しからば明日は一段の進歩あらん。
- アイザック・ニュートン -
(英国の哲学者、物理学者、数学者 / 1642~1727)
「はい、これ。緑茶には気持ちを落ち着かせる効果があるみたいだから」
「…………うん」
緑茶に含まれる、「テアニン」というアミノ酸の一種が、リラックスを促したり、ストレスを軽減してくれるらしい。この間、家庭科の授業で習ったことだ。
まだ顔が青いシャルルに、僕はそれを渡す。
あの後、僕たちは急遽話し合いをすることになった。
当たり前だ。シャルルが、女だったんだから事情を聞かないわけにはいかない。何で男のフリをしていたのか、という。
「どうして、こんなことを……?」
「……デュノア社は、知ってるよね?」
「うん。全国でも三位のシェアを誇るIS業界の大企業……って、あれ?"デュノア"?ってことは、もしかして…………」
「そう。僕はデュノア社の社長の娘なんだ」
「し、社長令嬢だったのか……」
これは驚きだ。
だって、デュノア社って世界的にも有名な企業なんだよ?
「じゃあ、デュノア社が今経営危機だってことは知ってる?」
「少しだけなら。IS業界で窮地に立たされてるってことぐらいなら」
「あはは、廉太郎は物知りだね」
「……そんなことないよ」
僕は何も知らない。
現に、先輩が教えてくれなかったら知らなかった事実だ。
「でも、何で経営危機になんて陥ったんだい?デュノア社といえば全国シェア三位の大企業じゃないか」
「そうだね。でも、デュノア社のISは結局第二世代型なんだよ。第三世代型には、劣る」
「それでも、デュノア社のISは量産機なんだし」
「『イグニッション・プラン』って知ってる?」
「イグニッション・プラン……?」
聞いたことがない。
あれ、でもオルコットさんがこの間その名前だけを言っていたような。
「欧州連合の統合防衛計画、それが『イグニッション・プラン』。フランスは今、その計画から除名されているんだ」
「なんで!?」
「それは、デュノア社が第二世代型しか製作していなかったから。第三世代型を開発する計画が、他の国の企業よりも遅れていたんだ。第二世代型に安定していた分ね。慌てて計画しても、もう手遅れ。IS開発には莫大な資金がかかるし、そもそもデュノア社には第三世代型を開発できるような技術がない。データも時間も何もかもが圧倒的に足りていなかったんだ。だから、除名されたの」
そういえば、オルコットさんの第三世代型IS『ブルー・ティアーズ』は、この『イグニッション・プラン』計画のISだって言ってたな。『イグニッション・プラン』って言葉はその時聞いたのか。
それにしても、まさかそんなことが起こっていただなんて。
普通に暮らしているだけじゃ、分からないことってたくさんあるんだな。
「そこからは酷かったよ。計画から除名されたデュノア社への予算を政府側が大幅カット。そして、次のトライアルで選ばれなければ援助を全面カット。IS開発の許可も剥奪されるんだってさ」
「……実質の倒産、ってこと?」
「そうだね。だから、デュノア社は今経営危機なんだよ」
……なんとも、汚いというか。
嫌な話だ。お金が絡むと、どうしてもそう聞こえてしまう。
「それでね?経営の危機に陥って、頭を悩ませていた父は僕にとある命令を下したの」
「……その命令が、まさか」
「そう。男装してIS学園に潜入し、スパイ活動を行うこと」
「…………ッ!」
「他国の代表候補生の専用機のデータの収集や、一夏の白式のデータを盗んでこいって、僕は命令されたんだ。男装したのは会社の良い広告塔になるから。男性適性者が自社のISを使ってるってなると、イメージアップになるでしょう?」
それじゃあ、なんだ。
シャルルは実の父親に、こんなことを強要されたというのか。こんな、こんなスパイ紛いな行為を強要されたというのか。
「なんで、そんなことを、父親が…………」
「……廉太郎。僕は、妾の子なんだ。父と、その愛人との間に生まれた子供」
「…………ッ」
絶句してしまった。
『愛人の子供』という言葉の意味が、重みが分からないほど僕は無知ではない。
「引き取られたのが二年前。ちょうどお母さんが亡くなった時にね、身寄りを亡くした僕のところに父の部下が突然やってきたの。それで色々と検査をする過程でIS適応が高いことが分かって、非公式のデュノア社のテストパイロットをやらされていたんだ」
同じだ。
シャルルも、僕と同じじゃないか。
IS適性が高いからと言う理由で道を勝手に定められて、その道を無理やり歩かされている。
僕と、僕と全く一緒じゃないか!!
「父に、あの人にとって僕という存在はただの道具でしかなかったの。だから、こんな命令を下されても不思議じゃないかな」
「…………ってる」
「話を聞いてくれてありがとう、廉太郎。話したら楽になったよ。それと、今まで騙して……ごめんね」
「……がってる」
「えっ……?」
「そんなの、間違ってる!!」
僕の叫びに、シャルルは小さく震えた。
「だって、おかしいじゃないか!生き方を選ぶ権利は誰にだってあるだろ!?それを、それをそんな親なんて呼べないような親なんかに、シャルルの行く道を邪魔されていいわけがないッ!!」
……これは多分、自分に対しての苦痛の叫びでもあるんだと思う。
ISを動かしてしまったことで、己の歩む道を強制的に選ばれ、歩かされている僕の苦痛の叫び。
「そんなの、そんなのおかしいよ…………」
「れ、廉太郎…………」
「シャルルは、シャルルはこれからどうするんだい?」
「どうするもなにも…………時間の問題だね。よくても、牢屋行きじゃないかな。まあ、今回はフランス政府も関わっていたから、どうなるかは分からないけれど…………」
「ああ、ごめん。言い方が間違ってたね。シャルルはこらから、どうしたいんだい?」
「えっ…………?」
僕の問いに、目を丸くするシャルル。
「僕は…………」
「君の歩く道は、君が決めるんだ。他の誰でもない、君が」
「僕の道は、僕で……………………」
僕は、決められた道を歩まざるをえなかった。
定められた運命に抗えなかった。負けてしまった。
でも、シャルルにはそうであってほしくない。無論、これは僕の勝手な言い分だ。彼女自身が定められた道を歩みたいと望むのなら……僕はそれを止めない。止められない。
でも、彼女が運命に抗うというのなら。僕は、彼女の手助けをしたい。彼女が彼女自身の道を歩むというのなら。僕はそれを手伝ってあげたいんだ。
僕自身、できなかったことだから。
「……嫌だ。嫌だよ、こんなの。こんなこと、したくない。このまま会社の命令に従い続けるのは、嫌だ!僕は…………私は、私は私のしたいことをしたい!縛られたくなんかない!!お願い、廉太郎…………助けてっ………………!!」
大粒の涙を零しながら、彼女は嗚咽混じりにそう呟く。
これが、彼女の本心。
彼女自身が思っていること。
「……うん。分かった。僕は、僕は君を助けるよ」
「れんたろう……?」
「僕にできることは、限られている。でも、それでも僕は君を助けるよ、シャルル」
僕はシャルルの頭を優しく撫でてやる。
柔らかな髪質だ。少し、ドキドキしてしまう。
「で、でも僕は……スパイ行為を、しちゃって…………」
「君はやらされていただけだ。言うならば、君も被害者。だから、君が罪を感じる必要は、ないよ。ただ、自覚をしていればそれでいい」
「僕は!れ、廉太郎のことも、騙してたんだよ……?」
「あー、そのー…………実は僕、騙されてなかったりして」
「えっ?」
僕は思い切って、事実を告白した。
「実は、さ。最初からシャルルのことを疑っていたんだ。……ごめん」
「そ、そっか……最初からバレてたんだね。なんだか、凄い惨めだよ……」
「なんていうか、無理があったんじゃないかな?こんなに可愛いシャルルが男だっていうのは」
「か、かわっ!?」
顔を真っ赤にして戸惑うシャルル。
少し、元気が出てきたかもしれない。
「というわけだからさ。僕は、シャルルに力を貸すよ。……頼りないかもしれないけど」
「ううん。そんなことない。ほんとうに、ありがとね廉太郎」
「…………大したことしてないけどなぁ。さて、と。じゃあ今後のことについて話そっか」
「うん」
はてさて、どうしたものか。
僕一人でどうにかできる問題じゃないんだよなぁ…………。あんなカッコつけて「君を助けるよ」なんて言っちゃったけど。僕、無力だからなぁ……。一般人なわけだし。
「まあでも、このまま僕以外にバレなければ取り敢えず三年間は無事なわけだね」
「三年間……?」
「そう。特記事項第二十一、本学園における生徒はその在学中においてありとあらゆる国家、企業、組織、団体に帰属しない。本人の同意がない場合、それらの外的介入は原則として許可されないものとする」
僕が学園の特記事項をスラスラと読み上げると、シャルルがぽかんと口を開けて僕のことを見つめていた。
「よ、よく覚えられたね。特記事項って五十五個もあるのに」
「……勤勉だからさ」
「そうだね。ここ数日一緒に暮らしてて、それは凄く分かったよ。部屋にいる間のほとんどの時間を勉強に費やしてたもんね」
そうでもしないと、授業に遅れるからだ。
今の特記事項が言えたのも授業に出る範囲だったから。
予習ってこういう時にも役に立ったりするんだね。
「だから、三年間シャルルは自由ってことだね。そこに、デュノア社が介入することはできない。……正直、今はまだどうしたらいいのか分からないけれど、この三年間でゆっくりと解決法を見つけていこう?」
「うん。本当に、本当にありがとう。ありがとう、廉太郎…………」
「……その、どういたしまして、かな?」
その後、僕たちは少しの間談笑し、遅くならないうちにベッドに入った。色々あって疲れたのか、シャルルはすぐに眠りについた。お疲れ様。
「……………………」
それに対し、僕はまったく眠れない。
いや、結局シャルルは女の子だったわけだし。
こんな可愛い女の子と同室で、すんなり眠れるわけがない。
「……少し、勉強しよ」
眠れないのなら、その時間を有効に使おう。
どうせ少ししたら眠くなるさ。
そう思い、机のライトをつけてシャルルを起こさないように僕は勉強を始めた。
気がついたら日が昇っていたのは、言うまでもない。