入れつつ、王族二人を先導している。

 

「おのれ、やつらさえ――」

 

 宮廷召喚師のひとりが破れかぶれに動く。ロレイラルの術を使うリーダー格ではない、サプレスの術を使う男だった。紫色の石へ魔力を込め、術を発動させようとしている。

 

「馬鹿者、よせ――!」

 

「ぎゃああああ!」

 

 リーダー格が制止の声をあげるのと、術を発動しようとした男が不可視の何かに腕をねじり上げられるのはほぼ同時だった。そのまま地面に突き倒され、動きを封じられる。サモナイト石が地面にこぼれ落ちた。

 

「動かないで欲しいな。ラウルの召喚獣だから、僕が手加減するように言っても聞いてくれないんだよ――さあ、早く行くんだ」

 

「すまねえ。後は任せた!」

 

 フォルテと王族達が壁の穴から出て行くのを確認して、エクスは意識を完全に宮廷召喚師達に向けた。

 

「さて――確か君はバルドゥア・ベルガーだったよね」

 

 宮廷召喚師達のリーダー格――バルドゥアは己の名前を呼ばれると、震える口元を隠すように手で覆いながら、無理矢理に笑みをつくってみせる。

 

「蒼の派閥の総帥に名前を覚えて貰えているとは、誠に光栄ですな」

 

「これから、みんなが君の名前を覚えるだろうさ。王権への反逆者としてだけど」

 

「……蒼の派閥は、政治に干渉しないのではありませんでしたか?」

 

「建前上はね。実際の所、便宜くらいは図るし、王家が消滅するとなればこうしてそれを防ごうとするさ。派閥は聖王国に根ざしているからね」

 

「その建前が……我らを産んだのです」

 

 怒気を孕ませ、バルドゥアが唸る。その言葉の意味を、エクスは正確に理解していた。

 

 宮廷召喚師という組織が設立されたのは、蒼の派閥のそういった主張が理由のひとつだ。蒼の派閥も金の派閥も、聖王国直属の組織ではない。蒼は政に関わらぬと公言し、金は国の枠を超えて広がりつつある。どちらも有事の際、聖王国の為に動く保証はない。故に、時の権力者達は、派閥に属さない独自の召喚戦力を求めた。

 

 そして、その言葉にはもう一つ意味があるのだろう。気が重くなりながらも、エクスはそれを聞かなければならなかった。

 

「反逆の理由は、5年前の傀儡戦争かい?」

 

「それ以外に何があるとお思いか? 我々は……我々は、活躍の場を奪われたのです。あなた達、派閥の存在のせいで!」

 

「やはり……か」

 

 傀儡戦争における"表向きの"決戦。屍と鬼人、魔獣の混成軍が王都前の大平原にて騎士軍と激突した戦いにおいて、本来なら宮廷召喚師達もその戦列に並ぶはずであった。それが彼らの初陣になるはずであったのだ。

 

 だが実際には、彼らは王城にて待機を命じられた。公式には後詰めということだったが、真実は違う。原因は、蒼と金、両派閥間における関係性の悪さにあった。

 

 現在では多少の改善が成されつつあるが、当時は険悪そのものという間柄であり、決戦当時においても連携などに問題が生じるのでは、という懸念が蔓延していたのだ。

 

 そうしたただでさえ問題の多い戦場に、実戦経験の無い、しかも両派閥と比べれば大した戦力にもならない弱小組織を投入するべきか否か?

 

 当時の将校達は否、と判断した。王も彼らの判断を尊重し、結果として、宮廷召喚師たちは、設立以来初めて訪れた活躍の場を奪われたのだ。

 

 彼らにしてみれば、両派閥が戦争終結後に距離を縮めだしたのも、むしろ気に食わないだけだろう。関係の悪さで我らを閉め出しておいて、何を今更――というわけだ。

 

「遠からず宮廷召喚師という枠組みは解体されるでしょう。大臣たちは、私たちを無駄飯ぐらいと蔑んでいましたから。恐れながらディミニエ様に、彼らからの要求を拒める度量がおありになるとは思えない」

 

「だからこの暗殺計画に手を貸した、というわけかい?」

 

 そんなエクスの台詞に対して――

 

 バルドゥアが最初に浮かべたのは、虚を突かれたような表情だった。まるで、子供に簡単な算数の問題を出して『毛虫!』と答えられたような。

 

 そして次第に、その顔が笑みに歪んでいく。

 

「なるほど……かの蒼の派閥の総帥も、全知全能いうわけではないようですね。ならば……勝ち目はあるか」

 

「さっきも言ったけど、抵抗は勧めない。サモナイト石を全て捨てて降伏するんだ」

 

 エクスは宮廷召喚師のひとりをねじ伏せている不可視の召喚獣をみやる。ラウルからエクスの護衛を命じられたそれは、人間を殺さないように厳命されているものの、敵対者に容赦をしない。特に、召喚獣は確実に殺害するようになっている。無益な殺戮はできれば避けたかった。

 

 だがエクスの降伏勧告に、バルドゥアは獰猛な笑みを浮かべ、召喚術の行使を以て返答とする。

 

 黒い閃光と共に、呼び出されたのは宙に浮かぶ卵形の機械――ビビアロイドと呼ばれるロレイラルの空中固定砲台だ。太陽光を吸収して稼働し、そのエネルギーをレーザーに変換して放ったり、空気中の成分から毒ガスを製造してまき散らしたりする。

 

(なるほど、考えたな)

 

 本体から飛ばされたビットが、緑色の毒ガスを噴霧し始めたのを視界に捉えながら、エクスは感心するように頷いた。

 

 エクスを守る不可視の召喚獣の正体は機械兵士だ。かつてロレイラルで勃発した機界大戦の折、すでに数を減らし始めていた人間型の生命体を暗殺することに特化したGLD兵器。音を立てずに動き、ネツコウガクメイサイという装備で完全な透明化を実現している。四界侵攻の時代においては、バスクの家が誓約で縛るまで、召喚師に多大な被害を出し続けたらしい。

 

 もともと護衛を想定した機体ではない。バルドゥアがその性能を正確に知っていたわけではないだろうが、しかしある程度の推測はできたのだろう。さらにこと毒ガス攻撃ともなれば防ぐのは難しい。それ故のビビアロイドという選択。

 

 それはバルドゥア達宮廷召喚師が努力を続けてきた証だ。少しでも実力の差を埋めるため、あらゆる属性の知識を収集し、できる限りの対抗策を練ってきた証左。

 

「その情熱に敬意を表するよ、バルドゥア・ベルガー」

 

 故に――エクスはその工夫を正面から打ち砕くことにした。

 

「召喚、ミカヅチ」

 

 莫大な魔力の放射と共に、シルターンへと繋がる巨大な門が開く。

 

 庭園に天井はない。植物がある故に、日光を取り入れられる造りになっている。見上げれば何に阻まれることもなく夜空が見えていた――つい先ほどまでは。

 

 いまやそこから覗くのは、巨大な龍の顎だ。

 

「これは――」

 

「鬼龍ミカヅチ。シルターンにおいて、紛れもなく最強の一体だよ」

 

 庭園に一陣の風が吹きすさぶ。それはまき散らされた毒ガスを吹き飛ばし、害にならないよう散らしてしまった。

 

 ミカヅチは天候をも自在に操る。風の操作など、その力の一端に過ぎない。やろうと思えば、ゼラムどころか、エルバレスタ地方そのものを根こそぎにすることも可能な戦略級召喚術である。

 

「これが……至竜……召喚獣の頂き……」

 

 バルドゥアが天を仰ぐ。その瞳には、紛れもない羨望と畏怖が込められていた。召喚術を極めた先にある終着点。その一つが、いまそこにあるのだ。

 

 バルドゥアは宮廷召喚師のお役目を父から継いだ。その父はバルドゥアの祖父から継いだので、宮廷召喚師としては3世代目になる。

 

 派閥に負けぬほどの術者となること――それが宮廷召喚師に課せられた使命だった。バルドゥア自身、父と祖父から幾たびも聞かされた訓辞。

 

 そしていま、エクス・プリマス・ドラウニーの術を見て、その頂の高さを体感して――バルドゥアは悟った。自分の代で、これには追いつけぬ、と。

 

 それは千年以上にも渡って連綿と続いた努力の結晶。才覚ある一握りの者たちが辿り着ける極地だ。

 

「はは……」

 

 あまりに広い隔絶に、渇いた笑みが零れる。

 

 バルドゥア・ベルガーには家の歴史も、恵まれた才覚もない。努力は続けてきたが、それさえ足りない。家ごとに継承し、積み上げてきた数百年単位の努力を、個人がどうこうできる筈もない。

 

 ――そう、真っ当な方法では。

 

「それを、待っていました」

 

 

 

 

 そして、鬼龍ミカヅチによる雷槍――数万発にも及ぶ雷をひとつに束ねた一撃が、王城の一画を消し飛ばした。

 

 

 

 

 時は僅かに遡る。

 

 フォルテ達は無事に船着き場までたどり着き、ハルシェ湖へと漕ぎ出していた。

 

 大人4人が乗れば、あとはほとんどスペースのないような手漕ぎボートである。王族を乗せるにしては、粗末に過ぎる小舟だった。

 

 夜である。月明かりはあるものの、湖は深い黒に染まっていた。ずっと見つめていると、飲み込まれそうな錯覚を覚えるほどだ。

 

「こんなちゃちなボートで逃げるつもりだったわけ?」

 

 一番前の席に座り、行く先へと目をこらしていたケイナがぼやく。最後部でオールを漕いでいるフォルテがため息をついた。

 

「仕方ねえだろ。俺とお前だけで本格的な船なんか動かせるかよ」

 

 王城の船着き場にあるのは軍艦くらいのものだ。城の奥で生活する王族が観覧用に乗るような船はそもそもないのである。

 

「それにでっかい軍用の船なんか盗んだらすぐにばれるぜ。こっそり逃げるなら、こういうボートが一番なんだよ」

 

「本来なら海に出るつもりだったんでしょ?」

 

「つっても、外壁を超えられれば良かったからな。すぐに上陸して、フロト湿原に隠してきた荷物を回収するつもりだったんだよ」

 

 とはいえ、当初の想定からずいぶん状況は変わった。敵にディミニエを連れて逃げたことはばれてしまったし、その失点を補ってあまりあるような強力な助っ人が現れた。

 

「お兄様、あれは蒼の派閥の……? お兄様と知り合いだったのですか?」

 

「ん? ああ、まあ知り合いの知り合いくらいの関係だけどな」

 

 問いを発したのはディミニエだ。ケイナとフォルテに挟まれる形で、ボート中央部に王妃と共に座していた彼女の問いに、フォルテが応える。

 

 数年前に行われた両派閥合同による"島"の調査において、スポンサーのひとりであったエクスとも何度か会話する機会があったのだ。本来なら現場の調査員と、やんごとなき身分であるエクスが直接口を交わすことなどありえないが、そこはエクス自身の性質によるものだろう。

 

 ディミニエも、さすがに蒼の派閥の総帥の顔は知っていたらしい。

 

「お兄様は、城の外でたくさんの人とお知り合いになられたのですね。とても素晴らしいことだと思います」

 

「そう言ってくれるとありがたいけどな……まあ、今回のエクスの旦那は、向こうの事情で動いてたみてぇだが」

 

 蒼の派閥は閉鎖的な組織だが、それでも多くの貴族が所属している。聖王国自体が消滅しかねない事態であれば、彼らも動かざるを得ないだろう。思えば脅威の種別は違えど、傀儡戦争もその類いではあった。

 

「最初から派閥を頼れば楽だったかもなぁ」

 

「結果論でしょ。私たちだって確証があったわけじゃないし。それより、ここからどうする? 市街に逃げ込む?」

 

「旦那が介入したんなら、終息はすぐだろ。このまま浮かんでるのも手だな」

 

「万が一転覆したらどうすんのよ?」

 

「街中に逃げて、ディミニエやお袋に気づいた誰かが騒ぎ出す確率を考えたら、危険度は似たようなもんだと思うがな……宮廷召喚師の他にも計画に噛んでる奴らはいるかもしれねえし」

 

 船着き場から大分離れた地点で、フォルテは船を止めた。風もなく、湖面は穏やかだ。誰かが暴れたり、あるいは他の船に轢かれたりしなければ転覆はないだろう。

 

 遠くに見える街の明かりのお陰で岸の方向を間違えることはなく、逆に暗闇の中に潜むこちらは見えにくいはずだ。

 

「もし逃げ込むんなら、ギブソンの旦那のところだな。ここから比較的近いし、派閥の総帥が動いてるってんなら匿ってくれるだろ。ただどのみち、ここで少し時間を潰そうぜ。人通りが少なくなるにこしたこたぁねえ――」

 

「フォルテ」

 

 僅かに緊張を帯びたケイナの声に、長広舌を振るっていたフォルテはすぐさま声を落とした。弓を使うケイナは目が良い。この中で、もっとも早くに異変に気づくことが出来る。

 

「どうした?」

 

「東の空。何かがこっちに向かって飛んでくるわ。大きい。翼がある。召喚獣――」

 

 物見がするように、親指と人差し指でごく小さな輪をつくり、そこから遠くを覗くケイナ。フォルテには未だ発見すら出来ていないが、ケイナははっきりとそれを捉えていた。近づいてくるにつれて、さらに像が鮮明になっていく。把握できた特徴をどんどん挙げていき――

 

 やがてケイナは緊張を解いた。

 

「あれ、ミニスのワイバーンじゃない?」

 

 言われて、フォルテも空を探す。相手の形が分かったおかげで、ようやく見つけることが出来た。月明かりに照らし出され、その特徴的な白銀のうろこが星のように輝いている。

 

 かなりの低空飛行だ。まだゼラムの外壁外を飛んでいるが、方向からして外壁を越えて進入してくるつもりらしい。

 

「なにやってんだ? 下手したら牢屋にぶち込まれるぞ」

 

「逆に、それをしなきゃいけないほどの緊急事態ってことじゃ? あの子、常識はあったもの」

 

「……金の派閥の方でも何か掴んでたとかか? 最近の間柄なら、蒼の派閥から情報が流れても可笑しくは――」

 

「フォルディエンド」

 

 と、急に口を挟んできたのは、これまでずっと黙って指示に従っていた王妃だった。荒事に纏わる知識のない自身が口を挟んで邪魔しないように、という配慮のもとだろう。それが急に会話に割って入ってきたので、フォルテは直前まで話していた内容も忘れ、きょとんと実母の方を見やる。

 

「なんだよ?」

 

「ミニスとは、ミニス・マーンのことですか?」

 

「ああ、そうだが……」

 

「そうですか……」

 

 その言葉を最後に、王妃は再び口を閉ざした。妙な雰囲気だ。治りかけなのを忘れて、思わず傷に触れてしまった時のような。

 

 フォルテは首を傾げその沈黙が何を意味するのか考えていたが、現実的なケイナの物言いが、彼の物思いを中断させた。

 

「……ねえ、シルヴァーナの飛び方、なんか変じゃない?」

 

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