(仮面ライダー鎧武/坂東 清治郎)
黒。黒。視界の全てを彩る黒。
例えるならここは"深海"。
どこよりも深く。
どこよりも暗く。
どこよりも辛く。
どこよりも苦しく。
どこよりも冷たくて。
どこよりも悲しい場所。
地上とは隔絶した世界。
そんな場所で生きる生命は、思わず目を逸らしたくなるほどに異形な姿をしたものばかり。
ここは"深海"。
それ故に、ここに存在するものも全てが異質で、異形で、奇妙で奇怪。
────だから僕は、思わず目を逸らしたのだ。
◆
◇
◆
「廉太郎ッ!?」
突如標的を変えた黒いISが、廉太郎に向かって疾走する。シャルロットは、あまりにも突飛で唐突なその黒いISの行動に、対処することが出来なかった。
故に、次に起こった現象に、彼女は絶望する。
「────ッ」
食べられた、という表現が正しいだろうか。
大きく膨れ上がり巨大な口となった黒いISの胸部に、廉太郎は盾ごと飲み込まれてしまったのだ。
今まで千冬の姿を模倣していた黒いISは再び形を失い、黒い球体となる。
飲み込んだ廉太郎を咀嚼するように、黒い球体はグジュグジュと蠢く。
我を失い、ただそれを見届けることしかできなかったシャルロットは、しかし数秒で意識を取り戻し、瞬時加速にも劣らない速さで黒い球体に迫る。
「廉太郎を、返せェッ!!」
迂闊に銃器は使えない。飲み込まれた廉太郎を巻き込んでしまうからだ。
シャルロットは黒い球体を直接掴み、無理やりこじ開け廉太郎を中から救い出そうとする。
が、しかし、
「ぅあッ」
球体を掴んだ両手が、他でもないその球体に取り込まれたのだ。黒いジェル状のそれは、徐々にシャルロットの体を侵していく。
「く、ぅっ、れん、たろう……!」
やがて彼女は抵抗することをやめる。
抵抗しても無駄だと悟り諦めた……というわけではない。敢えて自身も取り込まれることで、内側から廉太郎を助け出そうと考えたからだ。
「待ってて、ねっ! いま、助けに、行ッ────」
だが、それはあまりにも無謀な策。彼女らしからない行動。つまり彼女は、それほどまでに焦っていたのだ。
抵抗がなければあっという間。
彼女は、静かに球体に取り込まれた。
沈む。
沈む。
深淵へと。
底なしの深海へと。
そこには"絶望"しか存在しないというのに。
彼女はゆっくりと、廉太郎の元まで沈んで行った。
◆
◇
◆
沈む。沈む。僕は沈む。
深い、深い、海の底へ。
堕ちていく度に体は軋み、堕ちていくほどに周囲の温度は冷たくなっていく。
極寒。あまりの寒さに、僕は身を震わせた。……いや、この震えは本当に寒さからきたものか?
違う。
違う、そうじゃない。
これは、怖いから、何かに怯えているから、体が震えているのだ。この寒さは、僕の恐怖を具現化したものに過ぎなくて、根本的な"ナニカ"はすぐそこまで迫ってきていて、だから僕は、僕は、僕は、
「あ、あぁ、あっ、あぁあッ」
来た。
来た。
来てしまった。
流れてくる。
目を逸らしても無駄。
"ソレ"は僕の中に流れ込んでくる。
"ソレ"は、僕という存在を形作った、忌まわしき過去の記憶。僕という存在の根源。
まず最初に思い浮かぶは、一人の男の姿。
僕の中の一番奥底に眠る、深い
僕を見るその男の目に僕の姿なんて微塵も映っていなくて、そもそも何も映っていなかったのかもしれない。だから僕にはその人の目が、窪んで、空洞になっているように見えていた。
怖かった。
何をやってもできない、お前は羽虫以下だ、出来損ない、役たたず、使えない、カスが、グズめ、クズ、ゴミ、ゴミ、ゴミゴミゴミゴミゴミゴミゴミゴミゴミゴミ、
『使えん
これは、その男の言葉だ。
唯一覚えている彼の言葉。
いつ、言われた?
いや、そもそもこの人は誰?
思い出せない。思い出せば、おそらく僕は二度と地上には戻れなくなる。だから僕は、無意識に思い出すのを拒んでいるのだ。
だが、僕の抵抗も虚しく、過去の記憶は勝手に流れ込んでくる。
『せっかく命を助けてやったっていうのに……こんなにも使えないだなんて……ああ、あぁ、あぁっあぁっあぁもうっ! ほんっとうにただのゴミだったのね、アンタッ!?』
これは、よく覚えている。
僕の母だと名乗っていた女の人の言葉だ。
ことあるごとに彼女は僕にそう言って、殴って、蹴って、頭を掴んで無理やり地面に叩きつけて。そうして落ち着いた頃には壊れたように『これじゃあ、これじゃあ、何のためにッ』と叫びながら泣き出すのだ。
泣かないで、と。僕は母親と名乗る女性に何度も語りかけた。しかし、返答は何もない。僕のことなど、もはや意識の外だったのだろう。
『……』
気づいた時にはもう、その女の人は、物言わぬ死体となっていた。
それは本当に唐突だった。いつも通りどこにも寄り道せず中学校から帰ってきた時、リビングに入ると首を吊って静かに揺れる母親の姿がそこにあったのだ。
そこからのことはよく覚えていない。気がつけば僕は、隣の家のおじさんとおばさんに引き取られていた。
元々父はおらず、母方にも親戚がいなかったらしい。引き取り手がいなかった僕は、孤児院に行くこととなったのだが、幸運にも心優しかった隣の家の夫婦が僕のことを引き取ってくれたのだ。
僕を引き取ってくれた夫婦は、本当に優しい人たちだった。何故なら僕を殴らないし、蹴らないし、床に叩きつけない。積極的に関わろうともしてこなかったけれど、それでも暴力は振るってこなかったから。
『遺産目当てで引き取ったっていうのに、大した額もないし……どうするの、あの子』
『正直、邪魔だな。けど、どうしようもないだろう。まさか殺すわけにもいかんだろうに』
そんな会話を、ある日の晩僕はたまたま聞いてしまった。遺産目当て。僕を引き取った理由は、つまりそういうことらしい。
でも、僕はそれでも良かった。生きていけるならそれでも良かった。暴力を振るってさえこなければ、僕にとっては優しい人たちだったんだ。
それからの生活は、穏やかなものだった。
普通に日々を過ごしていたと思う。
意外なことに虐めは受けなかったし、義理の父母の僕に対する扱いもいつも通り。
友達なんていなくて、同級生たちは近寄ってもこなくて、決して楽しいものではなかったけれども、比較的平和な日常を、僕はついに手に入れたのだ。
でも、腹が立った。
いつもいつも影で使えないだとか、グズだとかゴミだとか出来損ないだとか言われて、悲しさと苛立ちが僕の中で爆発したんだ。
それからだろうか。
僕が決死の思いで努力するようになったのは。空回りしたって、失敗したって、体調を崩したって体を壊したっていい。今まで僕を蔑んできたやつらを見返すことができるのなら。そう考えて、頑張って、努力して、頑張って、努力して頑張って努力して努力して努力して……こうして今の僕ができあがったのだ。
確かに僕は頑張ってきた。
それで報われたことも何度かあっただろう。
でも、"本質"は何も変わっちゃいない。
僕は今も昔も無力なゴミだったんだ。
「あ、あぁ……」
今まで必死に目を逸らし続けてきた過去の記憶。
それが今、深海の海流となって一気に僕に押し寄せてくる。
痛い。
痛い。
心が。
体が。
痛い。
「く、ふっ」
血を吐く。
黒い血だ。
汚くて、禍々しくて、不快で不潔な黒い血。
口からだけではない。
僕の全身から黒い血は溢れ出してくる。
僕から滲みだしたその黒い液は、徐々に集まって、形を成していく。
「おかあ、さ、ん」
出来上がったのは、首を吊ってただの腸詰まった肉袋と化した、あの女の人。僕のお母さん。
凄く悲痛で、可哀想な表情をしている。
彼女をこんな顔にしてしまったのは、きっと僕なのだろう。僕が悪いのだろう。僕が、無力だから。
『そうよゴミ。お前はゴミ。使えない役たたず。どうしようもないほどに矮小で、どうしようもないくらいに出来損ない』
「……」
『お前なんて作らなきゃ良かった。お前なんて救わなければ良かった』
「……」
『お前のせいで、私は死んだの。それなのに、お前はどうしてまだ生きているの?』
『生きていても、何もできないくせに。お前が息をすること自体無駄な行為だというのに。ねぇ、ねぇ、どうして?』
「……」
『無力なのに、少し力を手に入れただけで王様気分? ────笑わせるわねぇ。本当はどうしようもないクズのくせに』
『無力よ。お前は無力。せっかく作ってやったというのに、なんの成果もあげられなかったゴミクズ』
『無力、無力、無力、無力無力無力無力無力無力無力無力無力無力無力無力無力無力無力無力無力無力無力無力無力無力無力無力無力無力。無力。そんなお前が、誰を救うというの? 誰を守るというの? 何を成し得るというの?』
────なら、僕に力を寄越せよ。
"Valkyrie Trace System"
"boot"
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